浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

思い変えの法則

2008-11-13 16:18:18 | Weblog

~  思い替えの法則  ~


ある日お釈迦様のお弟子様が本日よりお釈迦様の教えを

伝道に行ってきますとお釈迦様にご挨拶に伺ったそうです。

お釈迦様は慈悲に満ちたお顔で、そなたが教えの伝道活動するのは

一向に異論はないが、そなたの赴く天と地とそこに住する人々

の幸せと安寧の為に尽くすがよいと仰せになりました。

(仏教伝道の為に赴きなさいとは一切お釈迦様は仰っておりません)

しかしそなたが赴く地はまだ正法の教えが広まっていない所である

からして、恐らく悪口雑言を浴びるであろう。

それでも、そなたは赴くかとお釈迦様は念をおされたそうです

そのお弟子様は、はい悪口雑言を浴びせられるぐらいならば、

平手で叩かれるよりはズットましでございます。

とお答えにならたそうです。

では平手で叩かれたらいかがするか・・・

とお釈迦様はまたお尋ねになられたそうです。

お弟子様は平手で叩かれるぐらいならば拳骨で殴られるよりは

ましでございます。

とお答えになられたそうです。

では拳骨で殴られたらいかがするか・・・

とお釈迦様はまたまたお尋ねになられたそうです。

拳骨で殴られるぐらいのことは棒切れで殴られるよりズット

ましで御座います。

ありがたくおくお受けします・・・と、お釈迦様にお答えになられたそうです。

では棒切れではなく刃物で刺し殺された場合はいかがするか。と、

お釈迦様は再度お尋ねになられたそうです。

このご質問に対しお弟子様は、刃物で刺し殺されても

このありがたいお釈迦様のお教えを広めさせて戴くために、

この身を捧げられればこの上なき、

幸せ者であると感謝して、お受けしこの世を去りたいと存じます・・・

とお答えになられたそうです。

このことより、いかなることがあろうとも思い方一つで最悪の事態

からでも心が最善の事態に替える事が出来るのであることを

お説きくだっさておられます。


       ~ 感謝・合掌 ~




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一日一生

2008-11-13 15:51:21 | Weblog


~ 恩師の御講演より ~


「一日一生」

この世に生を受けた万生万物は

老若男女を問わず、一寸先は闇である。

「朝に紅顔ありと言えども夕に白骨」にならないとは限らない。

その証拠にご老人様や病めるお方様よりも早くこの世を去って逝く

多くの若者がいる事実を私達はいやというほど見聞してきている。

明日の命を保障されて生きているお方様はこの世に誰もいない。

それ故、一日一生の思いで日々の生活に感謝し、

仮に万が一の事があっても後悔の無い様に

日々の生活行動をするべきであろう・・・と、

だが我々凡人は「死」は他人事の様に思い、

自分だけがいつまでも生き続けるものと錯覚しがちである。

現実を直視し、正しい想いと行いの日々を精進すべきであろう。


            ~ 感謝・合掌 ~




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五つの心

2008-11-13 03:57:12 | Weblog

    ~ 浄心庵「心の道場」に啓示されていた
         掲示板「五つの心」より ~


◆ 五つの心 ◆

     ◎「ハイ」と言う
         素直な心

     ◎「すみません」と言う
         反省の心

     ◎「おかげさまです」と言う
         謙虚な心

     ◎「させて頂きます」と言う
         奉仕の心

     ◎「ありがとうございます」と言う
         感謝の心


          ~ 感謝・合掌 ~




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末法

2008-11-13 02:57:04 | Weblog

~ 恩師の御講演より ~


「末法」

昨今のマスコミを見聞する度に

この世は「末法」であると思わざるを得ない。

特にいたいけない幼児が何の罪も無いのに

愚かなる大人達によって殺傷されている事実である。

そこまでに至った背景にいかなる理由があるにせよ

「自分で蒔いた種」は

自分で刈り取らねばならないのが掟である。

「作用反作用の法則」を知るべきである。

まさに人間の皮を被った悪魔であると言わざるを得ない。

この世の法律によっても罰せられることは言を俟たないが、

それ以上に厳しい罰はその方御自身の「内なる良心」が

自分自身を攻め裁くからである。

「天に向かいて唾を吐き」

「風に向かいて灰を投じるが如し」

心より深く反省し大罪を帳消しにするための善を積み、

なお余りある善なる実践をしない限り、この世だけでなく、

あの世に於いても内なる御自身の「良心」が影の如く付きまとい

責め続けるであろう。

何故なら「内なる良心にはこの世の情状酌量なるものはない」

からである。

私達もこの悲しむべき出来事を心に銘記し「他山の石」

としなければならない

短かすぎた幼児達の御霊に対し御冥福を祈られずにはいられない。


      ~ 感謝・合掌 ~



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つもり違いの十箇条

2008-11-13 02:53:22 | Weblog

   ~ 恩師の御講演より ~


◆つもり違いの十箇条◆

薄いつもりで厚いのが面皮
厚いつもりで薄いのが人情

深いつもりで浅いのが智恵
浅いつもりで深いのが欲望

高いつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位

短いつもりで長いのが無駄話し
長いつもりで短いのが人の一生

短いつもりで長いのが怨念感情
長いつもりで短いのが受恩感情

少ないつもりで多いのが愚痴不満
多いつもりで少ないのが思いやり

大きいつもりで小さいのが度胸と根性
小さいつもりで大きいのが無礼な態度

少ないつもりで多いのが借金(して頂いた事)
多いつもりで少ないのが貯蓄(させて頂いた事)

持ってるつもりで持っていないのが感謝の気持ち
持ってないつもりで持っているのが差別の気持ち

死して行かないつもりで行くのが地獄
死して行くつもりで行けないのが極楽

多く積んだつもりで少ないのが善行
少なく積んだつもりで多いのが悪行


      ~ 感謝・合掌 ~



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座右の銘ー2

2008-11-13 00:31:28 | Weblog

    ~ 恩師の御講演より ~


糞中の穢中、居を争いて外の清さを知らず。

残水の小魚、食を貪りて時に乾くを知らず。

昨日は記憶にすぎず、明日は希望にすぎない、
今日の今の今のみが創造をもたらす瞬間である。

善悪いずれの結果が現れようとも、その一切は自らの心と行い、
想いが創り出したものである。

裏を見せ、表を見せて、散るモミジ。


     ~ 感謝・合掌 ~







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