恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白
先の続き・・・
それはまず、この世に生を頂きました以上は、
必ず死を約束してこの世に生まれているということです。
いや、そんな約束をしたことはないと思われるかも知れませんが、
人は死を約束してこの世に生まれるのです。
その証拠には人は全部死にます。
永遠に生きる人は一人もありません。
そしてめぐり会うことは、別れることを約束のもとにめぐり会っております。
ただ、その約束の時が遅ければそれだけ生き延びます。
そのように、私たちは死の約束のもとに今、生きさせてもらっています。
あなたも、今がもしその約束の時であれば、これを素直に受けるのが人間としての生き方です。
避けることはできません。
私がもしお迎えを頂いた時には、どのようにするか常々心掛けておりますし、
お話もさせていただいております。
昔から「死病と金儲けとはおろそかにはできない」と言います。
お金を儲けるのもそうですが、死んでいくにしてもおろそかには死ねないのです。
私たちの心に応じてそれぞれ死にゆく時に裁かれます。
それは例えば、自分の心を苦しめるものが十あるとしますと、十の苦しみを
受けないと死ねません。
或いは自分の心を百苦しめておりますと、百の苦しみが襲います。
ですから、常に反省して自分の心を軽くして罪を少なくしおかないと死の時に裁きがきます。
最終的に末期が訪れますと、
病院のベッドの鉄の手すりをグニャーと曲げてしまう方がよくあるそうですが、
あの鉄のパイプを痛み苦しみの為に曲げてしまうのですね。
まだ法にご縁のなかった頃、私の知った或る方で、
乳癌の苦しみから自分の頭の毛を全部引き抜いた方がありました。
又、畳の上で死ぬ時、その痛みに耐えかねて畳をかきむしって、
その中の藁を全部引き出すぐらいの激痛が襲う場合もあります。
苦しみもいろいろと段階があります。
私も恐らく罪が深いから、そう楽に死なせてもらえるとは思っておりません。
今から覚悟しております。
少々の苦しみは、それは致し方のないことですね。
お互いに覚悟はしておかなくてはいけませんね。
楽にコトンと死ねたら幸せですけど、そんなにうまいことはいきません。
うまくいけば幸い、いかなくて当たり前です。
しかし、覚悟だけはしておかなくてはいけません。
いよいよ最期が訪れた時は苦しみも襲うでしょう。
七転八倒の苦しみが襲うかもしれませんが、この世のあるだけの力をふりしぼって、
私は身近にいて下さる皆様一人一人に「ありがとうございました。
お世話になりまして、心からお礼申し上げます」と,
感謝の言葉だけは言わせていただきたいと思います。
もう少し余裕があれば、
「今ここにいていただけない縁ある方々にお礼を申し上げて下さい」と、
言付けをお願いしてあの世に帰りたいと思っております。
その代わり、死んでしまったと思いましたら、
もう振り向きもしないで極楽の世界へ一目散に走っていこうと思います。
~ 感謝・合掌 ~