常陽リビング2015/2/28掲載
地域のきずな育むそば作り~阿見町レイクサイドタウン~
休耕地を有効利用
開発から約30年を経て高齢化が進む阿見町レイクサイドタウンでは、コミュニティーの活性化につなげようと2014年から地区内の休耕地でそば作りに挑戦。農家の手ほどきを受けて種まきから収穫まで住人が手作業で行い、そば打ち名人が腕を振るう試食会は「自分たちで育てるとおいしさもひとしお」と会話が弾む。息を吹き返した休耕地は2015年8月に2度目の種まきが行われ、秋には一面に白いそばの花を咲かせる。
試食会でそばを打つ名人たち
阿見町レイクサイドタウン(阿見町大室)は1986年、霞ケ浦を見渡せる高台に造成された約170戸の住宅地。各地から新しい住民が移り住み、約30年を経て小さかった子どもたちも少しずつ巣立ち高齢の住民が増えてきた。空き家こそ少ないものの、顔が見える交流で孤立化を防ぎたいとさまざまな対策が取られてきた。
そんな中、地区内の公会堂で開かれた「男の料理教室」を受講した住民が3年前に「そば部」(青野清部長)を立ち上げ、「阿見そばを極める会」(講師/倉重一夫さん)に弟子入りし阿見町中央公民館で毎月1回、そば打ちの腕を磨いてきた。
そば粉は地産地消にこだわって茨城大学農学部が育てたものを使用していたが、やがて「自分たちで育てたそば粉で打ってみよう」という声が上がり、地区内にあった約500坪の休耕地に目をつけ地主に相談。心よい返事を得て、まずは「自作そばを楽しむ会」と名づけて回覧で会員を募り、45人が集まった。
休耕地が美しいそば畑に復活
◆◆◆初めてのそば栽培◆◆◆
2014年8月中旬、「自作そばを楽しむ会」(新田碩芳会長)が始動。ベテラン農家の応援を得てトラクターで畑を耕し、肥料をまいた翌日にそばの種を10キロまいた。9月に除草し、10月に殺虫剤散布。白い花を楽しんだ後、11月に手で刈り取り、昔ながらの足踏み脱穀機で3回にわたって脱穀。唐箕(とうみ)でごみを除いた後、玄そばの磨き作業。12月初めに皮をむき、いよいよ粉にして同14日、そば打ち名人らが腕を振るって最初の試食会。互いの労をねぎらい、自分たちで育てたそばに舌鼓を打った。
「畑作業は1回2時間。無理をしないで、できる人ができる事をやります。雑草が白い花に変わっただけでも風景が一変し、花見をする人もいますよ」と区長の村木貞之さん。
収穫量は玄そば75・5キロ、そば粉にして52・5キロと予想以上の量。玄そばは8キロを次年度の種用にし、そば粉は3回の試食会に使うほか、残った分はキロ当たり1000円で会員に販売し経費に充てる。
昔ながらの方法で脱穀する様子
◆◆◆そば打ち名人◆◆◆
そば打ちの腕を振るうのは青野清さん、新田碩芳さん、三上慶一さん、山上秀一さん、青山秀雄さん、村木貞之さんの6人。
今でこそ腕自慢の面々も当初はそば粉がまとまらず、ゆでるとぽろぽろになって「スプーンで食べました」と苦笑い。それでも自宅庭に工房を作ってしまう人もいるほど、いずれ劣らぬ研究熱心。
今ではその日の気温や湿気を考慮して手際よくそばを打ち、さっとゆでて水で締め、艷やかに香り高いそばを仕上げる。
去る2月8日、2回目の試食会でも6人は朝から黙々とそばを打ち、女性陣はめんつゆと季節の天ぷら、かき揚げ作りに大忙し。約3時間の作業を終えて会場に住民らを迎え、和やかな食事が始まった。
「そばを育て、収穫してみんなで食べることで地域の人が顔を合わせ、言葉を交わして助け合い、地域全体の風通しが良くなるんですよ」と村木さん。
試食会に来られない人には自宅にそばを届け、「おいしくできましたよ」と言葉を交わす。
出来たて、打ちたて、茹でたて常陸秋そば
自宅の庭に作ったそば工房
地域のきずな育むそば作り~阿見町レイクサイドタウン~
休耕地を有効利用
開発から約30年を経て高齢化が進む阿見町レイクサイドタウンでは、コミュニティーの活性化につなげようと2014年から地区内の休耕地でそば作りに挑戦。農家の手ほどきを受けて種まきから収穫まで住人が手作業で行い、そば打ち名人が腕を振るう試食会は「自分たちで育てるとおいしさもひとしお」と会話が弾む。息を吹き返した休耕地は2015年8月に2度目の種まきが行われ、秋には一面に白いそばの花を咲かせる。
試食会でそばを打つ名人たち
阿見町レイクサイドタウン(阿見町大室)は1986年、霞ケ浦を見渡せる高台に造成された約170戸の住宅地。各地から新しい住民が移り住み、約30年を経て小さかった子どもたちも少しずつ巣立ち高齢の住民が増えてきた。空き家こそ少ないものの、顔が見える交流で孤立化を防ぎたいとさまざまな対策が取られてきた。
そんな中、地区内の公会堂で開かれた「男の料理教室」を受講した住民が3年前に「そば部」(青野清部長)を立ち上げ、「阿見そばを極める会」(講師/倉重一夫さん)に弟子入りし阿見町中央公民館で毎月1回、そば打ちの腕を磨いてきた。
そば粉は地産地消にこだわって茨城大学農学部が育てたものを使用していたが、やがて「自分たちで育てたそば粉で打ってみよう」という声が上がり、地区内にあった約500坪の休耕地に目をつけ地主に相談。心よい返事を得て、まずは「自作そばを楽しむ会」と名づけて回覧で会員を募り、45人が集まった。
休耕地が美しいそば畑に復活
◆◆◆初めてのそば栽培◆◆◆
2014年8月中旬、「自作そばを楽しむ会」(新田碩芳会長)が始動。ベテラン農家の応援を得てトラクターで畑を耕し、肥料をまいた翌日にそばの種を10キロまいた。9月に除草し、10月に殺虫剤散布。白い花を楽しんだ後、11月に手で刈り取り、昔ながらの足踏み脱穀機で3回にわたって脱穀。唐箕(とうみ)でごみを除いた後、玄そばの磨き作業。12月初めに皮をむき、いよいよ粉にして同14日、そば打ち名人らが腕を振るって最初の試食会。互いの労をねぎらい、自分たちで育てたそばに舌鼓を打った。
「畑作業は1回2時間。無理をしないで、できる人ができる事をやります。雑草が白い花に変わっただけでも風景が一変し、花見をする人もいますよ」と区長の村木貞之さん。
収穫量は玄そば75・5キロ、そば粉にして52・5キロと予想以上の量。玄そばは8キロを次年度の種用にし、そば粉は3回の試食会に使うほか、残った分はキロ当たり1000円で会員に販売し経費に充てる。
昔ながらの方法で脱穀する様子
◆◆◆そば打ち名人◆◆◆
そば打ちの腕を振るうのは青野清さん、新田碩芳さん、三上慶一さん、山上秀一さん、青山秀雄さん、村木貞之さんの6人。
今でこそ腕自慢の面々も当初はそば粉がまとまらず、ゆでるとぽろぽろになって「スプーンで食べました」と苦笑い。それでも自宅庭に工房を作ってしまう人もいるほど、いずれ劣らぬ研究熱心。
今ではその日の気温や湿気を考慮して手際よくそばを打ち、さっとゆでて水で締め、艷やかに香り高いそばを仕上げる。
去る2月8日、2回目の試食会でも6人は朝から黙々とそばを打ち、女性陣はめんつゆと季節の天ぷら、かき揚げ作りに大忙し。約3時間の作業を終えて会場に住民らを迎え、和やかな食事が始まった。
「そばを育て、収穫してみんなで食べることで地域の人が顔を合わせ、言葉を交わして助け合い、地域全体の風通しが良くなるんですよ」と村木さん。
試食会に来られない人には自宅にそばを届け、「おいしくできましたよ」と言葉を交わす。
出来たて、打ちたて、茹でたて常陸秋そば
自宅の庭に作ったそば工房