1月31日(日) 風の色はなんの色
「NHKみんなのうた」は、一般の番組が終わったあと、一寸の時間に入ってくる。いつもは、なんとなく聞き流したり、他の番組に切り替えるのだが、12月後半の或る日、ふと聞いた「風がきれい」の歌に、引きつけられた。
風がきれい、という表現を聞いて、風が、きれい??!!、と、驚いた。そして、
春の風は 花の色
夏の風は 海の色
秋の風は 空の色
冬の風は 雪の色
と、四季に亘って、風の色がある、という歌詞は、少し大袈裟だが、衝撃的だった。そして、この部分が、素敵なハーモニーで歌われるのが、なんとも魅力的なのだ。
この歌、6人から成る男性ボーカルで、変わった名前のチキン・ガーリック・ステーキ(愛称 チキガリ)が、伴奏無しの、アカペラで歌っている。
早速、書店で、NHKみんなのうた、のテキストを探したが、見つからない。12月で売れ残った本は、返品してしまった、との事。新たにお願いして、取り寄せてもらった。
テキストやNHKのHP等で知ったのだが、この曲が出来た経緯は、感動的である。NHKの某ディレクターが、目の見えない子供たちの施設(盲学校)を訪れた時のこと。そこの子供が、外に出たら
ワア 風がきれい!
と、感嘆の声を発したそうな。某ディレクターは、この言葉に感激し、これを記事にした。それを見たある女優(新井晴みさん 以前、NHK連続テレビ小説の主人公で出演)が、早速、詩を書いてくれて、これにメロディーが付けられ(作曲 滝本翔太氏)、この曲が生れたそうである。
テキストから、歌詞の一部を、引用させていただく。
風がきれいと 言ったあなた
いままで私が 気づかなかった
あなたの言葉が おしえてくれた
私も静かに 目を閉じて
心の扉を 開いてみたら
大切なこと 見える気がする
風のいろどり 輝いている
と、ディレクター氏が感じたままが、素直に言葉になっている詩である。
この後に、前述の、四季の風の色を歌う、美しいハーモニーが続くのだ。
心の目で、風や風景を感じ取る、作詞者の感受性の豊かさが、素晴らしい。改めて、風景という言葉を考えてみると、風という字が使われている!
言うまでも無く、目の見える晴眼者にさえも、風が見えるわけではない。
以前覚えた、「風」かぜという歌(英国詩人 ロセッティ作詞、西条八十訳詞)は
誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉を震わせて
風は通りぬけてゆく
ということで、正に、これが、普通の感覚である。
四季それぞれの風に、花や、海や、空や、雪の色がある、というのは、通常の感覚では、理解を超えている。精々、感じられるのは、花の、海の、空の、雪の、匂いや、肌触りぐらいだろうか。
でも、心静かに目を閉じて、爽やかな風に吹かれていると、誰しも、風がきれい、の歌のように、心の中に色々な思い出や風景が、思い浮かんできて、風の色さえも見えてくるようにも思える。
風がきれい、という感覚は、俳人 松尾芭蕉の有名な句、
静けさや岩に染み入る蝉の声
で、蝉の鳴き声が岩に染み込むようだ、という感性と、相通じるものを感じる。
又、俳句の世界に、同じような感性を感じる、素晴らしい季語がある。
風光る
山笑う
というもので、自分には、かなり前から忘れられないものだ。風光る、は、春先の軟らかい風が、きらきら光るようだ、という、嬉しさが込められていよう。山笑う、は、早春、冬枯れの山が、次第に薄紫色に、ぼーっと染まっていく様をあらわした、春の喜びの表現であろうか。このような季語を残してくれた、先人の鋭い感性に感謝したい。
四季の風の色について一言。歌詞では、春―花、夏―海、秋―空、冬―雪とあるが、秋は、天高く馬肥ゆるの候、とも言われるように、空が澄んで美しい。が、春の花に対して、秋は紅葉もいいように思う。でも、ハナ、ウミ、ユキと同じく、ソラは、2音なのに対して、モミジだと3音で、字余りになり、歌いにくくなるのが欠点。春と秋は植物の美しさ、夏と冬は水に因む自然の風景、というのも悪くはないと思うのだがーー。
曲自身は、比較的ゆったりとしていて、歌いやすい。放送は1月で終了するが、ばっちりビデオにとってある。いずれゆっくり覚えて、得意の尺八で、演奏できるようにしたいものだ。
NHKみんなのうた、は、50年近い長寿番組のようで、
山口さんちのつとむくん
さっちゃン
おもちゃのチャチャチャ
小さい秋みつけた
おしりかじり虫
など、童謡や唱歌の思い出の曲が多いのだが、
さとうきび畑
風がきれい
のような大人向けの曲もあるようだ。これからも、楽しく、思い出に残る歌に期待したい。
「NHKみんなのうた」は、一般の番組が終わったあと、一寸の時間に入ってくる。いつもは、なんとなく聞き流したり、他の番組に切り替えるのだが、12月後半の或る日、ふと聞いた「風がきれい」の歌に、引きつけられた。
風がきれい、という表現を聞いて、風が、きれい??!!、と、驚いた。そして、
春の風は 花の色
夏の風は 海の色
秋の風は 空の色
冬の風は 雪の色
と、四季に亘って、風の色がある、という歌詞は、少し大袈裟だが、衝撃的だった。そして、この部分が、素敵なハーモニーで歌われるのが、なんとも魅力的なのだ。
この歌、6人から成る男性ボーカルで、変わった名前のチキン・ガーリック・ステーキ(愛称 チキガリ)が、伴奏無しの、アカペラで歌っている。
早速、書店で、NHKみんなのうた、のテキストを探したが、見つからない。12月で売れ残った本は、返品してしまった、との事。新たにお願いして、取り寄せてもらった。
テキストやNHKのHP等で知ったのだが、この曲が出来た経緯は、感動的である。NHKの某ディレクターが、目の見えない子供たちの施設(盲学校)を訪れた時のこと。そこの子供が、外に出たら
ワア 風がきれい!
と、感嘆の声を発したそうな。某ディレクターは、この言葉に感激し、これを記事にした。それを見たある女優(新井晴みさん 以前、NHK連続テレビ小説の主人公で出演)が、早速、詩を書いてくれて、これにメロディーが付けられ(作曲 滝本翔太氏)、この曲が生れたそうである。
テキストから、歌詞の一部を、引用させていただく。
風がきれいと 言ったあなた
いままで私が 気づかなかった
あなたの言葉が おしえてくれた
私も静かに 目を閉じて
心の扉を 開いてみたら
大切なこと 見える気がする
風のいろどり 輝いている
と、ディレクター氏が感じたままが、素直に言葉になっている詩である。
この後に、前述の、四季の風の色を歌う、美しいハーモニーが続くのだ。
心の目で、風や風景を感じ取る、作詞者の感受性の豊かさが、素晴らしい。改めて、風景という言葉を考えてみると、風という字が使われている!
言うまでも無く、目の見える晴眼者にさえも、風が見えるわけではない。
以前覚えた、「風」かぜという歌(英国詩人 ロセッティ作詞、西条八十訳詞)は
誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉を震わせて
風は通りぬけてゆく
ということで、正に、これが、普通の感覚である。
四季それぞれの風に、花や、海や、空や、雪の色がある、というのは、通常の感覚では、理解を超えている。精々、感じられるのは、花の、海の、空の、雪の、匂いや、肌触りぐらいだろうか。
でも、心静かに目を閉じて、爽やかな風に吹かれていると、誰しも、風がきれい、の歌のように、心の中に色々な思い出や風景が、思い浮かんできて、風の色さえも見えてくるようにも思える。
風がきれい、という感覚は、俳人 松尾芭蕉の有名な句、
静けさや岩に染み入る蝉の声
で、蝉の鳴き声が岩に染み込むようだ、という感性と、相通じるものを感じる。
又、俳句の世界に、同じような感性を感じる、素晴らしい季語がある。
風光る
山笑う
というもので、自分には、かなり前から忘れられないものだ。風光る、は、春先の軟らかい風が、きらきら光るようだ、という、嬉しさが込められていよう。山笑う、は、早春、冬枯れの山が、次第に薄紫色に、ぼーっと染まっていく様をあらわした、春の喜びの表現であろうか。このような季語を残してくれた、先人の鋭い感性に感謝したい。
四季の風の色について一言。歌詞では、春―花、夏―海、秋―空、冬―雪とあるが、秋は、天高く馬肥ゆるの候、とも言われるように、空が澄んで美しい。が、春の花に対して、秋は紅葉もいいように思う。でも、ハナ、ウミ、ユキと同じく、ソラは、2音なのに対して、モミジだと3音で、字余りになり、歌いにくくなるのが欠点。春と秋は植物の美しさ、夏と冬は水に因む自然の風景、というのも悪くはないと思うのだがーー。
曲自身は、比較的ゆったりとしていて、歌いやすい。放送は1月で終了するが、ばっちりビデオにとってある。いずれゆっくり覚えて、得意の尺八で、演奏できるようにしたいものだ。
NHKみんなのうた、は、50年近い長寿番組のようで、
山口さんちのつとむくん
さっちゃン
おもちゃのチャチャチャ
小さい秋みつけた
おしりかじり虫
など、童謡や唱歌の思い出の曲が多いのだが、
さとうきび畑
風がきれい
のような大人向けの曲もあるようだ。これからも、楽しく、思い出に残る歌に期待したい。