青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

遺書68

2020-09-29 20:25:25 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


昨日、教会でお借りした自転車で、福生の病院を往復してきました。

行きは1時間半、帰りは徒歩よりも遅くて、3時間ほどかかりました。

途中で転んで怪我して、300円のバンドエイド買って(全く使い物にならなかった)、数日前に買ったばかりの100円眼鏡も壊れて買いなおし、結局、往復5時間近くかかり、18分340円の電車賃より高くついてしまった。

三世が幾許かのギャラを振り込んでくれていました。(オンライン旅行を)教会に宣伝しておいてくれと。三世自身は仏教徒だと思うのだけれど、ジョージはクリスチャンのはずです(教会行ってるのは見たことありません)。といって、プロテスタント繋がりで交流が持てるも知れない、と期待されても困るのですが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近ネット・ニュースに屡々出てくる「半沢直樹」というTVドラマ。

怖いですね、「正義」が大衆に広まりつつあることが、、、、。




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遺書 67

2020-09-29 10:41:24 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



(今回は「ですます調」ではなく「体言止め」で進めます)

三世からのリクエストもあるので、「夜と朝の狭間で」シリーズ(-_-;)。脈絡ないことを書き綴る。

昨日、教会の日曜のミサに行って来た。

僕とキリスト教、全く繋がりはない。でも、数多の宗教の中で、最も縁が深いのは、と言えば、キリスト教かも知れない。

余りに低次元な話だが、讃美歌が好きで、クリスマスが好き。繋がりは、それだけ。

あと、あえて付け加えれば、最初の彼女がクリスチャンだった。もう40年以上も前のことだけれど。

最近は「神」の存在を漠然とだけれど信じている。ただ、それを「キリスト」と関連付けることが出来る自信はない。自分でも、よっぽど頭が悪い(精神が捻じ曲がっている)のかな?と思ったりする。

一昨日のインターネット・コラムにあった2つの記事。

「熊本大学助教授の殺害と犯人のホームレスの謎の接点」

「宮崎椎葉村の崖崩れで亡くなった方(社長の奥さん、長男、ベトナム人の研修生)の捜査打ち切り」

亡くなられた方も、残された方も、皆んな、辛いよね。でも、悲しんでくれる人がいる。

僕なんて、死んじゃっても、誰も悲しんでくれないし、、、。まあ、スーリンとモニカは悲しんでくれるだろうけれど(思い出と未来を沢山贈ってあげているから)。

熊本大学助教授の話を読んでいて、唐突に、J(友人の生物学者)のことを思い浮かべた。

*彼女には名前が二つあって、一つは僕の最初の彼女の一つ前の彼女(説明ややこしいので略)と同じ名なので、こちらのイニシャルを使う。

Jは、千葉大学卒、自然科学雑誌の編集者を経て、信州大学大学院で学び直し、千葉大学に戻って自分の研究室を持ち、その後、宇都宮大学で教授をしていた。

僕の知人では、男性では朝日新聞のK氏、女性ではJが、「本物の天才」だと思っている。

あや子さんが前に言っていた。「青山さんは男女関係はすぐに破綻するけれど、そうでない女性とは長続きする、笑」、、、僕も「ほんとにそうだね」(苦笑)、と思う。

ついでに、以前U氏が言ってた「青山さんは考え方のパターンがうちの嫁さんと似てるからなぁ~」(女性の思考は概ね「体系的」ではなく「直截的」と)。それは、僕に対しても、嫁さんに対しても、失礼ではないかな?

いずれにせよ、人生で、仲の良かった友達、何故かほとんど女性(少し前の回で話したオウムの信者然り)。

友子さんの存在がなかったら、、、、と考えるのは、、、、止そう。

Jとは、ほんとに仲良かった、と思う。
何年ぐらいだったのだろう?最後に会ったのが、僕が務めていた生物学系各種学校の講師を止めたとき。突然、鎌倉の自宅までタクシーでやってきた。交代?で同じ学校の講師をするので、僕がプライベートで使ってた生物学関係の文献を貸してくれ、と。それっきり、連絡し合わなかった。

数年後、その文献が必要になったので、当時の勤務先の宇都宮大学に電話した。お子さんが生まれて(結婚したかどうかは聞いていない)産休中、と。それで、「本を返してくれ」と伝えておいて、と、大学の事務局にお願いした。数日後、大学に確認すると、Jが激怒している、という。どうやら、僕が「貸した本を返せ!」と大学に言った、その言い方が気に障ったらしい。

で、そのままになって、20年以上経ってしまった。

調べてみたら、1980年代から、1990年代。ずいぶん長い期間、べったりではないけれど、しょっちゅう会っていたような気もする。

専門は、トンボの生態学。いつも、「青山さんと一緒に何か大きな仕事したい」と言っていた。ある時、千葉大学の自分の教室(研究室)を訪ねたら、若い学生にお茶持ってこさせて、「私、なんでも自由に出来るのよ」(なんでそんなに権力を持ってたのだろう)と宣っていた。で、一緒に仕事したいので写真貸せ、と。結局一つも実現していない。どこまで本気だったのか、適当に言ってただけなのか(その辺り三世と共通)。

最後に会った少し前(たぶん宇都宮大学に行ってから)、歳の離れた(でもそっくりの顔立ちの)妹さんを連れてきて、「指導してやってくれ」と頼まれた。僕には、ちょっと荷が重い。曖昧な返事をして、そのままになり、いつの間にか、音信が途絶えてしまった。 

・・・・・・・・・・・・

最初に会ったのは、僕が30歳代の半ば、J(20歳ちょっとぐらい)は、自然保護関係の雑誌の編集をしていた。共同ペンネームでその雑誌に何か書こうということになり、渋谷の神泉駅の近くにあった編集部で朝まで2人で推敲し続けた。いつまで経ってもO.K.が出ず、半分泣きながら書き終えた。

不思議でならないのは、なんで僕のことを、そんなに「評価」していてくれていたのか。今もって分からない。

はっきり言えることは、お互いに、異性としての関心は、たぶん全く無かったこと。「はっきり」、と言いながら、「たぶん」、というのは矛盾しているようだけれど、そこらへんに線を引くことは、結構難しいと思う。曖昧かつ明確ということも、人生にはあると思う(美人だし、僕の好みのタイプでもあるのだけれど、なぜか女性としての対象には全然思い描かなかった、、、むこうも、同様だと思う)。

とにかく「下ネタ」が好きで(笑)、まあ、それだけ忌憚なく話が出来たということだと思う。

ごく最初の頃、病気(胃潰瘍)で、仕事を休んだことがある。編集長と一緒に、ご自宅まで見舞いに行った。
帰り道に編集長氏に尋ねた。
「なんでまた胃潰瘍などになったのですか?」
「彼氏に見向きされないから、らしいよ。」
「え、彼氏なんていたのですか?」
「お前だよ!」
むろん、ジョークだとは思っている。

僕がある女の子に失恋して落ち込んでいるとき、新宿駅まで付いてきてくれたJが、「くよくよしなさんな、元気出して!」「映画観に行こ、奢ってあげる」「恋愛、お笑い、アクション、どれがいいい?」。

それで「アクション」をリクエストして、歌舞伎町の深夜映画館で、シュワレツネッガーの「プレデター」を観た。以来、シュワちゃんのファンである。

ある時、突然電話が掛かってきた。
「男がいないので寂しい、誰か紹介して!」
「そんなの心当たりないよ、僕じゃダメなの?」
「ダメ!金持ちで、もっとイケメン(当時はまだその言葉はなかったけど)がいい、それに、青山さんは“中折れ”しそうだし(この言葉、その時初めて知った)」

また、別のとき(信州大学にいた頃)。
「引っ越しするので、今から手伝いに来て!」
「もう夜だよ、今からじゃ無理だよ」
「新幹線の最終に乗れば間に合う、それに、例の“キトンボ”の写真、出てくるかも知れないし」
その写真は、僕の絶対自信作だった。Jに貸したまま、無くしてしまっていた。探しても出てこない、と。
引っ越し整理中に、それが見つかるかも知れない、というわけだ。

で、上越新幹線の最終に飛び乗って、長野県上田まで行った。夜通し2人で部屋を片づけた。
「キトンボは?」
「そんな昔の、出てくるわけないじゃない」
布団一つしかないし、なんか落ち着かない、寝付けないでいると、明け方、Jが、「温泉行こう!」と提案した。

車で別所温泉(上田電鉄別所線の終点)に向かった。朝一番の風呂に浸かった。気持ちいいけれど、ヘトヘトなんで、鎌倉に帰って早く休みたい。でも、「まだ案内したいところがある」と、自分のトンボのフィールドに連れて行かれた。

後に、僕自身が何度も通った(テント持参で泊まり込んだりして)絶滅寸前の「オオルリシジミ」の最後の完全自然状態発生地であることが分かった。行っておいて大正解だった。

これは年月をはっきり覚えている。1992年夏。あかね書房からの2冊目の本の取材のために、Jと共著者の原聖樹氏と編集O氏と4人で泊りがけの旅行に行く予定だった時、Jが風邪を引いて行けない、というので中止になった。

僕だけで行こうとしてたら、Jが、「やっぱし私も行く」と。それで山梨県韮崎で待ち合わせ、日野春から穴山に向かった。夕方、泊まるところを、やっと見つけた。ボロボロの宿。

「泊めてやるけど、部屋一つしかないよ」
「それでいいです、この人は先生で、私は雑誌の編集者です(変な関係じゃないんで)」
いちいち言わなくっていいって!

翌日、瑞牆山に行った。増富温泉に泊まった。
「一緒の部屋で良いです、この人は先生で、私は編集者です」
温泉利用券を貰った。どの温泉にも浸かれる。
Jは混浴温泉に行った。おばあちゃんたちと一緒。
「青山さんも入ったら」
「ヤだよ、外で待っとく」

待ってる間に、アカエゾゼミの完全赤化型を見つけた(これは凄い成果!)。

絶滅寸前オオルリシジミといい、究極のアカエゾゼミ完全赤化型といい、もしかしたらJは、魔女(いい意味で)なのではないだろうか?

なんか、いい思い出ばかり。

繰り返し言うけれど、不思議でならない。なんで僕のことを、そんなに「評価」していてくれたのか。

にも拘わらず、いつも「適当」で、なんの結果も出せていない。

今考えたら、なんでもっと関係を大事にしておかなかったのかと。

・・・・・・・・・・・・・・

熊本大学助教授と殺害犯人。仲が良かったらしい。それだけのことなのではないだろうか。でも、何かが間違ってしまった、、、。Jと僕の関係と、似たような(歳の差はともかく地位関係とか)位置づけなんだと思う。

それに、僕とモニカだって、72歳と32歳。第三者から見れば、不思議な組み合わせであろう。僕に限って言えば、僕が生きている限り、モニカと小七を大事に見守っていく確信がある。でも、逆に僕がモニカに虐待されたりすることは有り得るかも知れない(笑)。突如不可解な行動をとったりするので。

今思ったのだけれど、7年前、モニカと大喧嘩した(一年間続いた)とき、収拾がつかなくなった直接の要因は、僕が発した「ネヴァー・フォーギブ」という言葉だったように思われる。そりゃ、突然部屋から追い出され、持ち物(すぐ前に「日本から荷物全部運んで来い」というので持ってきたのに)全部捨てられりゃ、怒っても当然だと思っている。

でも、「Never」と「Forgive」という単語の組み合わせ。軽々しく口にした僕と、学生時代に欧米人の教師から英語の薫陶を徹底して受け続けたモニカとでは、言葉の重みが違うのだと思う。

一年後、モニカは突如、「過去のことは無かったことにしよう」と言ってきた。ずいぶんなものだが、それもまあ、一つの選択肢だろう。

この間のお爺ちゃんの孫殺し。頻繁に繰り返される親殺し子殺し。なんかの行き違いだと思う。生まれたとき、皆、心から喜んでいたのだ。

被害者も、家族(時には本人)も、どれほど辛い事だろうか。いろいろあったわけだ。でも、皆、、、、幸せで「あって」ほしい。全ての人は「幸せだった」時がある、と信じている。

少し前のブログで紹介した、僕の大好きな曲、The Peppermint Trolley Comepanyというロック?グループの、1968年の一発ヒット(Billboard Hot100/59位)「Baby Come Rollin' Across My Mind」。

僕は、勝手に、「一期一会」と解釈している。「一期一会」、この言葉には、実に深い意味が秘められているわけで、、、。「オンライン中国旅行」の趣旨も、それに沿ってる。

「神」の存在。「信じること」「許すこと」、、、僕には、まだ、理解も納得も出来ないでいるけれど、少しは「分かる」気もする。

過去と未来。それは、どこにあるのだろうか? 時間は、実在するのだろうか?





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遺書 66

2020-09-26 08:42:56 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




 
役所も、ハローワークも、警察も、全く相手にしてくれません。
 
Aさんから数日分の生活費を借用し、市役所とアパートの間にあるプロテスタント教会で事情を話し、日曜の礼拝時と、木曜の聖書読書会に参加(僕一人だけ?)して食事をごちそうして戴くことになりました(讃美歌を唄います)。あとは、マクドナルド(夜中はWi-Fiが使える)でチキンクリスプ(110円)、これでなんとか繋げます。
 
三世への不満(言いたいこと)は山ほどあるのですが、彼女も苦境の中にいるようです。ネガティブな思いは出来る限り排し、前向きに考えて行きます。
 
次の「オンライン旅行」は、10月1日です、2人来てくださる予定です。どうか皆さんも参加してください。

第3回「湖北省・恩施」
付録として、「中国奥地の食事と露店100か所」



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遺書 64

2020-09-22 22:00:56 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




今夜で、絶食三日目に入ります。

三世に。
*「オンライン旅行」進行状況教えてください。案内しようにも、それが分からないと案内しようがありません。
*出版社訪問、「電車賃出すので別々に行ってください」と言ってたのは、どうなったのですか?
*キャベツの祖先について、まだ何にも話してません。残り20分で話すとの事だったんで、5分じゃ無理ですよ!
*「クラウドファンディング」どうなってるのですか? ケンさんから、何も連絡来ません。




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遺書 63

2020-09-22 08:46:56 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



「北アルプスで73歳登山者遭難」という記事

このようなコメントが大半を占めています。
>いくら年寄りでも、スマホのアプリの使い方を覚えた方が良い。山に行くような人は尚更必要で、ヤマップとか使ってくれれば迷ってもすぐに正しい道が分かる。

ebo*****さん
という方が、次のようなコメントを入れています。

>東沢岳のあたりは、東餓鬼岳へ伸びる尾根載最初のピークで踏み跡もある。このルートが間違いないと確信して進んで行って、道迷いに気づいてヤマップを広げれば、怪我も手伝って絶望するだけだが。GPSも同じで、このルートで間違いないと確信してすすだ場合、間違いに気づいた時点でGPSも役に立たない。そのことを理解してない人、多すぎなんじゃないか。以前、風吹小屋の親父が言っていたがGPS頼りで歩いたら、ホワイトアウトも手伝って雪庇の上に出てしまったそうだ。ヤマップやGPSに頼らないと山に登れないような人は、結局は道迷いをするよ。

↑多くの人が「そうは思わない」とリコメントしています。
それで僕は、次のようなリコメントを入れました。

>eboさんの意見に賛成です。特に、東沢岳や東餓鬼岳辺りは、地図を「読む」力がないと、ルートをチェックできません(示されている「道」は間違っている可能性があるので「地形」を読まねばならない)。今の世の中、お手軽に便利になってしまったおかげで、基礎的な部分が全く欠如してしまっている。この方が無事救助されることを祈っています。

↑やはり、「そうは思わない」というリコメントばかりですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


藤木孝さん逝去のニュース

>コロナが憎い!コロナさえなければ、自殺なんてしなくても済んだんじゃないかと思うと本当に悔しい!収束する見込みもないし。。。素敵な俳優さんをまた亡くしてしまった。。。

僕のリコメントです。

憎いのはウイルスではなく、それを煽る大衆の心(無意識強要同調空気)です。未知のウイルスの脅威は今までもずっとあった(大半は表に現れていない)し、これからもあり続けます。藤木孝さん。「2万4000回のキッス」「ルイジアナ・ママ」素敵でした。

↑反応全くなし。





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遺書 62

2020-09-21 09:22:22 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




藤木孝さん 追悼

俳優・藤木孝さんが死去 都内の自宅から遺書が見つかる


藤木孝さん急死でSNS騒然 またも「ブラッディ・マンデイ」出演者の悲報




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「週間中国辺境気儘旅(全36コース)」 第3回

2020-09-19 20:50:27 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


中国探索35年の青山先生(Jun A.Condencemilk)と、希臘在住チエちゃん(Condencemilk三世)の
「週間中国辺境気儘旅(全36コース)」 第3回 湖北省:恩施
武漢-建始-恩施-利川-重慶
2020.9.27 /9:30pm~10:30pm オンライン



*湖北省は中国の中央に位置し、その西部の中心都市が恩施。三峡から山一つ隔てた南側にあり、隣の利川には世界唯一のメタセコイアの自生が知られています。僕はここでレンゲソウを調べています。



【オンライン旅行】週刊青山潤三とチエと行く、中国辺境気儘旅






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遺書 61

2020-09-19 08:22:58 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




[三世への私信:2020.9.17から]

昨日は、河辺駅からタクシーでアパートに戻りました。

Wi-Fi禁止自粛警察老人。かなりヤバい状況です。何をされるか分からないです。(本物の)警察に行っても取り合ってくれないし。

河辺周辺の、ジョナサン、マクド、イオンは使えない(その周辺を徘徊してるらしいので部屋からも出歩けない)。福生のスタバも危ないです(考えてみれば、数日前から、付けまわしていた、三世を背後から画面で見て“別嬪さん”と言った辺りから過激になった)。

立川または確実にTV電話可能な吉祥寺に遠征するしか方法なさそうです。しかし電車賃が1000円前後かかる。

あとは、携帯Wi-Fi買って、部屋に閉じこもる。しかし、クレジットカードがないので購入出来ません。

それとも、思いきってマジでギリシャに行きますか?

今は航空券は安いでしょうし、可能かも知れません。

問題は、ノービザで行けるのか?ビザが必要なのか?そもそも一般の日本人が入国できるのか?

もし行けるなら、一刻も早く出国しましょう。

ちょうど一昨日、あかね書房から1万円(手数料引かれたので9900円ぐらい)の印税が入りました(35年間印税出続けています)。ただし、昨日今日(あちこち逃げ回った)で、その中から5000円近く使ってしまった。

昨夜、(逃げている間)開始を待ってくれていた2人の女性には、感謝ですね。

残りの分と、100円500円のオンライン収入を併せ、出発までは、オンラインある日に併せ3日に一度吉祥寺という事にしようかと考えています。

*日によっては、深夜に河辺のマクドでWi-Fiが使える(昼は使えない、夜10時頃までは、頭のおかしいWi-Fi自粛警察老人が徘徊しているので危険)。

、、、、ところで、クラウドファンディングはどうなってんだろう?

報告
 
今、三世から連絡があって、9月19日(土)19:30に予定していた「中国辺境気儘旅・第3回:湖北省恩施」を中止(延期?)して、午後3時からの「ティー・パーティ」に変更したそうです。
 
準備してたのですが、、、(「ティ・パーティ」のほうは準備してないので、これから寝ずに纏めなくてはいけない)。




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遺書 58

2020-09-15 15:01:49 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




自民幹事長に二階氏再任(共同通信)というニュース

↓こんなコメントであふれています。

>菅さん、ほんとうにガッカリしました。
二階さん81歳、パソコンもスマホもネット通販もダイレクトバンクできない老人に、現代の何がわかるのでしょうか?
結局、あなたも言いなりですか?
国民の意見は全く無視ですか??
最悪です。少しは元気な日本になるかもという期待は一瞬で崩れ落ちました。
ガッカリ。

↓僕
>別に2F氏を弁護するつもりはないですが、、、コメントされている方々、自分が「老人ヘイト」をしている、という自覚はないのですか?
パソコン、スマホ、ネット、通販、ダイレクトバンク出来る若者とやらの、どこが素晴らしいのかな? 
人類、皆アホになって、お終いですね。



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遺書 48

2020-09-15 14:37:07 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




人類は「人種差別」の問題に、どのように向かい合えば良いのだろうか、、、。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「Blue Eyes Crying In The Rain」 1975 Billboard Hot100 No.21/ C&W No.1
Willie Nelson 1933~



「Bring It On Home To Me」 1962 Billboard Hot100 No.13/ R&B No.2
Sam Cooke 1931~1964


僕は、1962年頃から10年間ほど、アメリカンポップスにのめり込んでいたのですが、70年代半ば以降は、全く聴かなくなってしまっていました。

90年代に入って、(レコードからカセットテープに替わっていた)再び聴き始めたわけですが、その時点で、さらにCDというものが出現していたのですね。

それを知ったのはスタバ。ビーチ・ボーイズのスタバ・セレクションとかを購入して、ウオークマンなるものを使って聴くことになり、オールデイズの世界に本格的にカムバック、それが2000年代に入ってからのことです。

以降、日本のみならず、中国や香港でも、東南アジア各国でも、アメリカでも(ギリシャでも!)、スタバで音楽を聴き続けているわけで、マクドがともすればダサすぎる選曲なのに対し、スタバは結構センスが良いと思っています。

前回(注:アップの順がバラバラなので実際はだいぶ前)のブログでは、8月のスタバ・ソングであった、ダスティ・スプリングフィールドの「ウイッシン・アンド・ホッピン」、パッツイー・クラインの「クレイジー」、ニール・ダイアモンドの「ソング・サング・ブルー」を紹介しました。

9月は、サム・クックの「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」、ウイリー・ネルソンの「ブルー・アイズ・クライング・イン・ザ・レイン」とかがかかっています。

Bring it on home to me

前々回には、(意表を突くと言っても良い)ミリー・スモール盤「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」を紹介したのですが、引き続いて偶然オリジナル盤の登場です。

サム・クックは、今では日本でも、誰も知らぬものがないほどの知名度を得ています。“ソウル”ミュージックの、最大のレジェントの一人として、、、。

彼の曲で突出して有名らしいのが、「A Change Is Gonna Come」。若い友人(ニュージーランド人)は、サム・クックのヒット曲は、これ一曲だけ、と思い込んでいたようです。そのような人は、意外に多いのかも知れません。

確かにいい曲ではありますが、この曲は彼が殺された直後にリリースされた「シェイク」(Billboard Hot100 No.9/C&W No.2)のB面(Hot100No.31/R&BNo.4)の曲です。サム・クックの38
曲目のヒット曲で、31位というチャート・ポジションは、それらヒット曲群のうち25番目前後に当たります。

サム・クックの一番の魅力は、何と言っても、(ゴールデンエイジ・オブ・アメリカンポップスの中核を為す)“ティーン・ポップス”にあります(“チェンジ~”ばかりが持て囃されるのが不思議でなりません)。

もっとも、リアルタイムの日本では、彼の名前は知られていても、曲自体は一般には余り浸透していなかったように思います(たぶん「キューピッドよあの娘を狙え」辺りがそこそこヒットしていたぐらい)。


「A Change Is Gonna Come」 1964 Hot100 No.31/R&B No.9
Sam Cooke

*この視聴数の多さ(5000万回近く!)に注目。


「Cupid」 1961 Hot100 No.17/R&B No.20
Sam Cooke


1964年の暮れ、僕の従姉の“なか子ちゃん”から、「サム・クックがピストルで撃ち殺されたみたいよ」と伝え聞いた時の衝撃は、今でもついこの間のように思い出されます。なか子ちゃんは、特にアメリカン・ポップスに興味は持ってはいなかったと思うので、ということは、社会的にも、かなり大きな事件だったのだと思われます。

64年の春、ビートルズをはじめとした「ブリティッシュ・インベーション」(その数か月前がケネディ暗殺)、ボブ・ディランが台頭し、シュプリームスやマーヴィン・ゲイらのモータウン・サウンドに代表されるR&Bが音楽界の中心に踊り出てきました(ついでに言うと「東京オリンピック」もこの年の秋)。その、「新しい時代」の幕開け直後に、サム・クックは殺されたのです。

【Sam Cooke Taste Hunter】
《時代とジャンルをこえ、サムクック風味の甘美な曲を探し求めて、、、、》


サム・クックが殺されたときの状況を、時系列で日本人の方が書き記しています。サム・クックのファンの方です。10年間に亘って、毎日(「毎日」ですよ!)サム・クックに関するあれこれを、ブログに書き続けています。凄い方です。

彼の結論を僕なりに解釈すると、「結局は、サム自身が悪かったのだ」と言っているのだと思います。

殺害の引き金になった女性は、おそらくアジア系の血が入ったロシア出身の白人娼婦。殺したのは(ピストルでの射殺)、黒人の女性(ホテルの管理人)。彼女たちも、また被害者だろうと、、、。悲しい出来事です。

冷静に、客観的に書かれています。読んでいて、涙が出ます。

【Sam Cooke Taste Hunter】
《時代とジャンルを超え、サム・クック風味の甘美な曲を探し求めて、、、。》
サム・クックの死の真相を探る vol.1 | Sam Cooke Taste Hunter

結局サム・クックは何に殺された?
2019.03.29
[部分抜粋]
>サム・クックの死は、番組の中で取り上げられている人種差別や暴力や薬物の時代背景の中で公民権運動への関与があった為に狙われたように思われている。僕はそこにも疑問が残る。
>であればターゲットはサム・クックよりも先にモハメッド・アリ(青山注:クックとアリは親友)であってもおかしくない。むしろ影響力であればアリのほうだ。
>サムのチェンジ(青山注:「A Change Is Gonna Come」)は公民権運動のアンセムとされているが、それもサムの死後の話であり、リリースされた直後はそれほど大きな影響力はなかったのではないか。少なくとも一部の黒人ファンには支持されてはいても、KKKを苛立たせるほどの煙たい曲ではなかった筈だ。
>。。。ん? おかしいな。サム・クックの死をテーマにしたドキュメンタリーが過熱すればするほど、逆のベクトルに向かってしまう。これは何なんだろう?
>サム・クックのファンなのに。。。

、、、、、良い文章ですね。

今、アメリカで続いている暴動の発端となった事件の、3人の警官のうち主犯とされる人物(他の警官2人はアジア系)。(その事実はほとんど表に出ていないけれど)奥さんがラオス人なのですね。度重なるヘイトやDVを受けての離婚前歴がある最貧困国アジア人女性と敢えて結婚した白人男性です。

そのことを免罪符としようというような気は更々ありません。でも、彼を、単なる「極悪人」=黒人を差別して虫けらのように殺害した悪徳警官、、、としてのみ捉えることは、僕には出来ません。

黒人差別が存在することは、厳然たる事実ではあります。僕も、身近で様々な現実に出会っています。

アメリカン・ポップ・ミュージック評論家の第一人者であるU女史。彼女が、63年頃に音楽雑誌に書いた記事に、こんなのがあったのを覚えています。「エルヴィスの売り上げに迫る同じRCAレコードのニュー・スターがサム・クック」という記事に対して、「あんな“黒んぼ”(更に侮蔑的な形容詞もついていたように思う)に我がエルヴィスが負けるなど有り得ない」と言った要旨の発言をしているのです。今なら、相当の問題発言です。

実は、僕の周りの人(それも社会的に立場がある人)のなかにも、「黒人はとても人間とは思えない、サルに等しい存在ではないだろうか」と、本気で語る人が、複数人存在します。

それについては、ひとまず置きましょう。

サム・クックの曲で、最初に多くの日本人に知れ渡ったのは、おそらく63年のアメリカン・ヒット「Another Saturday Night /今度の土曜日には恋人と」ではないでしょうか?

先に、「Cupid/キューピッドよ、あの娘を狙え」(61年)が、日本でもそこそこのヒットになった、と記しましたが、(ヒットはしなかったけれど)「聴いた人数」という点だけなら、63年のこの曲に尽きるでしょう。何せ、分母(レコードを買った人)の桁が違う。

日本でも、ミリオン近いセールスを為したと思います。むろん、A面の「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」の力で。

15歳の白人少女歌手、正真正銘の“ティーン・アイドル”リトル・ペギー・マーチ(彼女については書きたいことが山ほどあるので別の機会に譲ります)の、日米に亘る未曽有の大ヒット曲です。

日本の少年は、みんな胸キュンになった筈です。僕(ペギーと同じ年で一か月半下)も夢中になって、アルバムも買って、毎日のように聴いていました。

で、その(僕だけでなく多くの日本の少年たちが)レコードの溝が擦り切れるまで聴いたであろう、「アイ・ウイル・フォロー・ヒム」の、日本独自のB面曲が、サムクックの「今度の土曜日には恋人と」。

え~~~(?_?)、なんで黒人のオッサンの曲がB面にカップリングされてんの?? 僕もガッカリしたし、他の大多数の人もガッカリしたのではないかと思います。

当時の、日本RCAビクターの戦略が、「お得な両A面」シリーズだったのです。でも、これが視聴者にとって本当に得なのか? かなり疑問です。

それぞれのアーテイストが好きな人にとっては、片面に「お呼びでない」曲が入っていたら、むしろ損をした、と思うのではないでしょうか?

たぶん、この組み合わせの場合、9割以上の購入者が、そのような思いを持ったはずです(数は圧倒的に少ないでしょうが、逆にサム・クックが聞きたかった購入者は、片面に16歳下のガキっ娘の曲がカップリングされていて、ガッカリしたことでしょう)。

「アイ・ウイル・フォロー・ヒム」目的の購入者の多くは、B面の曲を、多分、一回聞いて、半分を損した、と泣き寝入りの気持ちになったことと思います。


「I Will Follow Him」 1963 Hot100 No.1/R&B No.1
Little Peggy March 1948~



「Another Saturday Night」 1963 Hot100 No.10/R&B No.1
Sam Cooke


*今、57年ぶり!!に、両方の曲を「聞き比べ」たのですが、、、、思っていたよりも、“調子”“ティスト”が似ているのですね。結局、“ゴールデン・エイジ・オブ・アメリカン・ポップス”!!!

**ペギー・マーチのほうは日本語盤です。リアルタイムでのヒットは当然英語盤、そしてその日本発売ジャケットがこれ。もう、懐かしいを通りして、、、。

ちなみに、同じ頃、やはり「お得な両A面」として日本独自リリースされたレコードに、ジョージ・ハミルトン4世の「アビリーン」と、ボビー・ベアーの「デトロイト・シティ」があります。

こちらの組み合わせは、ペギーとサムの「正反対」組み合わせとは正反対の、「そっくり」同士の組み合わせです。一般のポップス・ファンには、歌手や曲の区別さえつかなったのではないでしょうか?

全く同じジャンルの若手ポップ・カントリー歌手(ちなみに、ジョニー・ティロットソンの立ち位置は、いわば“カントリー・ポップ”、そこらへんのことは以前にも書いたし今後も書いていくつもり)による、歌のスタイルも、曲の調子も、ヒットの程度も、歌い手の年齢も実績も、リリース番号も、ほとんど同じ、違うのは曲名と歌手名ぐらい。まず区別がつかない、というのが一般常識だと思います(笑)。

よって、どちらかに興味を持つ視聴者は、もう一方にも同じように興味を持ったはずです。ごく一握りのコアなファンは別として、聴きたかった曲を両方同時に(安くあがって)聴くことが出来る。購入者の反応は、ペギー/サムの組み合わせの場合とは対極にあったのではないかと思われます。 

*実は、ボビー・ベアー「デトロイト・シティ」とジョージ・ハミルトン4世「アビリーン」は、大雑把に捉えれば全く同じように感じられるとしても、(当たり前の事だけれど)全く異なる曲、異なる歌い手です。
経歴や立ち位置も、ヒットの方向性も(程度は同じだとしても)、むろんキャラクターも、深く見つめれば、大きく異なることが分かります。それについては、別の機会に。


「Abilene」 1963 Hot100 No.15/C&W No.1/Adult No.4
George Hamilton Ⅳ 1937~2014



「Detroit City」 1963 Hot100 No.16/C&W No.6/Adult No.4
Bobby Bare 1935~


とにかく、リトル・ペギー・マーチ「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」の裏面が、サム・クックの「今度の土曜日には恋人と」で、ガッカリ?した人も少なくはないと思います。

でも、せっかく買ったのだから、一度ぐらいはB面にも針ぐらい通して見よう、と思った人も多いのではないでしょうか? なにしろ分母が大きいですから、相当の人数が聴くことになったはずです。

それで、やっぱり全然嗜好に合わない、と感じた人もいるでしょうが、でも、それなりに魅力を感じた人もいるはず。R&Bというジャンルがあることを、この曲で知った人もいると思うのです。中には、「なかなか良いのでは」と感じて、R&Bの世界に引き込まれて行った人もいるでしょう。

サム・クックは好きでも、本格R&Bまでは辿り着けなかった人もいるでしょう。いずれにしろ“テーィン・ポップス”とはちょっと違う世界があることを、この曲が多くの日本人リスナーに知らしめる役割をしたことは、確かだと思います。「B面ガッカリ曲」であるとともに、日本の洋楽界に大きな足跡を残した曲でもあるのです。

それで思うのですが、日本の洋楽界に同じような役割を果たしたのが、ちょうど同じ頃日本でヒットしていた、「キューティ・パイ」関連曲。「キューティ・パイ」は、ジョニー・ティロットソン自作の、典型ティーン・ポップスです(「ポップン・ロール」の代表曲、と言った人がいます、「ポップン・ロール」とは言い得て妙ですね)。

この曲を聞いて、一発で“ジョニー・ティロットソンのファン”になった人は、少なくないと思います(もちろん僕もその一人)。

1963年の日本に於ける、アメリカン女性ティーン・ポップスの代表がリトル・ペギー・マーチなら、男性ティーン・ポップスの代表が、ジョニー・ティロットソン、という位置付けです。

*ちなみに、ジョニーはその後も日米で2~3年ヒット曲を放ち続けますが、ペギーはアメリカのヒット・チャート界からすぐに消えて、なんと日本で日本語の歌を唄って大ブレーク、次いでドイツに渡って、ここでもメジャーになります。70歳を超えた今も全く衰えることなく、若々しい声を疲労し続けています。ジョニーとは度々ジョイント・ライブをやっていたようなのですが、ジョニー曰く、ペギーとはジョイントをやりたくない、圧倒的な差があからさまになってしまうから、と「白旗」を上げています。


「I Will Follow Him」 2013
Little Peggy March [64歳時の映像]


ジョニー・ティロットソンのアメリカ初ヒットは58年、その5年後の「キューティ・パイ」で、やっと日本でもブレイクするわけです(その辺りの事情は何度も書いてるので省略)。その「キューティ・パイ」のシングル盤のジャケットの裏の解説には、これまでのいろんなヒット曲が紹介されていました。それらを聴きたい!

というわけで、レコード屋で彼の曲を探しました。日本でも、これまでに、シングル盤が4枚、LPアルバムが一枚リリースされていることを知りました。

どれも、62年から63年にかけての本国でのベストセラーです(しかし日本では全くヒットしていない)。もちろん購入して、期待にワクワクして、針を通しました。

その時の、ガッカリ感。拍子抜けというか、、、戸惑った気持ちは、今でも忘れられません。詐欺じゃないか!とさえ思ったものです「キューティ・パイ」とは、似ても似つかない曲調。本当に同じ人が唄ってるのだろうか?

シングルは、「涙ながらに」「夢の枕を」「どうにも出来ない」「涙でいっぱい」。アルバム「涙ながらに」。
併せて15曲ほど、一つぐらい「キューティ・パイ」スタイルの“ポップン・ロール”があっても良いと想ったのに、全部見事に外れです。

戸惑った、ガッカリした、損した、騙された、、、と思ったリスナーは、僕以外にも沢山いたはずです。

でも中には、せっかく買ったので、一応聴いてみよう、と何回か聴いているうちに、「そうか、C&Wというジャンルは、こんな曲なんだ、これもなかなか素敵ではないか」と感じた人もいるはずです。

もっとも、“ジョニー・ティロットソンは好きでも、本格C&Wまでは辿り付けない(大滝詠一)”、というリスナーも結構いたと思いますが、サム・クックとR&Bの場合同様に、ジョニー・ティロットソンとC&Wの関係も、その普及に対して、日本の洋楽界に大きく関与したのではないかと思っています。

ということで、ジョニー自作の対照的な2曲、“日本におけるポップン・ロールの代表曲”「キューティ・パイ」と、日本では全くヒットしなかった本国大ヒット曲「涙ながらに」、および日本での「キューティ・パイ」ヒット中に本国でヒットしていた「ユー・キャン・ネバ―・ストップ・ミー・ラヴィング・ユー」。聴き比べてください。


「Cutie Pie」 1961(B-side non-chart) /1963 Argentina No.1
Johnny Tillotson 1938~




「It Keeps Right On A Hurting」 1962 Hot100 No.3/C&W No.4/R&B No.6
Johnny Tillotson



「You Can Never Stop Me Loving You」 1963 Hot100 No.18/Adult No.4
Johnny Tillotson


さて本題の「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」。サム・クック自身の作品で、62年に本国で大ヒット(Pops 13位/R&B 2位)していますが、日本では全くヒットした形跡がありません。

この曲が日本の多くのリスナーに知られるようになったのは、3年後の、ジ・アニマルスのカバー盤からです。邦題「悲しき叫び」。

その3曲前のBillboard Hot100 No.1ヒット「朝日の当たる家」が、日本でも未曽有の大ヒットとなり、引き続いてその後のリリース曲もヒットしました。

日本における、リアルタイムでのビートルズのライバルは、ローリング・ストーンズではなく、アニマルズだったと思います。

現在では、白人のR&Bグループと言えば、ローリング・ストーンズということになりますが、当時の日本では、一般的な知名度は、たいしてなかったのです(ついでに言うと、ビーチ・ボーイズの曲も日本では僅かしかヒットしていない)。

それに対し、日本におけるアニマルズの人気は凄かったです。ボーカルのエリック・バードンの人気や知名度は、ビートルズのポール・マッカトニーやジョン・レノンに並ぶものでした(ミック・ジャガーは、お呼びではなかった)。

それだけ彼らの曲や演奏スタイルが、日本人受けするものだったという事でしょう。「哀愁」ですね。ストーンズのような、突き抜けた(カラっとした)ストレートさは、(少なくとも当時の)日本人の感性には合わなかったのだと思います。

ちなみに、この映像のMCは、サミー・デイヴィスJR。シナトラ一家(フランク・シナトラ、ディーン・マーチン、サミー)の“三男坊”。サミーに対して「このクロンボ野郎が」と言ったとかで、シナトラは人種主義差別者で、と後年言われたりしていますが(彼が差別主義者だったかどうかは別として)この場合は、いわゆる“お約束ネタ”なわけで、意味が違います。


「Bring It On Home To Me」 1965 Billboard Hot100 No.32
The Animals(Eric Burdon 1941~)


もう一つの大ヒット・チェーン。Doo Wapヴァージョンです。

「Bring It On Home To Me」 1968 Billboard Hot100 No.17/R&B No.4
Eddie Floyd 1937~


オリジナルのサム・クック盤でもバック・ボーカルを受け持っていた、ルー・ラウルズ盤。

「Bring It On Home To Me」 1970 Billboard Hot100 No.96/R&B No.45
Lou Rawls 1933~2006

アルバム・カットで、メジャーR&B歌手を代表して、ウイルソン・ピケット盤。ジョニー・ティロットソンの以前のH.P.に、野外ライブ会場の左右にジョニーとピケットの名が書かれた横断幕が張られている写真が載ってました。両者のポジションは、(むろん現在、ことに日本での評価は比較にならないでしょうが)リアルタイムの現地では、概ね対等だったようです。しかし、真ん中には、倍以上の大きな横断幕。ライブの主役は、どうやらアン・マーグレット。一介の(?)ポップ歌手より、テレビタレント・映画女優のほうが、一般の評価は上なのだと思います。

「Bring It On Home To Me」
Wilson Picket 1941~2006


このウイルソン・ピケットと並ぶ(サム・クックに続く世代の)R&B“ソウル”歌手として、飛行機事故で不慮の死を遂げた、オーティス・リーディングがいます。今思えば、サム・クックの死から、3年しか経っていないのですね。オーティスも「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」を唄ってます。女性R&Bシンガーのカーラ・トーマスとのデュエット。その、カーラ・トーマスが一人で唄っているのがありました(正確には“アンサー・ソング”で、主語が入れ替わっています)。

カーラ・トーマスと言えば、まず、ルーファス・トーマスの娘、ということでしょうか。ただし、この組み合わせの場合、ルーファスの娘がカーラ、と言うのか、カーラの親父がルーファス、というのか、難しいところだと思います。

カーラは、年齢も活動期も“ゴールデン・ポップス”真っただ中。おとっつあんのほうは、年齢は二世代ぐらい上、活動期もカーラより2年ほど後ろにずれていて、ヒット曲の数も半分ほどです(最高位は共に10位)。ただし、インパクトということでは、おとっつあんには63年の大ヒットでR&Bの名曲といえる「犬も歩けば/Walking The Dog」があります(少なくとも日本人にとっては、曲のタイトルだけでも記憶に残る歌手です)。
「I'll Bring It On Home To You」 1962 Billboard Hot100 No.41/R&B No.9
Carla Thomas 1942~

以下、アマチュア歌手も混じっているかも知れません。

カントリー?ですね。

「I'll Bring It On Home To You」
Alex Serra & Karol Green 


何となく心に残ります。

「I'll Bring It On Home To You」
My Kids 


イギリスの歌手らしいけれど、詳細は未詳。この(バックの演奏も含め)聴いていて腹立たしくなるほどのやる気の無さ感の充満は、魅力と捉えて良いのでしょうか?
「Bring It On Home To Me」 
Katey Brooks


こちらも詳細不明。

「Bring It On Home To Me」 
Morgan Miller


黒人女性歌手。詳細不明。一瞬、サム・クック本人の声かと思った。

「Bring It On Home To Me」 
Jovel Johnson


さて、何と言ってもこの曲のカバー大ヒットは、カントリー界でのミッキー・ギリー盤でしょう。1975年夏、C&WチャートでNo.1。ポップ・チャートでは101位(ミッキー・ギリーには、もう一つポップ101位の曲があります)。

この後に紹介する同時代のレジェントC&W歌手チャーリー・プライドも、3つのポップNo.101位のC&WNo.1ヒット曲を持っています。彼が黒人だから100位に入れなかった、というわけではなく、C&WのNo.1ヒットは、ポップ・チャートでは101位止まり、という曲が結構多いのです。

アーネスト・アシュワース盤「トーク・バック・トレンブリン・リップス」は、彼唯一のC&Wナンバー1ヒットで、ポップ・チャートでは101位(アシュワース唯一のポップ・チャート曲、ちなみにポップスではジョニー・ティロットソン盤がトップ10入り)。コニー・スミスの唯一のC&Wナンバー1ヒット「ワンス・ア・デイ」も、ポップ・チャートでは101位(やはり唯一のポップ・チャート・イン)。

1936年4月生まれのミッキー・ギリーは、年齢では従兄のジェリー・リー・ルイスと約半年しか違わないのですが、50年代にブレークしたルイスとは対照的に、80年代が主戦時代になります。

ポップス(ロック)歌手としては、57年の2大ヒットを持つルイスのほうが圧倒的にメジャー。ルイスは 後にカントリー歌手としてもかなりの活躍をしますが、彼の活動がほぼ終えてから、ギリーがブレイクします(C&W歌手としてはギリーのほうがよりメジャー)。バトンタッチという形です(幾つかの曲では、ギリー盤はルイス盤のアレンジをそのまま踏襲しています)。二人の歌とピアノの共演もユーチュブで幾つか見ることが出来ます。

チャーリー・プライドやウイリー・ネルソンやマール・ハガードやウエイロン・ジェニングスら、C&W界のメジャー歌手の主要活動期は、40歳前後になって以降です。

彼らも「ゴールデン・ポップス・オブ・アメリカ」のティーン・アイドル達と、年齢的には同世代(むしろ上)で、同じ頃(50年代後半~60年代初め)にデビューしているのですが、その当時は芽が出ずに、アイドル歌手たちが活躍を終えてから、メジャー・ブレイクします(芽が出なかったのが幸いしていると思う)

日本でも名が知られていると思うウイリー・ネルソンはともかく、チャーリー・プライド、マール・ハガード、ウエイロン・ジェニングスらは、一般的には日本では全く無名といってよさそうです。別にそれでも良いのですが、その認識の偏り具合は、ちょっと異常だと思います(それにしても、ミッキー・ギリーの日本での知名度の低さは、一体どう捉えれば良いのだろう)。

日本語版ウィキペディアの「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」の紹介では、最大のヒット・バージョンであるギリー盤は、見事にスルーされています。シングル発売されていないポール・マッカトニー盤やジョン・レノン盤、あるいはロッド・スティアート盤(イギリスでサム・クック・メドレーとしてヒット)などは、詳しく紹介されてるのに、、、。

ちなみに、ミッキー・ギリーのカントリーNo.1ヒットの多くが、黒人歌手がオリジナル・ヒットの曲であることは、興味深いです。この「ブリング~」の他、レイ・チャールズの「ユー・ドント・ノー・ミー」(やはり黒人歌手のレニー・ウエルク盤が先行ヒット、作者は白人女性のシンディ・ウオーカー)、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」など。


「Bring It On Home To Me」 1976 Billboard Hot100 No.101/C&W No.1
Mickey Gilley 1936~


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Blue eyes crying in the rain

最初に書いたように、僕がアメリカン・ポップスを聴いていたのは、1962年頃から10年間弱、70年代に入ってからは 全く音楽を聴かないでいました(今、突然気が付いた、アメリカンポップス黄金期のメジャー歌手たちの全盛期は、4・5年から長くて7・8年、ということは、聴く側の年齢推移と一緒ということ、僕の場合は14歳から20歳頃まで)。例えば、ジョニー・ティロットソンが、まだ歌手を続けているのかどうかさえも知らなかった。76年にエルヴィスが死んだことなど、一般社会に及ぶ大ニュースだけは把握し得ていましたが。

再び聞き始めたのは 1990年前後、2000年代になって、CDなるものの存在を知った。ジョニーのかつてのアルバムやベスト盤も、改めてCDで購入することになりました。

最初に買ったCDの一つが、新たに再編されたベスト盤の一つ(原盤は「カントリー・コレクション」)で、1999年のリリース(まあ、61年以前の曲を除いて、どのアルバムもほとんどC&W系の曲ですが)。その中に、聴いたこともない、それどころか存在も知られていなかった一曲が収められていました。それが、「ブルー・アイズ・クライング・イン・ザ・レイン」。ハンク・ウイリアムスが歌った40年代の曲で、ずっと後の70年代中期にウイーリー・ネルソンでヒットした曲であることを知りました。

録音は1964年(65年?)となっています。アルバム「シー・アンダ・スタンズ・ミー」「ザッツ・マイ・スタイル」か、どっちかの頃。なぜ収録しなかったのか?存在も知られていなかったのか?と思えるほど、出来の良い曲です(「シー・アンダ・スタンズ・ミー」や「ハートエイクス・バイ・ザ・ナンバー」に前後してリリースしていれば、そこそこのヒットになったのにと思うと少し残念です)。

日本JTファンクラブ会長の村田さんから後で聞いた話では、ある古くからのジョニー・ファンの方が、この曲が大好きで、テープ?(日本での最初のリリースはカセットテープ?)が擦り切れるまで聞き続けている、と。分かる気がします。僕も大好きです。

その後(この5~6年)、インターネットのクラヴィング・エクスプローラの発展で、ユーチュブから、各歌手のほとんどすべての曲が自分のパソコンに取り込めるようになりました。ジョニーの曲も、これまで未知の存在だった曲を含め、ほとんどすべてがユーチュブで紹介されています。でも何故か、ジョニー盤のこの曲はユーチュブで取り上げられていない(たぶん、目玉として収録した上記のCDアルバムの販売と関与しているのでしょう)。

ということで、今回の「ブルー・アイズ・クライング・レイン」、真っ先に取り上げたかったジョニー盤が紹介出来なかったのは残念です。

この曲は、ハンク・ウイリアムスの歌った曲ということでも有名なのですが、(歌う曲の多くが自作である)ハンクの持ち歌としては、例外的に自作ではありません。ハンクのソングライトのパートナーの一人としても知られる、フレッド・ローズの単独作品。そのフレッド・ローズ(FredRose1898~1954)のビジネス・パートナーである、ロイ・エイカフ盤がオリジナルです(ハンク・ウイリアムスの作品も、どれもエイカフ=ローズ音楽プロダクションに所属)。

ジョニーが歌った時点では、ハンク・ウイリアムス持ち歌中の「隠れた名曲」として位置づけられていた(むろん何人かのC&W歌手もカバーしていたことでしょうが)この曲が、一躍有名になったのが、本項の冒頭で紹介した、ウイリー・ネルソン盤です。76年、ポップとカントリーで、クロスオーバー大ヒットとなりました。ウイリーネルソン(1933年生まれ、当時43歳)自身、それまでは歌手というよりも、どちらかと言えばソング・ライターとしてのほうが有名だったように思われますが、この曲の大ヒットにより、一躍メジャーな存在になったものと思われます。

いや、ウイリー・ネルソンは(色んな意味で)凄いですね。先に挙げたサム・クックは2歳上、カントリー 仲間では、1つ上のジョニー・キャッシュや、4つ下のウエイロン・ジェニングスやマール・ハガードらの仲間たちが既に亡くなってるのに、80代後半の今も現役です。

同様に、40歳を超えて、1980年代に全盛期を迎えた、端正で甘いマスクのミッキー・ギリーとは対照的に、独特な風貌・佇まい。苦手な人も少なくないと思います。しかし、声と言い、センスと言い、やはり凄い歌手です。

ウイリー・ネルソン以前で一般によく知られているのは、やはりハンク・ウイリアムス・ヴァージョンでしょう。

「Blue Eyes Crying In The Rain」 1951年 アルバム
Hank Williams 1923~1953


そして、オリジナル。 

「Blue Eyes Crying In The Rain」 1946年
Roy Acuff 1903~1992


エルヴィスもやってます。

「Blue Eyes Crying In The Rain」 
Elvis Presley 1935~1977


僕の好きなのはチャーリー・プライド盤。このブログで彼のことを詳しく書きたいと思いながら、書きたいことがいっぱいありすぎて どんどん後回しになっています。なんせ、白人社会を象徴するC&W音楽の分野で、黒人、それもナンバー1歌手の一人です。 

ちなみに、70年代には、チャーリー・プライドをはじめ、コンウエイ・トゥエッテイ、マール・ハガード、ウイリー・ネルソン、ウエイロン・ジェニングス、ミッキー・ギリスらが、C&W界を担ってきましたが、年代的には、“アメリカン・ポップス黄金期”の歌手たちと同じ、というか、むしろ年上なんですね。活躍期 が10~20年遅れて訪れ、かつ長く続いた、というわけです(この文章既述?)。

チャーリー・プライドが“異色”なのは、黒人であることに加えて、元プロ野球ということ。それについての考察は、また別の機会に行います。

これまでにも少しは触れてきたけれど(そして今回も少ししか触れないけれど)白人文化を象徴するC&W音楽で、黒人、それもナンバー1歌手の一人、という事は、一体、どういうことなのか?

用意されている答えは、“両方”から反発され、迫害を受けているだろう、という事なのだけれど、それ以上に“評価されている”という現実があるのですね。そして、興味深いことは、多くの「成功した異端者」がアピールするであろう、“カウンターカルチャー”“プロテスト”という概念が、彼からは(少なくとも表面的には)余り感じ取れない。

本人に関心がない。ただC&Wが好きだから歌っているだけ。そして、声が良く歌が良かったから、リスナーに受け入れられた、たまたま、黒人だった。それだけのこと。

僕もそう思います。ただ、僕は彼の大ファンではあるのですが、上の表現には、ちょっと異論があります。特に声がよく歌が上手いとは思わない。“見かけ”も、そこいらの普通の黒人のオッサンです。なのに、なんでこれほどまでの大成功を収めることが出来たのだろう。

はっきりしていることは、すごく好感があり、多くの人々に親しまれていること。だとしても、ここまでの成功に至る本当の要因は、どこにあったのでしょう? それを考えると、非常に興味深いのです。

10年余前の映像では、年相応に結構疲れているように見受けられたのですが、ウイリー・ネルソン同様、80歳代後半に入っても、まだまだ現役、昨年末には新たなクリスマス・アルバムもリリースしています。


「Blue Eyes Crying In The Rain」
Carley Pride 1934~


数多くの歌手がこの曲をカバーしていますが、チャーリー・プライドと同世代歌手達のバージョンを、数曲選んでおきます。


「Blue Eyes Crying In The Rain」
George Hamilton 4世 1937~2014



「Blue Eyes Crying In The Rain」
Bill Anderson
1937~



「Blue Eyes Crying In The Rain」
Conway Twitty 1933~1993


コンウエイ・トウェッテイは、ジョニーの「涙ながらに」もカバーしてくれています。少し上の世代の、次の2人も、「涙ながらに」「夢の枕を」ともに歌っています(ハンクは「夢~」の作者)。

「Blue Eyes Crying In The Rain」
Slim Whitman 1923~2013



「Blue Eyes Crying In The Rain」
Hank Locklin 1918~2009


女性歌手盤で著名なのは、オリビア・ニュートンジョン(僕と同じ年)かな?

「Blue Eyes Crying In The Rain」
Olivia Newton-John 1948~


最後に、もう一度、ウイリー・ネルソン。より若い世代の、(多分今の世代の人々にとっては今回紹介した歌手の誰よりも名が知られているであろう)女性C&W歌手とのデュエット。

「Blue Eyes Crying In The Rain」
Willie Nelson and Shania Twain 1965~


・・・・・・・・・・・・・

全く関係ない話を追加しておきます。

ジョニー・ティロットソンのお父さん(「涙ながらに」のモチーフになっている、ということは、61年の暮以前に亡くなっているわけですね)は、ミンストレル・ショーに入れ込みすぎて、破産してしまった、という話を聞きました。ジョニーの幼少時の家庭は、あまり裕福ではなかったのだと思います。

「ミンストレル・ショー」。今なら一発アウトです。と同時に、アメリカの文化は(ポジティブな面でも)ミンストレル・ショー無しでは語れない、、、。

・・・・・・・・・・・・・・・・

もう一つ、一応は全く関係がないのだけれど、、、、。

上記、ウイリー・ネルソンやチャーリー・プライドと並ぶC&W界の大スター、マール・ハガードの、最も有名な、僕の大好きな曲(アメリカ音楽界の歴史に残る曲です)を最後に付け加えておきます。

「Okie From Muskoogee」 1969 Billboard Hot100 No.41/C&W No.1
Merle Haggard 1937~2016


“We like living right and being free”

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当たり前の話ですが、、、、。

正義(空気)と悪(風)は表裏一体。







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遺書 57

2020-09-14 17:19:23 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




日本の将来はどうなるのか?

未来は予知できませんが、敢えて予想を。

① このまま「無意識強要同調空気」のもと、自主的マスク着用が続く。

② 共産主義化して、強制的に永久マスク着用。

③ イスラム化して、顔全体を覆い隠す。

④ うやむやに、いつの間にかマスクしなくなる。

マスク着用の群れを見ていて、あることに気付きました。
「人間の顔から“表情”が消えてる!」



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遺書 56

2020-09-12 20:26:30 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



不定期ネット連載の「越智正典ネット裏」。僕は越智アナウンサーが現役当時は大嫌いだったのですが、もうすぐ92歳になるのだけれど、今は良い味出していて、愛読しています。来週は、友子さんのお父さん87歳と、久しぶりにコーヒー飲みます。87歳はまだ若いです!父上の家のお隣さんは、元中日のエース杉下さん(来週95歳の誕生日)で、いまだに矍鑠として歩いておられるそうです。

父思いの新人・王貞治が大部屋のボスに毅然として申し出た心を打たれるセリフ

↑この記事は、王貞治さんの若き頃の話(1959年春)。王さんのお父さんは、中国浙江省出身(国籍は台湾、王さん自身の国籍も台湾です)。たぶん何度も語られていると思うありきたりの話題ですが、僕はこんな話好きですね。

杉下茂、広岡達朗に”ON”…80歳を超えてもまだまだ元気な野球界のレジェンドたち
杉下茂ほか、現役レジェント。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

梅野3番起用に、これ以上負担がかかると心配、という記事に対するコメント。

阪神18年ぶり「2番・捕手」にファンは梅野の疲労を心配「梅ちゃんの負担がますます…」


you*****さんという方のコメント
>梅ちゃんは、気楽に6番か7番ぐらい、打たせてやれよ。矢野監督は知らないかしれないが!? キャッチャーって大変なポジションだよ。

それに対するリコメント
pvz*****さん
>>矢野さんもキャッチャー出身やけど‪w‪w知らんかったん? 
aao*****さん
>>矢野もキャッチャーだよ。 

いや、世の中(ヤフコメ民だけかも知れませんが)よくまあこれだけ単純な思考回路を持った人がいるもんだと、、、、それでふと思ったのですが、AIというのには、“ボケ”がどの程度出来るのでしょうか?人類の頭がAIの頭脳に近づきつつあるような気がします。それで僕も参戦しておきました。

milk
>>真面目なリコメントがあってびっくりした。

コメント主(you*****さん)のリコメント
>>今日の川柳。
「コロナ禍でボケ倒すのに勇気要る」
「阪神ファン相手にボケるの命がけ」
↑いや、実に秀逸です。でも分かんない人が、2人に一人ぐらいいるのは驚きです。



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遺書 55

2020-09-11 10:30:37 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




[昨日送った三世への個人的メールを今日のブログの穴埋め記事として転用しておきます]

三世は「内容は青山さんが決めてください、私は中国のこと知らないので作れません」というのだけれど、内容はとっくに決まっているし(何度も送っている)僕じゃないと作れないのは分かってます。

でも形式が決まっていない。それはチエちゃんが選ばねばならない。

ABC案のどれで行くのか?

もし、B案かC案にする場合は、「あや子版」のほうで、代替え紹介しなくてはなりません。

今日だって、これから「オンライン講座:コロナを愛して」があるのでしょう?

この一週間、その企画進行をちゃんと行なうために、毎日スタバやジョナサンで終日スタンバイしていて、なのにどうでも良い内容のメールしか来ず、一向に先に進む気配がありません。予算だって、もう完全に尽きました(今日の講座の参加者料が頼りです)。

とにかく、お金稼ぐこと。三世は「お金なんて必要ない」というけれど。ギリシャはともかく、日本では(たとえ山の中でも、、、山の中ほど国家のなんとかかんとかやらで色々しがらみがあって)そういうわけにはいかない。ギリシャに来い、と言われても、現実問題として無理です。

まあ、三世が善意で色々やってくれてるというのはわかりますよ。

でも、「社会の窓から」、最初はずっと継続するつもりだったのに、途中でほったらかしでしょう? 「あや子版」のほうに150回分近く「社会の窓から」未アップ分を毎日紹介している(もともとは「社会の窓から」用に書いていたのに、それが載らないから「あや子版」でカバーしてもらっている)わけで、、、。そのうち、その150回分、纏めて載せてくださいよ!

「フェイスブック」
「インスタグラム」
「ツイッター」
「ノート」
も、全然活用してないです。

「クラウドファンディング」も全然連絡こない。

「ユーチュブ」だって(K氏の手は離れているのでモニカや三世が自由に操作できる)利用していきたいし。

そのうえで、「TV電話のオンライン旅行&講座」。

“どうせほったらかしにして、それに誰も見ないでしょ”
と僕が言ったら、
“今度は大丈夫です、私も小遣い稼いでるので青山さんも稼げます”
と言うから始めたわけで、、、、やるんだったら、ちゃんとやりましょうよ。

「ギリシャ旅行へのゲスト参加」(普段は見るだけだけれど、「ゲスト」と明記した回は、最後のほうに20~30分ぐらい時間を貰って、ちゃんと喋る。「キャベツとモンシロチョウの起源について」「西洋と東洋のレタスの歴史について」「東西の春の女神“ギフチョウ”と“モエギチョウ”」など。

「中国気儘旅」
とにかく、(プレゼン紹介を)ABC三案のどれにするか決める。
A案:36コースを紹介(各コース名・85字でのコメント・写真一枚・オンライン実施日の日時)。
B案:現在のまま。ただし、地図を一枚に36個青ドットしたものに入れ替える。
C案:地図も含め、現在のまま。ただし以下のコメントを付け加える。

全部で36コースをガイドします。この画像(地図を含む)では、第16回のコース(白馬雪山)の一部を参考として示しています。毎回の紹介は、それぞれ(ここに示しているのとは)別のコースです。

全36コースのサンプル案内と、オンラインガイドを行う日時は「青山潤三の世界・あや子版」で行っていますので、それをチェックしてから、こちらに申し込んでください)。

なお、オンラインガイドが終了したコースも、いつでも再視聴が可能です(一回250円)。

↑下線の部分ちゃんと出来るように準備しといてくださいよ!

*前回のように、突然旅行会社からのブッキングがその時間帯に度々入るようならば、重ならないように最初から9時半開始にするべきかも。

・・・・・・・・・・・・・・

三世のギリシャ旅行への参加者は、毎回ある程度いる訳でしょう?でも、中国旅行参加希望者は、実質ゼロ。どこが違うのか?

ギリシャは魅力があるけれど、中国に魅力はない。
三世は魅力があるけれど、僕には魅力がない。
そこらへんは仕方がないことで、何らかの方法でカバーしていかなければならないわけです。
例えば、ギリシャや三世を好きな人が1000人いるとして、
中国や僕を好きな人とが10人だとしたら、
それくらい分母の差があれば、例えば、ギリシャや三世のほうには1000人のうち10人が参加するとして、同じ割合だと、(何も策を練らずに普通にやってたら)中国や僕のほうには10人中一人も参加しないことになります。
そこを何とかして、興味を持ってくれそうな10人を集中的に攻めて、3人ぐらい引き込む。


●「オンライン講座:コロナを愛して」

参加者を募りましょう!

例えば(資金さえあれば)、「講座」の内容と日時を記したポスターでも作って、片っ端から配りまくるとか。

それよりも、せっかく作ってある、ツイッター、フェイスブック、インスタグラム、ノート、ユーチュブ、クラウドファンディング、、、、。
それらを、積極的なアピールに利用できないものかと。

ピーチの人に連絡を取り、エーゲ海フェリーでのチエちゃんの体験を交え、日本と中国の現状の比較などとともに、「今、なぜ、マスクをする必要があるのか?」を正面から問いましょう。

中国:即座に全国民にマスク命令、移動禁止令。3週間後に全面解除。今は自由。現在感染者ほとんどなし。衛生状態最悪(自覚してる)。デタラメ。多分日本人から見れば、全員「発達障害」。

日本:責任擦り付け合ったりしていつまで経ってもグダグダ、、、。その結果、「民意」でマスク“お願い”。マスクしない人は村八分。衛生状態は最高(自慢)。感染者は世界的に見れば少ない。

日中の状況を比較すれば、マスクは無論、衛生度とか、感染云々とかも、実は本質的な部分では、余り関係ないのではないか? と思うのです。

マスクは、肉体の安全の為ではなく、精神の安心のために必要とされているわけであって、ウイルス感染の対策としては、さほど意味はないと思います。

そもそも、ウイルスに感染しちゃいかんのでしょうか? 遠い過去から、無数のウイルスが存在し、それぞれ独自の性格を持ち、人間に対しては、それぞれ異なる脅威を齎してきたわけです。

人類が対面する脅威というのは、ウイルスだけでなく全てにおいて同じです(交通事故とか自殺とか)。

熱中症は、冷房に飼いならされた現代人が、そこから抜けられなくなった結果です(銃社会問題もドラッグ問題も同じ)。冷房の過剰利用で齎された結果が温暖化です。

その因果応酬を認めたくない。皆で渡りだした赤信号は、途中でヤバいと気付いても誰も止まれな
い。王様(実は大衆)が裸だと分かっても(実は自分も裸なので)誰も指摘が出来ない。みんな、目の前の利益(防御)しか考えていない。

無意識強要同調空気の許に成り立つ「民主的相互監視社会」は、共産党一党独裁の(分かり易い)監視社会より、遥かに怖いのではないか? と思います。

ワクチンが出来るまで、みんなマスクでやり過ごして待つのか?

ワクチンが出来ても(すでに副作用出現してます!)、またすぐ「新しいウイルス」が出現する。

そのうち、何もかも「人類に脅威」と見做され、それに対して(例えばマスク、例えばエアコン、例えば主張デモ、、、)、自分たちだけがリスクを避けようと、目前のお手軽な対処を続けて行けば、やがて人類は自分の首絞めて、がんじがらめになって、何にも出来なくなって滅亡に至ることでしょう。

ということを、大々的に発信していきましょう(どっか大きなメディアに取り上げてもらう)。





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遺書 53

2020-09-11 10:24:44 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




以前、日ハムの杉原選手(29歳)ネタを書いたことがあるので、もう一回(実は僕自身彼がどんな選手かもよく知らないのですが、笑)。

ウグイス嬢からの弄りとともに定番になってしまっているのが、試合前の国歌斉唱だそうです。ナインが並んでスピーカーから流れる「君が代」の国歌演奏を皆神妙に聴いているわけですが、一人杉谷選手だけが声高らかに歌う。ほかの選手は、その間、笑うのをこらえている、という図式です。

ところが今日、隣に立っていた、高卒ドラ1(3年目、21歳)の清宮選手が、ついつられて歌いだした、という記事です。本人曰く、「黙って聴いてるより、歌った方が楽」だからそうです(笑)。

>試合前の国歌斉唱で元気いっぱいに歌う姿がファンの間で話題なっていた日本ハムの杉谷拳士内野手。その元気印につられるように、一緒に斉唱する選手が現れた。4日の西武戦(札幌ドーム)の試合前、杉谷の後方で清宮幸太郎内野手が口ずさむ姿が映し出された。「もう一緒に歌うしかないと悟った」日ハム杉谷の国歌“熱唱”に参戦した清宮にファン爆笑。

>杉谷、清宮が歌ってるのとは対照的に、矢野謙次外野守備コーチ兼打撃コーチ補佐は真剣な表情で聞き入るのみだった。ファンは矢野コーチに注目。「国歌熱唱の向こう側に辿り着いのか知らんけど、今は謙次にジワってしょうがない(笑)」 ファンの声を受け、矢野コーチは今後どのような“動き”を見せるのか。
日ハム杉谷の国歌“熱唱”に清宮参戦 ファンは矢野コーチに注目「謙次にジワる」


僕はどっちかというと、「国歌斉唱」には反対の立場にある人間ですが、こういうのは良いですね。思ったことを、(他の人の動向を気にすることなしに)躊躇せず実行する。(これまでずっと我慢してきたのに、とうとう)つられて歌ってしまったという、清宮君も面白いです。

コメントも、(特に清宮選手の野球での成績との関係を皮肉りながら)ユーモラスなものが大半。

でも、ちょっと気になったのは、「この際、選手・スタッフ・観客全員の、国家斉唱を義務付けるべきだ」というコメントが、チラホラあったこと(あと「コロナなのに不謹慎」というのもあった)。

杉原選手本人は「最終的には僕より若い選手を皆巻き込むことが目標です!」とか言ってるわけで、、、、(思想の左右には関わらず)「継続は力なり」の姿勢こそが魅力なのですが、そこから一部大衆の意見が「国民の義務」「国歌斉唱を義務付ける」といったところに飛んでしまうと、ちょっと違うのではないか、と違和感を持つのです。

*以下、全く個人的な意見で、それこそ不謹慎と取られてはいけないのだけれど、、、、。自分の国に誇りと愛情をもって、「国歌」を唄う、という精神や行為は、尊いと思います。しかし、強制されるべきものではない。それと、僕個人的には、「君が世」という曲が(歌詞にしろ曲調にしろ)余り好きには成れない。誰かが言ってたのですが、「どうせなら皆が知ってるだろう“故郷(ふるさと)”あたりを国歌にした方が、皆(気持ち的にも)歌いやすいのではないか」という意見は、賛成ですね。

“兎追いし此の山、小鮒釣りし此の川、夢は今も廻りて、忘れ難き故郷”
A long time ago, that mountain where I chased a wild rabbit, this river where I caught a small fish. Dreams still run-around, an unforgettable my hometown.





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遺書 50

2020-09-08 21:01:58 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




「I Wish I Was 18 Again」

72歳にもなると、当たり前のことですが、お先真っ暗です。なんか、生きてるのがアホらしいという。

この話題は、前にも一度取り上げたのですが、、、。

もうずっと以前のことですが、スタバかマクドの店内でビーチ・ボーイズのユーチュブを色々と聞いてたとき、彼ら超メジャーアーティストの場合、1000万回視聴、なんて曲も少なくはないのだけれど、その中に一つ突出してい多いのが、右側の案内欄(あなたにお勧めの映像)みたいなのに紹介されていた。

他の曲に比べて異常に多い、数憶回単位だったと思います。一体どんな曲なのか?と思って開きました。周りの席には多くの人が座っていて、、、、もうみっともなかったこと、まさに地獄でした。言い訳するわけにもいかんし(-_-;)。

そういう災難にあったことがあるので、その後、ユーチュブを開けるときは慎重に慎重を期していました(100個に一つぐらい紛れ込んでいる)。

先日、久しぶりに地雷を踏んでしまった。コロナとか、異常気象とか、デモとか、差別問題とか、要するに人類の未来を三世と語りあっていて、「結局は“愛”だね」「そうですね、でも愛は難しいですね」という高尚な結論に至りました。

で、「中国」「愛」で検索したのです。予想外の事態になってしまった。「中国人が最も愛した日本人」がトップコラムです(この時はそのコラムの内容は概ね分かってたので他のお客さんに見えない角度で一応チェック、笑)。それについては、このあいだブログに書いたので省略します。

問題は、そのあとです。前から腹がたって仕方がないのだけれど、そしてそのことは、「コロナを含めた自然災害」や「差別問題」や「正義」とか「自由」とか言った問題のすべて(僕が繰り返し言う「無意識的強要同調空気」)に関わって来るわけで、、、「広告」というメディアを使った「空気」の形成ですね(そしてそれに侵されることによる無自覚な思考停止)。

例えば、ジョニー・ティロットソンを一度検索すると、「あなたへのお勧め」として、ジョニー・ティロットソンの曲ばかりが出てきます。そんなのいちいち教えて貰わなくても全部知ってます。お節介も甚だしい。

でも、一度それに「関連」してしまうと、僕の「好み」に会いそうな、音楽とか、話題とかを勝手に判断して、続々といろんなのを送ってくる。人間の興味とか意識の向かい方とかは、一人ひとり異なり多様で複雑なわけだから、たかがITごときで把握出来るわけないのだけれど、把握しちゃったつもりになっているのですね。

つもりになっている、、、、、いや、どうやらそうでもなさそうなのですね。結構多くの人が、実際に、インターネットから勝手に送られてくる情報を頼りにしているみたいで、、、。

いとも簡単に同調してしまう。その結果、皆と同調することがスタンダードであり、正常であると。その体系からはみ出た複雑多様な部分を垣間見せると、「発達障害」とかにされてしまいかねません。

よく「教育が大事」とか言いますね。僕は、必ずしもそうは思いません。教育ひいては学問とは、一言で表せば「体系」に沿った思考。体系に沿って答えを導き出すことで文明を構築し、人類の繁栄に繋げる。でも、人類にとって必要なことは、それだけではない筈です。全体を俯瞰すること。矛盾を飲み込み、無駄なものを排除をしないこと。

体系に沿っての教育というのは、「問題→方法論→答え」の流れを身に着けることですね。でも、安易に構築できる(結果を示すことが出来、人々を納得させることが出来る)思考パターンは、精神の基礎体力を削いでいきます。

その結果、皆が同じ、お手軽な「答え」の「空気」の中に閉じ込められる。それにつけ込んだのが、IT産業です。人類を(ガス室ではないけれど)同じ部屋に押し込んで、金を巻き上げる。トップから最下層庶民に至るまで、どっぷりとその「空気」の淀みに浸った状態で、世界が成り立ってしまっているのです。

話が大きく広がりすぎました(笑)。

ここんところ、前回ブログ(順序を逆にしてこの後アップ予定)の流れで、C&W系のレジェントたちのYoutube映像を見ています。70歳80歳を超えてからの映像です。

こういうの見てると、時間とはなんだろう? という想いになりますね。

自由とは、平和とは、愛とは、幸せとは、、、とか。

で、話が全然飛びますが(笑)、検索途中(「お勧め映像」は基本無視しているのだけれどこの間「中国人が最も愛する~」とかをチェックしてしまったものだから「貴方にお勧め」でしつこく出てくる「同類の映像」を)せっかくだから、と暇つぶしに(周りのお客さんに見られぬように、笑)クリックしてみました。もう、(え~、こんなのあり?と思うほどの)メチャ可愛い女の娘が、、、、。

え~と、、、ちょっと焦ったですね。なんていえば良いのですかねぇ(-_-;)。オレ、なんで一生懸命生きてきたんだろう?なんか、えらい損してきたような、、、。といって、今さら、どうしようもないし、、、。人生の無常みたいなものを痛感してしまったわけです(あと、別次元の下世話な感想“こいつ、これで大儲けしてんだろうな”)。

以下、ユーチュブ紹介です。

メチャ可愛い女の子、のほうではありません。C&W界レジェントおじいちゃん達、のほう。

1 Ray Price(1926~2013)
「I Wish I Was 18 Again」


ユーチュブには、スリム・ホイットマン盤やジェリー・リー・ルイス盤も紹介されていました。どれを選ぼうか迷ったのですが、まだ若々しい印象のホイットマン盤やルイス盤よりも、老成したプライス盤のほうが、この曲にはより馴染むと思います。

2 Mickey Gilley(1935~) と娘さん
「Since I Met You Baby」


ジェリー・リー・ルイスの従弟(歳はギレーのほうが半年下)。50年代のロックのレジェントで、60年代になってC&Wに活動の場を移して成功を収めたルイスと、70年代後半から80年代にかけて更に上回る大成功を成したギレー。C&Wでの 2人でジョイントしている画像もユーチュブに多くアップされています。興味深いのは、ギレーの大ヒット曲は、黒人歌手の大ヒット曲のカバーが多いということ。サム・クックの「ブリング・イット・ホーム・トゥ・ミー」、レイ・チャールズの「ユー・ドント・ノー・ミー(作者は白人女性シンディ・ウオーカー、ちなみに、レイの前にやはり黒人男性歌手のレニー・ウエルクでヒットしている)」、ベンE.キングの「スタンド・バイ・ミー」(いずれもギレー盤はNo.1C&Wヒット)等々。

3Charlie Pride(1934~)
「Your Cheatin' Heart」


元プロ野球選手。黒人でありながら、白人音楽の象徴C&WのNo.1歌手の一人。これほどの異色の組み合わせは、そうそうないでしょう。僕の大好きな歌手なのですが、客観的に見て、特に声がいいとも、歌が上手いとも、ルックスが良いとも思えない。皆に好かれる人柄であることは違いないでしょうが、これほどまでの大成功(70年代を中心にC&WNo.1ヒット30曲)が、それだけで説明できるとも思えません。黒人であることがアドバンテージではあったのでしょうが、アゲインストも半端じゃなかった筈。その辺りの経緯は興味深いですね。

4Chrley Pride
「Heartaches By The Number」


黒人は、歳をとっても、余り顔が変わらない人が多いようですね。この時点で70歳前後と思われますが、20代のときと左程変わらずに見えます。でも、杖ついてるみたいで、かなり草臥れているようにも思います(まあ、みんな年なので、、、隣のおじいちゃんなんて途中で寝ちゃってる)。ところが、去年の暮れには、クリスマスアルバムを新しくリリースしている。さすがです。このハートエイクス・バイ・ザ・ナンバーは、ハーレン・ハワード作、60年ガイ・ミッチェルでポップス1位、レイ・プライスでC&W2位の大ヒット曲。一応、65年にジョニー・ティロットソンでAdult 4位、ポップス35位。

5Hank Locklin(1918~2009)
「Send Me The Pillow That You Dream On」


この映像には、「夢の枕を」のヒットバージョン関係アーティスト、この時点で既に亡くなっているディーン・マーチン以外の8人中、7人が見られます。作者ロックリン本人のほか、ザ・ブラウンズのジム・エドとそのお姉さんと妹さん、ザ・ホワイツのオトッツァンと娘さん2人。唯一姿がないのが、最大ヒットバージョンのジョニー・ティロットソン。呼ばれなかったのか呼ばれたけれど断ったのか(たぶん前者でしょう、笑)。しかし、MCの女性が、ロックリンが歌い終えた後に、「ジョニー・ティロットソン1967年(正しくは1962年)のヒット曲です!」と紹介しています。

6Jean Shepard(1932~2016) and Ferlin Husky(1925~2011)
「Dear John」


究極の「失恋ソング」ですね。シェパードとハスキーのデユエットで、1954年にC&W(1位)とポップス(4位)でクロスオーバー・大ヒットとなりました。パット・ブーンのカバー・ヒット(62年44位)としても知られています。ジョニー・ティロットソン絡みの話題。ジョニーの2大ヒット「ポエトリー」と「涙ながらに」の両方をカバーしているメジャー・アーティストは、ファーリン・ハスキーだけです。「ポエトリー・イン・モーション」のほうは、“サイモン・クルム”名義でのノベルティ・ソング「エノメティ・イン・モーション」として、「涙ながらに」は、全く異なる3つのバージョンでリリースされています(いずれもユーチュブで聴けます)。

7Jean Shepard
「The Tips Of My Fingers」


最晩年の映像ですが、歌唱力は全く衰えていない。凄いです。ところで、「涙ながらに」のベスト・カバー・ヴァージョンは、男性C&W歌手はファーリン・ハスキー、女性C&W歌手はジェーン・シェパードだと思っています。ユーチュブにアップされているジェーン・シェパード盤「涙ながらに」映像の一つ、若い頃の写真が何枚か続いて、最後に、亡くなる直前辺りの写真が出てきます。僕にとってのジェーン・シェパードの印象は、「極めて清楚な女性歌手」であり、例えば「派手なお化粧」とは最も縁の遠い存在と思っているのですが、このポートレイトでは、鮮やかな口紅とマニュキュアでお化粧されています。「女ごころ」という言葉が、ふと浮かびました。胸に染み入ります。

8Willie Nelson(1933~) and Merle Haggard(1937~2016)
「Okie From Moschooky」


ウイリー・ネルソンに関しては、遺書48参照、マール・ハガードとこの曲については、遺書51を参照してください。



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