気が付けば、はや5月。
今年の連休はお天気にも恵まれて、ニュースを見ているとどこも人でいっぱいの様子。
もちろん池さんの宅老所は年中無休につき、連休も頑張ってくれている職員もいるけど、ワタクシは久しぶりの休日。
通常の毎日は、翌日の仕込みがあるのでほぼ完全な休みとはならず、子どもたちの休日試合用のお弁当を始めてからは、ほとんどお休みもなく仕事ばかりの毎日だったので、本当にしばらくぶりの連休をゆっくりと過ごさせてもらっている。
日常業務の煩雑さや仕事の多さに、正直ちょっと疲れ気味だったけれど、五月晴れの暖かい日差しを受けて、カラッと乾いた大量の冬の洗濯物、ふっくらと膨らんだお布団に満足しながら、穏やかで静かな時を感じつつ、ちょとだけ心の洗濯をしたような気がしている。
景色の変化
ワタクシ自身も高齢者になった。
池さんという場所も、実は40年近く前の私たちが住んでいた家。水回りや床や、、、家も年を重ねてきた。
池さんという場所ができて19年を過ぎた今、最初の頃とは全く違う景色を見ているように思う。
地球が変化し、気候が変化し、社会や世界が変化している。
政治もあいまいで、介護保険は20年前と大きくシフトを変えた。
コロナ禍の時を超えて、社会も人の心も変化したように思う。
家族のありようも変わり、介護に対する気持ちも変化している。
病気や治療に対する感情も、生や死への感情も、老いることへの感情も、すべてが変わっている。
アンチエイジング、いつまでも若く元気でいるために介護保険が使われる。
人が生き・老い・病を得て・死にゆく生き物であるということを認めず、年をとっても標準治療。
入所施設はいっぱいだし、在宅介護を勧めつつ家での生活に欠かせないデイサービスや訪問介護の基礎単価が低くて事業所は継続難しい時代。
加算主義で成り立つ介護保険。
子育てと違い先の見通せない介護には時間が必要で、介護離職も増えている。
なにもかも高くて生活も苦しくて、在宅で介護をというより、空きがあればできれば施設にという時代。
長年過ごした家で、最後まで過ごさせてあげたいと思う家族は少なくなり、もう無理と手放してしまう家族が増えた。
年寄りを取り巻く景色も、年寄りを抱える家族の景色も、変わった。
どうしたら老いを受け入れられるか、どうしたら最後まで家で過ごせるか、一緒に考えたいと思うけれど、その時間の余裕すらなくなっている。
疑問と、矛盾と、ジレンマと、あきらめ。
景色の変化にあたふたとしながら、その変化する景色に振り回されながら20年となる節目の年。
老いも病も死も、時代と共に変わってゆくもので、
人も社会も家族も、時代と共に変わってゆくものだからと、
感慨深い想いを心の底に抱えつつ、
萎れそうになる気持ちも同時に心の中に抱えつつ、
5月を過ごしてゆきたい。
母が倒れてからまる6年が経った。
92歳になった母の信じられないほどの回復ぶりと、まさにアンチエイジングを身をもって体現している姿に、心配頂いた皆様に改めてお礼の気持ちを伝えたい。ありがとう。
母は元気です。
昨年はダメだったサクランボの実。
お日様があたって、キラキラと輝いている。
真っ赤に輝いている。
20年間変わらないサクランボの木。
ずっと変わらずに、
ここにあって、
ここで実をつけ続けてほしい。
これから先も。
時代が変わっても。
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