青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

非科学的な話~雲の向こうの白い国 Ⅲ タンポポ

2024-04-20 20:48:32 | その他



今日4月20日は、Johnny Tillotson 86歳の誕生日。

毎年、お祝いのメールを送っているのだけれど、今年は僕のヤフーメールのアカウントのパスワードが変更されて本人証明が出来ないでいて、様々な連絡先が全て見れなくなってしまっています。ジョニーのアドレスも分からなくなってしなった。これからツイッターとかで探して(操作方法が分からないので誰かに手伝って貰わねばならない)送信しようと思っています。



ここんところ、ジョニーの「新曲」が相次いでyou-tube上にアップされています。むろん、録音されたのは大分以前(と言っても2000年代に入ってから?)なのでしょうが。

いろんな曲を紹介していきたいのですが、選んでいたらあれもこれもできりがありません。取りあえず2つ。



it keeps right on a hurtin' first time hearing - 検索 動画 (bing.com)

https://www.youtube.com/watch?v=DTkA9AfyjJE (上と同じ)

ひとつは、現代の若いDJが昔の曲を紹介するコーナー、曲を聴いて感想を述べます。ジョニーも「ポエトリー・イン・モーション」や「ホワイ・ドゥ・アイ・ラブ・ユー・ソウ」などが取り上げられていて、むろん「涙ながらに」もあります。

若い男女2人のD.J.。とても気に入ってくれているみたいなので、僕も嬉しい気持ちになります。

「ポップス」なのか「カントリー」なのかと言ったようなことを議論したりしながら(「クルーナー」だ、と何度も感想が入ります)曲がオンエアーされます。

現代の若者に拠る、昔の音楽の再評価、、、いい企画ですね。

なお、ここで取り上げられている音源は、1962年のCadenseのオリジナルではなく、1967年のMGMバージョンです。僕は、これまでは圧倒的にケイデンス盤が優っていると思っていたのですが、改めて聴いてみると、MGM版も結構素敵です。



Bing 動画

もう一つは、同じくジョニー自身のペンによる1963年のヒット曲「涙でいっぱい」。この曲は、なぜか(結構ヒットしたのにも関わらず)40年近く、アルバムにもベスト盤にも収録されていませんでした。最近になって、別テイクを含む音源が次々とアルバムに組み入れられて、のみならず、2023年にはセルフカバーの新譜?として発表されています。

いつ頃の録音なのでしょうか? 少なくても1960年代でないことは間違いないですが、1980年前後なのか? 2000年代に入ってからなのか?

これが素敵なんですね。60年代のソフトで素直な歌声とは異なる、粘っこい独特の節回し、何といっても、バックに展開されるジョニーの映像が良い。特に古いライブの動画。これまで60年代初頭の動画はほとんど公開されていない(50年代末、60年代後半は幾つもある)のだけれど、ここにはごく短い映像が、同じような背広とネクタイのスタイルで、ギター無しと、ギターを抱えたのと、2つ挿入されています。

61年を挟んだ前後1年でしょうか? 別ユーチュブに基づけば、ギター無しのほうは「アース・エンジェル(口パク)」のようです。ギターを弾いているのは、どの曲なのでしょうね(バラード曲)。



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今日は、大谷君、一平さんの話は無しです(ちなみに、若い頃のジョニーは、大谷君にどことなく似ている)。

僕のもひとつの趣味、明治文学絡みですが、内田魯庵と三田凡天寺が「趣味人は学問分野に分け入るべきか否か」と言ったようなことを一発触発の雰囲気で激論していました。そこに2人の友人の淡島寒月からエールが。「どっちも負けるな!」と。登場人物のメンツ(キャラの濃さ)が凄いですね(分かる人は分かる)。



ということで、僕は今後とも、大谷君、一平氏を、ともに応援し続けます(形の上では、劣勢の一平氏に肩入れする)。

ユリの話をしていく予定でいたのですが、いつの間にかレンゲソウとかタンポポとかに寄り道してしまっています。今日は、白いタンポポ。



ちなみに旧い分類体系では、頭花が舌状花のみからなる(タンポポ属を含む)タンポポ連の種は、他の全てキク亜科の種と対応するタンポポ亜科として纏められていました。現在の分類体系では(タンポポ亜科としての纏まりはそのまま保たれているにせよ)、他のキク科植物とともに単系統上に組み込まれています(コウヤボウキなどが側系統)。ちょうど“蝶”に於けるセセリチョウ科の処遇の変遷と軌を一にします。



タンポポ連全体としては、僕の興味は、レタスやアキノノゲシを含むLactuca属、それと中国の高山帯に生える(今回紹介する高山性白花タンポポとも混在する)原始的な花序構成を示す絹毛苣菊属 Soroseris で、タンポポ属は(興味はあるけれど)知識は全くないし、撮影個体のチェックもきちんとは行っていません。



タンポポ類の分類は非常に複雑です。おそらくは近年のDNA解析で、かなり詳細な分類体系が構築されていることと思いますが、僕はまだチェックしていません。それで、頭の中に朧げにインプットしている、森田竜義氏による旧来の解析結果に基づいて、話を進めて行きます。



所謂「タンポポ」は、ごく大雑把に言って「日本タンポポ」(在来種)と「西洋タンポポ」(帰化種)から成ります。

在来タンポポは、いわゆるニホンタンポポに代表され、カントウタンポポ、トウカイタンポポ、カンサイタンポポなどが含まれます。それにエゾタンポポや高山性各種あるいは特殊地域に稀産する数種が加わります(互いの系統上の関係については割愛)。

帰化タンポポは、セイヨウタンポポに代表され、近年はアカミタンポポをはじめとした数種も加わっているようです。



中国での実態は、僕は把握していません。おそらく上記した日本産各種の関係性が、より複雑に入り組んだ状況を示しているのではないかと思われます。蝶に置き換えれば、セイヨウタンポポがモンシロチョウ、ニホンタンポポがスジグロチョウーエゾスジグロチョウの一群、と言うところでしょうか?



ニホンタンポポは(大雑把に見て)首都圏がカントウタンポポ、京阪神圏がカンサイタンポポということになりますが、西日本にはもう一種、白い花のシロバナタンポポが存在します。

関西では黄花と混在(東日本でも稀に見られる)、九州では黄花の在来種は稀にしか見られず、ネイティブはほとんどがシロバナタンポポです。

シロバナタンポポは独立の種Taraxacum albidumで、稀に出現する他の日本タンポポの変異型である「白花のタンポポ」とは、基本的な存在次元が異なります。



ちなみにシロバナタンポポは、西日本一帯の比較的広い範囲に分布しているのですが、全ての個体が(黄花のどれかの種から生じた)同じ遺伝子をもつ、いわゆるクローンによって形成されているのだそうです。



中国大陸ではタンポポの撮影時にきちんと形質チェックはしていないので、日本産との相関性などについては分かりません。白花のタンポポも時々見かけますが、それが(黄花種の)白花変位型なのか、日本産のシロバナタンポポと同じ種なのか、別の独立種の白花のタンポポなのか、僕には判断がつきません。もっとも、現在整理中の段階で、低地産に関しては白花はほとんど見当たらず、唯一、山東半島産(朝鲜蒲公英Taraxacum coreanum?)を紹介しておくに留めます。



一方、西南部の山岳地帯では白花がメインと成ります。標高3000m~4000m台の高山草原に生育、幾つかの地域で撮影しましたが、それらが同じ種なのかどうかは不明。日本のシロバナタンポポとの関係も不明ですが、見た感じでは非常によく似ていて、その関係性が気になるところです。

*「中国植物志」では「白花蒲公英=T.leucanthum」(ウイグルやチベット周辺地域に分布)。「中国植物図像庫」では「白花蒲公英=T.albiflos」(中国各地に分布)。



福岡県飯塚市2024.3.27







福岡県飯塚市2024.3.11







福岡県飯塚市2023.3.19









福岡県飯塚市2023.4.1





福岡県飯塚市2023.4.3





福岡県飯塚市2023.5.1





福岡県飯塚市2023.5.2





福岡県飯塚市2023.5.9





山東省青島市2001.4.28





四川省塔公-八美 alt.4200m 2010.7.23





四川省雅江-新都橋 alt.3500m 2010.6.7













四川省理塘-巴塘 alt.4200m 2010.6.10





雲南省香格里拉 alt.3300m 2005.6.20









雲南省香格里拉 alt.3300m 2015.7.29





雲南省香格里拉 alt.3500m 2015.7.30





















雲南省白馬雪山 alt.4400m 2009.6.15












雲南省白馬雪山 alt.4300m 2010.7.24





雲南省白馬雪山 alt.4100m 2008.7.29





雲南省白馬雪山 alt.4200m 2005.9.28



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次回からユリの話(10~20回を予定)。






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非科学的な話~雲の向こうの白い国Ⅰレンゲソウ

2024-04-18 21:25:11 | その他



一平さんに対しては、僕は正直言って、以前は苦手でした(なんでこんなに胡散臭い人が持て囃されるのだろうと)。大谷君は文句なくカッコいい。



今回の事件で、一平さん、見直しました(笑)。様々な(むろんネガティブな)情報が入ってくるにつれて、益々興味深々です。相反するように、大谷君が実につまらない人間に思えてきた(変わらずに応援していますが)。



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教育は洗脳、科学は手品。

陰謀論とか、エセ科学とか、僕は好きですね。

理屈ではよくわからんことを指摘すると、それは非科学的と蔑まれ、陰謀論として処理されてしまう。



今、ユリ科のあれこれ(ことに「Biosystematic Studies on Lilium I. Phylogenetic Analysis Based on Chloroplast and Nuclear DNA Sequences and a Revised Infrageneric Classification Seita T. Watanabe et.al」に基づく系統分類)をチェック中なのですが、意外な系統関係の組み合わせが示唆されていて、興味深いのです。



例えば、奄美固有のウケユリは、本土のササユリにごく近いとする解析結果。普通に考えれば、外観がより類似し、かつ同所的に(より広範囲に)分布が重なるテッポウユリと関連が深いように思われるのですが、遺伝的には遠く離れていて、本土に広く分布するササユリに近縁(というよりも種レベルでほとんど同一?)という解析結果が出ています。



そういえば、色とか全体の雰囲気はササユリに似ているかも知れませんね。そして花のプロポーションが独特です。実は、蝶の場合も、奄美の固有分類群は(他の生物の固有分類群の多くも)、種をクロスオーバーして独特のプロポーションを示している気がします。共通項は「丸味を帯びた四角」(蝶の場合は翅の概形)。どう説明すれば良いのでしょうか、こんなのは、科学での説明は不可能だと思うのですが(辻褄が合う説明があったとしたら、それはインチキ)。



次回のブログから、ユリ科の話題に戻る予定です。



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一昨日は天気が良かったので、知人の車に乗せて貰って、英彦山中腹にスギタニルリシジミ探索に向かいました。

萌える新緑に覆われた渓流に腰まで浸かって、濡れた岩上に吸水にやってくるだろうスギタニルリシジミを待ち続けました。お昼前後に2回だけやってきた。一瞬のワンチャンス、携帯電話の画面をギリギリまで近づけて、なんとか撮影に成功しました。



本州のスギタニルリシジミは、翅の裏表とも黒っぽい暗色なのですが、九州産はルリシジミに似て白く明るく、大陸産(更に白っぽくて明るい)との関係を考察するうえに置いて、重要なポイントになるのではないかと、僕は思っています。今更撮影したところで、意味がないと言えば意味ないのだけれど、やっぱり自分の目で生きた姿を確認しておくことは、大きいと思うのです。



オマケの収穫もありました。帰路、麓の路傍の空き地に、レンゲソウが一面に咲いていた。以前は見慣れた光景であるのだけれど、最近は目立って少なくなりつつあります。



白い花も混じっていました。九州では白花が出現する頻度が高いように思われます。





レンゲ畑。福岡県大任町2024.4.14









白い花も混じっています。同上



レンゲソウの原産地は一応中国大陸ということになっているのですが、僕の知る限り中国では日本のような“一面のレンゲ畑”には出会えません。中国のどこに自生地があるのか、ということも分かっていません(その辺りの事は「海の向こうの兄妹たち・上巻/59頁~108頁」で紹介・考察しています)。



中国に於ける、日本の紅花種)に対応する自生種(花序が総状にならない非高山性の種)は、その多くが白花です(種名が特定できないので仮称和名で記します)。レンゲソウも「西に向かうと白くなる」生物の一員と言って良いでしょう。



↓以下に、「海の向こうの兄妹たち(上)第三章」から一部を抜粋しておきます。



■中国の“里山ゲンゲ”4 種について 中国科学院編(科学出版社)の中国植物志・第 42 巻第一分冊(1993 年 12 月刊行) はゲンゲ属 Astragalus を中心に組まれていて(他に同一亜族 Coluteinae に含まれる 3 属を収録)、ゲンゲ属 278 種の解説・189 種の図版(線画)が表示されています。 レンゲソウ(ゲンゲ)については、125 番目に、Astragalus sinicus(中国名:紫 云英)として、12 行(他種とほぼ同じ分量かやや少なめ)の解説文と、図版で紹介 されています。ゲンゲ属に於ける A.sinicus の位置付けは、8 亜属中三番目の華黄耆 亜属 Sub-genus Astragalus(7-section)、その第 6-section 傘序組 Sect.Lotidium(8 種)の一員、ということになっているようです。 8 種中レンゲソウを含む 5 種(A.sinicus のほか、[124] A. tungensis 洞川黄耆、[128] A.souliei 蜀西巫山黄耆、[130] A.sutchuenensis 四川黄耆、[131] A.wenxianensis 文 県黄耆)が図版表示されています。記述や図に於ける判断では、傘序組 Sect.Lotidium 076 の共通項は、花序の小花が傘状(外側に向かって垂れ下がり気味という意?)に付く ことのほか、果実が余り膨れないことと、葉がやや丸味を帯びる(ただし小型)とい うことぐらいのようで、いずれも花序は、レンゲソウのように(外観上の)散形とは ならないようです。仮にある程度はレンゲソウに近いグループであるとはしても、レ ンゲソウのルーツを探る対象と成り得るような、ごく近い類縁関係には相当しないと 考えられます。 図版に載っていない 3 種は、[126] A.yangtzeanus 揚子黄耆、[127] A.wushanicus 巫山黄耆、[129] A.fangensis 房県黄耆。しかし、検索表では、どれもレンゲソウか らは遠い位置に置かれていて、図版に示されている(レンゲソウとは明確に異なった 特徴をもつ)各種と姉妹種関係にあるようです。検索表で見る限り、唯一レンゲソウ と同一枝に置かれているのは、A.tungensis 洞川黄耆ですが、子房などが無毛、とい う若干の共通点を持つにすぎず、それ以外の主要形質の特徴は、小葉が小さく細長い ことなど、7 種中最も隔たっているように思えます。 そもそも、傘序組 Sect.Lotidium の共通形質は、花序が“傘状”を呈している、とい う点だけのようであり、しかも、レンゲソウを除く 7 種は、いずれも花序が総状に伸 長し、レンゲソウのように(外見上)完全な散形状になる種は見当たりません。 Sect.Lotidium のみならず、ゲンゲ属 Astragalus 全体を見渡しても、図に表示され た全 189 種中、ごく数種だけが散形状の花序を呈していますが、それらの種は、ほ かの形質が大きく異なっていて、レンゲソウとの間の強い類縁の想定には無理があり ます。 ということで、278 種の中には、レンゲソウの姉妹集団たるべき「花序が集散型、 種子が細長く、小葉が大型で幅広い卵型」の存在は、一種も見当たらない(*1)。む ろんこの総説が発表されてから 20 年近く経つわけですから、僕がチェックをし得な いでいるだけで、新たな分類体系によるレンゲソウ近縁種の知識が集積されている可 能性は大いにあります。 とりあえず、上記の特徴を共有した、レンゲソウの姉妹集団(高山性の種を除く“里 山性”の種に限る)を、僕なりにまとめてみました(レンゲソウ以外の和名は新称、 産地名は僕の確認した地域のみ)。 ★①オナガシロゲンゲ 湖北恩施 ★②レンゲソウ 浙江舟山・浙江杭州・広西桂林・湖北恩施・四川成都 ☆②b レンゲソウ(白花) ★③ユンナンシロゲンゲ 雲南大理・雲南謄沖 ★④ユンナンベニゲンゲ 雲南屏辺・雲南金平 ガク裂片長は本体部分の長さよりも長く、果実に軟毛を生じる→オナガシロゲンゲ ガク裂片長は本体部分の長さよりも短く、果実は平滑無毛 花の色調は鮮やかなピンク部分と白色部に明瞭に分かれる(*2)→レンゲソウ 花の色調は一様 一様に紅色 →ユンナンベニゲンゲ 白色、または淡い紅色や黄色を帯びた白色 →ユンナンシロゲンゲ 077 (*1)図版が示されていない 3 種を含む Sect.Lotidium の 5 種は、いずれも同じ報文により記 載されていて(1915 年)、うち、A.wushanicus 巫山黄耆の摸式産地(固有種)の四川省(現・ 重慶市)Wushan 巫山は、恩施とは目と鼻の先の三峡沿岸の都市。従って、この種が“オナガシロ ゲンゲ”に相当する可能性は大いにあると思う。図示は成されていず、記述のみで判断すると、小 葉が大きく幅広いこと、および子房(オナガシロゲンゲでの確認は果実)に軟毛を生じる点では 一致します。花色が“粉紅色”とあるのは、“淡く紅色を帯びた白花個体”と同義と考えて良いのか も知れません。ただし、花序は、レンゲソウのように傘形(≒散形状)とは記していず、他の種 同様に疏松近傘形(≒総状)と記されています。また、最も特徴的であるべきガク裂片の形状に ついては、余り詳しくは述べられていません(少なくても、長く伸長するとは書かれてはいず、 むしろ長さ 0.5~1.5 ㎜と、他の種同様に短く記されている)。ほかに、A.fangensis 房県黄耆も摸 式産地が湖北省西部(西北部)ですが、恩施からの距離はより遠く、A.sinicus との共通形質も、 より少ないように思われます。 (*2)竜骨弁、翼弁の基半部が白色、旗弁の内側が白地にピンク条、その他は濃ピンク色。

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「中国植物誌:第 42 巻第 1 分冊」にも、肝心の種としてのレンゲソウ(紫雲英 Astragalus sinicus) については、「長江流域各省の海抜 400~3000mの山岳地帯渓谷周辺および湿潤地に 見られ、現在は、重要な緑肥作物、家畜飼料、稀に食用として、我が国の各地で栽培 されている。摸式標本産地は、浙江省寧波」となっているだけで、具体的な在来集団 の自生産地などに関しては、全く触れられていません。また、この本に紹介されてい る 278 種に及ぶ中国産ゲンゲ属の中にも、雲南の白花種や赤花種をはじめとした、 強い類縁関係を持つと思われるレンゲソウ近縁種についての記述も見当たりません。



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この項(“西に行くと白くなる話”)続く











レンゲソウ

浙江省舟山島2009.7.7







レンゲソウ

広西壮族自治区興安県猫児山山麓 2005.4.19





レンゲソウ

広西壮族自治区興安県猫児山山麓2009.4.26





レンゲソウ白花

広西壮族自治区龍勝県芙蓉村 2009.5.20





レンゲソウ

湖北省建始県猫児坪 2009.5.3





レンゲソウ

湖北省恩施市板橋 2009.5.4









レンゲソウ白花ほか

湖北省恩施市板橋2009.5.4







レンゲソウ(左)/オナガシロゲンゲ(中と右)

湖北省建始県猫児坪 2009.5.3











オナガシロゲンゲ

湖北省恩施市板橋2009.5.4







ユンナンゲンゲ(ユンナンシロゲンゲ)

雲南省大理蒼山山麓 1995.5.12







ユンナンゲンゲ(ユンナンシロゲンゲ)

雲南省大理蒼山山麓 2009.3.17









ユンナンゲンゲ

雲南省謄沖市 2004.3.28









ユンナンゲンゲ(ユンナンベニゲンゲ)

雲南省紅河州屏辺2009.3.27







ユンナンゲンゲ(ユンナンベニゲンゲ)

雲南省紅河州金平県 1995.4.14





ユンナンゲンゲ(ユンナンベニゲンゲ)

雲南省紅河州緑春県 1995.4.7











ユンナンチビゲンゲ

雲南省謄沖高黎貢山2006.5.12









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白鵬と大谷(つづき)

2024-04-16 14:39:21 | その他


昨日のコラムでの、もっとも重要な部分が抜け落ちていました。

ロッテ吉井監督が故郷でのトークショーで暴露― スポニチ Sponichi Annex 野球 - 検索 News (bing.com)



代理人のバレロ氏を含めて、誰が良い人で、誰が悪い人、という話になっているようですね。

そんなの、分かるわけがありません。

大谷君だけは、絶対的に良い人、という前提であることは間違いないらしいのですが、、、。

実は、そこが問題なのです。

もしこの問題で、絶対的に「悪い人」を特定するならば、それは大谷君です。



繰り返し繰り返し何度も言いますが、僕は誰よりも大谷君のファンのつもりだし、誰よりも彼を応援していると自負しています。ちょうど、僕が日本という国を誰よりも愛していると自負しているのと同様に。だからこそ、日本の欠点は批判する。日本の為を思ってです。でも「売国奴!」と罵倒されるのですね。僕が大谷君を批判することも、多くの大谷信者(一般的日本人のほぼ全て?)からすれば、まあ売国奴みたいなものでしょう。それでも良いですよ。大谷君のことを思ってのことなのですから、気にしません。一人ぐらい、そういう人間がいても良いと思います。



大谷はジャイアン。これが問題のすべてに関与しているのです。決してネガティブな意味合いではない、けれど、全面的にポジティブだというわけでもない。



「全能の神」であること自体、素晴らしい事であると共に、恐ろしいことでもあるのです。



大谷君が、(それを為せる唯一の人間としての能力を持つことで)自分のやりたいこと、やるべきことに突き進む、それに伴う“負”の部分が、結果として(大谷君とは対極にある存在の)一平氏の“悪(正確には負の情念とでも言うべきでしょう)”を、留めもなく膨らませることになります。



何千万、何億円を湯水のように使っているのは、大谷君です。「ポルシェ贈呈」「グローブ配布」「仮想通貨事件(これは何故かスルーされているのですね)」「1000億後払い」「ハワイに豪邸購入」、、、、、大谷君の稼いだ金なので、大谷君がどう使おうと自由です。しかし、あれやこれやで、すき好まざるとも、周囲を巻き込んでいく。

マヌケでとんでもなくダメ人間の水原氏が陥った現状の背景は、現実的に切っても切り離せられない関係が構築されていた大谷君の存在にあります(水原氏が大谷君の実質的相棒でなければ、莫大な金額の賭博の負債自体起こり得ていない)。



大谷君が、本当に聖人君子(僕はこの言葉自体限りなく胡散臭く感じますが)ならば、まず何よりも、水谷氏が置かれた立場(そのスタートは大谷君自身の存在にある)について、深く考慮するところから始めねばならない。



それが為されないならば、この問題における究極の(根源的な)非は、大谷君の側(彼を盲目的に崇拝する社会・大衆)にある。いくら前人未踏の記録を構築しようとも、人間としての評価は出来ません。



なんてこと言いながら、毎朝大谷君の成績に、一喜一憂している僕なのですが(笑)。










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白鵬と大谷(続・断片的感想)

2024-04-15 08:17:42 | その他



小籔千豊 水原一平容疑者と胴元のやり取りで私見「水原さんの方が悪いように僕は見えますね」(東スポWEB) - Yahoo!ニュース

大谷君一平さん事件の秀逸な指摘。



某お笑い芸人のコメントです。僕はこの人あんまり好きじゃないのですが、さすがお笑い芸人、このコメントは的確(客観的)で、思わず笑ってしまいました。

一平さんの魅力度、ますます増してきました。悪の根源が大谷君(および崇拝大衆)にあることも。



全く無関係(異なる次元)なのですが、僕の現状とオーバーラップしてきます。



2018年の秋、HDDがクラッシュしてしまった(むろん僕自身の不注意なのだけれど理不尽な背景が、、、それについての詳細は割愛)。

僕のライフワークである、野生アジサイ関連の写真やデータの全てがその中に収納されている。

文字通り、命よりも大事な資料なのです。

中国での修理が叶わず、日本に帰国し、様々なところで打診するも、全て修復不可能、との答え。



残された可能性は、その時点では日本に数か所か存在しないという修復専門企業に持ち込むこと。

そこでも、このように言い渡された。

修復費52万円、ただし修復できるか否かの確証はなく(というよりも修復できる可能性は限りなく低い)、もし修復出来なくても同額の費用は払ってもらう、と。

苦渋の決断でO.K.しました。

修復可否の結果が分かるまでに、大分時間がかかる、と言われていたのだけれど、数日後、連絡が来ました。修復出来た、と。チェックしに行ったら、ちゃんと元に戻っていた(拍子抜けです)。



ついては、52万円の支払いを求められた。3か月以内に支払うこと、それが出来なければ廃棄する由。むろんそんなお金はない。途方に暮れました。

たまたま知り合った近所のお年寄りのお婆さん(とその息子さん)にそのことを話したら、(まさか、と思ったのだけれど)心配しなさんな、自分が支払ってあげる、返済はいつでもよい、と。



感謝感激です。そのことを修復会社に報告、支払日とHDD受け取り日を決め、心配してくれている三世やモニカにも伝え、その支払い当日、ATMから全額を降ろして振り込もうとしたときに、息子氏からの連絡、わけあって協力できなくなった、と。



こういうことなのです。お婆さん一家のお金は、長男氏(関西の大病院の東大出の医師)が最終管理していて、長男氏曰く、そいつは振込詐欺だ、振り込むのは止めろ。



まあ、僕としては、恨みつらつらなのですが、そのことについては、言っても仕方がないので、泣き寝入りするしかありません。



で、改めて修復会社に事情を説明し、一年間支払いを待って貰うことにしました。

といって、毎月分割で4万円余を支払うのは、僕にとって不可能に近い現実です。

結局、2019年度には、15万円ほどしか支払えなかった。



その後、コロナ禍に突入。益々状況が苦しくなって行きます。何度も話し合いを持ち、僕にとっては命より大事な資料であることを念を押して分かって貰い、どんなことがあっても全額支払ってHDDを受け取るので、廃棄しないで欲しい、と交渉が成立。2021年の春までには完済と言う契約、結局それも出来ずに、2022年の春までに、ということになり、しかしやはり完済には至らず、再々々々交渉の末、その時点で残り24万円だったのを、先方からの提案で、10万円にディスカウントする、ついては2023年春までに支払うように、と。



ところが、その後も、せいぜい月5000円(それも断片的に)支払うのが精いっぱい(なんせ月2万円の予算からの5000円ですから)で、未だに完済に至らないでいます(残り約7万円)。



それでも先方(HDD修復会社)は根気よく待ってくれている。もう、感謝するしかないのです。



ふと、こうも思いました。残り24万円を10万円に負けてくれた。ということは、早い話、最初の時点で、ボラれているのかも知れません。極論すれば、先方としては、修復費は(実態として)有って無いようなもの。払えなければ廃棄と言う手もあるのでしょうが、一部といえども支払いは行っているので、下手に廃棄してしまって、あとで問題がおこると面倒、それならば大幅に値下げしてでも支払いを済ませて僕に返却、という目論見なのかも知れません。



いや、ここまで(3か月の期限が足かけ7年!)待ってくれてるのに、そんなこと言っちゃいかんですね。

修復会社の名誉の為に言っておくと、他の関係機関の話を総合して判断するに、(52万円が適正価格かどうかはともかくとして)実際に修復費用が数十万円かかること(人件費など)は有り得る、と。それをボラれていると解釈することもできるだろうし、そうではないと解釈することもできるとも思うのです。



何を言おうかとしているのかと言うと、主題はそんな話ではないのです。



この話に関しては、僕の周りの人たちは、例外なく全員、同じ意見を言います。



HDDの奪回など、どうでも良いではないか。自分の生活を犠牲にしてまで(ひいては周りの人々に迷惑をかけ)、HDD奪回に拘る必要がどこにあるのか?自分の生活・残された命を大切にしなさい、と。



命よりも大切なものは存在しない、と皆異口同音に言います。でも僕はそうは思わない。76歳、いつくたばってもおかしくないのです。どうせ尽きてしまう数日~数年の命と、後に引き継ぐことの出来る膨大な資料(僕は地球の財産と信じている)と、どちらが大切かと言えば、迷うことなく後者です。



でも、そんな僕を(敢えて不遜な事を云うと、助けてくれもせず)間違っている、と断罪する世間、、、、、まあ、全然立場が違うのだけれど(笑)、一平氏の状況(やり方が間違っているかどうかはともかく、彼は彼なりに大谷君や周りの人たちのことも考えて、必死に頑張っている)と、オーバーラップします。



*ちなみに、ついさっき、東京の部屋の留守番をしている三世からメールが来て、青梅市民病院から、8万円の支払い命令、払えなきゃ差し押さえる、との通達が来ていた、どうしましょう(-_-;)、と。それで、そんなのは無視しろと伝えておきました



これは、一昨年の夏(福岡に移る直前)コロナで救急輸送されたときのこと。ちょうど(理不尽極まりない)生活保護取り下げに関して市役所とトラブっていた時で、健康保健書も使えなくなっていて、かつ、滅茶苦茶な扱いを受けた(医療機関に着くまで何日もたらいまわし、やっと辿り着いてもすぐに放り出された)あげく、法外な診察費の請求をされた時の事に起因します。

この間のコラムで「前置き」だけ書いた、青梅市と東京都への訴えが却下されたことと連動します。却下されたということは、国が「正義」、僕が「悪」と認定されたことになるわけで、そのとたん、これでもかというように、叩き始めます。

理不尽としか言いようのない状況に陥って困り果てている人間(池に溺れた犬)を、国や行政が(一般市民も一緒になって)これでもか、と棒で叩きまくる。

一平氏の心情が、我が身のごとく分かります( ;∀;)



前に書いたことを、再度記しておきます。



一平氏がギャンブルで苦境に立ったことは、むろん決して良い事ではありません。悪い事です。自己責任です。



しかし、別の角度から光を当ててみれば、単純にそう言い切れない部分も浮かび上がります。

ギャンブルが悪か、といえば、ギャンブル自体が悪とは必ずしも言えないのですね。それを悪と決めたシステムから外れたことが悪なのです。

そもそも大リーグ機構は、ギャンブルに拠る経済的庇護の許で成り立っています。他の様々な日常の社会の仕組みと基本的にはなんら変わりはない。

前にも記したけれど、株の取引だってギャンブルの一種です。「株の個人投資家」なんて「ギャンブル依存症」と何ら違いはありません。資本主義社会は、人々に何かを依存させることで成り立っているのです。

そのうえで、あるものは病気、あるものは健全、と振り分ける。その振り分けを行う医療なんて、壮大なまやかしでしかありません。



大谷君の能力(ボールを誰よりも早くなげ誰よりも遠くに飛ばす)が“素晴らしい”という事は、共通同調認識を前提として成り立っています。別に絶対的な意味で“素晴らしい”わけではないのです(時空が異なれば評価も全く違って来る)。

一平氏の2か国語を操ってのサポートは、大谷君の「ボールを投げて打つ」ことに拠る1000億円の、1万分の一以下の価値評価しか為されません。

大谷君は、そのような特定価値基準の大前提の下で、自分のやりたいことにひたすら邁進する。たとえそのことで、周囲に何か不都合なことが生じようとも、許されるわけです。何しろ、「完璧な人間」「王様」ですから。

それ自体が、おかしいと言えばおかしいのですが。



全ての事を、自分の意思通りに進めることが出来る。

大谷翔平は「性格的に言ったらジャイアン」 ロッテ吉井監督が故郷でのトークショーで暴露― スポニチ Sponichi Annex 野球

無論、単にネガティブな意味で言っているわけではありません。大谷君は、良くも悪くも“ジャイアン”なのです。



野球一筋、お金なんて全く無関心。

でも、

背番号を譲ってくれた同僚の奥さんにポルシェをプレゼントし、全国の小学校にグローブを贈呈し、1000億円の契約金を後払い、、、、ほとんどの日本人の受け取り方は「美談」であるわけですが、光の当て方次第では、とんでもなく傲慢な、自分勝手な行為、と見做すことも可能かと思います。



その、「本人は全く無関心な膨大なお金」の(実質的な)管理を、一平氏が任されていた。(あちこちにばらまく分を中心に)大谷君が必要とするお金は、たぶん、大谷君の名前で、一平氏がいくらでも自由に扱えるような体制になっていたであろうことは、十分に考えられます。

“なりすまし”というけれど、ある意味当たり前であって、どう捉えるかで評価が180度変わってくるだけのことです。



自分のギャンブル負債は、大谷を困らせることになる。ならば(ある意味大谷のために)、結果として所謂窃盗という方法で、チャラにしておこう。数十億単位で片が付くなら(大谷の立場からすれば)安いもの。



一平氏は、本質的に、滅茶苦茶真面目なんだと思う。むろん、滅茶苦茶ダメ人間だある、というベースの上で。



相手のことを思い(大谷君には良くも悪くもそんなところはない)、もがき続けることで、泥沼に嵌ってしまう。

本来なら敵で悪役の胴元さえも戸惑ってしまうような、まるでギャグの世界に陥ってしまっているのです。



ここまでくると、「胴元が悪」「一平も悪」を超越した、それとは別次元の、この某コメディアンの指摘のごとく、なんだか両方に同情してしまうような、究極のズッコケ事態に至っているわけです(僕のHDD修復費支払い滞り⇒HDD修復会社の戸惑い?に、オーバーラップ)。



大谷に向けては、誰も(大半の日本人は)面と向かって指摘は出来ないでしょうね(しようものなら国賊)。

このズッコケ茶番劇の根源は、「聖人君子」「正義の象徴」の、大谷君(と崇拝日本人)にあるのだ、と。



大谷君は、良くも悪くも、自分の好き勝手に生きているのです。そのことに(正/負様々な次元に於いて)全力で(本人の持つキャパシティを越えて)サポートしてきた一平氏の窮状(物質的窮状以前に精神的な窮状)を分かってあげる義務があった(それもこれも大谷崇拝者の存在がハードルになって為され得なかったのだと思います)。



この項つづく。



追記:



今日は、514円を叩いて、ココスレストランでピザ注文し、アベマTVでドジャースVSパドレスの南カリフォルニア対決を観戦しました。



さすが大谷、野球に関しては「神」と呼ぶしかないです。松井秀喜に並ぶメジャー175本目の本塁打、日米通算1000本目のヒット、何があっても、留まるところを知らない。完璧です。



8対7でパドレス。それにしても素晴らしい試合でした。勝ちは逃したけれど山本も好投し、最後のスアレス(ソフトバンク-阪神-パドレス)の魂の投球。やはり野球は面白いです。















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白鵬と大谷(断片的感想)

2024-04-13 08:00:23 | その他



僕がずっと注目し続けている大谷君と一平さんの事件。

大谷大好き、一平胡散臭い、とこれまで思い続けてきたのですが、逆転しつつありますね。もちろん、今も大谷大好きだし、一平胡散臭い、という思いは変わりありません。でも、「一平悪」「大谷正義」が、(様々な証明を伴って)合唱されるにつれて、そうじゃない、という(全く別次元からの)思いが、僕の中で確信されつつあります。



そういえば、香港大好き、中国大嫌いから、香港デモをきっかけに、逆転して行った。コロナもしかり、ウクライナ問題も然り。

僕はコロナが人類にとって大変な脅威であることは否定していない。中国やロシアが、どうしようもない出鱈目な国であることを否定しない。医療機関の頑張りや、民主主義社会の素晴らしさも、否定しない。一平さんの悪事や、大谷君の素晴らしさも、否定するわけではない。



しかし、問題の根源は、それとは別次元の所にある。もっと、遥かに大きなスケールで。

それを知るには、コロナや中国・ロシアや一平さんら悪玉、あるいは医療や民主主義社会や大谷君の正義だけに注視するのではなく、我々を取り巻く世の中の構造の根源を、徹底的かつ俯瞰的に見渡さねばならない。



ニュースやコラムで、様々な情報(大谷正義/一平悪)がどんどんと更新され、様々な有識者や大衆が、したり顔でコメントしているのを見るにつれ、そうじゃない、問題はそこじゃない、という思いが募ってきます。

どのように“そうじゃない”のか、上手く表現出来ない自分の頭の悪さが、もどかしい限りです。

自己弁護になりますが、非常にデリケートな問題故、慎重に言葉を選ぼうとして、具体的な表現は何一つ出来なくなってしまっている。大衆の思考の単純さが、腹立たしく、かつ羨ましい。



背景を含めて俯瞰的に見渡せば、一番の悪は大谷(ひいては彼を崇拝する大衆)です。それだけは、確信をもって言えます。

誰よりも大谷を応援し、活躍を期待している僕の、偽らざる思いです(今後も、追々その“思い”について考察していきたい)。







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ユリ科 附記

2024-04-11 21:40:53 | その他



曙、、、、、( ;∀;)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



前回の付記です



「Biosystematic Studies on Lilium」には、葉緑体解析に基づく系統と、核DNA解析に基づく系統の、2つの解析結果が示されていて、各clade間の相関性は見事なまでに一致しません。



したがって、核DNA解析の系統樹を基に10群を6群10亜群に再編(群を数え忘れていたので11群を7群11亜群に再編)した前回の処遇は、客観的に考えれば全く成り立たず、とりあえずは各群を並列するに留めて置くことにします。



そのうえで、やはり上記の論文とは全く異なる解釈が示されている「中国植物志」(2019年版)における中国産80種についての分類体系(英語版「Flora of China」2001もまた異なる)も組み合わせ、それぞれの見解を見渡しつつ、各種群/種ごとに再編成を行っていきたいと思っています。








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ユリ科の分類について

2024-04-09 21:48:12 | その他



大谷君、今日は2塁打2本に本塁打。全開モード突入ですね。



大体分かってきました。

大谷は、人間としては最低、野球選手(個人成績)としては完璧。

後者は今まで通りの評価ですが、前者については180度反転したわけです。

僕の中では、ホッとした気持ちです。なぜって、僕は悪人大好き人間なわけですから(今までのモヤモヤが無くなりました)。

大谷崇拝日本人(無意識的依存症の成れの果て)は勝手に盲目的崇拝を続ければ良いです。僕の方は単純に成績で一喜一憂できるので。



残り財産400円(整理中フィルムの山の中から100円玉が出てきた)。今夜の風呂代100円、野良猫の餌代100円、まあ200円あれば半額弁当ゲットできるので楽勝でしょう。問題は、明日売上金1万円余が入るかどうか(ここんところ2~3日遅れてるので)。



蝶のほう(「中国~」「近所の~」)は一段落ついたので、植物関連の作品作りに取り掛かります。

とにかく、ひたすらポジフィルムの整理(セレクト⇒デジタルスキャン)を行っています。

ブログの記事は、大谷君一平さん(白鵬とかも)は様子見。

東京都への告訴(前置きだけ書いた)は気が重いので後回し。



野生アジサイの資料(を収納したHDD)はあと8万円支払わないと戻ってこない(毎月5000円として、あと1年半)ので、とりあえず完成済みの「ハマウツボ科(シオガマギク属)」「ユリ科(狭義)」「キンポウゲ科」「ケシ科」と、ほぼ完成に近づいている「リンドウ科」「サクラソウ科」「ツツジ科(主にシャクナゲ類)」を再編します。



再編、というのは、東京から膨大な数のポジフィルムを福岡に送り、スキャン機材を入手し、日本産の種を追加紹介していくことが可能になったからです。とりあえず完成している「シオガマギク」と「ユリ」を、追加再編していきます。



ユリ科(狭義)については、このブログでも何度か紹介してきました。それに基づいて新知見や写真を追加紹介していこうと考えたのですが、しかし過去記事が探し出せません。旧いのは消えてしまっているみたいなので仕方がないけれど、比較的最近に紹介したはずの記事も見当たらない。ということで、改めて一から書いていきます。



APG分類による現在の位置付けは、結構早い時期から一般大衆に浸透していたはずです。しかし他の多くの科が新しい分類群にスムーズに移行しているのに対し、ユリ科は未だ旧い分類体系が併用されています(古い方が基準になっている)。



全植物中一二を競う大メジャーな科から、一気にマイナーな弱小科に移行してしまったわけで、その落差の大きさに戸惑っている、一般常識としては(ユリ科を狭義に捉えるのは)困る、と言うところなんでしょう。

しかしAPG分類以前(旧来の形質に拠る分類)から、ちゃんと見ている人は見ているわけで、ユリ科の定義も現在の少数の属から成るという見解は既にほぼ確立されていたのです。博物学的に為されていた先行見解に、科学的手法が追いついた。



ユリ科は、4亜科5連(ユリ亜科2連/カルコタルス亜科1連/タケシマラン亜科1連/ホトトギス亜科1連)から成り、どの連もごく少数の属と種で構成されています。旧ユリ科の大半はクサスギカズラ(アスパラガス)目などに移転し、(ユリ科を含む)一部がユリ目に残ります。その中でユリ科に最も近い類縁を持つのが、外観が特異なシオデ(サルトリイバラ)科(写真⑳)で、ユリ科の姉妹科となります。





自主刊行済みの「中国の野生植物:ユリ科」のあとがきに、このような要旨を記しました(もしかすると初出はこのブログだったかも知れません)。

【あとがきに替えての蛇足】

先に記述した通り、葉緑体DNA解析に基づく分子生物学的系統分類(APG分類)において単系統のユリ科として位置づけられる植物には、従来から予測されていた“典型的ユリ属類”(ユリ属、カタクリ属、チューリップ属など)”のほかにも、ごく少数の(予想外とも言える)異質の属が加えられることになった。その中で最も特異な存在が、ホトトギス属である。

ホトトギス属は、狭義の(真正)ユリ科の中では、最も古い時代に他の各属との共通祖先から分化した植物で、正統的ユリ科の一員であると同時に、ユリ科としての異端児でもあるわけだ。

従来、ユリ科として一括されていた植物の大多数は、他の被子植物、ことに“双子葉植物”の分類システムに準じれば、明らかに異質の群の寄せ集めであると言って良い。現在、それら(旧ユリ科植物)の大半は、「目」の単位でユリ目から別の群(主にアスパラガス目)に移動せしめている。それらの多くは、外観がいかにも「ユリ」的であり、これまでの“常識”的一般概念と相まって今でも「ユリ科」は旧来のカテゴリーのまま認識されているのが現状といえる。

それはともかく、学術的な視点からは、旧来の「ユリ科植物」の多くが、「科」を飛び越えて「目」のレベルで移動することになったわけだが、一部については、(科のレベルではユリ科から別科に移動したとはいえ)目のレベルではユリ目にとどまっている。その(ユリ科以外のユリ目植物の)中で、ユリ科に最も深い関連を持つと思われる(従って範囲の取り方次第ではより広義のユリ科に含まれると考えても良いかも知れない)のが、サルトリイバラ科(シオデ科)である。外観は、さらに特異である。

【典型ユリ属類(ユリ属、カタクリ属、チューリップ属など)】【極めて特異なホトトギス属】【まるっきり外観が異なるサルトリイバラ属】この(外観的には)それぞれ対極にある3グループの植物が、大雑把に生物学上視点から捉えた「ユリの仲間」、ということができる。

APG分類が確立される以前は、誰もそんなことは予想だにしていなかった。「誰も」、、、否、そうではない。蝶の愛好家たちは、その(互いに異質の)3つの植物群が、近い関係にあるだろうことを、漠然と知っていた。典型ユリ類+ホトトトギス属+サルトリイバラ属は、ルリタテハの食草である。ルリタテハ自身は、これらの植物が明確に近縁な関係にあることを、結果として知っていた。

他にも同様の例(「蝶は知っていた」)が幾つもある。例えば、ウマノスズクサ科からカンアオイ類が一時別科に移されていたことがあるが、最近は改めて同一科に戻されている。これなどは、ギフチョウ属(やその周辺属)の食草について鑑みれば、当然のことである。あるいはクス科とモクレン科の近縁性を、アオスジアゲハ属との関連で考えても良いだろう。

ところで、ルリタテハだが、一属一種とされている。しかし、外観(色彩斑紋)、食草、分布域が著しく異なることを除けば、シータテハやヒオドシチョウの仲間(Polygonia-Nymphalis)とほとんど差異はない(同一属に含めても良いと著者は考えている)。

シータテハ(それを含む典型タテハ=ヒオドシチョウ亜科)の基本食草は、イラクサ科やクワ科である。系統的にはユリ科とは全く異なる植物群だ。

しかし(系統とは別の次元から)何らかの“関連性”(例えば祖先形質の共有など)があるのではないか?

、、、、、そんな気がしてならない、という蛇足で、本編を結んでおくことにする。



・・・・・・・



まずは、ユリ属に絞って紹介していくことにします。

最新のDNA解析結果(「Phylogeny and classification of Lilium」 Watanabe & al. 2021)では、次の様な系統構築が示されています。全面的に信用して良いのかどうかはともかく、意外な組み合わせも幾つか見てとれます(リーガルリリーとテッポウユリの類縁が遠く離れていること、ヤマユリ群内での各種の組み合わせなど、なるほどと思わせる結果も)。



ここでは、10のグレードを便宜上6群4亜群の計10上位分類群に再編(下位分類群については「中国植物志」を参照)、僕の「中国の野生植物:ユリ科」の掲載順に従って大理百合(L.taliense)を冒頭に置くべく並べ直しました。



ユリ科

ユリ亜科

>ユリ連

>>ユリ属

>>>1a 【分布中心:中国西南部】 大理百合(写真①)、麗江百合など。

>>>1b 【分布中心:日本海周縁地域、中国西南部】 川百合(写真③)、コオニユリ、エゾスカシユリなど。

>>>1c 【分布中心:南西諸島-台湾-中国南部】 野百合(写真②)、タカサゴユリ、テッポウユリ。

>>>1d 【分布中心:ユーラシア大陸寒冷地】 クルマユリ(写真④)、マルタゴンリリーなど。

>>>2 【分布中心:日本列島】 ヤマユリ(写真⑤)、ヒメサユリ、ササユリ、ウケユリ、カノコユリ、タモトユリ。

>>>3 【分布中心:北米大陸】 アメリカユリ類(省略)。

>>>4 【分布中心:中国西南部】 リーガルリリー、通江百合(写真⑥)など。

>>>5a 【分布中心:中国西南部~ヒマラヤ地方】 ユンナンベニユリ(写真⑦)など、旧Nomocharis属)。

>>>5b 【分布中心:ヨーロッパ】 マドンナリリーなど(省略)。

>>>6 【分布中心:中国西南部~ヒマラヤ地方】 尖弁百合(写真⑧)、小百合(写真⑨)など。

>>バイモ(クロユリ)属(写真⑩)

>>ウバユリ属(写真⑪)

>>ギボウシモドキ属(写真⑫)

>>カタクリ属(写真⑬)

>>チューリップ属(省略、分布中心:ユーラシア大陸西部)

>>アマナ属(写真⑭)

>>チシマアマナ属(=キバナノアマナ属:写真⑮)

>ツバメオモト連

>>ツバメオモト属(写真⑯)

>>メデオラ属(写真⑰)

カロコルタス亜科(省略、1連1属北米産)

タケシマラン亜科(写真⑱、1連3属うち2属は北米産)

ホトトギス亜科(写真⑲、1連1属)



次回以降、各群のそれぞれの種について(中国産と日本産を)紹介していきます。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



写真① 大理百合 Lilium taliense 雲南省翁水村 Jul.16,2014


写真② 川百合Lilium davidii 雲南省梅里雪山 Jul.25,2014


写真③ 野百合(ハカタユリ) Lilium burounie 四川省青城山 Aug.4,1989


写真④ クルマユリ Lilium burounie 岩手県早池峰 Aug.13,1993


写真⑤ ヤマユリ Lilium auratum 東京都青梅市 Jul.10,2022


写真⑥ 通江百合 Lilium sargentiae 四川省宝興県 Jul.17,2010


写真⑦ 滇蜀豹子花(ユンナンベニユリ) Lilium aperta 雲南省香格里拉 Jun.19,2005


写真⑧ 尖弁百合 Lilium lophophorum 雲南省白馬雪山 Jun.14,2009


写真⑨ 小百合 Lilium nanum 雲南省白馬雪山 Jun.16,2009


写真⑩ 暗紫贝母 Fritillaria unibracteata 四川省雪宝頂 Jul.4,2005


写真⑪ 大百合Cardiocrinum giganteum 四川省宝興県 Jul.4,2009


写真⑫ 仮百合 Notholilion campanulatum 四川省塔公 Jul.24,2010


写真⑬ カタクリErythronium japonicum 長野県白馬村 May 4,2005


写真⑭ アマナ属の一種 Amana kuocangshanica 浙江省杭州市 Mar.27,1989


写真⑮ チシマアマナ属の一種 Loydia tibetica 四川省夹金山 Jul.19,2010


写真⑯ ツバメオモト属の一種 Clintonia alpine 四川省黄龍 Jun.22,1989


写真⑰ Medeola virginiana アメリカ・テネシー州 May 18,2005


写真⑱ タケシマラン属の一種 Streptopus parviflorus 四川省ミニャコンカ Jul.2,2009


写真⑲ ホトトギス属の一種 Tricyrtis viridula 広西壮族自治区花坪 Aug.7,2015


写真⑳ サルトリイバラ Smilax china 浙江省舟山島Apr.7,2009



・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・



冒頭の話題の追記。

*面白いことに気付きました。大谷君が“人間として最低(必ずしもネガティブな評価ではありません)”な理由は、「自分のやりたいことだけをやる」から。そのことに対してほとんどの日本人は敬服・熱狂支持し、アメリカ人の多くは冷めた目で見ているのです。そりゃそうでしょう。日本では「自分のやりたいようにする」ことは現実問題として許されない、それが出来る特別な立場にある大谷に自己投影し全肯定・崇拝する。アメリカでは、誰もが自分のやりたい様に生きているわけで、今更、、、、。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



**某県知事の県庁入庁式典での職員に対しての祝辞。

「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、皆さまは頭脳、知性の高い人たち」

とスピーチ。

近年稀にみる、見事な本音暴言ですね。

実際にそのような人たちが、日本という国を動かしているのですから( ;∀;)。





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大谷選手の今後

2024-04-04 17:19:06 | その他




「大谷の会見は失敗でした」米ベテラン作家が見た違法賭博疑惑 水原と大谷2人にベストなシナリオとは(AERA dot.) - Yahoo!ニュース



ロバート・ホワイティングさん(81歳)が、大谷問題についてのコメントを発表しました。



これまでに様々な人たちが発した全てのコメントに勝る、素晴らしい見解です。



涙が出てきました。



元・鎌倉市民として、彼のような人がいることは、誇りです。







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東京都と青梅市の横暴に対する公開質問状(前置き)

2024-04-03 07:46:41 | その他



さて、福岡移転以来取り組んできた「中国蝴蝶野外観察図鑑」と「近所の森と道端の蝶・福岡編」の執筆・印刷はとりあえず終えたのですが、困ったことに、その本を購入する資金(近所~2500円、中国4部作1万円)がない。「中国~」はともかくとして、「近所~」は地元新聞社・メディア・関係各機関にプレゼン(PDF原稿は通常は見てくれない)しなくてはなりません。



昨日、生活保護金の支給日。受領は2万2014円。基本金約10万から、福岡の家賃、年金(東京の書庫家賃とほぼ相殺)、それぞれ3万5000円余。更に、後期高齢者は食事代などが多くかからないという謎の理由で約5000円減、自己収入見込みなどが差し引かれて、2万円余になるのです。

その中から電気代・水道代1万円近く支払い、HDD修理未払い分(これが戻ってこなければ今後の全ての仕事が出来なくなってしまう)月1万円分割支払い。弁護士(東京)費用分割支払い月5000円、ゼロどころかマイナスです。弁護士への支払いを待って貰うとしても、残りは2000円。

幾ら仙人的生活でも、これでひと月は暮らせません(10日に売り上げ1500円ほど見込み)。

自分の本の購入など(生活保護の身分で)もってのほか、というのが大衆の共通認識でしょうが、

でも、それなくしては、関係各機関からの協力を得、販売・収入に繋げることは出来ないのです。



“普通のアルバイト”をして金を稼げ、と言う人が多いでしょうが、それは貴方たちが恵まれている(容易に仕事にありつくことが出来る)から言えることです。

むろんチャレンジしました。そして全て門前払い。年齢、身分(家族や保証人の有無)、学歴略歴等々。

それらの障害が少なくてすみそうな力仕事は、「脊椎脊損症」と「急性肺炎もどき」で度々救急車などの世話になっている身(障碍者指定を受けたいのだけれど却下されている)では、仕事中何かが起こる可能性が極めて高いです。まあ、自分の仕事(山での撮影行など)の場合は、そのつど自分の判断で中止を繰り返せば良いのですが、雇われ仕事の場合は、そうはいかないでしょう。

ということで、結局は、そのようなハードルの無い、創作活動を行うしかない。いや必ずしも創作活動でなくても良いですね、写真や文章を使っての仕事です。収入に繋がれば仕事ですし、繋がらねば遊びとしか見做されないことを覚悟のうえで。



収入に繋がる展開になるかどうかは別として、今後の計画(このブログには毎度計画ばかり載せている、一体何度目でしょうか、笑)。



蝶関係の書籍本は「中国蝴蝶野外観察図鑑」「近所の森と道端の蝶」でひとまず一段落。

近い将来、後者は「東京編」「福岡編」を合体(それに中国や北米、ギリシャなどの情報も付け加え)「近所の森と道端の蝶」決定版を製作(本にするのではなく既存メディアへのプレゼン用として)。



それとは別に手許にある蝶関係の全ての写真を、中国/日本、あるいはデジタル/ポジフィルム(→デジタルスキャン)に関わらず、片っ端から集めてワードに貼り付け、「原資料としての東アジア(日本/中国)の蝶1975~2024年撮影写真および幾つかの問題提起」の総題の許、PDF編集し、CDに収納、あるいは電子書籍として、全50~100巻、各巻数100頁で例えば1800円(取次を通さなければ1000円でも可)統一で格安販売。

制作コストはほとんどかからず、各巻10部売れれば全100巻として100万円、読者も手軽に購入しやすい価格だと思うので各巻100部ぐらいは期待しても良いかも知れず、ならば収益1000万円という狸算用です(笑)。いや、(笑)ではなく、現実味はあると思っているのですが(笑)。

それはともかく、写真や資料を纏めておくことで、将来に引き継ぐことが出来る(一応、英訳・中国語訳もしておく)。



あと、植物(やはり中国産と日本産を合体)ですね。むしろこちらの方に力を入れたいと考えています。これまでに、ハマウツボ科(メインはシオガマギク属)、ユリ科(狭義)、キンポウゲ科、ケシ科は、ほぼ作品として完成している。ある程度完成に近いのは、リンドウ科、サクラソウ科、ツツジ科(メインはシャクナゲ)等々。各巻数100頁全100巻(科単位)。むろん、HDDを取り戻した暁には、野生アジサイ集大成(1000頁超になる)も。いずれも、英訳、中国語、中国語併記。

読者の需要キャパシテイは、蝶よりも圧倒的に植物の方が多いはずです。紙の書籍とするか、CD収納(あるいは電子書籍)とするかは今後考えるとして、上手くレールに乗せることが出来れば、相当な収入になります。収入云々よりも、後世に資料を残すという大きな意味があることは、蝶の場合と同じです。

それらの写真や資料をピックアップして纏め、「四川雲南山嶺花」といったフィールド・ガイド・ブック(中国の読者向け)、あるいは、中国での探索行をシリーズ化した(日本の読者向け)企画なども考えて行きたいです。



蝉(鳴き声録音の纏め)もね。



けれども、眼前の現状を突破しないことには、絵に描いた餅になってしまう。資金作りにどのように結び付け、どのように展開していくかを、考えねばなりません。

とりあえず2択です。



今年1年、室内作業(いろんな方々からの協力を得てやっと仕事ができる体制になった)に専念、これまでの写真や資料を整理して、上記した様々な企画を形にしていく。

月2万円の生活保護受給費+少額の売り上げ金(2万円前後)、年金の残額などで、光熱費やHDD修理費など差し引いても、月1万円ぐらいはなんとか使える。

室内に閉じ籠って頑張れば、なんとか次に繋げることは出来そうです。

幾つかの作品が纏まった時点で(来年以降)勝負に出る。上手くいく保証はないですが、少なくとも当面は前に進み続けることが出来ます。でも、いずれにせよ、必要とされる纏まった資金は、すぐには作れそうもない。



それとも、これまでの纏めの作業は一旦保留し、直接纏まった収入を得るため、新たな企画に動く。

中古の5000円くらいのカメラを購入、例えば小笠原に絶滅オガサワラシジミの探索に行くなど、インパクトのある大向こう受けする企画を立ち上げる。

むろんやはり上手くいく保証はありません。でも実行さえ出来れば、纏まった収入に繋がる(大手メディアからの作品刊行など)可能性は、より高いと思うのです。



向こう数日中に、方針を決めねばなりません。



・・・・・・・・・



飯塚市(行政や市民)には、感謝しているんですよ!

青梅市と比べれば、天国と地獄です(むろん前者が地獄)。

布団、衣類、電子レンジ、食料などの生活用品、机、Wi-Fi、携帯電話、スキャン機、等々、仕事に必要な機材を、いろんな機関(や個人)が用意してくれて、やっとスタートラインに立つことが出来ている次第です。



それでも、いろいろと不満や腹立たしいことは有ります。

昨日は1時に生活保護支給金(2万2014円)を受け取りに行くことになっていて、なおかつ新しい担当者に代わる旨、先週末に確認を取っていたのですが、何の通知もなく3時に変更、2時間近く待たされる破目になってしまいました。そりゃ腹が立ちます。それで様々な不満を、たまたま窓口にいた全く面識のない若い女子職員に2時間近く滔々とぶつけていました。仕事とは言え、嫌な顔一つせず延々と聞き続けてくださった職員嬢には申し訳ない思いでいっぱいです。



飯塚に来てから、ちょうど1年半になります。その間に、担当者が4回も交代しました。最初の方は(怒りっぽいのが欠点だけれど)とてもしっかりした方で、様々な相談にも乗って頂けた。変わるごとに劣化していきます(良い人達ですが、笑)。どんどん若くなって、ついには、大学出たてと思しき若者男性です。上記女子職員とは2時間近く話していたのに、彼との会話は1分程度。不安満載です。青梅市役所の、とんでもない(散々な目にあった)若造職員とレジャブが一瞬過ぎったのですが、まあ、そうでないことを祈るしかありません。



そもそも青梅市役所では、それまで(2022年初めまで)の苦労人中年担当者から、とんでもない若者(いかにも勉強だけは出来そうなエリート職員)に代わったことで、悲惨な方向に進み始めた。

具体的な事は飛ばします(次回記す予定)。理不尽(ほとんど嫌がらせ)としか言いようのない理由で、生活保護の打ち切り。その過程が余りにも酷かったものですから、飯塚に来る直前の一昨年7月、東京都と青梅市に告訴状を送りつけました。



丸一年経った去年7月に書類上の受理がなされ、ついては正式な手続きをするようにとの通知が来ました。一年間も棚上げされて今更という思い、加えて(時間の無駄でしかないと)周囲の方々のアドバイスもあり、そのまま放っておいたのです。

すると、また一年近く経った先月、訴えは却下するとの書類が届きました。その理由は、もう笑ってしまうしかない、優等生による教科書的理論答弁が延々書き綴られていて、到底理解も納得も不可能、(反論したいことは山々ですが)無視するしかありません。



すると、昨夜、青梅市から52万円余の賠償命令の書類が届いた。もっともこれは初めてではなく、2年前に問題が起こるより数年前から、計4~5回目の催促です。健保など必要な支払いが未納になっていて、結果として生保金支払いが超過しているため、還元返済しなければならない、ということで、青梅市から支給されていた6万円前後から、毎月5000円~1万円を天引きしていく、ということで話が済んでいたのです。順調に青梅での生活保護が続けられていたならば、現時点で半分以上は完了しているはずです。しかし停止になってしまったら、そうは行かない。僕の訴えが却下されたからには、すぐにでも支払え、ということなのでしょう。当面無視します(その辺りのことは次回)。



そもそも、飯塚市から貰える2万円余(初めの頃は3万5000円ほどだったのが、担当者が変わるごとに減額されていく)というのは、東京の家賃(実質書庫代)に相殺される年金分を引かれての事、東京に部屋があるなら、東京で生活保護を受けるべきで、飯塚で保護を受けるのはおかしい、と指摘され続けてきました。でも、それが出来ないからということで、渋々(?)飯塚市が受け入れてくれているわけです。



飯塚市の職員たちも、支給額が2万円少々、光熱費等々を差し引くと、実質1万円前後で、ひと月(HDD修理費の月々の支払を含めれば実質0円)の生活費で暮らすのは、さすがに無理だろう、と同情してくれています。

で、皆、口を揃えてアドバイスをしてくれる。

青梅の部屋にキープしているダンボール120箱分の資料も、修理費未納のHDDも、全部捨ててしまいなさい。そんなものは、生活には必要のないもの。それよりも、(十分な保護費を得て)人間らしい生活をしつつ余生を送ることの方が、遥かに大事です、と。



大きな問題ですね。



先に結論を述べておくと、突き詰めれば空気への同調圧力。人類総責任逃れを第一義に構成される民主主義社会への順応指示。



人間にとって、ことに高齢者にとって、生きる、という意味。

2つの解釈が存在します。

大多数と、(僕を含む)ごく少数の。

無論、正しい答えは前者(⓵)であり、後者(⓶)は間違った答えなのですね。

本来なら答えなど存在するわけはないのですが、空気に乗っかって理路整然と、当然のごとく導かれた答えが真実・正義であるわけです。



⓵大多数の人々の見解

年寄りは、金も生活も国や行政が助けてやるので、おとなしくお金貰って、それなりに美味しいもの食べて、寝転んでテレビでも見て、死ぬまで余生を楽しく、人間らしい生活を送れば良い。何よりも大事なのは自分の命。それを守る為に手助けをしてやるのである。余計なことはしなさんな。命の為には、他のことなどはどうでもよい。命に勝るものは(当然のことながら)どこにも存在しない。



⓶(僕を含めた)少数の人々の見解

本当に命が全てなのか?

人間は、死なないことが第一義で生きてきているのか?

僕はそう思はない。

生きるために手を貸す、それは、責任逃れの発想でしかない。



僕は今月76歳になります。客観的に考えれば、充分に生きてきたわけです。(まだ生き続けることが出来れば有難いですが)いつ死んでも文句は言えない。



一方、僕自身が人生をかけて、かつ多くの人々の尽力を得て、積み上げてきた“仕事”は、僕自身の為にも、協力してくださった人々の為にも、少々大袈裟に言えば、人類や地球の為にも、引き継ぐ責務がある。



今後僅かの個人の命と、膨大な可能性を未来に残す仕事(写真やデータや作品)と、どちらが大事なのか? 僕にとっては後者であるのは当然のことです。



しかし、国も行政も大衆も、(建前上)命は尊く全てに勝る、と考えているのですね。それ(命を繋ぐこと)に関しては全面的に協力をする、付随する些末な事には一切関与しない(僕には責任逃れの現れだとしか思えないけれど)。

残りの人生(1年かも知れないし1日あるいは10年かも知れない)“人間らしく生きる”(インチキ感満載の実に嫌な言葉だ)ことだけに全力を注ぎなさい、と。



僕には(よほど頭が悪いからなのか)どうしても理解が出来ません。



何度も言います。76歳まで生きてきたのだから、この後どうなろうが文句は言えません。

しかし、膨大な資料(地球の財産です)を形に整え、将来に引き継ぐことは、命の継続より上位の、最優先事項です。



ぼくのような考えは、大衆の価値観、道徳観からすれば、間違っている(=悪)なのでしょうか?

依存症、あるいは(正義にとって都合の悪い)陰謀論と同じ、と見做されるだけなのでしょうか?



・・・・・・・・・・・



二階引退、ひき換えにお咎めなし(および“ばかやろう”発言)、というニュース。

二階氏85森氏87。

ちなみに麻生氏83(実家は僕のアパートのすぐそばです)、でも何故か彼のヤフコメでの評判は余り悪くないみたい。

(ちなみに、ジョニーは今月20日で86、もう10年近く前からヨボヨボです)。



いや、分かりますよ(笑)。

>二階にしろ森にしろ、もはやお呼びでない。

確かに。

>こいつら、たまたま権力を得て、この年になっても、それにしがみついているのは、一にも二にも、お金の為。

でも、僕の感覚では、何もお金の為に、権力にしがみついているのではないと思う。彼らなりに一生懸命に(老体に鞭打って)国や国民を思って(それはそれで困るわけですが、笑)行動しているのです。

どうして(世間的な物差しでは頭が良いのかもしれない)大衆の思想と言うのは、こうも貧弱なのでしょうか?

どころか、とんでもない(年齢)ハラスメントなんですけれどね。



彼らへの批判自体は間違ってはいないのかも知れないとしても、余りの金太郎飴的無個性コメントの行列、見ているだけで恥ずかしくなってきます。

その中にあって、実にセンスの良い秀逸コメントを見つけました。

Olx…さん。

>二怪氏と田原総一郎氏で、朝までばかやろう対談をやってほしい。

笑ったです。





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戦争は何故無くならないのか? 正義と平和という絶対悪について

2024-03-31 08:43:34 | その他



「近所の蝶と大谷と白鵬」という見出しで行く予定だったのですが、上記に変更しました。特に意味があるわけじゃなく、今後も気分次第で2つの総見出しを使い分けて行きます。



一周回っての“絶対悪”ですね。ちなみに僕は悪を全否定しているわけではありません。



「近所の森と道端の蝶・福岡編」やっと完成しました。

問題は(「中国蝴蝶野外観察図鑑」ともども)どうやって収入に結びつけることが出来るか。

148頁。印刷代1500円。僕の実益分に六本脚マージンを加算すると定価は3500~4000円、幾らなんでも高すぎるのではないでしょうか?

PDF原稿をそのままCDに収納、あるいは電子書籍としてネット販売すれば、コストはほぼゼロで、圧倒的にクオリティが良く廉価な作品を読者に提供することが出来ます。僕にとっても購入者にとっても、双方納得です。けれど、現実には、様々な柵や障碍があって、そうも行かない。

そのうちに、ブログでも梗概を紹介していこうと思っています。



ちなみに、この作品の肝は、↓前書き末尾の記述。

>本書は教科書ではない。内容は曖昧かつ適当で矛盾だらけである。殊に学名の選択を含む分類体系の記述は項目ごとに変わっていたりして全く不統一である。むろんそれぞれに根拠はあるのだが、本書ではその理由の説明は割愛する。敢えて定説とは逆の選択を行っている場合が多い、と認識しておいて頂きたい(単純に、文字スペースとの関連で選択した場合もあるが)。よく言えば臨機応変な処置なのだが、要するに著者の思い付きの出鱈目記述、と解釈して頂いても、差し支えない。

>著者の本意は、答えの提示ではなく、問題提起である。自然の生命体に関わる事柄を類型化し統一することは不可能である故、それでよいと思っている。将来はともかく、現在という時点での判定に於いては、本書の記述は間違いだらけなのかも知れぬ。答案用紙に「正しい答え」を書くための教科書・参考書を求める方は、別の(著者以外の執筆者に拠る)図鑑を参照して頂きたい。



僕の姿勢に心配した友人がこんなメールをくれました。

>何とかアカデミックな連中が使うのと共通の言語を持たないと、もったいない。

それはよくわかるのだけれど、僕のポリシーなので、いまさら変えるわけにもいかんです。反アカデミズムは貫き通します。



もう10数回目くらいの繰り返しですが、僕が嫌いなのは、

音楽雑誌「ローリングストーンズ誌」と、バンクシー(ついでにゼレンスキー)。

反権力を装った権力。



芸術なんていうのは、詐欺と依存症(それらによって構築される資本主義社会)の正当化に過ぎんです。科学も同じです。



・・・・・・・・・・・・・・・



当面は、大谷君(以下敬称抜きで統一)絡みの話題を続けて行く予定。



今回の出来事は、単に事件で済まされる次元の問題ではなく、日本人とは何か、民主主義社会、資本主義社会とは何か、と言った、とんでもなく大きな問題が背景にあるように思います。



白鵬問題の裏表逆パターンですね。大谷にしろ白鵬にしろ、何らかの形でケリという問題ではない。これまで僕の携わってきた「香港デモ」「コロナ騒動」「ウクライナ問題」等々とともども、今後とも注意深く見守っていくつもりでいます。



・・・・・・・・・・・



権力に従う。

これが日本人が日本人であるための絶対条件なのでしょう。

それが悪い事だとは思いません。要は、それを自覚しているかどうかということと。そしてそれが全てではない、と認識する事。



前回のブログにも書きましたが、大谷とごく身近な、彼の実像を極めて良く知っていると思われる、日本のプロ野球球団の某コーチ(誰だったか今名前を思い出せないけれど、皆も良く知っているはずの方)が、以前大谷について評していたこと。

>大谷はジャイアン。

↑大谷崇拝者は皆見逃しているのでしょうが、、、必ずしもネガティブな意味で言っているのではなく、それが実態だということです。



ウイキペディアで“ジャイアン”(または“ジャイアン主義”)をチェックしてみました。その幾つかの要約。

>乱暴なガキ大将だが、友情に厚い男の子。

>「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」。自らの所有物(占有物)については当然に自分の所有権を主張しつつ、他者の所有物に対してさえも当人の所有権を否定、所有権が自分に属することを主張する。

>「正しいのは、いつもおれだ。」「この町で、おれにかなうものはいない。おれは王様だ。」

>しかし、本人はこれらの行為に悪気はない様子。周囲が嫌がっている事に気づいた際に見せた表情は悲しげで、ドラえもんにも「年に一度は心から祝ってもらいたい」と泣きつく姿からは、自分さえ良ければいいという暴君気質は見られません。



「ドラえもん」というのは、もちろん名前は知っていたのですが、アニメはおろか、マンガ自体も一度も見たことがありませんでした。今日、はじめてインターネットのウキペディアなどで、その梗概をなぞった次第ですが、なぜか、全部知ってた様な気がします。いつの間にか断片的に情報を得ていたのでしょうね。



ちなみに藤子F.不二雄(藤本弘)氏とは、若い頃スタジオ・ゼロの仕事場で何度もお会いはしているのですが、話したことは一度もなかったように記憶しています(雑用とかを頼まれたことはあったかも知れない)。手塚治虫先生ともども、僕が尊敬している、数少ない真の芸術家の一人だと思っています。



話が逸れてしまいました。



多くの日本人が“ヒーロー”として崇拝する大谷。彼の行いは、正しいのに決まっているのです。

一方、(主に)アメリカの少なからぬ人たちは、彼のことをどこか胡散臭い、信用できない人と見ている。

そのどちらとも判断できずにいる人も、一定数いるようです(たぶん僕もその一人)。

悪とは何か。正義とは何か。永遠の問いを追い続けるしかないのです。



・・・・・・・・・・・・



水原は「ギャンブル依存症」。そのような人物は皆「嘘つき」。

大谷は「野球以外の世俗には全く関心のない、聖人君子」。

それ自体はひとつの事実でしょう。

従って、「悪人は正しくない」「正義は正しい」の前提で、全ての物事が処理されていく。

しかし、事実は一つではないのです。別の側面・時空においては、違った解釈が可能です。



“This is a pen”“雨が降っている”“彼が歩いている”、、、それら自体は事実には違いありません。けれどそこに何かが関与した時に、その関係性は無限の可能性が広がる。

“And that is a book”“でも太陽が顔をだした”“石につまずいて転んだ”、、、展開次第で、事実の有り処は無限に広がって行きます。



「水原は賭博を度々やっていた」

「大谷は常に野球に専念している」

そこから先は、別次元の問題として捉えねばなりません。



極論すれば、真実とは無限の矛盾の構築の中で成り立っている、ということだと思います。



賭博は悪なのか?

賭博依存症、それはどういうことなのか?

物事への依存は、特別なことではなく、現実社会のほとんどが、本来必要の無い対象への依存で成り立っているのではないか?

依存症の人間を嘘つきと言うならば、大衆は皆嘘つきなのではなかろうか?



大谷が、脇目もふらず野球の道に邁進していることは、本当に素晴らしいことなのだろうか?

“かのように”的視点の外から見るならば、

ボールを飛ばす(投げる/打つ)ことに卓越している人と、

2か国語を自由に操れる人の、

どちらが人間として(社会・大衆への忖度なしに)優れていると言えるだろうか?



しかし、全ての物事は、“社会・大衆への忖度”から逃れて進めることはできません。

有無を言わさず、前者が圧倒的に(まるで比べものにならぬほど)優れているのです。

大衆はもとより、大谷自身も、もしかすると水原氏も、今回の出来事を、限りなく無かった事にする(全て水原氏の“悪行”に基づくとして処理する)ことで、阿吽の統一見解に至っているのだと思います。



誰もが成し得なかった未曾有の大記録達成に邁進する、それが全てであり、ほかは一切無視。少なくとも日本人の大多数は、その大谷の姿勢を絶対評価し、支持しているわけです。

一方、それで良いのだろうか?という疑問が(主にアメリカの)一部の人たちから噴出している。



僕が思うに、今回の水原氏の過ちは、特別な出来事ではない、ということ。

むろん、置かれた状況(国家規模の大谷フィーバー)が余りにも特別な舞台なわけですから、あらゆる出来事が特別視されなければならないわけですね。



額の多少、違法合法を別に考えると、賭け事依存による負担は、株はもとより買い物とかローンとかも同じであり、本質的には賭博依存と変わらないということ。



水原氏が、つまらんちっぽけな人間で、生まれた環境という宿命に、後に様々な自己責任も加わって、底辺人生を余儀なくされてきた、という背景がある以上、嘘もつかねばならなかったでしょうし、何らかの学歴詐称もせねばならなかったでしょう。



ちなみに、僕自身、まともな学歴は中学1年までしかないわけで、その後どのような教育機関に関わってきたかというと、東京大学に勝手に出入りして、弥生校舎の学内や農学部の演習林で活動を続けてきたわけです。そのこと自体は事実なので、その通りに言うしかない。と同時に、余計な疑念をかけられたくないので、ニセ学生であることを自ら強調してきました。しかし、中には「学歴詐称」という人も出てくる。そんなこと言われても、どうしようもないじゃないですか。



あるいは、中国では3度現地(重慶・成都・昆明)の大学に在籍していました。もっとも、卒業はしていないわけだし(授業にも大して出ていない)、本来中卒の身分では入学は出来ないのですから、在籍自体がたぶん裏口入学に等しいのではないかと思います。でも、裏口であるにせよ、書類上は在籍したことになっているはずです。その書類が、本物であるのか偽物であるのか、僕自身には判断のしようがない。

それに関しては、僕だって、水原氏だって、小池のバアさんだって、似たようなものだと思います。

ついでに、僕が自分の本を(いわゆる自費出版で)売りつけることを、詐欺行為と見做す人がいます。一方、正規の出版社からの刊行だと、大変立派な業績のようにほめたたえられる。なんだかなあ~、という思いです。



話を戻します。若い頃の水原氏は、まあ一般に言うところの正規のレールには乗ってなかったのだと思います。清濁併せのみつつ頑張り続けてきた。紆余曲折した後、日ハムの通訳の職をつかみ、大谷の専属通訳と成り、ともにドジャースに入団した。シンデレラ半生ですね。

しかしシンデレラになることで、全てが変わった訳ではないでしょう。過去(自らのアイデンティティ)は引きずり続けざるを得ない。大谷とは、所詮、置かれた立場が違うのです。

本来はミスマッチであるはずの2人が、人生に一生懸命(水原氏)、野球に一生懸命(大谷)、、、、一生懸命というキーワードを持って見事にマッチしたわけです。

でも、(水原氏が)引きずってきた負の部分は、そう簡単に解消できるものではない。



もう一度、同じことを書きます。

わき目も振らずに野球に邁進する、ということは、本当に(皆が考えているであろう様な)素晴らしいことなのでしょうか?

ボールを飛ばす(投げる/打つ)。

2か国語自由に操れる。

どちらが人間として、社会への忖度なしに、優れているのか?

水原氏も大谷も、そんなことは考えたこともないでしょう。むしろ、現実問題としては、比較にならない、と受け止めていたことでしょう。大谷は悪気ではなく、水原氏は卑下ではなく、当然であると(水原氏の意識の根源には、理不尽と言う思いはあったかも知れないにせよ)。



大谷は、皆が御存じのように人生スケジュールを立てていました。それに沿って邁進し、他のことは全て無視し、努力を重ねて、全てを実現してきた。もちろん、圧倒的な素質と本人の努力があってのことです。

そして、回りの理解(のちには讃美・崇拝)も重要なファクターであることを忘れてはなりません。

言い換えれば、ジャイアンのように、徹底して自分を押し通してきたわけです。それが許される立場にあった。



それが美徳として持ち上げられ続けているわけですが、本当にそうあるべきなのでしょうか?

ちなみに、例えばニューヨーク遠征時、野球以外に何にも興味が無いので、街には出なかった、、、等々、俗世間やお金には興味を示さない、我々一般人には到底マネが出来ない聖人君子であると。

僕には違和感があります。大谷が普通で、一般大衆がおかしいのかも知れない。



烏滸がましいですが、僕なんかも、大谷と全く同様ですね。所有欲、物欲は、皆無だと思います。酒、タバコ、ギャンブル、女遊び等々には全く興味ないし、そのほかの遊びも、(最低限必要なものは別として)買い物とかにも、一切興味がない。嘘もほとんど言わない正直人間だと思います。ひたすら自分の目標(日本の自然の根源を中国の自然の中に探し出すこと)に向けて努力邁進している。大谷に負けない聖人君子なのです(笑)。

でも、当たり前のことですが、聖人君子には程遠い。実質的には、たぶん水原氏により近い(と言うよりも彼には遥かに劣る)出鱈目なダメ人間です。



それはともかく、大谷のやっていることは、皆と同じ行動が取れない(同調圧力に応じない)本来なら社会を乱す、大衆とは異なる価値観に基づいています。普通は排除されてしまうのですが、彼がそれを許され、なおかつ讃美・崇拝の対象になっているのは、ひとつは日本人が欧米人を圧倒する、という現象に、日本の大衆が狂喜乱舞している背景に拠ります(戦後の力道山に被ります、、、後に刺殺され、やがて北朝鮮人であることが判明、諸々の裏の顔も明らかになるのですが、リアルタイムでの熱狂は、それは凄いものでした)。



見方によれば、投手である大谷がDH(代打ヒッター)を独占し続けていることは、集団競技としての野球を考えた場合、大いなるマイナス面もあるわけです。しかし、崇拝されている限り、プラスに捉えることしか許されない。

大谷が、自分の道を突き進むことが、必ずしも「正解」であるとは言えないのですが、日本人大衆の側には、それを指摘することが許されない「空気」(同調圧力)が、頑として確立されてしまっている(早い話、僕にしても、そのことが分かっていながら、大谷に拠る前人未踏の活躍を応援していたわけです)。



・・・・・・・・・・・・・・・



水原氏は懸命に生きてきた。ネガティブな過去の境遇を引きずりながら。

「生活レベルを大谷の(あるいは彼を取り巻く)世界に合わせるのがどれだけ大変だったか」という水原氏の言には、思いのほか大きな意味があると思います。



今回の事件の成り行きは、2つの物語に集約されるでしょう(実際はその2つが混然一体となり複雑多様な様相を示している)。



多くの人が指摘しているように、僕も水原氏の最初のインタビュー内容が、(事実ではないとしても)より事実に近いのではないか、と考えています。



他チームに移籍したフレッチャー選手(大谷の親友として日本の大衆が美談物語を造り挙げていることには辟易していますが、ナイスガイには違いないと僕も思っている)の以前の証言。「賭け事がチーム内に蔓延している、その中心人物の一人が水原氏」。これはネガティブな意味での発言ではないのです。皆が、水原氏を中心に、和気あいあいと楽しんでいる、と。むろん(本人が参加しているか否かは別として)大谷も周りにいて承知しているわけです。単純に、アメリカにおいてはごく当たり前の、皆の楽しみごとのひとつであるわけです。



たまたま違法であったことを除けば、水原氏の“ギャンブル依存症”は、特別なことではないように思います。彼が依存症というならば、フレッチャー以下、皆依存症と言えなくもない。我々大衆も、様々な局面で、(アニメとか音楽とかグルメとかファッションとか)依存症なわけです。



水原氏の場合は、(バックに大谷がいることで)狙い撃ちでターゲットにされちゃったのですね。そして、がんじ搦めになって、抜け出しようにも抜け出せなくなった。

自分は依存症である。水原氏は、正直すぎるほど正直なんだと思います(正直であることは必ずしも美徳ではない)。



けれど、それでは、球界の宝であり、日本人の崇拝の対象である大谷に危機が及んでしまう。水原氏を含めた全員で口裏合わせをする。水原氏が窃盗した。大谷は野球で結果を出せばいい。それもひとつの(というよりもほとんど唯一の)解決策だとは思います。



もうひとつのパターン。本当に大谷は何も知らなかった。全くの寝耳に水。従って現在の捜査進行状況のままで何ら問題はないわけで、野球で結果を出せば良い。

その場合、批判の声は、そんなにリスク管理出来ていないということは、大人(社会人)として失格である、と。



けれど、僕を含む一握りの人たちの思いは、どちらのパターンであるにせよ(特に後者のパターンの場合より強く)、そこはかとない違和感を覚えている。



2人は、二人三脚で頑張ってきたのですね。お互いに全面信頼しながら。

しかし、過去を引きずりつつ周囲(その中心は大谷)に気を配り続けねばならない(なおかつ心ならずも?表舞台に立たされ続ける破目になった)元・出来損ないの水原氏と、回りのことなど何一つ気にせずに自分のやりたい放題(悪い意味で言っているのではない)野球道に邁進することが出来る聖人君子の大谷では、余りにも置かれた立場が異なります。

問題の多少は有れ、(たとえ賭博問題が起こらなくても)何らかの局面で今回のような事態に至ったのは、必然ではないだろうか、という思いもあります。



大谷がお金に無頓着、というのは、その通りなのだと思います。一部(一割としても何10億円)を誰の束縛も受けず自由に使い、それを水原氏に全任、必要とあらば勝手に使って良い、という状況下にあったのではないかと。



背番号譲ってくれた選手の奥さんにポルシェ贈呈、日本の全小学校にグローブ配布、留学の招待、、、、膨大な金額を、大谷の思いのまま動かしている。

それが素晴らしい事であるのは間違いないのでしょうけれど、別の側面から見れば、自分の気の向くまま大量のお金をばらまいているわけで、なんだかモヤモヤも残る、と感じるのは、僕だけではないと思うのです。



水原氏は、それを任されていた可能性が強いです。背番号の奥さんにホイ何千万円、グローブにホイ何千万、、、、。

後払い1000億円だって、山本投手を入団させるため、ひいては勝ちたいがための(お金なんてどうでも良い、勝ちたいんだ)策略であったとも言えます。

暗号資産への賛同(主催者は逮捕はされたけれど、違法と言うのとはまた意味が違うので、大谷ら賛同者にはお咎めなし)も含め、お金に興味がないからこそ、ホイホイとお金を動かすことが出来る。

世界中に、(幾ら必死で努力を重ねようが)お金の為に苦しんでいる人が、どれほどいる事か。それらの人たち(盲目崇拝する日本人貧乏人は除く)にしてみれば、大谷の存在は、違和感満載であっても不思議ではありません。



ある意味では大富豪の余興とも言える大判振る舞いのお金の窓口になっている水原氏自体はお金に苦しんでいる、という状況。けれど自分は大谷の為に全力を挙げ、助けを求めるなんてもってのほか。ジャイアン大谷と違って、水原氏は自分に自信はないし気が弱いのです。



任されているお金は、大谷の夢を叶えることに繋がるならば、湯水のように使うことが出来ます。ならば自分に降りかかっている苦境をゼロにする為に、そのお金を使うことは、大谷にとっても(全体からすると大した額ではないとも言えるわけですから)望ましい事と言えるのかも知れません。

奥さんポルシェや小学校グローブと同じように、プールしてある資金から勝手に支払っておく、というのが、ベストの選択であったのかも知れません。後で自分の犯した不始末は、(今後はもうしませんと誓ったうえで)片付きましたよ、と報告しておけば、大谷への渾身によるこれまでの膨大なメリット考えれば、大谷にとっても、お安い御用、ということで、一件落着だったはず。



大谷は、水原氏の事を、もっと真剣に考えてあげるべきだったのではないかと、僕は思います。その余裕がなかったとすれば、水原自身の負責を含めて、お金のことは最後まで水原氏に全任すべきだった(たぶんそのつもりでいたのだと思う)。



けれど、違法ということで、途中で捜査が入って、取り返しの付かない事態になり、一方的に水原氏を切り捨てざるを得なくなった。



ある意味、自分の目標達成の為に、結果として水原氏を追い込んだのです。



いずれにせよ、大谷が本当に聖人君子なら、野球で結果を残すことではなく、水原氏を助けることを第一義に置くべきではないだろうか?と考える人が、多数派ではないにしろ、少なからずいる、ということも、また事実なのです。

僕ですか? うーん、難しいですね。大谷君には、野球に於いて未曽有の結果も残して欲しいし、それらを超越した“義”も見せて欲しいし、、、、。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



福岡県に於けるコロナ感染状況の発表は、今日を持って終了するとのこと。実質、(コロナが特別な禍では)無かった事にする、ということです。





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大谷選手の会見など

2024-03-26 20:51:21 | その他



その前に再度。

尊富士。



日本への批判、科学に対する批判を行うと、ヤフコメ民(ほぼ日本の大衆の総意)は拒絶反応を示すのですね。



「ライオンは治療しない」

「サプリ飲むの人間だけ」

いやもう、よく言ってくれたです。

ヤフコメ民は、

>「傷ついたライオンは、ほうっておけば死んじゃうんだぞ。医学はそれを助けることが出来る。もっと科学を尊重し、世の中を勉強しなさい」と批判します。

いや、そうとも限らんのですよ。

以前、毎年のように小笠原に通っていた頃、

ある年、野犬が瀕死の重傷を負っていた。

一目見て、これはもう助からんだろうと。

しかし翌年訪れた際には、治っていた。

どの生き物も、そうとうの生命力(自己治癒力)を持っているのです。

人間の病気だって、治すのは自分、医者は手助けをするだけ(それが大きな意味をもつ)。

それが、いつしか医学が主役になって、手助けではなくて、医学の力で治す、という思い上がりに。

一般社会においても同じです。科学(文明)が全てを支配してしまっている。

科学を否定しているわけではありません。人間を助けてくれ、潤いを与えてくれる。科学が全能であるごとき過信することに、危惧を覚えるのです。



・・・・・・・・・・・・



大谷選手のインタビュー。

「正直ショックという言葉が正しいとは思わないですし、それ以上の、うまく言葉では表せないような感覚で1週間過ごしてきた。うまく言葉にするのは難しいなと思っています」「気持ちを切り替えるのは難しいですが、シーズンに向けてまたスタートしたいですし、お話できて良かったと思っている。今日は質疑応答は、これがお話できるすべてなので、質疑応答はしませんが、これからさらに進んでいくと思います」



「うまく言葉にするのは難しい」

本意でしょうね。



この問題、主役は大谷選手でも一平さんでもないのです。

一平氏が(結果として)大金を盗み出し、大谷はそのことを知らなかった、それ自体は事実なのでしょう。

しかし、俯瞰的に見渡せば、様々な次元において、遥かに大きな問題を伴っている。

答えが出るのは(答えなんてないとは思うけれど)、大谷がキャリアを終え、2人や関係者がいなくなった、遥か未来の事だと思う。



秀逸のコメント(スーパジェットさん)がありました。



>野球で夢や希望とやらを与えるよりも、よほど人生に役立つ教訓を大谷さんは人々に与えることになるのでしょうか。 だとしたら二人を掲載した教科書の差し替えなど安易に行わず、結末まで付け加えるのが教育というものだと思うのであります。



・・・・・・・・・・・・・・



大谷選手には、今後ともベストのパフォーマンス(様々な記録の更新)を期待しています。と同時に、(主にアメリカ国内からの)批判・疑念の声を一生受け続けなくてはならない。それは、彼にとって、必ずしもマイナスの要素だけではないのではないかと思います。



一平氏には、あえて“ドンマイ”、と言ってあげたい。神(?)が与えた試練です。反省して、いつか大谷君に謝ろう、と。



重ねて言いますが、日本の社会にとっても、大衆の崇拝・妄信の危うさに気付くきっかけになって、良かったのではないかと思います。



まあ、人を安易に信用してはいけない、みたいな教訓に、これまで以上に向かうのだとしたら、情けない限りですが。














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続々 依存症

2024-03-25 15:21:41 | その他



尊富士110年ぶりの新入幕優勝のインタビュー。

「ライオンは治療しない」

「サプリ飲むの人間だけ」

これにはヤフコメ民猛バッシングです。

この人、ちょっとおかしいんではないか、と言う人さえいます。



文明・科学への過信、

それこそ依存症なんですね、でも、ほとんどの人が、そのことに気付いていない(なんとなく気付いているのかも知れないけれど、直視することが出来ないでいる)。



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オガサワラシジミ(&ルリシジミ)のシリーズを終えた後、「大谷と白鵬」のテーマでブログを書き進めたのが3月11日。「教育とは洗脳の同義語」(3月16日)、「正義の味方」(3月20日)と、大衆の大谷讃美がクライマックスに達しつつあるなか、敢えて苦言・疑問を呈してきました。微力とはいえ、ノー天気な「お祭り気分」に少しぐらい水を差して置いた方が、大谷を取り巻く人々(日本の大衆)にとって、意義があると思ったからです。



その翌日(3月21日)から、まさかの展開。ブログには引き続いて大谷関係の話題を書き続けているわけですが、(問題が発覚した)3月21日スタートなのではなく、3月11日スタートであることを、認識しておいてください。別に僕の先見の明とかを自慢したいわけではなく、問題発覚以前に、大谷フィーバー(日本の大谷崇拝)に対しての、様々なネガティブな指摘が、少なからず存在していたのです。最初に書いた「大谷と白鵬」は、日本のメディアや国民に対する不満や疑問、「正直、大谷がいなくなってホッとしている」というエンゼルス関係者(選手を含む現場)の本音に基づいた記事に触発されて書いたものです。今回の事件は、「青天の霹靂」なのではなく、ある意味、起こるべきして起こったものと言えるかも知れません。



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何度も何度も繰り返し書きますが、僕は大谷の大ファンです。でも崇拝はしていません。ついでに、誰にも負けない愛国者であると自負しています。でも日本が単純に素晴らしい国であるなどとは思っていません。結構酷い国だと思っています。でもって売国奴とか呼ばれたりするわけですが。



資本主義社会は実質上の依存症人間を増産する(ほぼ国民全員)ことで成り立っていると前回書きました。「依存症の人間の言うことは信用できない」というコメントが目立ちます。ならば自分たちの言もまた信用するに足り得ない、ということです。人々の思考が余りに上っ面だけしか機能していないことに寂寞たる思いでいます。



大谷の事をよく知る日本の某球団コーチ曰く、「大谷はジャイアン」(僕は漫画見ないのでジャイアンがどんな人かは良く知らないのですが、でも大体のイメージは把握できる)なのだそうです。何もネガティブな意味で言っているのではなく、それも魅力(長所でもあり欠点でもある)ということです。大谷像を勘違いして作り上げている大衆に、実像を伝えたのですね(たぶん伝わってはいない)。



ちなみに、僕は栗山さんがダメ。どうにも好きになれないし、評価も出来ない(全否定している訳ではないですが)。根拠は追々書いていきます。



水原一平氏は、これまで余り好ましくは思っていなかったのですが、今回の騒動によって僕の中でグッと好感度が増しました。



大リーグという機構自体、賭け(スポーツ賭博)によって潤っている側面がある(むろん内部の人間が直接関わることはご法度)のですが、まあ合法か違法か、それが全てなわけで。



大谷はゲーム好きで、お金自体には無関心なのでしょうが、それ(価値としてのお金ではなく物理的存在としてのお金)を使って楽しむことは結構好きなのではないでしょうか。純粋無垢な子供がゲームをやっているような感覚で。



グローブのプレゼントや、後払い契約とかも、素晴らしいことには違いないけれど、光の当たる角度を変えてみれば、単純に手放しで褒め称えてよいことなのか、疑問も残ります。これも繰り返し指摘しますが、崩壊した仮想(暗号)通貨賛美への加担、それに対する責任が有耶無耶にされてしまっていることも気になります。



誰に何と言われようと、自分のポテンシャルを最大限生かすために邁進する。これだって光の当て方次第では相当に酷い事です。そのためにどれだけ多くの人々に迷惑をかけているか。ある意味、米球界は、大谷一人の我儘(それを支持する大衆)の為に滅茶滅茶になってしまっている、と解釈することも出来るかも知れないのです。



エンゼルスが低迷しているのは、大谷が要因の一つになっているのかも知れない。むろん、大谷の加入がプラスになっている面もあるでしょう。でも、それと同等か、それ以上にマイナス面にも作用している。



僕が大谷に魅力を感じるのは、それらの事もひっくるめての事です。ある意味、彼は本質的に悪の塊なのかも知れず、なおかつ表向きは善の象徴として崇拝されている。



大谷は正義の象徴。

レンドンは悪の象徴。

まあ、それはその通りかも知れませんね(笑)。

でも、ひっくり返すことも可能です。

レンドンの発言や行動は、実に奥深いものがあります(それについては改めて)。



報道で知る限り、水原氏は実に正直な人だと思う。正直すぎるほど正直(必ずしも誉め言葉ではない)。

「大谷(を取り巻く状況)に自分の生活レベルを合せることにどれほど苦労しているか」

これ、ものすごく分かる気がする。



基本ダメ人間、グウタラ人間なのでしょうね。と同時に、一生懸命、必死に(大谷の通訳をはじめ膨大かつ様々な懸案に)取り組んできた。たぶん、何が何だか分からない状態のまま(違法賭博への借金という負の要素を背負いつつ)今に至っている。



大谷が、本当の意味で真価を問われるのは、これからだと思います。





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依存症 続き

2024-03-23 20:49:55 | その他



大谷の活躍を楽しみにしている一野球ファンとしては非常に残念な出来事ですが、日本の社会にとっては、案外良い事だったのかも知れません。



「大谷凄い」「日本凄い」の大フィーバーに水を差すような、なんてことをしてくれたのだ、と多くの大衆・庶民が憤慨していることでしょうが、「水を差した」のではなくて「頭を冷やした」のです。



考え方に拠れば、「水を差す」も「頭を冷やす」も同じことで、立場の違いで正反対の意味合いになるだけです。



賭け事依存症で、自分(や周囲)がお金を無くして、(悪徳)胴元が潤う。

薬と置き換えても良いですね。



ファッション依存症で、お金を使って、デザイナーや洋装店が潤う。

グルメ(以下同)、

音楽(以下同)、

コレクター(以下同)、

健康マニア(以下同)、、、、。

基本的にどこが違うのか。



上の例は病気で、下の例は日常(正常)。何をもってそう言えるのか?

医学上の判断だとすれば、どのような基準に基づいているのか?

まさに“かのような”の世界。

精神医学なんて、究極の“かのような”の基盤上に成り立っている。

カウンセリングの胡散臭さ、「向こう側」か「こちら側」かの違いだけで、洗脳合戦を行っているだけです。



法とか科学とか道徳とか教育とかに名を借りた、壮大なからくり。

コロナ騒動や世界中で頻発している紛争も、その“からくり”に基づく洗脳の上に成り立っている。



ちなみに株もギャンブルですね。上手いコメントがありました。

「ギャンブル依存症」を株に置き替えれば「個人投資家」。



法の番人にしろ、科学者にしろ、資本主義社会における成功者にしろ、人間として尊敬を受けているのだろうけれど、光の当て方次第では、悪徳宗教とか死刑囚とかよりも遥かに悪どい「集団洗脳」に加担しているわけで、、、、万死に値する存在なのではないか、と思ったりします。


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「依存症」の本質について

2024-03-22 22:09:13 | その他




暫くは、大谷絡みの話題で行きますね。



僕にとっては「オガサワラシジミ絶滅」をはじめとした野生生物関係の話題も、「大谷の危機」の話題も、同根なので。なんなら、コロナも、ウクライナも、遡って香港デモも、ここしばらく取り上げていないアメリカン・ポップス関係の話題も。



はじめに断っておくと、僕は(多くの日本人野球ファン同様に)大谷選手の大ファンで、彼の人柄云々とかは知らないけれど、前人未踏の挑戦と誰にも成し得ない結果に関しては、文句なく賛美するしかありません。それは必ずしもポジティブな評価だけでなく、野球という団体競技においてネガティブな部分もひっくるめてです。ついでに言えば、一平氏に対しても、胡散臭い、だらしなさそうな人だなと、ずっと思ってはきたけれど、それをも含めて愛すべきキャラであるという受け止め方は、今も変わりないでいます。



ちなみに、僕以外の大谷ファンに対しても、親近感を持っていますが、ただし「大谷崇拝者」には、辟易している、というのが正直な気持ちです(イチローや野茂の時も同じ)。



今回(おそらく今後の展開も含めて)の問題は、単に一通訳、一野球選手の問題にとどまらない、大変な意味を持っていると思う。大袈裟な表現かも知れませんが、日本人、あるいはアメリカという国家、ひいては、民主主義、資本主義、、、、それぞれの本質に直結する問題提起なのではないか、と思っています。



以下、僕が感じたことを、アトランダムに箇条書きで示していきます。



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そもそも、スポーツ自体、その勝敗、ギャンブルと被る要素があると思う。



一平氏は、依存症どころか、大学卒業後に、ギャンブルのディラー養成学校で学んでいたとのこと。スポーツの賭け(自分が関わる野球を対象とする場合はともかく)に対しても、ネガティブな心象は持っていなかったはず。それは大谷だって同じかも知れません。



そもそも(むろん現場の人間が直接携わることはご法度としても)大リーグ機構自体が、賭けによって潤う部分があるわけで、合法的なスポーツ賭博を推奨し、どっぷりと積極的に関わっていたわけです。



大阪府のカジノ誘致などについても同じですね。



単に、法律で認められれば、(多くの人々に利益を齎す)「善」。認められなければ「悪」という図式です。それが民主主義の基幹なのです。法は絶対、なによりも上位に位置します。「いかなる理由があろうとも人を殺してはならない」という大前提で、なおかつ法による処刑は「いかなる」からは除外されるのです。考え方に拠れば、それ自体が異様だと思うのですが、皆そうは捉えない。



前回も記したこと。大谷は、一時「仮想通貨」機構の宣伝塔となっていました。倒産して主催者は失脚投獄、大谷の存在によって関わって辛い目にあった人々もいるわけで、本来ならば、ある程度の責任を負う必要があります。



1000億円後払いの件も日本では美談に成ってはいますが、単純に山本獲得などのために為された裏技と考えれば、それを犯罪と見る向きもあるわけで、実際に検察などが動き出しているとも言われています。



お金には無関心、無頓着。(だからこそ)「お金」も、ある意味ゲーム感覚で、良くも悪くも好き勝手に対することが出来る。今回、もっと単純に、大谷も(軽く野球ゲーム感覚で)何らかの立場で参加していた可能性があるのではないかと思っています。



お金に無頓着で恬淡、言い換えれば、お金にだらしない。それは美徳でも欠点でもないのです。大多数の人(殊に日本人)は、“お金にしっかりした感覚を持つ人”が立派であると、価値観の中に刷り込まれているわけですが、なに、言い換えれば、お金に汚い、だけの事です。



一平氏が、「ギャンブル依存症」と自らカミングアウトした由ですが、何か違和感を覚えます。先ほども記したように、カジノのディラーを目指していたぐらいですから、肯定的意味合いも込めて、漠然とそう表現したように感じます。



この一連のニュースのなかに、次の様な、目から鱗の落ちる(ana*****さんと言う方の)コメントを見つけました。

>変な話ですけれど、○○雑誌を買い始めたら、もう依存症の入口だと思います(病気として確定診断されるかどうかは別の話として)。定期購入したらもう決まりです。競馬雑誌、パチンコ雑誌、麻雀雑誌に留まらず、いろいろありますよね。アイドル雑誌、野球雑誌とか、音楽雑誌も、ある意味では依存症頼みだと言えます。SNSもね。大衆を何かの依存症にすることで、本当は使わなくても生活に何の支障もない無駄金を使わせる、これが資本主義の在り方です。罠はどこにでも転がっています。



そうなんだよね。



“依存症”の本当の意味に、誰もが気が付かないでいる。



普通に、社会構造の中に、無意識の依存症的要素が組み込まれている。皆、何らかの形で「依存症」であり(それを医学が「疾患」と判断しないだけ)、それを基に為される同意圧力に無意識のうちに相互に加担し合っているのです。



本質的な意味では必ずしも必要としない様々な要素を、あたかも生活に必須な要素と刷り込まれることで、資本主義社会が回転しつづけ、成り立っているわけです。



ファッションにしろ、食べ物にしろ、エンターテイメントにしろ、無意識的に依存を推奨(同調圧力)する流れが構築されてしまっている(僕だってある意味ネット依存症)。



大多数の人の賛同を得ることが出来れば、本質とは無関係に、社会にとって「正義」であり、そうでなければ、(本質とは無関係に)「悪」とされる。ギャンブルとか薬物とかは、そのボーダーラインを行ったり来たりしているわけです。たまたま「悪」の側に引っかかると「極悪人」となる。



法律あるいはルールを守る、ということは、本質的な善悪を問うのではなくて、自分が「同調圧力」「空気」「集団性自己中」に基づくセフティ・ゾーンにいる、ということです。それが悪いとは言いません。集団の形成・安定(いわゆる“平和”ですね)にとっては必須要素だと思う。でも、それだけが「善」ではない。



野茂の時だって、掌返しは凄かったですよ。それを自分たちが行っていたということを、皆スッポリと忘れている。英雄崇拝者、そして池に落ちた犬を棒で叩く。それを繰り返し行っているのは、プーチンでもトランプでもなく、自分たちなのです。




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水原通訳の解雇

2024-03-21 21:52:31 | その他



2つのコメントを引用しておきます。反吐が出るような、日本人の「単純金太郎飴的正義」に則った、卑しく俗っぽいバカ丸出しコメントが沸き上がるなかで、数少ない冷静かつ妥当な意見だと思います。

【yam****さん】>米の報道を見ると、違法賭博に大谷の名前で送金があり、賭博の借金の肩代わりを大谷がしたが、違法賭博で大谷の口座からの送金自体が違法に問われる可能性があるから、横領って形にして代理人弁護士から告発って流れでしょう。単純な横領とは違う気が。そもそも違法賭博をするなって話だけれど、水谷通訳自身も違法とは認識していなかったようですし。

【car****さん】>まだ詳細が判からない段階なので、勝手な想像でコメするのはいけないことと承知はしていますが、どうしても最悪な不安が湧いて来てしまう。まさか一平さんが「身代わり」なんてことは無いよね・・・。有り得ないと信じるが、大谷選手に関しては彼の全てが異次元の世界なので、ナニが起こるか分からない怖さがある。



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キーポイントになるのは、大谷選手の弁護士が告発した、という点。



弁護士は依頼人を守るのが大前提。



事件が発覚すると最も打撃を受ける(それも並大抵の程度ではない)のは大谷本人。ということは、弁護士は逆の手段(絶対に行ってはならないこと)を選択したわけです。



なぜか? それを行わないことには、大谷の野球人生自体が閉ざされてしまいかねない、という事態に直面しかねない(結果として大谷も関与して違法行為に携わった)。ならば、水原氏の「横領」という形で最悪の事態を逃れる、それしか方法がないと判断。



この案件、一歩間違えると、大変な展開になっていくかも知れません。



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筋肉増強剤の使用で、ボンズ、マグワイアほかの大選手が抹殺された訳だけれど、本人たちは大して罪の意識はなかったはず。だってそれも薬の一種だし、捉え方に拠れば、全ての薬が使用できなくなってしまう。例えば、酒や煙草を嗜んでいる人たちが、あるとき突然に逮捕(知らないうちに法律が改正されていた)、ということも有り得るでしょうから。



お金の問題も、むしろお金に不自由しない、かつ無頓着、無関心な人たちが、予期せずに陥るのかも知れません。

社会の歯車に取り込まれて(それを動かしているのは、回り回って大衆・庶民)。



引っかかるのは、以前(つい最近まで)大谷本人が某「仮想マネー」企業の広告塔になっていたこと(その企業は破産し、主催者は懲役50年)。これについては、なんかモヤモヤ感が残ります。



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西鉄ライオンズの池永氏の事は、以前ブログに書いたですね。



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大鵬がまだ親だった(?)頃の大鵬部屋のロシア出身力士・露鵬(とその弟の白露山)が、八百長容疑絡みで角界追放処分を受けた時、露鵬は随分後まで無実を訴え続けていたのですが、結局は闇に葬られたまま今に至っています(同じ頃、一度は追放された中国籍の蒼国来は、後に訴えが認められて復帰している)。



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僕の生涯の自慢(笑)。若貴兄弟が台頭し始めた頃、国民こぞって彼ら(や両親)の事を「理想の一家」として手放しで持ち上げていたわけだけれど、僕は「見ていなさい、そのうちに皆が予想だにしていない、とんでもない事態に展開していく、断言する、、、、」と友子さんに言ったことがあります。



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全ての根源が、(巡り巡って)大衆・庶民の「私欲」「責任逃れ」「個人(強者)崇拝」「空気への同調」といった属性に収斂されることを、ほとんどの人が気付かないでいるのです。



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いずれにせよ、大谷選手、水原氏には、それぞれの立場で今後とも頑張って欲しいと願わずにいられません。







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