浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2014-12-29 00:41:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二


   東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には


先の続き・・・

もう十年前のことですが、四国へお話に行きますと、ヘソ曲がりの方が、
「こりゃ一体何の話しや」とおっしゃるのです。
しかも見ると、サントリーのボトルを持ってきまして、酒を飲みながら私に
質問しますので、「この場所は酒を飲んで集まる場所ではありません。
あなたはどうぞ酒を飲んでいない時に来て下さい」と言ったのですが、
聞かないのです。
「ここ、何する場所や」と言うので、
「幸せになる場所です。人はすべて幸せを求めております」と答えると、
「いや、わしゃ幸せなんか要らんのや」と言っています。
「では、あなたのおヘソは大分曲がっています」と言いました。

その人はウイスキーを飲みながら法の話しを肴にしているわけです。
誰も追い出しなさいとも、外に出なさいとも言わないのに、私が話していますと、
その人の周りにおられた方が五、六人寄ってこられて、
その人の手や足を掴んでサーッと表に放り出されました。
誰か知らないけど寄って皆でかかえて放ってきたのです(笑い)。
お釈迦様がお説法なさった時は、
聴衆の中で咳払い一つしても周りの者が制したというほど真剣なものであったのです。

かつて、十五、六年前ですが、
本当の教えを説く所はないものかと宗教遍歴をしたことがあります。
その時、S教に「入会はようしませんが、
その修業に参加させていただけますか」と伺うと、
「どうぞ来て下さい」ということで、何か月か通ったことがあります。
そこへ通っていた時に、K大学の体育館でT先生の講演会があり、券を買って
出かけたのです。
大きな会場ですし、集まった人も多いのですが、お話の間中、
皆がワイワイワイと大声で喋っているものですから、全然講演を聞くことができないのです。
いや、これは法ではないと思いました。
法話の時は咳払い一つしてもならないとお釈迦様の仏典の中に載っております。

ところが、前の演壇で大きなマイクを通して話しておられるのですけれど、
話しの内容は全然聞くことができませんでした。
だから講演も、人の心を打たないような話しは真理ではないのです。
何故かというと、それは知識として話しをされるから人の心の中に入ることなく、
皆がワイワイ話したり、居眠りしたりすることになるのです。
ただ、人の集まりだけのことになってしまうわけですね。


            ~ 感謝・合掌 ~





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