トールキンアドベントカレンダー2日目の記事です。
2日目から地味な記事で申し訳ないですが…
トールキンの魅力と言えば、言語学や神話伝承への深い造詣から生み出される壮大な二次世界、というのがまずあるでしょう。その代表になるのは「シルマリルの物語」をはじめとする第一紀、第二紀のエルダールやエダインの物語だと思います。
しかし一方で、イギリス人らしい(多分)ユーモアと皮肉、神話伝承に対するパロディ精神もまたトールキンの魅力の一つだと思います。「ホビット」には色濃く出ていますし、「指輪物語」でもホビットたちの場面を中心にユーモアの場面は出てきます。
個人的に大好きなのは、「王の帰還」の療病院でのアラゴルンとガンダルフとヨーレス、本草家の場面です。悠長にかみ合わない会話を続けるヨーレスと本草家、辛抱強く話し続けるアラゴルン、我慢できずに癇癪を起すガンダルフ。あの悲愴なぺレンノールの戦いの直後で、まだファラミアとエオウィンが重病で寝ているという状況で、なんでまたこんな場面を書いたのか。その感覚がまた好きで、感動的な数々の場面と並んで好きな場面の一つです。
そのユーモアとパロディ精神にあふれた、それのみで書かれたと言っても過言ではないのが「農夫ジャイルズの冒険」になると思います。
私は大好きな「農夫ジャイルズの冒険」ですが、現在はユーズドでしか入手できなくなっているため、読んだことがない方も多いかと思います。私が持っているのはトム・ボンバディルの冒険などと一緒に収録されているトールキン小品集でしたが、評論社のてのり文庫で単独出版されていた時もあったようです。図書館にはあると思いますので、読んだことがない方はぜひ一度読んでいただきたいなあと思います。
と言いつつ、これから書くのは読んでいない方には思い切りネタバレなのですが…。これから読む予定でネタバレを避けたい方は、本編を読んでから記事を読んでいただけたらなあと思います(^^;)
この「農夫ジャイルズの冒険」(Farmer Giles of Ham 直訳すると「ハム村の農夫ジャイルズ」ですね)は1949年に出版されたそうで、邦訳の訳者あとがきでは「指輪物語を書き上げた開放感から一気に書き上げたのでは」と言われています。しかし、「或る伝記」によると、実際には1930年代には原型ができていたとのこと。むしろ「ホビット」を書いた後に手すさびに作ったのでは、という気がします。
当初は簡単な短い物語だったのが、1938年のある日、オックスフォードのウースターカレッジで論文の講演をする予定が書き進まず、思い立ってこの作品に手を入れて朗読したところ、学生に受けたのだそう。そこで出版社に持って行くと出版が決まったものの、戦争があったために遅れて1949年にようやく出版されたそうです。
この物語はナルニア国ものがたりや「ビルボの別れの歌」でお馴染のポーリン・ペインズの挿絵が使われていますが、この作品がポーリン・ペインズが世に知られるきっかけとなったそうです。これから読む方はぜひボ―リン・ペインズの挿絵にも注目してみてください。
さて、この作品の魅力についてですが、とにかくユーモアとパロディ精神に満ち溢れています。終始ふざけていると言っても過言ではないくらいに。
そんな話の筋や登場人物(動物)たちは、「ホビット」に通じるものがあると思います。トールキンの二次世界の中で異質な存在であるホビットの、その生まれた経緯もなんとなく感じられるような気もします。
まずは主人公の農夫のジャイルズ。この人がまずおじさんです。ビルボもフロドもおじさんと言っていい年齢ですが、独身貴族というかどこか優雅な雰囲気がありますが、ジャイルズは所帯持ち。しかもやかましい奥さんに頭が上がらないという正真正銘のおじさんです。実はそんなに年じゃないのかもしれませんけど、奥さんに頭が上がらないという時点でおじさん度高いですね。
このジャイルズ、ホビットのように臆病ではないけれど、特にすごく勇気があるわけではありません。欲深くはないけれど、それなりに打算的で頭は良く、もらえるものはもらっておくという感じ。英雄物語の主人公としては、ホビットといい勝負で似合わないですね。
ジャイルズは自分の土地にやって来た巨人や竜を、自分の土地を守るために成り行きで追い払い、王様から竜退治の役目を押し付けられることになります。
ちなみにジャイルズが使っていた武器「ラッパ銃」ですが、「美女と野獣」の映画でガストンが居酒屋でぶっ放していたのラッパ銃だよな…と思って見ていました。庶民的な武器ですね。
このジャイルズの飼い犬が喋る犬ガームです。喋る犬というとフアンを思い出しますが、フアンとは似ても似つかない、ものすごくおしゃべりでお調子者で臆病で、あんまり役に立ちません。しかも名前の由来、多分地獄の番犬ガルムですよね…(^^;)
そしてこのガーム、ジャイルズが竜を倒しに行く時に、なんとお供しないのです(笑)さっさと隠れて逃げてしまうという。最初に読んだ時「ついて行かないのか!」とびっくりしました(笑)
そしてもう一頭の重要なキャラクターが、ジャイルズの年老いた灰色のめす馬です。なんと名前もありません。ジャイルズを乗せて竜退治に駆り出されるのですが、いざ竜が現れた時、勇敢な軍馬たちが皆逃げてしまった中、このめす馬だけが逃げずに踏みとどまるのです。カッコイイ!
しかしその踏みとどまった理由も、勇気があるというよりは、年取ってて速く走れないので逃げても間に合わないし動くのが面倒、という。その現実的なドライさ、諦めているからこその冷静さが、逆に勇敢な軍馬たちよりも彼女を勇敢にさせているというのがまた面白いなあと思います。
このように登場人物たち(ジャイルズ以外動物ですが…)が英雄とはほど遠いところに、トールキンのパロディ精神とユーモア、皮肉も感じますが(ガームなんて自分で作ったフアンのパロディでもあるような)、こういうところは大きな物語に巻き込まれたホビットのキャラクター造形に通じるものがあるかなと思います。
そしていよいよ竜との対決ですが、ジャイルズは結局全く戦いません。「ホビット」でもビルボたちはスマウグと全く戦わないで終わるのがすごいな…と思いましたが、最後はバルドが戦って倒します。(映画ではドワーフたちがスマウグと戦いますが、個人的には「ビルボたちはスマウグと戦わない」というのが肝だったので、少し残念でした)「農夫ジャイルズ」では本当に全く戦わないのです。これも初読時「戦わないのかー」とびっくりしたものです。
どうやって竜退治をするのというと、話し合いです。ビルボとスマウグの対話も面白かったけれど(スマウグがおだてられていい気になるところとか)最後にはビルボは失敗してしまい、やはりスマウグの恐ろしさを感じさせて終わります。
ところが「農夫ジャイルズ」では、竜はジャイルズに言い負かされて言いくるめられてしまいます。大量の宝物をどうやって持って帰るのか、という話はスマウグとビルボの会話にも出てきましたね。(こちらはスマウグが言うのですが)「ホビット」でも竜を倒して宝物を手に入れてめでたしめでたし、ではなく、今度は残った宝物を巡って争いになる、という現実的な発想が面白いな、と思いましたが「農夫ジャイルズ」の竜退治の展開にも近いものを感じます。
もしかしたらトールキン少年は竜退治の物語に惹かれながらも、「倒したあとの宝物どうするんだろう」という疑問を持っていたのかな、なんて想像してしまいます。或は大人になってから思うようになったのかもしれませんね。
ホビットたちもジャイルズも、ファンタジーの世界にありながら、どこか現代人に近い感覚を持っているように思います。それってファンタジーの世界を描きながら現代人の感覚を物語に持ち込んだ、トールキン自身の視点なのかな、と思ったりもします。
最後にはジャイルズに言いくるめられたドラゴンは小さくなってしまいますが、これってもしかしてよく中世の絵画に出て来る聖ゲオルギウスの竜退治の竜がやけに小さいのに着想を得たのではしょうか??
この物語は出版されそれなりに評判も良く(と言っても指輪物語が出版されヒットした後に売れたそうですが)、トールキンもジャイルズの息子が活躍する続編を構想していたそうですが、「或る伝記」によると、戦争によってその後物語の舞台となったオックスフォードシャーの田園風景が失われたことで、書くことができなくなったそうです。トールキンにとっては田園風景も含めての物語だったのですね。どんな愉快な物語だったのか、読んでみたかったです。
という訳で私にとっての「農夫ジャイルズ」の魅力について書きなぐってみました。未読の方に読んでいただきたいと思いつつネタバレという、中途半端記事ですが(^^;)
もし、「前に読んだけどあまりピンと来なかった」という方がいたら、ぜひもう一度読んでいただきたいなあと思います。
2日目から地味な記事で申し訳ないですが…
トールキンの魅力と言えば、言語学や神話伝承への深い造詣から生み出される壮大な二次世界、というのがまずあるでしょう。その代表になるのは「シルマリルの物語」をはじめとする第一紀、第二紀のエルダールやエダインの物語だと思います。
しかし一方で、イギリス人らしい(多分)ユーモアと皮肉、神話伝承に対するパロディ精神もまたトールキンの魅力の一つだと思います。「ホビット」には色濃く出ていますし、「指輪物語」でもホビットたちの場面を中心にユーモアの場面は出てきます。
個人的に大好きなのは、「王の帰還」の療病院でのアラゴルンとガンダルフとヨーレス、本草家の場面です。悠長にかみ合わない会話を続けるヨーレスと本草家、辛抱強く話し続けるアラゴルン、我慢できずに癇癪を起すガンダルフ。あの悲愴なぺレンノールの戦いの直後で、まだファラミアとエオウィンが重病で寝ているという状況で、なんでまたこんな場面を書いたのか。その感覚がまた好きで、感動的な数々の場面と並んで好きな場面の一つです。
そのユーモアとパロディ精神にあふれた、それのみで書かれたと言っても過言ではないのが「農夫ジャイルズの冒険」になると思います。
私は大好きな「農夫ジャイルズの冒険」ですが、現在はユーズドでしか入手できなくなっているため、読んだことがない方も多いかと思います。私が持っているのはトム・ボンバディルの冒険などと一緒に収録されているトールキン小品集でしたが、評論社のてのり文庫で単独出版されていた時もあったようです。図書館にはあると思いますので、読んだことがない方はぜひ一度読んでいただきたいなあと思います。
と言いつつ、これから書くのは読んでいない方には思い切りネタバレなのですが…。これから読む予定でネタバレを避けたい方は、本編を読んでから記事を読んでいただけたらなあと思います(^^;)
この「農夫ジャイルズの冒険」(Farmer Giles of Ham 直訳すると「ハム村の農夫ジャイルズ」ですね)は1949年に出版されたそうで、邦訳の訳者あとがきでは「指輪物語を書き上げた開放感から一気に書き上げたのでは」と言われています。しかし、「或る伝記」によると、実際には1930年代には原型ができていたとのこと。むしろ「ホビット」を書いた後に手すさびに作ったのでは、という気がします。
当初は簡単な短い物語だったのが、1938年のある日、オックスフォードのウースターカレッジで論文の講演をする予定が書き進まず、思い立ってこの作品に手を入れて朗読したところ、学生に受けたのだそう。そこで出版社に持って行くと出版が決まったものの、戦争があったために遅れて1949年にようやく出版されたそうです。
この物語はナルニア国ものがたりや「ビルボの別れの歌」でお馴染のポーリン・ペインズの挿絵が使われていますが、この作品がポーリン・ペインズが世に知られるきっかけとなったそうです。これから読む方はぜひボ―リン・ペインズの挿絵にも注目してみてください。
さて、この作品の魅力についてですが、とにかくユーモアとパロディ精神に満ち溢れています。終始ふざけていると言っても過言ではないくらいに。
そんな話の筋や登場人物(動物)たちは、「ホビット」に通じるものがあると思います。トールキンの二次世界の中で異質な存在であるホビットの、その生まれた経緯もなんとなく感じられるような気もします。
まずは主人公の農夫のジャイルズ。この人がまずおじさんです。ビルボもフロドもおじさんと言っていい年齢ですが、独身貴族というかどこか優雅な雰囲気がありますが、ジャイルズは所帯持ち。しかもやかましい奥さんに頭が上がらないという正真正銘のおじさんです。実はそんなに年じゃないのかもしれませんけど、奥さんに頭が上がらないという時点でおじさん度高いですね。
このジャイルズ、ホビットのように臆病ではないけれど、特にすごく勇気があるわけではありません。欲深くはないけれど、それなりに打算的で頭は良く、もらえるものはもらっておくという感じ。英雄物語の主人公としては、ホビットといい勝負で似合わないですね。
ジャイルズは自分の土地にやって来た巨人や竜を、自分の土地を守るために成り行きで追い払い、王様から竜退治の役目を押し付けられることになります。
ちなみにジャイルズが使っていた武器「ラッパ銃」ですが、「美女と野獣」の映画でガストンが居酒屋でぶっ放していたのラッパ銃だよな…と思って見ていました。庶民的な武器ですね。
このジャイルズの飼い犬が喋る犬ガームです。喋る犬というとフアンを思い出しますが、フアンとは似ても似つかない、ものすごくおしゃべりでお調子者で臆病で、あんまり役に立ちません。しかも名前の由来、多分地獄の番犬ガルムですよね…(^^;)
そしてこのガーム、ジャイルズが竜を倒しに行く時に、なんとお供しないのです(笑)さっさと隠れて逃げてしまうという。最初に読んだ時「ついて行かないのか!」とびっくりしました(笑)
そしてもう一頭の重要なキャラクターが、ジャイルズの年老いた灰色のめす馬です。なんと名前もありません。ジャイルズを乗せて竜退治に駆り出されるのですが、いざ竜が現れた時、勇敢な軍馬たちが皆逃げてしまった中、このめす馬だけが逃げずに踏みとどまるのです。カッコイイ!
しかしその踏みとどまった理由も、勇気があるというよりは、年取ってて速く走れないので逃げても間に合わないし動くのが面倒、という。その現実的なドライさ、諦めているからこその冷静さが、逆に勇敢な軍馬たちよりも彼女を勇敢にさせているというのがまた面白いなあと思います。
このように登場人物たち(ジャイルズ以外動物ですが…)が英雄とはほど遠いところに、トールキンのパロディ精神とユーモア、皮肉も感じますが(ガームなんて自分で作ったフアンのパロディでもあるような)、こういうところは大きな物語に巻き込まれたホビットのキャラクター造形に通じるものがあるかなと思います。
そしていよいよ竜との対決ですが、ジャイルズは結局全く戦いません。「ホビット」でもビルボたちはスマウグと全く戦わないで終わるのがすごいな…と思いましたが、最後はバルドが戦って倒します。(映画ではドワーフたちがスマウグと戦いますが、個人的には「ビルボたちはスマウグと戦わない」というのが肝だったので、少し残念でした)「農夫ジャイルズ」では本当に全く戦わないのです。これも初読時「戦わないのかー」とびっくりしたものです。
どうやって竜退治をするのというと、話し合いです。ビルボとスマウグの対話も面白かったけれど(スマウグがおだてられていい気になるところとか)最後にはビルボは失敗してしまい、やはりスマウグの恐ろしさを感じさせて終わります。
ところが「農夫ジャイルズ」では、竜はジャイルズに言い負かされて言いくるめられてしまいます。大量の宝物をどうやって持って帰るのか、という話はスマウグとビルボの会話にも出てきましたね。(こちらはスマウグが言うのですが)「ホビット」でも竜を倒して宝物を手に入れてめでたしめでたし、ではなく、今度は残った宝物を巡って争いになる、という現実的な発想が面白いな、と思いましたが「農夫ジャイルズ」の竜退治の展開にも近いものを感じます。
もしかしたらトールキン少年は竜退治の物語に惹かれながらも、「倒したあとの宝物どうするんだろう」という疑問を持っていたのかな、なんて想像してしまいます。或は大人になってから思うようになったのかもしれませんね。
ホビットたちもジャイルズも、ファンタジーの世界にありながら、どこか現代人に近い感覚を持っているように思います。それってファンタジーの世界を描きながら現代人の感覚を物語に持ち込んだ、トールキン自身の視点なのかな、と思ったりもします。
最後にはジャイルズに言いくるめられたドラゴンは小さくなってしまいますが、これってもしかしてよく中世の絵画に出て来る聖ゲオルギウスの竜退治の竜がやけに小さいのに着想を得たのではしょうか??
この物語は出版されそれなりに評判も良く(と言っても指輪物語が出版されヒットした後に売れたそうですが)、トールキンもジャイルズの息子が活躍する続編を構想していたそうですが、「或る伝記」によると、戦争によってその後物語の舞台となったオックスフォードシャーの田園風景が失われたことで、書くことができなくなったそうです。トールキンにとっては田園風景も含めての物語だったのですね。どんな愉快な物語だったのか、読んでみたかったです。
という訳で私にとっての「農夫ジャイルズ」の魅力について書きなぐってみました。未読の方に読んでいただきたいと思いつつネタバレという、中途半端記事ですが(^^;)
もし、「前に読んだけどあまりピンと来なかった」という方がいたら、ぜひもう一度読んでいただきたいなあと思います。
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