青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

リアルタイムレポート 13

2018-03-31 18:47:32 | 雑記 報告

サクラ、散っちゃいますよ!

インターネットのニュースに、安芸乃島(高田川親方)の話題が載っていました。幕内の「輝」「竜電」に次いで3人の関取「白鷹山」の十両昇進です(三人とも中卒)。

https://www.msn.com/ja-jp/sports/news/中卒“叩き上げ関取”がまたひとり。白鷹山を育てた元安芸乃島の心意気。/ar-AAviHpf?ocid=spartandhp#page=2

二子山(旧・藤島)部屋5人衆の一番上の兄弟子。弟弟子の貴乃花親方に、週刊誌で一方的にボロクソに言われながら、一切反論せず、別の一門に移って、ここまで来ました。角界を永久追放された貴闘力、若くして亡くなった貴ノ浪、弟と絶縁した若ノ花、、、5人衆、皆波乱の人生です。

「正義のヒーロー」「スーパー・スター」「口先だけの改革者」「弟子が暴力を振るい続ける稽古場には滅多に顔を出さず、たまに顔を出すと自分も暴力を振るい、他の部屋の力士(ことに外国人)の失態を見つけると、これ見よがしに司法や政府に訴え(かつ自分の失態は世間の支持と権力でもって握り潰す)」貴乃花親方と、この高田川親方の生き方を、比べてみてほしいです(ことに「立川某」「坂上某」さん)。

貴乃花親方。僕は(若い頃の)貴方も応援していたのですよ! どうか目を覚ましてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

サクラの原稿、一週間も前に書き上げ、わざわざ千鳥ヶ淵まで撮影に行って、編集U氏も今回は機敏に行動に移して、すでに3日前に(雑誌で言えば印刷が終わって書店に出荷すれば良い状態の)掲載現物が形になっています。後はボタン?を押して、アップするだけ。

なのに、数日間、据え置かれたままでいます。ポジティブに捉えれば、出来るだけ多くの読者に読まれるために、あえて「4月1日の日曜」まで待機している、というU氏なりの作戦。それとも、(U氏は「それは穿った見方」と言うことでしょうが、笑)権威ある執筆者ご歴々への「忖度」の結果、順番がどんどん後送りになってしまっているのか。

これまでの中国関係の原稿の遅れ(2月初めの話題が未だ掲載されていない)は、僕が思うに、どうやら後者であるらしいのですが、今回に関しては前者だと好意的に解釈しておきましょう(編集U氏もいろいろと苦労しているようなので)。

でも、花が散ってしまうがな、、、(せっかく迅速に準備しているのに)。





≪今回の写真は、ちょっと遊んで、周囲を暈してみました。≫





上2枚:千鳥ヶ淵のサクラ(ソメイヨシノ)2018.3.24








上3枚:中国秦嶺山脈の野性サクラ。蝶はハルカゼアゲハ(アオスジアゲハ属)の一種。2010.4.22

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、暇つぶしに(実際は決して暇なわけではない、勉強のためにです)、他の新規アップ記事をザッと読んでみたところ、僕の守備範囲の「絶滅危惧種」に関する話題(企業の宣伝のようです)がありました。この手の「絶滅危惧」とか「自然保護」とかの記事を読むたびに、いつも暗澹たる気分になって、落ち込んでしまうのです。

少しでも頷ける内容であってくれることを期待して読んだのですが、やっぱり暗澹たる気持ちになってしまった。いや、言ってることは、個々については正しい(「真実は一つではない」という僕のポリシーに照らして)です。でも一応「正論」だからこそ、逆に危惧を感じてしまいます。

以下、曖昧模糊な観念的な話。具体的には、将来(僕は一応まだ長生きするつもりなので、笑)一つ一つ検証して行くつもりです。とりあえず、漠然と感じたままの抽象的な意見を書き連ねていきます。

僕には、「自然保護」とか「絶滅の危惧」とかを叫ぶこと(およびそれに対しての何らかの実践を行うこと)自体が、結果として「自然破壊」に手を貸しているように思えてならない。なんという臍曲がりな捻くれ者と、自分でも呆れはするのですが、、、。それは、叫んでいる人自身(や企業)の正当性(正義感)を誇示しているに過ぎないのではないかと。

本気で「自然破壊」を食い止めるには、人間の生活を全て「人間が野生生物だった頃」にリセットせねばならない。むろん、車に乗るとか、道路を作るとかは、もってのほかです。それが出来ない人には、「自然保護」を語る資格はない、と思っています。

「完全阻止が無理なことは分かっている、だから我々に出来る範囲で実行するのだ」と言われれば、その通りには違いない、と思います。しかし、根本を正さずして、表面だけ体裁よく塗り替えるのでは、解決には全く繋がらないだけでなく、「自分には基本的な改革に向けての行動はとれないけれど、良くなることを願っているので“それで良いのだ”(自己満足な正義感と自己弁護の正当性の認識)で終わらせてしまう結果を認めることになり、最終的に行きつくところは、「自然保護」にとって、プラスになるどころかマイナスの作用を及ぼすのではないか、と思うのです。

自然(野生生物)が、可愛らしいとか、魅力的だとか、みな思うのでしょうけれど(そのような一面もあるとしても)、深く知れば知るほど、時には人間に対して牙を剥く、複雑で不可解で、ある意味“無限地獄”のような、(アンタッチャブルと言ってもよさそうな)深遠な存在であることが、知れて来るはずです。

大震災の時、日本中の誰もが、「がんばれ東北」とか言って応援していましたね(今でも続いている?)。人と人の繫がり、とか、助け合い、とかのムーブメント。僕には非常に疑問に思え、大きな違和感を覚えます。

1日で1万人以上の人々が亡くなり、さらに多くの人々が理不尽な苦しみにあっている、それらの人々に手を貸すのは、人間として当然の行い、、、、なのでしょうね。それ自体は否定しません。

でも、一歩引いて考えて見たいです。

大震災などのクライシスに限らず、人々の理不尽な苦しみは、いつでも、どこにでも存在します。あるいは身近に、あるいは見知らぬところで、何人もの人が、理不尽な苦しみを負い続けているのです。日々時々日常的に。

地球上の一か所で、一度に、何万人の人が理不尽な災害にあったのが、東日本大震災です。

そのことと、広い地球のどこかで、何万人の人々が理不尽な目にあっている事実、あるいは長い年月のなかで、膨大な数の人々が理不尽な目にあい続けている事実、、、それら世界中に溢れている「膨大な理不尽な事実」には、普段思いもはせることなく(あるいは思ってはいても手を差し伸べることはせず)、「大震災による理不尽」に対しては、まるで義務であるかのように、国民一体となって「みんなで繋がろう」とか言う。

根本的な部分で「お祭り」と何処が違うのでしょう?

メディアから流れてくる「共通の情報」(=空気)に、ただ安易に乗っかり、本質(世界中に普遍的に存在する理不尽な苦しみ)に目を向けることをスルーしているだけのように感じます。

「平和」を、「愛」を、「平等」を、「戦争をなくすること」を願い叫ぶことと、そのために実際に行動する(手を汚す)こととは、意味が全く違と思います。おそらくは不可能であろう「絶対的な平和」を、可能にしようとすること(それぞれの「正義」を信じること)で、戦いが起こるのだと思います。

だから、本気で「世界の平和を目指して」行動を起こすことは、危険極まりない行為なのでしょう。

じゃあ、自分の出来る範囲で、余り力まずに、「私は平和を望んでいる人間だから」「愛があるから」「優しい心を持っているから」と、何かを行っていれば良いのでしょうか?

しかし、そのような「愛」や「善意」を望む善良な市民たちの存在が、全く無意識のうちに、また別の空間に住む人々にとっての「愛」や「平和」対し、破壊を成す要因(自分も原因の一端)となっているという可能性を、考えてみることはないのでしょうか?
 
自分は「愛や平和を望んでいる」から「善人」である。そんな虫のいい話はないと思います。

じゃあ、私たちは何をやれば良いのか? 

「自然保護」に話を戻せば、例えば「車社会」は当然廃止せねばなりません(「銃社会」が当然廃止されねばならぬように)。本気で取り組む気があるのなら、現代社会に存在する「文化」とか「政治」とか 無くしてしまえば良いのです。ちまちまと「カウンター・カルチャー」を装った、その実ポピュリズムの権家のような、自称リベラリストには、反吐が出る思いです。

私たちに何が出来るのでしょう? 道端に落ちているごみを拾うこと。道端に佇んでいる貧しい人々に10円でも良いから恵んであげること。その程度なら、誰もが出来るだろうし、大した自己満足にもならないことでしょう。

お金がなくて首を括ろうとしている人(自己責任というのだろうけれど、自己ではどうにもならないこともある)が相談窓口に行っても、お金をくれるわけじゃない。よく「そんなに困っていたなら首を括る前に何で相談してくれなかったのか」といった話を聞くけれど、なに、その時相談したって、無視をされるのが落ちでしょう。僕ならば、誰かに「金貸してくれ」(あるいは「貸した金を返してくれ」)と言われれば、その時の全財産が100円なら、50円貸し(返し)ます(今、原稿料入ったばかりで、滞納家賃などを支払ったけれど、僕の人生では珍しく、まだ3万円ほどの財産があります、今がチャンスです!)。

道歩いている人1000人いるとすれば、一人10円カンパしてあげれば、首を括らずにすむことが出来るかもしれません(きっと元の木阿弥になってしまう、、、たぶんそうでしょうね、結果として騙されるわけです、でも騙されたっていいじゃないですか、そうでない場合もあるはず)。

話は全く違うけれど、(唐突ですみません)たとえば、存在を否定すべきか否かは別として、ぺんぺん草もゴキブリも「自然の一員」の(元はと言えば)野生生物であるわけで、絶滅危惧との間に、厳格な区別が成されるわけじゃないのです。この話をしだすとややこしくなるので、やめます(言ってみただけ)。

僕がチェックした「現代ビジネス」の「絶滅危惧種」に関する記事について。繰り返し、漠然とした感想にしかならないのだけれど、、、。

絶滅を防ぐには、、、、みんなが「自然・生物に触れよう」これは同意します。「生き物を食べてみよう」これも同意。そのほか、個々の意見にも、おおむね同意するのです。しかし、僕から見れば、どの意見も、何か現実的な手応えを感じない、というか、言っていることはいちいちもっともなのですが、薄っぺらで、何処かの部分で本質から乖離していると感じずにはいられません。

いや、僕の頭が悪い(測ったことないけれどたぶんIQが低い?)だけなのでしょうが、違和感を禁じ得ないのです。

この記事で決定的に欠けているのは、「絶滅とはどういうことか」「絶滅危惧種とはなにか」「種が絶滅することにどのような問題があるのか」といった、本質的な命題に対する検証を、スルーしてしまっていること。

生物の「種」の絶滅は、簡単に起こり得る事ではありません。それが起こる要因(内因+外因)は、極めて多様で複雑なものであるはずです。そして、しばしば「種の絶滅」は、一気に起こります(通常、直前に爆発的な繁栄が見られる)。

「種」をどう捉えるか、という問題もあります。「絶滅危惧種」の多くは、本当に「種」なのか? その多くは、正確には「種」に達していない「種のような存在」に過ぎず、それは、極論すれば、(人為の影響とは左程関りなく)生まれては消えていく、もともと非常にデリケートな存在なのかも知れない。それらの「軽い(見かけ上の)種」と「重い(確立された)種」を、同一概念で捉えることに、問題はないだろうか?

「確立された種」は、そんじょそこらにある外圧では、簡単に絶滅はしないのではないでしょうか? もっとも、地表ごと一気に剥ぎ取られるような、徹底的な外圧が成されれば、そんなことは言ってられないのでしょうけれど。そして、実際にそれ(徹底的な外圧)が、もの凄い勢いで成されているのも事実です。

地球上の生命(人間自身も含む)を守るため、一人一人が出来ることをやろう、という理念は、間違ってはいないと思います。ただし、それだけで終わるならば、自己満足の「正義」でしかありません。そこで終結してしまうことで、マイナスの結果に導きかねないかも知れない。

今や、「出来ない(はずの)こと」を、一人一人が本気で実行すべき時ではないか、とも思うのです。

絶滅の危惧に瀕している日本の蝶としては、オガサワラシジミやギフチョウが、しばしば話題に上がります。僕は、両者に対しての、第一人者のひとりである、と自負しています。

前者のアイデンティティを解き明かすために小笠原に通いだしてから、今年で42年目(15年間訪れていませんが)。31年前、中国に渡った目的は、後者の姉妹種を探索する事でした。

小笠原は、今年、日本返還50周年を迎えます。某機関(某東京大学および個人の自然保護活動家+某東京新聞)が、オガサワラシジミを繁殖して増やし、絶滅から救おう、などと計画しているようです。頼むからやめてほしい、、、。断言します。いろいろな意味で、良いことではないし、長い目で見れば、良い結果も生まれません。

ギフチョウのほうは、この「現代ビジネス」の記事でも、最後のほうに取り上げています。どうやら、企業の宣伝に使われているようです。

「世界各地で、現地の社員自らが出向き植林活動など行っています。日本では毎年5月ごろと11月ごろに、岐阜県郡上市で植樹活動を行います。バスでみんなで出向きます。自然を直に感じることができるので、自分自身も楽しみにしている活動のひとつです。5月にはここで、貴重な固有種のギフチョウを見ることができるんですよ。活動を始めてから少しずつですが、増えているようです」

あー。いやだいやだ、、、

*植林地の遷移途上でギフチョウの(人が目撃出来る)数が増えることは事実で、それ自体を否定するつもりはありませんが。






上:ギフチョウ 長野県白馬村 2005.5.4
下:オナガギフチョウ 中国秦嶺山脈 2010.4.28





オナガギフチョウの棲む中国秦嶺山脈の森林(ピンクの花はマメ科のハナズオウ野生種)。1995.5.3






グリーン・ペペ 小笠原母島 1988年

オガサワラシジミ紹介のついでに、手元にあったルリシジミ類の写真も幾つかついでに。
*そっくりなのに何故属が違うのか?⇒お〇ち〇ち〇の基本形状が異なる。
*全然似てないのに何故同じ属なのか?⇒お〇ち〇ち〇の基本形状が同じ。



オガサワラシジミ(ルリシジミ属)小笠原母島1993.4.23 ←日付要再チェック



スギタニルリシジミ(ルリシジミ属)中国秦嶺山脈 2010.4.26



ルリシジミ(ルリシジミ属)千葉県清澄山 1978.4.23



アリサンルリシジミ(ルリシジミ属)中国香格里拉 2015.7.25



タッパンルリシジミ(タッパンルリシジミ属)中国梅里雪山 2012.7.9



ハワイルリシジミ(タッパンルリシジミ属)ハワイ・オアフ島 1994.4.11



左:タッパンルリシジミ(タッパンルリシジミ属)、奥:スギタニルリシジミ(=広義、ルリシジミ属)、右:アリサンルリシジミ(ルリシジミ属) 中国梅里雪山 2012.7.11



左:サツマシジミ(タッパンルリシジミ属←広義)、右:ヤクシマルリシジミ(ヤクシマルリシジミ属)屋久島 1985.6.3



ヤクシマルリシジミ(ヤクシマルリシジミ属)中国深圳 2016.5.17 Monica Lee撮影



タッパンルリシジミ(タッパンルリシジミ属)中国成都西郊山地 2009.8.4


ルリシジミ(ルリシジミ属)中国梅里雪山 2012.7.9



ルリシジミ(ルリシジミ属)中国大理 2007.7.12
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リアルタイム報告 Ⅻ

2018-03-30 20:59:50 | 雑記 報告

懐かしいです、、、、「ブルームフィールド」「藤田平」

「日馬富士問題」貴乃花親方に対する風向き変わってきましたね。書きたいことが山程あるのだけれど、どうも力が入りすぎて(笑)、なかなか上手く纏めれません。で、少々緩い話を書きたくなったので、、、同じスポーツ絡みで、今日開幕したプロ野球の話題です。

さっき、インターネットのニュースをチェックしていたら、ジャック・ブルームフィールド(通称ブルーム)についての記事を見つけました。これはもう、懐かしい、、、。

僕が、最初にファンになった野球選手です。1960-1964年近鉄、1965-1966年南海(ジョニー・ティロットソンの全盛期と、ぴたり一致します、笑)。

ちなみに、最初に生で見た野球選手は、阪急のエース梶本と「黒い稲妻」ロベルト・バルボン(もう一人いたはず、米田だったか足立だったか、、、なぜか思い出せない)。甲南中学の何かのイベントにやってきていました(1960年代初頭)。

バルボンさんは、引退してから神戸の三ノ宮でステーキ料理屋を経営していて、何度か食事をしに訪れたことがあります(本人も厨房に立っていた)。故郷のキューバに帰りたいのだけれど帰れないと覚悟している、と当時言っていましたが、85才になる今も、関西住まいのようです。

バルボンは58-60年に二年連続盗塁王、ブルームフィールド(以下ブルームと表記)は年を3つサバを読んでいて、バルボンより3つ上(バルボンもサバを読んでそう、笑)だとのこと、今年88才です。バルボンよりやや遅れて日本のプロ野球に参戦(大リーグ所属歴なし)、62-63年に二年連続首位打者を獲得しています。65年、バルボンは阪急から近鉄に、ブルームは近鉄から南海に移籍したので、すれ違いです。

ブルームについて良く知られているのは、観客乱打事件(別に「日馬富士問題」を意識して書いているのではないです、笑)。2年目の1961年、「ヤンキー・ゴー・ホーム」(この言葉は、アメリカ人にとっては最大の侮辱らしいですね)のヤジを受け、観客席に飛び込んでヤジった観客を殴りつけた事件。罰金と出場停止7日間、それだけでなく逮捕寸前まで行ったそうですが、その観客が悪質ヤジの常習犯とのことで容赦を受け、最悪の自体は免れたとか(今とは時代が違いますし)。

同じ1961年には、もう一つの出来事も知られています。たまたま訪れた病院で、生まれたばかりの赤ちゃんが大きな手術をせねばならず、しかし特殊な血液型のため、家族も医師も頭を抱えていた、それを聞いた同じ血液型のブルームが、輸血を申し出た。

30年後、お母さんになったその時の赤ちゃんが、自分の赤ちゃんを連れて、命の恩人ブルームに会いに行った、、、文字通り心の温まるエピソードです。

7年間の日本球歴の、2年目からずっと3割前後(最低打率でさえ.294)を打ち続け、平均打率は.315。結構凄い数字です。あのノムさんや張本が、ヒットの打ち方などの教えを請うた、と言われています。

今年88才。是非もう一度、日本に遊びに来てほしいですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プロ野球絡みでネットを検索していたら、藤田平の記事が目につきました。(一年余前)藤田平が21年ぶりに阪神のO.B.会に出席したという。

藤田平は、僕より半年上(1947年10月生まれ)。高卒初年度の66年からレギュラーとなり、67年から球界を代表する好打者となりました。僕と同じ世代で、打者としては(投手はこの年に近鉄鈴木啓示、読売堀内恒夫、翌年に阪神江夏豊がブレイク)最初の大物です。

やがて、江夏、田淵とともに阿修羅の活躍をしだした頃です。当時僕は天地真理ちゃん(71年にデビュー、今は赤貧の状態で老人ホーム在住由)のファンで(笑)、藤田平にだったか天地真理にだったかどちらかは忘れたけれど、ファンレターを書こうと思いたったのです(もちろん出してなどいない、笑)。それで、そのファンレターに何を書こうと思った(もちろん思っただけ)かというと「僕は藤田平さん(天地真理さん)の大ファンです、もう一人歌手(野球選手)にもファンがいて、それは天地真理(藤田平)さんです、お二人は似合いのカップルだと思うので、ぜひ結婚してください」という、超々お節介な、、、、もちろん一瞬チラッと思っただけですが、それだけでも今思えば、ドン引きです(笑)。

この時点で2000本安打に達していた打者は、「打撃の神様」川上哲治だけでした。15年ほど経ったなら、藤田平も2000安打を放っているに違いない、と思いました。でも15年というと、彼も僕も30歳代半ば、そんなとてつもない未来は、想像もできない、、、とその時は思っていました。

あっという間ですね。15年後、ちゃんと2000本を達成し、引退。18歳の僕の頭にあった「遥かな未来」など、今から振り返れば、その何倍もの「遥かな過去」でもあるわけです。

そのまた10数年後、阪神の監督に。ご存知のごとく、最悪の成績で、阪神暗黒期のどん底へと突入します。退団後は、球団との間に巨大な確執を生じてしまい、どのイベントにも呼ばれなくなってしまいます。

そして、21年ぶりに、阪神O.B.会に参加した、という次第。

70年代の阪神タイガースは、江夏・田淵・藤田平の三枚看板でした。なにかと派手な話題を提供する江夏と田淵の2人と異なり、(野球通はともかく一般的には)藤田平は地味な存在です。

江夏と田淵は、やがて阪神を追い出されます。一方、藤田平は阪神一筋の野球人生を全うします。しかし、監督として最悪の成績、典型的な無能監督のレッテルを張られてしまい、球団との確執はハンパない後半生を過ごすことと相成ります。でも考えてみれば、江夏と田淵は、監督としても(正式な形のコーチとしても)お呼びがかからなかった。それを思えば「無能監督」としてファンや球団幹部から罵倒し続けられたとはいえ、現場トップを経験できたのは、僥倖だったと言えなくもありません。

ついでに、「江夏豊の世界」というブログ(本人がどの程度関与しているかは不明)を見つけました。江夏は、あまたの団塊世代有名人中、僕と最も誕生日が近い一人(僕の半月後)です。ちなみに田淵は2才上ですが、大卒なので阪神入団は江夏よりも2年後です。

そのブログに「自分が選んだプロ野球ベスト9」というのがありました。

さすが江夏!

つい最近、どこかのテレビ番組で「歴代プロ野球最強メンバーを選ぶ」という企画があって、それがとんでもない偏った結果になってしまっている(ちなみに、江夏は選ばれたのに「犯罪者」ゆえ?紹介をスルーされてしまっている、番組のゲストに迎えられた「世界の盗塁王」福本豊は名前さえも挙げられなかった)、という憤慨物の話を覚えていると思います。それとは対照的な、100%納得の選択。繰り返し、、、さすがに江夏です。

「現役選手は外す」「一緒にプレーして、その技術も人間性も肌でわかっている人」という条件下で、恩師のノムさんや親友の衣笠も敢えて外すという、一切「忖度」無しのベストメンバー。

コメントも素晴らしいので短く要約して付け加えておきます。

投手(左)鈴木啓示
投手(右)山田久志
「彼らと競ってきたのは自分の誇り」

捕手 田淵幸一
「日本の野球を変えた」

一塁 王貞治
三塁 長嶋茂雄
「O.N.は外せない」

二塁 高木守道
「攻守走すばらしい」

遊撃 藤田平
「自分にとってはこの人」

外野 張本勲
外野 山本浩二
外野 若松勉
「日本球界唯一の3000本安打の張本、全てにおいてバランスの良い山本、若松」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記1

ギリシャ在住の友人のチエコさんが、ブログをはじめました。僕も本名で登場しています(「ジョージ」は「ジョニー」になっている、笑)。興味のある方は、ぜひご覧ください。

ギリシャのエーゲ海の島に移住!ゲストハウスしたり猫と戯れて適当に生きてます!



追記2

「日馬富士(貴乃花)問題」は、書きたいことだらけなのですが、風向きが変わってきつつある今は、(「モリカケ安倍問題」共々)しばらく様子見です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜか中国Ⅴ

2018-03-20 15:26:04 | 「現代ビジネス」オリジナル記事

怒っちゃダメ!それが中国のカルチャーなのだから諦めなさい、、、凄い説得力です

2月8日記述 3月20 日付け「現代ビジネス」掲載記事 の元記事




紅包(撮影:Monica Lee)

前回は、春節つづきを書こうと思っていたのですが、四川省東部のチベット民族居住権で不審な山火事が相次ぎ、ちょっと寄り道して、それに関連する記事を紹介しました。 

もっとも、筆者は本来、その四川省や雲南省の山岳地帯を中心に、野生生物(主に昆虫と植物)の撮影や調査を行っているのですが、冬の間は極寒の世界、それで、比較的暖かい華南(広州や深圳など)やタイやベトナムに移動して(あるいは日本に帰国して)過ごしているわけです。

春節初日、アシスタントのMからメールがきました。春節の記事を今日アップしたよ、と伝えたら、一応喜んではくれたのですが、ちょっとがっかりした様子も。というのは、春節期間の村の様子を一生懸命撮影して、僕の記事に混ぜて使ってもらいたい、と考えていたようなのです(ちなみに前回の「先祖供養」の写真はMが実家で撮影したもの、前々回の新幹線の写真はMのご主人の撮影です)。

ということで今回はMが取材・撮影した地方の春節を紹介しながら進めて行きます。以下はMが送ってきた記事(カッコ内は筆者注)。中国の田舎の正月風景です。日本と似ている?それともかなり違う?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
春節は中国の最大のイベントです。新婚の女性は、赤ちゃんを伴って両親のもとに帰ります。
農村では、みんな半月~ひと月前から春節の準備します。まず、村中を奇麗に掃除します。そして、手作りのお菓子を用意します。
大晦日は、朝と昼の食事は簡単に済ませ、日中に部屋のドアの周りの「春朕」を張り替えます(日本で言えば「門松」を立てるようなもの?)。
夕食(团圆饭または年夜饭と呼ぶ)は、最も大事なイベントです(「年越し蕎麦」、、、)。
「团圆」の意味は、全ての家族が一緒に食事をする、という意味です。
夕食のあと、子供たちはシャワーを浴び、新しい着物に着かえます。
そして、午前0時、爆竹花火を一斉に打ち上げます。
新年の最初の挨拶は、新年快楽(あけましておめでとう)、恭喜発財(「発財」だけだと「お金を貯める」の意味、それが「あなたに幸福を」になるわけで、いかにも中国!)。
客家(移動民族、簡単に言えば中国のユダヤ、Mの一族もそうです)の正月料理のメインは、肉団子です(これが最高に美味しい!!)。7人家族で、5000gの葱、5000gの肉、1000gのサツマイモが、その材料です。
 



肉団子、中国名は「肉丸」(撮影:Monica Lee)



Mの実家の春節期間の食卓(撮影:Monica Lee)

春節初日は、みんな、夜更かしするので、2日目はお昼ごろまで寝ています。この日は、親戚を訪ねなければなりません。でも、普通、若者はクラスメートや友達に会います。年寄りは家に居ます。畑に行ってはなりません。また、物を捨てることも禁止されています。
叔父さんや叔母さんに、贈り物をします。園芸植物だったり手作り菓子だったりしますが、ほとんどの人は、果物と贈答飲料セットです。年寄りや子供たちには、紅包(お年玉のようなもの?赤は中国のラッキーカラー)をプレゼントします。
どの紅包にも、願いを込めます。お年寄りが健康であるように、子供たちがすくすく成長するように、よく勉強するように、、、。
広東省の会社では、最初の仕事日は仕事をせずに、経営者が従業員に紅包を贈ります。その中には、お金も入っています。ラッキーな人は100元(約1600円)を得ますが、ほとんどは10元です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おいおい! 筆者は、春節期間中、ほぼ「白いご飯」だけで、独りぼっちで過ごしたというのに、なんという幸せそうな光景でしょうか。



前々回の記事で“「内陸農村部」と「沿海都市部」の貧富の格差”に関する話を書きました。

本来「田舎」と「都会」は全く異なった次元に成り立っているはず。なのに両者を無理やり同じ土俵に上げて「格差」を扇いでいるような気がする。問題にしなくてはならないのは「地方の遅れ」ではなくて「都市の歪な繁栄」ではないのだろうか、と。

「毎日同じ服を着て出社するのは、社会人として恥ずべきこと」などと言う人がいます。筆者には、どこからそんな発想が出てくるのか、さっぱり解りません。

多様なファッションを否定はしません。でも本来、そんなのはお金をかけなくても出来るはず。バッグにしても、100円ショップの「布製手提げ」と、何万円もするブランド品と、どこが違うのでしょう。

社会の常識は、虚構の価値観に基づいた「現実」のに成り立っている、と考えても、さほど間違ってはいないと思います。でも、一般の人の多くは、そうは思っていない(思ってはいても行動には示さない)のかも知れない。そこから外れると「負け組」「異端者」とされてしまう。

筆者が無知で鈍感なだけなのかも知れませんし、単なる貧乏人の妬み・僻みかも知れません。

それで、視点を明確にするために、まず筆者自身のことを書いておくことにします。

一応、ホームレスではありません。かつ、「酒」も「たばこ」も「女」(若い女の子は好きですけれど、笑)も「ギャンブル」もやらない、真面目?人間です。従って、中国や東南アジアに、女(男)や薬(ヤク)が目的で出没する日本人は、好きにはなれません。

不登校児の走りで、中学は1年までしか行っていません。自分の部屋で60年代前半のアメリカン・ポップスを聞いているか、日本アルプスの稜線にテントを張って自炊生活をしているか、どちらかだった10代の頃。考えてみれば、国内外の差はあっても、70歳になる今も同じことを続けているわけです。

まあいわば、「生涯一引き籠り児」+「生涯一放浪者」といったところでしょうか。ちなみに、一般論で言っても、「引き籠り」と、「世界貧乏旅行」に挑戦している若者たち(年配者も)は、本質的な部分で良く似ているように思えます。

40年近く、この世界(活字業界)で生きてきました。大手の出版社を中心として20冊ほどの単行本を刊行し、朝日・毎日・サンケイ・東京などでの新聞連載も行ってきました。

しかし、その期間のほとんどを中国の山野で野生生物を探索していたのにも関わらず、メディアから依頼を受ける記事は中国関係以外が大半。「日本の蝶」とか「小笠原の自然」とか「アメリカの植物」とかの話題を、中国の各地をうろつきつつ、安ホテルに籠って執筆してきたのです。

この短期連載の最初に記したように、活字文化自体が斜陽化し、若者の多くが野生生物や国外の出来事に興味を示さなくなってしまった“ドメスティック&インドア傾向”の今の日本で、「中国の野生生物の活字媒体での紹介」が生業として成り立つわけがありません。 




筆者とドイツ人バックパッカー3人組。中国国境に近いベトナムサパにて。

そのため、お金に全く縁のなくなってしまった筆者が、お金のことを取り上げるのは場違いかも知れないのですが、、、。

最近日本でも「下流老人」とかの話題が姦しいようです。月収10万円、いや20万円近い収入でも下流のカテゴリーに入るのだそうです。筆者からすれば、一体、日本人は、どれほど贅沢なのかと思ってしまいます。

日本では東京郊外のアパートに住んでいる筆者の場合、家賃(少額の年金と相殺)以外の収入・支出が約10万円。事務所代わりのスタバ代、交通費、食費、光熱費、たまに銭湯に行きます。これでも結構贅沢ですよね。自分では別に下層だとは思っていません。

むろん、医療のことなどを考えれば、そうも言っていられない、でも、それを問題にしだしたなら、きりがないでしょう。非常に重要なことですが、とりあえず割愛して話を進めます。

おしゃれをしたり、スポーツをしたり、音楽を聴いたり、旅行に行ったり、、、それらを否定するつもりはありません。生きていく上に置いての重要なファクターには違いないでしょう。でも仮に月収20万円もあれば、(基本生活費からの差額で)大抵のことは出来るのではないでしょうか?

確かに日本の物価は高いと思います。国外から戻ってきたときは芯から腹が立つほど異常に高く感じます。特に交通費と宿泊費。例えば、広州-桂林間の新幹線料金が2500円弱なのに対し、ほぼ同程度の距離の東京-神戸間は2万円近くします。宿泊費は、中国の地方都市では、駅前のかなり豪華なホテルでも1500~2000円ほど。日本なら1万円近くすると思う。

でも食費とか光熱費とか衣服代とかは、安く抑えようと思えば抑えることができるはずです。

一体、みな何にお金を必要としているのでしょうか? 

ステレオタイプの意見があります。日本人はお金に対して恬淡、中国人はお金に執着する。大方の日本人の中国人に対する印象のひとつは「お金のことしか考えていない人種」、ということでしょうね。一応著者もそう思います。

「これは何ですか?」
「100円」

「バスターミナルへの行き方を教えてください」
「(バス代は)200円」

何でもお金のことが、最優先で出てきます。

生活の中でのお金に対する距離感が極めて近いのです。

でも、正確に言えば、単に密着しているというよりも、その状態を「開けっ広げにしている」ということだと思います。日本人だってお金に密着した生活をしています。しかしそのことを表には出しません。お金は不浄な存在とされ、お金にかかわる表現を軽々しくすることは「卑しいこと」とされるのです。

中国人は、お金の話をすることを、悪いこととも恥ずかしいこととも思っていないのではないでしょうか。

原稿料だって、支払い期日になれば確実にくれる日本と違って、踏み倒されてしまったりすることもあります。しかし、こちらが困っていれば、支払い期日が来なくても、気前よく前渡ししてくれたりもします。

筆者の友人の大学生4人組が音楽バンドを組んでいて、あちこちでライブを行い稼いでいます(本当は違法)。結構金になる、、、、はず、なのですが、2度に1度ぐらいの割合でギャラに係わるトラブルを起こし、支払って貰えなかったり、仲介人がギャラを持ってとんずらしたり、、、理不尽ではあっても、自分たちの置かれた立場上、正式に訴えることも出来ず、いつも頭を抱えているのです。

白人2人黒人2人の構成。興行元が「メンバーに黒人が混じっているからギャラは払えない」などと、ここが21世紀の地球上なのかと疑うほどの、信じられない暴言を平気で言い放つのです。

最近、日本でも中国でも「黒塗顔」批判に対する是否の議論が起こっています。「過度の自主規制はかえって問題の本質を見失う」という意見には賛同できる部分もあります。しかし「現実に」このような背景があるのです。そのことを知っておくべきだと筆者は思います。

中国は今、猛烈な勢いで“不良外国人”の締め出し(および彼らの集まる場所の撤去)にかかっています。筆者のごとき「低学歴」「低収入」「高年齢」の日本人は、絵に描いたような典型的不良外国人でしょう。一部のアフリカ系の人々も、狙い撃ちされているように思えます(日本における現状も似たようなものでしょうけれど)。

筆者は、一時、昆明の結構メジャーな出版社で、半ば専属ライターという形で記事や写真を提供していました(これも本来は違法?)。原稿料は大抵の日本の出版社などより良く、しかも気前よく支払ってくれます。

自分で書いた記事を自分で英訳、それをMが中国語訳をして、執筆料と翻訳料の両方をせしめるのです。数年前、最初に数10頁を引き受けたとき、雑誌が出た直後に、数十万円が突然Mの口座に振り込まれました。思いもせぬ金額だったので、Mは狂喜乱舞、息せき切って僕に知らせに来ました。

その後何度か寄稿を続けていたのですが、ある時(一昨年)、突然出版社が消えてしまいました。ちなみに、その出版社を紹介してくれたのが、筆者が常宿としていたユースホステルのオーナー。同じ頃、そのユースホステル自体も、突然閉鎖されてしまったのです。

やろうと思えば規則外のことでも簡単に出来る。でも、当然可能なはずのことが理由もなく出来なかったりする。なんでもあり、要は出鱈目、ということなのです。

お金に対しても、もろに興味を示すわりには、意外に執着していないような気もします。お金が常に表に出て、目まぐるしく動き回っている、といった感じ。

日本人は「奥ゆかしい」ということになっています。でも、言い換えれば、感心ないそぶりをしているだけ、(「守銭奴」とまでは言いませんが)内に静かに執着しているわけです。

「中国の貧富の格差」を考える際、そのような、お金に対しての感覚の日中の違いも、念頭に置いておくべきでしょう。




銀行のATMから出てきたニセ札。 



食堂の壁に貼られていたニセ札のお知らせ。

ご存知のとおり、中国では昔も今も、ニセ札が横行しています(スマホ決算の利点は、それを避け得ること、もっとも新たな手口が出てくることでしょうけれど)。

筆者も、何度も掴まされたことがあります。去年は20元という、実にせせこましい金額をやられました。でも額の多少にかかわらず腹立しい。

上海のユース・ホステル(国際青年旅舎)で宿泊費を支払った時のおつりの20元。向かいのコンビニでニセ札だと言われ、すぐにフロントに戻って取り換えを求めました。

スタッフ曰く、「確かにニセ札のようだ、我々が渡したことも確かだ、しかしあなたは受け取った、もはや我々の関与するところではない」。

さすがに腹が立って、Mに電話で通訳をして貰って、徹底闘争するつもりでいました。しかしMは、「怒っちゃダメ!それが中国のカルチャーなのだから諦めなさい」と言います。

そ、そ、それは、あんまりな、、、、。でも、全然説得力がないようにも思えるのだけれど、案外、凄い説得力であるような気もしてきます。

中国における物事の答えは、日本式の思考パターンでは割り出せないのです。

例えば、前々回の記事で、トイレと交通事情について取り上げました。トイレに関しては、官民一体となって美化に取り組み、日本より遥かに多くの清掃員が終日一生懸命掃除をしているのにも関わらず、いつまで経っても汚いまま。チケット売り場も、改善に改善を重ねる努力をしているのにも関わらず、いつまで経っても混雑はなくならない。

行数の関係で削除せざるを得なかったのですが、読者に一番伝えたかったことは、それらの事実の紹介でも、具体的に何が問題で、誰が悪いといった原因を探ることでもなく、「よく分らないのだけれど、はっきりしていることは、どこかが、何かが、おかしい」ということなのです(その結果、チケット完売のはずの列車が、がら空きで走っていたりします)。

地下鉄の乗り換え時にも、そのことは強く感じます。香港の地下鉄の場合は、路線ごとにプラットホームが上手く組み合わされていて、乗り換えがスムーズにできるのに対し、深圳の地下鉄での乗り換えは、困難を極めるのです。

乗換駅での案内板に示されているのは、プラットホームの番号だけ(過剰なほど大きくて数多く目立つ)。肝心の路線番号がどこにも見当たりません(隅っこに記されていたりするときもありますが)。これでは、どのプラットホームに行けば良いのか、さっぱりわからない(プラットホームの番号を示したところで何の意味があるのでしょうか?)。

要は、単純に間抜けなのです。何事においても頑張ってはいるのだけれど、どこかが抜けている。良かれと思って、もがけばもがくほど、根本的な部分で破綻をきたしてしまう。

最新設備が整い、数10分置きに掃除を繰り返している新幹線(固有名詞としてではなく「新しい幹線」という意味)のトイレが、うんざりするほど汚いのと対照的に、最近の長距離在来線車内のトイレは、とてもきれいです。

昔は汚かった。改善に向けていろいろと試行錯誤してきたのでしょうけれど、新幹線のように予算を割くわけにも行かず、ギブアップしたのでしょう。

その結果、在来線列車内のトイレは、線路直結便壺と蛇口とバケツだけ、という超シンプルなスタイルになりました。各自バケツで流す。これがピタリ決まって、実にクリーンになった。中国のトイレ中最も清潔といっても、過言ではないと思います。

上記の話は、「格差」解決の、一つのヒントと思ってください。




深圳地下鉄駅。プラットホーム番号だけで、肝心の路線番号がどこにも示されていない。




★連絡先
infoあayakosan.com あを@に変えて




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜか中国Ⅳ

2018-03-16 20:45:16 | 「現代ビジネス」オリジナル記事

「チベット自治区」だけが「チベット」なのではない、ということを知っていますか?

2月9日記述 2月16日付け「現代ビジネス」掲載記事の元記事


チベット自治区の州都ラサの寺院の一部が消失したというニュースに続いて、四川省雅江県の増西村と八角楼郷で大規模な山火事が発生し、何人かの人が逮捕された、というニュースが入ってきました。この2つの事件は、相互に関連する、政治的な出来事に違いないでしょう。

雅江県(旧・東チベットの康定と理唐の間、標高4500m超の高原の峠に挟まれた谷あいに県都があります)は、筆者の主要フィールドの一つです。殊に、八角楼郷は、メイン中のメイン。これまでに、無数の美しい写真を撮影しています。ただし、観光的には全く無名の地です。


雅江西方の峠下(標高4400m付近)からミニャコンカ7556mを望む。

四川省は、見事に東半部と西半部に分かれます。

東半分は、標高200-500mの四川盆地を中心とした漢民族居住圏。四川盆地には、現在は国家直轄都市となった重慶市と、四川省省都の成都市の、中国でも有数の巨大都市(人口はそれぞれ3500万人前後、1500万人前後)を有し、極めて高い人口密度を誇ります。

一方、西半分には、世界の7000m峰の東端に位置する標高7556mのミニャ・コンカや、世界の6000m峰の東端に位置する標高6250mの四姑娘山など、チベット高原の東半分が含まれます。

中国有数の過疎地帯でもある東半分には、成都以外にも数多くの100万都市(総人口1憶人以上)を擁しています。一方西半分は、最も大きな都市(康定ほか)でも10万人余(総人口約200万人)。

この一帯は「東チベット」(いわゆる大シャングリラ)とも呼称されるように、もともとは「チベット」の領土だったのですが、現在では、四川省西部(康定など)と雲南省北部(香格里拉など)に編入されてしまっています。

いわばヒマラヤ山脈の東の延長でもあるのですけれど、ヒマラヤ本体と異なるところは、山脈をブチ切るように、南北に大河が横断していることです(従って、この一帯の山々を「横断山脈」と呼びます)。

西から東に、インドのカルカッタに河口をもつブラマプトラ河水系、ミャンマーに至るイラワジ河水系とサルウイン河水系、ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジア・ベトナムを貫くメコン河水系、上海に河口をもつ長江水系(加えて、北寄りに北京近郊に河口をもつ黄河水系、南寄りにハノイに至る紅河水系と、香港に至る珠江水系)。

このうち、四川省西部を南北に流れるのは、西から、金沙江、雅砦江、大渡河、ミン(山偏に民)江などの、長江の巨大支流です。

各大河は南北に流れていますが、道路(国道)は東西に走っています。成都から西へ向かう国道318号線(北緯30度付近、日本では屋久島周辺に相当)と国道317号線(北緯32度付近、南九州に相当)が、チベット自治区に入って合流し、ラサに至ります。

ちなみに、温暖な四川盆地と極寒のチベット高原を分かつ移行帯は、下は亜熱帯、上は亜寒帯の豊富な植生を擁した「グリーンベルト」で、以前に紹介した野生のジャイアントパンダの棲息地です。

この一帯は、本来は「秘境」と言って良い地域だったのですが、10数年前頃から、多くの中国人たちから注目を浴びるようになりました。

自転車で、成都から(中には東の起点の上海から、あるいは昆明経由で南の香港や広東省から)ラサに向けて、この2つの国道(ことに318号線)を走破しようとする人々によって、一大ブームが引き起こされたのです。

路線バス(利用する旅行者はごく少ない)の窓から外を見ると、標高差2000mの急坂を隊列を成して喘ぎあえぎ上下するサイクリストを、何度も何度も追い抜いていきます。

車での走破を目指す人も多く(それらの人は、チベット自治区に入ってから後、さらに北方のウイグル自治区や青海省や甘粛省を巡ります)、マイカーの後方の窓に、必ずと言っていいほど、この地域の巡回道路地図が張り付けられているのを、中国に来たことのある人なら、誰でも一度は目にしているはずです(それらの車が実際に向かうわけではないけれど)。

もちろん極めて少数ですが、なんと徒歩での走破を試みる猛者もいます。


八角楼で出会った、徒歩で成都-ラサを踏破中の中国人。


理塘の周辺には、標高4700m前後の峠がいくつもある。峠と言っても真っ平な道。


ちょうど八角楼での出来事。その若者は、川岸の草原で撮影中の著者を見つけて(車と自転車以外の都会人?に久しぶりに出会った?)喜び勇んで、駆け下りてきました。小さなリヤカーにシェラフとツエルトを積んで(食料は現地調達)、このあと一か月程かけてラサに辿り着く予定なのだそうです。

彼らの目的はチベット民族との親睦(いわば国家の推進する個人親善大使)。苦労してチベット居住圏を訪れ交歓することで、中国国民が一体となって、仲良くなると信じて疑いません。


国道318号線を四川盆地からチベット高原に入って最初の都市が康定(筆者が4年前に大けがで入院していたところでもあります)。標高1300mの大渡河沿いから、4200m超の峠上に至る旧坂の途中、標高2700m付近に町が発達しています。筆者が最初に訪れたのは29年前で、その頃はチベット民族が大半を占める、良くも悪くも素朴な街だったのですが、今や大量の漢民族の移住者とともに巨大な都市へと変革しつつあり、険しい山中までが新興住宅街として開発され、氷雪の峰々を背に、ビルが林立しています。

次の町が雅江。その次が理唐。最後が巴謄。理唐は標高4000m超の高原上の都市、雅江と巴唐は南北に流れる大河に沿った町です。

巴唐はチベット自治区とのボーダーで、外国人はここから西に向かうことは出来ません(南から来た場合は、梅里雪山の麓より北には入れない)。

成都のユース・ホステルに滞在する外国人バックパッカーたちの多くは、このボーダーを突破することを目論んでいますが、成功例は、まず聞いたことがありません。

外国人は、高額な代金を支払ってパーミットを取得し、西安からの列車で北へ大回りしてラサに向かうか、飛行機を利用するしかないのです(中国人にその話をすると「同じ中国なのだから、そんなわけないだろう?」と皆不思議がります)。

お金が必要なことはもちろんですが、いわゆるツアーに近い旅行スタイルしか取れず、自由な行動は許されません。

お金をかけて、がんじがらめになって、無理にチベット自治区に向かうのならば、比較的自由に行動出来て、実質チベット文化圏である四川省西部や雲南省北部を巡るほうが、ずっと有意義だと思うのは、筆者だけでしょうか?

都市伝説めいた、有名な話があります。ボーダーで追い返されそうになった時には、「どこから来たか?」尋ねられます。「ここから先に行ってははダメ、出発点に戻れ」。その時、成都からとか昆明からとか答えずに「ラサから来た」と言えば、チベットに潜入できる、というわけです。

さすがにそれはないでしょうが(もっとも間抜けな中国人のこと、以前は実際にあったのかも知れません)、例えば康定に行った後(同じ四川省内であっても)チベット自治区寄りの雅江や理唐方面はなかなか切符を売ってくれないのに対し、逆方向の成都に向かうチケットは、比較的容易に購入できるという事実があります。




太陽の輪と虹の雲。この辺りの空は、不思議満載です。

今は厳しくなってほとんど不可能ですが、以前(5-6年前まで)はノービザ滞在期限が切れたら、
香格里拉や康定の対外国人役場の窓口で、簡単に一か月延長の手続きが出来ました。大都市の場合は一週間前後かかる更新が、僅か数時間で可能だったのです(今は、ほぼ絶対に不可能)。

それでも、一応滞在の理由をつけないといけません。チベット省境をうろつくことを匂わせたらダメ
です。外国人が観光ルート以外でチベット自治区に向かうことを、過剰なほど快く思っていないのです。

上記更新は、同じ町で続けて2度は出来ません。ある時、康定の交付所で拒否されてしまいました。
「ここから最も近い(といっても7~8時間はかかる)四川盆地入り口の町に行きなさい」。外国人のビザ延長が厳しくなりかけた頃です。「出来るだけ早く香港に戻るのなら、数日の追加は与えても良い」というので、仕方なく受諾することにしました。

係官 香港に戻るなら数日間の追加をしてやる。チベット方面には行ってはならない。
筆者 わかりました。戻ります(リターンします)。
係官 理唐(リータン)に行ってはいけない。
著者 わかっています。リターンします。
係官 リータンに行ってはいけないと言ってるだろう!
筆者 だからリターンすると言ってるじゃないですか!!

とにかく、外国人バックパッカーたちがチベット民族と個人的に触れ合うことを、戦々恐々としているのです。

理唐や雅江では、しばしば暴動が起こります。その度に外国人はオフリミットされてしまいます。むろんその方面に向かうバスの切符も売ってくれません。

チベット族の人たちは、漢民族の前で本心を表すのはマズいということを、十分に承知しています。
中国人旅行者たちにも、表面上はフレンドリーに接しているようです。

旅行者たちは皆お人よしですから、歓迎されていると思っています。とんでもない。

相手が日本人だとわかると、それはもう堰を切ったように本音を吐き出します。「奴らを〇してやりたい」どのチベット人も、異口同音にそう語りかけてきます。

チベット高原を走る道路はおおむね立派で、なおかつ、ボーダーを間違ってうっかり超えた友人(もちろんすぐに追い返されたけれど)によると、チベット自治区に入ったとたん、さらに立派な道路
になるそうです。

そして道沿いの、どのチベット民家も、豪華なことこの上もない。そんな家を建てる収入など、とてもあるはずがないのですが、国家に従っている限りは非常な優遇を受ける、ということなのでしょう。


筆者が最初にこの地域を訪れたとき、康定からの路線バスで理唐に向かう途中、八角楼のすぐ手前の標高4600mの峠頂(といっても高原状の緩やかな地形)でバスを乗り捨て、パルナッシウスなどの高山蝶の撮影に取り組みました。

夕方近く(と言っても午後3時頃)そろそろ撮影を終えて先に進もうと思ったのですが、甘かった。
もちろんバスはない(あっても途中から乗るのは難しい)し、ヒッチハイクもなかなか出来ません。
やっと一台のトラックに乗せてもらうころが出来ました。

雅江の町で夕食。再び出発した時には日が暮れて、真っ暗な闇の中の行軍です。トラックの目的地は、理唐まであと10数キロの小さな民家です。地元のタクシー?を読んでもらって、理唐に到着したのは真夜中の0時近く。

外国人が宿泊可能なホテルは、閉まっています。でも一階の片隅から明かりが漏れていたので、ドアを思いっきりドンドン叩いてみました。

流暢な英語を話す、若い美しい女性が出てきました。


筆者は、途中で休みつつ、のんびりと走るトラックの運ちゃんや、理不尽な料金を請求されたタクシーの運ちゃんに腹を立てて(本来なら親切を感謝しなければならなかったのでしょうが)、ほとんど切れかかっていたものですから、中国人に対して怒り心頭の状態です(もっともトラックやタクシーの運転手はチベット族)。

彼女が顔を出した瞬間、本来なら「泊まることは出来ますか?」と訊ねなければならないところを、とっさに「中国人はだい嫌いだ!!」と口走ってしまいました。

しまった、と思ったのですが、彼女は笑いながら、鸚鵡返しで「ミー・トゥー!!」。
 
若くして(当時20代半ば)ホテルを経営をする(両親が地元の権力者)チベット人で、学生時代にイギリスに留学していたそうです。

その後、仲良くなって、この町で度々行われる鳥葬に一緒に参加したり、ドライブに連れて行って貰ったりしました。

名前を出すのは不味いでしょう。チベット語の姓名が、「ハッピー」と「フラワー」に相当するので、 日本語で「幸田花子」とつけてあげました。ダサい?かもしれないですが、本人は結構気に入ってくれています。

4年前、筆者が康定の病院に入院したときは、何度か見舞いに来てくれました。その後会っていないのですが、理唐や雅江での暴動が報道されるたびに、大丈夫だろうか?と心配しています。


真夜中に灯りが漏れていた、左側の扉を叩いたら、、、。

この地域への最初の訪問から数年間、成都から康定を経て、あるいは昆明から香格里拉致を経て、
何度も行き来をしました。

雅江の町から西方は、最初に通ったときは夜中、漆黒の闇の中を4~5時間走り通したのです。谷底を走っているものとばかり思っていました。完全な漆黒の世界です。ごくたまに、うっすらと車や家の灯りが、亡霊のように浮かび上がります。

後に昼間に走って、実は大半が4500m前後の高原上を走っていることが分かりました。標高3000mを切る河沿いの雅江の街以外は、常に4000mを超す天空の地なのです。

始めのほうで記した、徒歩で走破中の青年に出会った「八角楼郷」は、雅江県の東端の、康定寄りの標高4600mの峠の下方です。

そのどん詰まりの川の源流付近(標高3800m前後?)に沿って、素晴らしいお花畑がありました。ある年、雅江の町を拠点に、丸2日間そこに通いました。そして、手あたり次第、その草原に生える全ての植物(200種近く)を撮影。

お花畑といっても、いわゆる高山植物ではなく、日本の田畑の雑草と同じ仲間の野生種が大半です。田畑のいわゆる雑草は2次的に成された植生ですが、それが天然に成立しているのです。いわば「人里植生」の原型。


八角楼東方の峠に上る道。初夏には白いシャクナゲの花で埋め尽くされます。


八角楼の天然お花畑。

実は、その翌年再訪したのだけれど、草原自体が無くなってしまっていた。あたらしい山岳ハイウエイの建設が始まっていたのです。

最後に訪れたのは4年前。もうどこだかわからないほど、完璧に変化していました。


この国道318号線(上海-エサ、最後はネパールとの国境に至る)は、筆者が1960年代の半ばからメインフィールドにしている屋久島とほぼ同じ、北緯30度線を前後して走っています。屋久島の位置は、正確には北緯30度13分-28分の間。雅江の街はジャスト30度なので、町を貫く雅砦河に沿って少し北に行けば達するはずです。

しかし(結構メイン道路のはずなのに)路線バスがない。屋久島の海岸に相当する、2つの川の合流点まで、徒歩とヒッチハイク。

途中見た光景には、かなり驚きました。明らかに、(成都からラサへ、チベット高原を東西に横切る)
鉄道建設が行われているのです。

ヒッチハイクした車は、凄い高級車でした。一目で政府の高級官僚とわかる役人が、お供を連れて乗っています。おそらく鉄道建設現場の視察なのでしょう。

快く乗せてくれて、はじめは拙い中国語で、その偉い人とフレンドリーに会話していました。

突然訊ねられました。

高級官僚氏「ところで君はアメリカは好きかね?」
筆者は笑顔で答えました「もちろん好きですよ!」
高級官僚氏の表情が微妙に変ったようです。

しばらくして再び同じ質問が。
高級官僚氏「君はアメリカが好きなのか?」
筆者「ええ好きです、、、」
今度は、明らかに怒りの表情。

三たび同じ質問です。
高級官僚氏「本当にアメリカが好きなのか?」
筆者(さすがに空気に気づき、でも今更嫌いとも言えないし)「中国も好きだしアメリカも好き」
お付きの人たちは凍り付いています。
一瞬、車を放り出されるかと思いました。
お付きの人たちが取り成してくれて、何とか目的地まで辿り着けたのですが、、、。
あとは無言、生きた心地がしなかった。

どうやら、中国の真の敵は、日本ではなく、アメリカのようです。

具体的には何事もなく済んだのだけれど、心の中では中国で一番恐ろしく感じた出来事です。


中央の山(格業)は標高6204m。麓の標高(約4500m)


チベット放牧民の小屋。この辺り(理塘-巴塘間)も屋久島と同緯度地域。


雅江の街中にて。昔は日本でもよく見かけました。


 理塘の隣町(ここで真夜中にタクシーに乗り換えた)。


空気が澄んでいるからか、標高が高いからなのか、、、昼間でも月の表面の模様がはっきりと見える。


みんなフレンドリーです。八角楼にて。



★連絡先
infoあayakosan.com あを@に変えて








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜか中国Ⅲ

2018-03-16 10:35:07 | 「現代ビジネス」オリジナル記事



中国の都市と地方の「格差」は本当にあるのか?


2月7日記述 2月16日付け「現代ビジネス」掲載記事の元記事




中国は、2月16日、2018年の春節を迎えました。旧歴の元旦で、新暦の日付とは、毎年異なります。ちなみに昨年は1月31日。おおむね、日本の節分および春分の日の前後。中国では新暦の「1月1日」は“ただの普通の日”、圧倒的に「春節」が大事です。

人々は、都会からそれぞれの田舎に帰ります。我々外国の旅行者は、うっかりしていると、泊まることも、食事をすることも、出来なくなる羽目になります。



春節の行事の一つ、山道で先祖を供養する 広東省紹関市翁源県貴聯村2015年春節 Monica Lee撮影

ところで、この原稿は、春節の6日前に、アシスタントMが借りてくれたアパートで書いています。Mは今日から10日間、昨春生まれた赤ちゃんのお披露目でご主人の実家で過ごします。その間、筆者が一人で食事が出来るよう、2週間分のお米を買い置きしてくれました。

残り財産は2000円を切ってしまっています。次の原稿料入手は月末。それまでの20日間(せめてMが帰ってくるまでの10日間)、これで過ごさねばなりません。朝食兼昼食が白飯(日本から持ってきたお茶漬け海苔が4袋あるので半分ずつに分けて振りかける)、夕食が近所の食堂で100円のヤキソバ(焼きビーフンをはじめ様々なバリエーションがある)、、、2000円あれば楽勝です。

と思って、さっき夕食を食べにアパートの外に出たら、ウァー!真っ暗、まるでゴーストタウン、全てのお店が閉まっています。まだ春節初日まで6日もあるというのに、、、、、。
一時間近く探し回ったけれど、どこも開いていません。この辺りは大都市郊外の工場地帯なので地元の人はほとんどみんな田舎に帰ってしまっているのです。都心まで出れば食べ物屋は見つかるでしょうが、交通費諸々が勿体ない。

というわけで、これから10日間、朝昼晩を白いご飯だけで過ごさねばなりません。中国の油だらけの食事に比べれば、“唯の白いご飯”は最高のご馳走なのだけれど、さすがに3食10日間はきつい。でも仕方がありません。

実は、これまでも、春節の時期には、苦労をして来ました。例えば、2007年(今はすっかり有名になってしまった)雲南省の菜の花に撮影に行ったとき。

それ以前から毎年のように訪れているのですが、春節初日前後は避けていました。しかしこの年は、うっかり大晦日に当たる日に訪れてしまったのです。ホテルの食堂は営業していないし、町の中探しまくっても、食事を出来るところは見つかりません。

途方に暮れていたとき、バスターミナルからホテルまで乗ったタクシー運転手のおばちゃん(中国の地方は女性のタクシードライバーが非常に多い)が、困ったことがあったら連絡頂戴な、と名刺を渡してくれていたことに気が付きました。

連絡を取ったら、早速やってきてくれました。どこに食堂があるのだろうと思っていると、着いたのは、おばちゃんの家。実はご主人はお医者さんで、どうやら町一番の裕福な家庭のようです(と言っても、せいぜい日本の中流の下あたり)。

春節の間、私たちが面倒を見てあげる、といって、高校生のお嬢さんと、中学生の弟さんが、
つきっきりであちこち案内してくれました。

日本で言うおせち料理を食べながら、年を越す(世界の終わりかと思うほどの膨大な数の爆竹花火の轟音に包まれます)直前、急患が出たとのことで、ご主人(凄いハンサム)は、着の身着のまま飛び出して行きました。お医者さんは偉いなあ。

春節元日の朝からは、3人で菜の花の村を訪れました。姉弟の親友だという、道端の売店の子供たちに会いに行きました。広い個室を与えられている姉弟2人と違って、友人の部屋は、壁に取り付けられた狭い(寝台列車のような)ベッドです。

身分は大変な違いです。でも、本当に仲良しらしく、全然そんなことは感じません。

春節2日目の夜は、車で1時間、隣の貴州省の一族の村(雲南省・貴州省・広西壮族自治区の境付近にあります)での新年の集まりに、ゲストとして呼ばれました。ここでも爆竹花火、その余りの凄さに見とれ、撮影するのを忘れてしまった。

三省の境には、その数年前にも訪れたことがあります。その時見た光景が今も目に焼き付いています。ほとんど垂直の崖の道を、年配の男の人(たぶんお父さん)に手を引かれて、ウエディングドレスを着た花嫁さんが下りてきた。待っていた車に乗って、これから結婚式に向かうところなのでしょう。なんだかひたすら感動して、この時もうっかりシャッターを切るのを忘れてしまった。

中国の「田舎」のことを、皆さんは、どれぐらいご存知でしょうか?

都市部との凄い格差、貧乏極まりない、、、本当にそうなのでしょうか?

確かにその通りなのかも知れません。月収100万円近くを稼ぐ都市のエリートに対し、1円2円の稼ぎを得るために、汗水を垂らして働いているのは、事実です。

でも筆者には、田舎の人々がことさら貧しいとは思えません。言葉の綾になるでしょうが、貧乏ではあっても、貧しくはない。








お医者さん姉弟の友達が住む町 2007年春節

中国の人々を、とりあえず3つに分けてみました。

A大富豪。 
B田舎の人々(地方都市住民ではなく、本当の田舎の村の、農民・漁民)。
Cそれ以外の人々(沿海・内陸にかかわらず、都市の住民)。

Aについては評論のしようがないです。桁外れなのでしょう。筆者個人的な感覚では、とてもまともな人たちであるとは思えません。

いわゆる都市の「富裕層」はCに入ります。都市の「貧民層」もCに入れました。横綱と幕下の違いはあっても、同じ土俵上で戦っているからです。

それに対し、BとCは関連性を見だすことが難しい。早い話、土俵が違うのです。

中国では、身分が「都市戸籍」と「農村戸籍」に厳密に別れています。ここでは詳細は略しますが、「農村戸籍」の人々には、都市で暮らすうえで様々な制約が課せられています(例えば移動一つをとっても複雑な手続きが必要な場合があります)。

「農村戸籍」の人間が「都市戸籍」を取得するのは、並大抵のことではないようです。全ての田舎の住民(以下、漁村・漁民なども含め「農村」「農民」と表記)は、都市戸籍を得ることを、人生の究極の目標としている、と言っても過言ではないかも知れません。

都市で暮らす人間が「都市戸籍」住民だとは限りません。「農村戸籍」のまま都市で働いている人のほうが多いのかも知れません(当然収入には大きな差があります)。

ところで、あくまで例えですが(実際にはそんな単純な問題ではないので)、農民は、都市に出稼ぎに出ます。中には、首尾よく「都市戸籍」を得る人もいるでしょう。

中国の社会は、今の日本とは違って、家族(あるいは一族や村)単位で構成されています。個人はパーツです。稼いだ金の多くは、家族や村に還元されるのです。

農民自体の収入は、(戸籍を問わず)都市で働く人々の稼ぎに比べて、それはもう驚くほど少ない。しかし、それとは別に、(都市で働く農村出身者経由で)お金は入ってきています。物価はもちろん安い。相対的には、果たして貧乏と言えるのでしょうか?

もうひとつ別次元での「例え」を挙げます。都市の富裕層はお金を持っています。億ションを保有している人もいるでしょう。社会的な地位や名声を持った人も当然多くいます。

それら(お金そのほか)は「実在」するものなのでしょう? 都市における経済は、右肩上がりで急速に上昇していきます。物価も収入もどんどん上がっていく。それは永遠に(右肩上がりで)続くものなのでしょうか? 何らかの巨大なクライシスに面した時、「お金」も「億ション」も「地位や名誉」も、一瞬にして霧散してしまうことはないのでしょうか?

人々が「現実」だと信じている社会は、もしかすると「バーチャル」の上に成り立っているのではないでしょうか?

農村の収入は、右肩上がり、とはいかないでしょう。いつまで経っても、ほぼ平行線のまま進んでいきます。収入の格差は、都市部と開くばかりです。

しかし、明確に言えることは、土地と資源は、都市の「現実」とは無関係に存在し、極端に増えはしなくても、消滅もしない(「資源」に関しては様々な影響を~汚染とかも含めて~都市社会から受けているでしょうが)、紛い無き「現実」の世界です。

都市では、給与とともに、物価も急速に上がっています。ここ数年で4倍になったなど、様々な報告がなされています。収入も横ばいでは取り残される。皆が右肩方向に上がっていかざるを得ません。

それに対し、農村部での物価は、筆者の知る限り、この10年20年の間に急激に上がったようには、とても思えません。上昇しているとしても、横ばいに近い、緩やかな右肩上がり程度、と言って良いでしょう。

もとより、農村と都市を同じ価値観で比較すること自体がおかしい。次元が異なるのです。

もしこの社会が、都市と農村が全く別個に成り立つならば、いくら格差があっても問題ではないはずです。農民は、横ばいのままの収入で、生活必需品に関しては、何一つ不足なく暮らせるのではないでしょうか。決して貧しくはありません。

筆者は今、30年間に撮影した膨大な量の写真を整理中で、そのほとんどは野生生物なのですが、人物の写真も少なくはありません。あることに気が付きました。都市部で撮影した人物は、大抵が無表情。それに対して田舎の人の写真は、老若男女皆が皆、満面の笑みを湛えているのです。その笑顔が物語っています、格差は本質的な問題ではない、と。


四川省雅安市宝興県隴東鎮東拉村

しかし、大前提があります。農村が、都市のほうを見ていなければ、という。問題は、農民の意識が、常に都市のほうを向いている、という事実。

都会の情報が入ってきます。インフラ、住居、食べ物、ファッション、、、全てが都会の方が魅力的です。しかしそれらは高額で、自分たちは手に入れることが出来るほど裕福ではない、という思い。そこに「格差」が生じます。

実際は、大して素晴らしいものではないのかも知れません。でも、そのことが分からないとしても、それは仕方がないことです。

バーチャルは、人を惑わせます。

例として一つだけ挙げておきます。ファッション。業界関係者には申し訳ないのですが、果たして人間にとって、どこまで必要なものなのでしょう?

衣服は、低温や外敵から身を守る、局部を隠す、ここまでは解ります。生物共通の、異性に対しての興味を引き付けるディスプレイとして必要、と言われれば、そうかも知れない、と思います。しかし、今の人間社会において実質的に大した意味を成しているとは思えません。

筆者は、基本薄着、というよりも1年中ほとんど同じ恰好(Tシャツ一枚)で過ごします。清潔さを保つことは大事なので、100円ショップでTシャツとブリーフと靴下を3セット揃え、常に洗濯、それとズボンを2本(1000円)、ポケットが沢山ついたサファリジャケット(1500円)、それらを年間通して使いまわしています。寒いときは、貰ったジャンパーを羽織ります。清潔でさえあれば、それで充分だと思う。衣食住の衣に関しては、年間3500円ほどの出費です。

しかし、どうやら多くの人々は、少し暑くなれば薄着をし、少し寒くなると次々と着込んでいるように思われます。予算もかなり割いているのではないでしょうか。

2度や3度の気温の変化でいちい衣服を変えていれば、筆者のように極寒の高山や熱帯のジャングルに行ったときに、どうするのでしょうか、、、、そんなところには行かない、と言われれば実も蓋もないけれど。
  
筆者は30年間、普通は一般人の行かない奥地の自然環境、いわゆる「秘境」を徘徊しています。ローカルバス、ヒッチハイク、徒歩(1日50㎞ぐらいは歩く)、むろんツアーなどには一切参加しません(この前の隕石探索が人生初めてのツアー)。

いわば、冒険家、探検家のように、、、、しかし実際は似て非なるものです(正直、彼らに対して失礼)。著者の場合は、好んで「冒険」しながら「秘境」に行っているのではありません。

たまたま調べたい対象が「秘境」と言われるような地(というより誰も知らない普通の地)に棲んで(生えて)いることから、そこに辿り着くために(なおかつ予算節約のため)、必要にかられて、仕方なく、さまざまな困難を伴う冒険まがいの行動を取っているだけで、秘境に辿り着くことと過程の困難自体を目的とする探検家・冒険家とは、根本的に異なります。

プラントハンターや、昆虫コレクターとも違います。いわゆる「珍しい生物」には興味がありません。身近な「普通の生物」の、例えばその祖先のような存在を探っている、と理解して下さい。「マニアック」と言われると、非常に腹が立つ。本人としては、極めて普遍的な、人類に役立つ活動をしていると信じているのです(笑)。

秘境に行くことも、途上の冒険もしなくて済むものなら、部屋の中で終日顕微鏡を覗いていたい(筆者のライフワークは蝶の生殖器の構造解析による系統考察)。夢は、熱帯の島のビ-チで若い美女に囲まれ、ヤシの木に吊るしたハンモックに終日揺られて過ごすことですが、いつか叶うのでしょうか?

話を戻します。

人類は、無駄を排除し能率を挙げることに力を注いできました。にもかかわらず、それとは別の無駄な存在、本来バーチャルでしかないものが、いつの間にか現実化し、それが基準となって、世界を覆い尽くしてしまっています。

「毎日同じ服を着て出社するのは、社会人として恥ずべきこと」などと言う人がいます。筆者には、どこからそんな発想が出てくるのか、さっぱり解りません。

多様なファッションを否定はしません。でも本来、そんなのはお金をかけなくても出来るはず。バッグにしても、100円ショップの「布製手提げ」と、何万円もするブランド品と、どこが違うのでしょう。

なに、全てがバーチャルな価値観だけで成り立った「偽物」に等しい、と考えても、さほど間違ってはいないと思います。集団催眠を利用した、合法的な詐欺のようなものです。しかし、現実には、世界はバーチャルな空間の中で完結してしまっている。それが基準となり、否定しようにも元には戻れません。

本来、田舎が下、都市が上、というヒエラルキーはないはずなのですが、バーチャルは、都市が上、という幻想を作ってしまいました。というよりも、社会が(無意識的に)そう仕向けているようにも思えます。

「虚=都会」と「実=農村」を、無理やり同じ土俵に上げている。その結果、中国の農民は、都市に出る(可能なら都市戸籍を得る)ことを、人生の全ての目標に置くことになります。

格差に問題があるのではなく、そのような方向性(格差を強調し問題にすること)自体が問題なのではないでしょうか?

今の中国にあっては、格差の「是正」ではなく本質の「認識」が必要。問題があるのは、「地方の遅れ」なのではなく、「都市のバーチャルな発展」なのです。

地方が地方のままで、収入が少なくても相対的に豊かで、皆が笑顔で幸せに暮らしている、、、良いことですよね? いや、国家にとっては、それでは困るのです。

中国は、大国を目指し、大都市を基準として、物価を上げ、給料を上げ、国民の総収入を増やすことに全力を挙げています。田舎が田舎のままで、少ない収入で幸せであってもらっては困ります。田舎という存在は無くさねばなりません。だから、収入の格差にこだわり、煽り、田舎の人々は、それに乗せられる。

中国の都市は、田舎が徐々に発展して成ったものではなく、無理やり作られた(深圳などは、その典型)といって良いでしょう。だから表面的には、豪華で、煌びやかで、近代的に見えても、中身は出鱈目で空疎です。

筆者は中国のほか、東南アジア諸国に行くことが多いのですが、それらの国々を歩いていて感じるのは、それぞれに大きな問題を抱えているにしろ、(インドやアフリカ諸国など、滅茶苦茶大きな問題を抱えている国々ともども)ベーシックな部分では欧米社会とはさほど違わない、世界レベルでの“普通の国”であるということです。

中国以外の多くの国は、田舎が主体になって構成されているような気がします。田舎の存在が認められ、田舎のままグレードアップしていく。全体が徐々に底上げするわけですから、繁栄の速度は遅くなります。

中国は、まず都市ありき、です。大都市圏だけが、一気に(かつ、身分不相応に、出鱈目なまま)繁栄し、お金持ちの大国になった。まあ、成金みたいなものですね。

田舎は田舎のまま生き続けることが出来なくなり、滅亡するか、都市に吸収されるか、そのどちらかしか、選択肢が残されていません。それが、今の中国の姿なのだと思います。

ちなみに、道程は正反対ですが、田舎を切り捨てることによって、猛烈な勢いで大国になった国が、もう一つあります。それは日本。

日本と中国だけが、世界水準から大きく外れているような気が、、、。もちろん、お互いに正反対の方向にです。両国とも、ちょっと“独自の方向に行き過ぎ”ではないでしょうか?


雲南省デチェン蔵族自治州維西リス族自治県立馬花



我が谷は緑なりき





★連絡先
infoあayakosan.com あを@に変えて










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする