「世の中、不合理なことばかり」というワードを目にした。
確かに、世の中、結構いろんなことがいっぱいあって、
不合理だなあと思うことが結構目につく。
不合理というか、理不尽というか、無茶苦茶というか、
まあそんなことが確かに多い。
格差だらけの社会、一生懸命働いても苦しい生活はよくならず、求人と採用のアンバランス、
政治と透明感、ばらまかれる支援金。
石油の価格、発電所の再稼働、エネルギー政策の未来にみえるものは。
大海を流れる軽石の量。
世界では、思想統制や社会を制圧する力は増大し続けて争いを生み出している。
国を捨てる人は増え、子どもたちは飢え苦しんでいる。
遠い世界の話だけではない。
近くにも気づかないけれど、いろんな理不尽が存在する。
手を差し伸べられなくて、人間の暮らしとも思えない暮らしを続けるしかない人の命があり、
学校では早朝から大声で怒鳴られる子どもたちの姿があり、
心無い飼い主の下で、哀れな環境で生きるしかない犬や猫の命もある。
廃棄される食材があまたあり、
消費社会に疑問を持たずに駆り立てられてゆく人の姿がある。
どうすれば、世の中の不合理なことに納得できる答えが見つかるのだろう。
無茶苦茶な事柄に、正義の姿を見いだせるのだろう。
穏やかな姿になるのだろう。
暖かい姿に変わるのだろう。
世の中に存在する理不尽に、最近ひどく胸が痛む。
胸は痛みつつも、終わりの見えかけた自粛生活にやっぱり嬉しい部分もあって、つくづく私って身勝手な生き物だと思ったりしている。
どこに行っても沢山の人に出会うようになってきて、
でもまだちょっと人ごみに慣れていない自分を感じた時に、
不安と嬉しさが交じり合ったような気持ちになる。
社会に存在する不合理に、大いなる矛盾を感じつつも、
怒りだけでなく、
あきらめでもなく、
ただ必要な時にはちゃんと感じて、気づいて、判断できる自分でありたい。
そんな風に老いてゆきたいと思ったりする。