きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

千の風に乗って飛んでいる“ツイッター”

2010-01-23 13:25:40 | Weblog
千の風に乗って飛んでいる“ツイッター”     (010.01.23)

“ツイッター”(Twitter)とは「つぶやく」と言う意味である。
人間は生活の中で、ひとりでに、口を突いて出てくる言葉を「つぶやく」と言っている、元楽天の野村監督の「ボヤキ」も其の類に入るのかもしれない。

其の中には、日頃思っている楽しい事や悲しい事、ふと、気が付いた事等々、人に聞いてもらいたいとか、誰かに伝えたいとか言うものではなく、ただ、何気なく口を突いて出てくる言葉が、「つぶやく」と言われているものである。

其の“つぶやき”が、インターネットと言う「千の風」にのって、世界中を飛び回っていると言うことが、今年日本でも大きな話題として取り上げられている。

私も正月に、何時もなら「おめでとう御座居ます」と言うべきBlogから始める所だが、「今年は“ツイッター”の時代かも!」と言うBlog(1月5日のBlog)から始めてしまった。
僅か140字以内で、つぶやいた言葉を、インターネット網を通じて、世界中の空に飛ばすもので、飛んだ先は何処へ行くのか解らないが、たまたま拾ってくれた人が、何か共鳴するものがあって返事をくれるかも知れない。

返事を貰った人は、再び返事を出すと言う具合に「つぶやきの」輪が広がってゆけば、その数は膨大に膨れ上がり、世の中を動かす大きな力になると言うものだ。

その一例が、イランの大統領選挙での不正が民衆から取り上げられ、此れを権力で押さえ付けようとした、最高権力者「ハメネイ師」が逆に叩かれていると言うイランでは考えられない事が、起きている。

「ツイッター」は瞬時に、簡単に、一個人が世界中に伝える手段として、今まで以上の威力を発揮する物であると思う。

今日本では、政治家の中で、一番流行していると言われている、しかし、其の使われ方は私が見る所では、殆どの議員さんは、選挙目的の知名度を上げる手段として使っている様だ。

私の望むのは、ツイッターが庶民の声として、政治家が受け止め、政治に反映する道具として、利用するのであれば良いが、自分の宣伝に終始し、庶民から送ったツイッターを無視する様な使われ方では、不満が残る所である。

いくらフォローワーの数が多くても、庶民の声をどの様に受け止め、政治の中でどの様に反映させようと努力しているかを国民は見ている事を忘れてはいけないと思う。

私のツイッターのURLは下記の通りです、ご意見のある方は、どの様な意見でも聞かせてください、ご返事いたします。(返事する場合は、ツイッターに登録が必要です)
http://twitter.com/ebinatarou/ です。 
(えびなたろう)