はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

<アメージング・ストーリーズ>ってなあに?

2009年01月11日 | はなし
 SFマニア野田昌宏のエッセイに『ある美人姉妹』というのがある。今日はその話をご紹介。

 時は昭和30年代、野田昌宏さんは、TV制作のA・D(アシスタント・ディレクター)をやっていた。ある文芸ドラマのロケで八丈島に行った時のこと、一人の若い女優が八丈富士の斜面で足をすべらせてケガをしてしまった。野田さんは彼女をおんぶして病院へ。骨折はしていないが、数日間は足を動かしてはいけない、と診断がでた。ところがその日はロケ最終日。ロケは終わり、スタッフは飛行機で帰っていったが、その女優と野田さんは残ることになった。
 あーああ、まいったな…。 こうして、野田さんは八丈島でひまをもてあますことになる。


 そんな八丈島での数日後のことである。
 20歳くらいの年齢の女優Sは、野田さんが買ってきたアイスキャンディーをぺろぺろとしながら、野田さんにこう聞いたのであった。

 「ねえ、<アメージング・ストーリーズ>ってなに?」

 野田さんは面食らった。まさかそんな女優からそんな言葉が出てこようとは…。
 「ああ、そうか。」 野田さんがひまでしょうがなくて落書きした、<アメージング・ストーリーズ>の表紙絵、それを女優Sはひろって見て、野田さんに聞いたのだった。 火星人がロボットと格闘しているへたくそな野田さんのラクガキであった。
 「ああ、これはな…。 SFって知っているかい? アメリカのSF雑誌の表紙なんだよ。」
 「ふゥん、そうなの…? それで表紙にはみんなヘンな絵がついているのね…」
 「みんな…ッて、君は本物を見たことがあるのかい?」
 「あるわよ。お祖父ィちゃんが持っていたの」
 「ほう。粋なお祖父ちゃんじゃないか」

 ずっと後でわかったことだが、Sのそのお祖父ちゃんという人は、若い時期に妻子を日本においてアメリカに渡り、そこそこ成功した人なのだった。機械いじりが好きで、わけのわからぬ無線機やそのテの雑誌を山ほどもってきたという。その中に<アメージング・ストーリーズ>もあったというわけ。

 しかし<アメージング・ストーリーズ>の雑誌もその価値はピンからキリまである。
 <アメージング・ストーリーズ>は、前回記事に僕が書いたように、ヒューゴー・ガーンズバックという人が1926年に創刊した世界初のSF雑誌である。この雑誌はその後もずっと続いているそうだが、しかしガーンズバックが編集長だったのは1929年春までである。彼の雑誌は乗っ取られて、別の人の手に渡ってしまったのであった。その後、元気なガーンズバックはくじけず、別のSF雑誌<サイエンス・ワンダー>誌を創刊する。 そして<アメージング・ストーリーズ>のほうはといえば、その後続いてはいても内容的には精彩を欠くものになってしまったという。
 だから<アメージング・ストーリーズ>といっても、ガーンズバック時代のものこそは価値が高いのだ。なんといっても、フランク・R・パウルの表紙絵がすばらしいのである。パウルは、ガーンズバックと行動を共にしていたので、ガーンズバックが別の雑誌を始めた時に、パウルもそちらに移ったのだった。

 だから野田昌宏さんは、女優Sから、彼女のお祖父ちゃんが<アメージング・ストーリーズ>を持っているといっても、まさかヒューゴー・ガーンズバックのものではあるまいと思っていたのであるが…。(あとでわかるのだが、事実は違ったのだ!)


 女優Sは、ずいぶんと気の強い女だった。八丈島の病院での入院生活の3日目、彼女は若い看護婦と衝突し、泣かせてしまった。間に入った野田昌宏さんは苦労させられることになる。しかもそのうち、台風が接近して飛行機が飛ばず、Sの足のケガが良くなってもしばらくは島に足止めになってしまった。6日目にやっと帰れることになった時には、飛行機の窓から見える東京の街が涙で霞んでよく見えなかった、と野田さんは書いている。
 空港には、Sのお姉さんが迎えに来ていた。和服で、Sよりもさらに美人だった。
 ところがSは、お姉さんの顔を見ようともせず、一人で住んでいる自分の青山のアパートに帰るといってきかない。 というわけで、美人お姉さんは、野田さんに何度もお礼をくり返して、一人で帰っていった。
 その後、野田さんは、その女優Sのビッコひきひきの病院通いにつきあい、間もなく彼女は全快したので、食事でお祝いをして、その後はずっと会うことはなかったという。 ところが…



 ところが半年後のこと、野田さんのところに、彼女、女優Sから真夜中に突然電話がかかってきた。なにごとか、と思えば、こうである。
 「お祖父ちゃんの<アメージング・ストーリーズ>を家から持ってきたから、取りに来ない?」
 まあ、せっかくの好意だから、行くだけ行ってみるかと、野田さんは彼女の部屋へ。すると…。



 まぎれもなくそれは、ヒューゴー・ガーンズバック編集時代の<アメージング・ストーリーズ>なのだった! 表紙やイラストはあのフランク・R・パウルによるものである!

 野田さんは、目を見張る思いで、その雑誌のページをめくった…。

 うん? 香水の匂いが…
 野田さんが目を上げると、そこには全裸に近い姿のSが立っていた。彼女はその大きな眼でジーッと野田さんの顔を見つめ、大きな胸の黒い布片を取りはずそうとしているところだった…。

 「!!!」

 さて、それで野田昌宏氏はどうしたか?
 逃げ出したのである。
 野田さんは、その時、自分の周囲で仕事と情がからんで女と揉めている男達の大変そうな姿が脳裏によぎったのだった。

 あの判断は正しかった…とは思うが、それでも、彼女のあの輝く裸身は惜しかったと思わないでもない、と野田さんはふりかえる。いや、もっと惜しかったのはガーンズバックの<アメージング・ストーリーズ>…、美女は他にもいるが、あれは二度と…。
 その後、野田さんはSと会うことはなかった…。



 それから数年後、野田昌宏は北千住でロケをしていた。問題が起きて野田さんは電話を借りるために近くの店に飛びこんだ。そこは大きな葬儀屋だった。
 野田昌宏さんは驚いた! そこにいたのは、あの女優Sの和服美人のお姉さんだったのである!
 「野田さんですね?」と彼女のほうが、声をかけてきたのでそれがわかったのだった。電話での話が終わると、Sの美人お姉さんは、冷たいものでも、と無理矢理引き止められて話をすることとなった。話題は当然Sのことになる。
 「あのコは、銀座でお店をやっているんですけれど、家には全然…」と和服美人。 そして彼女はあの“雑誌”のことを話した。
 「あのコはだしぬけに帰ってきて、野田さんにあげるんだとか言って、お祖父ちゃんの大切にしていた雑誌を…」
 そのお祖父ちゃんも死んでしまい、お祖父ちゃんが大切にしていたものだからとしばらくは取っておいたのだが、結局はもう手放してしまったという。お宝、ガーンズバックの<アメージング・ストーリーズ>はもう手の届かないところに行ってしまったのだ。
 Sのお姉さん続けた。「でも…あのコは言っていましたわ。あの雑誌はぜんぶ野田さんにあげるつもりだったんだ…って。」

 その瞬間、野田さんの脳裏にはあの時のSの胸の映像がフラッシュバック! ふとお姉さんの顔を見ると、彼女のきれいな顔に妖婦じみた微笑が走った(ような気がした)。 うわッ、もしや、Sはこの姉にあの時のことを…スタコラと逃げ出した俺の姿を、何もかもおもしろおかしく報告しているのではあるまいか!?
 急に居心地がわるくなった野田昌宏さん。 そそくさとその葬儀屋を退散したのであった…。


 その野田昌宏「宇宙軍大元帥」は、去年、逝ってしまった。
 すると野田さんの貴重なSFコレクションは、いったい誰が受け継いだのだろう?

 
   ◇      ◇      ◇      ◇


 今晩は満月なんですね。 西の空には金星が__。

 『宇宙のスカイラーク』まで、あと少し。
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