ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

トールキン 旅のはじまり(ネタバレ)

2019年09月07日 | 指輪物語&トールキン
映画「トールキン 旅のはじまり」の、1回目を見た私の率直な感想を書いてみたいと思います。
本当は2回目を見てからと思ったのですが、なかなか見に行けず、まあ1回目を見た時点の感想を書いておくのもいいかも、と思って書くことにしました。

以下、もちろん映画の内容のネタバレを含みます。
あと、結構批判的な意見もありますので、そういう感想を読みたくないという方はスルーされることをお勧めします。
(そんなにすごく不満があるわけでも怒っているわけでもないのですが……)

映画を観る前に、機内上映で今更ですが「リリーのすべて」を観ました。
なかなかに衝撃的で心を打たれ、ちょっと検索してみたら、事実とはかなり改変されているのですね…まあ伝記映画ではよくあることですよね。
これを見ながら、「トールキン-」に関してもきっとこんな感じなんだろうな、とある程度覚悟しながら観に行きました。

ちょっと話が逸れますが、伝記映画って本人や遺族の許可がなくても作れるものなんですね。もちろん内容によっては名誉棄損で訴えられることもあるでしょうが、作品や楽曲の著作権の問題とは違い、作ること自体は法的に問題がないんですね。意外な穴だなと思いました…
「トールキンー」についても、公開前にトールキンエステートが「許可を出していない、内容について支持しない」と声明を出して話題になりました。
これについては、トールキンエステート側は、「作品を見ていないので作品の内容について批判しているわけではない」と言っていますし、単純に「許可を出していないから内容については(良かろうが悪かろうが)保証するものではない」という程度の意味合いなのだろうなと思っています。

そんな心の準備をしつつ観に行ったのですが…思ったよりも史実と違う、ということに違和感を持ってしまって、あまり素直に楽しめませんでした…とりあえず1回目は。先に試写会等で見た方たちも、「2回目くらいからようやく感想が言えるようになった」とおっしゃっていたので、多分2回目を観たらまた違う感想になるとは思うのですが。

1回目の率直な感想としては……美術や音楽や、言語の扱い方など、細かいところにはすごくリスペクトを感じるのに、肝心の脚本はすごい自由だな…という感じでした(^^;)あれ、なんか某映画を思い出させるぞ(大汗)
なんだかんだと脚本が一番大変なのかもしれないなと思ったり。

原作にこだわりがある人って、細かい重箱の隅をつつくようなことにこだわって文句を言う、と思われているようですが(「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」でもそんなようなことを書いてましたね…)、そうじゃないんですよね。少なくとも私は、ですが。
要は解釈違い、自分が大切に思っていて感動した部分が違う解釈で改変されていた場合に、違和感を感じてしまうのですよね。
原作と違っていても、自分が大切にしている核が同じ解釈で大切にされていれば、受け入れられるのです。

この映画に関しては、時系列や設定で史実と違う部分が多々ありますが、その全てが受け入れられないわけではないです。
個人的に一番違和感があったのは、トールキンが求めた芸術の答えが、「ホビット」、そしてそれに続くLotRであった、と思わせるような展開と演出ですかね……そんな予感はしていて、そうじゃないといいなと思っていたところだったのですが。
ご存知の方が多いと思いますが、トールキンが思い描いていた世界は今でいうところの第二紀以前の世界で、「ホビット」は最初はそれらの世界観とは無関係に偶発的に生まれたものでした。後に改訂してアルダの神話とリンクする物語になりましたが。
部屋の中に貼られたスケッチや、口ずさむ言葉などでトールキンのイマジネーションを感じさせる場面はありましたが、その行きつく先が「ホビット」LotRであるかのような脚本・演出だったので、そこが一番違和感があったところでした。
トールキンが伝説に興味を持ったのが母の影響であるかのような描写も違和感がありました。
昨年トールキン展で様々なスケッチや挿絵、地図を見たから余計に、かもしれません。彼の頭の中にある想像世界の深さに驚き、これは誰かに影響を受けたとかそういう次元ではないな、彼自身の中から湧き出てきたものなんだな、と衝撃を受けたのですよね。実はそれまでは、何だかんだ言っても言語学の教授が手すさびで書いた作品なんだろう、なんて思っていたのですが(^^;)

というところで躓いてしまったので素直に楽しめなかった部分が多いのですが、それでも良かったところもたくさんありました。
まず、トールキンの従卒の名前がサムだったこと。もちろん、サムのモデルとなった実際のトールキンの従卒たちにサムという名前の人がいたわけではないはずですが、それでもあのサムワイズ・ギャムジーそのままのような忠実で優しい従卒が「サム」と呼ばれていることになんかじわっと来てしまいました。
またとてもサムっぽい健気でかわいい従卒でしたからね…
ただ、あのジェフリーを探しに行く場面はトールキンの夢だったのじゃないかと思うし、そうであってほしいです。そうじゃないと「サムどうなったの?!」となってしまうので…(^^;)

史実と違うという点では、エディス・ブラットも相当にフィクションだろうなあと、公開前の情報から思っていたのですが、こちらは意外と気になりませんでした。リリー・コリンズ演じるエディスが魅力的だったからだと思います。
女優さんとしても演じがいのある人物を演じたいだろうと思うし、あれはあれでいいんじゃないかなと。
トールキンとエディスの絆は、もっと普通の恋愛とは違っていたのでは、と個人的には思っているのですが。

この映画が一番描きたかったと思われるT.C.B.Sの4人の友情は、戦死するメンバーがわかっているから最初から切なくて、とても良かったと思います。
出会いが階級の違いによるいじめ?とか喧嘩とか、というのはちょっとやり過ぎだと思いましたが…当時のトールキンはお金には困っていたけれど、別に下層階級ではないですしね…(上流階級でもないけど。もともとはそこそこ裕福な中産階級ですよね)
ジェフリーのお母さんとの会話は一番泣けました。

そう言えば最後に出てきたひげのおじさん誰?と思ったら、弟のヒラリーだったんですね(^^;)教えてもらってわかりました。ヒラリーのことも忘れずに出してくれたのは嬉しかったです。

映像も美しく、オックスフォードに関してはロケ地特定して次回行ったら回るぞ!と思いました(笑)

というわけでいろいろひっかかってしまって素直に楽しめなかった1回目の感想でした。
次回はもう少し落ち着いて良いところも見えて来るのではないかなと思います。早く観に行かないと。
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Ian Mackellen on Stage in Edinburgh Festival

2019年08月25日 | 指輪物語&トールキン


2019年8月23日、24日に、エジンバラフェスティバルに参加したIan Mackellen on stageを観て来ました!
このステージはサー・イアン・マッケランがイギリス各地の小劇場を回って上演している一人芝居です。各地の小劇場を支援する意味合いもあってやっているということで、小さな劇場ばかりでどこもすぐチケットが売り切れてしまうという入手困難なステージです。
そのスケジュールに、エジンバラフェスティバルでの4日間があり、日数多いし取れるのでは?と挑戦してみることに。
一般発売は4月6日だったのですが、その前にエジンバラフェスティバルの会員の金額に応じたレベルで1週間ごとに先行予約があり、ちらちら様子を見ていたら、残席わずかになっている…これ一般発売は瞬殺なのでは、と、一番安いfriend というレベルに120ポンド(だったかな?)払ってなり、1週間早くチケットをゲットしました。
取ってみたら自由席で若干不安が…まあとにかく無事チケットが取れたので、夏はイギリス行きが決定しました。
ちなみに各地劇場であまりにもチケットが入手困難なためか、その後9月から来年1月までロンドンでのロングランが発表されました。より多くの方がサー・イアンの舞台を見られるようになって良かったです。

エジンバラには前日の22日に入り、ちょうど初日の開演30分前に会場に行ってみると長蛇の列が…。
係の人に皆いつから並んでいるのかと聞いたら、10時20分くらいというので、翌日は10時くらいに行こうと決意。
その後エジンバラをあちこち歩きましたが、橋を渡ったニュータウンのあたり(エジンバラはエジンバラ城に続くロイヤルマイルズというメインストリートを尾根道として南北が急に谷になっていて、ニュータウンはその谷の北側の高台)から、「なんかお城みたいな建物にデパートみたいな垂れ幕がかかってるな」と思ったら、会場のAssembly Hallでした(^_^;)


23日の朝、張り切って10時くらいに行ったら誰もいない(^_^;)10時半くらいから人が並び始め、11時頃には結構並んでいました。翌日は10時半過ぎに行ったら、すでに結構並んでいたのですが、余裕で前の方に座れました。
並んで入る一般の人の前に、すでに会場内で待っていたお年寄りや車椅子の人、関係者が先に入るので、真ん中かぶりつきは取れないのですが、それでもかなり前に座れました。
そもそも劇場自体が小さいので、2階席すらそんなに遠くなかったのですが。

ツアーのパンフレットが10ポンドで買えるのですが、サー・イアンの幼少の頃の写真から始まって、ファンブックのような素晴らしい1冊でした!




以下ステージの内容になりますので、これから鑑賞する予定でネタバレしたくない方はご覧にならないようご注意ください。




ステージは上手にダンボール製?の大きな箱があり、舞台中程から奥まで何枚かのカーペットが敷かれています。

会場が暗くなると、いきなりPJ映画サントラのカザド=ドゥムの橋が。そしてサーが現れ、舞台が明るくなります。サーの手には一冊の分厚いペーパーバックが。
そしてサーがおもむろに語り始めるのですが……あれ、これはもしかして原作のカザド=ドゥムの場面の朗読では⁈
後で分かるのですが、サーが持っていた本も指輪でした!
朗読と言っても本は一切見ず、身振り手振りを交えての演技。サー・イアンが原作のガンダルフを演じている…!と大興奮でした!
Fly, you fools!が心に沁みましたね…

一旦暗転したあと、会場が明るくなり、満場の拍手。
指輪の本を手にしながら映画の裏話が始まります。
ガンダルフのオファーがあった時、原作を読んだことなかったとか、「私は毎年指輪物語を読んでいる」ってキャストがいたとか。もちろんクリストファー・リー様のことですが(笑)サー・イアンのリー様の声真似が聞けて嬉しかった…!

そして箱の中からおもむろにグラムドリング(本物!)を取り出すサー。
「誰かグラムドリング持ちたい人!」と声をあげ、選ばれた観客にグラムドリングを持たせた上、「セルフィーを撮ろう」とガンダルフの帽子をかぶってポラロイドで記念撮影!

その後、「NZに行ったことある人」と聞いたあと「NZの切手になったことある人」と(笑)(これ2日目だけだった気が)

その後は小さい頃の話。大きくなったら何になりたいか聞かれて「ホテル経営をしたい」と言ったとか?(^_^;)
幼少の頃ピーターパンの舞台を見て、子供騙しだな…と思っていたけれど、最後にステージに現れた一面の星空に感動した話とか。

その後にどういう流れかわからなかったのですが(^_^;)箱からスカーフと買い物かごを取り出し、スカーフをかぶって老婆?に扮して客席に色々投げ始めます。
まずキャンディ、続いてオレンジ、バナナ、ちっちゃな人参、そして最後に巨大なきゅうり(笑)
私もキャンディもらってしまいました♪キャンディというかチョコとキャラメルでしたけど…


小劇場ばかりでやるのは、小劇場振興のためでもあるけれど、観客とのコミュニケーションのためでもあるんでしょうね。

その後はオーディションの話とか色々していたのですが、英語力の問題で話が良く分からず…残念です。
アラン・リックマンとかデレク・ジャコビとかいろいろ名前が出ていました。シチュエーションはよくわかりませんでしたが…
ベネディクト・カンバーバッチさんの名前はかなりネタにしていましたね(笑)(これもわからず…)

カーテンコールで空になった箱に入ってみたりとか、終始お茶目な面も見せるサー・イアンなのでした。

最後に、募金用のバケツ?を持って、ロビーへと走り去るサー。(小劇場振興のための募金ですよね、確か)
ロビーに行くと、募金を募りながらサーが立っています。
たいていの人が募金だけして去って行きますが、話しかければ答えてくれるし(私はしませんでしたけど…)、ツーショットも撮ってくれるし、すごいファンサービス。ステージドア(出待ち)のように待たずに、しかもステージドアよりもゆっくりサーに会える!
こういうのも、小劇場でやる理由なんだろうなあと思いました…!


以上、忘れないうちに書き留めておこうと思ってのレポートでした。
御年80を迎えたサー・イアン、これからロンドン公演の長丁場が続きますが、お体に気をつて頑張っていただきたいです…!
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The Music of Howard Shoreとホビット組曲

2018年12月06日 | 指輪物語&トールキン
この記事はトールキンAdvent Calender2018に参加しています。

先日、2016年にスペインのテネリフェの映画祭で演奏された、Music of Howard Shoreの動画が公開されているというニュースが入りました。私はDoug Adamsさんのツイートで知ったのですが、元ソースはスペインのトールキン関連ニュースサイト?El Anillo Uico.comの記事です。(ちなみにEl Anillo UnicoはそんまんまThe One Ringの意味)
この動画、1時間20分余りありますが、これでも抜粋のもよう。でもかなりの部分を聴ける貴重な動画になっています。
内容としてはLotR、ホビットに限らず、ハワード・ショアの映画音楽を色々と演奏するものですが、注目すべきは「ホビット組曲」と題された、4楽章からなる組曲の一部が聴けるということです。コンサートでホビットのサントラが演奏されることは珍しいので、その意味でも貴重な動画になっています。
ちなみにハワード・ショアさんも一部自ら指揮をされています。残念ながらホビット、LotRではありませんが。

そもそもこのMusic of Howard Shoreは、2016年6月にピッツバーグ交響楽団で初演されたものです。(この時のタイトルはThe Film Music of Howard Shoreとなっていますね)その時と全く同じものかどうかはわかりませんが、ホビット組曲の世界初演ということで一部で話題になっていました。(あまりなってなかったかも(汗)
ピッツバーグ交響楽団は、LotR Symphonyを何度か演奏していて、しかも一度はビリー・ボイドをゲストに招いて、5楽章の中でThe Edge of Nightを生歌で披露したということがあったほどで、ショアさんの音楽に対して好意的な楽団かなと思います。(でもサントラ生演奏上映はやっていない…)
続いて10月にテネリフェの音楽祭で演奏されたのが2回目で、その時のもようがこの動画になります。
もう一度、昨年10月にパリでイル・ド・フランス国立管弦楽団が演奏したこともありました。私行こうと思えば行けたのですが、行かなかったのを大後悔しています…

以下、動画の内容を順番にご紹介します。

まずはホビット組曲から。4楽章あるはずですが、うち2楽章?が収録されています。何番目の楽章にあたるのかはわかりませんが…

まず、なんだか聞きなれない音楽が始まります。そのうちにスマウグのテーマが聞こえて来て、BoFAの冒頭=Fire and Waterかな?と分かるのですが、ここで注目すべきは、ピッコロでホビット庄のテーマが演奏されているんです。
BoFAの冒頭のサントラは、メインタイトルが出てくるところでホビット庄のテーマが流れない唯一の作品にです。(他の2作はHOBBITのタイトルが出てくるときにホビット庄のテーマが流れています。ちなみにLotRでもタイトルが出てくるときは必ず一つの指輪のテーマが流れますね)当初はホビット庄のテーマが使われるバージョンも作ったけれど、最終的にホビット庄のテーマは使わない決断をしたと聞いていましたが、もしかしてこれはそのボツバージョンなんでしょうか!?
スマウグのテーマ、バルドのテーマ、ギリオンのテーマが出てきますが、映画ともCDとも違うバージョンですね。途中でBard's Heroic Themeが流れるのも初めて聞くパターンです。(5:43~)
このテーマは映画では湖のほとりで避難民たちにバルドが対する場面で流れていました。もともとのバルドのテーマがちょっと冴えない感じ(汗)なのと違い、バルドの英雄としての面を表すテーマということなのだと思いますが、映画ではこのシーンとエンドロールにしか使われず、もったいないなあと思っていたところでした。スマウグと戦う場面でも使おうとしていたのですね!
これは個人的な予想ですが、スマウグと対する場面に、王としてのバルドのテーマではなく、バルドの家族のテーマを使うことになったので、王のテーマは没になったのかなあと。パインとの場面で家族のテーマの美しいコーラスが流れてからのスマウグを倒す場面の音楽、素晴らしかったので変更して正解だったのだと思いますが。
というわけで結構貴重な音源ではないかと思います~
続いてスマウグが倒れたことを知ったトーリン一行の場面の音楽から、黄金に惑わされるトーリンの音楽がちらっと流れます。(しかしホビット、LotRのサントラはコールアングレが大活躍ですよね。この後もたびたびコールアングレ奏者がクローズアップされてます)
そしてすぐにエレボールからトーリンたちが撃って出る時のHouse of Durinのテーマが流れて、しばらく戦いの場面の音楽が流れてこの楽章は終了。

ちなみに和太鼓をマレットで叩いている映像が何度も出てきます。この叩き方で和太鼓の意味あるのかな?とちょっと思ってしまいますが(^^;)

次の楽章はDoSから。闇の森のテーマから始まって、タウリエルのテーマがオーボエからコールアングレへ。(またも大活躍のコールアングレ)エオウィンのテーマもよくコールアングレで演奏されますが、女性のテーマを低めの音の楽器で演奏しているところが、この二人のキャラクターをよく表していてかっこいいですね。
続いてメゾソプラノのソロとコールアングレのユニゾンで、タウリエルとキーリのメレス・エンギリスの場面の音楽へ。コーラスを使わず、ソリストだけで歌っています。
続いてトーリン一行が初めて闇の森の宮殿に入った時の闇の森の王国のテーマが流れます。そしてタウリエルのテーマへ。エンドロールの最後に流れる音楽ですね。これでこの楽章は終わりです。
タウリエルでまるまる1楽章なんですねえ。いい曲ですからね。それだけ重要な音楽として作られたのでしょうね。

残りの2楽章がどの部分を使っていたのかはわかりませんが、AuJのビルボにフィーチャーした楽章もあるはず、と思いたいです…うーん全部聴きたい!

続いてしばらくはショアさんの他の映画サントラが続きます。ザ・フライに続いてのDead Ringers、「裸のランチ」はショアさん自身が指揮を振っています。(0:18ごろより)
ザ・フライは当たり前ですが、今聴くとすごくショアさんらしいですね(^^;)Dead Ringers見たことないですが、いい曲ですね。
続いて0:25ごろからショアさんの授賞式。
次はヴィゴ主演のイースタン・プロミスのテーマです。サントラではヴァイオリンソロを二コラ・ベネデッティという若い女性ヴァイオリニストが演奏していて、哀しい運命の少女を思い起こさせましたが、男性が弾いても素晴らしいですね。当たり前ですけど(^^;)
続いてティム・バートンと唯一組んだエド・ウッド。テルミンが印象的な曲ですが、おどろかわいい感じがとてもティム・バートンぽくて好きなサントラです。
この後BIG、「羊たちの沈黙」と続きます。
「羊たちの沈黙」、冒頭のオーボエによるモチーフがタウリエルのテーマそっくりでびっくり…クラリスのテーマだったりするのでしょうか?(見たことないんですが…怖いのとか痛いのだめなので(汗)
そして「セブン」、「ヒューゴの不思議な発明」「アビエイター」と続きます。

1時間をすぎたあたりで、お待ちかねLotRサントラからの抜粋になります。まずはTTTから。
実はLotRの抜粋はどうせシンフォニーの一部を使うんだろうと思ったら、いきなりローハンの平原でアラゴルンたちがエオメルの一隊と遭遇する場面の音楽で、あれ全然シンフォニーじゃないね?と(^^;)その後ガンダルフがエドラスの厩を出発する場面、そしてセオデンが甦る場面と続きます。この並び自体は通常版サントラCDの流れなんですが、セオデンが甦る場面はCD版じゃなくて映画の場面で使われたバージョンですね…
そしてエントの行進へ。ここであ、コーラスがいる、と気づきます(笑)少年ソロもなかなか良いですね。子どもコーラスはいないのかな?最後のヘルム峡谷の戦いの場面に音楽がもどり、ほぼ映画のバージョンどおりかなと。

続いてRotKですが、なんといきなりコーラスが指輪の誘惑のテーマ、弦楽器が一つの指輪のテーマを一度に不協和音的に演奏する音楽が。これ、フロドが滅びのき裂の前で指輪を手にする場面で流れる予定で映画本編では使われなかったバージョンですよ!完全版サントラにも収録されていますが、生演奏だとコーラスが大きく聞こえて、指輪の誘惑のテーマがよく聞こえますね。(サントラ生演奏上映でも聞けます)
そのまま「すべての終わり」へ。なぜか滅びの山でサムがフロドを背負って行く場面の音楽がワンフレーズ流れたあと、指輪崩壊の場面へ。そして指輪を捨てた後の滅びの山のフロドとサムの場面になって、若干唐突に終わります。

続いてFotRよりカザド=ドゥムの橋が。バルログが出てくる前に「一行の離散」に続きます。これも映画バージョンの抜粋ですね。パウロンをスティックで叩いている(スネアドラムみたいに)のが確認できます。最後のホビット庄のテーマはなぜかティンホイッスルと一緒にクラリネットが吹いてました。
そしてIn Dreamsへ。この入り方はサントラCDのバージョンですね。で、旅の仲間のテーマに続く終わり方は映画のエンドロールのバターン。ハイブリッドですね(^^;)

そして番組司会者の映像になって、それで終わりかと思ったらまだありました。Lightning of Beaconです。しかもピピンが火をつけたのを見届けるあたりから。当然映画バージョンですね。(サントラCDとシンフォニーは最後に音が上がるところが違うのですよね)
そして烽火を見たアラゴルンがセオデンのところに走っていく場面、"And Rohan will answer!"の後の出陣の準備の場面、エオウィンが剣を隠し持っているところをアラゴルンにみつかる場面、と続きます。
そしてその後にホイッスルの音が!?(映像で見るとピッコロで吹いてるみたいですが)なんと、SEEのメリーがセオデンに剣を捧げる場面の音楽が!!!こんなところでメリーの場面をやるなんて、とびっくりしました~!!(いやメリーがフィーチャーされることって滅多にないので(^^;)
そして出陣のNature's Reclamation(エントの行進の時の曲)が流れ、オリジナルの終わり方で終了。

このLotRからの抜粋も多分全部ではないのでしょうか。これも全部聴いてみたい…!

というわけで、予想していたよりもかなり面白いコンサートでした!映像で見られて良かったです。CD化しないのかな…(ホビット組曲は出してほしいですよね。Doug Adamsさんが何か言っていた気がしますが)
昨年パリに行かなかったのは大後悔ですが、またいつか行ける時期にどこかでやってくれることを祈ります!(そしてやっぱり音源化を…!)
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公開講演会「トールキンとゲルマン神話」

2018年10月07日 | 指輪物語&トールキン
立教大学で行われた、公開講演会「トールキンとゲルマン神話」に行ってきました。
ツイートで流れて来て気になったものの、常に睡眠不足気味なので座学は寝てしまうかも…という心配もあって、お誘いいただかなかったら行かなかったと思います。ありがとうございます。

この公開講座は、ボン大学、ソウル大学、立教大学の交流で、院生向けの講義のためにジーメク教授が来日したのにあたり、一般にも公開して講演会を開いてくださったということだそうです。(もっとちゃんとメモ取ってればよかった…うろ覚えなので違っていたらすみません)
ドイツ語での講義に通訳が入るもので、スクリーンの資料もすべてドイツ語でほとんどわかなかったのが残念でしたが、内容はとても面白かったです。全然眠くならなかった(笑)

講演の内容をまとめるなどと大それたことはしませんが(汗)興味深かった内容について、覚書ついでに書いておきたいと思います。

冒頭の話でさらっと言っていましたが、エルフは中世以降に生まれたものなので、今回のゲルマン神話の中には出てこないと。言われてみれば確かに神話の中にエルフが出て来るの見たことないですね。エルフは神話の中の存在というよりは、民間伝承のようなものですよね。
そのエルフを自らの創作の中でトールキンが重要視したのはなぜなのか、なんて気になってしまいました。時間があれば質問してみたかったですね。
ちなみにこの説明のためだけにわざわざ映画の画像を使っていてちょっと笑いました。

エッダの中のドワーフたちの名前が出てくるあたりを朗々と詠唱されていたのが迫力があってさすが、でした。

また、質疑でも質問が多く出たのが、オーディンの性質がガンダルフ、サルマン、サウロンにそれぞれ現れているという話でした。
特に注目を集めたのが、サルマンの中にある要素、異国(アマン)からやってきた、という設定でした。オーディンがアジアから来た、という説があるのだそうです。
これについて質問が後で出ましたが、中世ヨーロッパではアジア(と言ってもせいぜいトゥルヤ=トルコ)から移ってきた、という概念はごく普通にあったそうです。なるほど、民族大移動の記憶がこんなところに現れているのですね。
サウロンについては、オーディンにルシフェル(ルシファー)の要素が入っているとのことでした。ルシフェルもまた中世以降に現れた存在ですが。
(どちらかというとサウロンよりモルゴスがモロにルシファーですけど…)

そして、最後にトロールの話が結構長かったのですが、これも面白かったです。
もともとトロールは「人間より小さい」ものだったのだとか。トールキンは巨人として描いていますよね。このトロール=巨人という概念、トールキン特有なのか、他にもそういう発想はあったのか、ちょっと気になりました。(これも時間があったら質問したかった)
20世紀半ば以降、欧州ではトロールが「不細工で滑稽な存在」に変化して行ったそうです。子ども向けの物語に出てくることが多かったためではないか、とのこと。とにかくトールキンの描いたトロルとはかなり違うものになっていますね。ファンタジーの世界ではトールキンの「大きくて危険なトロル」が基本になっているのが面白いところです。(危険な、という部分については、もともと中世では人間を食べる野蛮な存在だったところを引き継いでいるのかなと思いましたが)

質疑で面白かったもの。トールキンはイギリスの神話を作りたかったと言っているけれど、イギリスというよりは欧州の神話を使って書いているのでは?という質問に、「私もそれは疑っている。95%はスカンジナビアの神話だと思う」と答えていたのは笑えました(^^;)

あとは、オーディンの要素がガンダルフ、サルマン、サウロンにあるというお話だけれど、ラダガストは?という質問には「考えたことなかったけどラダガストにもオーディンの要素はあると思います」と。ラダガストにはあんまり興味ないんですねジーメク先生…(^^;)
(通訳の先生がラダガスト知らなくて、伝言ゲームみたいになっていたのが面白かったです(笑)

というわけで、短い時間でしたが、とても面白い講演でした。
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トールキン展に行ってきた話

2018年09月19日 | 指輪物語&トールキン


この記事はTolkien Writing Dayに参加しています。

8月にオックスフォードで開かれているトールキン展Tolkien:Maker of Middle-earthに行ってきました。
第一報を聞いたのは昨年のいつ頃だったかな?オックスフォードのボドリアン図書館でトールキンの原稿を展示する展覧会があると聞いて、軽い気持ちで「じゃあ来年の夏はイギリス行くか~」と決めました。
ボドリアン図書館の本館には小さな展示スペースがあって、そこでの展示を見たことがあったので、その程度の地味なものなのでは、と思っていたのですが、具体的な話が見えてきたら思ったよりも大規模なのでびっくりしてしまいました…ウェストンライブラリーなんて立派なものができてたんですね…(2015年オープンのようです。私が最後にオックスフォード行ったの2014年1月でした)余談ですがカフェのところのトイレが誰でも入れるので、オックスフォードの真ん中にいいトイレスポットができましたね~(海外旅行ではトイレスポット確保大事です…)
トールキンの原稿と言えば、以前シアトルのファンタジー展で数点展示されているのを見たことがあったのですが、とっても読みづらい教授の手書き原稿が主で、こういうのがメインだったら大分マニアックで地味だなあ、と思っていたのです(^^;)
(ちなみにシアトルで展示されていた原稿のうち1枚は今回同じものが展示されていました。登場人物ごとの表になった時系列表です)

ウェストンライブラリーの展示室は思ったよりはこじんまりした一室でしたが、そこに十分な展示物がありました。
原稿がちゃんと見やすく立てられていて、シアトルの展示はよろしくなかったなあと…(ガラスケースの棚に平らに展示されていたのです…)
手書き原稿だけではなく、挿絵の原画や地図の下書き(数年前に発見されたものですよね)などがむしろメインで、ケースに貼りついて必死に解読しなければならないようなことにならず、マニア以外でも興味深く見られる展示だなあと思いました。(そういう手書き原稿ももちろんありましたが(^^;)
おそらく、新しく見つかった地図の下書きの展示は今回の目玉だったのではないでしょうか。
挿絵や地図、スケッチなどの展示が多く、トールキンのクリエイターとしての側面を強調した展示のように感じました。この展示を見ていると、言語学者で大学教授である学者が片手間に物語を書いた、などというものではなく、もともとトールキンの中には深い想像とイマジネーションの源泉があって、根っからのクリエイターだったのだな、ということをまざまざと実感させられました。

以下、これから展示をご覧になる方にはネタバレになるかもしれませんが、個別の展示の感想を。

ホビットの挿画の原画には、素人と称しつつ、トールキンの画力に改めて唸りました。ジョン・ハウ展の時にも、印刷で見慣れた絵が原画だとどれだけ美しいか、というのを思い知りましたが、まさか教授の絵にも同じ感想を抱くことになるとは思っていませんでした。教授ごめんなさい(^^;)
ペン画の細かいタッチにも驚きましたし、水彩の色使いの美しさは息をのむようでした。本当に原画だと全然違うのですよ…!
グワイヒアの絵の空と雲の水色と白の美しさも素晴らしかったし、個人的には裂け谷の野原と野の花の色使いが一番好きでした。
スマウグと黄金の赤と金の細かい描写も美しかったなあ。
実は地図がらみ?で、ポーリン・ペインズさんの絵の原画も展示されていてラッキーだったのですが、(あの地図の文字、全部レタリングだったんですね…!)やはりプロの力量は違うなあと思いつつも、教授の絵にも独特の魅力があって素晴らしいなあ、と思いました。画家としてのトールキンの評価が俄然上がりました!
学生時代に書いたオックスフォードの街並みののペン画も上手いんですよね。以前から「サンタクロースからの手紙」に描かれたオックスフォードのモノクロの風景が美しいなあと思っていたのですが。
「サンタクロースからの手紙」の原画も展示されていました。最初の頃の手紙の宛先がダーンリー通り2番地になっていて、リーズのあの家にいた頃から始めたんだなあと、直前にリーズで家を見てきていたので感慨深く思ったり。

そして、なんといっても地図ですね。指輪物語を書き進めながら、地図を自分で描いて照合していた様子がわかって、ものすごい緻密な作業だなあと…。細かい地形を手書きで書いて、紙が足りなくなって継ぎ足したり、夢中になって書き進める姿が目に浮かぶようでした。

それと、「なんだこれ!?」と思ったのは、指輪物語の原稿の下書きを、なぜかカリグラフィで、英語とテングワールで清書したものがあったことです。何のために!?…趣味で、としか言いようがありませんよね(汗)HoMEに収録されている幻のエピローグに出てくるアラゴルンからサムへの手紙(これも展示されてました!)の共通語とエルフ語の併記も、このあたりの発想から来ていたんだなあと思ったり。

教授がマザルブルの書のページの焼け焦げまで再現したものを作った現物も展示してありました。このページの話を初めて知った時は笑ってしまったのですが、まさか本物を見る日が来るなんて、と感慨深い以上になんだか笑えてしまいました。

原稿や創作物以外にも、家族写真や教授が実際に使っていた遺品など、よく展示させてくれたなあ、というようなものがありました。おそらく戦時中に教授が持ち歩いていたエディス夫人の写真入れなんてあって、よく残ってたな!と思うと同時にちょっとグッと来ました。実際に毎日この写真を眺めていたのかなあと…
幼少期に父親に書いた手紙や、戦地で亡くなった友からの最後の手紙など、涙腺が緩む展示も…

トールキンにあてたファンレターも展示されていましたが、中には著名人のファンレターもあり、デンマークのマルグレーテ女王(当時は王女だったそうですが)の手紙には女王のイラストが同封されていたようで、こんなところでデンマーク女王の直筆原画まで見ることになろうとは!と(笑)

他にも興味深い展示がたくさんありますが、すべての感想を書いている時間もないので、特に心に残ったものについて書いてみました。

無料ということもあり、マニアばかりではなくちょっと興味がある、程度の人もたくさん見に来ていたと思います。
あ、印象に残ったファミリーが。スペインから来たらしき家族で、ベビーカーの子と幼児を連れた一家だったのですが、立体地図を見て幼児がいきなり「モリアはどこ?」と聞くと、お父さんがすかさず「ここだよ」と指さしていたという…(ちょっと違っていたけどだいたい合ってた)こんな幼児のうちから英才教育している束一家なのか!と(笑)

展覧会は10月下旬までやっていますので、イギリスに行く予定のある方、行ってみても良いかなという方、ぜひ足を運んでみてください。
入場は無料ですが、入場が時間指定になっているので時間の予約は必要です。先にあげたHPからも予約できます。(予約手数料1回1英ポンドかかります)平日であればまず当日でも予約できるかとは思いますが。
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トールキン作品の女性たち

2018年04月08日 | 指輪物語&トールキン
この記事はTolkien Writing Dayに参加しています。

ここ数年、ハリウッド映画では、フェミニズムに配慮された作品が増え、女性の描かれ方が従来の作品のような定型的なものではなくなって来ています。子どもの頃からいわゆる「女の子向け」な作品よりもSF、ファンタジーのような世界観の作品が好きだった私は、そういった作品で女性の出番が少ないことにつまらなさを感じていたので、最近の傾向はとても嬉しいです。子どもの頃にこういう作品を見たかったなあと。
そんな私でしたが、指輪物語を初めて読んだ時には、女性キャラクターの描かれ方が今まで読んだことのないようなものだったので、驚くとともにとても気に入ったものでした。
まずはガラドリエルが、「奥方」と言われつつも、明らかにケレボルンよりも力があるようだし、実質ロスロリアンの支配者のように描かれていたのに驚きましたね~。
そして、何よりエオウィンですよね。男装して戦いに行く女性キャラクターはそれまでにも読んだことがなくはなかったのですが、男性の添え物のような描かれ方が多かったと思います。愛する人を守るために戦うとか…。戦いでも男性の補助的な役割だったり。
しかし、エオウィンの場合、アラゴルンを慕っていたということもあることはありますが、彼女が戦いたかったのは自分で勲を上げたかったからですよね。アラゴルンが好きだったのも、男性として愛したというよりも、勲の一部としてだったのだとアラゴルン自身に看破されています。
そして、エオウィンの何よりすごいところは、男性の補助ではなく、戦いの主役として魔王を倒してしまったところですね。翼ある獣の首を一刀両断した場面は鳥肌が立ちましたし、「人間の男には倒せない」という魔王の言葉に笑い声をあげて兜を脱いでみせるところも、カッコよすぎて震えました。
映画のおびえながらも頑張るエオウィンも良いのですけど、やっぱり原作のエオウィンのカッコ良さが見たかったかな、というのはありますねえ…。
戦場でのカッコ良さだけでなく、女性だからと戦いに行けず閉じ込められて鬱屈とした思いを抱え、療病院でも欝々としていたエオウィンの気持ちには色々と共感するところもあって、トールキンて結構昔の人なのにどうしてこんな女性を描けるの?と不思議に思ったものです。
魔王を倒したエオウィンが、ファラミアと恋に落ち、戦うのをやめた結末も、私はがっかりとは思いませんでした。主人公であるフロドも戦うことを放棄していたからです。この物語では戦わないことが是とされるのだなと。
アラゴルンはその後も戦いに赴いていましたが、だからアラゴルンは主人公ではないんだな、と解釈してました。

そんな女性を描いたトールキンは、女性に理解がある人なのかな?と当初は思っていました。確かに指輪物語でも女性はわずかしか出てきませんし、ホビットについてはロベリアしか出てこない有様ですが、数が多いかどうかよりも、魅力的に描かれているかどうかの方が重要だと思ったのです。(そういえばロベリアも夫よりも息子よりもインパクトのあるキャラクターですね)
しかし、「或る伝記」を読んで、結婚後のエディス夫人のことを知って「あれ?」と思い、「終わらざりし物語」の「アルダリオンとエレンディス」を読むに至って「あれれ???」となりました。典型的な「男は視野が広く世界に出たがるが、女は狭い世界に留まりたがる」という描き方だったので…考えてみたらエント女のエピソードもそうですよね…

というわけで、トールキンが女性に理解があった、という幻想はあっけなく崩れたのですが、それにしても、やはりトールキンの作品に出てくる女性は、女性から見て魅力的だなあと思うのです。
ガラドリエルもエオウィンももちろん魅力的ですし、ロージーもロベリアもそうだし、典型的なお姫様設定なアルウェンにしても、アラゴルンよりも身分も年齢も上、というのもあるかもしれまんが、男性の添え物、とは感じませんでした。フロドにペンダントを渡す場面のイメージが強いのもあるのかもしれません。
シルマリルでも、自由奔放なアレゼル(末路はあれですが…)、やはり女性の方が力があるメリアン、そしてなんといってもやはりベレンより身分が高い上に、囚われのベレンを救出してシルマリルを奪還する活躍を見せるルシエン・ティヌーヴィエルなどなど、女性は出てくるとたいてい魅力的です。
HoME読書会に参加させていただいて、Fall of Gondolinを読んだら、楚々としたお姫様かと思っていたイドリルが、強い意志を持ち、戦いでは雌虎のような活躍をする強い姫だったと知ってびっくりしました。(そしてさらにイドリルが好きになりました(笑)

どうしてトールキンが描く女性がこのようになったのか、ということを本気で調べようと思ったら、書簡集やHoMEなどもすべて読破した上で研究しなければならないと思いますが、とてもそんな英語力も時間もないので(^^;)とてもおおざっぱな仮説になってしまいますが…

まず、エオウィンについてですが、以前にみあさんがご紹介くださって知ったのですが、オシァンというケルトの古代の叙事詩集(で合っているでしょうか?)の中に、武具をつけて戦場に出て戦う女性が出てくるものがいくつかあるそうです。
トールキンがこの叙事詩からヒントを得たのかどうかについてのはっきりした記述があるかどうかわかりませんが、きっとこのあたりの影響を受けているだろうなあと思いました。なんだ、トールキンのオリジナルの発想ではなかったんだ、と思いましたが(^^;)
ただ、オシァンを読んだ作家はたくさんいたでしょうが、他の作品にエオウィンのようなキャラクターがよく出てくるわけではないので、そこをくみ取ってエオウィンを生み出したのはやはりトールキンのオリジナリティだなあと思います。しかも魔王を倒すという重要な役割で。

そして、トールキンの描く女性には強い女性が多いと思うのですが、そこには母メイベルのイメージがあるのでは、とも想像します。
女性だけで生きていくのは困難な時代に、夫を亡くし子どもを二人抱えた状況で、親族に反対されてまでカトリックへの信仰を貫き、子供たちを教育しようと努力したメイベルは、とても強い女性だったのではないかと思います。そして母の意志を汲んで自身もカトリックの信仰を貫いたトールキンは、その強い母を敬愛していたに違いないと思います。
トールキンの作品の中では、トゥーリンの母モルウェンに、特にメイベルの影響を感じます。あそこまで強い女性ではなかったとは思いますが…
もう一つ、きっとエディス夫人の影響もあるのでしょう。エディス夫人の人となりについてはあまり情報がないので、何ともわかりませんが、高貴なルシエンのモデルになったくらいですから、その愛情には敬愛の気持ちもあったのではないかと想像します。(余談ですが、トールキンの伝記映画がいくつか控えていますので、エディス夫人がどう描かれるのかも楽しみです。)
この、身近な女性たちの存在が、トールキンの描く女性キャラクターが女性から見て魅力的である理由ではないかと思います。身近な女性に敬意を持っていたから、女性キャラクターが皆敬意を持って描かれているのではないでしょうか。だから女性から見て不快ではないし、魅力的なのではないかと。

少し前に、アカデミー賞受賞作品の女性の台詞の割合を比較したデータが回ってきて、まあ予想どおりLotRでははかなり少なかったですね。登場人物自体が少ないので仕方ないですよね。
トールキンは多分女性を描くのはそんなに得意ではなかったのでしょうが(^^;)、魅力的な女性が描けないなら、無理して女性を出さない方がよほど気持ちよく読める、と個人的には思っています。
数少ないけれど敬意を持って描かれたトールキンの女性キャラクターは、やはり女性から見ても魅力的だなあと思うのです。
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シアトルのファンタジー展でトールキンの生原稿を見たこと

2017年12月07日 | 指輪物語&トールキン
トールキンアドベントカレンダー7日目の記事です。

2013年夏にシカゴにTTTサントラ生演奏上映を観に行ったのですが、その時にシアトルのEMP博物館でファンタジー展というものをやっていて、そこでなんとトールキンの生原稿が展示されているという情報を得ました。TORnの記事はこちら
実は同時期に同じ西海岸のバークレーでサーイアン&サーバトリックのNoman's Landを上演していて、日程的にどちらかしか行けなかったので迷ったのですが、結局トールキンの原稿の方を選びました。生マッケラン様には会えなかったけど、Noman's Landはその後NT Live Theaterで映画館で観られたから、選択としては正解だったかもしれません。
この原稿というのは、ミルウォーキーのマーケット大学が所蔵しているもので、展示されていたのはごく一部でした。
マーケット大学のサイトはこちらです。(実は全然読んでいないのですが…)年に数回閲覧可能な日が決まっていて、2018年はこちらの日程で公開されるようです。ただ、来年はオックスフォードでトールキン展が開かれ、マーケット大学所蔵の原稿も展示されるようなので、時期が重なると展示内容が少なくなる可能性ありますね。どのくらいの原稿が展示されるのかわかりませんが。

EMP博物館というところは、ロックやSFの常設展(ジミ・ヘンドリクスの展示が有名みたいです)がいくつかあり、並行して特別展も行っているようです。ファンタジー展はその一つとして行われたもののようでした。
様々なファンタジー映画の衣装や小道具が展示されていました。古いものではプリンセスブライドストーリーとか(プリンセスブライドストーリー欧米でなんだか人気あるみたいですね。私も好きですけど)があり、よく保管されていたなあと。近いところではナルニアとかハリポタ、GoT(ゲームオブスローンズ)の展示もありました。ちょうど日本でハリポタ展をやっていた時期だったと思うのですが、シリウス・ブラックの衣装があって、これだけこっちに来てるんだな、思ったものです。

トールキンの原稿は、最初のコーナーを過ぎてメインの部屋に入ってすぐのところに、ガラスケースに入って展示されていました。
他の展示はフラッシュ焚かなければ撮影可能だったのですが、トールキンの原稿のところだけは撮影禁止でした…
展示されていたのはトールキンの原稿3枚-LotRから2枚、ホビットから1枚と、LotRの手書きの時系列表、そしてワシントン大学のバウアー教授という人にあてた手紙でした。最後の手紙はなんなんだろう…と思いましたが、おそらくシアトル地元のワシントン大学に保存されていたものなのかもしれません。

LotRからは、モリアの扉のイラストが描いてある完全手書きの原稿と、ガンダルフがモリアで墜落する場面あたりの、タイプ原稿に手書きで追記がある原稿、ホビットからは袋小路屋敷でドワーフたちが竜の話をしているあたり、でした。
手書き原稿を見て、トールキンは絵も字も上手いんだなあと思いましたが、手書き文字は達筆すぎて解読困難でした(^^;)

タイプ原稿の追記部分も、手書き文字はかなり読みづらく、頑張って読みましたが少ししか読めませんでした…。
解説プレートにはTrotter(Striderの前の名前)とelfstoneとなっていたところがアラゴルンに直されている、と書いてありましたが、他にも興味深いことがいろいろありました。
モリアでアラゴルンがガンダルフを助けようと橋に戻る場面で、ボロミアも一緒に行くように付け加えられていたり、橋を渡る時に、「アラゴルンが先頭、ボロミアがしんがり」という部分も付け加えられていました。ボロミアの出番が少ないと思ったのか、あるいは後でデネソールにピピンがボロミアのことを話す時の整合性のためでしょうか?

ホビットの原稿は、今日本で読める第二版の内容とはかなり違いました。改定前を知らないので、改定前のものなのか、それ以前の段階で出版されなかったものなのかわかりませんが…
解説では、竜の名前がpryftanからスマウグに訂正されているとあって、確かに訂正されてました。
しかしそのほかに、ビルボが自分から牛うなりの話をしていたり、それをグローインが「その話ならよく知ってます」と遮っていたり、地の文で「ゴルフが好きなグローインが-」となっていたりして、びっくりしました(^^;)
そして、Bladrthinという名前が出て来ていたのですが、グローインが「Bladrthinにいいバーグラーがいると聞いてここまできた」というようなことを言っているので、ガンダルフの前の名前?と思いました。が、ガンダルフという名前も出て来ていたんですよね。ちょっと謎でした。
中つ国wikiによると、やはりガンダルフの前の名前なんですね。名前が混在していたのはなぜでしょう。単に訂正漏れかもしれませんが。

LotRの時系列表は1949年から1950年ごろに書かれたもののようで、フロドとサム、ガンダルフと他の旅の仲間、人間と友たち(味方くらいの意味でしょうか?)、オークと敵たち、に分かれてしました。自分でも整理するために作ったのでしょうか。

読めたのはわずかな原稿でしたが、それでもとても興味深かったです。一人でガラスケースに貼り付いて読んでいて、係の人に怪しまれてました(^^;)マーケット大に行けばもっとたくさん見られるんでしょうね。来年のオックスフォードでのトールキン展ではどのくらい見られるのか楽しみです。

他の作家の原稿では、ル・グィンのゲド戦記のプロット?の手書きメモや、G.R.R.マーティンの「炎と氷の歌」の原稿などがありましたが、G.R.R.マーティンなどはもう完全にPCで書いたものを打ち出したものでした。もう今どき手書きで原稿を書く作家はいないでしょうね。
そう思うと、トールキンが手書き原稿を遺す時代の人だったことには感謝しないといけないかもしれませんね。
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「農夫ジャイルズの冒険」について語りたい

2017年12月02日 | 指輪物語&トールキン
トールキンアドベントカレンダー2日目の記事です。
2日目から地味な記事で申し訳ないですが…

トールキンの魅力と言えば、言語学や神話伝承への深い造詣から生み出される壮大な二次世界、というのがまずあるでしょう。その代表になるのは「シルマリルの物語」をはじめとする第一紀、第二紀のエルダールやエダインの物語だと思います。
しかし一方で、イギリス人らしい(多分)ユーモアと皮肉、神話伝承に対するパロディ精神もまたトールキンの魅力の一つだと思います。「ホビット」には色濃く出ていますし、「指輪物語」でもホビットたちの場面を中心にユーモアの場面は出てきます。
個人的に大好きなのは、「王の帰還」の療病院でのアラゴルンとガンダルフとヨーレス、本草家の場面です。悠長にかみ合わない会話を続けるヨーレスと本草家、辛抱強く話し続けるアラゴルン、我慢できずに癇癪を起すガンダルフ。あの悲愴なぺレンノールの戦いの直後で、まだファラミアとエオウィンが重病で寝ているという状況で、なんでまたこんな場面を書いたのか。その感覚がまた好きで、感動的な数々の場面と並んで好きな場面の一つです。
そのユーモアとパロディ精神にあふれた、それのみで書かれたと言っても過言ではないのが「農夫ジャイルズの冒険」になると思います。

私は大好きな「農夫ジャイルズの冒険」ですが、現在はユーズドでしか入手できなくなっているため、読んだことがない方も多いかと思います。私が持っているのはトム・ボンバディルの冒険などと一緒に収録されているトールキン小品集でしたが、評論社のてのり文庫で単独出版されていた時もあったようです。図書館にはあると思いますので、読んだことがない方はぜひ一度読んでいただきたいなあと思います。
と言いつつ、これから書くのは読んでいない方には思い切りネタバレなのですが…。これから読む予定でネタバレを避けたい方は、本編を読んでから記事を読んでいただけたらなあと思います(^^;)

この「農夫ジャイルズの冒険」(Farmer Giles of Ham 直訳すると「ハム村の農夫ジャイルズ」ですね)は1949年に出版されたそうで、邦訳の訳者あとがきでは「指輪物語を書き上げた開放感から一気に書き上げたのでは」と言われています。しかし、「或る伝記」によると、実際には1930年代には原型ができていたとのこと。むしろ「ホビット」を書いた後に手すさびに作ったのでは、という気がします。
当初は簡単な短い物語だったのが、1938年のある日、オックスフォードのウースターカレッジで論文の講演をする予定が書き進まず、思い立ってこの作品に手を入れて朗読したところ、学生に受けたのだそう。そこで出版社に持って行くと出版が決まったものの、戦争があったために遅れて1949年にようやく出版されたそうです。
この物語はナルニア国ものがたりや「ビルボの別れの歌」でお馴染のポーリン・ペインズの挿絵が使われていますが、この作品がポーリン・ペインズが世に知られるきっかけとなったそうです。これから読む方はぜひボ―リン・ペインズの挿絵にも注目してみてください。

さて、この作品の魅力についてですが、とにかくユーモアとパロディ精神に満ち溢れています。終始ふざけていると言っても過言ではないくらいに。
そんな話の筋や登場人物(動物)たちは、「ホビット」に通じるものがあると思います。トールキンの二次世界の中で異質な存在であるホビットの、その生まれた経緯もなんとなく感じられるような気もします。

まずは主人公の農夫のジャイルズ。この人がまずおじさんです。ビルボもフロドもおじさんと言っていい年齢ですが、独身貴族というかどこか優雅な雰囲気がありますが、ジャイルズは所帯持ち。しかもやかましい奥さんに頭が上がらないという正真正銘のおじさんです。実はそんなに年じゃないのかもしれませんけど、奥さんに頭が上がらないという時点でおじさん度高いですね。

このジャイルズ、ホビットのように臆病ではないけれど、特にすごく勇気があるわけではありません。欲深くはないけれど、それなりに打算的で頭は良く、もらえるものはもらっておくという感じ。英雄物語の主人公としては、ホビットといい勝負で似合わないですね。
ジャイルズは自分の土地にやって来た巨人や竜を、自分の土地を守るために成り行きで追い払い、王様から竜退治の役目を押し付けられることになります。
ちなみにジャイルズが使っていた武器「ラッパ銃」ですが、「美女と野獣」の映画でガストンが居酒屋でぶっ放していたのラッパ銃だよな…と思って見ていました。庶民的な武器ですね。

このジャイルズの飼い犬が喋る犬ガームです。喋る犬というとフアンを思い出しますが、フアンとは似ても似つかない、ものすごくおしゃべりでお調子者で臆病で、あんまり役に立ちません。しかも名前の由来、多分地獄の番犬ガルムですよね…(^^;)
そしてこのガーム、ジャイルズが竜を倒しに行く時に、なんとお供しないのです(笑)さっさと隠れて逃げてしまうという。最初に読んだ時「ついて行かないのか!」とびっくりしました(笑)

そしてもう一頭の重要なキャラクターが、ジャイルズの年老いた灰色のめす馬です。なんと名前もありません。ジャイルズを乗せて竜退治に駆り出されるのですが、いざ竜が現れた時、勇敢な軍馬たちが皆逃げてしまった中、このめす馬だけが逃げずに踏みとどまるのです。カッコイイ!
しかしその踏みとどまった理由も、勇気があるというよりは、年取ってて速く走れないので逃げても間に合わないし動くのが面倒、という。その現実的なドライさ、諦めているからこその冷静さが、逆に勇敢な軍馬たちよりも彼女を勇敢にさせているというのがまた面白いなあと思います。

このように登場人物たち(ジャイルズ以外動物ですが…)が英雄とはほど遠いところに、トールキンのパロディ精神とユーモア、皮肉も感じますが(ガームなんて自分で作ったフアンのパロディでもあるような)、こういうところは大きな物語に巻き込まれたホビットのキャラクター造形に通じるものがあるかなと思います。

そしていよいよ竜との対決ですが、ジャイルズは結局全く戦いません。「ホビット」でもビルボたちはスマウグと全く戦わないで終わるのがすごいな…と思いましたが、最後はバルドが戦って倒します。(映画ではドワーフたちがスマウグと戦いますが、個人的には「ビルボたちはスマウグと戦わない」というのが肝だったので、少し残念でした)「農夫ジャイルズ」では本当に全く戦わないのです。これも初読時「戦わないのかー」とびっくりしたものです。
どうやって竜退治をするのというと、話し合いです。ビルボとスマウグの対話も面白かったけれど(スマウグがおだてられていい気になるところとか)最後にはビルボは失敗してしまい、やはりスマウグの恐ろしさを感じさせて終わります。
ところが「農夫ジャイルズ」では、竜はジャイルズに言い負かされて言いくるめられてしまいます。大量の宝物をどうやって持って帰るのか、という話はスマウグとビルボの会話にも出てきましたね。(こちらはスマウグが言うのですが)「ホビット」でも竜を倒して宝物を手に入れてめでたしめでたし、ではなく、今度は残った宝物を巡って争いになる、という現実的な発想が面白いな、と思いましたが「農夫ジャイルズ」の竜退治の展開にも近いものを感じます。
もしかしたらトールキン少年は竜退治の物語に惹かれながらも、「倒したあとの宝物どうするんだろう」という疑問を持っていたのかな、なんて想像してしまいます。或は大人になってから思うようになったのかもしれませんね。
ホビットたちもジャイルズも、ファンタジーの世界にありながら、どこか現代人に近い感覚を持っているように思います。それってファンタジーの世界を描きながら現代人の感覚を物語に持ち込んだ、トールキン自身の視点なのかな、と思ったりもします。
最後にはジャイルズに言いくるめられたドラゴンは小さくなってしまいますが、これってもしかしてよく中世の絵画に出て来る聖ゲオルギウスの竜退治の竜がやけに小さいのに着想を得たのではしょうか??

この物語は出版されそれなりに評判も良く(と言っても指輪物語が出版されヒットした後に売れたそうですが)、トールキンもジャイルズの息子が活躍する続編を構想していたそうですが、「或る伝記」によると、戦争によってその後物語の舞台となったオックスフォードシャーの田園風景が失われたことで、書くことができなくなったそうです。トールキンにとっては田園風景も含めての物語だったのですね。どんな愉快な物語だったのか、読んでみたかったです。

という訳で私にとっての「農夫ジャイルズ」の魅力について書きなぐってみました。未読の方に読んでいただきたいと思いつつネタバレという、中途半端記事ですが(^^;)
もし、「前に読んだけどあまりピンと来なかった」という方がいたら、ぜひもう一度読んでいただきたいなあと思います。
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バルドのテーマ、ギリオンのテーマのこと(ホビットサントラ語り)

2016年12月08日 | 指輪物語&トールキン
再びTolkien Wrightig Day参加の記事です。
またしてもサントラの話ですが…(ネタがない)

ホビット映画のサントラに出て来るテーマは、残念ながらLotRほど劇的に変化して成長したものはあまりなかったかなと思います。映画は同じ三部作ですが、そもそも原作がLotRよりもずっと短い物語で、登場人物も舞台となる土地もずっと少ないですから、仕方ないことなのですが。
そんな中で、唯一劇的な変化を遂げたのが、バルドのテーマとギリオンのテーマだと思います。
闇の森の王国のテーマ(Woodland Realm Theme)も色々と変化している点では面白いのですが、テーマとして物語の中で成長している、というのとはちょっと違いましたし。(LotRで言うとロリアンのテーマと同じような扱いかもしれません)
トーリンのテーマもそんなに変化はなかったし、ドワーフ関連のテーマは変化するというよりも新しいテーマが出て来るという感じでしたし。
ビルボの単独のテーマが残っていたらまた違ったかもしれないなあと思ったりするのですが…

さて、そもそもバルドのテーマとかギリオンのテーマって?と思う方も多いでしょう。
まずバルドのテーマですが、DoSではバルドが舟にドワーフたちを乗せて湖を進む場面などで流れています。正直ちょっと冴えないというか、地味なテーマで(^^;)私もDoSのデラックス版サントラCDのライナーノートに楽譜が出ていなかったら認識できなかったと思います…(汗)
このバルドのテーマについて、「悪役のテーマかと思った」とおっしゃった方がいて、なるほど、と思ったことが。映画のバルドは最初敵か味方かわからないような感じで出て来るので、敢えて不気味な感じにしたのかなあと。
それにしてもバルドにしては冴えないテーマだなあ、とDoSの時点では思っていた訳です。

一方ギリオンのテーマは、同じくDoSでバルドの家からギリオンの大弓を見たトーリンたちが、スマウグと戦うギリオンを回想する場面で流れます。ここではホルン(とトロンボーン?)、次いでヴィオラとチェロ(多分)でゆったりとどこか物悲しく流れています。

このバルドのテーマ、ギリオンのテーマが、BoFAでは劇的な変化を見せるのです。
まずスマウグの襲来に人々が逃げ惑う中、バルドが牢を抜け出す場面で、あのDoSでは冴えない感じだったバルドのテーマが、華やかで勇ましいメロディに変化して流れるのです! DoSでは後半部分が胡散臭げに(汗)半音上がっていたところ、4音(完全四度)上がって長調になっているのが、華やかな変身の肝かなあと思います。
そしてバインが黒い矢のことを思い出し、舟から飛び出す場面で、今度はギリオンのテーマが打って変わってテンポも速く、勇ましいアレンジで流れます。ここはギリオンが遺した黒い矢を表すのと同時に、ギリオンの子孫でもあるバインの勇気も示しているのかもしれません。
その後、バルドが物見の塔の上で黒い矢を手にスマウグと対峙する場面でも、朗々とギリオンのテーマが流れます。ギリオンのテーマはDoS EEの特典映像に映った楽譜には「Gilion/Bard」となっていましたから、ギリオンのテーマでありつつ、バルドも表しているテーマなのでしょう。
そしてバルドが折れた弓でスマウグに立ち向かうことを決める場面で、バルドのテーマが再び華やかに流れます。
ちょっと話が逸れますが、ここでバルドのテーマ、ギリオンのテーマが盛り上がってスマウグを倒すのではなく、バルドの家族のテーマ(仮)の少年合唱の優しいメロディに変わるところがまた良いなあと思います。

ギリオンのテーマのBoFAでの変化は、LotRでのゴンドールのテーマ(Realm of Gondor)を思い出させるところがあります。FotRのエルロンドの会議では物悲しくホルン1本で流れていたテーマが、RotKの予告で華やかに堂々と流れた時の驚きは忘れられない衝撃でした。
映画のバルドは色々とアラゴルンと被せているなあと思わせるところがあるのですが、このギリオンのテーマの使い方もその一つじゃないかなと思っています。
(他にも、バルドがトーリンとの交渉が決裂して馬で走って戻る場面で、アラゴルンのテーマと同じ三音のフレーズが使われているんですよね。ここ一ヶ所だけですけど。場面の絵面的にもアラゴルンが角笛城に到着する場面を彷彿とさせます)

そして、DoSで冴えないだとか悪役みたいだとか思われていた(^^;)バルドのテーマの華やかな変化は、そのまま映画のバルドの華やかな英雄への変化を表しているようで、そのテーマの使い方の妙に唸ってしまうのでした。

このスマウグ襲撃からバルドが倒すまでの一連の場面の音楽、サントラCDのトラック名だとFire and Waterは、スマウグのテーマが次第にテンポを上げて緊迫感を増して行くところをはじめ、情景描写としても、一連の場面の音楽としてのまとまりも、LotR、ホビット映画のサントラの中でも名曲と言って良いのではないかと思っています。ホビットサントラの中では一番好きかも…
(ちなみにエレボールの表門前でエルフ軍とダイン軍が一触即発、の場面の闇の森の王国のテーマとダインのテーマが絡み合うところのCDバージョン(The Clouds Burst2:39~)もすごく好きなのですが、映画本編では大ミミズが出て来るのが早すぎて一瞬しか流れないのが残念です…)

ただ、バルドのテーマもギリオンのテーマも、この場面が最高潮で、この後は発展して行かないのですよね…そのあたりがちょっと残念です。
やはりテーマの使い方はLotRサントラには敵わないかなあ、と思ってしまうところでもありますね…
とはいえ、もちろんホビットサントラも名曲がたくさんありますし、LotRと共通のテーマ・モチーフが使われているという楽しみもありますし、何と言ってもドワーフの音楽がたくさん出て来るし、名サントラだと思ってます。
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なぜ私はThe Journey Thereが好きなのか

2016年12月02日 | 指輪物語&トールキン
またしてもTolkien Wrighting Dayの参加記事で書いてます。珍しくお題に沿った内容で。

まず、「The Journey Thereって何?」と思う方が大半でしょう…(^^;)これはLotR映画のサントラのテーマの一つです。
一番わかりやすいのは、フロドとサムがガンダルフと別れて二人でホビット庄の中を旅し始める場面でしょう。ここでバウラン(アイリッシュフレームドラム)のリズムをバックに弦楽器で流れるのがThe Journey Thereです。(と言ってもサントラ完全版のライナーノートで名前が挙がるまでは名無しのテーマでしたけど…)
麦畑でサムが立ち止まり、「ここから先は行ったことのない場所です」というところで、オーボエとホルンの物悲しいメロディの掛け合いになり、やがてホビット庄のテーマから旅の仲間のテーマへと変わって行く、心温まる場面です。

この割と地味なテーマが、実は私がLotRサントラの中で一番好きなテーマなんです。
なぜこのテーマが一番好きなのか…それは遡ること14年前、何回目かの(多分10回目くらい)FotR鑑賞の時でした。
ガラドリエルの水鏡の場面で、奥方が「最も小さな者が世界の運命を変えるのです」とフロドに語りかける場面で、このテーマが使われていることに気が付いたのです。ここではホルンでより物悲しく流れています。
このことに気が付いた時、電撃に打たれたような衝撃を受けました。ああ、これ意図的に同じメロディが使われているんだ!と。
もちろん、ホビットのテーマや旅の仲間のテーマが繰り返し使われて、それぞれホビットや旅の仲間の場面で使われていることには気づいていました。でも、登場人物のテーマがサントラで出て来るのはよくあることで、そんなに重要視はしていなかったのです。
でも、このテーマが違う場面で違う楽器で使われていることに気が付いて、このサントラに出て来るテーマは、単に登場人物を表す表面的なものではなく、登場人物の心情も表しているんだ、クラシック音楽やオペラやミュージカルのテーマ、モチーフのように…!ということに気が付いたのです。

このことに気が付いて以来、「他にもテーマ、モチーフがいろいろあるはず…!」とサントラの中からテーマ、モチーフを探し出すのに夢中になりました。
当時はまだサントラについて触れられている媒体がほぼ全くなく、ファンの中でもほとんど話題になっていませんでしたから、一人黙々と作業していたようなものでしたが、でも楽しかったなあ。
いわば私がLotRサントラにのめりこむきっかけになり、LotRサントラの世界の扉を開いてくれたテーマでもあるのです。それでとても思い入れがあるのです。
サントラにテーマやモチーフを使うケースは他にもありますが、ここまで大がかりにテーマ、モチーフを組み込んだサントラは、今でも他に類を見ないのではないかと思います。

その後、TTTではThe Journey Thereは登場せず、もう出て来ないのかな…と思っていたところ、RotK冒頭、フロドとサムとゴラムが歩き出す場面で再び流れた時は感無量でしたね……。

そんな私が大好きなThe Journey There、サントラ完全版のライナーノートで初めてテーマ名が明らかになったものの、説明はほとんどなく、消化不良な状態でした。
そのライナーノートを書いたDoug Adams氏がサントラ解説本The Music of the Lord of the Rings Filmsを出版し、どんなことが書いてあるのか…と楽しみにしていたのですが…
本の中で書かれたいたのは、このテーマのWeakness and Redemptionという別のテーマ(裂け谷の音楽のバックで流れる短調のアルペジオと言えばわかるでしょうか?)との類似の指摘と、Weakness and Redemptionが音が上がって下がるのに対し、上がり続けることで不吉さが増幅されている、というような短い説明のみで、ええ~、と…
私にはあのテーマはそれだけのものとは思えないんですよね。思い入れがありすぎるからかもしれませんけど(^^;)

The Journey Thereがはっきりと出て来るのは、FotRの2回とRotKの1回です。
最初に出て来るフロドとサムが旅する場面では、初めての土地に踏み出すサムを勇気づけるようにフロドがビルボの言葉を話す場面で、静かにホルンでホビット庄のテーマに変わり、更に初めて流れる旅の仲間のテーマへと変わります。(SEEだとサブタイトルで先に流れちゃいますけど)
RotKでは、このテーマが流れたすぐ後にアイゼンガルドに向かうガンダルフたちの場面に変わり、旅の仲間のテーマの最初の三音の下がって戻るフレーズ(Back and Again)に繋がります。そしてサブタイトルが出るところで希望を感じさせるゴンドールのテーマにつながり、次第に明るくなってアイゼンガルドでの仲間たちの再会の場面に向かいます。フロドとサムと仲間たちの絆を示すように。
この二つの場面とも、不安な状況から、勇気や希望を見出す場面につながっているように思うのです。
水鏡の場面では、他のテーマにはつながりませんが、麦畑の場面と同じ物悲しいメロディをバックに語られる「もっとも小さな者が世界の運命を変えるのです」という言葉が、絶望的な状況の中の一筋の希望を感じさせます。
これは私の贔屓目すぎかもしれませんが、このテーマは、ただ不安を募らせるというだけのテーマではなく、不安の中から希望を見出すことを表しているテーマなのでないかと思うのですよね…。
確かに、他のフルで使われず前半部分だけ使われている場面では不安を表しているようですけれど、それならそれでそういう場面とフルで曲調が変わるところまで流れる場面の違いも書いて欲しかったなあと思ってしまうのでした。

というわけで、今までなかなか語る機会がなかった、The Journey Thereについて思う存分語らせていただきました(笑)
なぜThe Journey Thereが好きなのか、だけではなく、なぜLotRサントラが好きなのか、という話にもなったかなと思います。
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