つれづれの記

日々の生活での印象

かあさんの歌

2010年01月19日 23時12分12秒 | 日記
1月19日(火) かあさんの歌

 家人を,車で最寄の駅まで送った帰路、ラジオから、懐かしい歌として紹介された、「かあさんの歌」が流れてきた。倍賞千恵子さんの、済んだ歌声だ。改めて、帰宅後、歌詞を読み返し、ネット等を使って、曲のいわれなどを調べてみた。
 この歌は、うたごえ運動で活躍した、窪田 聡の作詞・作曲で、昭和33年に発表されたようだ。学生時代に、自分がこの曲を覚えてから、かなり久しい。日本の歌100選にも入っている、名曲である。
 田舎語があるものの、分かりやすい素直な歌詞である。以下に、自分なりに解釈してみた。

1 故郷のかあさんが、夜なべをして編んでくれたという、手袋が届けられた。添えられた手紙には、“この手袋、そちらは木枯らしが吹いて冷たいだろうと思って、せっせと編んだんだよ”とある。ふるさとから届いたこの便りからは、暖かい囲炉裏の、におい! がするようだ。

2 かあさんは、一日中、麻糸を紡いでいるようだ。又、手紙には、“おとうは、土間で藁打ち仕事だよ。お前も、頑張れや。”とあり、目に浮かぶようだ。故郷の冬は楽しみも少なく淋しいだろう、せめて、ラジオを聞かせたいものだ。

3 かあさんは働き者で、あかぎれが絶えず、患部に、なんと、生味噌をすり込んでいるのだろうか。手紙は、“根雪も融ければもうすぐ春だよ、畑での野良仕事が待っているさ” と続く。春を待つ小川のせせらぎが聞こえるようで、心の中が懐かしさで一杯になる。

 この曲は、作者が、以前疎開した先の、長野県をイメージして作られたという。
この歌の情景は、小生の生まれ育った山形県の田舎の風景とそっくりで、全く違和感が無い。今では、田舎でも縁遠くなった、夜なべ(夜仕事 終わった後の夜食が楽しみ)、囲炉裏(木や炭を燃やした切り炉 団欒の中心)、糸紡ぎ(山形では、麻糸で無く、絹糸だった)、おとう(父さん・父親 母親は、おっかあ など)、土間(屋内の土を固めた空間 竈などもある)、藁打ち(籾を取った藁を、土間の石の上で、木槌で叩いて軟らかくし、草履、筵などを作る)、根雪(融けずに残った雪)、などは、同じである。
 歌詞の中にある、せめてラジオ聞かせたい、は、ラジオすらも無かったのか、という新鮮な驚きではあるが、以前は、ラジオが重要な娯楽源だった、ことはよく理解できる。

 昔の田舎では、寒くなると、大人も子供も、手足に、ひび、あかぎれ、しもやけ、が絶えなかった。小学6年の時、子供なりに情報を集め、ひび・あかぎれ・しもやけの研究という名前の調査を行い、近隣の学校まで出向いて、発表した記憶がある。
 昨今は、生活環境も改善され、これらの疾患は、少なくなった。でも、家人が、最近、足の指の付け根が痒い、しもやけになっている。又、スーパーのレジで働いている知人も、指先に、細かいひびができているのを、昨夜、見せてもらった。レジ袋を扱うと、手の油が取られて、ひび割れになるそうな。
 あかぎれは、ひびより割れ目が深く、痛みも大きい。そこに生味噌を擦り込むとは、今にして思えば、さわさわするが、薬の少なかった昔は、味噌は、立派な治療薬でもあった、のは事実である。

 この歌の作者の窪田 聡は、家出同然にして故郷の埼玉を離れたようだ。にも拘らず、居場所を探し当て、手紙を添えて手袋を送ってくれた、かあさんの温かさに感激し、故郷への思いに駆られて、この曲を作ったという。“ふるさとは、遠きにありて思うもの”かも知れない。

 今回、改めて歌詞を読んで、解ったことがある。今日まで、2番の出だしは、
  かあさんは、朝 糸紡ぐ、一日紡ぐ
と、思っていた。朝から晩まで一日中、という解釈である。しかし、本当は
  かあさんは、麻糸 紡ぐ、一日紡ぐ
だったのである。
 似たような同音異義の言葉で、三木露風作詞 山田耕作作曲の「赤とんぼ」で
   負われて見たのは(背負われて見たのは)何時の日か
を、
   追われて見たのは(追いかけられて見たのは)何時の日か
と、かなりの長い間思っていた、という、誤りもある。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする