ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ダッハウ強制収容所

2006年09月07日 | 旅行
今回ミュンヘンには3日滞在の予定でした。エンデのお墓と博物館、トーマス・マンめぐりがメインで、後はシュタンベルク湖にするかダッハウの強制収容所にするか迷っていました。
一旦はダッハウは断念していたのですが、ニュルンベルクでナチス遺跡を見たら、やはりダッハウにも行きたくなり、どうしようかな・・・と思っていたのですが、エンデ博物館の最寄り駅がダッハウと同じSバーンのS2の路線だったこと、そしてエンデ博物館が2時からしか開かないということで、これはエンデ博物館に行く前に寄れるかも、ということで、エンデのお墓参りをした後、ダッハウに向かいました。
S2のDachauで下車、724か726のバスで行く、と「地球の歩き方」には書いてあったのですが、バスターミナルに行ったら、思いっきり「強制収容所行き」という表示が出ていてびっくり。
日曜ということもあってか、観光客がたくさんバスターミナルに並んでいてこれもびっくり。どうやらかなりメジャーな観光スポットとなっているようです。まあ、ニンフェンブルク城ほどは混んでなかったと思いますけど。
バスは強制収容所の近くが終点になっていて、迷いようもなくすんなり到着しました。
この強制収容所跡、入場無料です。太っ腹。
さらに興味がある人には有料でオーディオガイドの貸し出しや本などを売っているようでした。私はそんなに時間がなかったので(ニュルンベルクのDocu Zentrumで時間かかるのはよくわかりました(汗))確認しませんでしたが、日本語のガイドがあるなら、時間があれば聞いてみたかったですね。
しばらく歩くと強制収容所が見えてきます。
門をくぐると、予想以上に敷地が大きいことにびっくりしました。ニュルンベルク以来「大きい=怖い」と思ってしまいます・・・

これは管理棟。平屋ですがかなり大きいです。
中は写真や映像の展示になっています。一部収容所内の生活備品の展示もされていました。
映像はあまりなく、写真が中心の地味な展示ではありましたが、結構衝撃的なものもありました。
ゴミのように投げ出される死体や焼かれる死体の映像が流れていたり・・・この後機内で「Vフォー・ヴェンデッタ」を見たら、前に見た時もナチスの強制収容所をモデルにしているのはわかっていたつもりでしたが、本当にそのままだったので色々と考えてしまいました。
一番衝撃だったのは、人体実験の様子の写真でしょうか。人体実験で命を失った後の写真や、 実験前、実験の瞬間、実験後(多分死んでいる・・・)の連続写真もありました。
特に連続写真では、被験者の男性が、自分が何をされるのか知らないのか、ニコニコと人が良さそうに笑っていたのが・・・
こういう写真を、ほんの一部とは言え、展示しているのは貴重なことだなあと思います。
ドイツは戦争責任を「全部ナチスが悪かった」と押し付けて済ませてしまっている部分もあるよなあ、とは思います。
それでも、こういう資料を展示できるのは、自国の資料だからでしょう。だから、ドイツがこういう展示をしていることにはやっぱり意味があると思います。
被害者の立場からであろうと、加害者の立場からであろうと、戦争に関する資料は大事な遺産だと思います。人間はいかに残酷になれるかということを思い起こさせてくれるから。
広い視点で見れば、自分の国の過去の汚点でも恥でもなく、人類全体の貴重な遺産なんじゃないでしょうか。だから、隠したりしないで、どんどん見せて行くべきではないかと思うのです。ドイツだけの話ではなく。
そんなことを考えながら展示を見ていました。


敷地の端です。監視塔がもっと大きく写るように撮れば良かった・・・(汗)映画やドキュメンタリーで見たそのままの塔が残っていました。
鉄条網はこんなものじゃなかったはずですが(汗)

敷地内では、管理棟に一番近い2棟のバラックだけが再現されて、後は壊されて更地になっていました。トップの写真がそのバラックです。

右側の棟は中に入れて、当時の寝台やトイレ、洗面所などが再現されていました。
この寝台、背が高い人は絶対足伸ばせなかったと思いますね・・・
トイレは仕切りなしで便器がずらっと並んでいました。洗面所は体もここで洗うようになっていて、大きな深い洗面台でした。これで体洗えって言われてもなあ、という感じでした・・・


バラックの真ん中のポプラ並木に囲まれた通り。結構広いです。


敷地の端の方から撮ってみました。

この敷地の、管理棟と反対の側を出て小川を渡った先に、火葬場とガス室があった建物が残っています。
敷地内にあるものだと思ってましたが、ちょっとはずれたところにあったんですね。

怖くて中は撮れなかった私・・・
建物の左端から、ガス室に入れられる人たが衣服を脱がされたスペース(余談ですがこの一角にトイレがある・・・うーん(汗)水が流れる音がするとビクッとしてしまいました(汗))、そのとなりに裸にされた人たちが待機させられた部屋、そしてその隣がガス室でした。
ところどころ穴が空いているだけの、灰色に塗られたがらんとした部屋でしたが・・・さすがにここは写真撮ってる人はいなかったな・・・(私が見た限りでは)
このガス室はあまり上手く動かなくて、死ななかった人も結構いたそうです。
その隣が遺体を積んであった部屋で、その隣が遺体を焼却する機械が置いてある部屋でした。煙突の真下にあたるところですね・・・
その隣が、収容所内で死亡した人の遺体を置いておいた部屋でした。皆この建物で火葬したのですね。

なんか震撼としてしまって、怖くなってしまった私でしたが、火葬部屋で記念写真を撮ってる人がいたのはびっくりしましたね~(汗)ドイツ人ではなさそうでしたが・・・
記念写真を撮ってた人たちに他意はないのかもしれませんが、ふと、ドイツ以外の国の人たちはどんな気持ちでここに来ていたのかな、なんてことを思いました。
他にも外で記念写真撮ってる人はたくさんいたし、中には家族連れでお弁当持ってきて敷地内で広げて食べてたインド人の家族もいました。
ちょっと話が逸れますが、TTT SEEのオーディオコメンタリーでピーター・ジャクソンが第二次世界大戦について言っていた言葉を思い出しました。
彼は、「正義のための戦争はある。第二次世界大戦がそうだった」と言っていたのですね。ナチスを倒すための正義の戦争だったと。
ニュージーランドではそういうことになってるのか、とちょっとびっくりしたものでした。
確かに、ニュージーランドからしたら遠い国での遠い出来事だったかもしれませんが・・・他の国でも似たようなものなのでしょうか。
強制収容所を見に来た外国の人たちにとって、ナチスはどんな存在だったのでしょう。「昔悪い人たちがいてこんなひどいことをしてたんだよ」というだけかな・・・
私は、ニュルンベルクでもダッハウでも、もしこの時代に自分がドイツ人だったら、ナチスに加担しないでいられたかどうか、自問せずにはいられませんでした。
答えは・・・自信ないです。逮捕されて処刑されるなんて恐怖がなかったとしても、周囲に白い目で見られたり、脅迫電話や手紙が送られてきたり、たったそれだけでも屈してしまいそうです。
そんな風に考えてしまうのが、果たして私が「敗戦国」の人間だからなのかどうかはわかりませんが・・・

今回、たまたまトーマス・マンやヘルマン・ヘッセなど、ナチスに国を追われた作家たちの足跡を辿ったりしたのですが、当時ドイツを追われた作家たちには、あの戦争は他の国の作家たちよりもはるかに大きな影響を与えていますね。
ヘッセもトーマス・マンも、戦後も祖国ドイツには戻らず、お墓はスイスにあるのですよね・・・。
同時代のほかの国の作家としてとりあえずトールキンやC.S.ルイスしか思い浮かばないのが情けないのですが(汗)年代的にはマンやヘッセよりも20年くらい若いにもかかわらず、トールキンやルイスの作品の方が古風で一元的な善悪論で書かれているのを見ると、ドイツ人として第二次大戦を経験したということがいかに大きな経験か、と思わされます。(トーマス・マンも上流階級の出身なので、初期の作品ではかなり保守的な考えが見られたのですが、だんだん変わっているんですね)
そんなことを考えると、戦争に負けた経験があるというのは、むしろ誇れることなのではないか、なんて思えたりもするのです。

百聞は一見に如かずと言いますが、やはり実物を見ることの衝撃というか印象度は、本を読んだり話を聞いたりするよりもはるかに強いな、と実感した、今回のナチス遺跡めぐりでした。
ニュルンベルクもダッハウも行くかどうか迷いましたが、行ってみて良かったです。貴重な体験ができました。

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