「そういえば、お母さんが先月の終わりに水俣からこっちへ戻ってきてから、あんまりおばあちゃんに電話してないよね。電話してみたら?」
そう言ってから昨日は出かけた。
私が出かけている間に母は祖母に電話したらしい。
「電話したはいいけど、ほとんどお婆ちゃんが独りで喋っていた~~。 63分!!! 息継ぎ何処でしてるんやろか・・・と思うくらいの勢いだった。 とても肺が悪い人とは思えない。 酸素は機械が送ってるんやろうけど、それでも あの肺活量はすごかぁ~」
と、語尾だけ何故か水俣弁だった。
夕食が終わると私は数学の問題集を広げたんだけど…。 父には 「今、すずは勉強中だから、話しかけなさんな!」 といいつつ、母は私に 祖母から聴いた昔話を思いだしては話しだし・・・また、しばらく静かになり…再び、「あ、そうだ、それからね!」といった感じで時間は平穏に過ぎていく。
おばあちゃんが一時間に渡って母に話した昔話。
それは久木野でヤギを50頭!?飼育していた頃の話だ。
当時のことは、私も子供の頃、母から聴いたことがある。
特に印象に残っていたのは、
「一頭、黒ヤギがいてね、それが相当~意地悪でっ、祖父母が居ないときを狙って、幼児の自分を追いかけてきた!」 というようなものだった。
祖父母が別々に北鮮から引き揚げてきて、ほんの数年が経過した頃、私の母がほんとに幼かった頃の話。
丘の上にあった大きな木に 母は おんぶ紐で結び付けられて、(まるで犬!)独りで勝手に何処へも行けないようにされていたらしい。祖母は草採りに必死になり、どんどん丘を下って行く。 とうとう姿が見えなくなると、恐怖心でいっぱいになった、、、というのが私がこれまでに母から聴いた久木野時代の話だった。 こういう時に限って、あの、黒ヤギがやってきて・・・。
「それで、詰め寄ってくる黒ヤギが怖くて、思わず立てたんでしょ? クララやね! クララ!」
アルプスの少女ハイジの再放送を観てハイジファンだった私は、すっかり 「久木野」と「アルプス」を同じようにイメージしていた。
だって、50頭のヤギでしょ? しかも黒ヤギまで居るんでしょ? ハイジのおじいさんも一頭だけ黒ヤギを飼っていたもん♪・・・って。(苦笑)
「久木野の幼児、ケイコ」という世界にワクワクしていた。 おんぶ紐で木に結び付けられるのは嫌だけど・・・ヤギのミルクは飲めないかもしれないけど・・・ハイジがやっていた、あの乳搾りって面白そうだもん。お母さんもしたこと、あるの?と問うと
「あるよ」
おじいちゃんは水光社に途中で就職が決まり、週末だけ久木野へ戻ってくる、今で言う「単身赴任」生活に途中からなったらしい。 子供の頃から大分で百姓をしていたお婆ちゃんに言わせると、「おじいちゃんは鉛筆より重いものは持った事が無かった・・・というような人でね。 最初はクワでさえ まともに使えなかった」らしい。
でも久木野の人達は皆、とても親切で、本当によくしてもらったと以前から話していた。
母から聴く「久木野」のイメージは、「アルプスの少女のようなヤギと戯れる生活」で・・・。
祖母からきく話。 それは、
「じょっかね~♪」と畑仕事をしていると、地元の人に褒められた! そりゃ、おばあちゃんは小学生の頃から畑を手伝っていたからね。 箸より重たい物を持たない事務系の おじいちゃんとは違うわ~! おばあちゃんの方が畑はずっと!上手だったんよ!」 という自慢話…???
ヤギを飼うのは祖父母にとって、初めての体験だったらしく、「地元の人に何から何まで教えてもらって、色々手伝ってもらってねぇ。ようやく生活できるようになった」
と言っていた。 それは、私もこれまで何度も聞いていて、良く覚えている。
。。。で、今回「初耳」だったことは、久木野で まだ若かった祖父母がお世話になったご夫婦は、当時、今の私くらいの年齢で、大の音楽好きだったってこと。
「旦那さんは よく通る声で、歌ってたねぇ。 それが凄く上手だったよ。 誰にでも優しくて温和な人だった。
奥様は綺麗な人で、三味線が上手でねぇ。三味線の名手!
何? お孫さんが歌が上手でギターを弾くのは、おじいさん&おばあさんの血を引いているからだろうね。 きっと、DNAもあるよ、DNA」
。。。おばあちゃん、嬉々として喋り続けたらしい。
「懐かしいねぇ・・・」 って言いながら。
それで63分もっ!!!
「すずちゃん、遊びにきなさい!」 そういってた、おばあちゃん・・・。
今度会ったら、いくらでも話してくれるんじゃないの? 思い出話。 今度こそ、書けるんじゃない? おばあちゃんたちの戦後記」
「うん・・・そうだね・・・・」
解きかけた数学の手を休め、ついでに頭も休めて…。
ちょっと考えてみた。
(どこから書き始めよう…。 やっぱ、キツネがタヌキに化けた話から??)
おばあちゃん、春になったら、会いに行くね!
すず