青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2021.10.19 日記

2021-10-19 20:52:55 | コロナ、差別問題と民主化運動、科学



パウエル元国務長官が亡くなりました。超大物ですね。しかしヤフーニュースには上がって来ない。ワクチン接種済みでコロナ感染(合併症)だそうです。




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2021.10.15 日記

2021-10-15 20:13:38 | コロナ、差別問題と民主化運動、明治文学


★10月8日の記事に、いいね!その他ありがとうございました。


パソコンのアクシデントで、ブログの進行がスムーズに出来ない状況に陥っています(しばらくの間、断続的にブログを掲載していくつもりです)。

そんな中、ほんのちょっとですが、なんとなく嬉しくなる記事を見つけました。そのまま転載紹介しておきます(僕のコメントも付随)。

・・・・・・・・・・・・・

『洋紙にペン字、貴重な鴎外の直筆原稿、新潮社社長室の大掃除で見つかる、、、、漱石らの資料も』 読売新聞オンライン10/15 5:01

森鴎外(1862~1922年)の小説「身上話」の直筆原稿1枚や、文芸雑誌が行った文章指南のアンケートに、夏目漱石(1867~1916年)が答えた原稿1枚など、明治・大正の文豪らの資料21点が新潮社で見つかった。中でも鴎外の直筆原稿が見つかるのは珍しく、貴重だという。

写真【読売新聞オンラインから転載】

丁重な字で書かれた森鴎外「身上話」の冒頭部分。

 鴎外、漱石に、二葉亭四迷、島崎藤村、有島武郎ら著名な作家・評論家を加えた計18人の原稿や手紙で、すべて縦約30センチ、横約40センチの冊子に貼られていた。藤村の資料が3点あるほかは1人1点で、1点は筆者不明。原稿の場合は、いずれも作品中の1枚のみが収められていた。
 冊子は同社の創業者、佐藤義亮(1878~1951年)が、つきあいのあった作家たちとの思い出を残すために作ったものとみられ、昨年末、社長室を大掃除していて見つかったという。作品の執筆時期や作家の生年などを考慮せず貼られており、義亮が資料保存のためではなく、個人的な関心から作ったらしい。
 鴎外の「身上話」は海辺の宿に宿泊中の青年と、そこで働く女性との交流をコミカルに描いた短編。友人から聞いた体験談を基に1910年、文芸誌「新潮」に掲載され、後に全集にも収録された。見つかった原稿は、罫(けい)線のない洋紙に端正なペン字でつづられていた。

・・・・・・・・・・・

milk

素適なニュースですね。先日パソコンが壊れて、昨日まで手書きの原稿書きを、20年ぶりぐらいにしていました。それと、この機会に、永い間(40年以上)してなかった部屋の整理に挑戦していた。僕は分野違い(nature-photograph)なんですが、何故か明治文学が好きで、、、。段ボール箱の中から、昔買った岩波文庫(漱石の三四郎とか鴎外の青年とか)等々が、どっさり出てきた。

(段ボール箱からは見つからなかった)もう少しマイナーな同時代作家(例えば斎藤緑雨とか広津柳浪とか)の作品も久しぶりに読んでみようと、今さっき東京駅近くの書店で店員さんに尋ねたら、全て絶版、とのこと。今は読む人少なくなってるんですね。

漱石は面白い、鴎外はつまらない。でも僕は鴎外が好きで(笑)。直筆原稿の写真見ているだけで、なんだか嬉しくなってきます。








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人里生物の起源

2021-10-08 19:39:41 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記


★10月6日の記事に、いいね!その他、ありがとうございました。



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・・・

先日、キンモクセイについてネット(ウイキペディア)で調べていたら、その執筆者が僕と似た考えだったので、少し嬉しくなりました。曰く「キンモクセイは中国からの移入とされるが、正確な自生地は分かっていない(園芸キンモクセイのオリジナルとされ得る集団が見つかっていない)、案外、キンモクセイは日本で作出された可能性もなくはないと思う(意訳)」。

キンモクセイだけでなく、他の種についても、そのような可能性はあると思います(正確には必ずしも「日本で」と言う事ではなくて、種が成立する過程での時間レベルの問題点を念頭に置いたうえで「日本も強く関わって」)。

この思考様式を外面的に捉えて、ネトウヨの人たちと同じ(例えば最近よくネット広告に現れる「縄文人は大陸人と血縁が無かったことが判明」)に見做されると困るのですが(笑)。

その前に、中国と日本の関係性を改めて眺めておきましょう。

中国人は、日本人のことを「日本鬼子」とか「小日本人」とか呼んだりします。あからさまな蔑称ですが、ごく普遍的に使われています。

雲南とミャンマーの国境近くの高黎貢山を歩いていた時、山の中に小さな食堂があったので、そこで昼飯を食べました。

食堂のおっちゃんと話(主に筆談)をしました。大抵の人は「本物の日本人」に初めて会った、と喜んでくれます。

この地域は、第二次大戦中、南京に次いで多くの中国人が日本兵に殺された、とされるところです。いまでも、至る所にそのモニュメントが掲げられています。

僕は、日本人=日本鬼子?
と紙に書きました。

おっちゃんは、鉛筆で棒線を引いてそれを消して、
昔はそうだったけれど今は違う、我々は友達だ、
と書き添えました。

まあでも「小日本」はみんな言いますね。中国人と一緒に地図を広げていると(中国全土図には構成上右側に日本がすっぽり入る)異口同音に「わぁ!日本小っちゃい!」と笑います。悪気じゃないんで、僕も「そうだね」と一緒に笑っています。

実は、小さくはないんですよ。2つの立脚点から言って。

ひとつは海洋面積。中国は全く貧弱です(台湾を中国と見做すならそうでもなくなりますが)。日本はでっかい。海洋面積を含めた広さで言うならば、日本は世界有数の大国ではないでしょうか?

もうひとつ別の視点。

日本には山がある事。それも所謂「豊かな緑」の山。

中国の西部(四川・雲南およびチベット・ウイグル)には、日本の山々よりも圧倒的にスケールの大きな、標高6000mを超す氷雪の峰々が聳えています。

でも、そこは「豊かな緑」とはちょっと違うのですね。中国において「日本の豊かな緑」に相当する地域と言えば、(僕の造語ですが)「グリーン・ベルト」とその周辺部にほぼ限られています。面積的には日本とさほど変わりません。

言葉で表すと、「From “秦嶺”through“竜門山活断層周辺+横断山脈”to“南嶺”」
日本列島(+琉球弧+台湾) にほぼ対応しています。

「グリーン・ベルトは日本の自然のマザーランド」と僕は見做しているのですが、別の視点から見れば、「日本列島」もまた、東アジアにおけるもう一つのマザーランドであるわけです。

(繰り返し言っときます)ネトウヨ的思考と間違えられると困るのですけれど^^;。

中国起源とされる「日本の人里生物」の一部は、案外、日本列島のどこかに起源があったりするのかも知れません(そういう単純な話ではなくて実態は滅茶複雑なんだと思いますが)*。

例えば、これまであちこちで書いてきた、三島列島黒島のハラン(バラン)。誰でも見たことがあるはずの(公園とか路傍とかに植栽され、弁当の“偽バラン”のオリジンでもある)植物で、中国からの移入種と一般に考えられてきたのですが、中国には(今のところ)自生地が見つかっていない(同属別種は中国南部や台湾やインドシナ半島で度々出会っている)。野生状態生育地は、黒島のほか、最近噴火で認知度が高まっているトカラ列島諏訪瀬島と、九州南西端の無人島・宇治群島の3か所だけです。

いろんな“身近な生物”が、「バランの謎」と同様の問題に繋がっていくのです。

*“実態は複雑”ということで言えば、蝶の世界の天才、故・川副昭人さんが為された様々な指摘。とにかく凄い人です(故・日浦勇さんも天才ですが良くも悪くも俗っぽい才能ですね、彼の場合そこが良いのですが、川副氏の知能は別次元の孤高で桁外れです)。

何気なく発した言葉の中に凄い大きな問題提起が含まれていたりします(大抵の人は問題の重要さが分からずにスルーしてしまう)。

例えば、ヨーロッパのエゾスジグロチョウ(ピエリス・ナピ原名亜種、仮称セイヨウエゾスジグロチョウ)は、日本のエゾスジグロチョウ(現在はエゾスジグロチョウ北海道亜種と独立種ヤマトエゾスジグロチョウに分けられている**)よりも、(日本列島ほぼ固有種の)スジグロチョウ(ぼくは“スジグロシロチョウ”とは呼ばない、という訳注をいちいち付けなきゃなんないので面倒ですね)との間に(基本的な形質において)共通点がより多く見出される、といった話。

オリジンの発祥地(あるいは発展繁栄地)は、現存(ときには残存分布)地と同じとは限りません。

例えばメタセコイア。現存分布地は、世界で一か所、湖北省西部のごく限られた一角だけです。しかし地球年代的な時間レベルで見たほんのついこの間までは、むしろ日本の各地に広く普遍的に分布していたのです(化石が数多く出土)。

一方、奄美大島(と徳之島)だけに遺存分布し、世界の何処からも類縁種が知られていないアマミノクロウサギは、やはり(地球年代的な時間レベルでは)ついこの間まで、東シナ海を挟んだ、湖北省東部~安徽省西部に分布していました(化石が多数出土)。

**
(エゾスジグロチョウの例に限らず一般論としても)分子生物学的系統分類手法は、その解析が正しくても根本的な次元における解釈が間違っている場合が屡々あります。要は「体系的に」ではなく「俯瞰的に」捉えられているかどうか。「答」のみに焦点を当てた安易な種分割は僕はしたくない、ということです。

・・・・・・・・・・・・・・

パソコンが壊れて、明日修理に出します。外部(HDDなど)との接続が全くできません。修理に、最低1週間、7500円ぐらい(電車賃合わせると1万円)。なんとか足ると思います(植物園、図書通販などと交渉)。パソコン故障の影響でHDDがやられている可能性もあり、万が一メーカー送りになればそれ以上必要。たぶん大丈夫と思いますが、、、、。

パソコンが手元に無い間、部屋(段ボール)の大整理を行います。ちょうどいい機会です。

・・・・・・・・・・・・・

最近、インターネットの「青空文庫」で著作権縛りがなくなった文学作品などの取り込み方法を覚え、時々利用しています。パソソコンが暫く手元を離れるので、昨日幾つかの作品を収納しておきました。以下、昨晩読んだ本(明治文学、後の三つは大正かな?*印は再読)。

夏目漱石 永日小品*(ことに「山鳥」が胸に染みます)
夏目漱石 長谷川君と余*(二葉亭四迷追悼文)
森鴎外 魚玄機*
森鴎外 長谷川辰之助*(二葉亭四迷追悼文)
二葉亭四迷 旅日記東海道線
幸田露伴 食べ物としての菊
広津柳浪 昇降場*
斎藤緑雨 かくれんぼ*
内田魯庵 美妙斎美妙
内田魯庵 人相見(坪内逍遥の書いた同じ話を更に詳細に紹介)
・・・・・・・・・・・・・
永井荷風 里の今昔*
島木赤彦 諏訪湖畔の冬
斎藤茂吉 島木赤彦臨終記*




雲南維西 2010.5.18
 


雲南羅平 2008.2.17
 


雲南翁水 2010.9.22





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人里生物の起源(予告)

2021-10-06 20:21:22 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記


★10月5日の記事に、いいね!その他、ありがとうございます。


読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・・・

タイトルは明日掲載予定の記事(キンモクセイの続き)のが間違って張り付いたのですが、面倒なので(「予告」ということにして)そのままにしておきます(今日の記事とは無関係)。

今日も半日、一応探索。でも、(秋の好天なのに)蝶がほとんどいないですね。

今日見た蝶(撮影種ではない)。アオスジアゲハ(住宅街)、アゲハチョウ、キチョウ、スジグロチョウかモンシロチョウかどっちか、クロヒカゲ、ツマグロヒョウモン、ミドリヒョウモン、コミスジ、ルリタテハ、ヤマトシジミ。今日の収穫は(撮影失敗したけれど)ミドリヒョウモンが樹木の幹だけでなく地面にも卵を産付することを確かめたこと。

・・・・・・・・・・・・・

山の中でマスクを外すのは、自然(地球)に対する礼儀だと思っています。誰もいないところでマスクしたまま歩くのは、自然(地球)に対する冒涜です。

もっとも、人前では僕もマスクしてますよ。日本に於いての礼儀、というところでしょうかね(そんな礼儀は不要と思うけれど、喧嘩したくないので一応、、、)。

眠いので今日はこれだけ。



ルリタテハ。



「森を歩こう」
ホルスト・ヤンコフスキー
1965 Billboard Hot100 第12位(だったと思う)
毎日、ひたすら歩いてます。



「みどりの森(狭山丘陵西端部)」から「霞丘陵」(写真の手前の森)を望む。









アキノノゲシ。野菜としての“苦麦菜”を、もうかれこれ20年間調べてます(中国で)。膨大な資料をモニカに預けているのですが、捨てちゃっていないか(預けたものをすぐ捨ててしまうので)心配です。早く中国に戻って取り戻さないと^^;。






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老人に席を譲らなくていい自由

2021-10-05 20:45:00 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・・・

朝8時からお昼過ぎまで、青梅の森を2往復しました。途中、ヒヨドリバナ群落の所で待機するために、文庫本を持って行きました(一か所に居続けるのは何らかの縛りがないと難しい)。

北杜夫「星のない街」(新潮文庫)。主に20才代末~30才代初め頃(1956~60年)の初期短編集です。この(段ボール箱の中から出てきた)文庫本そのものは後の1970年代末の刊行ですが、僕が最初に読んだのは単行本だったと思います。

一番長い「人口の星」を読んでいました(数十年ぶりの再読)。最後の一行が特に好きで、それをここに書き記しておこうと思っていたのだけれど、うっかり本を部屋に置いて来た為、正確に記すことが出来ません。またの機会にします。

あと「異形」も。(ちょっと大袈裟かも知れませんが)僕は日本文学の短編小説No.1だと思っています。北杜夫さんの若い頃の才能は、それはもう凄いものだったと思います。

一時間近く待機。しかし(一昨日すぐ近くで見た)アサギマダラは現れません。ほかの蝶も姿を見せない。蝶がいない時は、本当に全くと言っていいほど(嘘かと思うほど)何にもいないんですね(一応、キチョウ、ウラナミシジミ、コジャノメ、クロヒカゲ、街の中でウラギンシジミ、ミドリヒョウモン、ツマグロヒョウモン)。

帰りに市役所に寄って、昨日のブログに記した「過剰金8万3千円即刻払わなければ法的手段」の件を尋ねました。単なる事務的手続きなので、気にしなくてよい(毎月の減額分で調節済み)、とのことでした。

・・・・・・・・・・

ヤフーニュースで気になった記事。

【1】
イチローの大谷に対する助言。
今後も(無理が出来るうちは)「無理をして」頑張れ。
さすがイチローですね。
次元が違いますが、僕は人から「無理をしないで頑張ってください」と言われるのが、一番嫌(というか辛い)です。言って下さる方の親切心ということは分かるのですが。無理をせずに、どうやって頑張れば良いのか?

ネット上には「年寄りヘイト」が溢れかえっています(ヘイトしている人たちは気が付いていない)。「年寄りは引っ込んでろ」と。全く別件ですが「生活保護者」に対してもネトウヨ民は大ブーイングですね。我々の税金を使って云々(本当にセコイ)。「年寄りは仕事しちゃいかん」「生活保護は受けちゃダメ」じゃあ、どうすりゃ良いのかな?

飲食店とかに「アルバイト・パート求む」という貼り紙があったりすると、その都度応募しています。しかし「身元保証人がいない」「携帯電話を持っていない」ことが知れた時点で、塩を撒くように玄関払いです。「仕事をしたい」と伝えれば、顔見知りの店員さんなんかも、一気に愛想が悪くなってしまいます(スタバ福生店や餃子の満州は例外)。辛いですね。

香港デモの話で何度か書きました。
「深圳や広州の地下鉄に乗ると若者たちがすぐに席を譲ってくれる、香港の地下鉄の若者は老人に席を譲ってくれない」

「自由」というのは、「老人に席を譲らなくていい自由」なわけで、、、。富のあるもの、学のあるもの、力のあるもの、、、が、利益を受ける権利がある。それはそうでしょうね。それが「民主主義」なんだから文句は言えません。

・・・・・・・・・・

次の2つのニュースは、最初に見つけた後、再発見が困難で内容確認出来ていません(よって、うろ覚えで要旨を纏めました、詳細には間違いがあると思う)。

まあ、以下に記すことは僕の僻み妬みの類でしょうが(笑)、あながちそれだけでもない、とは思っています。頭の良い人には解らんでしょうから、、、。100年か200年か待ちましょう(それまで人類は存在してるだろうか?)

【2】
灘高から東大理Ⅲへの受験率が減少、理由のひとつは、頭の良い学生が医学よりも情報物理?系に流れつつある。

そうですか。頭が良い人が、医学とか情報物理とかに行くわけね。なんか、色々と納得してしまいます(ネガティブな意味で)。

ちなみに、北杜夫の父上の斎藤茂吉は「自分の本業は医者ではない、歌人である」と言い切っていたですね。やっぱり凄い人です。

【3】
小学生の頃頭が良かった自分(コラム投稿者)は、夏休みの宿題コンクールに、「地球の大きさ?を斬新な物理学的な手法で計測して答えを出して」提出、しかし担任の先生が(知能が低くて)理解出来ず、「セミの抜け殻200個」を提出した生徒が、最優秀賞を獲った。

>最近の教師は程度が低い、>古い頭の人は科学の進歩についていけない、というコメント多数。僕は、「蝉の抜け殻200個チェック」のほうが、圧倒的に魅力を感じるんですけれど(まあ、古い頭の、知能の低い人間なんで)。

【4】
新内閣の顔ぶれに町の人の声。
「知らない人が多い」
↑このことに、現在の世界(ことに日本)の病巣の根源が、端的に診て取れます。「空気が全て」という。
*メディアに現れる人は「知ってる人」で、現れない人は「知らない人」

・・・・・・・・・

さっき、三世とテレビ電話してました。ギリシャの猫のユーチュブ作ったら、毎回1200人とか1300人とかの視聴者があるんだそうな。僕のユーチュブは、いくつ作っても、ず~~~と“ゼロ!”ですよ。どこに違いがあるんだろう、、、。

・・・・・・・・・・・



ウラナミシジミの交尾。







ヒヨドリバナの前で文庫本読みながら待機中。
*ユーチュブ用の収録映像(蝉の鳴き声入り)から。





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キンモクセイ

2021-10-04 20:00:08 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記


★10月3日の記事に、いいね!その他ありがとうございます。



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・・・

大谷選手、お疲れさまでした。46号、有終の美。それよりも何よりもフルにシーズン完走したのが、最大の成果ですね(これは僕も多くの方と同意見です)。

今日は、福生公立病院、年に3度ほどの歯科口腔外科での受診日。ついでに先週に次いで内科のF先生。まあ、ドングリ事故後遺症のほうは、どうあがいてもどうしようもないので、しょうがないです。F先生には愚痴。家賃更新料の度重なる督促、市役所からの生活保護金過払い8万3000円即刻支払い命令、、、それぞれ毎月1万円づつ支払っているのに、それでもまだ毟り取ろうとするんだ、、、、。モニカにしろスーリンにしろ(僕が貧乏なこと知ってるので)なにか手伝ってくれても報酬なんて要求しない。中国人は、実はお金に恬淡なんですよ。それに比べて、日本人(企業、行政)はなんて冷たいんだろう、貧乏人は徹底的に排除する、、、日本に生まれなきゃ良かった。まあ、お約束の僻み妬みのジョークなんですが。
F先生:「どんな反応をすれば良いのでしょう?(笑)」。
僕:「反応なんていりません(笑)」

路傍にキンモクセイの薫りが漂っていました。一日、素適な気分になります。

子供の頃は、キンモクセイの匂い嫌いだったんですよ。それが、友子さんが大好きな香り(ちょうど彼女の誕生日の頃ですね)ということで、いつの間にか僕も大好きになってしまいました。

春の「沈丁花」、秋の「金木犀」、、、僕の2大ファヴォリートです。

好きな花は、いろいろあります。もう40年近く前なので、名前が曖昧なのだけれど、ちあきちゃん(双子のお姉さんのほうは“ちとせちゃん”だったかな?)が好きだったのが「露草」。ツユクサに出会うたびに、ちあきちゃん姉妹に再会したような気持ちになります。

モニカが好きなのは「菫」ですね。僕の遺言は、僕が死んだら、なんでも良いので(小っちゃな)モニュメントを貴聯(モニカの故郷)の田んぼの土手のスミレの下に埋めてくれ、、、何度も言ってるので、覚えてくれているはずです(その話題は嫌がるのですが、笑)。

スーリンの好きな花は何だっけ?(次いつ会えるか分からないけれど)こんど聞いておきましょう。

三世のは知らない。でも、ジョージが好きなのは、オリーブ。好きというよりも、郷土の花として誇りにしている。僕が行った時に真っ先に案内してくれたのが、オリーブの古木。でも、僕があんまり興味を示していないようだったので、ガッカリしていたみたい。申し訳なかったと思っています。次回はもっと興味を示してあげよう、と心に決めています。

このあいだ、三世は「小豆島に移住しようと思う」と(いつものごとく)“思い付き決意”を表明したのだけれど、それはどうなってしまったのでしょうか?

僕は大賛成で、オリーブの本場から、超イケメンがやってくれば、それはもう大歓迎受けるはず。ただし些細なことで地元民と衝突したりしなければ、という条件付きですが(その条件が難しい、笑)。

オリーブもモクセイ科なんですね。

今年の4月、“「マルバアオダモと雑木林」の真実を探る”、、、みたいな話を書こうとして、そのままになっています。その前にはモニカが送ってきたアメリカのメディア記者のアオダモ(モクセイ科トネリコ属)絡みの手記も翻訳紹介しようと思っていたのだけれど、それも保留のまま。

モクセイ科には興味深い樹木がテンコ盛りで。

トネリコ属(野球のバットの材です)、レンギョウ属、ハシドイ(ライラック)属、オウバイ(ジャスミン)属、イボタノキ属、ヒトツバタゴ属、オリーブ属、モクセイ属、、、、。

モクセイ属の日本産の代表的在来種は「柊」です。一見、ヒイラギとキンモクセイは外観的にずいぶん異なって見えるのですが、種としてはごく近い関係にあり、(ギンモクセイやウスギモクセイともども)種間交配も可能なようです。ヒイラギは、日本の各地に明らかな野生株が在来分布していて、僕は屋久島とか瀬戸内海の島々とかで撮影したことがあります。一方、キンモクセイのオリジン産地は中国とされていますが、、、ヒガンバナにしてもレンゲソウにしてもジンチョウゲにしてもそうなのだけれど、確たる在来分布地が良く分かっていない。(蝶にしてもそうなのですが)“身近な生物たちの故郷”というのは、意外に探索されていないのです。

中国で多い野生モクセイ属の種はウスギモクセイ。昔、西安で撮影したウスギモクセイと、瀬戸内海の島で写した野生ヒイラギの写真をこの機会に紹介しておくつもりでいましたが、写真が出て来ません。

ということで、さっき福生の町で撮影したキンモクセイの写真。















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2021-10-03 19:39:35 | コロナ、差別問題と民主化運動、日本の蝶



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・・・

昨日は、霞丘陵をぐるっと探索して、〆として入口の所に生えるアザミでボロヒョウモンたち(ミドリヒョウモン、メスグロヒョウモン、オオウラギンスジヒョウモン)を写していました。

それにしてもボロ個体ばかりで、、、。個人的には「ボロ個体大好き!」なんですが、図鑑に紹介する写真としては、ちょっと、、、、。

でも、それも一つの(フィールド図鑑の)方向性として良いかも知れない、、、。

誕生したのはこの地なのでしょうが、すぐに何処かへ移動して、あちこち放浪して、そしてボロボロになって(各種順番に)ここに帰ってきた。

ということですね。

・・・・・・・・・

撮影を終えたところで、若いお母さんと、3歳ぐらいの女の子と、たぶんお母さんの姉妹の人との三人連れに、道を尋ねられました。

お母さん
>霞丘陵に行くのはこの道で良いのですか?


>>霞丘陵の何処に行くのですか?

お母さん
>ヒガンバナの群落があると聞いたので、、、。


>>もう咲き終わっちゃっていますよ。

お母さん
>残念、、、。


>>でも、ここがそうなので、あと10mほど行けば、咲き残っている花が見られるかも知れません。せっかく来たのだし、、、。

お母さん
>じゃあ、行ってみましょう。

女の子
>おじちゃん、ありがとう!

僕は、もう暫くヒョウモンチョウを写してから引き上げようとアザミの花の横にいました。三人連れは、咲き残ったヒガンバナを探して、その横で一生懸命スマホで写真を撮っている。なんだか切なくなってきました。でも、彼女たちは、とても嬉しそうです。咲き残った花を写せて満足しているようです。

おかあさん
>白い花も見つけました。有難うございます。


>>この先に行くと、とても見晴らしの良いところがありますよ。5分ぐらいだから行ってごらんなさい。

お母さん
>行ってみます。

女の子
>>おじちゃん、有難う!!

なんだか、胸が熱くなってきたです。

早く中国に戻って、小七に会いたい、、、、。

・・・・・・・・・・・

昨日の収穫は、撮影開始初日の3月23日に一頭の越冬個体を撮影して以来一度も姿を見なかった、アカタテハに出会ったこと。羽化したての新鮮個体(これから越冬)です。この機会に何10枚と写しておきました(でもカメラぶっ壊れているのでほとんどピンボケ)。

これも不思議ですね。アカタテハと言えばヒメアカタテハと並ぶ普通種中の普通種ですよ。それが、初日に一頭見たきり今日まで現れなかった。その間、(第2化とか第3化とかの世代の蝶は)どこに居たのでしょう?











アカタテハ

・・・・・・・・・・・

今日は、教会に礼拝に行ったついでに、青梅の森をチェックしときました。一応、第61番目、アサギマダラ。ここ数日姿を見ているのですが、とまってくれない。突然現れるので、カメラが作動しなかったり、設定を間違えていたり、、、、なかなか写せません。でも、一応確認出来る写真が一カット撮れたので、撮影完了種に加えて置かないわけにはいかないでしょうね。

飛んでいた近くにヒヨドリバナの小群落がありました(一か所だけしかなかった)。そこで(教会で作って貰ったスパゲッテイを食べながら)夕方まで4時間ほど待機していたのだけれど、結局姿を現しませんでした。(それまで全く見なかったのに)10月に入って3日続けて出会っていること、現れてもヒヨドリバナに来ないこと、等々、いろいろと不思議です。本当に長旅の途中なんだろうか?(旅してない個体もあるんじゃないかと思います)。



アサギマダラ(一応証拠写真として)





ここでずっと待っていた。

・・・・・・・・・・・・・・

↓前回のブログに書いた事をもう一度記しておきます。

ワクチン関係の記事を自由にユーチュブ発信することが規制されるようです。恐ろしいことだと思います。

・・・・・・・・・・

駅の放送。
「エスカレータは歩かずに片側に」「ご理解とご協力をお願いします」
協力することはやぶさかではないですが、理解は出来かねますね。
命令なら従いますよ。でも「命令はしない」「理解して協力せよ」、、、まあ、それが日本の美徳なんだから、仕方がありませんが、、、。

・・・・・・・・・・

白鵬引退

曰く、“彼は(生粋の)日本人ではない、だから日本の「しきたり」が分からない”
“しきたり”を作ったのは、学者でも政治家でもなく、皆さんですよ。そのことを自覚しておいて欲しいですね。

白鵬という人は(ある意味貴乃花もそうなのでしょうが)真面目なんですね。いつも一生懸命。

彼のコメント。
「皆に褒めて貰いたくて頑張ってきた」
心に響きます。







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ヒットラーと第二次大戦と今の日本

2021-10-02 07:44:03 | コロナ、差別問題と民主化運動、日本の蝶


★9月29日の記事に、いいね!その他ありがとうございました。


読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

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以下、書きっぱなし推敲無し(時間がない)の、支離滅裂です(内容は、冒頭部分を除いては表題とは余り関係ないかも知れません、笑)。

・・・・・・・・・・・・

あるいは、例えば、大逆事件でも良いのですが、、、。
「マスク」「ワクチン」
今の日本は、ナチス支配下のヨーロッパと、全く同じ状況にあるのだと、気が付いていない、、、。仮にそれとなく気が付いてはいても、それは自分たちとは関係のない“お伽話”“大袈裟な幻想”、、、。真面目に取り組めば、集団性自己中心者たちで構成される大衆(すなわち社会)からは、「知能が低い」「道徳心に欠けている」と無視・排除されるだけです。

ユーチュブで、ワクチン絡みの批判記事が(実質的に)発信できなくなってしまうようです。

それが、どれだけ恐ろしい事なのか、、、。

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昨日、一昨日と、裏山探索に行ってきました。出来るだけ歩き回らず、数か所に腰を落ち着けて観察するべく、弁当を持って行きました。6個160円のコッペパンに、3本75円のバナナと1個75円のファミコロ2個を6つに割って挟んで、一食100円計算。思ったよりボリュームあります。かなり贅沢です。

丘に入ってすぐの樹液の出るコナラの根元をベースに、入口付近の路傍に咲き残っているアザミの花を見て回ります。大型ヒョウモンチョウ類があと一種や二種やってくるかも知れない。

夏までは(5月14日にクモガタヒョウモンを一頭見たきり)数頭のツマグロヒョウモンを散発的に見たのを除き大型ヒョウモンチョウ類には全く出会わなかったのですが、秋口になって一気にツマグロヒョウモンの個体数が増え(これは多化性南方系種なので当然としても)、年1化で6月中旬に既に発生しているはずなのに全く姿を見せなかった他の大型ヒョウモンチョウ類も、相次いで姿を現しました。

まず、今年通算54回目の探索行の9月8日にミドリヒョウモンが、9月19日にメスグロヒョウモンが、相次いで出現、今(9月末時点)やミドリヒョウモンは、最も数多く見られる蝶のひとつになってしまいました。

両種とも、6月にも7月にも全く姿を見せることがなかったので、ほぼ諦めていたのです。でも、突然多数の個体が現れだしたということは、もしかすると他の大型ヒョウモンにも遭遇するチャンスがあるかも知れない、と淡い期待を懐いていたわけですが、いとも簡単に、期待通りに現れてくれました。

9月28日ウラギンヒョウモン、9月29日オオウラギンスジヒョウモン。これで、日本産大型ヒョウモン9種(「新しい分類で11種に増えたよ」という人もいるでしょうが、それについては後述)のうち、かなりの山地に行かねば出会えないギンボシヒョウモンと、ほぼ絶滅寸前の状況にあるオオウラギンヒョウモンを除く、東京近郊低地帯にも棲息している7種中(5月14日に一度だけ現れてそれっきり姿を見せないクモガタヒョウモンを加えた)6種が撮影出来たわけです。あとはウラギンスジヒョウモンだけですね。

ツマグロヒョウモンは問題ないとしても、写せたのが僥倖だったと言っても良さそうなクモガタヒョウモン以外の5種については、8月の時点ではほぼ諦めていたわけですから、予想外の展開です。ミドリヒョウモンは最普通種となり、メスグロヒョウモンの雌もかなり普通に見られます。

最も多く見られるのは、いつも行きと帰りに通っている、入口付近の(この間までヒガンバナが咲いていた)放棄田横の路傍ですね。ファミマの隣にあるアパートを出て順に、次のファミマ-セブンイレブン-ローソン-3つ目のファミマを通って、塩船観音寺の参拝所受付、その横のハイキングコース入口(そこまでは住宅街の中)の路傍に、春からずっとアザミが咲き続けています(普通に考えれば春の個体はノアザミで秋はノハラアザミなのかな?でもいつも同じところに咲いてるし、ちゃんとチェックもしていないのでよく分かりません)。

数か月に一度路傍の草は綺麗に刈り取られて丸裸になってしまうのですが、アザミだけは色が鮮やかなためか刈り取られずに残っているのです。

上記したメスグロヒョウモン雄初見個体(9月19日)も、ウラギンヒョウモン初見個体(9月28日)も、オオウラギンスジヒョウモン初見個体(9月29日)も、全て同じところです。アザミへの訪花が一番多いのはミドリヒョウモンで、数本のアザミに何頭もが群れ飛んでいました。大半が雄、全部相当のボロ個体(ほかの3種もミドリヒョウモン程ではないけれどそれなりにボロ)です。

ちなみに、春~夏には散発的にしか見られなかったツマグロヒョウモンも9月に入って一気に数が増えたのですが、やはり最初に出会ったのはこのアザミ。他の各種と異なり、本種の場合多化性(未チェック)なので、第2化以降の個体は新鮮です。

ヒョウモンチョウ類には余り興味はなかったのですが、改めて考えたら相当謎の蝶たちなんですね。

日本本土最初の絶滅種としてシジミチョウ科のオオルリシジミと「どちらが先に姿を消してしまうか」と、しょうもないところで覇を競ってるオオウラギンヒョウモン。危機の状況はかなり前から指摘されていたので、それなりに探索撮影を行っていました。

30年ほど前、大分熊本県境の阿蘇外輪山でも撮影しました(宗兄弟の一方とこけちゃいましたの人の車にヒッチハイクで載せて貰った話は前にしたと思う)。

ツマグロヒョウモンほうは、怒涛の出世ですね。衰退一途のオオウラギンヒョウモンとは対極の位置づけにあります。なんか、いつの間にやら東京の都市部における最普通種になっちゃっています。

僕が中学に入った頃(1960年前後)には、関西でもまだそれほど普通種では無かったように記憶しています。神戸の東灘区にあった甲南中学校の裏山の谷に居ると聞いて探しに行ったことがあります。

一方、オオウラギンヒョウモンは、当時に於いてはそれほどの珍種扱いにはされていなかったように思います。京都の伏見区と宇治の間の木津川の河原に探しに行った記憶(父親との唯一の外出)が薄っすらとあります。

この両種に関しては、明暗がはっきりと分かれてしまっているわけですが、他の大型ヒョウモン各種に関しては、正確なとことがよく分かっていないように思われます。繁栄しつつあるのか、衰退しつつあるのか、以前のままの状況を保っているのか、、、。そして「以前の状況」というのはどういう状況なのか?

例えば今手許にある27年前(奥付発行日1994.5.6)に刊行された蝶のハンディ図鑑(松香宏隆著/PHP研究所)*を見ると、例えばオオウラギンスジヒョウモン(オオウラギンヒョウモンではない)の項にはこう記されています。
>個体数は多くない。一見環境が変わっていないと思われる場所でも、なぜか近年ヒョウモン類は減少している。

*「カラー・ハンドブック/地球博物館No.1蝶」この小さな新書版サイズの図鑑、僕は大好きで、、、松香氏の簡潔的確な解説やコンパクトで統制のとれた生態写真も素敵だけれど、なによりも編集の岩橋順一郎氏による構成が素晴らしい! 「近所の蝶図鑑」も、これをモデルに想定しています。

ちなみに、この図鑑のオオウラギンヒョウモン雌の写真は、上記「こけちゃった」ヒッチハイクのときに写した僕の写真です。

オオウラギンヒョウモンについては、この図鑑の解説にはこうあります。
>乾燥した藪の無い草原に棲息。過去に多産地であった奈良県三草山では(野焼きを止めたことで)藪が深くなって絶滅した。

そうだ、思い出した、確か父親との唯一の小旅行の時も、最初に三草山に行って、それから宇治川堤防に回ったんだっけ、、、。

三草山にしろ、阿蘇外輪山にしろ、一言で表現すれば、最もつまらない貧弱な植生環境ですね。

オオウラギンヒョウモンだけでなく、シルヴィアシジミとかチャマダラセセリとかツマグロキチョウとかウラナミジャノメとか、、、日本で絶滅の危機に瀕している蝶の多くは、一般的な物差しで見れば実につまらない環境に棲んでいる。つまらない環境(ただの草原、ただの荒れ地、、、)が“原自然”として残っているとすれば、大変な僥倖であるわけです。そこは人間社会にとって無価値な存在でしょうから、もっとつまらない環境(文明的空間)に置き換わる。上手くそこに便乗出来た種は繁栄しますね。ヤマトシジミとかキタテハとか、ツマグロヒョウモンもその一つかも知れません。

上記の(日本で絶滅の危機に晒されている)各種ですが、例えば中国では大都市の市街地で発生していたりします(日本では“山地草原の蝶”として絶滅寸前のヤマキチョウの姉妹種も、中国の昆明とか成都などでは都心の真ん中に発生している)。

繁栄と衰退は紙一重なんですね。人間(日本人)の常識的物差しによる“環境の豊かさ”の指標に沿えば、上記の蝶たちの棲む環境は、一見極めて貧弱に見えるわけですけれど、それぞれの蝶たちにとっては、最も好適な環境なのかも知れません。 

(話が飛躍しちゃいますが、笑)中東の自然環境だって、そこに根付いたイスラム系の社会構造だって、我々日本人の常識でもって、一概に否定するわけにはいかん、と思うのです。

ところで、よく分かっていない、ということでは、ヒオドシチョウの所でも述べたと思いますし(まだかも知れません)、ある意味モンキチョウでも、イチモンジセセリでもそうなのですけれど、いわゆる普通種ではあっても、未解明の部分が山ほどあるのですね。

例えば、周年発生経過について。別に特殊な種だけではなく、大抵の種について言えると思うのですが、、、、「年何化」と安易に判断して良いのでしょうか? 飼育下ではともかく、野生の状態では、様々な要因が折り入って、意外に複雑な様相を示しているような気がするのです。

移動(長距離/短距離に関わらず)とか、個体数の増減(一つの同一母系集団の世代ごとの個体数だって、ちょっとした圧力のかかり方で、例えば百単位から億単位の間で常にぶれていて、その“ぶれている”ということ自体が「正常である」という)とかの関与の仕方で、カレンダー的な進行をとるとは限らない。

ヒオドシチョウはもとより、大型ヒョウモン類も、夏のはじめに新世代成蝶が出現しているはずなんですけれど、僕はほとんど全く姿を見ていません。9月になって(「9月になればCome September」ボビー・ダーリン1961年の自作曲、歌ではなく本人の弾くピアノ、日本人受けするマイナーな曲調で、日本で独自の大ヒットとなったですね)、どっかに行ってた、あるいはどっかに隠れてた、そしてその間に何らかの事情でもって(特に雄が)ボロボロになった個体が、一斉に我々の前に現れる。

そんなわけで、“9月になれば”入口のアザミに何種もの(ボロ)ヒョウモンチョウ類が、次々とやってくるのです。“そんなに上手く行くわけがない”と思っていた、と先に記したのですけれど、訳は仕組まれていたので、上手く行って当然でもあったとも言えます。

アザミの花には雌もやってきますが、基本は雄なようです。もっともメスグロヒョウモンに関しては、最初 に見た雌は林の中、新鮮な個体です。同じ日(9月19日)、入口のアザミでボロ雄も撮影しました。この場所のアザミでは雄しか出会っていませんが、実は雌もアザミに来ます(ミドリヒョウモンなどでもそうだけれどこの時期の雌は雄よりはやや新鮮)。ただ場所はやや離れていて、丘陵に入って20分ほど進んだ、反対側の入り口の駐車場や簡易トイレの近くの路傍土手に生えるアザミ。ここに多数のミドリヒョウモンやツマグロヒョウモンとともにメスグロヒョウモン雌もやってきます。

一昨日(9月28日)トイレに行こうとそこを通ったら、数頭のメスグロヒョウモン雌が吸蜜に訪れていたので、撮影しました。ふと気が付くと、中に(一見薄汚れて見えた)別の大きな蝶が混じっていました。アサギマダラです。

霞丘陵周辺で出会ったのは、初めてです。この場所と入口の中間付近、運動グラウンド横の尾根道をほぼ毎回歩いていて、そこにヒヨドリバナが群落を作っています。ちょうど今が開花盛期です。アサギマダラは、このヒヨドリバナの仲間(知名度の高い種は秋の七草フジバカマ、同じ連の園芸逸出種アゲラツム=オオカッコウアザミなども含む)が大好きで、この花が咲いていると、必ずのように舞い降りてきます。

秋口になって、アサギマダラが来ているかも、と何度かチェックに来ました、しかしアサギマダラには出会えず、9月8日、ここで最初のミドリヒョウモンに出会ったわけです。その後も何度か訪ねたのですが、いつも来ているのはミドリヒョウモンだけでした。ここにはアサギマダラは居ない、とほぼ結論を出しかけていたのです。

アザミの花の数mほど上を、ふわふわと舞っていました。降りて来て花にとまるのを待とう、と思っていたのですけれど、そのままどこかに行ってしまいました。出来が悪くても写真を撮っておけば良かったです(一枚だけ超ピンボケ写真あり=撮影種数にはカウントしていない)。

いつまで経っても戻って来ないので、飛んでいた地点をチェックしてみたら、藪の中にちっちゃなヒヨドリバナが咲いていた。アサギマダラはヒヨドリバナ一択なんですね。ならば、近くにどっさり生えているわけですから、ここで写せなくても、そこに行けばよい。今頃、きっと沢山のアサギマダラが吸蜜に訪れていることでしょう。

なんと、きれいさっぱり、一株残らず刈り取られていた! 山肌全体がツルッツルです。クロッカスとか、栽培植物が逃げ出して咲いてるものだけが、ぽつんぽつんと残っている。雑草は全て刈り取られてしまっています。むろんヒヨドリバナも。

いや、今回に限ったことではないのです。春以来、霞丘陵一帯(たぶん日本中)どこも同じです。せっかく野草(概ね所謂雑草)が咲き競って、蝶も沢山やってきそうな状況になったと思ったら、そのつどきれいに刈り取られてしまう(逸出園芸植物、およびアザミのような目立つ花を例外として)。

人間が手をかけたものは大切に、勝手に生えてきたものは排除する。分かり易いですね。

いや、もちろん僕だって一応理解できるんですよ。人間にとって利用可能な(必要な)空間は保持、リスクは排除、、、それを全面否定はしません。人間が生活していく上に於いて、ある程度は当然なことでしょうから。

雑草が生い茂ってしまうと、山道も歩けなくなってしまう。「道」を確保し続けるには、年に何度か整備しなくてはなりません。それはそうでしょう。でも、なんだかなあ~、という想いがあります。山道ってのは、常時歩いていれば、整備することもないわけだし。それはともかく、ここまで完璧に丸裸にしなくとも良いのではないかと。

「里山」「雑木林」「山地草原」、、、、それらの存在の持つ意味(由来なども)を、今一度、深く考えてみたいのですね。

この、「アパートの裏山の蝶探索シリーズ」の最初の辺りで、“マルバアオダモ”について取り上げようとして、そのままになっています。凄く大きなテーマなんですよ。それでもって、一歩踏み出すことが出来ないでいる。

関連事項を、断片的に、少しだけ取り上げておきます。

「里山」の概念を、最初に一般メディアを通じて(具体的な作品で)広く紹介したのは僕である、という自負(とまでは大袈裟かも知れんけど)があります(1987年「ギフチョウ」あかね書房)。

里山は、人間によって構成管理され、放っておくと遷移が進んで消滅してしまう、よって常に人為による調節が為されなくてはならない。それは分かるんですよ。里山は人類(ことに日本人)によって為された、自然界における素晴らしい発明です。だからこそ、その根源的な部分(現実の一つ向こう側にある基本的問題)を凝視し続けなくてはならない。

無数の人々が里山について語っています。しかしその思考の出発点は“人間によって構成された「里山」”です。里山が、どのように作られていったかに触れる議論は、僕の知る限り為されていないのではないか、と思われます。

人間がアレンジメントして里山を作り上げ、それを管理し続けることを否定的に捉えるつもりはありません。しかし「里山」の未来を正面から考えるためには、人間が関わることで存在する里山と、人間が関わる以前に存在した里山(それを構成する生物の本来の姿)を、今一度、双方向的な視点から、俯瞰的に捉えて行かなくてはならないと思うのです。

里山の起源、人類が関わる以前の里山の構成要素、それは把握可能な空間ではなく、個々の素材の動きの連動として表現されるものです。例えば急峻な地形、風衝地、河川氾濫源、山火事跡地、年間季節の遷移、、、といった、動きによって齎された“実態なき実態”です。地球の、永劫的な気候の変貌と、それに伴う生物たちの移動と定着の繰り返し。「動き続ける極相」が、その主役であるわけです。

動かすのは人間ではなく、様々な、例外(無意味な事)を本質とした、外的な要素です。

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雑木林を(人間が管理せずに)放っておくと照葉樹林になってしまう、、、と言う事で、ボランティアとかを募集して、疑似里山生活の再現(というか陳列)を行っています。一斉草刈りもその一環ですね。ロープを張って「今、環境保護整備運動中なので、許可なく立ち入らぬように」とか、なんか矛盾したことやっています。

萌芽更新林の維持とか、薪炭林の復元とか、、、それらはウインドウショップの陳列物ではないのですから、 実際の活動の中で結果として生み出されるものです。里山・雑木林・山地草原が「陳列物」としてではなく、人間社会の中軸に成り立っていたのは、そこで実際に生活が行われていたからです。そこには(現代の価値観からすればたぶん)“屑”と見做されるであろうネガティブな要素も大量に混在していたはずです。その「無価値な存在」を無視・排除して、「美しい日本」みたく、いいとこ取りしようとしているのが現在の日本です。

科学・文明の発展による様々な「人類の英知」の御蔭で、里山・雑木林・山地草原とかは、実質お払い箱になってしまっています。それを、綺麗ごとを並べて、形だけ残そうとする。止めちゃえばいいのです。自然は人間のペットではないです。照葉樹林に戻しちゃえば良いのです。

2つの次元に於いて、問題ないです。

好適環境(冷房とか)が完備され、インフラが完備され、医療が完備され、、、、自然の脅威、、、台風、豪雨、猛暑に地震、、、有害ウイルスに、殺人スズメバチ、、、、何だって、人類の英知をもって徹底管理すりゃ良いわけですから。

それと、照葉樹林になっても、里山・雑木林・山地草原、、、は残ります。直接人間の役に立つべく用意された空間ではないけれど、「動き続ける極相」としての素材は全部残る。それが、人(の都合)ではなく、風や日や水によって動いて行くとしても。

科学の発達で、何もかも(冷房とかワクチンとか等々で)コントロールできるんだし、はっきり言って、本物の風とか光とか雨とか、要らないんでしょう? だったら、見世物の様に、「自然の産物」を陳列棚に入れてパフォーマンスに勤しむのは止めて欲しい。

それか、いっそのこと、文明をストップしてしまえば? 里山の生活に戻れば良いのです。それなら僕も大賛成です。

もう一度、そこから考えて行こうと。

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以下はAnother Storyです。

ウラギンヒョウモンについての訳注が必要ですね。

近年DNA解析で、従来の日本産ウラギンヒョウモンは、3種に分けられることになったそうです。具体的なことについては僕は何の知識もないし、それで良いのかも知れないと思いますが、本質的な部分に於いて、違和感を覚えます。

同様に、例えば同じ北半球(ユーラシア)広域分布種のエゾスジグロチョウとか、熱帯広域分布種のキチョウとかも、近年はDNA解析に基づいて、日本産を複数種にしていますね。

しかし、想うところ(この言葉好き!)あって、僕は同意し得ないでいます(少なくとも決定は保留しておきたい)。

この“想うところ”というのは、結構大きな思いです。単に気紛れの思い付きではありません。僕の全人生(大したことないか、笑)をかけての想いです。「コロナ問題」「差別問題」等々、全てに繋がってきます。

と言う事で、「ウラギンヒョウモンの種分割」については、軽々しく書きたくはない、敢えて曖昧な記述をします。

その話とは無関係だけれど、ウラギンヒョウモンにはオオウラギンヒョウモン、エゾスジグロチョウにはスジグロチョウという、東アジアに固有の分類群が存在するわけですね(概念の違いで、姉妹集団ともアウトグループとも位置づけられる)。そのほかのいろんな蝶でも似たような組み合わせが、、、、おっととと、、、止めましょう、そういった話は、紙に書いちゃ真意が消えて価値が無くなってしまいますから。

種の分類(種ほか分類群の分割ないしは捉え方)というのは、いろんな立脚点から光を当てて行くことによって、いろんな異なる事実が浮かび上がってくるのですね。

無数の異なる次元での組み合わせ。体系的な解析が不可能で、俯瞰のみが到達し得る手段。類型は曖昧であってこそ成り立つ、という事です。

まあ、僕が何を言おうとしているか、分かって貰えない事でしょうが、、、。とりあえず僕はウラギンヒョウモンを一種として扱っておきます。別に3種でも良いし、実際(光の当て方次第では)そうなのかも知れないし。でも、問題は、それが事実かどうかという事なのではなく、種というものをどのように捉えるか、と言う事なのであって、、、。

反マスク、反ワクチンが僕の立場なのだけれど、別にそれ自体に反対しているわけではなくて(コロナの脅威自体は認めるし、別にマスクもワクチンも強制されたらします、笑)、それによって為される空気の形成に対する違和感、と軌を一にしている、という事です。

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一昨日の写真。



キチョウの交尾。コリアス草原からモンキチョウが姿を消して久しく、一方、キチョウは(モンキチョウの様に世代によって大量発生することは無くても)ずっとコンスタントに発生を繰り返しているようです。モンキチョウ、キチョウ、それぞれの周年発生経過は、それぞれ興味深いことだらけです。まだ越冬には早い時期なので、このペアはこのあとどう過ごすのでしょうか?



ウラギンシジミ(たぶん非越冬型の)雄。長い間、雄の開翅中の写真が撮れないでいました。飛んでいる時は、翅裏面の銀色が煌めいて良く目につくのですが、、、。止まって翅を開くと、鮮明な赤がかえって枯葉などに紛れ込んでしまうのですね。やっと、目の前で翅を開いた個体をカメラに捉えた。珍しくスムーズに作動しています。何枚もシャッターを切って、その最中、以前のヒカゲチョウの時のように設定間違えたりしてないだろうか、いちど画面チェックしておこうかな?いやまさかそんなことはないだろう、とチェックせずにいたら、その「まさか」でした(笑)。何故か、直前に設定が変わってしまっていて、せっかくの写真が色違いになってしまっていた。あとで補正を施して何とか見れるようになったのですが、本来はもっと鮮やかな赤なのです。それにしても、勝手に設定を変えてしまう(使用者への忖度に基づいている?)カメラには、腹立たしい限りです。







ミドリヒョウモンの求愛と交尾。雌雄とも結構ボロになってから交尾するんだ、、、。親蝶になってから2~3か月は経っていると思うのですが、それまでどこで何をしていたのでしょうか? 当然そのまま拒否し続けるのだろうと思っていたら、ちょっと目を離している間に交尾して、なおかつ、マヌケなことに、蜘蛛の巣に引っかかってしまいました(そこに他の雄が求愛に来て、長い間三頭でジタバタしていた)。やってはいけない事だとは分かっていましたが、(僕は蜘蛛よりは蝶のほうに愛着があるので)解離してあげました。蜘蛛には悪い事をしてしまったです。








ミドリヒョウモン産卵(附:ツマグロヒョウモン産卵)。入口近くの樹液が出る木に隣り合って生えるコナラの木。大型ヒョウモン類の食草はスミレですが、卵を直接食草に産み付けることはしません。ミドリヒョウモンは、高木の太い幹の樹皮に産み付けます。一方、ツマグロヒョウモンは地表の他植物の枯れ枝などに産み付けます(写真下/東京都瑞穂町2021.7.18)。他の各種はどちらのスタイルなんでしょうか?(たぶんミドリヒョウモン・タイプが主流?それにしても、卵が孵ってから食草に辿り着くまで、ずいぶん距離があります)











中国の(日本産と同一種の)大型ヒョウモン各種も紹介しておきます。写真上から、
ウラギンスジヒョウモン/雲南省梅里雪山明永村2011.8.11
メスグロヒョウモン(雄)/広西壮族自治区龍勝県芙蓉村2009.5.20
ミドリヒョウモン/四川省全天県二朗山2010.8.10
クモガタヒョウモン/広西壮族自治区龍勝県芙蓉村2009.5.20
ウラギンヒョウモン/雲南省梅里雪山明永村2011.8.11
*メスグロヒョウモンとウラギンスジヒョウモンは、それぞれ日本産とは雄交尾器の形状が異なります。しかし種としては同一種と考えておきます。





ヒメジャノメ(附:コジャノメ)が現れました。春以来、霞丘陵で見るヒメジャノメ属の種は、全てコジャノメだったのですが(それも非常に多く)、ここにきて初めてヒメジャノメが姿を現しました。本来ならより普通種であるはずのヒメジャノメが、これまで全くいなかった。霞丘陵七不思議のひとつです(あとの6つはこれから考える)。ちなみに、下写真はコジャノメ。4月23日、最初に撮影した個体です。今回撮影した上写真のヒメジャノメは、全く同じ場所(1mも離れていない?)に出現。それも不思議です。


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去年の暮、パソコンが壊れてしまって途方に暮れていた時、友子さんの父上に買って戴いたパソコンを使っています。
>これを使って、昔やっていたように、日本の蝶の写真を写して仕事に結びつけるように。一からやり直しなさい。

その言葉を念頭に置いて、「裏山探索」をスタートしたわけです。

今日は友子さんの60歳の誕生日です。

全く偶然なのですが、昨夜段ボールのひとつを整理していたら、1994年(最初の方で記した松香さんの「カラー・ハンドブック」と同じ年ですね)に刊行した、牧林功・解説/青山潤三・写真の「ポケット図鑑:日本の蝶(成美堂出版)」というのが出てきました。30年ぶりに見ました。

この時、同じ出版社の同じシリーズで「日本の高山植物」も担当していたものですから、僕自身はそちらのほうにかかり切りになっていて、蝶のほうは、友子さんに写真を全部預けて、丸投げにしていたのです。牧林氏は、根気よく写真をピックアップして本を完成したのですね。

日本産全種がほとんど僕一人によるもので(一部借用写真あり)、今思えば、よくもまあこれだけ写せたものと、我ながら感心してしまいます。原版が劣化してしまってはいますが、上手く処理すれば何とか使えるようになると思います。

今回の分と併せ、新旧40年を挟んだ写真で、新たな「ハンディ蝶図鑑」作戦に挑戦してみます。





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