青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

マスク着用は犯罪である Ⅱ

2021-02-07 20:21:45 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


★2月5日、6日の記事にいいね!その他。。。ありがとうございました。

(「コロナ」の話題だけで良いという方は、「前置き」部分をパスして・・・・・・・・・・ライン以下を読んでください)

中国四川雲南の野生シャクナゲ原版写真2500枚と、同じくサクラソウ属約1000枚の原版写真をモニカへ送信していたところ、キャパシティ・オーバーで中断してしまいました。で、何気なしに、たまたま隣に置いてあった小さなリンドウの花の写真を見て、最初は、高山性小型リンドウ(リンドウ属のハルリンドウの仲間)の雄蕊について書き始めたのです。

その前に、ツルリンドウ属Tripterospermum(中国名:双蝴蝶属)に関わる(大昔の)僕への苛め(!)の数々に対する恨みつらみ(笑)を書いておこうと考えたのですが、途中で(小型リンドウやツルリンドウの話は後回しにして)中国産ヤクシマリンドウGentiana yakushimensis近縁種群(“多枝竜胆組‐七葉竜胆系”の各種、それらが本当にヤクシマリンドウに近縁なのかの真偽は不明)の「ロゼット・クラスター」の存在について調べ出した。これは大変な作業でした。でも、せっかく頑張って一応完結直前まで行ったのに、アップしないまま保留中です。

ということで、それをアップする前に、穴埋め用にヘツカリンドウSwertia tashiroiの旧記事を再掲載しておくことにしました。その後、ヤクシマリンドウ(および中国産の近縁種群“七葉竜胆Gentiana arethusae”など)の話を始めるつもりでいたのですが、、、、。

よせばいいのに、新たに中国産のヘツカリンドウ(Swertia shintenensis var.? 現時点では正式記載されていないと思う)およびそれの所属するセンブリ属の全貌をチェックしはじめて、更に、いつの間にかチェックの対象が中国産リンドウ科全体に移ってしまった。

ハナイカリ属Halenia(中国名:花錨属)、ヒメセンブリ属Lomatogonium(中国名:肋柱花属)、サンプクリンドウ属Comastoma(中国名:喉毛花属)を経て、シロウマリンドウ属Gentianopsis(中国名:扁蕾属)に至り、現時点で、雲南の奥地で出会った日本の奥秩父の絶滅危惧種(正真正銘絶滅寸前です)チチブリンドウGentianopsis contortaの解釈で頭を悩ませているところです。

*暫定的にGentianopsis contortaを当てたうえで、“日本のチチブリンドウ(僕が「山の花1200種」を刊行したときに唯一撮影が叶わなかった山地性リンドウ)にも似ているな、、、”と思っていたら、チチブリンドウ自体がGentianopsis contortaとなっていた(それが正しければ「超隔離分布」ですね)。

結局(ヘツカリンドウの旧記事再掲以外は)どれも放ったらかし。一体、何という生産性の低い行為を繰り返しているのか、と落ち込んでいます(いちいち推移を記したのは、バラバラに散逸してしまってる下書き記事の存在を僕自身の頭の中で整理・確認しておくためです、まあ、リンドウについての勉強と写真の再チェックと思えば良いのではないかと)。 

*来週こそは「ヤクシマリンドウ&七葉竜胆(の“ロゼット・クラスター”)」アップします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いわゆる武漢発祥新型コロナ(以下コロナと略)」がデビューした後の、この一年間の日本の死亡者数が発表されたそうです。なぜかコロナ発祥前の一年を大幅に下回っている、という不思議な(?)事になっています。

年間総死亡者が100万人余で、うち「コロナ」による死亡者が約7000人。これが何を表しているのか?

人々の衛生に対する意識が、より高まった、ということですね。それは(一応)素直に良き事です。マスクや消毒が、あるいは密接密集密閉への対応が、幾らかは他の病気にも好影響を与えているのでしょう。

その前提で、2つの問題提起を行います。

衛生概念向上の好影響が、全体数の減った分と考えましょう。とすれば、「コロナ」で増えた7000人分を、一昨年以前の総数から差し引けば、その(一昨年以前の)総数は、もっと少なくても良いはずです。何か、おかしくないでしょうか?

単純に、一昨年以前も「約7000」という数(現時点での判断基準としての“「コロナ」が死因の一つとなった死者”の数)は、ちゃんと(いわば「旧型コロナ」でも)存在していた(それは要因と処理されずにカウントされていた)、とは考えられないでしょうか?

一昨年以前、SARS類似ウイルスが関与した死者数は、どれだけあったのでしょうか? 「武漢新型コロナ」が、人類にとって脅威であることは認めるとして、ならば「旧型」による(それが関わった)脅威は存在しなかったのでしょうか? リスクが検証されていなかっただけではないのか?

今回は、気が付いた、見えた。見えない脅威は、他にも無数にあるはずです。賢者は「“はず”じゃだめだ、現れたものだけを認識し、対応していくべきだ、それが科学である」というのかも知れません。あほらし。

目に見える脅威以外は、(無かったことにして)有耶無耶にやり過ごしていた(確認していなかった)。そして、見えた脅威に対しては、徹底した「逃亡」ないしは「敵対排除」(「無意識強要同調空気」に基づく「自己保身」と「責任逃れ」)。 

きちんと、遡って検証する気はあるのでしょうか?

結局「中国に於ける隠蔽」と、なんら変わりはないと思うのですが。

2つめの問題点。上記の問題以前の問題として、こちらのほうがより重要です。

上の話を引き継ぐと、
「じゃあ(脅威)が以前からあったのだったら、人類は、もっと前からマスクをすべきだった」
「ワクチンをもっと早くから開発し、緊急指令も出し続けておくべきだった」
となるのかも知れませんね。

リスクの判明→「逃亡」「排除」「敵対」というわけです。

でも、そもそも、「リスク」というのは、単なる負の存在なのでしょうか?

もとより「リスク」と「リターン」は、裏表一体です。
(「デメリット」と「メリット」、「無意味」と「有意義」、「失敗」と「成功」、「不確実」と「確実」、、、)

なにも、警戒すること自体が悪いとは思わないし、とりあえず目前の脅威には対応しなくてはなりません。でも、それは「解決」ではないと思う。

自分のための「自己保身」も「責任逃れ」も、別に悪い事ではないでしょう。それを認めたうえで、なおかつ(自己が不利益を蒙ろうとも)より俯瞰的に全体に対することが、人類としての責務だと、僕は思うのです。

それは、地球のため、ひいては我々の子孫のためにです(僕は子供がいないので全ての人類~若い人たちを自分の子だと思っています、たまたまではなく、そのような意思の許で生きてきたのです)。

「コロナ問題」は、発生当時から、「コロナが問題」なのではなく、「コロナ問題が問題」なのだ、と言い続けてきました。

空気を作り上げ、沿わない人間を排除していく。その巨大スケール・バージョンが、(マスクの必着に象徴される)コロナ騒動です。

すぐ前のブログにも書いたように、香港デモ*を批判(警察の擁護)すると、こんなコメントが返ってくるわけです。

>なんということを言うのでしょうか。正義と自由のために命がけで戦っている若者を誹謗するなんて、この人は人間としての心を持っているのでしょうか?

*ちなみに僕は、数か月間に亘って現場に張り付いて、「正義のアピール」をチェックし続けてきました。膨大な数の写真を撮影しています(それが収納されている修復HDDが戻ってくれば、改めて紹介していきたいと考えています)。何年もの間、香港-深圳間のイミグレーションを行き来しつつ、その都度、往来の実態をチェックし、人数を数えたり、撮影したりしてきました。イミグレでそんなことしてる人は、たぶん他にいないと思います(笑)。

ちなみに、昨日書いたブログの末尾にある、「犯罪→逮捕」の意味は、それを丸ごと括弧で括っての「犯罪」という意味です(「犯罪→逮捕」を「犯罪」と見做す:無意識強調同意の空気に置くことに対しての「犯罪」という認識)。

いや、正義をアピールすることは自由ですよ。誰だって自分が手にした権利は手放したくないでしょうし。多くの香港市民と同じ立場にある日本の民が共感するのも、郁子なきものと思います。

問題は、その行為自体よりも、形成された「空気」ですね。騙されて(洗脳されて)しまう大衆に対しての怖さ。ジョン・レノンの「愛」「自由」「平等」「平和」こそが、正しい、みたいな。

僕は、森会長の失言に対しては、擁護派です(笑)。なぜなら、皆が総攻撃してるからです。発言内容の良し悪しとは別次元の問題です。たとえ許されざるべき発言であったとしても、ネットで人を貶めてはならない。

でも、僕はジョン・レノンをボロクソに言っているわけで、、、それは、皆が彼を正義と見做しているからです。

だからもし、将来ジョン・レノンが集団で叩かれる時が来たら、僕は絶対彼の擁護の側に立ちます(笑)。

観念的な話になってしまいましたが、、、。








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マスク着用は犯罪である Ⅰ

2021-02-06 20:48:10 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




マスク着用は犯罪である、ということを、真面目に書いていきます(一応僕もその犯罪に加担しているわけですが)。
「香港デモ」からの続きです。

「真面目に」「本気に」です。そのことを証明するのは、大変な作業になります。僕の能力では無理だと思います。でも、出来る限りの努力をして取り組みます(僕に出来なくても、誰かが引き継いでくれると思う)。人類の未来のためです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回、中国産のリンドウ科センブリ属180種のチェックをし始めて、ヘツカリンドウの纏めがなかなか完了せず困ったことになってしまった、と記したのですが、センブリ属だけでなく全リンドウ科の500種近くのチェックに踏み込み始めてしまいました。しかたがないので、暫くの間、プラットホームの独り言を続けます。

ひと月ほど前から、生活スタイルが少し変わっています。9時の開店前にスタバに行く、というパターンを廃止しました(スタバ自体、予算の関係を考えれば行く頻度が大幅に減っていますが)。

古いパソコンは、バッテリーが一切機能しなかった。電源に繋げねば、開くことさえできません。そのため、(3つしかない)電源席の確保のため、朝一番に行く必要があったのです。でも友子さんの父上が新しいパソコンを買ってくださって以降は、2時間や3時間はバッテリーだけでも持つ。それで電源をすぐに確保するという必然性は無くなったわけです。

それで、スタバに行く日(通院日を含む週2~3日)も、お昼過ぎまで自室に滞在し、(情報収集などのための)インターネットを使わなくてもいい作業(例えばブログの記事執筆など)を行っています。

スタバに行かない日は、午後3時頃部屋を出ます。マクドの前でWi-Fi電波をチェックし、運よくキャッチ出来れば、その日はマクドです。でも、途中で繋がらなくなってしまう危険性もあります。通常の場合でも1時間に10分ずつ中断するのでイライラしますが、完全に繋がらなくなると、その日(および数日間)はアウトです。

イオンは電波は来てるのですが、開くことが出来ません。永居する客の撃退案なんだろうと諦めています。その点、ジョナサンは確実に繋がる。ただし、最低金額が、ドリンク・バー399円(税別)の注文必須。お茶一杯で439円はちょっと痛いです。フッドを付けると、ドリンク・バーが200円引きの199円。白ごはんとセットで単独ドリンク・バーと同額です。ただし、白ごはんはセットメニューにはならない。そこでご飯抜きの唐揚げ250円を付けます。それで約500円。まあ、何も食べないよりはいいでしょう(昨日銭湯で体重測ったら5kg近く減っていた)。

カフェなどを含む飲食店の営業はどこも8時までなので、早めに帰って、自室での作業を数時間します。睡眠剤を飲むと、5分で熟睡します(昔は一度眠れなくなると睡眠剤を飲んでも全く効き目がなかったのに、不思議です)。

電車に乗るときは、常に車掌さんに声を掛けます(その際はマスクをして)。
>「僕は肺が悪く医師から出来るだけマスクをしないように、と指示されています(“指示”は大袈裟だけれど、あながち出まかせということでもない)、福生に着くまで(他の乗客から離れたところで)マスクを外させてもらいます、あと、窓を少し大きめに開けさせてもらいます」
と、地道に毎回伝え続けています。

実際のところ、昼間は乗客が少なく、ことに最後尾車両には通常数人しか乗っていないので(もっとも、僕がマスク外すことを知ると遠くの席に座ってる人が車両を移ったりする)、時間も僅か9分だし、別にわざわざ車掌さんに告げずにマスク外していても、あるいは着けたままでいても(帰路は混んでるので我慢してマスク着用している)、大した問題ではないのですが、僕なりのパフォーマンスです。

99%の車掌さんは、非常に気持ちよく対応して下さります。「問題ないですよ、わざわざ有難うございます」と。これまで多くの車掌さんと対応してきたので、最近は、僕の顔を見てO.K.サイン出してくれたりします。「マスクに関しては、様々な状況に置かれている人がいるんだ、、、」ということを、一人でも多くの人に知ってもらえるチャンスだと思っています。

道端で、マスクしていない人に出会うと、ほっとしますね。

ちなみに、飲食店の中は大半の人がマスクしてないし、銭湯の中は全員マスクしていない(玄関入って5mほどだけ必着)。なんか変です。

変と言えば、あちこちに置かれている、消毒用アルコールスプレー。あれ何なのでしょうね?大抵の人は片手にしか掛けていないし、効用があるとはとても思わないのですが、、、。本当に重要な場所(電話ボックスとかトイレの中とか)には置かれていないし。

ウイルス伝染は、飛沫と接触、マスクをしてれば飛沫感染は防げる、、、のでしょうか?マスクして大声で会話している(若者に多いですねぇ~)のと、マスクせずに口閉じて黙ってる場合と、どの程度違うのでしょうか?

真面目に考えたら、身の回り中(身体の中も)、有象無象のウイルス(もちろん「コロナ」も)だらけじゃないんでしょうか? 今も昔も将来も。

本気でリスク管理徹底するなら、(三世も言ってたように)マスクじゃなく「防御服」が必要になるんじゃないかと。鴎外みたく、饅頭に熱湯かけて食べることになります(鴎外は本気でやり出したらきりがない事を分かってて、儀式・ルーティンとしてやってたのでしょうけれど)。だからと言って、健康が保たれたり、長生きすることが出来たりとは、限らんでしょうけれどね。

医療崩壊の犯人は、大衆です。大衆のエゴ。それはしばしばマスコミの扇動・洗脳に基づきます。

目の前の事だけしか考えない、自己保身(リスク回避)と「無意識強要同調空気」。

マスク必着社会は、(自らを正義としか考えていない)犯罪者集団の社会です。コミュニティ全員犯罪者なら、犯罪侵さない人間は犯罪者になりかねません。

なぜ、「マスク着用が犯罪」なのか。感情的にではなく、きちんと順を追って(「理論的に」という言葉は好きじゃないので「客観的に」かな?)進めて行きます。

むろん「コロナとは何か」を突き詰めて考えるところから始めねばなりません。

「枠の中」だけで安易に答えを出すのではなく、“本当の意味で”「俯瞰的に捉える」ことです。

僕の頭では不可能でしょうが、概要だけでも形造っておきたいですね。それでも一年ぐらいはかかるでしょうが。

とっかかりは、なんでもいいと思うのですが、これまでの成り行きで、まず「香港デモ」「武漢ウイルス」と「マスク」という「お題」で考えを進めて行きます。

強引に結びつけるつもりはない(その能力もない)ですが、けれど、どちらにしても最終的には結びつくのです。

マスクとは何か?

2つの目的がありますね。

A(鼻や口からネガティブな物質を吸い込まない為の)「防御」
B「顔を隠す」

全く別の事柄のように思えるでしょうが、実はAB根本は同じです。それを知ることが「コロナ問題」の実態を知る事でもあります。

とりあえず、香港デモに於ける「マスク」の存在は、それにピッタリの実例です。

当初は「催涙ガスを吸わないため」の着用推進Aでした。

途中から「顔が知れて逮捕されないため」の着用Bに替わりました。

まあ、これはAB2つの身近な典型例として取り上げただけで、ここから「マスク着用は(形式上ではなく本質的な部分で)犯罪である」という普遍的な話に展開していかねばなりません。

(次回以降に続きます)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

余禄:

日本人を筆頭に、近代文明は、隠すことが好きですね。顔もお金も本性も(そして公式には「民主的な自由」を標榜している)。

それを欧米が追従しだした(隠しときゃ楽ですから)。

その点、隠蔽中国は、トップは隠すけれど、大衆は(賢い日本人と違ってバカなので)隠さない(頭隠して尻隠さず)。だからボロクソに言われる。





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「マスク」と「正論」が好きな日本人

2021-02-06 20:45:53 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



東京は、今日も快晴です。今年に入ってから、僕は(昨日)一度しか銭湯に行ってない(体は毎日洗ってる)のですが、雨は、今年に入って(去年の暮れから)ほとんど降っていない(2回ほどチラっと雪が舞いましたが)。

何回、大雨・大雪注意報が出てたでしたっけ?

気象庁が「今後、線状降雨帯が出現した際は、すぐに発表する」という決意表明をしたそうです。

↑*昨日部屋に帰る前にチェックしたネットニュースについて書こうと思っていたのですが、改めて探すと見つからない、たぶんこんな要旨。

言い換えれば、「責任逃れ」の決意表明ですね。一億総責任逃れ。

↓これも見つけられないでいますが、

大阪の医師が「コロナに対しての危機感をもっと持つ必要がある」とか、改めて強調していました。

むろんその通りなのでしょうが、その通りではないのかも知れん、という考えがあっても良いわけで、、、。

“森辞めろ”の大合唱もそうですけれど、みんな「正論」好きですからねぇ。




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追記3: マスクとワクチンが人類を滅ぼす

2021-02-06 08:29:52 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


 ★2月5日の記事に、いいね!その他ありがとうございました。

 
教育の欺瞞(「洗脳」ですね)。
学問・文化(科学、医学など、あるいは芸術、哲学などを含む)の傲慢・過信。
 
*注:教育は大事だと思うし、科学も文明も素晴らしい事ですよ。それを認めたうえで、、、。
 




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追記2: 森を見て森を見ず

2021-02-06 08:28:30 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



 
茂木健一郎氏 森会長の“女性蔑視発言”に私見「異論を唱えない周囲、日本文化への不信感の方が強い」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
 
僕は以前、この人苦手だったんです。U氏は、僕の意見に対して「茂木さんも似たこと言ってましたね」と返されることが度々あったので、なんかあんまり気分良くなかった。
 
最近、非常に注目しています。
 
>森喜朗さんの発言に対する怒りの気持ちよりも、異論を唱えない周囲の人たち、日本の文化に対する不信感の方が強い。
 
>偏見に満ちた人はたくさんいる。その人がなぜ長年政治家をやり、リーダーに選ばれ、周囲にイエスマンしかいなくなるのか。
 
>『木』よりも『森』の方が、『森』よりも『森』の方が問題だ。
 
この記事を書いた人、記事の読者、茂木氏の“真意”は分かってるのかな?
 
 




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追記1: 女性軽視について

2021-02-06 08:25:31 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



 
女性に生まれたというだけで、謂われなき差別を受ける。悔しい、、、、。男女平等な社会になって欲しい。
 
その気持ちは分かります。
 
でも、女性だからこそ成されることも数多くあります。僕は、そのことに対して、男性の一人として、羨ましい、という思いがあります。
 




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「コロナ」「正義の民」「森会長」

2021-02-05 20:44:12 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


★2月4日の「コロナ」、、、とは余り関係ない話題ですが (一応その項目に含めときます) 2 漱石鴎外 and so onにいいね!他ありがとうございました。



「コロナ」「正義の民」「森会長」

韓国の若い有名女性が自死しています。

写真を見ると、昔僕が知っていた方に面影がそっくりで、、、、辛いです。

記事に、コメントが沢山ついています。
>ネットでの誹謗中傷は、もうやめて欲しい、と。
殆どの方が「そう思う」とクリックしています。

中に、このようなコメントがありました。
>仮に、森会長が、(ネットでの“辞めろ”の大合唱に対して)この方と同じ答えを選んだとしたら、、、。やはり同じ思いを持つのでしょうか?

その意見に対しては、(そうは思わないと)反発の嵐です。

つくづく思います。「正義」は怖いですね。




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「コロナ」、、、とは余り関係ない話題ですが (一応その項目に含めときます) 近況報告

2021-02-05 20:40:34 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



ヘツカリンドウSwertia tashiroiの続き(総纏め/中国産との関連性などについて)を、ほぼ書き終え、ここ数日、今日こそアップしようと思い続けているのですが、最後の詰めに苦戦しています。

よせばいいのに、“中国植物誌*”で、中国大陸産のセンブリ属180種のチェックを始めてしまった。

*書籍版(リンドウ科は1988年刊行)をベースに、随時新見地を加えて行ったネット検索可能な電子版です。

僕なんかの無学の非エリートはお呼びでない、完璧な学術的形式に基づいて、圧倒的な量の情報が整然と詰め込まれた、それはもう素晴らしく、一点のケチも付けようもない国家的事業です。

唯ひとつ、絶望的な欠陥が、、、、、、中身が出鱈目。

気分としては、何百万円する超豪華ケースに、100円のパンティ*一枚しか入ってないみたいな。

と言う事で、その解読に四苦八苦しているのです。とりあえず全部チェックして、一度バラバラにして、一から自分の頭で構成し直さなければ、全体像をきちんと把握できません。かなりの大作業になってしまいます。

*ちなみに僕は100円のパンツを、寝る前に毎日水道水で洗って、カーテンの枠に干して、丸一年近く(2枚を)代わる代わる履いているので、それなりの役には立っている。

そんなわけで、今日も「ヘツカリンドウ纏め」の掲載はパスして、プラットホームでの独り言を続けます。

昨日は、残り財産11円になってしまいました(現金8円貯金3円)。これまでの最低所持金額は確か2円だったと思うので、最貧記録更新はなりませんでした。

今日は、生活保護費(実質約3万5000円)受領日です。今年に入って初めて銭湯に行って、髭も剃ってきました(お風呂に入ってなくても毎日一時間ほどかけてお湯沸かして体拭いているので清潔です)。

数日ぶりにスタバに来ました(ここんところ道端立ちんぼWi-Fi利用)。

「餃子の満州」の餃子6個定食(玄米ご飯小とスープ付き)食べました。

100円ショップで、新しい眼鏡とサンダルとタオルを買いました。

そして先月分の電気代を支払ったのですが、これがメチャ高い(4840円!)。今月分の請求も来ていて、8909円とあります、(来月支払わねばならない)どうしよう、、、、、。

僕は、寒さ暑さに強いので、暖房冷房なんてなくても平気!と常々自慢してるのだけれど、さすがにこの歳になると、冬の寒さは辛い(布団無しで寝ているので)。

それで、昔、三世が買ってくれていた小さな電気ストーブを、一晩中つけ続けています。湯沸かしポットが壊れて使えないので、ストーブの横についている湿潤タンク内の沸騰したお湯を、お茶飲むときや体洗うときに利用しているのです。

一昨年辺りまでは(もとより日本にいることが少なかったし)、毎月の電気代は1000円ぐらいで、2000円を超すことはまずなかった。それが昨年から3000円越えになって、今年はこの悲劇的金額。

ということで、今日一日で入手金の3割ほどが消えてしまいました。残り2万円余で一か月、一日700円の計算。スタバは来るだけで659円かかります(往復の電車賃+ドリップコーヒー)。イオンとマクドナルドのWi-Fiは使えなくなってしまったし(マクドは宝くじ的確率で使える時もある)、やはりジョナサン前の路上で立ちんぼWi-Fi続けるしかないです。

むろん、餃子定食は(月に2~3度ぐらいにして)我慢せねばなりません。

でも、この餃子定食、抜群に美味しいんですよ!いや、日本の誇りだと真面目に思っています。不味い中国の餃子しか食べたことのないモニカやスーリンに食べさせてやりたい。

ジョージにも(次に日本に来たときは)食べさせたいですね。昔、池袋で一緒に食べた「王将」より断然美味しんだから。ウエートレスの女の子も可愛いし、、、。

でも、今後しばらくは、餃子定食は月2~3回に留め、資金が残っているうちに、次の手を考えておかねばなりません(次の手、といっても、もう5年ほど試行錯誤ばかり繰り返して、前に進まぬまま停滞し続けていますが)。

読者の方々、知恵を貸してください。



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「コロナ」、、、とは余り関係ない話題ですが (一応その項目に含めときます) 2 漱石鴎外 and so on

2021-02-04 20:36:36 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




中国四川雲南産の野生シャクナゲの原版写真2500枚を整理し終え、モニカにメールで送信することにしました。丸一日がかりで500枚送信したところで、モニカのパソコンの受け入れキャパシティがオーバーしてしまって、一時ストップ。僕は“纏めて送る”という方法を知らない(何度もトライしたけど失敗ばかり)ため、一枚づつ送っているわけです。

正直のところ、大変な作業です。送信が中断されて、半分“ラッキー”という気もします。それでモニカに“この後どうしよう?”と相談したら、“考えとくLet me think、、、”という返事。それが2月16日です。

その後、昨日まで18日間、返事が来ない。今回新しいアドレスを作成したこともあって、改めて“返事寄こせ”とメールしたのに返事がありません。18日間メール来なかったことが、これまでにあったでしょうか?(喧嘩してた8年前は除いて)10年間、一度もなかったように思う。心配でたまりません。

それで、中国在住の知人K氏に、「モニカにメールで問い合わせておいてください、心配してるので返事寄こせ」と。

速攻で返事来ました。“元気だよ~~I’m fine!”。

そりゃまあ、一日に500枚(それも1枚づつ)写真送ってこられれば、僕だってキレますし。“ウザいなぁ~”ということで、メール寄こさなかったんだと思います。

一般論として、(親兄弟とか友人から)18日間メールがない、というのは、心配すべき事なんでしょうか? 「永い」と思うだけで、普通に考えれば、大した日にちではないのかも知れない(それくらの期間メール来なかったことは、これまでにも何度もあったような気もするし)。

でも心配しだしたら心配でたまらないわけで。どの辺が「心配しなくて良い期間」なのか、そこらへんの「スタンダード」的な感覚が僕には欠けてるのかも知れん、と思った次第であります。

僕みたいな(たぶん常識部分が欠けている)人物に対しては、モニカとかチエちゃんとかあや子さんとかスーリンとかだから、我慢強く接してくれているのであって、ほかの人たちだったら、とっくに見放されてるのかも知れんです。

ということで、僕が理不尽にも多くの人々(世間)から嫌われている(イジメを受ける)のも、なんとなくですが、わかるような気もします。

自分のことは、なかなか正確な評価認知が出来ないんですよね。

もしかすると、僕はバカなんじゃないか?と、度々自問しています。

この間もちょっと書きましたが、IQのこと。一度は測ってみたいですね(どこで、どうすれば測ってくれるのだろう?)。たぶん、すごく低い数字が示されることでしょうから、だとしたらそれなりにショックですね。といって、万が一高ければ(無いです!)それはそれで困りますが、、、。

以前誰かに聞いた、“IQが一段階違ったら互いに話が通じない”というのは、本当にそう思います。

いや、僕がバカである、という、具体的な証拠はあるのです。

僕がやってることは、一応“生物学”の範疇で、ここんところは植物をチェックしているわけですが、例えば植物形態の専門書を読もうとしても、難しくてさっぱり分からんのですよね。これはちょっと落ち込んじゃいます。

野生アジサイについてだけは、きちんと分かります。なぜなら、一から全て、自分で調べたことだから(チョウやセミについてもそうです)。

でも、自分では直接取り組まず、他から「学ぶ」という、という事がまるで出来ないんではないかと。無論、そのこと をポジティブに捉えても良いのかも知れないけれど、現実上はネガティブな面の方がはるかに大きいのは確かです。曲がりなりにも“生物学”に携わっているのに、参考書も読めない、というのでは大変なハンディです。

別の事例からの証明。60年間近く、アメリカン・ポップスを聴き続けているのですけれど、英語が全然ダメですね。とにかく、外国語(むろん中国語も)への対応能力が絶望的にない(early60年’sの曲の歌詞だけは何故か聞き取れるのが不思議ですが)。

ビートルズやディランやモータウンの良さが分からんのも、僕のIQが低いだけなのかも知れません。

芸術の分野で、概ね評価の決まっているもの(例えば絵画だと「ピカソ」とか「マティス」とか)の良さが分からないことが多い。むろん、個人の感性の問題、と考えているわけですが、その“感性”などもIQの支配下に(知能の属性として)成り立っているのではないだろうか、という卑屈な気分が、ふと過ぎったりします。

実は、というか、考えてみれば、日本語の能力も乏しいんですね。パソコン用語が(英語日本語に関わらず)全く理解出来んです。いやもう、落ち込んでしまいます。

大体、小説も読めないものが多い(村上春樹の良さが分からないのは、それを分かる人よりも僕の知能が低いからだと、U氏に指摘された)。

いや、村上春樹ごときはわかんなくても良いのです。正真正銘の名作文学が分からないときがある(シェクスピアもゲーテもトルストイもドフトエフスキーも)。それは困ります。むろん日本語で(、、、それを言語でスラスラ読んでいた坪内逍遥とか内田魯庵とか二葉亭四迷とか明治の文学者は凄いと思う)。

この間「三四郎」に触れたので、ついでに何十年ぶりかに読み返してみました。北杜夫さんも書いてたですね。「この小説は凄い、俺は負けた」みたいなことを。まあ何故か「三四郎」は僕にも分かるのです。IQが低い人間にも分かる、そういう作品です。

それはともかく、明治文学にどっぷり浸っているはずの僕ですが、実は、その時代の主要作品の大半は読んで(読めて)いない。一葉の「たけくらべ」だって正確には読み取れないままでいるし、例えば、逍遥と鴎外の「没理想論争」なんて、余りに難しくて、正直のところ、何を議論しているのか、さっぱり分からない。

現代のも含め、大抵の文学論とかは、何言ってるのか分からんです。なんか、僕などとは別の世界の人たちが、別の言語で語っているように感じる(ちょうど、以前記した、大隅半島辺塚の宿の若奥さん?が地元の人たちと喋ってる言葉がどう考えても日本語であるとは理解できなかったように)。 

分からない、と言えば、鴎外がなぜ“文豪”とされているのか? 彼が頭が良いこと(天才ですね)は認めます。でも、作家・小説家としては、滅茶苦茶へたっぴではないかと思う。なぜ、漱石鴎外が並び称せられるのか? そこんところが、よく理解できません。

僕は個人的には鴎外の大ファンなのですが、それとこれとは別です。作家としての能力は、漱石が100点満点なら、鴎外は0点に近い。それくらい差があると思います。

しかるに、鴎外(の小説)を真面目に評価する人が、少なからずいるんですよね(僕は好きだけれども評価はしない)。

*鴎外の小説が、いかに面白くないか、下手くそであるか、と言うことの実証(というか僕の感想)については、また別の機会にします。

鴎外が可哀そうなくらい漱石を意識していることは、周知の事実です。大体、『技瀁』というパソコンで出てこない言葉で心情暴露している時点で、勝負ありです。

“悔しい、俺負けているかも知れん、といって、どうすりゃいいのか?” で、焦って「青年」書いたのだけれど、「三四郎」とは横綱と序の口ぐらいの絶望的な差がある(僕は個人的には「青年」好きですが)。

その頃鴎外が書いた「団子坂」という掌編は、結構面白いですよ。菊人形の場面(前も言ったけれど、滅茶スリルあります)のアウトテイク・バージョンみたいな。まあ、これは結構出来良いです。

鴎外の方が5つ歳上、それで6つ長生きした。全くの同時代人ですね。ごく近所に住んでいた(歩いて10分もかからない?)。「自然主義」全盛の文学界にあって似たポジションに位置づけられ、互いの弟子たちも頻繁に行き来していた。

なのに「公式」には生涯2度しか会っていないことになっています。それほんとなの?と思います。そのシチュエーションに置かれていれば、普通、もっと会ってても良さそうです。

関川夏央/谷口ジローの「坊ちゃんの時代」連作では、漱石と鴎外が一緒に散歩してたりする場面が度々出てきます。高橋源一郎の「官能小説家」という小説では、(現代に現れた)2人がつるんで悪さ企んでたりします。

ちなみに「官能小説家」は、当初は漱石と鴎外が主人公のはずだったのが、途中で樋口一葉がヒロインとして登場し、最後の方は半井桃水が主人公になってしまうのです。

面白いですよ、この作品。ぜひ読んでみてください。「しょせん才能ない人間は、(芸術的)才能ある人々の世界に入ることは出来ない」みたいなことを言っています。無論、なんらかの暗示が含まれているのでしょうが、その通りかも知れないとも、僕は思います。

まあ、鴎外は漱石を意識し過ぎてるわけですが、漱石のほうでは(建前上は敬意払ってはいても心中では)無視決め込んでいる可能性もありますね。

でも、鴎外のデビュー3部作を、漱石はリアルタイムで真っ先に評価してます。明治20年代の子規と漱石の往復書簡は大半が残されているのだけれど、初期の一部分が欠けている。漱石が鴎外を褒めた、それを子規が怒った。“あんなつまらんのを褒めるのは見損なった”(たぶんそのような遣り取り)。その部分が欠けているのです。

なぜそれが分かるかと言えば、“ごめんごめん、もう褒めない”といった漱石の返事以後の書簡は、ちゃんと残っているから。何で「(鴎外を)褒めた部分(漱石→子規)」と「それを怒った部分(子規→漱石)」だけが欠落しているのか、不思議と言えば不思議です。

その子規も節操がない。数年後、日清戦争勃発時、従軍記者として現地(今の中国大連あたりかな?、、、、ちなみに、今書いてる記事、参考書もネットもチェックせず、覚えてることだけで書きなぐっているので、内容の正否の保証は出来ません)に赴きました。

そこに軍医として鴎外も赴いていることを知って、鴎外宅に押しかけのです。そして帰国までの一週間、毎日訪ねて行って文学論を交わした、と。

鴎外にしてみれば、さぞ迷惑だったろうと思いきや、「子規と交流出来たことが今回の一番の収穫」みたいな事を後で書いています。

子規は、鴎外宅を毎日訪ねたあと、帰国したその足で、子規の故郷の松山で中学教師をしていた漱石宅に転がり込みます。そして漱石宅の一階に数か月居候を決め込み文学論をします。漱石のことも鴎外のことも、(大連でも松山でも)互いに話題に上ったはずです。

ちなみに、子規が東京に戻る際、途中の奈良で読んだ俳句が、
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
その少し前に漱石が詠んだ、
「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」
へのオマージュかな?
*建長寺は鎌倉のお寺で僕はその裏山に住んでました。

その少しあと、東京での子規の句会に漱石鴎外ともに出席して、句を詠みあっています。これはかなり有名な事実ですが 「公式2回」の中には入っていないみたいです。

あと興味深いのは、漱石の弟子の鈴木三重吉が、初めての小説(童話?)集を刊行したときのこと。巻頭に漱石に祝辞を書いてもらいました。三重吉は鴎外にも書いてもらおうと、ダメモトで頼んだら、なんと書いてくれた。

それを知った漱石が怒りました。“祝辞は俺のだけで十分だ、鴎外のは返しに行ってこい”と。三重吉は恐る恐る鴎外に返しに行ったそうです。

特例中の特例として祝辞書いてやったのに、それを押し返しに来た。とんでもなく失礼な行為なのでしょうけれど、鴎外は、「いいよいいよ、分かってる、これは君にあげるから、そのまま持っときな」とにこやかに対応したのだそうな。

「普通なら絶縁出入り禁止となるところなのに、鴎外はなんと心の広い人なんだろう」といったような事を、確か嵐山光三郎氏が書いていました。

思うんですけれど、このシチュエーション、前もって漱石と鴎外の間で、話がついていたのではないでしょうか?

まあ、事実というのは、記録に残されていない限り、本当のことは分からんのです。いや、たとえ残ってはいても、それが「事実」であるとは限らない(「事実」というのは「実態」の属性の一つにしか過ぎないのかも知れない)。

僕なんか、自分の事さえも分からんですし。

二葉亭四迷が亡くなった時、漱石も鴎外も追悼のエッセイを書いています。共に、「大切な友人ではあるが深い交わりは無かった」と言った要旨です。

その交流については、例えば漱石の場合、銭湯で出会って雑談をしたことなどが記されているわけですが、記録上は、その一例に尽きるのですね。けれど、その銭湯の番台の人の「2人(漱石と二葉亭)は、いつも風呂上りに縁側で浴衣のままで話し込んでいた」という想い出話もあったりします。

でも、面白いですね。これもネットコラムである方が指摘していましたが、逍遥が「小説神髄」を書いた(従って二葉亭の「浮雲」の出発点でもある)家から別のところに引っ越したあとに、子規が移り住み、その向かいの家に一葉がいた。半径10数mの間で(互いに無関係のまま)明治の文学がスタートしている。

偶然なのかも知れませんし、必然であるのかも知れません。 

内田魯庵が尾崎紅葉(仲悪かったはずだけれど)から、丸善に「罪と罰」(英訳版)が入荷した、と聞いて、早速買いに行ったら、3冊入荷したうち2冊が売れていた、魯庵は最後の一冊に間に合った、2冊を買ったのは、坪内逍遥と森田思軒であった、という結構有名?な話があります。

明治文学フレークの中野翠さんが、「まるで剣豪の果し合いみたい!」と評しています。言い得て妙ですね。

まあ、これらのことは記録に残っているわけです。記録に残されていない、無数の出来事や邂逅もあったはずです。

素人時代の漱石は、一葉の「たけくらべ」と、広津柳浪の「今戸心中」を褒めていた、という(奥さんら親族による) 記事も見つけました。漱石がデビューしたのは、40歳近くになって、同時代作家の大半が退場してからです。一葉没後10年近く経ってから(柳浪は既に筆を絶っていた)。

先日、その柳浪の「今戸心中」と、緑雨の「油地獄」を久しぶりに読みました(ブログにも記述済み)。一葉を実質世に送り出したのは緑雨です。

緑雨と漱石は同じ朝日新聞の社員でした。緑雨は、桃水(8歳上)とは、リアルタイム(明治20年代初頭)での同僚です。漱石とも(従って二葉亭とも)一応は同僚ですが、時代は大きくずれます。実質一つ歳上の漱石の方が20年ほど後からの在籍です。

桃水の(文学史的な価値は皆無とされる通俗的な)小説は、漱石逝去が新聞の一面に大々的なニュースとして取り上げられた日(大正5年末)にも、三面に連載が淡々と載り続けていたそうです。

そういえば、それよりもずっと前、子規は、漱石が大作家になったことを知らないまま亡くなったのですね。なんか、感慨深いものがあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・

斎藤緑雨関係の話題を(随分とおこがましいのですが、今の「嫌われもの僕」と照らし合わせて考えてみようと思って)書き始めたのですけれど、なかなか緑雨まで辿り着けないまま、プラットホームでの独り言に終始してしまいました。

緑雨の話題は、またの機会に。
(自然科学のコーナーで、こんな話していて良いのでしょうか、、、よくないですね)



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「コロナ」

2021-02-03 20:22:36 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




ヤフーのトップニュースは、「コロナ死者数6000人を超す」。

素直な疑問ですが、、、この数字は、

「いわゆるコロナ」が直接の原因で死んだ人の数字でしょうか?

それとも

亡くなった方のうちこれだけの数が「いわゆるコロナ」にもかかっていた、ということなんでしょうか?

昔に遡り、死亡者数に占める(それぞれの時代の)ウイルスとの関りは、どの程度証明できるのでしょうか?

6000人超の94%が60歳以上ですね。老人はコロナがなくても死にます。茶化しているわけではありません。僕自身が70歳代半ばの、当事者です。

ゴートゥもオリンピックも経済復活も、まるで関心ないです(どっちでもいい)。

やれマスク着用必須、ワクチン作成を待望して我慢しよう、、、、そういう問題じゃないような気がします。

目の前のリスク回避と既得権保守だけで事態が進んでいるように、思えてなりません(いつかの戦争の時の、鬼畜米兵、欲しがりません勝つまでは、、、みたく)。



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「コロナ」、、、とは余り関係ない話題ですが (一応その項目に含めときます) 1 スー・チーさん

2021-02-03 20:17:54 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


★2月2日の記事に、いいね!応援、ありがとうございました。


いろいろと、やんなきゃいけないことがあるので、とりあえず短いのをひとつ。

ミャンマー(ビルマ)が、ざわついているようですね。ネットコラムに、アウン・サン・スー・チーさんの話題が取り上げられていました。

このお婆さん(僕より年上なので、おばあちゃんと言っておきます、悪気はないです)、なぜか日本の大衆には、すごく評判悪いみたいですね。外見が、うさん臭さ満載です。もちろん、本当のところは知りません。

僕にとっては、こういう人です。10数年前、半年近くミャンマーで仕事をしたことがあります。蝶の博物館設立のため、膨大な(何万頭もの)標本を同定する作業です。

ミャンマー最奥部のカチン州を中心とした山岳地帯は、世界でも類を見ない、多様で独自で複雑な生物相を持っています。「多様」「独自」「複雑」ということでは、僕の中国でのメインフィールドである、中国雲南省最奥部の梅里雪山と双璧を成す、と言ってよいでしょう。

実は、この両地域は、数10㎞しか離れていません。なのに、ファウナ(の種構成)が全く異なる。非常に興味深いのだけれど、その話を始めてしまうと、「パンドラの箱」を開けちゃうわけで、ここでストップ!

ミャンマー滞在中は、僕の人生で一度だけのVIP待遇でした。そのスタート時、これだけは守ってください、と強く言い渡されたことがあります。“「アウン・サン・スー・チー」の名は、絶対に口を出してはいけない”。僕の現地部下の一人に、アウン君という名の大学生がいて、「アウン」までは何度も口にしたのですが、言いつけを守ってその先は一度も発していません。許より僕は、政治のことはさっぱり分からないので、口にしようもありませんが。

ということで、スー・チー氏に対しては、その事と、(たぶん)なぜか日本では評判の悪いおばあちゃん、、、ぐらいの知識しかないのです。

DK氏は、一応知人です(会ったことがある程度の)。「現代ビジネス」に関りの深い、高名な中国/東アジア問題のジャーナリストで、そりゃもう、僕などとは天と地ほどの立場上の差があります。

唐突な話を差し挟みますが、先日、元横綱の栃ノ海が86才で逝去しました。そのニュースに、僕もコメントを入れておきました。
>僕が子供の頃、有馬温泉に行ったときに、隣の湯舟に浸かっていました。
僕は大関北葉山のファンだったので、憎たらしい存在でした。同時代の柏鵬や佐田の山に隠れて目立たなかったですが、強かったですよ!
横綱:大鵬、柏戸、佐田の山、栃ノ海、大関:豊山、北葉山、栃光、、、、。今と比べちゃいかんということは分かっていますが、、、、。
*僕のコメントにしては珍しく「そう思う」が多数来ました。

僕にとっては「敵方」なのですが、同時に「身内」的親愛の情があります。

話したことなどなくても、会ったことがある(遠くから見ただけとか)有名人。

え~と、いくつか思い出すと、
▲筑紫哲也/渋谷の交差点でタクシーを拾っていた(なかなか捕まらなくてイライラしてた)。
▲ラモス瑠偉/神宮前の道端の僕の対面のところに立って訳の分からないことをわめいていた。
▲巨人のガルベス/東京青山のちっちゃな食堂の隣のテーブルで一人で黙々と食事していた。
▲阪神のアルトマン/ぼろ負けした日、甲子園~三宮間の阪神電車の同じ車両に乗り合わせた。

みんな、ちらっと眺めただけですが、何かわけもなくシンパシーを感じてしまいます。

そんなわけで、DK氏も、一応顔見知りです。たぶん、だからだと思います、大抵の中国関連ジャーナリストとかの記事には、何らかの反発を覚えるのですが、彼の書く記事に関しては、わけもなく素直に読んでいるところがあります。

で、気になって目を通したわけです。スー・チーさんを支持してるのか、批判しているのか、たぶん後者なんでしょうけれど、ならば、どのような視点から批判しているのか、(僕としては珍しく)「勉強しておこう」という思いで、読み始めました。

DK氏は、スー・チー女史と9年前にレストランで一緒に食事をしたそうなんですが、
>メイン料理には手を付けず、デザートのシャーベットを、女学生のように、嬉々として食べていた。
>1980年代の感覚のまま取り残されて、現代の社会の発展に即した考えが全くできていない。政治に必要な「改革」能力の欠如。

え? そこですか?
“昔の考えのままじゃイカン”と言う事ですか?

いや、もちろん、物事をどん欲に探っていく姿勢は大事だと思います。僕は「改革」大好きです。でも、本当に改革を行う気があれば、突き抜けなくてはなりません。「前進」だけが改革ではない、と思います。少々乱暴な表現になるかと思いますが、「改革」のキモは、新たに「確立」することにあるのではなく、「破壊」することにこそある。その結果、場合によっては「後退」してしまっても、良いのではないかと思っています。

多くの賢者たちは、「前進」しているようで、どこかに都合のいい着地点(結論)を見出して、無意識のうちにそこに安住してしまっている。

中途半端な、教養や洗脳で成された金太郎飴的な「少数派標榜多数派正論」よりも、時代に取り残された女学生の心(思考力)の単純さのほうが、まだ価値があるように、僕には思えます。

僕自身のことで言えば、1964年1月、15歳の時点から「進歩」が止まっている、と自覚しています。ビートルズが登場し、ジョニー・ティロットソンら旧勢力が一斉駆逐され、(今に続く)カウンター・カルチャーが始まった、「時代の分岐点」。ひと月半前のケネディ暗殺。秋に東京オリンピック開催。

その時から、僕の時間が止まっています。意識して停めてるんじゃなくて、たぶん次の一手が分からなくて、未だ暗中模索。そのとき、空気に乗っかれなかった(乗っからなかった)から、今も乗っかれないのだろうと思います。たぶん、それを“バカ”と、あるいは“自分勝手な人間”と、見做されてしまうのでしょうね。

話を戻します。DK氏の趣旨は、

>私は、以上のような経緯(略)から、「スー・チー女史=民主化を進める正義の味方」、「軍=独裁に固執する悪の存在」という単純な図式には与しない。もちろん、今回軍が起こしたクーデター劇を正当化するものではないが、アウン・サン・スー・チーという政治家の力不足が、根本的な原因としてあったのではないか。

つまるところ、スー・チーさんには政治家としての手腕がない、そのような人間が政治にかかわるからおかしいことになる(民主化の旗手だったはずが、いつの間にか権力の側についている)、とういことを言っているのではないかと思われます。スー・チーさんの人柄まで批判しているわけではなさそうです(さすが僕の“知人”、決して一つの方向にだけ決めつけたりしません)。

「お嬢さん」スー・チー氏は、深く対象を捉えぬままに「民主化」に足を踏み入れた。そのあげく、自分が権力の座についてしまうことで、結果として「独裁固執」の側に回った。

「スー・チー女史=民主化を進める正義の味方」
「軍=独裁に固執する悪の存在」
という単純な図式ではない、
というのはその通りだと思うのですが、ただ、僕がなぜこの記事に反応したか、というのは、別の(異なる次元の)部分にあるのです。

「民主化」「独裁固執」というのは、言葉の響きの中からは、確かに「善」と「悪」に別れます。しかし、そのことと実態は別です。
>民主化を進めること=正義
>独裁に固執する=悪
と、果たしていえるのでしょうか?
ということ。
それ以前の次元で考えて(光の当てる方向を変えて)みれば、また異なる結論が導きだされるのではないでしょうか?

ミャンマー滞在中に、ロヒンギャ出身の文化人たちと交流したことがあります。政治のことは全然わからんですが、とても感じのいい人たちでした。あの時、もっと積極的に交流を続けていればよかった、と今になって思います。

全く無関係の話ですが。

ロヒンギャ地方の南の沖のインド洋に浮かぶのが、アンダマン諸島。距離的には圧倒的にミャンマーに近いのですが、インド領です。

ここの生物相は、メチャ面白い。一言で言えば、日本列島から続く「東アジア」の西端と見做すことも出来ます。

あぶないあぶない(「箱」開けちゃうとヤバい!)。その話に突入するのはやめましょう(説明に一年ぐらいかかる)。

この諸島の島の一つに、世界でも最も「未開」すなわち「遅れた文化」の民族が住むとされる、北センチネル島があります。

対外的交渉を一切拒絶し続けて今に至っている(それこそ、外から誰かが入ってきたら、持ち込まれた何らかのウイルスで即滅亡してしまう可能性もあります)。

以前、キリストの信者が、彼らを「救おう」と、文明世界に導こうと、単身上陸して、殺されちゃった事件がありましたね。

そのニュースのコラムに、多くのコメントが寄せられていました。

>政府が何とかして文明化に力を尽くすようにしないと。
これが多数派意見。

>おせっかいはよして、このままそっとしておいてあげたら?
といった意見も幾らかはありました。

下の意見に対しては、
>でも、彼らは“アイ・ホーン”も知らないんでしょう?それは可哀そうじゃないですか?

あはは、僕も同類ですね。僕だったら、彼らと仲良く出来る、、、、、かも知れません。




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中国のリンドウ(竜胆Gentiana)のこと Ⅵ ヘツカリンドウの写真(花の拡大)③ 【沖縄本島中部/奄美大島産】

2021-02-02 20:37:10 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




沖縄本島(中部)石川岳産


4a:2010.12.18


4b:2010.12.18


4c:2010.12.18


4d:2010.12.18

奄美大島産


5a:2008.1.1 名瀬おがみ山


5b:2008.1.1 名瀬おがみ山


5c:2008.1.1 名瀬おがみ山


5d:2008.1.1 名瀬おがみ山


5e:2008.1.3 名瀬おがみ山


5f:2008.1.3 名瀬おがみ山


5g:2008.1.3 名瀬おがみ山


5h:2008.1.3 名瀬おがみ山


5i:2008.1.3 名瀬おがみ山


5j:2008.1.3 名瀬おがみ山


5k:2008.1.3 名瀬おがみ山


5l:2008.1.3 名瀬おがみ山


5m:2008.1.11 名瀬郊外


5n:2008.1.11 名瀬郊外


5o:2008.1.11 名瀬郊外



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中国のリンドウ(竜胆Gentiana)のこと Ⅴ ヘツカリンドウの写真(花の拡大)② 【沖縄本島北部産】

2021-02-02 12:39:31 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


★2月1日のブログに、いいね!応援、等ありがとうございました。

沖縄本島(北部)与那覇岳産


3a 2010.12.26山頂付近


3b 2010.12.26山頂付近


3c 2011.1.8森林公園周辺


3d 2011.1.8森林公園周辺


3e 2010.12.26山頂付近


3f 2010.12.26山頂付近


3g 2010.12.27森林公園周辺


3h 2011.1.8森林公園周辺


3i 2010.12.27森林公園周辺


3j 2011.1.8森林公園周辺


3k 2011.1.8森林公園周辺


3l 2010.12.27森林公園周辺


3m 2010.12.27森林公園周辺


3n 2011.1.8森林公園周辺


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3p 2010.12.27森林公園周辺


3q 2010.12.27森林公園周辺


3r 2011.1.8森林公園周辺


3s 2010.12.27森林公園周辺


3t 2010.12.27森林公園周辺


3u 2011.1.8森林公園周辺


3v 2011.1.8森林公園周辺


3w 2011.1.8森林公園周辺


3x 2010.12.27森林公園周辺


3y 2010.12.27森林公園周辺





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「コロナとマスクと日本の民主主義社会」の断片 Ⅳ

2021-02-01 20:20:13 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



前々回記した女子マラソン(ポルトガル*のレジェント)モタ選手の話題を改めて紹介しておきます。


*前回「イタリア」と記したのは間違い、訂正しておきます。

マラソン元女王ロザ・モタが大阪国際女子「川内PM起用」に苦言 日本の将来も憂う(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース


繰り返し書くけれど、僕は川内選手のファンで、彼の頑張りや配慮は素敵だと思う。頑張った2人の若い女子ランナーも手放しで褒めてあげたいと思います。

でも、モタさんの発した、「女子マラソン界の将来を考えれば、憂慮する事」。この言葉の持つ意味は、大きいと思いますよ。

僕が、何を示唆しようとしているのか、分かりますか?

なぜ「自然科学」のコーナーで、この記事を書いているのか、、、。 

「目標達成のためにはどんな努力でもしよう」ということと、「そのためには(法を破らぬ限り/常識の範囲の中では)どんなことをしても良い」というのは、微妙に異なります。

(ちなみに「今を頑張って生きる」事と、「今さえ良ければ」という事も、意味が違うと思う)。

例えが古すぎますが、武士の(あるいは人類としての)矜持、のようなものを、忘れたくはない。

皆が病気などに罹らず、出来れば長生きしよう。戦争などせずに、皆が幸せに平等に平和になろう。そのためには、人類の社会から、人々の間の軋轢をなくし、人類に対する脅威を取り除こう。

正論です。と同時に間違っていると思う。

昨日、非常に気になる、あえて言いますが腹立たしい気持ちになる、というか哀しくなる(僕はどうやらこの言葉が好きみたいで最近やたらと多用してる、笑)コラム記事を読みました。

【URL貼り付け予定】←記事が(一部コピーしたあと)見つからなくなってしまったので、保留。

青沼陽一郎氏。かなり有名なジャーナリストです。

彼の意見は「正論」には違いありません。

少し長い記事なので、僕なりに意訳すると、こんな辺りかな?と思います。

>コロナの脅威は、実際に存在する、かつ科学で実証されている事実である。
>多くの人々が、脅威からの脱出に向けて必死の努力をしている。
>しかし、それらの状況に背を向けて、荒唐無稽な陰謀論や終末論を展開したり、マスク拒否を主張したりする人々がいる。
>コロナの問題を、自分たちに直結した危機と捉えずに、マスコミと政治の責任にすり替える、「妄想」に囚われた人々である。
>私(注:青沼氏)は、そのような、(体系に沿って物事を考えられない、限られた妄想の中に浸る)人は、ごく一部の存在と思っていた。
>しかし、いつの間にか、その勢力が大幅に広がってきた。
>これは非常に恐ろしい憂慮すべき事態である。
>その人々(*いちいち読んではいないでしょうが、たぶん僕=青山もその一人に入るでしょうね)に、この事態を俯瞰的にと捉え、冷静に向き合ってもらうよう、切に願う。

青沼氏の気持ちも、分かります。

しかし、
>自分が物事を俯瞰的に、冷静さを持って眺められているのか、著者(注:青沼氏自身)も含め、改めて確認する必要があるだろう。
と彼は書いています。
まさにそういう事だと思う。

「著者も含め」と仰っているわけですが、彼は果たして俯瞰的に捉えていることが出来ているのか?
彼自身が「俯瞰的」にと思っている対象認識は、本当に俯瞰的と言えるのか?
「体系」に囚われて、空気に取り込まれていないか?

僕は、「俯瞰的に見渡すことの大事さ」を常に唱えているわけですが、どうやら青沼氏の認識する俯瞰対象と、僕の認識するそれとは、異なった次元にあるように思えます。

青沼氏から見れば、僕は余りに無知で、まさに「有害無実」の輩でしょう(でも、無知だから見えてくるものもある)。

目の前の(実証されているとされる)事象だけを見渡すのではなく、(実証されていないことも含めた)人類・地球をトータルで見渡したい、、、むろん、その僕の想いもまた、「枠の中」での「俯瞰性」に過ぎないかもしれません。常に改めて確認する必要があるでしょう。

でも青沼氏よりは「俯瞰的」に(一回り広い次元で)周りが見えているとは思いますよ。そう自負しています(と言っても、「氏と比べれば」というだけで、大したところには到達していませんが)。

三世がこの間メールで言ってきたこと。
>突き詰めて物事を考えようとする人が排除される世界。
共有の同調空気の「枠」の中でしか、事象を解釈できない哀しさ。

「それでいいのだ(赤塚先生)」とか、「なんちゃって」とか、「知らんけど」、、、とか言った流行ことば、僕は結構好きですよ。でもそれは、一方に「突き詰めて考える」姿勢があってこそ、生きてくるのです。全ての事象において言えるのですが(僕の場合は昆虫や植物の分類体系)、「結論」を「それで良し」と、「動かざる定説」化する姿勢は、僕は嫌いです。

実証が全て、教育・知識が尊い、科学・医学への絶対的信仰、、、、そのような空気には、僕は馴染めません。

例えば、大槻さんという方がいましたね(今も健在?)。なんとかさんという超能力を持ったオバサンと対決していた科学者タレント。本来僕は、モロ大槻さん支持派で、真っ向から超常現象を否定し続ける姿勢に爽快さを感じていました(今もそう感じている)。

しかし、それと同時に、違うんじゃないか、という想いもあります(下世話な捉え方をすれば、当初彼の考えは、大衆の中では少数派にあったのだけれど、マスコミを伴った努力の結果、今は多数派に属している、ということに対する違和感)。

実証、検証、体系的証明、それが全てだと、僕は思いません。

実証というなら、人は皆死ぬわけですね。

死に至る要因は、様々なきっかけの重層的構造を成しているはずです。いわゆる「コロナ」がバイアスの一つになることはあり得ても、それ単独で為されるものではないはずです(「はず」という仮定の話をしちゃいかん、と言われるわけですが、でも「そうである」という最終結論も仮定に過ぎません)。

様々なウイルスが、過去も現在も将来も存在します。

人間の死去に際押して、ウイルスがバイアスを成すことは、これまでには無かったのでしょうか?
10年100年に亘って、亡くなった方々の「死因」の全てをリチェックしていけば、どのような結果が導かれるのか?

実証、というならば、今回のコロナによる「感染」や「死亡」に至るバイアスと、これまでの「それ」とが、基本的な部分で、どのように異なるのか? それを実証して欲しいですね。

僕のことを書きます(これまでに何度も書いてきたこと)。それはもう、圧倒的に、いろんな意味で、最悪の状況下にあります。いわゆるコロナに関わる、あらゆるネガティブな症状が、滅茶ヘビーに表れています。

もう何度も書いてきたことですが、僕は、何年も前から、原因不明の高熱とか腹痛とか吐き気とかで、中国の医者で診察を受けた際、大抵こんな風に言われます。
>あなたのそれは、たぶん未知のウイルスに罹ってるからですね。
>といって、どうにもしようがありません。
>充分休養とって、栄養つけておいてください。
そういうことだと思うんですけれど。

コロナとは何か?
コロナ問題を、本当に問題視するつもりなら、目の前の事象だけでなく、もっと突き詰めて考えるべきではないでしょうか?

我々、とか人類、とかにとってのレベルだけに視点を当てるのは、違うんじゃないでしょうか?

僕は人類の一員だからこそ、人類の未来のために、もっと俯瞰的に事象を見渡して行きたい。

*別の話になるけれど、僕は日本を愛する日本人だからこそ、嫌韓嫌中の愛国者たちに非国民と罵られようが、日本の欠点を指摘していきたい(韓中の滅茶苦茶さ醜さを身をもって知っているからこそ、自分の知っている韓中の長所も伝えて行きたい)。 

いわゆるコロナ感染の脅威は、飛沫だけではなく、至る所に存在します。ドアのノブ、スーパーのかご、、、、歯磨きが危ない、という意見もあります。全てのリスクから逃れ、敵をやっつける。まあ、人造人間(ロボット)になるのですね。

それも一つの方向性の選択だとは思います。

「至る所に脅威」は、何も今に始まったことではありません。衛生学の専門家でもある森鴎外は、そこいらじゅうに黴菌が見えて、例えば饅頭にお湯をかけて食べていたとか、の伝説(一応事実ですけど)があります。

リスク管理、ということで言えば、未開人(ニューギニア高地人とか、アンダマン諸島の某民族とか、アマゾン奥地の原住民とか)は、文明との接触を避ける。そういうことでしょう。

文明の成立に伴う副作用は避けられないのです。そして、運が悪ければウイルスに罹って(それが一要因となって)死ぬ。

さっきも言ったように、健康面に照らして、僕は最悪の滅茶苦茶な環境下で生きてきました。そして、長い間体調が悪い。もうずっと前から、誤嚥性肺炎とかの恐怖の許に晒され続けています。でも、そろそろ後期高齢者に差し掛かるわけですが、不思議とまだ生きている。いろんな検査しても、何処も悪いところが見つからない(背骨はひん曲がっているそうだけれど)。

仮に僕がコロナに感染して消えてしまったとしても、それはコロナのせいではありません。トータルとしての病気です。

運が悪ければ、と上に書いたけれど、運の良し悪しとは、別の話かも知れませんね。そもそも、何をもって「良」「悪」とするのか。

生と死。
健康と病気。
正常と異常。
正義と悪。

個と他。
過去と未来。

時間は存在するのか。
宇宙は実在するのか。
自分は存在するのか。

体系的に物事を捉えることの出来る(たぶんIQの高い)エリートたちには、(哲学とか科学とかで)その答えが出せるんでしょうけれど。彼らに敬意は表するけれど、尊敬はしません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日書こうと思ってた事のメモをチェックしたら、まだ残ってました。相変わらず支離滅裂ですが、そのまま書き記しておきます。

力への懐疑、権力への懐疑(無意識のおこぼれを権力から貰いつつ権力を批判する大衆*、どっちが先なのか知らんけど、常にキャッチボール)と大衆への懐疑。*このことについては、確か辺見庸さんも言ってた気がする。

科学への懐疑。科学とは、矛盾混沌を整理して、体系(方法論)に基づいて、人類にとって役立つ「何か」を導き出すことですね。あくまで大基は「矛盾混沌」です。

矛盾で構成された巨大(←このような言葉で表せる次元ではない)な混沌の中から、科学は、その幾らかの断片を拾って(見つけて)、体系に沿って、教育で培った知識と方法論を駆使して、新たな(人類にとって有益な)現象を作り上げる。

人類は、ますます頭が良くなって、無尽蔵の矛盾・混沌の中から様々な“科学”を導き出すことで、今後、急速に、計り知れない発展を遂げるのでしょう。

しかし、体系的な科学の結果を求めることのみに終始するのは、本来の矛盾混沌とは、対極の世界にあります。努力をすることは大切だと思います。しかし、矛盾混沌を忘れ去り、齎された結果だけを良しとする姿勢は、科学「的」ではあっても、真の科学ではないと、僕は思うのです。

科学の持つ「力の凄さ」と「力の無さ」を、同時に認めなければならない(多くの科学者自身は案外そのような姿勢でいるような気がする、、、でも、追従し、活用する“大衆”が、そうでないのです)。

・・・・・・・・・・

僕の立場を繰り返し記しておきます。「マスク反対論者」ということで、誤解を招くと困るので。ゴーツー再開にも五輪開催にも賛同していません(特に反対というわけでもないですが)。経済なんて、この際、破綻して欲しい、と思っています。

取得権の保守への懐疑という僕の採る姿勢は、民主主義の正義の民から見れば、有害無実以外の何物でもないでしょう。

「自由」も「民主」も、それ自体は良きことだと思っています。「自由民主」という、安易な組み合わせ(詐欺ですよ)が、胡散臭いのです。まだ「立憲民主」のほうが、言葉としては、つじつまが合っている。いっそのこと「共産民主」はどうかと(笑)。

僕は、「武漢ウイルス」は「香港デモ」から直結していると考えているわけですが、それを「陰謀論」と取られるなら、それでもいいです。強引に結びつける気はありません。

「香港デモ」(マスクの話題も含みます) に対しては、長い間現場にへばりついて、色眼鏡(感情バイアスやイデオロギー)抜きで、直視してきました。

ただただ「正義」を叫び続ける若者たちを、(「取得権の保守のアピール」と)批判的に捉えてきました。

その僕の記事に対し、

>なんてことを言うのでしょうか、命を懸けて、正義のために戦っている学生たちを誹謗するなんて、あなたは人間としての心を持っているのですか?

といったコメントを、いくつか頂きました。

そう、あなたよりは、持っていると思いますよ、「人間」としての心を。取得権の空気に(自分たちは皆そうだから、それを正義の基準として)安住し、無意識のうちに「強制同調空気」を求めている(他を排除する)、あなたたちよりは。

追記:

僕の尊敬する西丸震哉氏(1923~2012、食生態学者・探検家)の事を、(ゴキブリの話題に関連して)このあいだ三世に話しましたね。

彼は「今の若者」の寿命は平均41歳説、を唱えていました。結果は外れたわけで、「非科学的」と集中批判を浴びました。

まあ、科学の恩恵で寿命を伸ばしてるんで、時期がちょっとずれたけど、将来当たる可能性大有りです。それとも「永遠の命」に辿り着くのかな?

似たようなものです。

個人個人は「永遠の命」を得ても、(それでもって)人類は滅びる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで、また、痴呆老人のプラットホームでの繰り言(そのたびに電車に乗り損ねちゃう)を始めました。それよりも、早く「リンドウ」(あと数十回続きそう)を終わらせて、モンシロチョウとかツクツクボウシとか野生レタスとかの(僕の守備範囲の分野の)話に移りたいのだけれど、これじゃいつになるのか見当もつきません。ジョニー・ティロットソンもまだまだ残ってるし、漱石鴎外とかも、、、、。

我ながら情けなくなってきます。もし、読んでくださった読者がいるとすれば、申し訳ない想いでいっぱいです。次回は、もう少し真面な話を書こうと思っています(反省ばかりして、なかなか実行できない、、、これは確信犯的な姿勢ではないのか、と、またまた反省自問している次第です)。




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「コロナとマスクと日本の民主主義社会」の断片 Ⅲ

2021-02-01 12:52:04 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


★ 1月31日の記事に、いいね!をいただきました。ありがとうございます。

「コロナとマスクと日本の民主主義社会」の断片 Ⅲ
 
U氏は僕に、村上春樹さんの作品の素晴らしさ(彼の書く寓話の中に、物事の本質が示唆されている、分かる人にはそれが分かる)を、滔々と説きます。青山さんが書くものなどとは、次元の異なる素晴らしさであると(そりゃそうだ)。まあ、いかに僕の能力がないか、ということを言いたいのでしょうが、僕は村上春樹氏の作品の良さが、ちっともわ
からない(同じ年齢同郷なのでシンパシーは感じていますが)。
 
ビーチ・ボーイズに対する見解とかも。“選良的”「ビーチ・ボーイズ」ファン共通の“正論”。
 
“ローリング・ストーンズ誌”的カウンター・カルチャー。
 
*注:誤解されると困るので一言。僕はThe Beach BoysもThe Rolling Stonesも大好きです!(Beatlesは嫌いだけれど)。
 
僕から見れば、金太郎飴的に“俗を否定する”こと(いわゆる少数派意見)が、結果として“俗”(選良多数派の意見)になっている。
 
某音楽評論家の「ビーチ・ボーイズ全曲解説」。正直、腹を抱えるほど面白いのですが(愛読してます!)、「ブライアンがいかに素晴らしい感性を持つ芸術家(天才!)で、無垢で、正義」という手放しの称賛を延々と唱え続け、マイクがいかにくだらない凡才で、俗で、無能で、悪質ゆえ、邪魔な存在である」と、これでもか、と繰り返す(まあ、一応は分かりますけれどね、笑)。
 
ここまでくれば、パワハラそのものですね。マイク・ラブは(一応“超”のつく)有名人ですから、別に日本の作家や評論家ごときに何書かれても微塵も影響はないだろうけれど、これが一般人だったら(露骨な苛めに)首括ってるかも知れない、、、。
 
次の一節を引用しておきます(「Everyone’s in love with you」という曲について)。
 
>あのマイクが名曲を書いた。
>書いた人物がジョン・レノンであり、歌っていた人物もジョン・レノンだったとしたら、いまごろ≪イマジン≫に代わって世界中で歌われ、愛されていたかも知れない。
>だが、この見事なまでの深みの欠如は、マイクという人間の“なにか”を痛感させる。
 
そうですか、ジョン・レノンは“深い”わけですね。僕の見立ては「自分では“少数派”だと思っている大衆に対しての深い共感(洗脳)力」。
 
今の世の中の“空気”の形成様式の、全てを表しているように思えます。
 
 
 


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