青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

読者の方々へのお願い 2012.3.2

2012-03-02 09:14:30 | 朝と夜、その他


読者の方々の中に、メデイアそのほかへの、何らかの形での橋渡しをして頂ける方があればと、願っています(詳細は、2012.2.29~3.1の記事をご覧ください)。

【Ⅰ】海の向こうの兄妹たち~中国動植物探索紀行
第1部第1章  菜花黄彩Flower Terrace/“菜の花”は実質的な「中国国花」



2008年2月17日の雲南省羅平の菜の花畑の写真の一部を紹介しておきます。

詳しくは、 (クリック)を参照して下さい。




以下2012年2~3月の追加撮影分を紹介して行きます。


上左は2008年2月17日。他は2012年2月21日。年によって開花盛期が大きく異なり、今年はだいぶ遅れているようです。また、この数年間の間に、急速に観光地化が進み、僕が最初に訪れた2003年には菜の花畑以外にはまだほとんど何も見当たらなかったのが、2008年度には写真上左のような観光馬車がちらほら、そして現在は、ちらほらどころか、何十台もの馬車(牛車)がたむろして、畑の中には出店が立ち並んでいます。


左:普通の茹卵の5倍ほどの大きさ、値段も5倍で5元(60円強)です。今の僕には食べきれません。味は普通の卵と同じ。
右:サパの「竹筒飯」より一回り小さな「竹葉飯」。お米の粒が大きく、味もとても良かった。1元(約13円)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

メインの菜の花畑の景観は、それはもうダイナミックで素晴らしいのだけれど、余りに観光地化され過ぎてしまっているのと、今年は開花が遅れているので、今回はパス。この辺りにはほかにも沢山の菜の花畑が広がっています。昆明からの高速バスを羅平の手前で乗り捨てて、(僕自身のリハビリテーションを兼ねて?)散策してみることにしました。



昆明から東へ、高速バスや列車で3~4時間の当たりに菜の花畑が広がっています。



バスを適当に乗り捨てて、様々な意匠の菜の花畑を撮影しましょう。




台地の上に登ってみました。



眼下に広がる菜の花の谷。広角レンズを持っていないのがなんとも残念です。



崖のてっぺんでしばし休憩。気持ちのいい風!室内蟄居よりずっと健康的です。谷に降りてみましょう。



谷の下から崖の上を見上げます。




水牛を連れたお姉さんに出会いました。実はすごい美人です!



更に先の台地を超えると、その向こうにも菜の花の棚田が。でも残念ながら陽が傾いて来ました。



今日は近くの町に宿泊し、明日またチャレンジすることに。





昨日散策した丘の反対側に見えた菜の花畑へ向かいます。


 
まだ朝露をたっぷり含んだ菜の花畑の中を登って行きます。登り口を振り返ってみました。


 
一つ隣の谷を横切って、更に昨日とは反対方向に進んで行きます。





遥か向こうの山腹に、黄と白の長方形が見える。菜の花畑と並んだ大根畑です。行ってみましょう。


 
途中にもところどころ大根の花が。山腹に見える大根畑は、まだ遥か遠く。いくつもの菜の花畑を請えて進みます。



 
何か所も深い谷を越えて行かねばなりません。リハビリ(?)の散策としてはハードすぎる!




 
途中にもちらほら大根が。色を別とすれば、花の形は菜の花とそっくりです。


 
整然と生えている菜の花と、雑然とした雰囲気の大根は対照的。


 
最後に急坂の山腹をよじ登って、、、もう一息で、大根&菜の花の、白と黄の畑。




モンシロチョウPieris(Artogeia)rapae



エゾスジグロチョウPieris(Artogeia)napi[=広義]左:♂、右:♀




チョウセンシロチョウPontia fabricius

菜の花畑にいたシロチョウ類。場所によって、微妙に勢力が異なります。羅平(九龍の裏の畑)では、チョウセンシロチョウが最大勢力。菜の花よりも大根の花に執着を示していました。次いでエゾスジグロチョウとモンシロチョウ。師宗~羅平間の菜の花畑では、大根との混交地に多く見られたのがエゾスジグロチョウ。モンシロチョウは、畑の近くの水泥地に多数(7~8頭)の個体が吸水に集まっているのを確認。いずれの種も、花を訪れることは少なく、畑の中の菜の花や大根の根本近くの地面上に止まっているのを多く観察しました。なお、最普通種のタイワンモンシロチョウPieris(Artogeia)canidia
は意外に少なく、オオモンシロチョウPieris(Pieris)brassicae共々正確な確認は成していません(以前には多数チェックしているのでいることは間違いない)。

その他の春の蝶も、そろそろ姿を表し出し始めています。大根&菜の花畑に向かう途中で出会った2種の蝶(壊れたカメラでもこの程度は写すことが出来ます、、、、弘法筆を選ばず!!)。


 
鳥のことは知りません。                 チャマダラセセリ



フカミドリフチベニシジミとチャマダラセセリ(日本では絶滅の危惧に立たされている種です)。


 
フカミドリフチベニシジミHeliophorus viridipunctata







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読者の方々へのお願い 2012年3月1日

2012-03-01 13:30:34 | 朝と夜、その他



河村発言自体はともかく、それを賛成支持する(反対派を弾圧する)一般市民の圧倒的な多さに、日本という国(国民)はもうとんでもないところに行きつつあるのだと、改めて恐ろしくなってきました。いわば国民総ヒットラー。日本は御終いですね。どうしようもなく醜い国に成り下がってしまったようです(世界一醜い国は中国だと思っていたのだけれど、それ以下)。

注:河村氏の指摘する「プロパガンダのため(“事実”が捏造され)利用されているだけ」というのは、(中国の常套手段から考えて)かなりの部分事実だと思う。しかし、そのことと、実際に虐殺が存在したか否かということは、別問題。残念ながら実際に虐殺はあった(平凡社新書「南京事件論争史~日本人は史実をどう認識してきたか」笠原十九司著を参照して下さい)。認めなくてはならない“非”は認めねばならない。本当の「愛国心」とは、そのようなものではないでしょうか?


(2月29日の記事もご覧ください)

気管支炎(?)は一向に良くならないのですが、ここ数日、全体として体調はだいぶ良いです。鼻の炎症も今回は激痛には至っていませんし、数日前から食事も比較的楽に出来るようになりつつあります。

●真当な薬を飲み続けているのが利いている?
●食事が出来ているのでその分の体力が回復?
●好天で暖かい日が続いているのが体に良い?
●菜の花畑を歩いているのが功を奏している?

のどれが影響しているのか分からないけれど、これで気管支炎が少しでもよくなれば、最悪の事態は免れそうです。

12月20日に来中後、今日で70日目となります。その間ずっと室内蟄居(移動日を除く)、野外に出たのは、計7日だけ。

■12月末に、梧州の知人A嬢(25才、旅行ガイド)のオートバイに乗っけて貰って、町外れの”麦菜”畑へ(自分では歩いていない)。
■2月初頭、サパ到着数日後に、オーストラリアの青年B君(22才)を伴って、滝壺の向こうの渓谷までトレッキング。
■その一週間ほどのち、ホテルを訪ねてきた千葉のC君(29才)と、滝壺まで散策。
■サパを離れる前日、一人で滝壺の向こうの渓谷へ。
■2月20日、神戸(実家がすぐ近く)の大学生D君を連れて羅平(昆明から3バスで時間半)の菜の花畑に。
■2月24日、羅平の手前(師宗、昆明から3時間)の、無名の菜の花畑を散策(師宗泊)。
■2月25日、終日菜の花畑の山腹を歩き回る(今回の滞在中最もハードな行動、一人も人に出会わなかった)。

5回押さないとシャッターが切れず、ピントを合わせるのが一苦労のカメラで、それなりに菜の花畑を写して来ました。

昆明から3泊4日で、再びベトナムへ。今回はサパには行かず、イミグレーションを渡ってすぐに引き返します。29日でノービザ期限が切れるので、それをクリアするためです。頑張れば、昆明から最速日帰りも可能(一部タクシーを使わざるを得なくなるかも)だったのですが、日にちの余裕があるため、無理をせずに途中の建水の町で行き返り一泊、中国側ボーダーの河口の町で一泊することにしました。いずれもインターネット可、宿泊費は河口が昆明のユースと同額の約1500円、建水が約1000円、往復の交通費が約3000円なので、3日間昆明のユースに停滞している場合との金額差は2000円ほどで済みます。これで(滞在しようと思えば)3月14日まで中国滞在が可能になります。

実は、昆明-センッエンの航空チケットが、ちょうど一万円で入手可能だったので(夜行列車はまだ乗るのが辛いし金額も6000円余で飛行機と左程変わらない)、先に香港に出ておこうとも考えたのですが、、、。後のことや、その他様々なことの兼ね合いから、安全策を取ることにしたのです。

冒頭に記したように、体調はこの2か月間で最も良くなっています。気管支炎(?)の方は相変わらずですが、心なしか楽になっているように思います。お腹(胃)の調子も良くはないのだけれど、食道の逆流がかなり収まりつつあります。鼻の炎症(?)もここのところ継続して痛みが続いているのですが、(以前のような生涯随一の)激痛という状態ではありません。、、、、まあ、薬が効いているだけなのかも知れませんが。薬は今日で切れてしまうので、明後日昆明帰着後、もう一度医院で貰ってきます。

と言う訳で、このまま回復に向かえば(せめて今の状態が続いてくれれば)そろそろ次の行動に移ろうと思います。

その前に、この2か月間の、センッエン~サパ~昆明に於ける、状況報告を行っておきます。

同じ寝たきり状態でも、センッエン~サパ滞在時に比べれば、昆明に来てから、こころもち良くなった気がしているわけで、思いつく理由は、冒頭に記した通りですが、中でも天候がかなり大きく作用しているのではないかと。

センツエン・香港 位置=南    標高0m  沿海部    天候不安定        かなり寒い
河口・ラオカイ  位置=南   標高60m 深い谷間   天候不安定        かなり寒い
サパ       位置=南  標高1600m  険しい山腹  快晴か一寸先も見えぬ濃霧 すごく寒い
昆明       位置=北  標高1800m  平らな台地  連日快晴         とても暖かい

ということで、気候が要因の一つとなっているのかも知れません(昨日から河口にいるためか、胃の調子がかなり悪い)。

センッエンとサパでは、ひたすらミャンマーの蝶の標本写真整理(今後のNさんとの仕事に繋がります)を行い、約半分(アゲハ・シロ・タテハ、、、残りはシジミとセセリ)の整理が完了しました。とにかく膨大な量なので、大変な時間がかかり、今回のような動けない(体調が悪くてお金がない)でいる時でないと集中して取り組めません。このような機会でなくては決行出来なかったでしょうから、ある意味、幸いだったのかも知れません。

実は、最初の目論見では、標本写真の整理を全て完了させ、Nさんが引っ越しするという、2月25日頃に合わせて、25日上海発、27日阪神着の船便で、帰国を考えていたのです。ただし、片道の船賃が2万5000円、上海までの交通費が1万円前後なので、(この2か月近くの後払い宿泊費を全て支払ってしまえば)年金にAさんから都合して頂いた分を加えても足りません。

のみならず、Nさんからは、以下のような伝言。

●ミャンマーの政治が混沌としているため、計画が思うように進まず、連絡待ち(今回は給与は貰えないかも)。
●僕の要望(引き続き博物館の作業に従事したいなど)は、すでにN氏から先方に伝えてある。
●大阪~丹波篠山の自宅引っ越しの手伝いは、人が足りているので大丈夫、標本ほか大変な量なので、整理を完全に終えるまで部屋に寝泊まり出来ない(Nさん自身も篠山市内のホテルに泊まって新しい自宅に整頓に通っているという状態)。
●町のホテルは、値段が高く、その割には設備が悪いので、勧められない。
●引っ越しのあれやこれやで、落ち着いて打ち合わせをする余裕がない。
●丹波篠山は非常に寒く、風邪をさらに拗らせてしまう恐れがある。
●今無理して帰ってこずに、新宅の整理が一段落着き、打ち合わせの時間も充分に取れ、暖かくなり始める3月下旬頃に訪ねてきた方がよいと思う。

早めに打ち合わせを行い(引っ越し後の作業の手伝いもして)幾ばくかの前払い賃金を得ようかと目論んでいたのですが、、、今後のことを考えれば、焦らずにNさんの意向に従っておくのが良いように思っています。

それにしても、ミャンマー標本写真の整理は、寝たきり状態での作業とはいえ、大変な量、大変な労力です。日本滞在中の、10~12月に(食事睡眠時間も削って)集中して行っていたプレゼン作成もそうですが、僕ほど一生懸命に仕事をしている人間は、日本中を見渡してもほとんどいないのではないかと自画自賛しています。むろん自分のやりたいことをやっているわけでは無く、とにかくお金に結び付くことを考えて頑張っているわけで、人に後ろ指を指されることはないと信じているのですが、、、結果として収入に結びついていないということは、やはり致命的ではあります。

そんなこともあって、当初予定していた上海発25日の船便での帰国はパスし、今後の動向について改めて考えることにしました。体調が、センッエン~サパ滞在中のレベルに逆戻りして動けなくなってしまう前に(せめて今の小康状態が続いているうちに)、次の行動に移らねばなりません。

■A:このまま(4月中旬頃までは)中国南部(あるいは東南アジア)に滞在し、風邪(気管支炎?)とお腹(逆流性食道炎ほか)を完全に治す。並行して、現地からインターンエットで原稿を日本のメディアに送る。これが最も難しいと思うのです。日本にいても、何らかのコネクションがないことには各メデイアとの接触が難しいわけで、まして海外から、ネット利用のみで接触するのは不可能に近い。M氏にお願いしたのですが、立場上仲介は難しいとのこと。あや子さんは、、、、無理なんでしょうね。でもって、読者のみなさんに、(メディアとの)橋渡しをお願いするしかないわけです。ちなみに、タイやフィリッピンやインドネシア(どこか一か所に滞在を続ければ、極安の経費で済む)なら、K氏(標本の値段表を送ってきた)用の蝶の採集も可能です。

■B:即刻(3月中旬以前に)帰国。航空便で香港~東京、あるいは船便で上海~阪神(Nさん宅へ)。S不動産に対しては、3月中旬をめどに、1~2月分の7万円を支払います、と伝えてあります。最近は誠意をもって対応してくれているので、こちらがある程度きちんとした計画を遂行すれば、いくらかは待って貰うことも可能だと思います。帰国後は、改めて生活保護の申し込み(場合によっては青梅市から柏市への引っ越し?)も検討。或いは日雇いのアルバイトを探すことも考えています。そのうえで、(インターネット頼りではなく)昨年末にスタートする予定だった、自分の足でのメディア回りを再開せねばなりません。

両パターンに於ける必要経費は、
A 現地予算、月5万(移動1回)~8万円(移動複数回)、家賃7万円。計12~15万円。
B 帰国のための交通費4万円。家賃7万円。仕事または生活保護が決まるまでの資金4万円として。計15万。

とにかく、雑誌関係の仕事を受注するしかないでしょう。むろん頁数やメディアごとの差はあるのですが、おおよそのところ10万円前後の原稿料が貰えるので、1~2の仕事を取りさえすれば、資金の確保は叶うのです。

今のところ考えているテーマは、

◎「菜の花」絡み、、、時期的に遅いかも知れませんが、、、。
◎「中国彩麗」として、ウオーターテラス・菜花畑・棚田・白い村、のセットで組む。
◎数年前から取り組んでいる「恐竜&古代人の壁画」は、さらなる取材が必要だと思われます。
◎「屋久島はどこにある?」は、今回ヘツカリンドウの取材で出来なかったため、不利ではありますが、それ抜きで何とか組んでみる。
◎「東洋のレタス“麦菜”」は、一応NHK出版を予定しているのだけれど、送り先が分からない。
◎「野生アジサイ」関係は、時期的には今から準備してちょうどよさそう。ただし業界内部の様々な“政治的”な柵をクリアせねばならず(そのことについては説明が必要なのですが長くなるので割愛)、気が重いです。
◎意外に上手く行くかも知れないのが、「蝶」関係。「給水中の蝶に指を差し出せば、簡単に乗り移ってくる」というテーマです。まわりの知人に写真を見せたら、けっこう反響があって(簡単に乗り移ってくるとは誰も信じてくれないのです)メインテーマとなり得るのではないかと。コンタクトが取れさえすれば、上手く行きそうな気がします。数年前、少し前の時期(2月中旬)にラオスに行ったときには、多数の吸水中の蝶たちに出会いました。帰国前に寄ってみて「指に乗り移る蝶」の写真を増やしておく(でも、5回続けて押さねばシャッターが下りず、ピント合わせも難しい僕のカメラで撮影可能でしょうか?)のも手かも知れません。

これまで読者の方々に。「ネイチャークラブ」入会、あるいはカンパの要請をしてきたのですが、結局誰一人として反響は有りませんでした。でも、“入会”やカンパはしてくれなくても、(金銭の絡まない)メディアへの仲介の労は、誰かしら取って頂けるのではないかと、期待しているのです。ブログの更新が長く滞っている時でも、常に100人以上の訪問者がいるので、一人ぐらい協力者が現れても良さそうに思うのですけれど。

もう時間がない(あと数日で予算が尽きます)ことですし、読者の方々に向けて、プレゼンを紹介し、確実に訴えかけねばなりません。と言う訳で、「あや子版・最終章」の前に、しばらくの間、プレゼン内容の紹介を行って行こうと考えています。当初は、一気にアップしてしまおう、と考えていたのだけれど、あや子さんの意見では、短期間でのアップは、とても無理だとのこと。このあと、毎回1つのテーマに絞って、数10回に分けてプレゼン内容をアップしていく予定です。それについての、あや子さんの意見も聞かせてもらいたいところなのですが、、、、。、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回のここまで(昨年12月20日~今日2月29日)の報告を、写真を添えて行っておきます。「生きて帰国出来る確率は5分5分」とか、悲惨な状況を訴え続けている文章と、なんだか楽しそうに見える以下の写真とは、ギャップがあり過ぎのようにも捉えられかねません。どちらが本当の状況か、というと、もちろん前者なわけで、楽しそうに見えることと、本当に楽しいのかどうかということは、全く別物である、という事実を、どうかご理解頂きたいのです(ちなみに、これらの写真が、ごく僅かな外出中に於ける、ほぼすべての光景であります)。僕が、幾ら悲惨な状況を文章で表現・強調しても、第3者は楽しそうにしか捉えてくれない(Johnny Tillotsonの失恋の歌の数々が、やたらと明るく唄われているのと同じなのかな?)。


左写真:2011.12.25広西壮族自治区梧州市。旧知の旅行ガイド、サンジー嬢(25才)と。バイクで梧州の町はずれの麦菜畑に案内して貰った(前日のクリスマスイブの晩は、お姉さんご夫妻に盛大なご馳走になりました)。右写真:2012.2.4ベトナム・サパ。オーストラリアの青年ハーミッシュ(22才)と。カットカットの滝にて。このあと渓流の渡渉地点まで連れて行ったら、なんとパンツ一枚で川に飛び込んで泳ぎだした!


左写真:2012年1月23日、センッエンのY.H.にて。右から、イギリス(ロンドン)のニコラ、アメリカ(ニューヨーク)の00000、エジプト(アレキサンドリア)のアリ、イギリス(ウェールズ)のケルビン、体調の悪かったセンッエンのY.H.では、彼らに随分励まされたのです。一人一人のキャラクター(個性にあふれています)の紹介はまたの機会に。右写真:2012年2月2日、ベトナム・サパにて。クイーンズホテルとスカイビューレストランの元オーナー「テ氏」の奥さん(左は息子さん、中央はお友達)。お友達に「美人ですね」とお世辞を言ったら、「資生堂のクリームを塗っているからですよ、今度日本に帰ったら買ってきてください」だって(藪蛇とはこのこと!)。ベトナムでは超高級品なのだそうです。


左写真:2012年2月3日、ベトナム・サパにて。クイーンズホテルの現オーナー夫妻と従業員たち。僕やI君も一緒に食事です。右写真:2012年2月10日、ベトナム・サパにて。今回最も長く一緒にいた千葉(柏)のI君。「男38才旅に出る」というブログをやっているので見てやってください。会社をきっぱりと退職して、このあと3年間の貧乏世界旅行です。


写真左:2012年2月10日ベトナム・サパにて。柏のS君と松戸のI君。柏と松戸(ともに千葉県)は隣町ですが、たまたまサパで一緒になりました。写真右:2012.2.20雲南省羅平にて。僕の出身地・神戸市垂水区のすぐ隣の神戸市須磨区在住・サトー君。20才の現役大学生です。須磨から三田まで、自転車で通っているのだとのこと。ヒッピーに憧れて(!)旅に出てきました。


 
2012年2月19日、雲南省昆明にて。仲良しのモニカ嬢と。広東省の農村出身の24才。昆明の大学を卒業し、その後も昆明で働いています(一週間休みなしで、フルに働いているのだとのこと)。すごく頭が良く(英語はネイティブ並み)、謙虚で、素朴で、しっかりしていて、中国人らしからぬ雰囲気の若者です。昆明滞在中は、2日に一度ほどY.H.を訪ねてきて、この日も豪華料理を(貯金を下ろして?)ご馳走してくれました。この魚、よく見て下さい。みなさん、こんな料理法があるのをご存じでしょうか? 魚の体を裏返しにして、味の部分を外側に出しているのです。とても食べやすく(骨を抜き取っていて小骨もほとんどない)抜群に美味しい!この日あたりを境に、僕のお腹の調子(逆流性食道炎)も幾らか良くなってきました。

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朝と夜のはざまで~My Sentimental Journey 2012.2.8

2012-02-08 16:00:09 | 朝と夜、その他




正ちゃんへ。



昨日、Gekkoと名のついたrestaurantの前を通って、ふとお前のことを思い出していたんだよ!

最後に呼んでくれて、有難う。

あの頃は、楽しかったよなあ!

また会おうな!



潤ちゃんより。

2012.2.8 Mt.Fansipan
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朝と夜のはざまで~My Sentimental Journey 2012.1.23

2012-01-22 20:14:02 | 朝と夜、その他


僕自身の体調、パソコンの調子とも、いよいよ末期状態のようで、このブログの「最終回」を書き記しておこうと考えているのですが、なかなか書き進めることが出来ないでいるうちに、1月22日となってしまいました。

今日は、春節(旧正月)元旦。毎年日が異なり、今年は随分早い日なのです。ということで、最終回の前にとりあえずお祝いを。

中国のみなさん、新年快楽!(新年おめでとうございます)


雲南省維西県 2010.5.18



四川省西嶺雪山 2011.7.17
渓流沿いの葉上で占有行動を繰り返していたキンイロフチベニシジミHeliophorus brahma(写真上)を撮影中、ふと手元に目を移したら、カメラの真下に翅を開いたZephyrus(メスアカミドリシジミ属の一種Chrysozephyrus sp./写真下)が! あまりに距離が近すぎて一苦労という、このうえもなく贅沢な撮影となった次第です。




虹の雲 四川・雲南省境付近(四川省郷城県)2010.6.11






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朝と夜の狭間で~My Sentimental Journey 2012.1.12 中国Shenzhen

2012-01-12 15:53:05 | 朝と夜、その他


読者の皆様への重ねてのお願いです。まだ「青山潤三ネイチャークラブ」に入会されていない方がいらっしゃいましたら、どうか入会して頂きたいのです。よろしくお願いいたします。


苦麦菜と油麦菜の畑(広東省河源市)2011.10.3/(広西壮族自治区梧州市)2011.12.25

苦麦菜の花は、畑にも路傍にも、あちこちに咲いています(道行く人に訪ねると、「これは“苦麦菜”の花ではない、菊の花だ」という答えが返ってきます、まだ認知度が浅いのかも知れません)。でも、油麦菜の花は全く見かけない。「油麦菜の花を見たい」とセンツェンの食堂で尋ねたら、「河源に行けば見ることが出来るかもしれない」と言われました。そこでセンツェンの北東約150㎞の地方中心都市・河源を訪ねてみました。結論を言えば、ここでも油麦菜の花は見ることが出来なかった。それに油麦菜自体の栽培は、なにも特定の地域を訪ねずとも、中国各地で行われているとのこと。ただし花を見るのは、なかなか難しいようなのです。

河源近郊の畑では、苦麦菜・油麦菜・生菜(レタス)がセットで栽培されていました。しかしここでも、塔の立った株に咲く花が見られるのは、苦麦菜ばかり。油麦菜はどれも若い株だけです。



油麦菜(上段右端は生菜=レタス)。油麦菜はどれも若い株で開花前には刈り取られてしまうようです(中段右)。苦麦菜は塔立ち株が整然と並んでいます(下段、手前は油麦菜の若い株)。


苦麦菜。右写真は「甜麦菜」と呼ばれる苦麦菜の品種。


下から:苦麦菜、油麦菜、生菜(レタス)   左から:生菜(レタス)、油麦菜、苦麦菜


生菜(レタス)          油麦菜             苦麦菜

梧州の畑では苦麦菜ばかり、と先に紹介したのですが、再訪して別の畑を訪ねたら、河源の畑同様に梧州の畑でも、苦麦菜・油麦菜・生菜がセットで栽培されていました。でも周辺の土手に生えていた花(種子)をつけた塔立株は、やはり苦麦菜だけです。


土手の反対側に畑が。全て若い株で塔立株は畑の内部には見られなかった。


放水の下は生菜(レタス)、大きな葉はアブラナ類の芥菜、その右に色の淡い苦麦菜、右奥が油麦菜。


手前2列が油麦菜、その対面に苦麦菜。どっちかが苦麦菜で、どっちかが油麦菜(だと思う)。



苦麦菜とアブラナ科の芥菜。        苦麦菜。右上方の色が異なるのは油麦菜。

以上に紹介してきたように、梧州や河源など中国南部の蔬菜畑には、苦麦菜・油麦菜・生菜(レタス)が揃って栽培されているわけですが、苦麦菜の方は畑の内部をはじめ周辺の路傍のあちこちに花をつけた塔立ち個体が見られるのに対し、油麦菜の塔立ち個体は全く見ることが出来ません。野生(在来)株と、栽培(管理)株、と逸出(放置?)株の、相互の関係がよく分からない。畑の内部に塔立ち株が整然と並んでいるのには、どのような意味があるのでしょうか? 塔立ち株が苦麦菜だけで、油麦菜のそれを見ることが出来ない理由と、何らかの関わりがあるのでしょうか?

ところで、河源の栽培地周辺の路傍に生えていた苦麦菜は、栽培品の逸出由来と考えて間違いなさそうな梧州や融水で見たそれと異なり、荒々しく葉の細く切れ込みの深い、野生のアキノノゲシそのものに極めてよく似た印象の個体ばかりです。はたしてこれは、在来の野生個体なのでしょうか? それともやはり畑からの逸出個体なのでしょうか?



葉が細く塔立ち後も切れ込みが顕著で、いかにも野生のアキノノゲシを思わせます。

■アキノノゲシ(日本産野生種)

日本産のアキノノゲシを紹介しておきます。たまたま、屋久島、奄美大島、伊平屋島、石垣島など、南方地域での撮影ですが、東京周辺をはじめとしたほぼ全国に普通に見ることが出来ます。また、台湾や中国大陸、東南アジアの各地にも、広く分布しているものと思われます(中国でも各所で野生株を撮影した記憶があります)。

アキノノゲシは日本産の在来野生種として扱われてきましたが、ネットの記述では“史前帰化植物”とされていることが多いようです。近年、人里に集中して分布繁栄する植物を、一様に“史前帰化植物”と見做す傾向があるようですが、この概念を安易に何にでも当て嵌めてしまうべきではないでしょう。人里での繁栄は、人によって持ち込まれたから、と考えるだけでなく、もともとの繁栄地が人里化した、という可能性も合わせて、双方向的に(かつ重層的に)考えるべきではないかと思っています。



   
野生のアキノノゲシ(屋久島、奄美大島、石垣島)


■苦麦菜の花(広東省~広西壮族自治区)2011年9月下旬

“苦麦菜”の頭花は、大きさもイメージもアキノノゲシそっくりです。アキノノゲシ由来であることは、間違いないでしょう。




舌状花は、通常(ほとんど白と言っても良い)ごく薄い黄色。雌蕊(with雄蕊)が鮮やかな濃黄色のため、離れた所からは、全体が卵黄色に見えます。個体による変異のほか、陽の当たり加減によっても黄色の濃淡が異なるように思われます。

■油麦菜の花?それともレタスの花?(雲南省香格里拉)2010年9月17日

アキノノゲシの花と同じ形状の苦麦菜の花にはいくらでも見つかるのに、何故か油麦菜の花には出会えないでいるのです。油麦菜の花は、市販されている種子の形から想定するに、レタスの花と同じ形状(またはごく似ている)ではないかと考えられます。

以前に撮影した写真を整理していたら、レタスまたは油麦菜系統の花と思われる写真が、意外なところから出てきました。雲南省香格里拉(標高3300m余)の、ゲストハウスの階段脇の花壇(?)の一角。2010.9.17。植えたものなのか、勝手に生えているのかは不明。レタスなのか、油麦菜なのか、はたまた別の種なのか。栽培種なのか、帰化雑草なのか、在来種なのか、それらも全く不明。広西や広東の苦麦菜撮影地に比べ相当に寒い地域ですから、一応レタスのイメージと相当します。以前に聞いたことのある“油麦菜の主産地は昆明”という話とも整合性が、、、。



知人の大学生、張さんから提供して頂いた“油麦菜”の花と塔立ち株の写真。バリエーションが、かなりあるようです。左端は苦麦菜の花かも知れません。3枚目はレタスそっくりだと思う。

■苦麦菜の種子(広東省~広西壮族自治区)2011年9月下旬

苦麦菜を、アキノノゲシ由来(おそらく種species単位での分類群としてはアキノノゲシそのもの)と断定した理由は、花だけでなく、種子(seed)の形状が相同であることに因ります。また、油麦菜が、レタスに非常に近縁である(種の単位では同一分類群に含められる?)と結論付けた根拠も、種子の形状の基本的な部分での相似に因ります(ただし、現時点では、実際に畑で栽培されている油麦菜とレタスの種子を比較したのではなく、市販の種子による比較なので、全ての“油麦菜”がこの例に当てはまるかどうかについては、今後のチェックを待たねばなりません)。

レタスや油麦菜の種子は、本体の周辺に扁平な翼を持たず(したがって概形は細長い)、10本前後の明瞭な溝が縦に走ります。一方、アキノノゲシや苦麦菜の種子には、扁平な翼が本体の左右に広がり、概形は楕円形となります。本体に生じる溝は中央の一本が太く、ほかは不明瞭です。

それらの特徴を重視して、従来のアキノノゲシ属Lactucaを複数の属に細分する見解に立てば、レタスは、原種と見做されるアレチヂシャのほか、地中海周縁部や西アジアなどに分布する多くの種と共に、狭義のLactuca(属の和名は「レタス属」または「チシャ属」)に、アキノノゲシは、ヤマニガナなどと共に、Pterocypsela属(細分した時の属の和名はこちらが「アキノノゲシ属」)となります。







“苦麦菜”は、種子の色や形もアキノノゲシと全く同じで、左右に広い翼を持ちます。綿毛を見ると、広い意味でのタンポポの仲間(キク科タンポポ連)であることが、よく分かります(広西壮族自治区梧州市および融水県汪洞、9月下旬)。


■苦麦菜・油麦菜・レタス・ヤマニガナ/種子の比較



左から、苦麦菜、油麦菜、生菜(レタス)。



苦麦菜          油麦菜              ヤマニガナ近縁種


苦麦菜の種子(中央のオレンジ色は、ヤマニガナ近縁種)。

アキノノゲシLactuca indica          濃色 翼がある
苦麦菜                    濃色 翼がある


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


油麦菜                    濃色 翼はない
レタス(生菜)L. sativa            淡色 翼はない
アレチヂシャ(トゲヂシャ)L. serriola        淡色 翼はない

★『世界有用植物辞典/堀田満代表編集(平凡社)』の「Lactuca」の項に、日本に於けるアキノノゲシ(var.dracoglassa=龍舌菜)の利用は、食用・家畜の餌として併記されています。また、インドネシアのジャワ島では、「Kuban kayu」の名で食用野菜とされている由、アキノノゲシを食用とする具体的な記述に出会ったのは、これが初めてです。なお、同じ項目のレタスについての解説では、野菜としてのレタスは、L.serriolaに、L.salignas(地中海周辺地域などに分布)が交配されて作出された、となっています。



★『食べられる野生植物大辞典/橋本郁三著(柏書店)』という本の中に、沖縄(石垣島)で、アキノノゲシを食した感想が記されていました。「本土産は苦味が強いが、沖縄産は苦味がない、沖縄ではゴーヤなど苦味の強い食料が普遍化しているため、苦味に慣れ親しんで余り感じないのかも知れない」、というような要旨です(“苦味食文化圏”と“苦菜”類の普及の相関性については、僕自身も前に触れましたが、興味深いテーマだと思います)。

★野菜の種研究家の野口勲氏に頂いた販売種子のうち、「白かきちしゃ」の袋には、「日本古来の掻きちしゃ、原産地ははっきりしないが、奈良時代から日本にあり、江戸時代までは日本でチシャ(レタス)といえば、このカキチシャのことを指した」旨が記されています。もしかすると、この古い時代に日本に伝来した「カキチシャ」が、現在の中国の「油麦菜」に相当するのかも知れません。中国で購入した「油麦菜」は2品種とも黒い種子色、頂いた「白かきちしゃ」はレタス類一般と共通の白っぽい種子色ですが、レタスの種子には白黒両方があるようなので、色彩の相違は、さほど意味を持たないのではないかと思います。むしろ、同時に頂いた沖縄古来のチシャとされる「島ちしゃ菜」のほうが、種子に幾らか丸味があり濃色を帯びていて、他のレタスとは幾分雰囲気が異なるように感じられます。

★レタス&アレチヂシャ、アキノノノゲシの染色体数は、共に2N=18(レタスには2N=36の個体もある由)。アキノノゲシ(ヤマニガナ)属と、狭義のレタス(チシャ)属の間の交雑の可否について知りたいものです。

★日本でチェックし得た、野菜に関する書籍には、(7年前チェックした際と同様に)「レタス」の品種については数多くの記述があっても、(数百ページに亘る詳細な解説が成されている場合でも)「油麦菜」に関する記述は全くありません。それどころか、「中国野菜」についての専門書でさえ、(「苦麦菜」はむろん)「油麦菜」のことは一切触れられていないのです。何だか、狐に抓まれたような思いでいます。

今のところ判明したこと(●)と、残された疑問(■)。

●油麦菜は、種(species)としてはレタスLactuca sativa(または限りなく近い分類群)に所属。
●苦麦菜は、種(species)としてはアキノノゲシLactuca indica(または限りなく近い分類群)に所属。
●中国南部一帯(広西・広東・海南)では、両者とも年間を通し種(seed)を撒いて栽培し若菜を収穫する。
●花や種子を付けた塔立ち株が普遍的に見られるのは苦麦菜だけ。
●その存在意義については未詳。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■苦麦菜のみ塔立株が普遍的に存在する理由は? 油麦菜の花や種子はどこに行けば見ることができるのか?
■畑の周囲に見られる苦麦菜の逸出(?)株と、野生株(≒アキノノゲシ?)との関係は?
■苦麦菜の栽培は、上記地域以外でどの程度行われているのか?
■油麦菜は中国の各地で広く栽培されている? それとも(苦麦菜ほどではないとしても)限られた地域のみ?
■苦麦菜、油麦菜は、それぞれ、いつの時代に、どこで改良されたのか?
■苦麦菜と油麦菜は、同じLactuca属でも系統はやや離れているが、両者の遺伝子の交流は?
■苦麦菜の普及は、ごく近年になってから? 発祥地は、陽春周辺? それとも別の地域? 
■苦麦菜の人気の実態は? 苦みが忌避される地域と、受容される地域があるのだろうか?
■油麦菜は中国に古くから存在していたのだろうか? 西洋のレタスとの関係は?
■油麦菜のブームは最近になってから?
■油麦菜は、現在の中国では大変にメジャーな存在なのに、書物などでほとんど紹介されていないのはなぜか?
■苦麦菜・油麦菜とも、日本では全く紹介が成されていない。どこかに記述は?


【参考】

中国でタンポポを食べる例 ①雲南省最北部の町・香格里拉(標高3300m)のバスターミナル脇2010.5.12。売り物だそうです。



中国でタンポポを食べる例 ②甘粛省天水市秦嶺2010.4.30。おばさん達が一生懸命摘んでいます。やはり食べるのだとのこと。


日本産のポピュラーなタンポポ連雑草(全て屋久島にて)。右から、ヤクシソウ、オニタビラコ、ジシバリ、ニガナ


左:ホソバワダンの葉(屋久島)、中:ホソバワダンの花(奄美大島)、右:ホソバワダン左とアキノノゲシ右(伊平屋島)


左:福建省龍岩市2003.9.14(頭花はアキノノゲシに似ていますが、葉の基部が茎を抱きます)
中:四川省都江堰市2003.9.14(エゾムラサキニガナに良く似た種)
右:広西壮族自治区融水県汪洞鎮2011.9.19(ヤマニガナ近縁種)


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朝と夜の狭間で~My Sentimental Journey 2012.1.11 中国Shenzhen

2012-01-11 10:01:58 | 朝と夜、その他



鼻の頭の右側が猛烈に痛く、七転八到の状況です。これまでの生涯に遭遇した最大級の痛みです(強い痛みが頭の芯の部分まで及んでいる)。滞日中の11月から、ほぼ10日置きに痛みが襲ってきて、その度に強烈度が増しています。今回の超弩級の風邪(喉、胸、頭ときて、鼻です)ともリンクしているようにも思うので、帰国して病院に行きたいのですが、保険証もないことだし、、、。

ともかく、ものを考えたり書いたりするのが困難な状況です。

今日、やっと杭州のTV局のZ嬢がやってきました。(杭州の)ギフチョウやヒグラシやアジサイや麦菜の話をしようと思ったのですが、バラエティ番組の担当だそうで、僕にとってはあまりメリットはなさそう。仕事とは関係なく、ただ日本人と友達になりたいということだけのようです。でも素敵な美女と2時間ばかり(鼻の痛みをこらえながら)楽しく話が出来たので、良しとしましょう(一応、今度杭州を訪れた際には、自然科学担当の方に橋渡しをしてもらえるよう頼んでおきましたが)。

先週援助可の連絡を下さった「旅」関係のE氏からメールがあり、明日2000円振り込んでくれるとのこと。宿泊費または薬代に充てることが出来るので感謝しています。

今日の昼、香港ボーダーの売店まで、日本に電話をかけに行ってきました。7か所に電話し、5か所が留守番電話、1500円以内の予算なので留守電はパスし、繫がったA書店M氏と、「旅」関係のS氏に救助を依頼。M氏からは、たぶん少額(数千円単位?)の援助が頂けると思う。S氏は電話口ではO.K.してくれたのですが、はたしてどうなるか、、、。

センッエンに停滞しているのは、香港でカメラを回収するのが目的で、あとは全く用事は無いのです。宿泊費がかかるだけ(他地方の倍)。一刻も早く台湾なり日本なりに移動した方が良いのだけれど、(カメラの回収はともかく)中国滞在より経費は掛かってしまいます。帰国後マクドナルドなどで仕事を探すにも、日払いでなくては(現実的には)意味がない。

アモイ(今、テンテンはアモイにはいない)からだと台北行き8000円ほどのチケットがあるそうで、当面の予算調達の後は、それで台湾に移ろうかとも考えていますが、台湾に行ってからの費用(物価は中国都市部の倍強、日本の半分近く)のことを考えると2の足を踏んでしまいます(沖縄でバイトを探すのも手かも知れませんが)。

いずれにしても、帰国があまり遅くなると、各出版社へのプレゼンも完全に間に合わなくなってしまうし、せっかく決まりかけている春の雑誌の仕事も駄目になってしまいかねません。それと、22日の春節が近づくと、身動きが取れなくなってしまう、それまでの中国脱出は必須条件でしょう。

明日、幾ばくかの振り込み連絡があることを神に祈るしかありません。そして、風邪と鼻の痛みが2~3日で直ってくれればいいのですが、、、、。

ということで、再度、読者の皆様にお願いします。まだ、「青山潤三ネーチャークラブ」に入会して下さっていない方で、常連読者の方がいらっしゃいましたら、どうか入会して頂きたいのです。

よろしくお願いいたします。


この後、「東洋のレタス“麦菜”の謎」の前半部を掲載しています(後半部は明日アップ予定)。
以前に紹介した内容を、縮小再編したうえで新たな情報を付け加えたもので、各メデイアあてのプレゼンテーションの一部として作成しました。すでに、某雑誌での掲載はほぼ決まっているのですが、出来れば複数のメディアで紹介することが出来れば、と望んでいます。読者の皆様のなかに、橋渡しの労を取って頂けるかたがいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。



海の向こうの兄妹たち~中国動植物探索記

第1部第2章 東洋のレタス“麦菜”の謎/野菜になった雑草・アキノノゲシ


左から、生菜(レタス)、油麦菜、苦麦菜 (中国深圳のスーパーで購入)

 
苦麦菜(アキノノゲシの改良蔬菜)の花

■“東洋のレタス「麦菜」”とアキノノゲシ

レタスLactuca sativaは、地中海周辺から西アジアにかけて分布するアレチヂシャ(トゲヂシャ)Lactuca serriolaを母種として、ヨーロッパで育種改良された野菜です。一方、東南アジアや東アジアには、同じ仲間の野生種アキノノゲシLactuca indicaが分布しています。日本をはじめ、台湾・中国大陸・インドシナ半島などの、路傍や畑の畔にごく普通に生えている雑草的植物です。でもこちらは、せいぜい豚や鶏の餌にするぐらいで、通常は人間の食用としては利用されていません。

ところが中国では、アキノノゲシ(の改良品種)が、立派な野菜として利用されているのです。名前は「苦麦菜」。その存在を知ったのは10年ほど前、当時は南部のごく一角のみで普及していたように思います。それがこの数年の間に、一気にメジャーになりつつあるのです。

一言で“麦菜(マイツァイ)”と言っても、明らかにアキノノゲシ由来と思われる“苦麦菜(甜麦菜)”、よりレタス(中国名「生菜」)に近いと思われる“油麦菜(香麦菜、甜油麦菜、春菜)”などがあります。それぞれの出自や、レタスやアキノノゲシとの具体的な関係については、分からないことだらけ。探ってみることにしました。

■中国の麦菜料理


広東省河源市のホテルで食べた麦菜の炒め物。左が「苦麦菜(甜麦菜)」、右が「油麦菜(香麦菜)」。生で食べると苦麦菜は苦味が強いのですが、茹でたり炒めたりすると、苦みは無くなります。油麦菜は余り苦みはないのだけれど、通常は生食することはなく、やはり茹でたり炒めたりします。もとより中国ではレタス自体が、一般には生食せずに茹でたり炒めたりして食べることが多いようです。苦麦菜は、人によってはその苦みゆえ敬遠されることもあるようですが、逆に苦みが人気の元になっているようにも思えます。しかし炒め物になると、苦麦菜と油麦菜の味は、ほとんど区別がつきません。前もって別のものであることを知っていれば、前者には野生の青味が、後者には薄っすらとした香りが感じられるように思います。いずれも、レタスと共通した独特のシャキシャキ感とトロ味があり、とても美味しいのです。


左:ベトナム国境に面した町・河口にて(油麦菜)。中:上掲の炒め物セットと一緒に出てきた甜麦菜・香麦菜入りの卵スープ。右:生菜(レタス)を茹でたスープいりウドン(深圳)。


火鍋(日本のシャブシャブ)、肉とともに麦菜(写真は油麦菜)を茹でるのがトレンドのようです(桂林)。





■日本においてキク科タンポポ連の野生種を食用とする例 【ホソバワダン】

レタスや麦菜類が含まれるアキノノゲシ属Lactucaは、キク科のタンポポ連(族)Cichorieaeという分類群に所属します。一言でいうと、広い意味でのタンポポの仲間です。タンポポ連が他のキク科植物と異なる点は、頭花(一輪の花に見える部分で実際は小さな花の集まり)を構成する一個一個の花(“小花”と呼びます)が、大多数のキク科植物では、中央に筒状の小花(筒状花)が集まり、その周囲に一辺のみが長く伸びた舌状の小花が取り巻く(ヒマワリを想い浮かべて下さい)か、全ての小花が筒状花からなります(アザミを思い浮かべて下さい)が、タンポポ連の頭花は全て舌状花から成っていることです。また、タンポポ連の全ての種は、葉や茎を千切ると「ラクチュコピクリンlactucopicrin」 と呼ばれる物質(軽い鎮静作用を持つ苦みなどの成分)を含む白い乳状の液体が出ることも、他のキク科植物にない大きな特徴の一つです。

タンポポ連を代表するのは、いわゆる「タンポポ」すなわちタンポポ属の種ですが、私たちが日常的に目にする“タンポポ”の多くは、日本に在来野生する種(カンサイタンポポ、シロバナタンポポほか)ではなく、国外から持ち込まれた帰化植物(セイヨウタンポポなど)です。元はと言えば野菜(葉をサラダに、根をコーヒーに利用)として導入されたものが、結局普及することなく、逸出して現在のように雑草化したという、他の帰化植物とは少々異なる歴史を持っています。

そのセイヨウタンポポはともかく、タンポポ連の野菜としては、レタス、チコリ、エンタイブ、バラモンジンなどがありますが、少なくとも日本に於いては、レタス以外はごくマイナーな存在で、一般に普及しているとは言い難いでしょう。

タンポポ連の大多数の野生種には、(苦みを伴った)独特の風味と歯触りがあることから、「春の七草」の“ホトケノザ”(タビラコ=コオニタビラコ)をはじめ、山菜として親しまれているものも少なくありません。しかし、マイナーな山菜として、あるいは家畜の餌として利用されることはあっても、最初に述べたようにレタスと同属のアキノノゲシ以下、メジャーな野菜とされるには至っていないのです。理由は単純で、一般には苦みが敬遠されることと、おおむね植物体が小さくて食べられる部分が少ないことから、苦みのない、大きな葉を持つアブラナ科の蔬菜が大量に普及している日本に於いては、わざわざ人間の食用として改良・利用する必要はなかったのでしょう。

しかし、アブラナ科の蔬菜も、元はと言えば移入植物です。それらが導入・改良され現在のように普及する以前には、日本独自の(生物学的な意味での真の日本在来種による)“蔬菜”もあったに違いありません。その中にはアブラナ科植物のほか、キク科タンポポ連の種もあったはずです。それらは、大陸からの移入蔬菜の普及とともに、次第に消えて行ったのでしょう。でも、本当に完全消滅してしまったのか? 今でも、どこかの地方に細々と受け継がれているのではないだろうか?

キーは「苦み」と「葉の大きさ」でしょう。「苦み」を受け入れる文化が残る地方に自生する、葉の大きな在来種、となると、九州の西海岸(北限対馬、東限山口県)から南西諸島全域(および台湾の一部)に分布するホソバワダンと言うことになります。アキノノゲシ同様、秋から冬にかけて花が咲き、やはり冬に開花するヤクシソウにごく近縁な種です。主な生育地は海岸周辺の岩場、あるいは低地の路傍の斜面など。野生種が水辺の岩場に生えていたらしい蔬菜といえば、アブラナ科のキャベツもそうでしょうね。岩場や水際に生育する植物の例に漏れず、肉厚の葉が充分に食べごたえを感じさせます。

と言っても、ホソバワダンの場合は、生で食べると相当の苦みがあります。したがって、身近に生えていても、苦みを嫌って食用とはしない地方も多いものと思われます。でも、分布圏の中心地・沖縄には、古くから“苦みを好む文化”があります。ここには、おそらく日本では唯一と言ってよい、タンポポ連の在来野生種(ホソバワダン)を、人間の食用とする風習が残っていて、「苦菜」の名で親しまれています。生で食べたり、和え物、お浸し、炒め物、丼の具など、さまざまな利用法があり、中国の「苦麦菜」同様、茹でたり炒めたりすると苦みは減少しますが、ゴーヤなど「苦み食」文化が根付いている沖縄では、あえて苦みを残したままの調理法が好まれているようです。普通、路傍や海岸に自生している葉を採取して、料理の材料としますが、那覇などの都会部では、栽培された、より葉の大きなものが、スーパーなどで販売されています。

なお、同じタンポポ連のアキノノゲシ(中国に於ける「苦麦菜」の原種)も、ホソバワダン(沖縄で言う「苦菜」)と同じ場所に野生が見られますが、葉が小さなためか、食用に具されることはほとんどないようです。ただし、西表島の大原では、「ウサギの耳」の名で、古くから食用として具されている、という情報も得ています。



沖縄県伊平屋島(Ⅰ) 民宿の食事で出てきた、「苦菜=ホソバワダン」の炒め物とお汁。近くの道端に生えている野生の葉を摘んできて調理したものです。


沖縄県伊平屋島(Ⅱ) 村の職員の方に、即興で、さまざまな調理法の「苦菜」料理を作っていただきました。


沖縄県西表島 大原のレストランで食べた丼の中に「苦菜」が。葉が大きいので、栽培品と思われます。写真のウエイトレス(地元の方)から、「苦菜=ホソバワダン」だけでなく「兎の耳=アキノノゲシ」も食用にする由を教えて頂きました。


沖縄県那覇市のスーパー(都心の高級住宅街の一角)には、「苦菜」が商品として並んでいました。沖縄でも、地域によって(あるいは人によって)食用としての「苦菜」の利用頻度は異なるようですが、中国の「麦菜」同様に、近年になって改めて人気が高まりつつあるのかも知れません。



■「油茶」

中国では、基本的に日本の大多数の地域と同様に、「苦み」を好む文化は余りないのではと思われます(でも日本の「緑茶」は苦み文化の極かも知れませんね、そのことについては改めて考察しましょう)。

これから述べる「苦麦菜」「油麦菜」は、前者は苦みの多い、後者は苦みの比較的少ない中国野菜です。その正体の結論を言うと(今の段階ではあくまで推論ですが)、「苦麦菜」は、東アジアに在来野生する「アキノノゲシ」を改良した中国野菜、「油麦菜」は、同じアキノノゲシ属の植物ではあっても、より「レタス」に近縁の(西洋の「レタス」とは別途に発展した)中国野菜。

ともに近年になって急速に普及し始めたようですが、実質的に「レタス」とほとんど変わらない「油麦菜」が全国的にメジャーな野菜となっている(らしい)のに対し、「アキノノゲシ」そのものから作成された、野生の苦みがより強く残る「苦麦菜」の方は、限られた地方のみで人気を得ているように思われます。

限られた地方とは、中国の南部一帯、広東省から広西壮族自治区にかけてと、その周辺地域。野生のアキノノゲシは、日本の場合同様、中国でも全国的に分布しているのではないかと考えられます。ではなぜ南部の限られた地域にのみ、改良野菜の“苦麦菜”が普及しているのか?

“油茶”という飲料があります。時間をかけて「茶油」と共に熱しながら擂り潰したお茶の葉に、お湯とお米(菓子米)とセリなどの香り葉や様々な具を入れた、お茶とお粥のハイブリッドのような飲み物。元々は少数民族の風習だったのでしょうが、一般の人々の間でも、朝、茶店のようなところで寛いで飲むのが習慣となっているようです。

常用される地方は、限られています。広西壮族自治区とその周辺地域。広西ネイティブのスーリンの談によると、この地域の人々には親しまれているのですが、大多数の地域の一般の中国人には、独特の苦みが敬遠されているのではないかとのこと。

そこで思い当たるのが“苦麦菜”。偶然かどうか、“苦麦菜”の普及地域と“油茶”の普及地域は、おおむね重なるのですね。この地域一帯(中国南部の広西壮族自治区周辺)に、沖縄と同様の苦みの文化が根付いているのかも知れません。

日本に於いても、苦みの文化の根付く沖縄でのみ、タンポポ連の野生種(ホソバワダン)が食用化されているわけで、大陸側のほぼ同緯度の(そのほかにも何らかの人文的・自然的共通要素を内包するのかも知れない)広西・広東一帯に、“苦み”を受容する食生活があっても不思議はありません。その一つが“油茶”であり、(ホソバワダンの分布を欠く大陸での)アキノノゲシの食用化(苦麦菜)と言うことなのでしょう。


写真は、梧州の“搖族茶店”にて。左:茶の葉に茶油を加え高温下で長時間かけ擂り潰していきます。右:擂り潰したお茶にお湯とお米と香りのあるセリなどの葉と香ばしい具を加えた飲みものが「油茶」です。一椀3元(40円弱)。ネットで調べたところ、最近では、桂林・柳州・南寧などの都会部においてブームになっているとのこと。スーリンにとっては子供のころから慣れ親しんだ飲料で、実際に飲んだことのある地域は、広西壮族自治区桂林市(広義)の、桂林市区、興安県(地元)、灌陽県、恭城県、平東県、および桂林市に隣接した湖南省南端部の城歩県(兄嫁の実家)。梧州は、油茶文化圏の東南端辺りに位置するのではないかと思われます。地域(や家庭)によって材料や製法が少しずつ異なり、スーリンの母親が作る油茶と、兄嫁の母親が作る油茶は、相当な違いがあるけれど、それぞれ非常に美味であると。

■中国のスーパー(深圳) 苦麦菜と油麦菜

中国南部の実質上の最大都市・深圳のスーパーには、苦麦菜・油麦菜・生菜(レタス)が、年間を通して並んでいます。“麦菜”類(キク科タンポポ連)と、アブラナ科の蔬菜の売り場面積は、ほぼ五分五分。ここに示したのはごく最近の写真ですが、冒頭に紹介した写真は5年前の撮影で、少なくとも当時から一般に普及していたものと思われます。


左から、苦麦菜、油麦菜、温室栽培油麦菜。各500gの値。1元ずつ高くなります(レタスは油麦菜と同じ500g2.98元)。


左から、生菜(レタス)、温室栽培油麦菜、油麦菜、苦麦菜。



(左)温室栽培油麦菜、(右)苦麦菜。

■中国の市場にて(広西梧州) 苦麦菜と油麦菜


梧州(広西壮族自治区)の露店市場。様々な野菜の中に、苦麦菜も油麦菜も生菜もあります。

僕が最初に“麦菜”の存在を知ったのは、2004年の秋、広東省の西部、広西壮族自治区に近い、陽春という町です。ある野生植物(屋久島固有種ホソバハグマの近縁種)の調査のため、陽春市(中国に於ける市は日本の県に相当する広さ)のあちこちを探索中、偶然遭遇したのです。以前から、日本列島をはじめとしたアジア各地に広く分布する、レタスと同属種のアキノノゲシを食用に利用している地域が、どこかにあるのでは?と考えていたものですから、非常な関心を持ちました。

その後、現地で見たアキノノゲシと同じ花の咲く“麦菜”は、よりローカルな中国野菜“苦麦菜”で、それとは別に、よりポピュラーでレタスに限りなく近い中国野菜の“油麦菜”が広く普及している(または普及しつつある)ことが判明。しかし、両者とも正確な由来や歴史については、今もって知り得ていません。前者は地域限定のマイナーな野菜であり、しかし上記した地域を中心に急速に普及しつつあること、後者は比較的古くから存在し認知度は遥かに高いと思われますが、こちらも急速に普及しだしたのは、近年になってかららしい、というのが実態のようです。“油麦菜”について言えば、現在では極めてメジャーな野菜となっています。でも、不思議な事に、日本に於いては、今のところ“苦麦菜”共々、何一つ情報がない。

興味は大いにあるのですが、中国語が堪能でないこともあって、実態がどうもよく分からないまま探究を据え置いてきたのです。昨年秋、改めてチャレンジを開始。まず陽春から150㎞ほど北の広東省境に近い広西壮族自治区南東部の地方中心都市・梧州を訪れた際、“麦菜”畑を探してみることにしました。梧州は、かつては“小香港”と呼ばれた、内陸部水上交通の要所です。毎日、朝からお昼頃にかけて、古き時代の面影を残すビルの谷間の道路いっぱいに、近くの畑で収穫してきたばかりと思われる野菜が所狭しと並びます。

以前、陽春の市場や街角でも同様の光景に出合ったように、道行く人々の多くが、購入した油麦菜や苦麦菜をぶら下げて歩いています。この地方での麦菜類の普及度は、数ある野菜の中でも1~2を争うポジションにあるようです。

苦麦菜は、葉の切れ込みが著しいものから、全縁で外観的には油麦菜と紛らわしいものまで、変異の幅が大きいようです。写真で見ると、葉の光沢の感じが明瞭に異なることが分かります。油麦菜も、苦麦菜に似た葉のものから、レタスに限りなく近いものまで様々、生で食べてみると、微妙に甘さや苦さの程度が異なるように感じられます。

【注:最近は、苦麦菜を“甜麦菜”と呼ぶことが多いようです。また、油麦菜にも“甜油麦菜”“春菜”など、様々な呼び名があるようです。麦菜類の呼称は地域によって相違があるらしく、ネット上に示された情報も、錯綜しているように思われます。】


左はアブラナ類、右上が油麦菜、右下が生菜。   中央上が生菜(レタス)、下は油麦菜(春菜)?


アブラナ類とタンポポ類(苦麦菜・油麦菜・生菜)。右写真左端はアブラナ。


油麦菜(だったと思う)。            苦麦菜。


右から、苦麦菜、苦麦菜、油麦菜、油麦菜、生菜、生菜。

■苦麦菜の畑(広西壮族自治区梧州市)2011.9.15-17

町の近郊にある苦麦菜の畑を訪ねてみました。畑の中のあちこちに、花や種子をつけた塔(字が違うと思いますが出てこないのでこれで通します)立ちの株が、無造作にポツンと立っていたり、一か所に固まって生えていたりします。一体、どのような意味があるのでしょうか? スーリンに言わせると「これは野生である」とのことですが、そうではないでしょう(一部の株は、勝手に生えている、と言うことで、広義の意味合いでの「野生」と言えなくもないのでしょうが)。

塔立ちの葉は、食用とする深い切れ込みのある葉と異なり、その多くが全縁で、先に近い部分まで幅広く、確かに“ウサギの耳”を思わせます。比較的若々しい葉を付けた集団から、枯れた葉を纏った集団まで様々、ところどころに苗床のような場所もあるようです。しかし全て苦麦菜で、油麦菜は見出し得ません。




畑の周囲の路傍にも、多数の苦麦菜が生えています。日本の野生アキノノゲシに比べて葉も茎も大ぶりで、畑からの逸出由来であろうことが推測されますが、畑の個体に比べ、切れ込みの多い葉の個体が目立ちます(スーリンは「野生」であると断言)。



■苦麦菜の畑?(西壮族自治区融水県汪洞鎮)2011.7.8/2011.9.29

梧州の畑では、苦麦菜ばかりで油麦菜は見つかりませんでした(理由を聞いてみたのだけれど、「今は無い」と言っているのか「ここには無い」と言っているのか、、、、よく分からなかった)。そこで、数か月ほど前(野生アジサイの探索中に)、確かに“油麦菜”と思われる株を見た(下2枚の写真)、広西壮族自治区北部(梧州の北西300㎞、桂林の西150㎞)の九万大山(融水県汪洞鎮)を再訪してみることにしました。



しかし改めて確かめたら、苦麦菜でした。

 

7月上旬。これぞ“油麦菜”と思っていたのですが、やはり“苦麦菜”とのこと。

以下、同地にて9月下旬撮影。全て“苦麦菜”。こんな風に生えていると、栽培なのか逸出なのか、よく分からなくなってきます。
スーリンに写真を見せた所、全て苦麦菜で、かつ野生だと言い張ります。一見した所では、油麦菜としか思えない幅広い葉の個体も多いのですが、花や種子は紛いなき苦麦菜。野生であるかどうかはともかく、苦麦菜であることは間違いないようです。それにしてもスーリン、写真を見ただけで、よく苦麦菜と油麦菜の区別がつくものです(全て当たっている)。




網や石垣で囲われているものは、間違いなく大事に栽培されているのでしょう。



花や種子をぎっしり付けた古い塔立ち個体と、幅広い葉の比較的若い塔立ち個体が混在しています。極めて細長い葉の個体もあり、野生アキノノゲシの“ホソバアキノノゲシ”のタイプに当るのでしょうが、野生種とは、どこか雰囲気が異なります。下段左写真の株の横に注目して下さい。種子を撒いた後の市販の袋が。栽培品は、一回一回市販の種子を撒いているのでしょうか?


■油麦菜の畑(湖北省恩施市)2009.5.5

苦麦菜の普及地は、中国南部の一部地域(広西・広東・海南島など)に限られているのではないかと想定されます。南や北に外れた地域ではどうなっているのでしょうか? やや南に外れたラオス国境手前の雲南省景洪市や、ベトナム国境手前の雲南省河口市、あるいは、やや北に外れた長江南方の湖北省恩施市で出会ったのは、どれも油麦菜であったように思われます。

湖北省西部の恩施市は、“中国の中心”に位置する町。長江の南、上海-武漢-重慶-成都と東西に走る国道318線沿いにあり、(屋久島と同じ北緯30度20分)、また、西安-桂林を南北に結んだ中間地点でもあります。周辺地域からは、メタセコイアを始めとした、様々な遺存生物が知られています。別項目で紹介する“白いレンゲソウ(オナガシロゲンゲ)”の観察地でもあります。写真は、恩施市郊外の油麦菜(現地の方に確認した)畑。スーリンも油麦菜に間違いないと断言、どうしてそう簡単に判別がつくのか不思議です。“苦麦菜”のほうは、主産地からはだいぶ離れているこの辺りまで、はたして勢力を広げているのでしょうか?


 
油麦菜。恩施市内のスーパーにて。2006年から販売を開始、と聞いています(右写真右から2個目は茎食の莴笋、左はレタス)。

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朝と夜の狭間で~My Sentimental journey 2012.1.10 中国Shenzhen

2012-01-10 15:39:58 | 朝と夜、その他



喉の痛みは少し引いたのですが、胸と頭(および鼻)が猛烈に痛いです。せめて薬を買いたいのですが、やはり援助要請をしている方々からは一向に返事がありません。このブログの常連読者の方で、まだ「青山潤三ネーチャークラブ」に入会して頂いていない方がいらっしゃいましたら、どうか入会して下さい。
本来ならば、カメラを修理から出して、台湾に渡り、そこから沖縄経由で東京に戻る予定だったわけですが、目的のヘツカリンドウの開花期はそろそろ終わります。(雑誌の企画ともども)来年回しにするしかありません。その資金(修理費5万円余+交通費など、、、アモイ~台北約8000円という情報あり)調達は無理でも、せめて医療費と、日本との連絡を取るための当面の滞在費用(一泊800円前後)だけでも捻出したいのです。どうか助けて下さい。
この後、「東洋のレタス“麦菜の謎”」のプレゼン再編版を一括掲載しますが、その前に、現時点での総まとめを紹介しておきます。本体(原則として以前にアップしたのと同じ内容、それを縮小再編し新たな情報を付け加えたものです)のアップは明日になります。




海の向こうの兄妹たち~中国動植物探索紀行



第1部第2章 東洋のレタス“麦菜”の謎/野菜になった雑草・アキノノゲシ(章前)


レタスと麦菜の関係を、もう一度はじめから考えてみましょう。

苦麦菜≒アキノノゲシ
油麦菜≒レタス

という図式は、(花や種子の形態からして)まず間違いないものと思われます。
(「油麦菜」の一部に「アキノノゲシ・苦麦菜」との遺伝的交流を持った集団が存在する可能性は残りますが)

ここでは、本来の主役である(アキノノゲシ由来であろう)苦麦菜は、とりあえず無視。
油麦菜とレタスの関係についてのみ考えます。

まず、仮設を立ててみました。

中国で言う「レタス(生菜)」は、もちろん、西側社会(日本を含む)でいう「レタスLettuce」であることは間違いないでしょう。
中国では、それとは別個に「油麦菜」という野菜が存在するわけです。
しかし、こちらも、西側社会における一般概念の「レタス」の中に含まれるのではないでしょうか?

中国:レタス/油麦菜
世界:レタス(油麦菜)
と言う図式です。

世界的視野で見れば、「油麦菜は“中国レタス”」となるわけです。
しかし、中国で言う「中国レタス」は、断じて“油麦菜”ではないように思われます。
結球性の(サラダとして生食する、、、、需要は僅か)レタスが「西洋レタス(西生菜)」、
非結球性のカキヂシャタイプの(茹でたり煮たりして食べる、、、、こちらの需要が大半)レタスが「中国レタス(唐生菜)」
なのです。油麦菜はそれらとは全く別の存在で、こと中国に於いては「レタス(生菜)」の範疇に含まれることはありません。

ここで、西側社会から見た「レタスLettuce」を、改めて整理しておきましょう。

野菜としての「Lettuce」の歴史は古く、起源前6世紀以前にさかのぼり、ユーラシア大陸に広く分布する(ただし正確な在来分布地は不明)アレチヂシャ(トゲヂシャ)Lactuca serriolaが育種改良された、またはアレチヂシャと、ほぼ同所的(地中海周縁部~中央アジア)に在来分布するLactuca salignaとの交配起源に因る、と考えられています。いずれにしろ人為的に作成した“有用植物”であり、したがって“Lactuca sativa”の学名は、栽培レタスに与えられたものゆえ、通常の野生生物の“種(species)”とは、異なった概念の上に成り立っているのです。

Lactuca sativa L. 
レタス/チシャ/莴苣Wo ju/萵苣Wo ju (Taiwan)/生菜Sheng cai/Garden lettuce/Lettuce

●①Angustana Group
ステムレタス/茎レタス/カキチシャ/大葉萵苣 Da ye wo ju/Jing wo ju/莖用萵苣Jing yong wo ju/Nen jing/Wo ju/莴笋Wo sun/Asparagus lettuce/Celtuce

▲①A Stem type
Celtuce/Chinese stem-lettuce(グループ全体に添附された茎レタス等の名称は本来このタイプに相当するものと思われます)
 
▲①B Leaf type
油麦菜You mai cai/Chinese leaf-lettuce
(一応、これが“油麦菜”が帰属するタクサ。茎を食べるタイプのものは▲①Aに入るのでしょう。
▲②Bは“「茎レタス」の「葉タイプ」”と言うことになります。呼称が中国名と英名しか無いということは、世界的にはまだ普及していないということなのだと思います)。
 
●②Capitata Group
タマチシャ/結球性レタス/结球莴苣Jie qiu wo ju/Juan xin wo ju/Cabbage lettuce/Head lettuce/Heading lettuce/Iceberg lettuce

▲②A Butterhead type
Bibb lettuce(USA)/Boston lettuce(USA)/Butter-head lettuce/Butter lettuce

▲②B Crisphead type
皱叶莴苣Zhou ye wo ju/Crisp lettuce/Crisphead lettuce/Iceberg lettus./チリメンヂシャ(ほかに“Red Iceberg”を含む)

●③Crispa Group
チリメンチシャ/カキチシャ/皱叶莴苣Zhou ye wo ju/San ye wo ju/Wu tou wo ju/Curled lettuce/Cut lettuce/Cutting lettuce/Leaf lettuce/Loose-leaved lettuce/Vietnamese lettuce(“チリメンヂシャ”や“カキチシャ”の名は、幾つものグルー
プに跨って冠せられていると解釈して良いのでしょうか?)

●④Acephala Group
チリメンヂシャ/サニーレタス/リーフレタス/葉レタス/皱叶莴苣Zhou ye wo ju/Batavian lettuce/Crinkled leaf lettuce/Loose-headed lettuce/Non-heading cut lettuce/Wrinkle-leaved lettuce

●⑤Secalina Group
Criolla lettuce/Italian lettuce/Italian leaf lettuce/Latin lettuce/South American lettuce/Tall leaf lettuce(ほかにLaitue italienne =“Lollo Rossa”を含む) 

●⑥Longifolia Group
コスレタス/ロメインレタス/タチチシャ/Zhi li wo ju/Cos lettuce/Romaine lettuce
(大多数の文献では、「油麦菜」はこの分類群に含められています。アメリカ産のレタスの1/3はこれ)

●⑦Quercifolia Group
Cultivated oakleaf lettuce/Cultivated oak-leaved lettuce(ほかにItalian oakleaf lettuce=“Radichetta”を含む)

このリスト(Multilingual Multiscript Plant Name Database Sorting Lactuca Name)に於ける「Group」は、通常「ssp.亜種」「var.変種」として扱われています。このリストでは、あえてその分類単位を用いず、「グループ」を用いたのは、意味があってのことと思います。これらの「種以下の分類群」は、必ずしも生物学的な意味合いでの系統関係を反映しているわけでは無いはずです。野生種の側からみた分類ではなく、人間にとっての(野菜としての)利用に即した分類であると思われるからです。

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現在の中国に於けるレタス類は次の4者に大別できるでしょう。

■西洋レタス
いわゆる私たち日本人の言うところのレタスで、典型的結球性。生食(サラダなど)。中国での消費量はごく僅か。「西生菜」「西洋レタス」。

■生菜(レタス)
7世紀前後にヨーロッパから中国や日本に導入されたのは、非結球性の品種カキチシャ(株の下方から葉を“掻きとりながら”食べるレタス、という意)。やがて欧米で改良された新品種群(なかんづく結球性の生食品種)に取って代わられ衰退、しかし近年になって改めて人気が高まりつつあり、(韓国のサンチュを始め)非生食野菜として鍋物などに普遍的に利用されている、、、。一般のレタスの解説書には、おおむねそのような記述がみられます。この考えに沿えば、いわゆる「カキヂシャ」(おそらくvar.crispa)が、(より古い時代にヨーロッパから導入された)アジア古来のレタスということになります。非結球性で、通常は生食せず、煮たり茹でたりして食べ、中国で、ただ「レタス(生菜)」と呼べばこれを指します。あえて固有の名を付ければ「中国レタス」「唐生菜」。7世紀に導入された「カキヂシャvar.crispa?」の末裔ということになるのですが、結球性で生食する「西洋レタス(西生菜)」に比べれば“舶来感”が少ないとは言えども、1500年の昔に導入され現在に至っているとは思えない“新しさ”を感じます。現在の「中国レタス」は、より最近に導入された(例えばvar.longifoliaやvar.acepalaなどに繋がる)品種群で、7世紀に導入されたという「カキチシャ」の真の末裔は、現在の「油麦菜」ではないのか?という思いが、ほんの少しながらあります。旧古来=油麦菜(古い概念でのカキヂシャ)、新古来=中国レタス(現在のカキヂシャ)、と言う訳です。あくまで、なんとなく、なのですが。

■油麦菜(ユーマイツァイ)
現在の中国に於いては、生菜とは明確に区別されています。7世紀に導入された「カキヂシャ」の末裔はこちらではないか、との思いもありますが、やはりそうではなくて、まったく別個に作出され、普及していった野菜である可能性の方が強いでしょう。でも、いつ頃、どのような由来で成り立った野菜なのかは、全く分からない。油麦菜の学名は、中国での文献の多くには、var. longifolia
とされています。地中海で作出され、アメリカで最も普及している、「コスレタス」「ロメインレタス」「立ちレタス」のことで、確かに概形は良く似ているようです。しかし、系統上は別個の存在であると考えるのが妥当なように思われます。より信頼できる上記報文リストによると、longifoliaとは別の一群、angustanaのグループ(var.angustanaに相当)に置かれています。「ステムレタス」「茎レタス」のことで、この変種の基本形は茎の著しい発達(その食用化)が特徴なのですが、それから導かれた葉の発達した「Leaf タイプ」が「油麦菜」というわけです。実際、茎の発達した個体と葉の発達した個体は、現地でセットになって見だされるので、両者が同じ由来であることが分かります。ただし、一般に(欧米や日本で)消費される「ステムレタス」と、中国に於ける茎食レタス「莴笋」が相同であるかどうかは、かなり疑問です。中国の「茎レタス(莴笋)」も「油麦菜」も、真のangsutanaとは別個の存在、と考えた方が妥当でしょう。7世紀に導入された「カキヂシャの末裔」でも、「コスレタス」でもなく、欧米で普及しているangustanaとも別物だとすれば、正体は何なのでしょうか? レタスには違いなくとも、欧米のレタスとは別個に改良され普及した東アジア独自の野菜である可能性は大いにあるでしょう。可能性はずっと低くても、レタスとは別に、アレチヂシャ やその近縁種(中国にも狭義のLactucca属の数種が在来分布します)から作出された野菜なのかも知れません。さらに、(属を細分した場合の)Pterocypsela属の種、アキノノゲシ/苦麦菜との遺伝子交流の可能性も、皆無とは言えないでしょう。

■苦麦菜(クーマイツァイ/省略)

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レタスと中国の組み合わせは、あまりしっくりと来ないのですが、統計では世界のレタスの生産量・消費量とも、断トツの1位が中国。2位のアメリカに比べ、生産量にして約5倍、消費量でも約3倍の差があります(日本の10倍以上)。中国での消費の大半は、 
生食する(主に結球性品種の)「西洋レタス」ではなく、茹でたり煮たりして食する、非結球性の「中国レタス」に因ります。それにしても、世界のレタス生産・消費量の半数近くを、サラダなどほとんど全く食べる習慣を持たない中国が占めているわけで、“レタス=サラダ”と認識している我々としては、意外に思えてしまいます。

生産・消費量の中に油麦菜も含まれているかどうかは不明です。レタス(「中国レタス」)を煮て食べるのは昔から成されていことでしょうが、大量の消費が始まったのは、比較的近年になってからではないでしょうか? それと共に、「油麦菜」も同様の利用方で急激な普及が成され出したのだと思われます。苦麦菜の食用化は、地域によってはより古くから存在していたのでしょうが、一般的な普及という形では、最も新しい参入者なのではないかと思われます。
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朝と夜の狭間で~My Sentimental journey 2012.1.9 中国Shenzhen

2012-01-09 20:43:38 | 朝と夜、その他


今年の中国南部は例年になく寒いようで、とうとう風邪をこじらせてしまいました。猛烈な喉の痛みから始まって、胸をやられてしまった(軽い急性肺炎、、、これまでにも何度か似た症状を患ったことはあるので、それほど心配はしていないのですが)。今回の予定訪問地は、広西・広東・台湾・沖縄で、いずれも暖かい地方と思っていたものですから、衣類も薄着のままです。早晩やられるとは思っていたのですが、ついにダウンです。

相変わらず、入金予定の振込みは有りません。明日の宿泊費を支払って、残り約20元(約250円)。明後日以降のことはともかく、風邪の薬を購入して当面のピンチを切り抜けたいのですが、いくら物価が安い中国とはいえ、この予算では不可能です。

そこで、改めて読者の皆様にお願いします。まだ、「青山潤三ネーチャークラブ」に入会して下さっていない方で、常連読者の方がいらっしゃいましたら、どうか入会して頂きたいのです。

よろしくお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プレゼンテーション再編草稿の掲載は、明日からを予定しています。まずは、「東洋のレタス“麦菜”の謎」の集大成です。ご期待下さい。


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朝と夜の狭間で~My Sentimental Journey 2012.1.8 中国Shenzhen

2012-01-08 15:04:02 | 朝と夜、その他


仕事に結びつくメールは(「ネイチャークラブ入会」の打診を含めて)未だ全く来ない!

来るのは、どうでもいい(ごめんネ!)中国の若者たちからばかりです。相変わらず最多メールはテンテン。意図が全く分からないので、困っています(ある意味とても心配なのです)。

●「よかったらアモイまで行くよ!」と伝えても、「来なくていい!」といいつつ、やがて「今どの辺まで来ているの?」とか。
●「仕事を辞めて(僕が辞めろと言ったから?)飢え死にしそうだ」とメールが来て、「僕もお金がないのでもう少し待ってくれ、そのうちに」と返信すれば、「友達に借りたからもう大丈夫、心配しないでいい」とか。
●「アドレスを変えた、でも返信の必要なし」と言われて、2~3日メールしないでいると、「なぜメールをくれないのか?」とか。
●心配で「大丈夫?どうしているの?」と尋ねても、「別に問題なし、なんでそんなこと聞くの?」とか。
●「良かったね」とメールすると、「もう駄目だ、この世の終わりだ!」とか、、、、、。
●と思えば突然「寒くなってきたから青山さんも沢山服を着て風邪をひかないように」とメールが来たり、、、、。

●今日は、「今どうしているの?どこにいるの?」とメールが来たので、「センツェン、相変わらず日本からの資金の調達待ち」「アモイに行った方が良いならとりあえず行くよ!行かなくても良いのなら台湾に向かう」と、毎度同じやり取り(いつも肝心の答えが来ない)。

助けを求めてきた人があれば、どんな人であろうとも、(第3者がどう思おうとも)全ての人に対して真摯に対応しなければならない(むろん自分が可能な範囲でしかないのですが)、というのが僕のポリシーです。

今回の“年賀メール”に関しては、忸怩たる(安倍元総理がこの言葉の意味を“間違えて使った”と言うのは、必ずしも正鵠な指摘ではないと考えるので、あえてここで使います)思いがあります。

以前に頂いたメールへの返信が、60余通のうち、2通、(自動的に)受信拒否されてしまったのです。一通は、僕と同年配の(極めて親しい、でも随分長い間連絡を取っていなかった)昆虫関係の友人。彼は以前から体の具合が悪かったので、心配です。

もう一通は、去年の秋、突然やってきたリビヤからのメールへの返信。ちょうどカダフィが殺害された前後です。内容は(苦手な英語のため)詳しく解読していないのですが、その大概は「政変により、自分の夫が逮捕された、助けてほしい」(彼がカダフィ側なのか反カダフィ側なのか僕には今一つよく分からない)と言うことだと思います。なぜ僕のところにメールが来たのかは不明。思い当たる節はひとつ、少し前に、香港国際空港で、隣りに並んでメールを打っていたアメリカ人(ルーツはモロッコとのこと)の紳士と仲良くなったのです。彼が力説するに、アメリカの言っていることは、全て全く嘘っぱち、イランやリビヤはとても素晴らしい国、なのにアメリカのために酷い目に合っている、云々、、、、。彼が僕を紹介したのかも知れない。

全く政治音痴、コネも資金もコミニケーション(英語)力も全くない僕には、どうしようもないのですが、助けを求められたからには、何が出来るかはともかく、何らかの反応を示さねばなりません(それが人としての務めでしょう)。しかし、僕の英語能力と政治知識では、事態の正確な把握が出来ない。(イスラム世界に詳しい)T.N.嬢に相談したりして、そのうちにとりあえず返信を、と思っている間に、数か月が経ってしまいました。

それで、この“年賀メール”の機会に、「返事が遅れてすいません、僕に出来ることがあれば、とは思っているのですが、今、僕自身も多くの問題を抱えています、もう少し時間を下さい、改めて返事いたします」と返信したところ、撥ねられてしまいました。彼らがその後どうなったのか心配です。藁をも掴む気持ちで助けを求めたのに返事が来なかった、その無念を思うと、胸が痛みます。

でもまあ、それはともかく、今はテンテンどころではないのです。

とにかく、日本との交渉を続けるしかない。カメラの回収、台湾での取材、それを始めないことには先が見えてこないのだけれど、ヘツカリンドウのシーズンは、そろそろ終わりだと思う。今年は、もう諦めねばならぬかも知れません。

とりあえず、今回は「麦菜」一本に絞って、(日中)各メディアとのやり取りをしなければ。

そんなわけで、今のところ、センツェンのユースで、待機している以外にないのです。打診を行っている日本の各位からの返信、油麦菜の花関係の情報、今夜訪ねてくるはずの杭州のT.V.局のZ嬢(それだって仕事に結び付くのは先の話ですが)、それらを待っているしかありません。

あや子さんは、早く日本に帰って、バイトをしたら?と言うのですけれど、数少ない日本での(60代の僕を使ってくれる)バイト口の、マクドナルドの深夜清掃(日当4000円)にしても、給与支払いは2か月後ということで、それじゃあどうにもならない。どうせ同じ二か月後なら、新聞か週刊誌の受注を取ることの方が、優先順位だと思います。

これまでに「あや子版」には発表してきた分と、新たにプレゼン用に纏め直した分を、改めコンパクトに編集し直した『麦菜の謎』を、今、やっと纏め終えたところです。

『麦菜』をテーマにした作品としては、一か所(月刊誌の単発掲載)がほぼ決定しているのですが、出来得れば複数のメディアで発表したい、と望んでいます。一両日中に再編版を「あや子版」に一括再掲載しようかと考えていますので、それをご覧になった読者のどなたかに、メディアなどへの橋渡しをお願い出来ればと、望んでいる次第なのです。





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朝と夜のはざまで~My Sentimental Journey 2012年正月(断片3)

2012-01-06 21:38:11 | 朝と夜、その他


河源市に一時避難、2泊した後、明日7日にセンツェンに戻ります。前回と同じ「城車大酒店」の室内に蟄居して、プレゼンを纏めつつ、資金援助の朗報待ちです。

食堂で、前回同様、麦菜料理をオーダーしてみました。質屋から出してきたカメラはぶっ壊れているのですが、全く使えないわけではなく、時間をかけてピントを合わせシャッターを何度か押せば、一応撮影が出来ます。

食べる前に写した写真を紹介しておきます。今回は生菜(レタス)も加えてみました。油麦菜・苦麦菜との、炒め物3ショットです。ごはん2膳にお茶が付いて、合計36元(400円余)。今の僕の身分ではかなり贅沢ですが、まあ仕事と思えば安いものでしょう。



苦麦菜・油麦菜・生菜(レタス)の炒め物3ショット。




左から苦麦菜・油麦菜・生菜(レタス)。前回、「ほとんど区別はつかないけれど、それと分かって味わえば、油麦菜には“ほんのりとした香り”が、苦麦菜には“野生の青みの名残り”が感じられるように思う」と記したけれど、正直のところ、ほとんど区別がつきません。生菜と苦麦菜を比べればなんとなく区別が付くのですが、間に油麦菜を置くと分からなくなってしまう(笑)。

ちなみに呼称は、地域や人やその場の気分(笑)によって錯綜していて、前回撮影のものは、苦麦菜が品種「甜麦菜」、油麦菜が品種「香麦菜」、と説明されたのですが、今回は、苦麦菜は苦麦菜、甜麦菜とは別物、と言い張ります。また前回撮影した写真を見せたところ、香麦菜としたのは、生菜ではないか、との意見。それと、梧州では、あなたが油麦菜と言っているのは(すなわちこの時期に出回っている“油麦菜”は)「春菜」のことである、と指摘されていたのだけれど、この河源では“春菜”なんて知らない(これは春菜ではなく油麦菜)と言われてしまった。いちいち細かいことを聞いていたら埒があきません(いくらかは本当のことや重要な事実も含まれてはいるのでしょうけれど、おおむねいい加減だろうと考えて間違いない)。

ということで、調理前の“生の葉”も添えて撮影しておきました。

試しに生で食してみました、、、、。苦麦菜は確かにアキノノゲシの味ではあるのですけれど、意外に苦みが少なく、それなりの品種改良がなされているのではないかと。また油麦菜は、完全に生菜と同じと言うことではなく、やや苦麦菜に似通った風味も感じられます。

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この後、作成し終えたプレゼンテーションを、ブログ上でも少しづつ紹介して行こうかと考えています(どのような形で紹介して行くかは、あやこさんと相談したうえで決める予定)。読者の方の中に、これらのプレゼンテーションの送付を受け入れてくれそうなメディアそのほかにコネクションがある方がいらしたなら、ご一報いただければ有り難いです。

おおまかに
●「海の向こうの兄妹たち~中国動植物探索紀行」
●「四川雲南花の山旅~世界遺産“花街道”をゆく」
●「遥かなる白い国へ~ガイドブックなしの中国旅行」

以上の3テーマは、いずれも中国西南部が主要舞台ですが、それぞれ異なった角度からのアプローチを行います。
■「海の向こうの兄妹たち」は、原則野生生物を対象とした上で、人類の生活(の歴史)と、野生種(や環境)との関わりについて考察していく予定です。全体のテーマは「日本との繋がり」。生物地理学的観点から、易しく、かつ興味深さが伝わるような構成で組み立てて行くことが出来れば、と考えています。
■「四川雲南花の山旅」は、より一般向けのガイドブック(兼図鑑)として、ビジュアル的な視点からの紹介を主眼に置いて纏めてみました。ツアー旅行者でなく、個人旅行者を対象として、既存の公共交通機関を利用しての行動の手助けとなるべく、四川・雲南各7か所の花の名山ガイドと、中国の野生植物の図鑑を兼ねたものを考えています。
■「遥かなる白い国」は、「中国自然紀行」が生物地理学的な視点から、「花の山旅」が一般ガイドとして、それぞれ野生生物を対象としたのと違って、特に野生生物に絞るのではなく、「白」を共通テーマに、幅広く風景や人々の暮らしなどを紹介して行きます。ガイドブックに指示された目的地に辿り着いて、そこを見ることだけを目的とし、途中の車中は眠りこけている、、、、勿体ない限りだと思います。行き当たりばったりの行程の中で、自分の目で、それぞれの地域における興味深い対象を探り当てる、その醍醐味を知ってもらうための一助になればと考えています。

以上に加えて、屋久島絡みの、
●「屋久島はどこにある?」
屋久島の本質を知るためには、日本本土・琉球列島・中国大陸をはじめとした、周辺地域をトータルに見渡したうえでの「屋久島」の位置づけを知ることが不可欠です。屋久島産の重要な生物、いわゆる“固有種”のほか、遠い地域に飛び離れて分布する種や、屋久島周辺のみに知られる種の、屋久島以外の地域に生きる“同胞”を探索する、いわば“屋久島のアイデンティティーを探る”旅にチャレンジします。

従来からの、メインのライフワークとしての、
●「東アジアの野生アジサイ」
●「東アジアのチョウ」
●「東アジアのセミ」
については、今後も時間をかけて、取材・構成に取り組んで行きます。

そのほか、
●「朝と夜の狭間で~My Sentimental Journey」
は、千明さんとの理不尽な破局とその後の展開を主題に“最高齢芥川賞狙い”(笑)で、
●「ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代」
は、『Beatles出現直前、60年代初頭のPopスター達の華々しい活躍は、なぜロックの歴史から、完全に抹殺されてしまったのか? “英語が出来ない”“音楽の知識が全くない”“アメリカの歴史も社会もわからない”著者が、無謀にも挑んだ、こだわりの“アメリカン・ポップス史”、「大和と琉球と大陸の狭間で」に続く“狭間シリーズ”第2弾!』として、
それぞれ追々構想を練って行きたいと考えています。

いずれも、これまで「あやこ版」や「ネイチャークラブ」で発表原稿を再編したもので、テーマによっては、これまでに紹介したものと大幅に重複した内容になります。


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