青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

翅の青紋が美しいカラスアゲハについて

2011-08-07 13:17:28 | チョウ




コメント欄にカラスアゲハに関する質問がありましたが、文章が長くなるので、こちらでお答えします。

「ジャコウアゲハのいない島のカラスアゲハは美しくなる」と言うのが、柏原精一氏の説です(詳しくはずっと昔の「月刊むし」に発表された氏の報文をお読みください)。「ハチジョウカラスアゲハ」然り、「トカラカラスアゲハ」然り、「コウトウルリオビアゲハ(和名が間違っているかも知れません)」然り、、、。

一方、ジャコウアゲハのいる、より大きな島、例えば、屋久島や奄美大島や沖縄本島や西表島の集団は、あまり美しいとは言えません。もっとも、上記の島のうち、種としての真のカラスアゲハに属するのは、石垣島・西表島の「ヤエヤマカラスアゲハ」だけで、沖縄本島(および周辺諸島)産はより古い時代に島嶼に隔離され別種段階にまで特化したと思われる独立種「オキナワカラスアゲハ」、奄美大島・徳之島産は、どの地域の集団とも繋がりを持たない(極めて原始的と言って良い形質を持つ)謎の集団「アマミカラスアゲハ」、屋久島・種子島には何故かカラスアゲハがいず、ミヤマカラスアゲハが低地の海岸部まで分布、という図式になります。

ただし大陸部では、この法則は当て嵌まりません。日本海北岸地域から中国大陸の北部にかけての集団は、基本的に日本のカラスアゲハと同じPapilio bianorに所属しますが、西に向かうにつれて翅色(殊に後翅表面の青班)が鮮やかになり、ヒマラヤ周辺地域では、全く別の種として疑問を差し挟む余地のないほど大きく青紋が発達したクジャクアゲハPapilio polyctorとなります。

しかし、中国大陸の西部(四川・雲南など)やインドシナ半島北部(含ベトナム)では、明瞭に鮮やかな青紋が現れる典型クジャクアゲハ的個体から、日本本土のカラスアゲハと左程変わりのない個体まで、変異に富んでいます。もっとも裏面の班紋などの形質から判断すれば、(外観が日本のカラスアゲハに似ていても)系統的にはクジャクアゲハに繋がるようなのです。

とはいっても、♂交尾器の形状には両者間に有意差はないものですから、両者を同一の種に含めるというのが、最近の見解の主流となっています。なお、命名の手続き上からは、日本のカラスアゲハは、クジャクアゲハの一亜種(Papilio polyctor dehanii?)となるものと思われます。

上記したように、中国大陸西部やインドシナ半島北部のクジャクアゲハは、別種のルリモンアゲハやオオクジャクアゲハと見まがうほどに鮮やかな青紋が発達した個体から、ほとんどカラスアゲハと変わらない個体までが混在していて、ここで紹介するサパの集団もそれに準じますが、最も平均的な個体は、ちょうどハチジョウカラスやトカラカラスと同程度の青紋の発達段階にあると言って良さそうです。

むろん、各個体群は、種としては同じカラスアゲハ(クジャクアゲハと言うべきか)に含まれるのですが、それぞれの集団の特徴は並行的に進化(変化)したものであり、直接の血縁的な繋がりはないと、ほぼ断定して差し支えないでしょう。

ちなみにカラスアゲハとミヤマカラスアゲハは、日本産に関しては容易に区別が付きますが、中国大陸産やインドシナ半島産は酷似していて、全体の微妙なプロポーションの差でかろうじて判別が付く程度です。もちろん、交尾器を検鏡すれば、その違いは一目瞭然ですが。

カラスアゲハは、Papilio属を細分すれば、Achillides(亜)属に含まれます。この一群は東アジア~東南アジアに繁栄し、北米やアフリカにも外観上類似した一群が分布しますが、それぞれ直接の系統上の繋がりは有りません。東南アジアに数種が分布するオビクジャクアゲハPapilio palinurusの一群も、通常はAchillidesの一員とされますが、交尾器の構造に共有の特徴は全く見られず、系統上無関係な存在と思われます。ただし、ニューギニア周辺地域に分布するオオルリアゲハPapilio ulysses(及び近縁数種)については、真正Achillidesと何らかの関係を持つものと考えています。

真正のAchillidesは、カラスアゲハの一群とミヤマカラスアゲハの一群に大別することが出来ます(詳細は、小生が1981年に提唱した「旧大陸産アゲハチョウ亜科の外部生殖器構造比較による分類再検討」を参照)。

カラスアゲハの一群には、カラスアゲハ&クジャクアゲハPapilio polyctors、オキナワカラスアゲハP.okinawensis、ルソンカラスアゲハP.chikae(ミンドロカラスアゲハを含む)、カルナルリモンアゲハP.karna、ルリモンアゲハP.paris(数種に分割する見解あり)、および、見かけともかく系統的には上記各種とはかなり離れた位置付けにあると推定されるアマミカラスアゲハP.amamiana(綴りなど自信なし)、それに(別亜群を設置しても良いかとも思われるほど)アマミカラスアゲハ以上に特異な♂交尾器形状を示すタイワンカラスアゲハP.dialisが含まれます。

ミヤマカラスアゲハの一群には、ミヤマカラスアゲハ&シロモンカラスアゲハ(通常「シナカラスアゲハ」と呼ばれますが、僕は和名に“シナ”の名を冠しないというポリシーなので、この名を使用)Papilio maackii(=P. syfanius)、ホッポアゲハP.hoppo、オオクジャクアゲハP.arcturus、タカネクジャクアゲハP.krishinaが所属します。

カラスアゲハの一群とミヤマカラスアゲハの一群には、♂交尾器(外部生殖器)の構造に顕著な相違点があります。なかでも、「ユクスタJuxta」という、Penisを支える板状部分に明確な構造差が認められます。目に見える輪郭部分ではなく、板(ほぼ透明で目視は困難)の中央の盛り上がり状況の差であり図示が難しいため、僕以外の研究者からの指摘は全く成されていませんが、極めて安定した形質で、両群の分類に当たって重要な指標形質となり得るのです。

近年成されたDNA解析によるAchillidesの分類体系が、30年まえに小生が著した♂交尾器の構造比較による分類体系と、ほとんど同じ結果が示されているのは、胸がすく思いでいます。

なお、ミャンマーからアッサム地方に稀産するオナシカラスアゲハP.elephenorについては、♂交尾器の検鏡を行っていないため、所属は不明です。

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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考えるⅣ-2

2011-04-11 10:45:29 | チョウ

★皆さんの地域の選挙結果、いかがでしたか?今日のあやこさんのブログより。


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Ⅲ 幾つかのチョウの分布パターンから・・・続き


C 日本産高等Zephyrus(ミドリシジミ類)



ジョウザンミドリシジミ♂  ジョウザンミドリシジミ♂  ジョウザンミドリシジミ♂


クロミドリシジミ♂     フジミドリシジミ♂     ウラクロシジミ♂


ミドリシジミ♂       ミドリシジミ♀       メスアカミドリシジミ♂




高等Zephyrusの模式分布図 
①ジョウザンミドリシジミ属Favonius

計10数種、うち日本に7種
周日本海型(一部中国西部まで)


高等Zephyrusの模式分布図
②メスアカミドリシジミ族Chrysozephyrus、③ミドリシジミ属Neozephyrus

計100種近く? うち日本に5種
ヒマラヤ-中国西部-台湾型(日本を含む)

高等Zephyrusの模式分布図 
④フジミドリシジミ属Shibataniozephyrus

2~3種
日本・台湾・中国中部型


高等Zephyrusの模式分布図 
⑤ウラクロシジミ属Iratume

1種
日本・台湾型

高等Zephyrusの模式分布図 
⑥エサキミドリシジミ属Esakiozephyrusほか
 
10属前後、数10種? 日本には分布せず
ヒマラヤ-中国西部-台湾型(日本に欠如)



高等Zephyrusの模式分布図 
⑦東アジア産以外の4属

周辺地域(非・東アジア)分布型


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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考えるⅣ-1

2011-04-10 21:23:53 | チョウ
生まれて初めて投票に行ってきました。



選挙投票が国民の義務であると言うのは、まやかしだと思っています。

拒否、というのも、選択肢の一つです。



今回は、やむにやまれず、投票に行きました。

Dr.に一票を入れて来ました。本物であること。僕と共通する考えを持っていること。

本物の条件は、立候補の主眼が我慾ではないことと、思考が一から自分自身の組み立てにより成り立っていること。



外食チェーンやそのまんまが、万が一にでも当選してしまったら、東京都民を即、止めます(日本国民であることも止めたいぐらい)。



NHKラジオで、地震後の情報(放射能)収集を続けているのですが、アナウンサーやリスナーの相変わらず薄っぺらな“平和志向”、日本人であることが、つくづく嫌になって来ます。



この人たちは、“平和”ということの「表裏」を、真剣に考えたことがあるのでしょうか?



“仲良く協力しあって”とか“人類みんな家族”とか“遠くから貴方達の事を思っています、頑張って”とか、言ったもの勝ちの、薄っぺらな言葉の垂れ流し、日本のどうしようもない暗黒部(心地よさそうな言葉の裏側に付随する、無意識のうちの異質・弱者の排除、思想の自主規制)を覗き見て、恐ろしくなる思いでいます。

                                                         青山潤三



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Ⅲ 幾つかのチョウの分布パターンから


A ツマキチョウの仲間


北米大陸を含めた全北区温帯域各地の、種・種群間関係の模式的一例

 
ヒイロクモマツマキチョウ  クモマツマキチョウ
杭州近郊 2005.4.13     西安近郊 1994.4.25




A.bieti   A.scolymus        A.midia
中国大陸西部産      中国大陸-日本列島産   北米大陸東部産
(2005.7.13 中国雲南省にて) (2005.4.26中国陝西省にて) (「Butterflies of the CAROLINAS」
J.C.Danielsからの複写引用)


B アカマダラ属Araschnia 4 種


東アジア産生物の、代表的な4つの分布域に当てはまります。


アカマダラ 春型 北海道    サカハチチョウ 春型 北海道  サカハチチョウ 夏型 兵庫




アカマダラモドキ    キマダラサカハチチョウ            キマダラサカハチチョウ
夏型 雲南       夏型 四川                  春型 杭州

         

日本・中国産アカマダラ属4種/どれとどれが同じ種か分かりますか?



①―⑥⑰⑱ キマダラサカハチチョウ
⑪⑭-⑯⑳ アカマダラモドキ
⑨⑩⑫⑲  サカハチチョウ
⑦⑧    アカマダラ



外観的に見分けるポイントは、前翅前縁中央の白班2個の並び方。


     
アカマダラ    キマダラサカハチチョウ   サカハチチョウ アカマダラモドキ
内側に斜めに傾く 上の班が内側にずれる    垂直       外側に傾く      



翅の模様の印象からは、互いにごく近縁な(一見した限りでは種の分離に疑問を持つ程の)
関係のように感じるが、体の基本形質を最も端的に表現する雄外部生殖器の構造を比較検証すると、4種間には極めて大きな、かつ極めて安定した差があることが分かる。そして、
4つの種の分布域は、東アジアにおける分布様式のひとつの代表例を示している。

詳しくは、拙書『中国のチョウ』(上図引用)を参照されたい。





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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考えるⅢ

2011-04-09 15:00:23 | チョウ


明日は統一地方選挙、県議会議員選挙投票日、皆さん投票に行きましょう。今日のあやこさんのブログより

★このシリーズは、3年前(2008年)の4月に、あや子さんへ個人的に送信した練習用サンプルを、そのまま再利用したものです。

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Ⅰモンシロチョウの仲間の話から(その3)


ビルの谷間のキャベツ畑で


都心のモンシロチョウとスジグロチョウ

↑春のキャベツ畑で♀を探して飛びまわるモンシロチョウの♂
 

キャベツ畑の白いチョウ

今、東京の都心には、2種類の「白いチョウ」が見られます。そのひとつは、誰もが知っているモンシロチョウ。もうひとつは、モンシロチョウに似ているけれど、別の種類のスジグロチョウ。
 
モンシロチョウは、もともとはヨーロッパなどの外国に棲んでいたチョウで、それらの地域から日本へ、野菜、特にキャベツを導入し、栽培するようになったとき、一緒にやってきたのではないかと言われています。モンシロチョウの幼虫は、キャベツのほかに、ダイコン、アブラナ(菜の花)などの葉が好きです。そして、開けた明るい場所を好みます。

 一方、スジグロチョウはモンシロチョウよりずっと昔から、日本(とその周辺地域?)に棲んでいたチョウだと考えられています。モンシロチョウと違い、山の近くや林の中など、人間の生活があまり入り込んでいない、自然がよく残っているところでも暮らしています。
そして、どちらかと言うと、薄暗い環境が好きなのです。




↑線路脇の土手に咲くムラサキハナナ(ショカッサイ、ハナダイコン、オオアラセイトウなどの呼び名もある)の花を訪れたスジグロチョウ。谷間のような地形を作り出した鉄道路線が、スジグロチョウの本来の棲息環境を再現しているとも言えそうです。もちろんそれだけが復活の要因ではありません。1970年前後から、都心に急速に広がった、中国原産の帰化植物ムラサキハナナが、スジグロチョウの幼虫の食草に適していたことも、関連があると思われます。1981.4.12 東京都世田谷区。新代田-東松原間。





東京の町が発展する以前は、あちこちに丘や谷(谷戸)があり、森や林も、思いのほか豊富だったようです。そのような環境に、スジグロチョウも数多く棲息していたと思われます。
 しかし、東京に人口が集中するにつれて、郊外の丘や林は切り開かれ、耕作地になったり住宅地になったりしていきました。耕作地にはキャベツ畑や菜の花畑が広がり、単調な環境と化していったのです。
 このような場所は、開けた明るい空間が好きなモンシロチョウにとって、願ってもない環境だったのでしょう。明るい場所を好まないスジグロチョウは減り、かわりにモンシロチョウがどんどん増えて、より身近なチョウになっていきました。


戻ってきたスジグロチョウ 

ところが20世紀の後半になって、東京の町の様子が、大きく変わってきました。もちろん、一昔前も、民家などの人工物が数多く建っていましたが、土地の再開発のために、高層ビルが取って代わり、どんどん立ち並ぶようになっていったのです。
 林立する高層ビルは日陰を作り、ビルとビルの間は、谷間となります。まるで巨大な山や、深い渓谷の出現です。それだけではありません。町の中を縦横に走る道路や鉄道路線は、谷間を流れる川の役割をしているともいえそうです。
 空き地や畑のように、広く開けた空間が町から少なくなると、明るく開けた環境が好きなモンシロチョウは、暮らし難くなってきました。それに、畑には繰り返し農薬がまかれて、チョウの発生も押えられます。そんなとき、一度勢力を弱めたかに見えたスジグロチョウが、復活してきたのです。
現在、都心の高層ビル街の真っ只中で見かける白いチョウは、ほとんどがスジグロチョウのようです。しかし問題は単純ではありません。というのは、モンシロチョウが町から姿を消したわけではないからなのです。郊外の田畑や、開かれて間もない住宅地などには、まだまだモンシロチョウのほうが多く見られます。
 さらに、町の中でもクレオメの植えられた庭や、ビルに囲まれた小さなキャベツ畑などでは、両種が入り混じって飛んでいて、同じ花の蜜を仲良く吸っている場面にも出会います。
そのような場所で、両種は全く同じ空間で暮らしているのでしょうか? 吸蜜後の2種を追ってみることにしました。すると、モンシロチョウは、空地や日の当たる道路の真ん中を飛んで行きます。一方、スジグロチョウは、建物や樹木で出来た日陰に沿って飛んで行きます。一見、同じ所にいるように見えても、詳しく観察すると、それぞれが別の空間を利用し生活していることが分かります。







ビルの谷間のキャベツ畑で

モンシロチョウとスジグロチョウの違いは、利用する空間の違いだけではありません。利用空間の差は、行動様式にも反映され、顕著な差となって現われます。例えば、産卵様式ひとつをとってみても、2種の間に、明確な違いが認められます。
 6月下旬の数日間、東京都世田谷区のキャベツ畑の周辺で、モンシロチョウとスジグロチョウの産卵様式の違いを観察してみました。
 キャベツ畑の南側は車道、東側はスーパーの駐車場、西側は5階建てのマンション、北側は植え付け前の畑です。西側にマンションがあるため、午後になると西のほうから陽が翳ってきます。畑には、三列に並んだ合計108個のキャベツが植えられており、その横にはダイコンが数本残っていました。






調査を行ったのは、1992年6月27日と28日。108個のキャベツと、5本のダイコンに産み付けられた2種の卵を、かたっぱしからカウントしてみたのです。
 キャベツから見つかったモンシロチョウの卵の数は、全部で2519個、最も遅くまで陽の当たる、東の縁の一列に集中して生み付けられていました。
キャベツからはスジグロチョウの卵も見つかりましたが、数は全部で43個、モンシロチョウに比べれば遥かに少なく、そのほとんどが、キャベツの最も外側の、古くて大きな葉に産み付けられていました。
 傍にあった、収穫され残った5株のダイコンの葉には、スジグロチョウの99卵に対して、モンシロチョウは98卵が、産付されていました。モンシロチョウも、キャベツに比べてダイコンが嫌い、と言うわけではなさそうなのですが、スジグロチョウは、明らかにダイコンを好んでいることが分かります。
 ダイコンの葉の付いている地上部分は、陽の当たる部位と日陰の部位が、同じくらいあります。一方のキャベツは、全体的に陽が当たり易い形状です。スジグロチョウにしてみれば、
日当たりの良いキャベツの葉に日影を探すより、常に適度な日陰を作り出すダイコンの葉に産卵するほうが、能率が良いのでしょう。モンシロチョウにとっては、明るいところにありさえすれば、キャベツでもダイコンでも問題はないものと思われます。




 





食草による好き嫌いは?

 モンシロチョウやスジグロチョウの食草は、アブラナ科。モンシロチョウが好むのは、キャベツを始め、アブラナの仲間(カブ・ハクサイ・コマツナほか)やダイコンなどの、栽培種(=アブラナ科の蔬菜)。一方のスジグロチョウは、ダイコンなどの蔬菜も食しますが、イヌガラシを始めとした野生植物が中心です。
 栽培種も野生種も、含まれている成分には、さほど差がないようです。その証拠に、スジグロチョウの幼虫にキャベツを与えて飼育しても、モンシロチョウの幼虫にイヌガラシを与えて飼育しても、同じように成長していきます。
 2種のチョウの食草に対する好き嫌いの原因は、食草そのものの姿や、食草の生えている環境条件に因っているものと思われます。キャベツのような蔬菜は、ふつう明るく開けた空間に栽培され、モンシロチョウの嗜好と一致しますし、イヌガラシのような在来種の多くは、路傍や建造物周辺の、やや暗い環境に成育し、スジグロチョウの嗜好と一致します。近い仲間のチョウでも、微妙な環境の違いを使い分け、同じ都心の一角に共存しているのです。



以上、『チョウが消えた!?』(6頁から37頁までの、主に山地性稀産種についてを原聖樹氏が、38頁から63頁までの、主に都市近郊の普通種についてを青山が執筆)から、モンシロチョウとスジグロチョウの話題に関する部分(P.48-59)を、『ビルの谷間のキャベツ畑で』の仮タイトルを付けて抜粋)。原文の文体を改め、語句を整え直してあります。児童書であり、因果関係の解明(というよりも“辻褄あわせ”)が要求されるこのような内容の作品は、正直言って、僕の好みではありません(書き写していて、気が重くなってきます)。

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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考えるⅡ

2011-04-08 09:26:26 | チョウ

昨夜も東北地方で震度6強の余震がありました。この余震はいつまで続くのでしょうか。早く平常な状態に戻ってほしいです。

★このシリーズは、3年前(2008年)の4月に、あや子さんへ個人的に送信した練習用サンプルを、そのまま再利用したものです。

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Ⅰモンシロチョウの仲間の話から(その2)

エゾスジグロチョウという蝶~分類・学名・和名などについての基本認識



最初に学名が付けられたチョウ ヨーロッパのモンシロチョウ類3種


地球上の生物全てに、生物学的な分類体系の確立を念頭において、万国共通の名前をつけようとしたのは、リンネです。彼はヨーロッパの人ですから、最初に発表された1758年の論文には、ヨーロッパ全土でごく普通に見られる生物たちが選ばれました。

モンシロチョウも、オオモンシロチョウも、エゾスジグロチョウも、それらの一つというわけで、同じ1758年に、同じ学会誌に発表されています。

3種のうち、ヨーロッパにおいて最もポピュラーなのは、オオモンシロチョウです。日本語の和名に相当する現地名(Common Name)では、オオモンシロチョウが“キャベツ白蝶=Large WhiteまたはCabbage White”、モンシロチョウが“小さなキャベツ白蝶=Small WhiteまたはSmall Cabbage White”(注:アメリカでは、モンシロチョウが“Cabbage White”)、エゾスジグロチョウが“緑脈白蝶=Green-veined White”または“芥子白蝶=Mustard White”となります。
 

オオモンシロチョウ 中国雲南省


学名とは?

学名は、ラテン語です。学術的には、これが基本となりますが、一番最初に付けられた名前、と言うわけではありません。モンシロチョウ類3種のように、ポピュラーな種では、大抵の場合、それぞれの地域における一般名が、それ以前から存在しています。

学名は、属名Genus+種名Speciesで構成され、2名法と呼ばれます。姓と名みたいなもの、と思ってください。属の上には族Tribe(日本語の発音は属と同じ、植物の場合は連ともいう)、人間で言えば、さしずめ属が家族、族は一族でしょうか? その上には科、英語ではFamilyですが、上の例えでいくと、国民ということになりましょう。

さらに目Order、綱、、、、と続きます。その間には、亜目、亜科、亜族、亜属(どれも頭にSubがつく)などがあり、 節Section、亜節、系Series 、群Group、類、なども、臨機応変に使われます。さらに、種の下には、亜種Sub-species、変種Variatus、品種Form(後2つは、学術上は植物のみに適用)などがあります。

これらの分類群の単位は、属、種と違って、学名を構成する時に、使用されることはありません。

属や種をきちんと特定しておくことは、それぞれの生物を調べていくにあたっての出発点ともいえる、科学的に非常に大事な事柄なのですが、それに囚われてしまっては、困ります。分類群の特定は、あくまで取っ掛かりなのであって、結論ではないのです。

蝶のほとんど全て属名は、1758年にリンネが最初に発表した時には、Papirio (パピリオ)でまとめられていました。模式種はキアゲハ。ヨーロッパでは、最も派手で目立つチョウですから、いの一番に記載がなされたわけです。モンシロチョウ類3種も、同じPapilio属の種として同時に記載されました。

その後、属はどんどん細かく分割されるようになり、今はチョウだけでも膨大な数の属が記載されています。モンシロチョウ類3種も、キアゲハと分離されましたが、Papilioの模式種はキアゲハですから、別の属でなくてはいけません。そこで1801年に、オオモンシロチョウを模式種としたPieris(ピエリス)属が設置されました。


モンシロチョウの仲間は植物の一種?

学名の命名は、もちろん植物の場合も、同様に成されています。

ただし研究システムの違いから、命名に際しての法則などは、動物の場合とは別個に定められているのです。例えば、同じ対象に複数の名前を付けることや、同じ名前を別の対象に付けることは、動物の命名においても、植物の命名においても等しく禁止されているのですが、動物と植物の間においては、その限りではありません。

 
↑中国広西壮族自治区産アセビの花と葉(屋久島産とよく似ています)

そんなわけで、植物にもPierisという属があります。

ヨーロッパの人たちにとっては余り馴染みがないでしょうが、私たち日本人には身近な植物のひとつである、アセビ属です。蝶と樹木ということで、実質的な混乱の心配はほとんどないと言えども、ともにポピュラーな存在ゆえ、紛らわしいには違いありません。

さらに紛らわしいことに、日本産のアセビは、Pieris japonica、そして、エゾスジグロチョウの本州~九州産亜種は、Pieris napi niphonica(最後の語句が亜種名、付けても付けなくても学名として通用し、植物の場合は、亜種を意味するssp.を頭に付す)です。

これが、もし独立種(その可能性は充分あります)なら、日本本土産のエゾスジグロチョウは、アセビと更に紛らわしいPieris niphonicaになってしまいます。


分類に対しての姿勢、“守旧派”と“改革派”

学名に関する混乱の話題を、もうひとつ。

1801年に、モンシロチョウ属Pierisが設置されてから今に至るまで、モンシロチョウもエゾスジグロチョウも、疑いもなくPierisの一員とされ続けて来ました。ところが、20世紀も後半になって、その処遇に疑問を投げかける研究者が現われたのです。モンシロチョウやエゾスジグロチョウと、Pierisの模式種であるオオモンシロチョウとの間には、体の基本構造などに明確かつ安定した差異がある(重要な分類指標形質である雄の生殖器の構造が大きく異なり、後者の幼虫は青虫でなく毛虫、しかも集団で生活する、等々)として、両者は別属に分けられるべきである、という主張です。

その考えに基づけば、Pierisとして残るのは、オオモンシロチョウと、アフリカのアビシニア高地に隔離分布するスジグロオオモンシロチョウの2種のみ、モンシロチョウやエゾスジグロチョウを含む、ほかの大多数の種には、別の属名を与えねばなりません。

エゾスジグロチョウを模式種として設置されていた亜属Artogeiaを属に昇格させ、それに従う研究者も少なくありませんでした。提唱した学者が、ヨーロッパのチョウ分類界の大御所でしたし、なによりも納得の行く提唱でもあります。しかし、永い間慣れ親しんできたPierisの名が、モンシロチョウやエゾスジグロチョウに使えなくなるのは、判然としない思いが残ります。反対意見は、大きく分けて、次の2つ。

分類に対して保守的な人々は、基本構造や幼虫の生活様式が異なっても、チョウ自体の外観は違わないのだから、分けるのは反対、と考えます(モンシロチョウの仲間を集める人などは余りいないでしょうが、いわゆるコレクターはこの立場)。

もうひとつは、基本形質が異なり、属の分割が妥当であることは認めるとしても、モンシロチョウやエゾスジグロチョウの属名を、Pierisから他の名に移すことに関しては、チョウ自体が極めてポピュラーな存在であり、それらがPierisに属するとされてきた歴史の長さや一般への普及度を考えれば、いまさらの変更は、生物学の世界に留まらない範囲で混乱を引き起こす恐れがある。

そのような場合においてのみ適用される、命名規約上の原則に反した例外的処置もあるのだから、ここは変更するべきではないのでは、と言う意見です。

僕の見解は、上の2つとも異なります。実は、オオモンシロチョウの基本的な形態や生態は、モンシロチョウやエゾスジグロチョウのそれと変わらない、と考えるのです。

確かに、雄の生殖器の形状や、幼虫の姿は、モンシロチョウやエゾスジグロチョウを始めとした、他の(広義の)Pieris属の種との間に、(一般的に考えれば、当然属を分けて然るべき)大きな差があります。しかし、それは根本的な次元での違いなのではなく、2次的な変化なのではないかと。

一般には、雄交尾器は、翅の色や模様と違って、外部との関わりにおいて簡単に変化することはない、と考えられています(僕自身もその立場に立ちます)。

近い仲間同士の間には、大きな差異は生じません。明確な相違があれば、血縁の離れた、別属の種であることが多いのです。しかし、部位によっては、比較的形質の変化の速度が速いこともある。オオモンシロチョウの雄交尾器の形は、確かに他の(広義の)Pierisのそれと顕著に異なりますが、そこは変化のしやすい、かつよく目立つ部分。

それ以外の部位は共通しています。具体的なことは、拙書「中国のチョウ~海の向うの兄妹たち」に記していますので、興味のある方はそちらをご覧下さい。

“種”は極めて多元的で、あらゆる要素が作用しあって成り立っています。それを体系的に整理する分類という行為は、常に動的かつ謙虚な姿勢で、幅広い視野から見渡すことの出来る立脚点に立たねばなりません。簡単に結論を求めるものではないのです。



菜の花と対で名付けられたモンシロチョウ属3種の種名

属名についての薀蓄ばかり述べてきて、種名に触れるのを忘れていました。オオモンシロチョウはbrassicae、モンシロチョウはrapae、エゾスジグロチョウはnapi。いづれも“菜の花”の学名の一部です。アブラナの学名がBrassica rapa、セイヨウアブラナの学名がBrassica napus。ちなみにキャベツもBrassica属で、ダイコンはごく近縁のRaphanus属。

3種ともリンネが最初に刊行した1758年の論文に記載されているわけですが、オオモンシロチョウが属の模式種となっているのは(確かめてはいないので本当の理由は別にあるのかも)、アルファベット順に一番早い頁に来たことと、関係があるのかも知れません。

同様に、もしモンシロチョウとエゾスジグロチョウの属名にArtogeiaが充てられるとした場合にも、NのほうがRより先なので? 模式種はエゾスジグロチョウ。なかなか、正式に“モンシロチョウ属”とは、させてくれないのです。










日本と中国のモンシロチョウ類

と言うような訳で、ヨーロッパには3種のポピュラーなモンシロチョウ属の種がいるのですが、日本にも、やはり3つのポピュラーなこの属の種がいます。モンシロチョウ、スジグロチョウPieris melete、エゾスジグロチョウの3種。このほか、対馬に、タイワンモンシロチョウPieris canidiaが在来分布しています(最近、八重山諸島にも台湾から侵入定着)。

ちなみにオオモンシロチョウは、中国までは自然分布し、日本には分布していません。ところが最近になって、おそらくは輸入キャベツにくっついてきたのだと思われますが、北海道に侵入したのです。食草のナノハナやキャベツはいくらでもありますし、元々生活力旺盛なオオモンシロチョウのこと、瞬く間に定着してしまったようです。

中国の各地にも3種がセットで見られます。こちらは、モンシロチョウ、エゾスジグロチョウ、タイワンモンシロチョウ(エゾスジグロチョウを中国固有の独立種、チュウゴクスジグロチョウPieris eritraとする見解も)。タイワンモンシロチョウは、アジアの南寄りの地方に広く繁栄し(ただし、北は中国北部や朝鮮半島まで分布)、中国の各地では都市周辺などにも多く見られます。ヨーロッパにおけるオオモンシロチョウの生態的地位を占めているように思われます(中国には、地域は限られてはいますが、オオモンシロチョウも在来分布)。



 

“〇〇の来た道”“氷河時代の生き残り”は、まやかしの言葉

ついでに、言っておかねばならない重要なことを一つ。よく、“〇〇の来た道”と言う表現がなされます。

しかし、北海道のオオモンシロチョウのような帰化生物の場合はともかく、在来の生物の由来は、そんなに単純ではありません。安易に“やって来た”と表現するのは、非常に問題があるのです(ちなみに、“氷河時代”という、せいぜい10万年前後の時間単位は、生物の種の形成の歴史にとっては、ごく最近のことです)。日本の在来分布種の多くは、“行った・来た”とは別次元の、種の成立に関わる何100万年という単位の、時間と空間と生命の鬩ぎあいを繰り返しつつ、今に至っているのです。これ以上突っ込むと、話がこんがらがってくるので止めますが、このあと僕の話す内容の全てに関わってきます。

“どこから来たか”という次元で捉えることは、頭の中から捨てて考えていただければ幸いです。

なお、日本のモンシロチョウは、一応在来種として扱いましたが、元々はそうではないかも知れません。オオモンシロチョウ同様、しかし遥かに古い時代に、蔬菜類に混じってやって来た可能性が高いのです。アメリカにモンシロチョウが侵入したのは、1860年代である、という調査が成されています。日本の場合は、それよりもずっと前の時代と考えられていますが、具体的な年代については分かっていませんし、そもそも、日本に在来分布せず古い時代に侵入帰化した、ということに対する確証もありません。


都市に繁栄する日本産の2種

日本産の3種は、いずれも北海道の北端から九州の南端近くまで広く分布しています。最も繁栄しているのは、最も後からやってきたと思われるモンシロチョウで、耕作地のキャベツやダイコンなどを主な食草とし、全国津々浦々、普通に見ることが出来ます。ただし、人里から遠く離れた山間部では、他の2種より個体数が少なくなることが普通です。

もうひとつ例外があります。大都市、ことに東京の都心などでは、モンシロチョウよりもスジグロチョウのほうが、勢力を誇っているのです。都心のビル街の周辺では、モンシロチョウの姿はあまり見かけず、そこで見られる白いチョウは、大抵がスジグロチョウです。

ビルの谷間の路地には、スジグロチョウの好むイヌガラシなどの野性アブラナ科が生えていますし、鉄道路線には、中国の深山から移入帰化した、ムラサキハナナが群落を作っています。都心にスジグロチョウ、近郊にモンシロチョウ、山際で再びスジグロチョウという構図です。

スジグロチョウは本来、山際の森林の周辺の、地形的に起伏に富み、日影と向陽地が入り組んだ環境に棲息しています。日本特有の植生環境である、雑木林およびその原型としての中間温帯林(重要な概念なのですが、話が複雑になってくるので、機会を改めて説明します)をバックボーンに、種形成された生物だと考えられます。都会の、ビルの谷間や、鉄道路線周辺は、いわば、彼らの“ふるさと”を再現した環境なのです。
と言っても、実際には多くの地域で、モンシロチョウとスジグロチョウが共生しています。
その現場で実態を比較観察すると、それぞれの種の持つ性格が、浮き彫りになってきます。

拙著『チョウが消えた』(あかね書房1993年、原聖樹氏との共著)に、世田谷区内のキャベツ畑で観察した、モンシロチョウとスジグロチョウの比較結果を紹介しています。畑の中のキャベツやダイコンの位置ごとに、生みつけられた卵の数をカウントしてみました。日陰が形成される場所や時間に伴って、あるいはキャベツやダイコンの葉の位置ごとに、産み付けられた卵の数が明確に異なってくるのです。興味のある方はご覧下さい。

→[その③で紹介]ビルの谷間のキャベツ畑で~モンシロチョウとスジグロチョウ(於・東京都世田谷区)







新神戸駅のプラットホーム周辺を舞う蝶は、スジグロではなくエゾスジグロ

話を戻します。古参のスジグロチョウ、新入りのモンシロチョウという構図に、ここに、もうひとつ、そのエゾスジグロチョウが絡んできます。スジグロチョウのように、日本だけに棲む“原始的”な種でも、モンシロチョウ(やオオモンシロチョウ)のように、最近になって世界中に分布を広げた、“成り上がり”的な種でもなく、以前から世界の広い範囲に分布し続けていた、真っ当な、というか、平均的な種。言わばピエリスの本家本元といってよいでしょう。

エゾスジグロチョウという長い名前から察しが付くとおり、日本においては、身近さで他の2種に明らかに劣りますし、蝦夷すなわち北海道を始めとする寒い地に棲むことが分かります。北海道では平地にも棲息していますが、本州では山のチョウとなり、九州などでは分布域が限られてきます。

しかし、実態はそんなに単純ではありません。例えば、先に東京の都心で繁栄するスジグロチョウの話をしましたが、京阪神圏では、市街地でスジグロチョウの姿を見ることは稀です。その反面、首都圏ではかなりの山奥に行かねば見ることの出来ないエゾスジグロチョウが、意外に身近な地に棲息していたりします。例えば、新神戸駅のプラットホーム周辺で見ることが出来るのは、スジグロチョウではなく、エゾスジグロチョウのほうです。

東京と関西では、両種とも(あるいはどちらか一方の)性格が異なるのかも知れません。それはともかくとして、北海道のエゾスジグロチョウと本州~九州のエゾスジグロチョウは、違う種なのでは、という見解もあります。そうなると、日本には3つの“スジグロチョウ”がいるということになりますが、余りに複雑にしてしまうと、以降の話がスムーズに進められなくなってしまう恐れがあるので、これ以上踏み込むのはやめておきましょう。

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは本当に別の種なのか?

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは、全く別の種、という論点で書き進めてきましたが、両種の関係は非常に複雑で、日本のチョウの中で、区別が最も困難なペアでもあります。実のところ、100%を正確には見分けられない。鱗粉の特殊化した発香鱗の形状に差があるとも言われますが、それも定かではありません。♂交尾器の形状も、傾向的な方向性は見てとれる(僕には大体見分けが付く)のですが、絶対的なものではありません。

では、同じ種なのか、と言うと、(具体的な理由については)詳しくは省略しますが、明らかにそれぞれが別の種として存在するのです。稀に交雑する(その子孫はどちらの種からも区別不可)ことはあっても、総体的には混じりあうことなく、それぞれが独立の集団として機能しています。
ちなみに、最も分かり易い区別点は、♂の香り。モンシロチョウはほぼ無臭、エゾスジグロチョウは弱い香りを発し、スジグロチョウは、ある種の香水やトイレの匂い消しにそっくりな、強い薫りを発します。

実は「人里の生物」こそ、本当の“生きた化石”

一番新しく日本にやってきた(モンシロチョウの場合はこの言葉を使っても大丈夫だと思う)モンシロチョウが、都市周辺で一番繁栄しているかといえば、必ずしもそうではなく、日本にしかいない可能性の強い(これだけポピュラーな生物なのに、朝鮮半島や中国に分布する集団との比較は、詳しくは成されていません)、ということは極めて古い時代に日本で種形成された可能性が強いスジグロチョウが、都市部で最も繁栄しているというわけです。

このような現象は、なにもスジグロチョウに限ってのことではありません。スジグロチョウの場合は、日本固有種といっても、後に述べるようにエゾスジグロチョウとの関係(ことに朝鮮半島など日本海対岸地域産)との関係が微妙なのですが、明らかな日本固有種の、ある意味では現在日本に棲む生物の中で最も原始的な種のひとつと言ってもよい、ヒカゲチョウ(別称ナミヒカゲ、日本産の二百数十種のチョウ類のうち、唯一海外に“兄妹”とも言える近縁種さえ存在しない)やサトキマダラヒカゲも、都心部で繁栄しています。

また、アゲハチョウの仲間では、広くヨーロッパから北米にかけて分布するキアゲハでも、アジアの南部から北上しつつあるといわれている(疑問あり)モンキアゲハやナガサキアゲハでもなく、東アジア固有の、それも他の同属各種から孤立した血縁関係にあると思われる、アゲハチョウ(別称ナミアゲハまたはアゲハ)が、都市的環境との結びつきが最も強いのです。

僕が“スジグロシロチョウ”と呼称しない理由

少し話がそれます。読者の皆様の中には、スジグロチョウ、エゾスジグロチョウではなく、スジグロシロチョウ、エゾスジグロシロチョウと呼ぶのが正しいのではないか?と疑問をお持ちの方が、いらっしゃるのではないでしょうか? 本を出版した時など、はっきりと「間違いだ」と指摘されることもあります。どうでもいいことのようにも思われますが、将来の日本の教育方針のあり方として、由々しき問題とも考えるので、僕の見解を述べておきます。

スジグロチョウ(筋黒蝶)の名は、モンシロチョウ(紋白蝶)、ツマキチョウ(端黄蝶)、ツマベニチョウ(端紅蝶)といった名とともに、20世紀の後半、おそらくは1970年代頃まで、ずっと使われ続けてきました。

学名と違って和名には命名権といったものがないので、どの名前を使わねばならないという規制もなく、理屈上は各自が自由に呼び名を付けてもよいのでしょうが、それでは意思の疎通が図れません。そこで、いわゆる“標準和名”というのが存在することになります。例えば、“ぺんぺん草”ではなく“ナズナ”が正しい名前、と言われたりしますが、“ぺんぺん草”の名が“正しくない”というわけではありません。もとより、身近な植物や昆虫に対しては、地域ごとに無数とも言えるほどの名前があって、それぞれが、どれも正しいのです。しかし、多くの日本人が共通の話題とするにするには、できれば統一された名前があったほうがいい。といって、学名のような必須手続きや、そのための管理機構などはないので、結果とし、最も一般に流布している名が、(ほぼ自動的に)標準和名となるわけです。

複数の名が存在するときに、どのようなものが選ばれるかは、一概には言えません。その折々の情勢次第、一言でいえば、力関係でしょう。はじめ“ダンダラチョウ”と呼ばれていたものが、新たに“ギフチョウ”と名付けられ、いつのまにか標準和名になってしまったことなどは、その好例です。岐阜県にしかいないわけではない(秋田県-山口県に分布)のに“岐阜蝶”はおかしいではないか、元からあった“ダンダラチョウ”でよいのではないか、と疑問を挟んだところで、定着して長い時間が経った今となっては、手遅れです。由来(最初の総合的な研究が、岐阜の研究者により岐阜でなされた)はともかく、岐阜とは無関係に“ギフチョウ”という固有名詞として人々に認知されてしまっているわけですから。

他にも、できることならば残しておきたかった、惜しい名前が数多くありますが、今となっては致し方がない。統一しきれずに、現在でも二つ以上の和名が並立している例は、植物では数多くあります。チョウの場合は、ほとんどが統一されてしまっていて、今だ2つの名が並立しているのは、ウラミスジシジミとダイセンシジミぐらいでしょう(説明的に過ぎる“裏三筋”よりも、僕の個人的好みでは“大山”、全国分布する種に山陰地方の“伯耆大山”を充てるのは、いくらなんでもという気がしますが、でも、その突拍子なさが楽しい)。

和名は学名のように、決定的な約束事がないわけですから、学名と違って、システィマティックには構成されていません。システィマティックに物事を進めて行くということは、いかにも合理的で、便利なように思われるのですが、それに囚われすぎると、破綻をきたしてしまうこともあるはずです。もとより生物という存在は、システィマティックな世界の対極 に位置付けられるといって好いでしょうから(そう思わない研究者も多いでしょうけれど)。

それはともかく、和名のもつ第一の意義は、対象を分かりやすく示すことのはず。辻褄は合わなくとも、あるいは統一がとれなくとも、その言葉の響きの持つ印象によって、対象の実像をより的確に伝えることが出来ればよいのです。

ところが、愛好家や研究者の中には、和名も学名同様に、厳密に定義し、システィマティックに整えていこう、と考える人が少なくありません。極端な例では、和名も学名の種小名を冠して呼ぶべき、という動きもあります。

モンシロチョウは“ラパエシロチョウ”、クロアゲハなら“ヘカベアゲハ”。。。。それがより科学的な姿勢であると。しかし一見合理的に見えても、決してそうではないのです。研究者によっては、モンシロチョウをrapae でない、クロアゲハをhecabe でないとすることも、充分にあり得るわけですから、支持される見解が代わるごとに、その都度和名も変えて行かねばならなくなります。

そのような例は極端としても、ほかの意見も似たようなものです。一番納得し難いのが、 語尾を統一しようとする動き。これまでもいろんな機会に反論を述べてきた、野性アジサイについての例で言えば、アジサイ属の種はすべからく語尾をアジサイで統一しよう、といった動きです。ゴトウヅルはツルアジサイ、ヤクシマコンテリギはヤクシマアジサイ。意味がよく分からないもの、ほかと違っているものを排除していこうとする方向性、それが日本の科学の世界、教育の世界の現状なのです。

ちなみに、野生アジサイのなかでも属が異なるとされている(したがって多くの人々は、それを野生アジサイの一員だとは認識していない)イワガラミに関しては、誰もアジサイの語尾を付けようとは提唱しない。しかし、本質的にはアジサイ属の各種と何ら変わることはなく、近い将来、アジサイ属に編入されてしまう可能性も少なくありません(今それぞれの生物に充てられている属の帰属は、学術上、絶対的なようで、実際の根拠は脆弱極まりない場合が多いのです)。きっと、そのときになれば、和名も変えようとするのでしょう。

魅力的な和名が、どんどん失われていきます。タレユエソウは(最初に発見された場所から)エヒメアヤメに、アカマンマは(他のタデ属の種と同じに、ということで)イヌタデに。

これらの例は、かなり早い時期に今の和名が定着してしまっていますから、今となっては古くからある名に戻すのは難しい。ただし、まだ生き残っている、例えば同じタデ属のママコノシリヌグイ、これを将来「〇〇タデ」とするとなれば、断固反対しなくてはなりません。
生物は多様であり、不可解であり、よって理解不能のユニークな名が付けられていてこそ、本懐だと思うのです。なし崩し的に統一へと向かう、異質を排除する、日本の(無意識的な)社会の方向性には、どうしても組みし得ないのです。

極論すれば、和名の決定条件は、力関係でしょう。しばしば高名な研究者の鶴の一声で決まってしまいます。あるいは、大手出版社の都合で決まったりもします。しかし、何よりも影響力があるのは、教科書です。これに採用されれば、絶対的。それ以外の表現は、全て“間違い”とされてしまうのです。

スジグロ“シロ”チョウも、どうやら教科書に載るようになって(そのきっかけは高名な研究者の提言ですが)、唯一絶対無二の名前となってしまいました。黒チョウではなく白チョウだから、これまでのようにスジグロチョウと呼ぶのは、間違いということらしいのです。

 でも、それを言うなら、ツマキチョウはツマキシロチョウでなくてはなりませんし、ツマベニチョウもツマベニシロチョウでなくてはなりません(冗談ではなく、いつかそうなってしまうかも)。やや趣旨が異なりますが、モンシロチョウもモンクロシロチョウでなくてはならない(さすがにそれはないでしょうが)。

それを言い出せばきりがない、ほとんどの和名を組み替えねばならなくなってしまいます。
それ以前の問題として、前にも言及した、研究者による種や属や科の帰属見解の相違あるいは変革、シロチョウの仲間とされていた種が、実はキチョウの仲間だった(有りえます)とした時など、その都度、和名を変えていかねばならなくなるのです。
たかが生物の呼び名のことなど、些細な問題かもしれません。しかし、単に名前がどうの、といった問題でもないのです。日本の文化の姿勢に関わる、日本人の、人間としてのあり方(例外を排除していくという無意識の方向性)に繋がる次元の問題だと思っています。

エゾスジグロシロチョウ、この舌をかみそうな和名を、僕は断じて使いません。

新神戸駅のプラットホーム周辺を舞う蝶は、スジグロではなくエゾスジグロ

話を戻します。古参のスジグロチョウ、新入りのモンシロチョウという構図に、ここに、もうひとつ、そのエゾスジグロチョウが絡んできます。スジグロチョウのように、日本だけに棲む“原始的”な種でも、モンシロチョウ(やオオモンシロチョウ)のように、最近になって世界中に分布を広げた、“成り上がり”的な種でもなく、以前から世界の広い範囲に分布し続けていた、真っ当な、というか、平均的な種。言わばピエリスの本家本元といってよいでしょう。

エゾスジグロチョウという長い名前から察しが付くとおり、日本においては、身近さで他の2種に明らかに劣りますし、蝦夷すなわち北海道を始めとする寒い地に棲むことが分かります。北海道では平地にも棲息していますが、本州では山のチョウとなり、九州などでは分布域が限られてきます。

しかし、実態はそんなに単純ではありません。例えば、先に東京の都心で繁栄するスジグロチョウの話をしましたが、京阪神圏では、市街地でスジグロチョウの姿を見ることは稀です。その反面、首都圏ではかなりの山奥に行かねば見ることの出来ないエゾスジグロチョウが、意外に身近な地に棲息していたりします。例えば、新神戸駅のプラットホーム周辺で見ることが出来るのは、スジグロチョウではなく、エゾスジグロチョウのほうです。東京と関西では、両種とも(あるいはどちらか一方の)性格が異なるのかも知れません。それはともかくとして、北海道のエゾスジグロチョウと本州~九州のエゾスジグロチョウは、違う種なのでは、という見解もあります。そうなると、日本には3つの“スジグロチョウ”がいるということになりますが、余りに複雑にしてしまうと、以降の話がスムーズに進められなくなってしまう恐れがあるので、これ以上踏み込むのはやめておきましょう。

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは本当に別の種なのか?

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは、全く別の種、という論点で書き進めてきましたが、両種の関係は非常に複雑で、日本のチョウの中で、区別が最も困難なペアでもあります。実のところ、100%を正確には見分けられない。鱗粉の特殊化した発香鱗の形状に差があるとも言われますが、それも定かではありません。♂交尾器の形状も、傾向的な方向性は見てとれる(僕には大体見分けが付く)のですが、絶対的なものではありません。では、同じ種なのか、と言うと、(具体的な理由については)詳しくは省略しますが、明らかにそれぞれが別の種として存在するのです。稀に交雑する(その子孫はどちらの種からも区別不可)ことはあっても、総体的には混じりあうことなく、それぞれが独立の集団として機能しています。

ちなみに、最も分かり易い区別点は、♂の香り。モンシロチョウはほぼ無臭、エゾスジグロチョウは弱い香りを発し、スジグロチョウは、ある種の香水やトイレの匂い消しにそっくりな、強い薫りを発します。




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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考える Ⅰ

2011-04-07 21:29:35 | チョウ


★このシリーズは、3年前(2008年)の4月に、あや子さんへ個人的に送信した練習用サンプルを、そのまま再利用したものです。

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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考える
Ⅰモンシロチョウの仲間の話から

中国とは何か? 日本とは何か?

とりあえず、政治、経済、宗教、歴史、など、人間社会とは一切無関係に考えて行きます。
中国人は中国という空間、日本人は日本という空間に成り立ち、それぞれを国土として暮らしているわけですから、そこが本来どのようなところなのか、と言うことを知ることは、日本と中国の、これからの関係のあり方を模索する上で、意味無きことではないと思うのです。

今回紹介して行く内容は、上記の目的に沿って、主題をあえて模式的にまとめ、大雑把に表現したものです。それぞれの題材について、一部、やや詳しく述べている箇所もありますが、原則として、細かい内容やデータは本文には組み込まず、クリックしていただいて別途説明するようにしてあります。より具体的な内容やデータについては、機会を改めて発表する予定でいますが、直接お問い合わせ頂ければ、可能な範囲でお答えいたします。


ユーラシア大陸の東西における、種間関係の模式例
まず、ユーラシア大陸の中での、生物の種間関係から見た、中国や日本の位置付け。あくまで模式的に、大雑把に基本パターンを考えて行きましょう。ヨーロッパや中国・日本を含む、ユーラシア大陸のほぼ全域に隈なく分布する(北米大陸にも)、エゾスジグロチョウ(モンシロチョウの仲間)をモデルケースに、話を進めて行きます。
エゾスジグロチョウは、モンシロチョウの仲間、もう少し詳しく言うと、モンシロチョウ属Pieris(ピエリス)の1種です。エゾスジグロチョウを素材とするからには、エゾスジグロチョウ自身のことを知っておかねばなりません。(以下省略・次の項目を参照して下さい) 
→エゾスジグロチョウという蝶~分類・学名・和名などについての基本認識。
→ビルの谷間のキャベツ畑で~モンシロチョウとスジグロチョウ(於・東京都世田谷区)。




左がモンシロチョウ、右はモンキチョウの仲間で、全く別のグループの蝶です。中国四川省にて。



エゾスジグロチョウの分布は、ヨーロッパから極東、さらに北米大陸に至る北半球温帯域のほぼ全体に亘っています。北米産の集団(詳細は別の機会に改めて述べる予定)には、東シベリアと北ヨーロッパ経由で連なります。ただし、分布を“帯”ではなく、北極海を取り囲む“面”として見れば、また違った解釈が出来るかも知れません(下のバージョンアップ版も参考して下さい)。
このような分布様式は、日本産の生物の何割かを占める、代表的な分布パターンの一つなのですが、日本においての分布状況は、大きく2つのグループに分けることが出来ます。
まず、人里周辺に生育する、いわゆる“普通種”。チョウで言えば、ベニシジミ、ルリシジミ、ツバメシジミ、ジャノメチョウ、コムラサキ、イチモンジチョウ、コミスジ、モンキチョウ、キアゲハ、ミヤマセセリなどが、そのメンバーです。
もうひとつは、日本で言うところの“高山蝶”。クモマツマキチョウ、ミヤマモンキチョウ、オオイチモンジほか、日本の高山蝶の多くが相当します。キベリタテハ、クジャクチョウなどの高山蝶に準じる種や、エゾヒメシロチョウ、アカマダラなど、日本では北海道にだけ見られる種の多くも、これに含まれます。 



上左から、ツバメシジミ、ベニシジミ、キベリタテハ(いずれも日本産)
下左から、クモマツマキチョウ、エゾヒメシロチョウ、オオイチモンジ(いずれも中国産)

エゾスジグロチョウは、どちらに区分するべきなのか微妙なところでしょうが、ほぼ全土に広く分布していることと、場所によっては人里近くでも見られることから、前者に区分してよいと思われます。
両者の相関については後ほど考えることにして、もう一度図をご覧下さい。高緯度地帯を東西に、種の広がりが見られます。その両端が、例えば、ヨーロッパや日本のエゾスジグロチョウなわけです(本当は、それほど簡単な問題ではないのですが、話の都合上そうしておきましょう)。
図の中央には、“世界の屋根”“第3の極地”などと呼ばれる、チベット高原を中心とした寒冷・乾燥気候の高標高地帯が広がります。その南縁は、ヒマラヤ山脈に沿った、湿潤で豊かな植生の中緯度地帯です。
世界の屋根の東側は、ヒマラヤ山脈東端に連なる、雲南・四川の山岳地帯。さらに中国本土を経て、日本列島(もう少し俯瞰的に見れば、日本海・東シナ海周縁の地域)に続きます。
同様に西側は、アフガニスタンやタジキスタンなどの中央アジア諸国の山岳地帯に連なり、 さらに中東諸国を経て、ヨーロッパ(俯瞰的に見れば、地中海・黒海周縁地域)に続きます。
これらの地域は、ヨーロッパから北回りで、西シベリア・東シベリアを経て極東に繋がる、植生や地形が比較的単調で一様な地域とは対照的に、それぞれに多様な、個性に富んだ環境を形成しています。より北方の地域では、一年は冬と夏(春夏秋が一度に到来)だけ、南の地域では一年中夏なのに対し、春夏秋冬の四季を伴うのです。
そしてこれらの地域を、上図のように単に東西に連なる帯の南側と考えるのではなく、下図のように北極を基点として広がる面の外縁と考えれば、それぞれの地域の集団が、内側の地域の集団に比べ、より古い時代に、様々な要因でもって個別に成立したものであることが想像できます。今に至るまで交流を続けている可能性のある内側の集団とは違って、現在では相互の交流に制約が生じ、従って隣り合った地域の集団が、順に連なるのではなく、複雑に入り組んで存在するのです。
 同じように四季を伴う多様な環境といっても、東と西では様相が異なります。東は、森林 をベースに、より湿潤な環境条件の下で生じた集団。日本のスジグロチョウも、その典型的一員です。
一方、西は、草原をベースに、より乾燥した環境条件下で生じた集団。ヨーロッパ東南部で、日本のスジグロチョウに応呼する存在としては、イワバモンシロチョウPieris ergane がいます。血縁は、エゾスジグロチョウにつながりますが、翅脈が黒くならない外観は、モンシロチョウに似ています。ポジションはスジグロチョウに似ていると言っても、外観や棲息環境は、スジグロチョウとは対極にある“いわばモンシロチョウのような。。。。”と言う洒落で、岩場等の乾燥地に棲息することと合わせ名付けられた和名です(命名者は日浦勇氏)。
ちなみに、ヨーロッパの東南部にはもう一種、モンシロチョウにそっくりのミナミモンシロチョウP.manniiもいて、こちらは正統的なモンシロチョウの姉妹種です。
 中国のモンシロチョウ属は多様です。先に紹介した主要3種(タイワンモンシロ・モンシロ・エゾスジグロ)のほかに、ことに四川・雲南を中心とした西南部で、何種もが複雑に混在しています(ミヤマスジグロチョウP.davidis、オオミヤマスジグロチョウP.dubernardi、オオスジグロチョウP.extensa etc.)。ちなみに、中国産のエゾスジグロチョウは、シロチョウ科分類の第一人者・九州大学の矢田修教授によれば、別種P.ertaeとされています。形態上の比較だけでなく、生態や生育環境も他の地域のエゾスジグロチョウとはかなり異なっている(中国南限から北緯20度前後のラオスやタイ北部まで分布)ことからも、その処置は指示されるのではないかと思われます。もっとも、中国国内に、複数の種が混在している可能性も、少なくはありませんが。
前に、日本産エゾスジグロチョウとスジグロチョウの、♂生殖器による区別は、ほぼ不可能、ただし傾向的な特徴により、僕には10中8・9区別できる、と言ったと思います。ところが、中国産(西部の四川省と東部の安徽省)のエゾスジグロチョウは、おそらくは同じ親 から、日本のエゾスジグロチョウ的な特徴を有す個体から、スジグロチョウ的な特徴を有す個体までが、全部現われるのです。
比喩的に言えば、日本ではエゾスジグロチョウとスジグロチョウが、あくまで別の種として存在するのに、中国では、同じ種(エゾスジグロチョウもしくは固有種チュウゴクスジグロチョウ)の中に、エゾスジグロチョウとスジグロチョウが一体となって存在するわけです。
中国のチョウと日本のチョウの比較を行っていると、二つの空間で、種の定義を個別に認識しなくてはならぬのではないか? いうことを、まま感じます。種とは絶対的なものではなく相対的な存在、という思いが、沸き起こってくるのです。

参考までに、下図の後に、世界のモンシロチョウ属の種(や顕著な亜種など)をリストアップしておきました。資料を全くチェックせずに、とりあえず分かるものだけを、うろ覚えで書き記しましたので、その旨ご了解下さい。学名はあえて示さず、和名のないものは適当にでっち上げて記しました。近い将来、改めて正式なリストを作成したいと考えております。
→Pieris(ピエリス)属のリスト





上図のバージョンアップ版 
空色部=典型エゾスジグロチョウ単独分布域、
紫色部=エゾスジグロチョウ近縁(複数)種分布域       J.Aoyama 2008/02/10



                                        






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続・ベニシジミ物語 21【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-04-04 12:54:38 | チョウ



雲南高黎貢山百花嶺⑪「アジサイ」

そもそも今回の百花嶺行きは、“謎のアジサイ”の探索が主目的だったのです。それについての詳しいことは割愛します(改めて特集予定)。いきさつをごく簡単に。

日本の野生アジサイは、栽培されている“アジサイ”の原種ガクアジサイと同じ種に含められるヤマアジサイが主体ですが、中国では、ガクアジサイやヤマアジサイに近い野生種の確実な分布状況は分かっていません。おそらく、中国にはほとんど分布していないものと思われます。中国の各地で見られる野生アジサイのアスペラ(オオアジサイ)類は、外観はヤマアジサイやガクアジサイに類似しますが、基本形態的には大きく異なっていて、全く別のグループ。一方、ヤマアジサイやガクアジサイに次いで園芸のアジサイに近い類縁関係にある、ガクウツギやカラコンテリギのグループは、長江より南の地域に、場所によっては比較的普通に見られます。雲南の西部にみられるユンナンアジサイもその一員です。

さて、雲南省の野生植物の図録の中に、高黎貢山で採集され、新たに新種記載された、Hydrangea taroensisという種を見つけました。この辺りに普通に見られるユンナンアジサイに似ているのですが、添附されている図や記述によると、どうやら、ガクアジサイやヤマアジサイに固有の形質を共有しているようにも見受けられます。日本本土では、ヤマアジサイ・ガクアジサイの一群と、ガクウツギ・カラコンテリギの一群は、比較的明瞭に区別が付く(ただし両者の雑種もするので注意が必要)のですが、中国大陸の後者の一群(ことにユンナンアジサイ)は、両者の形質を共有しているのではないか?と考え始めていたところなのです。でも、H.taroensisが、ガクアジサイ・ヤマアジサイ的な形質をより顕著に示しているとなれば、改めて考え直さねばなりません。

というわけで、taroensis記載者の所属する昆明植物園を訪ねて見ることにしました。原記載標本を見、出来れば記載者当人から情報を得よう、というわけです。結果は肩透かし。記載者は学生で、卒業してしまっているので本人には会えず、代わりに同僚に会って話を聞きました。その学生はアジサイのことは余り詳しくなく、記載は彼女の卒論の一部、というのです。でも収穫は結構ありました。中国では北京の博物館に次いで2番目に大きい(中国西部の標本所蔵は№1)という標本館に3日間泊まり込んで、万単位の野生アジサイ標本の何割かをチェック(撮影も)し、いろいろな情報を得ることが出来たのです。一言で言えば、ヤマアジサイ・ガクアジサイ系の種は、ほとんど見つからなかった(唯一、広西壮族自治区のH.gwanxiensisを除く)ということ。H.taroensisの原記載標本は見つけられず、もう一種、雲南西部からヒマラヤ東部に分布するという、ヤマアジサイ・ガクアジサイ系と思われるH.stylosaの標本も、確実なものを確認出来ませんでした。

植物園の方々には、随分親切にして頂き、先に記した記載者の同僚の方は、10日ほど前の植物調査紀行の際H.taroensisに似た花をサンプリングしてきたので差し上げます、というのです。頂いた標本はtaroensisといえばそのようにも見えるし、でも先入観なしに見れば、ユンナンアジサイそのもの、と考えるのが妥当なところです。採集地を教えて頂き、宿泊施設などへのアクセスもとって頂いたので、その採集地の「百花嶺」へ行ってみることにしたわけです。

最初に記したように、「百花嶺」の宿泊所で見せて貰った写真には、確かに野生アジサイの写真が混じっていました。標高2300m付近、花の盛期は一ヶ月以上前の5月下旬頃、ということです。どう見ても普通のユンナンアジサイだと思うのだけれど、とりあえず行ってみるしかありません。それでまず標高2300m付近の山中へ向かい、何株かをチェック(むろん普通のユンナンアジサイ)し、途中の草地に引き返してベニシジミ2種の撮影、夕刻、林道に出て宿舎に戻ろうとしたところ、その辺りにも多数のユンナンアジサイが群生していました。H.taroensisが、もしヤマアジサイ・ガクアジサイ系ならば、開花期は7月頃で今が盛りのはず、見られるのはとっくに花期を終えたユンナンアジサイばかりです。結局H.taroennsisは幻のままですが、記載地は高黎貢山といってもずっと北の方、H.stylosa共々その辺りには分布しているのかも知れません。いつの日か、改めてアタックしようと考えています。








↑ユンナンアジサイHydrangea davidii。装飾花は長持ちするので、花期を終えても長い間花が咲いているように見えます。上写真中央や左を見て下さい、花序柄を欠く(花序の基部に一対の葉がある)のが分かります。これがガクウツギ・カラコンテリギ群の特徴の一つです(ガクアジサイ・ヤマアジサイ群では通常花序柄がある=花序の基部に葉を生じない)。






↑ユンナンアジサイの葉。裏面には通常軟毛を生じますが、毛の多い少ないは変異に飛んでいて、中にはほぼ無毛の平滑な個体も見られます。上の個体は、葉縁にも顕著な繊毛が生じ、下の個体は、葉端が尾状に伸長し、縁の切れ込みが明瞭で、ヤクシマコンテリギを思わせます。





↑右がユンナンアジサイ、左がジョウザン(Dichroa febrifugaあるいはD.yunnanensis)。ジョウザンは、装飾花を欠くことや、果実が液果になることなどから、アジサイ属とは別のジョウザン属とされていますが、実際にはガクアジサイ・ヤマアジサイの一群に極めて近縁で、両群の雑種も容易に形成されるという報告もあります。










↑ジョウザンの液果。このあと紫色に熟します。液果になることと、雄蕊が細長いことを除けば、子房が中下位である(子房の状部が余り外に露出しない)ことなど、ガクアジサイ・ヤマアジサイの一群と共通しています。









↑こちらはユンナンアジサイの果実。子房上位(子房の上部が大きく外面に露出する)という、ガクウツギ・カラコンテリギの一群の典型的特徴を示します。ジョウザン同様に紫色を帯び、やや液果的なイメージがあるのは、興味深く思われます。






↑(ここからは付録:別の場所での撮影)中国南西部で普遍的に見られる野生アジサイは、大きく分けて4つのグループから成り、大抵の地域で、セットになって生えています。①ガクウツギ・カラコンテリギ群のカラコンテリギ(広西壮族自治区周辺地域)とユンナンアジサイ(雲南省周辺地域)。②ジョウザン属の種。①と②は、栽培されているアジサイに比較的近縁な一群です。③ミヤマアジサイHydrangea heteromalla。ノリウツギの一群とされます。上の写真は果実。通常、花序が円錐状となり、雄蕊花柱がほとんどくっついて伸長(先端近くで分かれる)するノリウツギと異なり、花序は総状で、雄蕊花柱は基部で離れて伸長するなど、ガクアジサイ・ヤマアジサイの一群と共通する特徴も示しています。標高2000m以下に多い①②④と違って、より標高の高い地域(標高3000m前後)に多く見られます。④アスペラ(オオアジサイ)H.asperaの一群。日本には分布せず(四国や九州に稀産するヤハズアジサイがこの一群に含まれるかも知れません)、逆に中国では多数の近縁種が広い地域に繁栄しています。装飾花は色鮮やかで、一見したところでは、栽培のアジサイに最もよく似ていますが、小花序の基部ごとに小さな苞葉が多数派生し(同一群に含められることもあるタマアジサイは、開花前の花序全体が大型の苞葉に球状に包まれる)、子房は上面が平坦な杯状となることなど、ガクアジサイやガクウツギを含む真正野生アジサイとは、類縁的にはかなり離れて位置付けられるものと思われます。ほかに、ゴトウヅル(ツルアジサイ)の一群、イワガラミの一群(通常アジサイ属とは別のSchzophragma属とされますが、基本構造はアジサイ属と共通し、DNAの解析によればノリウツギの一群に近縁ではないかと考えられています)も、数は少ないですが各地で見かけます。








↑百花嶺探索の翌々日(2007.7.8)、場所を移して、大理から麗江に向かいました。途中、標高3000m余の急峻な山腹で見かけたミヤマアジサイHydrangea heteromalla(前の写真は、この株の一部で、前年枝に残った果実です)。標高3000m以上の地で見かける野生アジサイは、大抵がこの種(または近縁種)と考えて良いでしょう。





↑葉の裏面は、びっしりと白い軟毛で覆われています。





↑こちらは、四川省康定から折多山(峠)へ向かう途中の、標高3000m余の渓流沿いで撮影(2010.7.25)した個体。葉は平滑で、裏面にはほとんど毛を生じません。どちらが真のミヤマアジサイH. heteromallaなのでしょうか?





↑どうせだから、ついでにアスペラ=オオアジサイH.asperaの写真も紹介しておきます(二朗山中腹、標高2500m付近、2009.7.27)。カラコンテリギやユンナンアジサイの花期は4~5月ですが、オオアジサイ(便宜上に僕が付けた和名)とミヤマアジサイ(これも便宜上の和名)は、盛夏の7月頃が開花盛期です。暫定的にH.asperaとして纏めておきましたが、この一群には多数の種があり、二朗山に於いても標高2000m付近で2つの種が入れ替わっているように思われます(そのうちに特集予定)。





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続・ベニシジミ物語 20【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-04-03 11:11:13 | チョウ



雲南高黎貢山百花嶺⑩「ヒグラシ」

突然ヒグラシの鳴き声。まだお昼過ぎですが、深い原生林の真っただ中、鳴いていても不思議ではありません。でも、昼間に鳴くヒグラシは、通常、一か所で鳴き続けることはしません。考えられる一つは、鳴きながら広い林内を回遊して、相当の時間が経ってから同じ場所に戻ってくるという可能性。もう一つは、鳴くのを止めて、次の鳴き出しまで近くでずっと待機しているという可能性。これまでの観察によれば、前者の可能性のほうが強いように思われます(前後者の複合様式の可能性もあり)。さっき鳴いていたはずの幹の辺りを隈なく探しても、姿は見当たらない。となると、次に鳴き出すまで待つしかありません。今日のこの後のスケジュールは、終日ヒグラシの録音、と決めました。








↑ギランイヌビワのように花嚢が幹から直接生じるFicusイチジク属(クワ科)の種。確かこの幹のどこかに止まっていたはずです。







↑困ったことに、録音テープ(MD)を一つしか持って来ていない。回しっぱなしだからすぐに足りなくなってしまいます。そこで、往復10㎞余の道を宿舎まで走って、予備のMDを取りに向かうことに。もちろんその間は録音機は回しっぱなしです(たぶん誰も通らないでしょう)。





↑戻って来ました。約1時間の間に、MDには1回鳴き声が入っていました。クワガタ(間違えるとクワガタマニアに怒られそうなので種名はパス)を写したり、、、、





↑Ficusの花嚢を写したりして時間をつぶし、次に鳴くのを待ちます。









↑やがて遠くから鳴き声が聞こえはじめ、それがだんだん大きくなってきたと思う間もなく、突然、目の前の幹に、いや全く魔法のように、ヒグラシの姿が。慌ててシャッターを切ります。数枚シャッターを切ったところで気がつくと、確かに止まっていたはずの場所から、いつの間にか姿を消しています。一瞬の間。まるで手品だとしか思えません。





↑録音だけでなく、形態もチェックしておかねばなりません。しかし捕まえるとなると撮影よりさらに困難、何度も“手品のような到来”チャンスを逃した後、午後6時ジャスト、捕獲成功!

鳴き声や形態の分析については、MDのチェックなどを行った後、改めて報告することにします。

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続・ベニシジミ物語 19【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-04-02 09:03:16 | チョウ




雲南高黎貢山百花嶺⑨「大瀑布と露天温泉」










↑大瀑布への道。










↑滝までの立派な道が出来ると、滝の神秘的な魅力は無くなってしまう、という人がいます。まさにその通りだと思う。屋久島の千尋滝にしろ大川滝にしろ、滝そのものは昔と変わっていなくとも、ツアーバスが次々訪れるようになってしまった今では、神秘性は消え失せてしまったのも同然です。奄美大島のマテリアの滝も、沖縄本島の比地大滝も、西表島のカンピレ滝も、最初に訪れた頃に比べると、道は格段に整備され歩きやすくはなったのだけれど、最初に訪れた時の感動は無くなってしまった。その点、未整備の道を数時間歩かねば辿りつけぬ、屋久島蛇ノ口滝は、まだまだ神秘性は薄れていません。雲南の辺境の地にあるこの大瀑布は、まだまだ安心だと思うのですが、何でもありの中国のことですから、どうなるかは分かりません。






↑カワトンボの仲間は、結構撮影が難しい。目で見た金属緑色の再現が上手く出来ないのです。近づくとすぐに飛び立ってしまいますから、思いのほか時間を食ってしまいます。






↑ベニシジミの仲間もいました。アオミドリフチベニシジミ、フカミドリフチベニシジミ、キンイロフチベニシジミのいずれの種なのかは不明。







↑滝の下流の岩肌にバナナ。自生なのか、栽培逸出個体なのか。











↑帰路は行きと違うルートをとりました。温泉に行ってみようと。でもこんな辺鄙なところに温泉などあるのでしょうか?えっ?これが温泉?水溜りの下から硫黄のようなものが噴出しています。来たからには入らないわけにはいかないでしょう。で、裸になって足を突っ込んだら火傷をしそうに、ほとんど沸騰しています。むろん入浴は断念するしかありません。






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続・ベニシジミ物語 18【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-04-01 13:53:32 | チョウ



雲南高黎貢山百花嶺⑧「植物Ⅱ」


まずは愚痴から。日本(東京)に帰ってくれば、じっくりと植物名の同定が出来る、と思っていたのです。国外にいる時は、インターネットでの検索だけが頼りだったのに対し、図鑑などの文献での照合が出来ます。でも考えが甘かった。図鑑類の大半は、二束三文で古本屋に売りっぱらってしまっていて、手元にはほとんど残っていません。そして度々報告してきたように、クレジットカードも携帯電話も持っていない僕には、日本に戻ってくると、自分のパソコンでのインターネット通信が叶わなくなってしまう(日本という国は何とセコイのでしょうか)。ということで、国外(や沖縄)にいる時以上に同定が困難になってしまい、結局うろ覚えの知識に頼るしかなく、正確な同定は後ほど、、、、という次第なのです。







↑全体のイメージはショウガ科に見えるのだけれど、花が違います。ヤブミョウガ(ツユクサ科)の近縁種、ということで、どうでしょうか。やはり滝壺の近くでの撮影。









↑これはもう、ツユクサ属(ツユクサ科)で間違いなし。草丈が極めて高く、1m以上あります。滝壺脇にて撮影(下写真の右側に、滝の飛沫が2条見えます)。






↑こちらはより日本のツユクサに似ていますが、茎頂に総苞と上部の葉(?)が集まって、特異な印象を醸し出しています。






↑コンロンカ属の一種(アカネ科)。屋久島で撮影を始め出した頃、最も感銘を受けたのが、渓流に咲くコンロンカの純白の花(正確には花は黄色で白いのは上部の葉)。ツマベニチョウが吸蜜に訪れる様は、南国の自然をたっぷりと感じたものです。でもその後、中国の南部やインドシナ半島をうろつくようになると、あちこちで見かけることになります。道端に貧相に生えていたりすると、ちょっとガッカリした気分にもなる。でも、今もとても好きな花なのには違いありません。





↑ノボタン属の一種(ノボタン科)。熱帯アジアの花を代表するのがノボタンの仲間でしょう。花の種類が少ない場所や季節でも、この仲間の花だけは必ず見かけます。何よりも鮮やかな花色が、








↑ゼンテイカ属(ワスレグサ科)の一種。ニッコウキスゲやノカンゾウの仲間です。ベニシジミ2種の飛び交う、中腹林内の草地に咲いていました。









↑ネジバナ(ラン科)。ランには興味がない、と書いたけれど、ネジバナとかシランとかシュンランとか、身近に見られる花は大好きです。日本のものとはどこが違うのかな?捩じる向きは同じだと思います。ベニシジミ2種が舞う草原にて。






↑ベニシジミ2種の舞う草原での写真をもう一枚。葉っぱはサトイモ科でしょうね。写っているのは、表面張力で卵型になった、ただの水適です。


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続・ベニシジミ物語 17【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-03-31 09:06:01 | チョウ




雲南高黎貢山百花嶺⑦「植物Ⅰ」








↑えーと、、、分かりません。








↑ゲットウ(ショウガ科)。日本のものと、どこか違うかも。中国でも人里近くに生えていることが多いので、屋久島や沖縄のもの同様、在来分布なのか逸出なのか良く解りません。






↑ブクリュウサイ(キク科シオン連)。これも日本のものと同じだと思うのですが、、、。南日本以南のアジア・アフリカ熱帯地域に広く分布する、いわゆる“雑草的植物”。シオン連の小さな頭花の植物には、コケタンポポ属とかコケセンボンギク属とかヒメキクタビラコ属とか、興味深い分布様式をするグループが幾つかあり、それらとの関連で考えると面白いかも知れません。






↑キランソウ属(シソ科)。日本産のニシキゴロモに似ています。キランソウは典型的な“雑草的植物”の一つですが、ジュウニヒトエやニシキゴロモになると“野草”の雰囲気が増して来ます。






↑ドクダミ(ドクダミ科)。ドクダミ科はウマノスズクサ科やコショウ科ともども“古草本”として纏められる原始的な被子植物。ドクダミ属とハンゲショウ属があり、ともに東アジア固有の一属一種(複数種とする見解も?)から成り、北米大陸の東部に近縁属が隔離分布するという、興味深い植物です。これも完全な在来野生と、何らかの人為的拡散の関係が不明瞭な、“半・雑草的植物”といって良いでしょうか。滝壺に行く途中の林内に生えていました。







↑ツレサギソウ属(ラン科)。へそ曲がりの僕は、(マニアに人気の高い)ランには余り興味がありません。主稜線に至る天然林中の山道にて。











↑ツリフネソウ属(ツリフネソウ科)2種。ツリフネソウの仲間は、日本にはツリフネソウ、キツリフネ、ハガクレツリフネの3種(及び栽培植物のホウセンカなど)だけですが、中国には無数とも言えそうな種があります。僕が撮影したものだけでも数10種(そのうち特集を組みましょう)。上2枚は、ベニシジミ2種を観察した主稜線へ向かう尾根道林内の草地にて。下は大瀑布手前の林内にて。






↑滝壺の近くにバナナ(バショウ科)が生えていました。周辺の環境は、人手のほとんど入っていない天然林のように見えるのですが、実際には何らかの人為的錯乱が加わっているものと思われます。日本のバショウやリュウキュウバショウ(シマバナナ)も含め、この仲間も在来野生と人為分布の境界がはっきりしない一群です。

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続・ベニシジミ物語 16【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-03-30 09:32:25 | チョウ




雲南高黎貢山百花嶺⑥「チョウ」






↑ルリシジミの仲間のメインは、ルリシジミ属とタッパンルリシジミ属で、区別は相当に難しく、ルリシジミ属にも、スギタニルリシジミの一群や、アリサンルリシジミの一群など多数の種があって、同定は非常に困難です。写真の個体は、ルリシジミ属のルリシジミそのものCelastrina argiolusと同定しておきましょう。









↑こちらは、ヤクシマルリシジミ属の、ヤクシマルリシジミAcytlepis puspa(またはその近縁種)、だと思います。そのうち「ルリシジミ物語」もアップして見たいですね。








↑シジミタテハ科のZemeros flegyas。中国(やインドシナ半島など)の多くの地域で、最も普遍的に見られるチョウの一つではないかと思われます。語順からは「シジミのようなタテハ」ということになりますが、広い意味でのシジミチョウの仲間で、実際は「タテハのようなシジミ」といったほうが良いでしょう。しかし、幾つかの形質や分子生物学的解析から、むしろタテハチョウの仲間に近いのでは、という見解もあり、結論には至っていません。世界各地には、シジミチョウ科に負けないほど多数の種が分布しているのに、なぜか日本には一種も分布していません。そのため、(僕個人に関して言えば)なかなか馴染むことが出来なかったのです。









↑人間の認識というのは、見慣れて(聴き慣れて)いるか否かで、無意識的に大きく規定されてしまうのではないでしょうか?(同じ歌手の同じ曲でも、オリジナル・ヒット盤が絶対的!セルフ・カヴァー盤はどうしても馴染み難い) 国外で蝶を撮影するようになって、始めて出会うようになった分類群は、なかなか親近感を持てないものです。その代表がシジミタテハの仲間。むろん蝶だとは解ってはいても、僕の意識の中に植え込まれている“蝶”の範疇からは、はみ出してしまう。

鱗翅目*の中での“蝶”の系統分類上の位置付けは、膨大な種数の“蛾”のごく一部でしかないわけで、「“蝶”と“蛾”の区別点」という命題は理論上成り立たない(「“東京”と“日本”はどこが違うか」と問うようなもの)わけですが、もしあえて答えを出すとすれば、(極論すれば)各個人が“蝶だと信じているもの”や“蝶に見えるもの”が、“蝶”なのだと言って良いと思います。

そのような観点から言えば、(僕を含む)多くの人々にとって、これまで“蝶”とされてきた分類群は紛いもなき“蝶”であり、それ以外の分類群は、紛いもなき“蛾”なのです。ただし、僕自身にとっては、各一つだけ例外があります。先にも言ったように、シジミタテハの仲間は、“蝶”であるという親近感が湧かない(最近は見慣れてきたので、ちゃんと蝶に見えていて、充分に親近感も持っています)。逆に、蛾の中で唯一、イカリモンガの仲間(日本産はイカリモンガと、南九州や沖縄に分布するベニイカリモンガ)だけは、蝶ではないと分かってはいても蝶に見えてしまう(標本ではなく実際に飛んでいる時)。僕にとっては、“名誉蝶類”であるわけです。

で、ここには、そのシジミタテハの一種Dodona deodata♀(写真上)とイカリモンガの一種(写真下)が、同じ所にいました。以前、「梅里雪山の秋の蝶」で述べたと思うのですが、シジミタテハ類は、なぜか一見良く似た他の蝶(ことに小型のヒカゲチョウ類)と同じ場所で同じ様に行動していることが多く、その意味は謎です。このイカリモンガとの組み合わせも、それに相当するのではないかと思われます。

[*近年になって、上位分類群(ことに「目」)の日本語呼称を、従来使用されてきた熟語漢字、例えば「鱗翅目」「半翅目」などではなく、実在する代表的な下位分類群(一般的な総称)のカタカナ名を使用しなくてはならぬ、というお役所からの通達により、「鱗翅目」は「チョウ目」(「ガ目」ではない)、「半翅目」は「セミ目」(「カメムシ目」ではない)、「霊長目」は「ヒト目」(サル目ではない)と呼ばねばならなくなってしまいました。この実に馬鹿げた改革案により、数々の齟齬が生じることになります。「鱗翅目」の99%はいわゆる「ガ」であり、「チョウ」はその一員に過ぎないわけですから、「ガ目」とするならまだしも「チョウ目」としてしまえば、辻褄が合わなくなってしまいます(「東京」の中の「日本」とするようなもの)。]

というよりもそれ以前の問題で、「鱗翅目」や「半翅目」といった“具体的な種や俗称分類群が存在しない”名を廃して(一般市民や子供たちには分かりやすい?という発想から)「チョウ目」とか「セミ目」とかに置き換えるというこの名称システム自体が、どうにも不自然です。「日本」という“具体的な都市や行政が存在しない”名を廃して、最も良く知られた都市名を国家の名称としなければならないと、「日本国」が「東京国」になってしまったら、たまったものではありません。









↑ヒカゲチョウの仲間。上はヒメキマダラヒカゲ属の一種Zophessa sp.、下はヒカゲチョウ属の一種Lethe verma(枯葉に似ているのに、白い帯があるのですぐ居所が分かってしまいます、でもそのデメリットを上回るメリットがあるのでしょうね)。






↑こちらは見事!もう完璧というほかありません。

蝶は好きで良く知っているけれど、蛾は嫌いで何も知らない、というチョウ好きがいます。考えて見れば、これほど歪なことはないでしょう。蛾屋は蝶にも詳しいけれど、蝶屋は蛾のことは無知、というのが一般的な傾向。かく言う僕もその類であります。いやもう恥ずかしい限り。恥をかくと嫌なので、分類群の特定には一切触れずに置きましょう。









↑大型のタテハチョウ。これも日本では馴染みのないグループですね。いわゆるチャイロタテハの仲間Vindula sp.。大きく言えばヒョウモンチョウの一群です(日本産で言えば、ウラベニヒョウモンやタイワンキマダラが比較的近い類縁関係にあるのではないかと思われます)。











↑アカマダラモドキAraschnia prorsoides。中国西部に3種分布するサカハチチョウの仲間の一種。四川省成都市西郊に多いキマダラサカハチチョウAraschnia dorisと違って、本種は雲南省を中心に分布しているようです(サファイアフチベニシジミに対するキンイロフチベニシジミやフカミドリフチベニシジミの分布様式に相当します)。中国のサカハチチョウの仲間については、改めて詳しく検証していく予定です。







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続・ベニシジミ物語 15【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-03-29 13:17:39 | チョウ



雲南高黎貢山百花嶺⑤「ハゴロモⅢ」





↑前回、羽化途上の写真は、午前10時過ぎの撮影。それから大瀑布と天然温泉に向かい、帰路ヒグラシに出会ったところで、忘れ物を取りに山道を走って戻ってきました。ついでに、ハゴロモのいた木をチェック、午後3時です。前回紹介した、羽化途上の写真の場所にあったのは抜け殻だけ、午前10時過ぎの撮影ですから、5時間弱の間に全て羽化し終えて、どこかに移動してしまった、というわけです。









↑羽化したての成虫です。










↑これでもウンカ・ヨコバイの仲間としては、(セミを除いて)最も大きな部類に入るのだと思う。






↑時間が経つと、アオバハゴロモ同様に、虹色がかった青緑色を帯びて来ます。











↑上・前・斜め・横から。

さて、これまでセミをはじめとしたウンカ・ヨコバイの仲間を、同翅目(Homoptera)あるいは広義の半翅目(Hemiptera)同翅亜目の、頚吻群(頚吻亜目)として来ました。従来は、カメムシやセミなど全てを半翅目に含めた上で、2つの亜目、すなわちカメムシ類(亜目)とセミなどの類(同翅亜目)に分け、さらに同翅目を頚吻群(セミやヨコバイやウンカ)と腹吻群(アブラムシ=アリマキやカイガラムシ)に分割、という考えが一般的でしたが、最近は2つの亜目を独立の目(異翅目=カメムシ目Hteroptera/同翅目=ヨコバイ目)に明確に分離する、という処置に研究者たちの総意がほぼ固まりつつあったのです。

ところが、20世紀末になって成されたDNAによる分子生物学的解析では、驚くべき結果が示されています。同翅目の一員とされてきた腹吻群が、実はその他全ての群(頚吻群や異翅目)の側系統となり、同翅目のうちの頚吻群と異翅目が単系統群に含まれる、という意外な展開になって来ているのです。さらに、従来の頚吻群のうち、以前から“セミ・ヨコバイ型群”と“ハゴロモ型群”とされてきた両者は、必ずしも単系統に収斂されない可能性も出てきた(今のところ一応単系統である可能性も残されていますが)。

まだ決定事項ではないとしても、意外な展開です。おおまかには従来の組み合わせと、ほとんど正反対の組み合わせになったわけで、いずれにしても、“同翅目”という分類群は完全に消失することだけは確かなようです。

このような、系統分類における劇的な組み換えは(何事にも先入観を持たずに様々な角度から検討し直すという僕のポリシーに於いては)大歓迎ではあるのですが、少なからぬ戸惑いもあります。

僕としては、とりあえず同翅目・異翅目の概念を解消して全てを半翅目に戻し、カメムシ群(旧異翅目)、ウンカ・ヨコバイ群(旧同翅目頚吻群)、アブラムシ群(旧同翅目頚吻群)と並立せしめたたうえで、旧頚吻群の中に、狭義の頚吻群Archenorryncha(ウンカ・ハゴロモ)とClyperrhyncha(セミ・アワフキムシ・ヨコバイなど)を置く、というスタンスを取っていくつもりでいます。

問題は二つ。一つは半翅目とは関係のないことですが、他の昆虫各目の系統関係、ことに鱗翅目は一体どうなるのでしょうか?“チョウ”という分類群は成り立つ(“アゲハチョウ上科”と“セセリチョウ上科”の単系統性の支持)のでしょうか?踏み込んで言えば、“アゲハチョウ上科”の単系統性もひょっとすると怪しくなってくる。“Zephyrus”なども、本当に単系統なのかどうか(他のカラスシジミ亜科のいずれかの属が編入されて、一部が側系統になってしまう、などという事態も考えられなくはなさそうです)。興味深々!

もう一つ、非常に重要な問題。分子生物学的な手法による系統解析結果を、どこまで信用して良いのかという、、、、これは、もしかしたら、とんでもなく複雑で難しい問題なのかも知れません。


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続・ベニシジミ物語 14【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-03-28 11:05:37 | チョウ




雲南高黎貢山百花嶺④「ハゴロモⅡ」























↑集団での羽化。セミの羽化と似ています。脱皮前の白い毛むくじゃら、脱皮中の肌色の個体、羽化直後の透き通った柔らかな翅の個体、少し時間が絶って色付いてきた個体、そして脱ぎ捨てた白い毛むくじゃら、から成ります。

幼虫が体を守るのが、セミの場合は土、アワフキムシの場合は泡、ハゴロモの場合は“毛むくじゃら”というわけです。


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続・ベニシジミ物語 13【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-03-27 13:22:51 | チョウ






雲南高黎貢山百花嶺③「ハゴロモⅠ」

7月5日の朝、畑の脇の草地でアオミドリフチベニシジミを撮影していたのですが、早々と30分ほどで切り上げてしまったのには訳があります。もう一つ、変てこな昆虫を撮影していたのです。








↑葉っぱに白い花が咲いてる?






↑綿の出来損ないのようでもあり、大きなカビのようでもあり、、、、。






↑僕は正体を知っている(僕の好きな昆虫)ので、早速撮影にかかります。







↑でも、生き物のようには思えません。






↑全く動かない。






↑大きさは、この程度。













↑白い毛むくじゃらの間に、昆虫らしきものが集まっています。どうやらハゴロモ(セミに近い小昆虫)の一種のようです。






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