脳疾患の後遺症により身体的に麻痺が生じた時、誰もがリハビリを行う、と思う。
病気の回復と共に、急性期のリハビリは大きな効果が期待される、と思う。
そして時間がたち症状が安定した時、人は病院から離れ介護の現場へと移行してくる。
今まで普通に日常生活を送っていた人が、ある日突然病気を発症し手足の自由が利かなくなる。
人はその現実をどう受け止め、それから先の人生を、不自由になった身体でどう生きていくのか。
自分自身の身体に大きなストレスを抱えて、なお生きていくということを受け入れなければならない。
さよこさんという人がいる。
左麻痺の後遺症が生じた。
一生懸命頑張ってリハビリを続け、車椅子での生活が可能になった。
デイはリハビリのために、老健に週2回・池さんに週1回、時折家族の休息のためにショートを利用する。
老健のリハビリは、さよこさんの生きるエネルギーになっている。
ただ、リハビリをいくら頑張っても、自宅での生活に生かすことはできない。
家族と別棟で生活するさよこさんにとって、転んだ時のことを考えると、自宅で「歩く」と言うことは全く考えられないのだ。
頑張ってリハビリを続けるさよこさんは、4点杖を卒業し普通の杖歩行が可能になった。
「リハビリの結果」は、日常生活のためにあるべきものだと思うのだが、悲しいことに「リハビリ」は「リハビリの時間」のためのものであって、日常にその成果を生かすことができないのが現実なのかもしれない。
週2回通う施設でも、「リハビリ」の時間は「30メートルを歩く」ことができても、それ以外は常時車椅子。お風呂は「チェアー浴」
ほんの限られた時間以外は、以前のさよこさんのまんま。車椅子に座ったままのさよこさん。
それでも、さよこさんはリハビリを頑張る。
池さんに来るようになってから、おとなしく口数も少なかったさよこさんは、どんどん明るくおしゃべりになっていく。
お風呂は、池さんでは全員一般的な家庭の浴槽に入る。よそでチェアー浴だろうと特浴だろうと皆が普通のお風呂に入る。もちろん入念にシュミレーションを行い、どうすればさよこさんが自分の力で入浴ができるか検討し、最初から一人でお風呂にも入っている。
今では、池さんに来る時は、さよこさんは車椅子を使用しない。
杖を使い、歩いて移動して一日を過ごしている。
ちょっとの距離も自分で歩く。狭いところはテーブルを支えに歩く。
面白いことが大好きでケラケラと大きな声で笑い、出かけることが楽しみなさよこさんがいる。
大好きなジグソーパズルを、もう二つも完成させた。(1000ピースの大作2つは誇らしく池さんの壁に飾ってある)
さよこさんにとって、「生きる希望」ともいえる「リハビリ」
効果や結果と関係なく、「リハビリをしている」というただそれだけで(本人や家族にとっての)安心感を生んでいるという場合もあると思うけれど・・・それはそれで意味があるのかもしれないけれど・・・さよこさんのように、そのことが確かに生きる希望や証になっているのだとしたら、
たとえ一週間のうちのたった一日だけでも、「一人で歩けるようになった」「一人でお風呂に入れた」という確かな手ごたえを感じてもらいたい・・・
そのために私たちは常に細心の注意を払い、常に入念に準備をする。
「一人で歩くこと」は、
さよこさんにとっての希望でもあり、さよこさんの笑顔をみることができる私たちにとっての喜びでもあるのだから。
病気の回復と共に、急性期のリハビリは大きな効果が期待される、と思う。
そして時間がたち症状が安定した時、人は病院から離れ介護の現場へと移行してくる。
今まで普通に日常生活を送っていた人が、ある日突然病気を発症し手足の自由が利かなくなる。
人はその現実をどう受け止め、それから先の人生を、不自由になった身体でどう生きていくのか。
自分自身の身体に大きなストレスを抱えて、なお生きていくということを受け入れなければならない。
さよこさんという人がいる。
左麻痺の後遺症が生じた。
一生懸命頑張ってリハビリを続け、車椅子での生活が可能になった。
デイはリハビリのために、老健に週2回・池さんに週1回、時折家族の休息のためにショートを利用する。
老健のリハビリは、さよこさんの生きるエネルギーになっている。
ただ、リハビリをいくら頑張っても、自宅での生活に生かすことはできない。
家族と別棟で生活するさよこさんにとって、転んだ時のことを考えると、自宅で「歩く」と言うことは全く考えられないのだ。
頑張ってリハビリを続けるさよこさんは、4点杖を卒業し普通の杖歩行が可能になった。
「リハビリの結果」は、日常生活のためにあるべきものだと思うのだが、悲しいことに「リハビリ」は「リハビリの時間」のためのものであって、日常にその成果を生かすことができないのが現実なのかもしれない。
週2回通う施設でも、「リハビリ」の時間は「30メートルを歩く」ことができても、それ以外は常時車椅子。お風呂は「チェアー浴」
ほんの限られた時間以外は、以前のさよこさんのまんま。車椅子に座ったままのさよこさん。
それでも、さよこさんはリハビリを頑張る。
池さんに来るようになってから、おとなしく口数も少なかったさよこさんは、どんどん明るくおしゃべりになっていく。
お風呂は、池さんでは全員一般的な家庭の浴槽に入る。よそでチェアー浴だろうと特浴だろうと皆が普通のお風呂に入る。もちろん入念にシュミレーションを行い、どうすればさよこさんが自分の力で入浴ができるか検討し、最初から一人でお風呂にも入っている。
今では、池さんに来る時は、さよこさんは車椅子を使用しない。
杖を使い、歩いて移動して一日を過ごしている。
ちょっとの距離も自分で歩く。狭いところはテーブルを支えに歩く。
面白いことが大好きでケラケラと大きな声で笑い、出かけることが楽しみなさよこさんがいる。
大好きなジグソーパズルを、もう二つも完成させた。(1000ピースの大作2つは誇らしく池さんの壁に飾ってある)
さよこさんにとって、「生きる希望」ともいえる「リハビリ」
効果や結果と関係なく、「リハビリをしている」というただそれだけで(本人や家族にとっての)安心感を生んでいるという場合もあると思うけれど・・・それはそれで意味があるのかもしれないけれど・・・さよこさんのように、そのことが確かに生きる希望や証になっているのだとしたら、
たとえ一週間のうちのたった一日だけでも、「一人で歩けるようになった」「一人でお風呂に入れた」という確かな手ごたえを感じてもらいたい・・・
そのために私たちは常に細心の注意を払い、常に入念に準備をする。
「一人で歩くこと」は、
さよこさんにとっての希望でもあり、さよこさんの笑顔をみることができる私たちにとっての喜びでもあるのだから。