青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

安倍でも加計でも森友でもない、、、誰も気付かない「最悪の存在」について語ろう(その4)

2018-04-26 01:04:07 | その他
今日4月26日は、僕の70歳の誕生日であります。思えば10年前は、、、、その話はやめておきましょう(笑)。千明さん、元気にしているだろうか(37才下だからまだ33ですね)。

江夏も間もなく70才になります。衣笠は一つ上。寂しいなぁ、、、。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

体調(頭の具合)は非常に悪いです。うまく表現できないのですが、、、夜になると、ほとんど意識がなくなりかけて、頭と左半身が痺れた状態に、、。それで、一昨日、病院に行って、検査を受けてきました。1万2000円払って、、、、。どこも悪くはないということで(鼻が詰まっているだけ由)、鼻詰まり解消の薬と頭痛薬を貰ってきました。怒りたいのをグッと我慢しています。まあ、医者は最初から信用していないのですが、、、。

そのあと、一日中モニカの赤ちゃんのお守りをしていました。とりあえず、バスで20分ぐらいのところにいてくれるので、助かります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「現代ビジネス」の僕の記事、また1位になってた(ヤフーの国際・雑誌枠)けれど、ほとんどは勘違いの読者ですね。ということで、僕の記事などは、どうでも良いのです。お相撲の話。こういうのをチェックしていると、半端なく落ち込んで、日本人であることが、つくづく情けなくなってきます。読まなきゃ良いのだけれど(笑)。

貴乃花追及の急先鋒、高田川親方との複雑な関係

貴乃花親方困惑? 元弟子がトホホ強盗… 200万円の札束奪ったつもりが実は「2万円のダミー」
 
景品買い取り所で“札束”奪い 強盗犯は貴乃花部屋の元力士

とりあえず、上の3つの記事の「コメント」を読んでください。これが日本人の正体です。「カウンターカルチャー」と勘違いした「ポピュリズム」の権家。その時々の「空気」に包み込まれて、自分のない人ばかりです。

*貴乃花親方による日常的暴行を告発している旧・所属弟子は、彼一人ではありません(高田川親方の記事共々、以前の僕のブログを参照してください)。

このあいだアップした記事を再掲載しておきます。

貴乃花=安倍
相撲協会=官僚
モンゴル勢=野党
勘違いカウンターカルチャー(落語家の立川某など)=大衆

貴乃花は悪と皆(大衆)が言っているのはケシカランと皆(大衆)が言っている、、、というわけで。
世間は、勘違いしているようです(そのため「貴乃花問題」では、いわゆる捻じれ現象が起こっている)。

貴乃花親方は、革新派でもリベラルでもありません。彼の本質は、超々保守です。安倍や日本会議の連中も真っ青になるほどの、遥か彼方の(飛んじゃっている)右です。桜井某氏とかと良い勝負だと思います。

「ポピュリズム」と勘違い「カウンターカルチャー」は、実は同義語なんですね。ちなみに「エルヴィスとビートルズの狭間で~ジョニー・ティロットソンの時代(“涙くんさよなら”の謎)」は、そのことを書いているのです。

でもまあ、貴乃花は何となく嫌いにはなれない(笑)。諸悪の根源は、勘違い貴乃花を擁護する、勘違い正義の味方・大衆です。
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「現代ビジネス」新着記事

2018-04-24 08:41:41 | 「現代ビジネス」オリジナル記事

「現代ビジネス」新着記事
「中国人なら死刑だぞ」中国当局に捕まった私が生還できた理由


とりあえず、発表された記事そのものだけを紹介しておきます。元原稿はほぼこの2倍あり、「逮捕」のほかにも「遭難」の話にも触れています。編集者と話しあった結果、「逮捕」話だけを独立で掲載することにしました。僕としては不満なのですが、短くすることは(読者も読みやすいことでしょうから)一応賛成だし、従うことにしました。リライト(僅かな箇所)分の原稿は、その後訂正することなくそのまま掲載してくれたので、編集U氏には感謝しています。「遭難」の記事を伴ったオリジナルについては、改めてブログにアップする予定です。
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安倍でも加計でも森友でもない、、、誰も気付かない「最悪の存在」について語ろう(その3)

2018-04-24 08:38:29 | その他

「セクハラ」の問題、何が何だかぐちゃぐちゃになっていますね。どの陣営も、深く掘り下げて考えることを行っていないからでしょう。それと僕がいつも言っている、「カウンターカルチャー」の「ポピュリズム」化。自分の意見をきちんと表明したカトリーヌ・ドヌーブの勇気は、称賛に値するでしょう。

それはともかく、大嫌いなアベですが、ただ一つ評価するところがあります。

それは、夫人と離婚しないこと。たぶん、身内も含め、あちこちから多大なプレッシャーをかけられているはず。それでも、しっかりと寄り添っている(のだと思う)。そこだけは、絶対的に評価したいです。その一点で、ほかの数多の悪事を全て帳消しにしても良いぐらいです。

批判を覚悟(誰も僕のブログなんて読んでいないだろうから「覚悟」など無用でしょうが)の上で言うと、僕は明恵さん大好きですよ! 鳩山由紀夫と通じるところがある(笑)。全方向への愛情。右も左も(真っ暗闇ではなくて)快晴! 

空気が読めない、、、良いじゃないですか。「空気を読む」ことだけが正義とされる今の日本においては、貴重な存在です。
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忘備禄(?)

2018-04-22 19:45:39 | その他

「夢」というのは眠っているときに見るものだと思っていたのだけれど、最近、普段起きているとき(ちょっとボヤッとしているとき)にも、突然、全く何の脈絡もない情景が、現れたりします。

さっきは、エレべーターに何故かマライア・キャリー(笑)が一緒に乗っていて、ドアが開いて僕は普通に外に出たのだけれど、マライアはもたもたしていてなかなか出てこない、という、、、、。

夢ならばいかにもありそう(?)な“完璧無関係性”ですが、普段の意識の中にそんなのが現れるのは、いよいよ頭がヤバイのかも知れません。と同時に、何か「人間の意識」(夢とは何か?)についての重要な真実が示唆されているような気もします。

明日は、頭のCTスキャンを撮りに病院に行く予定。大きな問題がなければ(いわば蓄膿の親玉のような状況でしょうし)フィールドに出ます。何か大きな問題(3年前から日本の複数の病院で宣告されている「すぐ手術を行え」と言ったような)があれば、その時に考えます(モニカに判断してもらう)。

ここんところ、終日ネットニュースのつまんない記事ばかり見ていて、そのうえ自分のブログにどうでも良さそうなことを書き連ねているわけで、自分でも情けなくなってきます。

「現代ビジネス」記事のリライト(次回のアップはたぶん2~3日後)、「野生アジサイ」2000頁分の記事と写真の纏め、、、やらなきゃなんないことは山ほどあるというのに、、、。
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「ねとらぼ」のニュース紹介

2018-04-22 18:53:54 | 「現代ビジネス」オリジナル記事


なぜ新潟や石川が「人口日本一」だったのか? 都道府県の人口推移から見る、日本近代化の歴史

↑これは素晴らしい記事ですね。ぜひ皆さんに読んで頂きたいです。目から鱗が落ちること必至です。(執筆者名は不明)

僕が以前何度もブログに紹介した(しかし誰一人注目してくれない)自分の未発表記事「逆・選挙の格差問題」のことを、これを目にすれば少しは理解いただけるのではないかと、、、。
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「私信」からの転載

2018-04-22 18:49:20 | その他
ギフチョウの季節です。この春、ギフチョウ研究に生涯を捧げた、偉大な方が無くなりました。原聖樹氏(享年76)。僕にとっては、恩人中の恩人であります。恩返しが出来ずに、忸怩たる思いでいます。

大昔の事です(かれこれ40年余り前)。「ギフチョウ」に関しての三人のオーソリティが、ある雑誌で座談会を行いました。原聖樹氏、海野和男氏(昆虫写真家)、奥山ひさし氏(児童挿絵画家)、、、。「オーソリティ」と言っても、今思えば当時皆30歳前後。でもその頃の僕にとっては、雲の上の存在でした。その後三人とも僕と深い関りが出来て、個人的にもごく親しくして頂き、原、海野両氏とは、それぞれ僕との共著があります。奥山氏には自著に寄稿を頂いています。

この鼎談が面白かったのは、三人の議論がまるで噛み合わなかったこと(笑)。原氏と海野氏は大学(当時の東京農工大)の先輩後輩で、同じ学部で薫陶を受け、卒業後は、原氏は公務員(神奈川県養蚕センター)として研究活動を行い、海野氏はフリーの昆虫カメラマンとして名を上げます。

奥山氏は両氏とは立場が全く異なり、当時は「ちばてつやプロダクション」に所属していました(その縁で原氏や海野氏とは別方向から僕との関りがあった)。

基本的な知識や思想は、僕、海野氏、原氏の3人の間で、ほとんど全く差はありません。原則として同分野(科学畑)に所属しています。一方、奥山氏は、典型的なポピュリスト。いわゆる一般人、大衆の代表です。

議論のテーマは「ギフチョを絶滅から防ぐために我々は何をすれば良いのか?」。

奥山氏は、生物学とは無縁の「大衆」の側の考えですから、「人が育てて増やして現地に放つ」ことで絶滅の危機から救おう、という意見。「異なる血筋の集団が混じるとダメというのは科学者のエゴであって、蝶自体にとってはどうでも良いこと」という、我々(原氏や海野氏や僕)からすれば、とんでもない見解を、何の疑いも持たず発言し続けます。いわゆる(事実を深く追求することのない)「善人」ですね。「人為的な増殖」が、自然破壊の(ひいては種の絶滅に至る)最大の要因となることを、これっぽっちも理解していないわけです。「可愛いから」「可哀そうだから」、、、と、ペットや園芸植物に対してと同じ意識で自然に接しているわけです(といって、そのことを「悪」であると否定は出来ません)。

勿論の事、原、海野両氏と、奥山氏の考えは、永遠に交差することはないでしょう。一般の人にとっては理解し難いことかも知れませんが、分かる人にとっては、余りに解り易いシチュエーションです。

問題は、原氏と海野氏の間に、(先に言っておけば、僕自身はある部分では海野氏に非常に近く、ある部分では原氏に非常に近い)極めて大きな思想上の(というよりも観念的な)「溝」があること。

ここまで書いてきて、ちょっと困っています。そのことを、(僕自身、それこそ「観念的」には極めて良く分かっているとしても、他者に示すため具体的に)どう書き表せば良いのか?

両者の「人」としての(あるいは科学に携わる人間としての)「資質」が、全く異なるのですね。もちろん、どちらが良い悪い、という話ではありません。

海野氏は、聡明で、深い洞察力と直観性に基づく近代的な考えを持ち得ています。師の日高敏孝氏に繋がる、一般の人々に対しての表現力も極めて優れています。そして、悪く言えば世渡りが上手、良く言えば広い心を持った(社交性に富んだ)人です。

一方、原さんは、いわばドンくさく、「近代的」とか「社交性」とかには、全く縁のない人です。

自らの観察記録や、データの集積量が半端でない。常人離れした行動力と知識を持ち合わしているため、その著作も、ときに話があちこちに飛んで、一般の人には、何を言おうとしているのかわからない、と受け取られて仕舞いかねないようなところがあります(その点、僕と似ている部分がありますが、スケールが100倍違う!)

えーと、言いたいことがうまく言えません。もどかしいです。

ギフチョウの保護に対しての、科学的な基盤は、原さんと海野さんの間で共通している、と思うのですが、ギフチョウをはじめとした野生生物に対する「情念」の在り方のようなものが、微妙に、かつ決定的に違っている。

海野さんのほうが、聴衆を納得させる術をずっと良く知っているのですね。(海野さんの場合は自らそのことを自覚したうえで振舞っているので心配は無いと思うけれど)自らの振舞い(大衆を納得させる技術に長けていること)に気付かず「正論」を吐く研究者たちが少なからずいることには、大きな懸念を感じます。

日本の絶滅危惧の蝶として、ギフチョウとともに真っ先に名の上がる「オガサワラシジミ」。復帰50周年の今年は、僕にとってはオガサワラシジミを調べに小笠原に通い始めてから42年目の年でもあります。

東京大学の某教授、東京新聞の某記者らが、「オガサワラシジミを飼育して再放蝶し、絶滅から守る」という暴挙(あえてそう言います)を計画しています。絶対に阻止しなくてはなりません。

*注1:この文章は、友人のU氏に宛てた「私信」です。個人的通信にしておくのは勿体ない(原聖樹氏のことを多くの人に伝えたい)と思い、ブログに載せることにしました(「私信」のまま、一字一句変えていない)。40年以上前の鼎談の話などには、かなり思い込みの部分が入っているかの知れません。そのほか、三氏に対して失礼な記述があるかも知れないけれど、大袈裟に(いわばジョークで)表した部分もあります。お許し頂だければ幸いです。

*注2:原さんには、多額の借金が未返済のままです。辛いです(海野さんにも少額の借金があるので返さねばならない、どうか元気でいてください)。

*注3:もう一人のギフチョウ研究第一人者「日浦勇」氏については、以前のブログに書いたことがあるので、見つけることが出来れば、それを読んでください。

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注:

2018-04-21 02:06:14 | その他
なにか、訳の分からない本の広告が張り付いていますが、一切無視してください(僕とは正反対の思想の持主のようなので)。
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安倍でも加計でも森友でもない、、、誰も気付かない「最悪の存在」について語ろう(その2)。

2018-04-21 01:44:03 | その他


ギリシャのChiekoさんと連日メールの遣り取りをしているのですが、今日の(何度目かの)返信文章には関心してしまいました。洞察力と表現力が備わっていて、なかなかの文才です。

>アフリカとかの恵まれない人に募金はしても、おにぎり食べたいって書き残して死んでいく日本人は助けないですからね。東日本大震災に関しても偽善と嘘にまみれてると思います。

◆◆

僕は、自称「左」で、(思想的には)朝日新聞の味方なのですが、、、。

『なんで俺が辞めなきゃならないんだ、辞任なんてしないよ!』 麻生財務大臣

『セクハラ許せまじ!ミー・トゥ(合唱)』 野党議員

この画像を見ていて、(不謹慎にも)圧倒的にアソウさんのほうがカッコいいと思ってしまった。

◆◆◆

「政治」と「お相撲」について。誰が一番悪いのか? とりあえずの僕の答え。アベやアソウでも、貴乃花でも、官僚でも、相撲協会でも、マスコミでも、もちろん、野党でも、モンゴル勢でもなく、「国民」です。

そう思う理由は、追々説明していく予定。

◆◆◆◆

チエちゃんのブログと記事を改めて紹介しておきます。

ブログ 
ギリシャのエーゲ海の島に移住!ゲストハウスしたり猫と戯れて適当に生きています!


記事 
日常会話で重宝するギリシャ語フレーズ50選!ローカルも爆笑する面白フレーズ付








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Happy birthday Johnny Tillotson!

2018-04-20 00:27:10 | アメリカン・ポップスearly60’s
4月20日は、ジョニー・ティロットソンの79才の誕生日です。

Happy Birthday Johnny!

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安倍でも加計でも森友でもない、、、誰も気付かない「最悪の存在」について語ろう。

2018-04-14 18:19:58 | その他
安倍でも加計でも森友でもない、、、誰も気付かない「最悪の存在」について語ろう。

今回の項は、非常に長くなりそうです。体調に鑑み、断片的に少しづつ(支離滅裂に、、、本人は繋がっていると信じているのですが、笑)書き継いでいくことにします。



まずは、現状報告から。

体調は非常に悪いです。殊に午後になると、頭が割れそう(といっても痛いわけではない)というか、吐き気を伴った何ともいえぬ状況に陥ります。意識が無くなりかけ、卒倒寸前(どちらか側に体が傾く)になります。無論、5年前のドングリ事件の後遺症です。早い話、蓄膿のグレイドアップ版といって良いのでかも知れません。

医者からは、一刻も早く手術するように、とは言われていますが、命に係わると宣言されているわけでもない(失明の可能性、内臓への影響は指摘されていますが)ですし、今の僕に保険のきかない手術費など捻出できる訳がありません(仮に出来たとしても手術には乗り気でない)。

そんなわけで、倒れたら、そのまま寝てしまうことにしています。今のところ何とか生き延びているのです。

僕の(チョウや野生生物の)シーズンに入りました。フィールドに出向かわないわけにもいきません。でも、こんな状態で大丈夫しょうか? 自分でも判断が出来ない。一日数10km山道を歩く自信はあります。といって、そのあとで倒れて取り返しがつかなくなってしまう事態も十分考えられる(その可能性は極めて高い)。

モニカからは「アジサイの纏めを早く完成させるように」という指令が来る。コツコツと進めているのですが、1000頁を請えてしまいそうで、客観的に考えれば、あと1年はかかるでしょう。それを6月までに終わらせろ、と。まず日本語で完成し、それを僕自身が英訳し、モニカが中国語訳する。その後どうするのかは知りません(笑)。とにかく完成さえしておけば、僕がいなくなっても何らかの利用は出来るでしょう。

アメリカンポップス「ジョニー・ティロットソンの時代」のほうはどうした?とも度々指摘されます。「早く刊行しないとファンクラブの会長さんに悪いではないか」と。でも、原稿が壊れたハード・ディスクの中に収納されていて、すでに修復は終えているのですが、それを受け取るには8万円近くを支払わねばならない。こちらも今の僕には到底無理です。

とりあえず、一昨日モニカの田舎に行って、畑の奥の山道を歩いてきました。意識朦朧のままだったので、どんな植物が生えていたのかもほとんど覚えていない。蝶はほとんどといなかった。目的のイプティマは結構飛んでいたのだけれど全く止まらない。ごく稀に止まってもすぐに翅を開いて、チェックが必要な翅裏を見ることが出来ない。季節(個体の日齢)、時間帯、気象条件、微環境などにより、取る行動が違うので、仕方がないです。何よりも補虫網を忘れてきてしまったので、サンプルも採れない(さすがに飛んでるのを手掴みは無理)。

前回(冬)山道で出会った野生のアキノノゲシも、畑の脇に生えていた苦麦菜も、完全に枯れていて(株自体が見当たらなかった)今回はチェックできませんでした。そのかわり、拠点としていた翁源の街中のホテルの向かいの道路沿いの狭い畑?で、油麦菜の花を見つけました。

これまで(アキノノゲシと同じと思われる)苦麦菜の花は、至る所で出会ったのだけれど、油麦菜の花を見かけることはなかった。何のことはない、咲く時期が違っていただけなのです。苦麦菜の花期の晩夏~冬は、僕が対象とする野生生物のシーズンオフなので、チェックが行き届いていたのだけれど、シーズン真っただ中の春~初夏には目を向ける機会が少なかった。むろん、大抵は花が咲く前に花茎が切り取られてしまう、というのが最大の理由には違いないでしょうが、、、。

レタスと油麦菜の頭花や種子が、同じの形状をしていることを改めて確認出来たのです。そのことは、これまでの諸々の分析から分かってはいたのですが、実際に確認できたことは大収穫だと思います(最初に取り組み始めてから、なんと20年近くかかったわけです)。

無論、これが結論ではなく、油麦菜・苦麦菜の物語(アキノノゲシやアレチヂシャを含むレタス属植物の東アジアにおける野菜化の試みについての考察)は、やっとスタートラインに立ったということです。

★★

そのあと、部屋に帰ってネットニュースをチェックしたら、嬉しい記事に出会いました。プロ野球「世代別ベスト9」というのが毎日アップされていて(同一の生まれ年を「同世代」と表現することに違和感を覚えると、以前書いたことがあるのですが、それはともかく)いつも楽しみにチェックしているのです。

昨日は、1944年(1944.4.2~1945.4.1)生まれの最強メンバー。サブタイトルは「心優しき豪傑たち~豪傑ぞろいの世代ではあるが、どこか人情味を感じさせる男たちが並んでいる」。

三塁手に島谷金二が選ばれています。

執筆者のコメント。「三塁にいる島谷金二も、たびたび打撃タイトルを争っては無冠に終わり、それでもチーム打撃を徹底した不器用な好漢。」素晴らしい紹介のされ方ですね。島谷氏本人に代り(笑)感謝の気持ちを執筆者に伝えたいほどです。

【1944年生まれのベストナイン】(1944年4月2日~45年4月1日生まれ)

投手 尾崎行雄(東映)
[控え:高橋直樹(東映ほか)、山下律夫(大洋ほか)、安仁屋宗八(広島ほか)、村上雅則(南海ほか)、白石静雄(広島ほか)]

捕手 木俣達彦(中日)[控え:村上公康(ロッテほか)]

一塁手 大杉勝男(東映ほか)

二塁手 大下剛史(東映ほか)

三塁手 島谷金二(中日ほか)

遊撃手 東条文博(ヤクルトほか)

外野手 竹之内雅史(西鉄ほか)
    井上弘昭(中日ほか)
    長谷川一夫(大毎ほか)

指名打者 高井保弘(阪急)[控え:伊勢孝夫(近鉄ほか)]

「実在するチームのような投打のバランスだ。現役時代は巨人のV9と重なる選手ばかりだが、その巨人でプレーした選手が1人もいない(青山注:高橋直樹は後年巨人でプレーした)のも隠れた特徴と言える。判官びいきのファンからの人気も集めそうだ。」という執筆者のコメントで締めくくられています。

投稿されたコメントも(全体数は少ないのですが)どれも好意的です。

「木俣、島谷、井上、、、なんと個性的なんだ」

「この世代も強いぞ!かなり強力だ。投打がしっかりと噛み合う世代だな。」

「いいメンツばっかり!たまらんね!!!」

とにかく、この年(学年)生まれのメンバーは、実に素朴で魅力的な実力者揃い。終戦時に一歳になるかならないかの年齢、戦前と戦後のはざまです。偶然かも知れないけれど、そのことも何らかの関連性を持つのかも知れません。

大衆の「空気」によって作られた「虚像」とは無縁の選手ばかり。100勝、1000本安打到達者は多いのですが、200勝、2000本安打は(大杉以外に)いない。タイトルにも無縁の選手が多く、巨人在籍者もほとんどいません。

目立った記録やタイトルに基づくポピュリズム的評価の、アンチテーゼの集大成であるようにも思えます。

★★★

さて、野球と言えば、もちろん大谷翔平です。

片っ端から常識を覆していきます。

常識への挑戦が成される為の2つの条件。「誰も持ち得ない圧倒的な能力を持っていること」「挑戦する揺るぎない意思」。常識は「空気」という巨大な壁に守られているわけですから、上の2つの要素がよほど堅固に備わっていないと、突破することが出来ません。

先駆者である野茂英雄は、失敗していれば(日本社会では)「裏切者」としてしか捉えられなかったでしょう。圧倒的な「実力」でもって信念を貫き通したのです。野茂の未曾有の活躍は、どんな政治家や実業家や国際学者や評論家よりも、アメリカ社会に向けてのインパクトを成し、日本とアメリカの距離を近づけたのだと思います。

ちなみに、今回の「現代ビジネス」のサクラの記事に、こんなコメントを見つけました。

>時間軸をしっかり捉えれば、明治期の日本人にとってソメイヨシノの日本の桜の風景は、当時最新の感動的な風景だったことになる。植樹は国内各地はもとより、国を越えて広がっていったわけだが、それは日本の代表的な花だからではなく「日本が産み出した新品種ならではのこれまでにない新しい風景」だったからだと思う。

ほとんどのコメントが、サクラ(ソメイヨシノ)に日本の「侘び寂び粋」を重ね合わせて捉えているのに対し、なるほど、この(正反対ともいえる)視点は面白いですね。

大谷の存在は、単に一スポーツとしての革命(野茂はそれを成し遂げた)のみならず、社会の革命に値すると思います。少なくても(野球が国技の、またはそれに準じる)アメリカとに日本に於いては、彼の出現は、人々の常識を根底から覆す、歴史的な事件と言って良いでしょう。

日本から世界に向けて齎らされた、常識を遥かに超えた信じ難いようなパフォーマンス。なにしろ、比較対象が100年前のベーブ・ルース(ある意味「アメリカの象徴」)しか存在しないという。日本人にとっても、人類にとっても、(皆が考えている以上の)エポックメイキングな出来事だと思うのです。

(具体的な見解は、最後に、あるいは項を改めて述べます、、、哲学的な話にさえ成ってしまいそうです)。

★★★★

ところで、「サクラ」の記事、思ったよりも反応があったのではないでしょうか?

編集U氏は、大人気・大成功と言ってくれるのですが、大半が「日本文化の賛美」および「嫌中韓」に基づく、(僕の意図を全く理解していない)勘違いによる賛同です。

多かった(ヤフーニュースの)コメントが「タイトルと内容が異なる」「理由」の答えが出ていない、との指摘(笑)。相変わらず「答」を示されないと納得しない(自分では考えない)という、日本人の面目躍如たる思考方向。もとよりタイトルは編集部が勝手に付けたもので、僕の預かり知らぬところなのですが(笑)。いずれにしても、無視をしましょう。

「文化の側面の紹介が抜けている」という指摘も少なからずありました。「日本の“侘び寂び粋”の文化は素晴らしい」(僕もそれ自体は否定しません)。「中韓の連中に分かるわけがない」(一応僕もそう思います)。「サクラの“起源”など、どうでも良い、サクラ文化を育てあげた日本の背景について、もっと詳しく述べるべきだ」。等々。

ソメイヨシノをはじめとする「桜」の文化が、日本人の作り出した「日本の素晴らしい文化」であることは、僕も全面的に同意します。でも、その実態や、そこに至る日本人の歴史感(侘び寂び粋など)については、(腹がいっぱいになるほど)数多くのメディアで紹介されています。

僕は「起源」を述べようとしているのです。僕の仕事は、人間とは関りのない永劫の昔(日本人とか韓国人とか中国とかが現れるよりもずっと前)から生を続けてきた「野生のサクラ」の、日本や東アジアでの実態を探ることです。そのことが、夫々の民族の文化の成立を照らし出すことにも繋がると思っています。

「日本人の作り出した歴史観や文化を知ることだけが尊く、その基となった野性植物との関系を探ることなどはどうでも良いこと」というのなら、そんな「文化」はロクでもない文化です。

僕は、日本の文化「侘び寂び粋など」それ自体を否定しているわけではありません。心底、誇りに思っています。

例えば(昨日のネットニュースにもあった)刺身や寿司の(危険性の)話題。考えてみれば、生の魚を食べる、これほど危険な行為はないです。日本の文化は、それを可能にしてみせているのです。これは凄いことですよ。「0から1」を作り出す、チャレンジ精神や大胆な思いっきりとはまた違った、細い糸に沿い渡り進むような、細心の心構えの上に成り立った、職人の技です。

寿司を素手で握るのは、衛生上の問題で疑問を感じる人もいるかも知れません。しかしそれは「本来なら危険な生の魚を安全に食べる」という、限りなくデリケートな文化の中に、セットとして成り立っているのです。

海外のように、ビニールの手袋をはめて寿司を握る姿は、確かに一見清潔に感じるでしょうが、(その安心感ゆえに)トータルな次元での大事な部分を見過ごすことに繋がるように思います。

これも昨日のネットニュース。新幹線の運転手が居眠りをしてホームを20mオーバーしてしまった。車掌が
気付いて、間一髪ブレーキをかけて停車した。記事にもあるように、一体となった危機管理、これが日本の素晴らしいところだと思います。

コメントには、運転手とか車掌とかは時代遅れ、全部AIに任せておけば事故が起こらない、と言ったような意見も少なからず寄せられています。理論上はそうかも知れないでしょう。いずれ、どのような対象に於いても、AIの手を借りることが必用になる時代が来るでしょう。しかし、どのような場合でも、基本は人間の責任の上で為されねばなりません。AIに任せっきりでは、絶対に破綻を来たしてしまいます。

ということで、日本人の、勤勉さ、連帯感、細心さ(粋の追及)等々、僕だって自慢しているのです(とてもお隣の国々には無理、笑)。

しかし、世界レベルで、その文化は通用するのでしょうか? 日本独自の文化として素晴らしいのであって、
別の文化にそれを求めてはならないと思います。お互いに、長所も欠点も、大いにあるのです。

★★★★★

中国にいると、一日に100回ぐらい(笑)ブチ切れそうになります。まあ、どれほど滅茶苦茶な国なのかは、長期間住んでみた人でないと分からないでしょう。

異次元と言ってさえよい超近代的な構造が、出鱈目なまま作り上げられているのです。あらゆるシステムが正常に機能しないまま、猛スピードで進んでいきます。

なぜ、これほどまでに異なる文化が、隣り合った国で成り立っているのでしょうか?

日本人は、サクラ(ソメイヨシノ)の木を丹精に心を込めて育て上げ、ルールに沿って皆で楽しく鑑賞します。

一方、中国人は、そのようなデリカシーは全く持ち合わせていない。だから日本のような見事なサクラの品種(ソメイヨシノ)も作れなかったし、人(日本人)が作った美しい花の枝を、平気で折ったり散らかしたりします。

どちらが正しくて、どちらが間違っているのか。美しい日本と、醜い中韓。

日本人でなくたって、疑いもなく前者を支持をしたいところですが、光の当て方を変えてみたならば、必ずしも前者が正しいとは言えない。

マナーに沿って、デリカシーに満ちた愛情を込めて、サクラを大事に育んできた日本人の姿勢、その全てが、本当に正しいのでしょうか?

一切の先入観、付加概念を取り去って、根本的な次元から考えてみたいのです。

具体的には、6月ごろ「アジサイ」の項目で、そのあたりの話題を軸に述べていきます

★★★★★★

モリカケに移ります。

まず安倍から。人を呼び捨てにするのは良くないこと(スポーツ選手などは除く)ですが、こいつは心底嫌いです(明恵夫人はまだマシ、貴乃花親方も安倍よりは可愛げがあります)。

僕は、以前は典型的なノンポリだったのですが、今は違います。紛い無き左です。といって、右の人を、全て否定しているわけではありません。思想と人間性は別問題です。でも、こいつの胡散臭さは、記事や画面から漂ってくる“匂い”で分かるのです(笑)。

兎にも角にも、安倍さんが大嫌いです。第一次政権の時からです

でも、今突如として、安倍ディスリの大合唱が始まったようですね。にわか安倍否定論者に対し、筋金入りの安倍嫌いで、この安倍嫌い分野(笑)での第一人者だと自負している僕としては、なんだかなあ、、、という思いもあります。

ということで、ネットニュースのコメント欄は、安倍批判で溢れている(空気に流されるのがネトウヨの特質)のですが、信念を変えない筋金入りのネトウヨもいるようなのですね。「それでも安倍さんを応援する」「些細な嘘を言って何が悪い」「日本は安倍さんなしでは成り立たない」。心意気だけは関心します。

ちょうど、宇都宮さんが都知事選に出た(そして左陣営の“大人の事情”で撤退した)とき、あるいは「排除された」枝野さんが民進党と袂を別ったとき、ネトウヨの一部からは「敵だけれど(思想は全く受け入れられないけれど)あっぱれ」という声が聞こえてきました。その裏返しです(ずっと次元は低いような気がするけれど)。

この後、安倍ディスり、貴乃花ディスり、大谷賛歌の順で、述べていく予定です。「ジョニー・ティロットソンの時代~涙くんさよならの謎」「日本とアジアの生物地理~有用生物の原型は何故日本で作り出せないのか?」にも言及したいのですが、とてもそんな時間はありません(1年や2年では終わらなくなる、笑)。

ただ読者の方に分かって貰いたいのは、今書こうとしている内容(安倍+貴乃花)と、それらの話も、僕の中では全部(油麦菜の花も島谷金二も大谷翔平も)一貫した流れで繋がっていると言うこと(うまく伝えられる自信はありませんが)。

★★★★★★★

とりあえずは、安倍と貴乃花親方です。

貴乃花=安倍

相撲協会=官僚

モンゴル勢=野党

以上の組み合わせは、自信を持って言い切っておきます。

世間は、勘違いしているようです(そのため「貴乃花問題」では、いわゆる捻じれ現象が起こっている)。

貴乃花親方は、革新派でもリベラルでもありません。彼の本質は、超々保守です。安倍や日本会議の連中も真っ青になるほどの、遥か彼方の(飛んじゃっている)右です。桜井某氏とかと良い勝負だと思います。それについては、また明日。

「ポピュリズム」と「カウンターカルチャー」は、実は同義語なんですね。「エルヴィスとビートルズの狭間で~ジョニー・ティロットソンの時代」は、そのことを書いているのです。

★★★★★★★★

別のところ(連載を予定している別出版社からのネットコラム)で、こんな話を書きました。まだ発表していないのですが、詳しくはそれを読んでください(あるいはこのブログで記すことになるかも知れない)。

僕が、屋久島を最初に訪れた50年以上前のこと。鹿児島市内の旅館で、「島」出身者に対する差別に直面しました。差別を(東京をスタート地点にして)「上」から順送りに、繰り返していくのです。その、日本でのドン詰まりが「沖永良部島」(僕自身は、日本で最高に素晴らしい地だと思っています)、、、と言う話です。

似たような話です。

まず、“最下位”の立場にある森友が「悪人」としてスケープゴートとされます。次いで「明恵」バッシング。「官僚」を経て、今「加計」に到達しようとしているところです。間もなく“波”は本丸の「安倍」に襲い掛かるはずです。

これらの連中は、皆同じ穴のムジナ(日本会議メンバー)です。綻びが見つかったことから、順繰りに弱い者いじめ、責任の擦り合いをしているだけ。実は、仲間内の揉め事なのです。昔流行ったらしい左翼の総括とやらと、何ら変わりません。

見失ってはいけないのは、この一連の問題の本質はどこにあるのか?と言うこと。皆の共通項は?そして、最大の「悪者」は誰か?

次回に続きます。
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中国人にとっての「日本櫻花」

2018-04-02 14:00:15 | 「現代ビジネス」オリジナル記事


【生物地理の不思議シリーズ・6】


“桜”は、いつごろから、どのような経緯で、日本の文化の象徴となったのか? 
 ~実は、その歴史は、意外に新しいのです~

2018.3.22 記(オリジナル原稿) 2018.4.1掲載(「現代ビジネス」)

中国人にとっての「日本櫻花」

今年も、サクラの季節がやってきました。東京付近では、3月20日過ぎと、例年よりやや早めの開花が見込まれていたようなのですが、開花直前になって突然の春の雪に見舞われたことから、結局は例年とさほど変わらない開花時期に落ち着くようです。

近年は、桜を見るため、この時期になると大量の中国人が押しかけてきます。中国に於ける日本のサクラの人気は、それはもう凄まじいものです。
 
筆者は、日本と中国を行き来する生活をしています。中国人は、筆者が日本人だと分かると、真っ先に(ほとんど挨拶代わりに)サクラの話題を投げかけてきます。

「ルーベン(日本)・インファー(櫻花)・ヘン(とても)・ピャオリャン!(美しい)」

春節が終わる頃には、日本のサクラの話題で持ち切りになります。最近の中国人は、もしかすると大抵の日本人よりも、日本のサクラに詳しいかも知れません。ひと月以上も前から、開花時期の予想も頻繁に行われています。

日本に対してはネガティブ批判が多い中国ですが、ことサクラになると全面的な支持です。不思議に思うのは、何でも模倣する中国が、なぜかサクラだけは模倣しないのだろうということ。その気になれば、どこにでもいくらでも植えることは出来るのです。あえてそれをしない(積極的に力を注がない)理由は、「日本」と「サクラ」がセットになっている、という背景があります。

上に「桜花」と書いたけれど、正確には「日本櫻花」でセットの語になります。単に「桜花」だと、中国では食用のために栽培する「桜桃」(サクランボ)の花のことかも知れませんし、あるいは、正確には日本より遥かに種数の多い中国産野生サクラを指すのかも知れません。

筆者は、去年たまたまサクラの季節に中国から日本に帰って来て、真夜中に羽田空港に着きました。乗客は、ほぼ全員が中国人?どうやら日本人は僕一人のようです。

到着ゲート出たところで驚愕しました。ベンチや飲食店の周りがサクラのデコレーションで埋め尽くされて
いるのです。花を満載した本物の木を、水を湛えた大きな甕に差して、見事な景観を作っています。

日本人が特に喜ぶわけでもないと思うので、明らかに外国人、特に中国人向け、流行りの「忖度」ですね。
まあ、来日したばかりの外国人に喜んで貰おうとする気持ちは、良いことではあると思います。

そんなわけで、多くの中国人にとっては、日本に行って桜を見るのが人生の目標の一つとなっている、と言っても、決して大袈裟ではないように思われます。

私たちが思う以上に、「日本イコール桜」という概念が定着しています。中国だけでなく世界の人々(ルーツが自国であると主張する韓国だけは別、笑)の共通認識として、サクラが「日本の象徴」となっているのでしょう。

サクラは日本の「国花」ではない

したがって、読者の方々の中には、漠然と「サクラ」を「日本の国花」と思われている方がいるかも知れません。でも、「桜」は日本の国花ではありません。日本の国花は「菊」です(「国花」の設定には法的な拘束力がないので、最近は「桜」も共に「国花」として扱う傾向にありますが)。

サクラとキクは、春の花と秋の花、樹木と草本、すぐに散る花と長持ちする花、と何かにつけて対照的です。

実は、他にも大きな違いがあります。ともに、日本を代表する文化の象徴ではあるのですが、そこに至った「経緯」が異なるのです。そのことを説明するために、まず「菊」についての話から始めます。

菊は「日本の国花」ですが、「日本生まれ」ではありません。主に中国の北部や朝鮮半島に自生するチョウセンノギクと、中国東部などに自生するハイシマカンギクが、中国のどこかで自然(あるいは人為的に)交配して作出された、「中国生まれ」の植物です。 

チョウセンノギクもハイシマカンギクも、同じ種(の別変種)が、日本にも在来分布しています。

ということは、日本でも自前で「菊」を作出しようと思えば出来たのです。でも実際は、自分たちで手がけることはせず、中国で作出されたものを導入し、やがて「日本の国花」まで出世した、というわけです。

ゼロからのスタートではなく、出来上がったものを外部から取り入れて繁栄に結び付けるのが上手な、日本人の面目躍如たるところです(同じ「模倣」でも中国のそれとはクオリティが違う、というところがミソ)。

キクに限らず、私たちの身近にある有用植物(野菜や果物や園芸植物)も、おおむねスタートは国外からの導入です。興味深いのは、キク同様に、その多くが日本にも同じ(あるいはごく血縁の近い)種が在来分布しているのにも関わらず、素材として利用しなかった、ということ。

でも、僅かではありますが、例外もあります。すなわち日本に在来分布する素材をもとに作出された有用植物。その数少ない例のひとつが「アジサイ」です。園芸植物としてのアジサイの母集団は、伊豆諸島に分布しています。

もっとも、アジサイの場合、素材は日本産であっても、作られたのはやはり国外。古い時代に中国に渡ったあと、近年になってヨーロッパに伝えられて、そこで園芸植物としての改良が成され、日本に里帰りした、というわけです。

そして、非常に稀な例として、正真正銘、日本に在来分布する「素材」を基に、日本において作出され、日本国内に広く普及した植物が、「サクラ」です。


日本の「サクラ」は“何種”ある?

「サクラ」という名の種はありません。「サクラ」は、通常、サクラ属(サクラ属を広義に捉えた場合はサクラ亜属)の総称です。

実は、サクラ属の野生種(広義でも狭義でも)は、日本よりも中国もほうが、ずっと多いのです。なのに、中国では園芸植物としては利用されていません。多くの種は山の中に、どちらかと言えば慎ましく咲いていて、華やかな存在ではありません。

日本には一体何種の「櫻」があるのでしょうか? これは結構難しい問いです。2つの意味で、、、。

まず、生物学的な「種」と、一般にいう「種類」は、全く意味が異なります。前者は人間の思惑には全く関りのない、純粋に「植物」の側から見た分類です。

一方、後者はあくまで人間の判断(都合)による分類で、植物自体のアイデンティティには、ほとんど関与していません。「自然科学」というよりも、どちらかと言えば「商業」とか「美術」に近い分野、と捉えても良いでしょう。

「生物学的な分類」も、研究者によって結果が異なります。ある研究者が、種の下の単位の亜種とか変種とかに置いた分類群を、別の研究者が独立の種と見なしたりたりすることは、ごく普通にあることです。

「研究者によって」と書きましたが、正確には「研究機関」によって(あるいは「人脈」によって)異なる、と言った方が良いでしょう。ぶっちゃけて言うと、その時点で最も権威のある研究者の意見が、定説となるわけです。

現時点では、日本の野性サクラは「9種」とする見解が多いようですね。筆者には、全くしがらみがないので(笑)、勝手なことを言えます。最も統合的な見解に沿って、一応5種と考えています(別段、全くこだわってはいません)。

その5種は、ヤマザクラ、エドヒガン、チョウジザクラ、マメザクラ、および系統のやや異なるミヤマザクラです。

通常は、ヤマザクラを、ヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、オオヤマザクラの4種に、マメザクラは、マメザクラとタカネザクラに分けられます。これで9種ですね。

でも、研究者によっては、もっと多くに分割したりします。例えば、チョウジザクラを、チョウジザクラとオクチョウジザクラに、マメザクラを、マメザクラ、キンキマメザクラ、イシヅチザクラなど数種に、
タカネザクラを、本州の高山に生えるタカネザクラと北海道の山のチシマザクラ(ともに開花期は7月)に、それぞれ分割したりします。

それでも、多く見積もっても15種にも達しないでしょう。中国産は45種(中国植物志)とされています(日本には自生しないスモモやウメやモモのグループを含めると100種を超す)が、研究が進むにつれて、増えていく可能性があります(研究自体のクオリティーに問題がある、と言えば身も蓋もないのですが)。

ちなみに、沖縄ではポピュラーな櫻として知られているカンヒザクラは、国外からの移入種です。石垣島の非常に狭い範囲(沖縄県最高峰の於茂登岳北斜面)に生える個体が、在来自生、という説もありますが、結論は出ていません。カンヒザクラはアジアの暖地に広く分布するので、どこからかの移入であっても、古くから石垣島に自生していたとしても、ともに不思議ではありません。

開花宣言の時期、というのも混同があります。沖縄での開花時期は、ソメイヨシノではなくカンヒザクラを対象としているようです。沖縄にもソメイヨシノは植えられていますが、圧倒的に数が多いのはカンヒザクラです。両者は全く別系統の種で、性質も著しく違います。「沖縄が温かいから早く開花する」のではなく、「もともと開花時期が早い」のです。カンヒザクラは東京付近にも普通に植えられていて 2月末から3月前半に花盛りとなります。多くの人々は、サクラだとは知らずに、モモの一種とでも思っているのでしょう。

ちなみに、人為的に作成された(上記5種のうちミヤマザクラを除いては互いに交配が可能)品種や、野生であっても見かけ上の僅かな違いに注目して愛好家が名を付けた品種は、いったいどれほどあるのでしょうか? 想像もつきません(500品種とも1000品種とも言われています、なお、シダレザクラとかヤエザクラは、共通の特徴を持つ品種群の総称)。

属の範囲も、研究者ごとに見解が異なります。サクラ属の場合、広義には「梅」や「桃」も含まれます。そして中国では、サクラ(桜花/桜桃)よりも、スモモ(李子)やアンズ(杏子)やモモ(桃子)のほうが圧倒的にポピュラーです。「櫻桃」の呼び名からも分かるように、中国の一般の人々にとっての(野生の)サクラは、桃の一種のように思われているのかも知れません。実際、サクラと、モモやアンズやスモモの花はそっくりです。

スモモやアンズやモモは、狭義にはそれぞれ独立の属に属します(でも花は、見た目には野生種のサクラとほとんど変わらない)。ヨーロッパなどにも同じ仲間が分布し、スモモ(亜)属はプルーン、モモ(亜)属はアーモンド(食用とする部分がモモと異なる)が主流です。

ウメ(亜)属はアジアの植物で、中国などでは一方の代表種アンズのほうが著名です。一般に「ウメ」と呼ばれている、公園や果樹園に植えられている樹木の中には、(ともに中国に野生する)ウメとアンズのハイブリッドも多く混ざっています。

ちなみに、サクラ(亜)属のヨーロッパにおける対応種は、いわゆる“チェリー”(セイヨウミザクラ)、すなわち「サクランボ」の花です。中国にも独自のサクランボ(桜桃・シナノミザクラ)の品種が数多くあります。以上のことからも分かるように、(狭義でも広義でも)サクラ属は、花を愛ずるよりも、果実(や種子)を食べるのが、世界の主流です。

ソメイヨシノの出現

サクラは、日本においても、江戸時代末期までは今のように華やかな存在ではありませんでした。

前にサクラは(狭義の)サクラ属の総称だ、と記しましたが、一般の人々には、「サクラ」イコール(一園芸品種の)「ソメイヨシノ」として捉えられているかも知れません。

中国で言う「日本櫻花」をはじめ、外国人達が日本の代表として崇めるのも、このソメイヨシノのことです。

漢字で書くと「染井吉野」。(東京駒込の)染井で作出された吉野桜(奈良県吉野山のヤマザクラ)という意味です。

自分たちでゼロから新しく何かを作り出すことが苦手な日本人なのに、よくやった、と褒め称えたいところなのですが、実は、偶然に見つかった僥倖の産物であります。

本州から朝鮮半島にかけて分布するエドヒガンという種と、伊豆諸島周辺産のオオシマザクラとの、自然交雑が基になっている、と考えられています。

植木市場で両者を栽培していたところ、いつの間にか勝手に(人為的にという説もある)交配して、新しい品種が生まれた、というわけです。

葉が出る前に花が咲くエドヒガンと、大きな花のオオシマザクラの特徴が合わさって、ひたすら明るく豪華絢爛な、私たちになじみのソメイヨシノが生まれ、それを売り出したところ爆発的な人気を呼び、全国いたるところに広がりました。僅か150年ほど前の、江戸時代の末期から明治にかけての頃です。

現在、日本中で見られるソメイヨシノは、全て最初に染井の植木屋さんで見つかった個体のクローンだということで、全国どこで見ようが、変わらぬ姿を保ち続けています。

ソメイヨシノは、確かに豪華絢爛で、明るい気持ちに成れて嫌いではありませんが、筆者の個人的な好みで言えば、樹々の新葉が芽吹き始めたばかりの薄墨色の山肌に、ともしびのように仄かに萌えあがる、ヤマザクラやカスミザクラやマメザクラなどの野生種のほうが好きです。

今著者は、ソメイヨシノを見に日本を訪れる大量の中国人観光客と入れ替わりに、一人で中国の山野に野生の桜を見に行くため、複雑な気持ちで空港に佇んでいるところです。


成田空港到着ロビー。2017年3月31日。






中国の野性サクラの一種。甘粛/陝西省境の秦嶺山地にて。



中国の野生サクラとハルカゼアゲハの一種(アオスジアゲハの仲間で、早春に出現、日本にはいない)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

付記

今朝(4月1日)アップされた(冒頭部分に「首都圏以南の桜の名所では、今日がお花見の“最後のチャンス”というところも多いかもしれません」が付け加えられて、編集U氏の苦労が偲ばれます)のですが、昨日のブログとの間隔を開けねばと思い、一日遅れで紹介します。

その間、いろんなコメントをチェックすることが出来ました。幾つかのサイトを読み比べるに、U氏の指摘通り、圧倒的にヤフーニュースのコメントが低俗ですね(コメントチェックマニアの僕としてはその方が楽しいけれど)。中韓噛みつきまくりです(笑)。

「現代ビジネス」のほうのタイトルは「中国人も韓国人も“日本の桜”が気になって仕方がない理由」、元原稿では「“桜”は、いつごろから、どのような経緯で、日本の文化の象徴となったのか?」。内容にはダメ出しをすることがあっても、タイトルだけは、これまで全て編集部の出した案に素直に従っています。

読まれるためには、少々ハッタリ気味であってもインパクトが必要です。しかし僕の記事に限らず「驚くべき」の多用は、少なからず引いてしまいます。読者の一人としては、いいかげん止めてほしいと思います、、、意識的にそうしていることは分かっているのですけれど(笑)。

コメントに「タイトルと内容が違うじゃないか」というのが幾つかありました。僕の責任ではないです。まあ、このタイトルだと中韓いじりが益々激しくなるわけです。

あと、「エンタメ」「ライフ」「国家・民族」「中国」「韓国」の項目に入っているけれど、本来ならば「科学」とか「教養」のほうだと思うのですが、、、。まあ良いでしょう。

U氏曰く、「書きたいことを書く」のではなく、「読者が知りたいことを書く」。僕も賛同です。売れて(読まれて)ナンボですから、個人ブログとは訳が違います。

しかし、僕としては、「書きたいこと」でも「知りたいこと」でもなく、「伝えるべきこと」を書く義務があると思っています。

一般の日本人の、知識に対する要求志向が、余りにも「応用」的な対象に偏っていて、「基礎」的な対象が全く無視されているように思えてなりません。「そのような知識は“科学論文”で表現すれば良いのだ」と。しかし僕はそうは思いません。何事に於いても、基礎知識がまず必要であると。

その“橋渡し”をしたいのです。しかし、多くの読者は、それさえも求めていない。

「読者が要求する知識」は、わざわざ僕が書かなくても、誰にでも(殊に頭の良い優等生には)書けます。

「誰でも知っているはずのこと」
「知っている人は知っているが多くの人が知らないこと」
「僕しか知らないような新たな事実や考え」

2番目に重点を置き、3番目はちょこっと付け加える、というのが僕の考えなのですが、編集U氏に言わせれば、1番目さえも多くの人は知らない、ということらしいのです。

そして多くの人は、人間社会に関りのない(特に生物学的な)話題には、興味を示さない。そのような話題は、マニアックな(趣味的な)場か、アカデミックな(学術的な)場で行えば良い、と思っているのでしょう。しかし、それは違う。「人間社会」に係わる話をするのであっても、対象が人間以外の生物であったなら、まずその生物のアイデンティティから探索していく必要があると思っています。それが成された上で、はじめて「人間社会」における考察が成し得るのです。

「分かり易く伝えること」と「正確さを期すこと」は、しばしば相反します。どちらも不可欠なのですが、それを両立させることは、結構難しい作業です。

読者の中には、「野生種とか起源とかはどうでも良い、大事なのは、中韓にはない日本独自の文化として成り立っていること、その歴史についてもっと詳しく書く必要がある」という人がいます。一つの側面から見れば確かにその通りではあるのだけれど、それらについての考察や紹介記事は、履いて捨てるほどあるのです。一方、「成り立ち」に至るまでの、植物自体の歴史についての記事は、ほとんどと言って良いくらい見当たらない。

ということで、ここでまず必要だと思ったのが、最低限の「分類」の話です。

狭義のサクラ属の日本産野生種は、5~10種ほど。
(僕は5種と考えている、しかし現時点での定説は9種、それを列記する)
中国産は日本産の10倍近く。
野性栽培を問わず「品種」の単位でなら、野生の「種」の100倍近くの「品種」が日本に存在する。

残念ながら、それらの大半は、削除されてしまいました。仕方がありません。

その「分類」の話はともかくとして、ごく簡単に今回の記事の梗概を示しておきます。

日本人に最もなじみ深い植物である、キク(家菊)もサクラ(ソメイヨシノ)も、野生種ではなく、人為的に交配された「品種」。

共に、両親に当たる野生種(変種の場合も含む)は、日本にも中国にも韓国にも在来自生している。

従って、中国・韓国・日本のいずれの地域も、「起源」たりうる可能性を持つ。

しかし、キク(家菊)が作出されたのは中国大陸、ソメイヨシノの作出は日本であることが、(形態形質による比較に於いても、分子生物学的解析結果に於いても)証明されている。

ごく簡単な、分かり易い話だと思うのですが、、、。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記

「現代ビジネス」の記事がアップされるごとに、このブログに「オリジナル記事」を載せて行っています。「なぜか中国」シリーズに関しては、2月上旬までに9回分を纏めて執筆を終え、編集部に送ってあるのですが、まだ残り4回分が掲載されていません。「モリカケ問題」をはじめ、政局の動向によって先に掲載しなくてはならない記事がどんどん増えていくため、(一応毎週と想定してもらっている)僕の記事が、どんどん後回しになってしまうのです。加えて、前々回は「チベットの火事」、
今回は「サクラの季節」と、もともと予定していなかった自分の記事も割り込むことから、いつになれば「なぜか中国」シリーズが完結するのか(そのあとは「沖縄」関係のシリーズに移行したい)、予測がつかない状態です。

出来る限りスムーズに掲載を進めるため、より多く(最大公約数)の読者の求めに応じた記事を書かねばならず、僕自身が読者に伝えたい「重要部分」は、必然的に削られてしまいます。また、文体を「インターネットコラム」的スタイル?に統一せねばならず(そのため、「現代ビジネス」に限らず、僕以外の執筆者によるネット上の多くの記事も、どれも似たスタイルの文体になってしまう)、その結果、僕の文章の特徴であるリズムや言葉遣いの多くが、排除されてしまいます。

それで、本来伝えたい部分も読者に示しておきたい、という思いから、(編集氏の了解を得て)「現代ビジネス」掲載直後に、ブログのほうに「元記事」のほうも、並行して掲載している次第です。

ただし、最近は(上手な文章を書く必要性よりも優先して)「出来るだけ書き手の文体の個性を尊重してほしい」という僕の意向を、編集のU氏は理解してくださっているようで、最初の頃に比べれば、元原稿と余り大差のない内容・文体になっています(編集氏の理解もありますが、僕自身も合わそうと努力をしている)。

「元原稿」というのは、大きく分けて2つあります。一つは、プレゼンの段階で編集部に書き送ったもの(すなわち「オリジナル原稿」)。

それを編集U氏がリライトし、僕がチェックする。間違い部分を訂正し、削除された部分で、どうしても復活させたいところは、改めて差し込む。文体や言葉遣いや文章の流れも、譲れない部分は元に戻してもらう。こちらが、もう一つの「元原稿」(「改稿」としておきます)。

原則、U氏のリライトを、タイトルも含め、おおむね受け入れるようにしています。U氏のほうでも、最終的な僕の要求には応えてくれています。従って「現代ビジネス」の記事に、不満があるわけではありません(ことにここ数回は、センテンスの順序と、僅かな表現を変えるぐらいで、オリジナル草稿をほぼ全面的に生かしてくれている)。

オリジナ原稿と発表記事の大きな違いは、冗長な部分と、(生物学的な記述など)読者が読み辛いと思われる部分の有無です。より多くの読者に対しては、それらを無くすことで、読みやすくなっているはずです。従って「現代ビジネス」のほうを読んでもらった方が良いでしょう。一方、コアな読者の方々は、「削除した」部分にこそ、興味を示して頂けるのではないかと思っているのです。

実は、「完全なオリジナル原稿」は、編集氏からのリライトのチェックを重ねているうちに、どこに行ってしまったのか分からなくなっているものが少なくありません。ということで、この「あや子版」に紹介する「なぜか中国」シリーズの記事は、ある時は「完全オリジナル原稿」であったり、ある時は「編集者からのリライトの再チェック改変原稿」だったりします(おおむね、両者の中間あたり)。

今回も完全オリジナルは見つけられず、改稿途上のものを「生物地理は面白い」シリーズ6として、「あや子版」に掲載します(「完全オリジナル」と「現代ビジネス発表記事」の間の差は僅かです)。






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