様々な想いがこみ上げてくる。
11月15日。
12周年の日。
私の干支の「酉」が廻った。
12年という時間を、心の中に大切にしまって生きてゆきたいと思う毎日。
多くの人に支えられ、いろいろな所で助けを受けながらここまで頑張って来れたことにただただ感謝。
そしていつもの池さんでの暮らしは、周年とは関係なく刻まれてゆく。
かずえさんの手作りのオードブルを食べつくす勢いで手を伸ばすばあさんたちや、毎日紅葉のチェックに行く人たちを見ていると「元気やな~」と感心する。
リンちゃんは相変わらず今夜も「うんなが~ふんなが~・・・」と叫んでいる。
ばあちゃんたちが来てくれるおかげで、こうして池さんが12年間続いてきた。
皆が笑ってくれるおかげで、ここまで頑張ってこれた。
スタッフたちが気持ちよく仕事をしてくれるおかげで、こうして池さんが成り立っている。
「池さんという柱」をしっかり考えながら仕事をしている姿を見て、感謝する。
ばあさんたちと出会いが必然だと思えるように、スタッフとの出会いも必然だと思うのだ。
「ここで一緒に生きてゆきたい」と思ってくれるスタッフに囲まれて、ありがたいな~幸せだなと心から思う。
毎日毎日スライディングパズルを解くようにカチャカチャと席とりゲームをしている気分の池さんだけど、でもそれでも皆がそこにいてくれるだけで、なんだか幸せな気分になるのだから不思議な気がする。
計り知れないパワーと予測不可能な出来事に振り回されながら、時間を紡ぐことができた。
これから先の道のりも決して平坦ではないと思うけど、どうか暖かく見守ってもらえたら嬉しい。
感謝を込めて。
ありがとうございました。
そして、この日、11月15日。
「としおさん」の葬儀。
まだ暗闇の中に、皆は生きています。
だれも、誰一人、思いもしなかった、考えもしなかった現実を、まだ、私たちは受け止めることはできませんが、
どうしてこの日なのか、なぜ今だったのか、何を伝えようとしてくれたのか、受け止めようとしても考えようとしても、思考回路はまだ停止状態のままです。
何一つ整理などできず、何一つ整理さえできないままで、今私たちは生きています。
それでも前を向かなければならないのが「生きる」ということだとしたら、やはり「生きてゆくこと」は苦しいことなのかもしれないと思います。
苦しみの中に希望を見つけることこそが、明日を生きるために私たちに与えられた試練であり、それこそが「生きる意味」なのかもしれません。
今までここで一緒に生きてくれて、ありがとう。
私たちと共にいてくれてありがとう。
心から感謝です。
宮澤賢治「精神歌」より(四)
日ハ君臨シ カガヤキノ 太陽系ハ マヒルナリ ケワシキタビノ ナカニシテ ワレラヒカリノ ミチヲ フム
「光」に向かって、道を踏み(歩き)続けてゆかなければと思う12周年です。
「池さん」という私たちの願いを込めた大切な「場所」は、今日も明日も明後日も、ずっとずっとこれからも、きっと誰かの、そして自分自身のための「場所」であり続けたいものだと、「願いを込めた場所」であり続けたいものだと思います。
12周年の日に。
つねに必然の中にあると思う「時」の、成せる現実はあまりにも唐突であるけれど、それらをわが身の糧としてくれるのもまた「時」であるということを知る。
命を愛おしみ、命を想い、生きることに謙虚に向かい合い、わが身を振り返りつつ、
同じ「時」を生きることができる全ての人に、
感謝。
何もかも全てを包み込んでくれる人たちと生きることができることに
感謝。
深い意味を示す大いなる自然の時に、
感謝。