2度目の総理に期待する意味は (2012.10.06.)
橋下大阪市長の提唱する維新の会は、今迄の政治家と違って、「国の統治の仕組みを変えよう」という物で、「みんなの党」と同じ、日本の統治システムを根本的に変える事を、提唱している。
確かに、歴代総理の人気が4年と決められて居ても、4年以上就任した人は小泉首相以来誰も居ない。これでいいのだろうか。
これで、国の政治が問題なく行われて来たのは、政治家が政治を遣っているのではなく、各省庁の官僚がそれに代わって行い、「各省事務次官会議」が、国の全ての政治を司っていたからである。
民主党の菅さんが、初閣議に出席して、「閣議の議題は、事前の事務次官会議で、決められた物のみ出される、」そして「各大臣はそれにサインするだけだ!」と不満を述べていた事を思い出す。それほど大臣は、只の操り人形で、専門知識が無くても勤まると言う事である。
自民党時代に、入れ替わり立ち代わり、大臣を変えて、国会議員を3~4期やれば大臣にしてもらえる、其の経歴が次の選挙で、有力な当選への武器に成るのだ。その様な過程を60年間も続けてきた自民党の議員は、本当の議員としての政策や、資質よりも経歴が重んじられ、内閣人事に付いては、各会派の「ボス」は将に総理大臣以上の権力を握り、人選には強大な力を欲しいままにしてきた。そして、其の事が、一方官僚優遇に繋がり、官僚の「天下り」を作って来たのである。
予算編成にしても、全て官僚が作り、各省庁は、それに特別会計制度を作り上げ、自由に使える金が、国の基盤を支える一般会計の5倍以上の財源を確保している。
この様な事は、日本以外にはありません。 そして、そのお金で、官僚たちの「天下り」先でもある、特殊法人を作りこれが又財界と癒着して、遣りたい放題を遣って来たのである。
従って、官僚の頂点である事務次官は大臣より偉く、事務次官に背くと大臣の方が飛ばされると言う逆現象が、当たり前の様に見られたのである。
この状態を見せられてきた、国民は、自民党に嫌気がさし、官僚のマンネリ化が、国民厚生年金制度の杜撰な管理に現れ、遂に「政権交代が」起こり、自民党政権は交代を余儀なくさせられたのである。
しかし、変わった民主党には、「政権交代」が「晴天の霹靂」の如くに思われ経験した事の無い政権与党の難しさと、官僚を敵に回した行政は、政治の血液の閉塞状態を引きおこした。
そこへ自民党が、「政権与党の奪還」を目指して、しゃにむに、民主党の足を引っ張り、嫌がらせをして、政権を揺さぶったのである。
いまや、国民の思いは「政権交代」を期待した民主党では、上手く行かない事を知り、何処に政権を委託したら良いか迷っていた。
今回自民党の総裁選で、小泉総理の跡継ぎと言われた安倍氏が2度目の総裁に帰り咲いたが、二度目の意味する所は、安倍氏が唱えていた「与党政治の改革」が心半ばで、辞任しその反省に立って立候補したと言う事に国民は期待したからではないでしょうか。
だから、国民の目は。安倍氏の再び改革への期待と、党員でない人は「維新の会」や「みんなの党」の改革に期待しているのではないかと思います。
(えびなたろう)
橋下大阪市長の提唱する維新の会は、今迄の政治家と違って、「国の統治の仕組みを変えよう」という物で、「みんなの党」と同じ、日本の統治システムを根本的に変える事を、提唱している。
確かに、歴代総理の人気が4年と決められて居ても、4年以上就任した人は小泉首相以来誰も居ない。これでいいのだろうか。
これで、国の政治が問題なく行われて来たのは、政治家が政治を遣っているのではなく、各省庁の官僚がそれに代わって行い、「各省事務次官会議」が、国の全ての政治を司っていたからである。
民主党の菅さんが、初閣議に出席して、「閣議の議題は、事前の事務次官会議で、決められた物のみ出される、」そして「各大臣はそれにサインするだけだ!」と不満を述べていた事を思い出す。それほど大臣は、只の操り人形で、専門知識が無くても勤まると言う事である。
自民党時代に、入れ替わり立ち代わり、大臣を変えて、国会議員を3~4期やれば大臣にしてもらえる、其の経歴が次の選挙で、有力な当選への武器に成るのだ。その様な過程を60年間も続けてきた自民党の議員は、本当の議員としての政策や、資質よりも経歴が重んじられ、内閣人事に付いては、各会派の「ボス」は将に総理大臣以上の権力を握り、人選には強大な力を欲しいままにしてきた。そして、其の事が、一方官僚優遇に繋がり、官僚の「天下り」を作って来たのである。
予算編成にしても、全て官僚が作り、各省庁は、それに特別会計制度を作り上げ、自由に使える金が、国の基盤を支える一般会計の5倍以上の財源を確保している。
この様な事は、日本以外にはありません。 そして、そのお金で、官僚たちの「天下り」先でもある、特殊法人を作りこれが又財界と癒着して、遣りたい放題を遣って来たのである。
従って、官僚の頂点である事務次官は大臣より偉く、事務次官に背くと大臣の方が飛ばされると言う逆現象が、当たり前の様に見られたのである。
この状態を見せられてきた、国民は、自民党に嫌気がさし、官僚のマンネリ化が、国民厚生年金制度の杜撰な管理に現れ、遂に「政権交代が」起こり、自民党政権は交代を余儀なくさせられたのである。
しかし、変わった民主党には、「政権交代」が「晴天の霹靂」の如くに思われ経験した事の無い政権与党の難しさと、官僚を敵に回した行政は、政治の血液の閉塞状態を引きおこした。
そこへ自民党が、「政権与党の奪還」を目指して、しゃにむに、民主党の足を引っ張り、嫌がらせをして、政権を揺さぶったのである。
いまや、国民の思いは「政権交代」を期待した民主党では、上手く行かない事を知り、何処に政権を委託したら良いか迷っていた。
今回自民党の総裁選で、小泉総理の跡継ぎと言われた安倍氏が2度目の総裁に帰り咲いたが、二度目の意味する所は、安倍氏が唱えていた「与党政治の改革」が心半ばで、辞任しその反省に立って立候補したと言う事に国民は期待したからではないでしょうか。
だから、国民の目は。安倍氏の再び改革への期待と、党員でない人は「維新の会」や「みんなの党」の改革に期待しているのではないかと思います。
(えびなたろう)