久々に原作読書を再開しました。「王の帰還下」に入ったところで止まっていたので、その続きから、ということで、サムのフロド救出の場面を読んでいました。
で、思ったのですが・・・というか前から思っていたのですが、ミナス・モルグルの中でサムに助けられて以降のフロドの姿は、映画TTTでのフロドの姿とかなり重なるなあ、と。
映画のフロドを見ながら思っていたのは、RotKでのフロドが前倒しになっているんじゃないかなあ、ということでした。サムと言い争いをするフロドも、指輪に捉われているフロドも、「もうだめだ」と弱音を吐くフロドも、私には原作のRotKでのフロドを彷彿とさせたので、そんなに違和感はありませんでした・・・
だから、TTT映画を観た当初は、私はあのフロドは、RotKでは時間的な都合でゆっくりと描けないであろう指輪の力に負け始めるフロドを敢えて前倒しにしてじっくり描いたのではないかと思っていました。
ただ、その後のPJ監督の発言を聞いていると、どうもそうではないのかな、と思えて来ましたが・・・(汗)
そして、前倒しにするのはいいとしても、途中の過程をカットしてしまったわけですから、やはり問題あり、ということになるのかもしれませんね・・・。
その辺が、どうもやはりまだフロドサイドからは理解できていないのですが(汗)、サム側から考えてみるとわかるような気がしたりして。原作ではただフロドについて行くことしか考えていなかったサムがフロドを支えて進んで行くことになる変化が感動的なのですが、その辺の感動は映画からは得られないでしょうね。すでにTTTでサムはフロドを引っ張って行き始めてますから・・・。
ところで、ミナス・モルグルの場面で、サムが口ずさんだ歌にフロドが無意識のうちに答えるという場面がありましたが、この辺なんかまさにミュージカルで見てみたい場面だなーと思いました。まあ、この場面が使われるかどうかそもそもわかりませんけど・・・(3時間でどうやってまとめるんだか全く謎・・・)
実は、今まで読んだ時は、この「王の帰還下」のモルドールのあたりはかなり読み辛い部分だったりしたのですが(汗)今回はかなりのめりこんで読んでいます。ずっと映画を見続けていたせいか、原作のサムがなんだかいとおしく思えてなりません(汗)
そういう意味でも、映画のおかげで原作理解がより進んだかなあ、なんて思いました。逆説的?(汗)
で、思ったのですが・・・というか前から思っていたのですが、ミナス・モルグルの中でサムに助けられて以降のフロドの姿は、映画TTTでのフロドの姿とかなり重なるなあ、と。
映画のフロドを見ながら思っていたのは、RotKでのフロドが前倒しになっているんじゃないかなあ、ということでした。サムと言い争いをするフロドも、指輪に捉われているフロドも、「もうだめだ」と弱音を吐くフロドも、私には原作のRotKでのフロドを彷彿とさせたので、そんなに違和感はありませんでした・・・
だから、TTT映画を観た当初は、私はあのフロドは、RotKでは時間的な都合でゆっくりと描けないであろう指輪の力に負け始めるフロドを敢えて前倒しにしてじっくり描いたのではないかと思っていました。
ただ、その後のPJ監督の発言を聞いていると、どうもそうではないのかな、と思えて来ましたが・・・(汗)
そして、前倒しにするのはいいとしても、途中の過程をカットしてしまったわけですから、やはり問題あり、ということになるのかもしれませんね・・・。
その辺が、どうもやはりまだフロドサイドからは理解できていないのですが(汗)、サム側から考えてみるとわかるような気がしたりして。原作ではただフロドについて行くことしか考えていなかったサムがフロドを支えて進んで行くことになる変化が感動的なのですが、その辺の感動は映画からは得られないでしょうね。すでにTTTでサムはフロドを引っ張って行き始めてますから・・・。
ところで、ミナス・モルグルの場面で、サムが口ずさんだ歌にフロドが無意識のうちに答えるという場面がありましたが、この辺なんかまさにミュージカルで見てみたい場面だなーと思いました。まあ、この場面が使われるかどうかそもそもわかりませんけど・・・(3時間でどうやってまとめるんだか全く謎・・・)
実は、今まで読んだ時は、この「王の帰還下」のモルドールのあたりはかなり読み辛い部分だったりしたのですが(汗)今回はかなりのめりこんで読んでいます。ずっと映画を見続けていたせいか、原作のサムがなんだかいとおしく思えてなりません(汗)
そういう意味でも、映画のおかげで原作理解がより進んだかなあ、なんて思いました。逆説的?(汗)