青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

リアルタイム報告5

2017-11-30 16:03:10 | 雑記 報告


2017.11.30

日馬富士の引退決断は、妥当な流れだと思いますよ。事件直後に決めていたと思います。

白鵬も、気持ちとしては追従したいのだろうけれど、そういうわけにもいかないし、あの判定抗議は、精いっぱいの意思表示だったと思います。

非難ごうごうのコメントが殺到している記者会見のニュースに、次のコメントを入れておきました。
どのくらい青ポッチが押されているだろうかと楽しみに(笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

貴乃花。正義のヒーロー。
日馬富士。犯罪者。

貴乃花。鉄の心(他人のことはどうでも良い、信念一筋)。
日馬富士。誰よりも周囲の人々への思いやりに溢れた力士。

貴乃花。八百長撲滅、シゴキ撲滅。
日馬富士。八百長(人情相撲)も取るし、シゴキもする。
*貴乃花は、兄弟決戦の時、明らかな「片八百長」をしていることを忘れないでほしい。

ガチンコ相撲を取り続けたら(調節を無視したら)、すぐに体を壊してしまう。貴乃花親方、弟子の体の大切さを真剣に考えたことあるの?

「シゴキ」は、ほとんど全ての力士がやっている。それを「是」とするか「否」とするか。考え方によっては、「大相撲」という存在自体が成り立たなくなってしまうでしょう

もし貴乃花親方が、本気で改革に取り組むなら、「戦いは神の教えに反する」と髷を切った、明歩谷を見習って、
今すぐ角界を去ればよい。

真実とか正義は、簡単に口に出して言えるような、軽薄なものではないのですよ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

北朝鮮に対する制裁、日本も武力で攻撃するべきだ、というのが、日本国民の大勢なようですね。
弟弟子を諭す目的の、しかし行きすぎたと思われる個人の「鉄拳」は ”悪”、
北朝鮮を懲らしめるために、国民一体となった「武力正義」は“正義”、
ということなのでしょうか?

真実・正義・平和とは、みんな(地球上の全ての人、というわけではない)が、そう思うもの。お上が認定したもの。難しく、深く考えては行けないのですね。空気、というわけです。

以下、近況報告です。

昨日、大阪の植物園に納めるために、桂林北郊の花坪原始森林に赴いて、植物の枝を採取してきました。1日2便のローカル路線バスを利用して、雨の降りしきる中、峠頂の停留所から原生林まで、痛い足を引きずり、往復12㎞の山道をひたすら走り、間一髪で最終バスの時刻に戻ってきました。正直、無茶でした。風邪をひいてしまった。今日はこれから列車で広東翁源に転進し、12月3日に日本に戻ります。生きるために必死、命がけなのです。

コメントをくださった方。本当に申し訳なく思っています。どうか、連絡先(または振り込み先)をお知らせください。

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連絡を要する方は、コメント欄、または【infoあayakosan.com あを@に変えて】に、簡単なご要件の要旨と、こちらからの連絡先を伝えて頂ければ有り難いです。お手数ですが、よろしくお願いします。
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リアルタイム報告4

2017-11-27 13:38:03 | 雑記 報告


2017.11.27

ブログを、丸4年ぶりに再会しました。2007年にスタートして、2012年春に一度中断、2013年春に再開を試みたのですが、同年秋に再び中断して、現在に至っています。

実は、2013年春の再開翌日に、全く理不尽なアクシデントによって、僕のアカウントが消されてしまい、結局復旧が叶わずに、全てのアドレスと連絡が取れなくなってしまいました。そのためもあって(他にも筆記してあったメモなどの紛失で)多くの方との連絡が取れず、中断の途中、「小生に連絡を望まれる方は、0000000にご一報ください」というコメントを入れておいたのです。

何人かの方からは連絡が来たのですが、主に、僕のことを心配してくださっている、古い知人です。
「ネイチャー・クラブ」に協力頂いた方で、こちらからの作品や資料の郵送が滞っている方、そのほか資金の協力などをして頂いているのにも関わらず、そのままになってしまっている方々からも、連絡があることを望んでいます。

この数年間、体調と経済面でどん底の状態にあったのですが、「現代ビジネス」での不定期連載もやっと軌道に乗り、このままスムーズに行けば、来春頃に何回分か纏まった時点で、単行本化して貰えそうです。そうなれば、(今現在はまだ非常に苦しいのですが)時間的にも経済的にも、ある程度の余裕が持てます。その見通しが立ちそうになったこともあって、ブログを介して、疎遠になっている方々との再交流を期待している次第です。

ブログ再開に当たり、連絡先を表示する予定でいたのですが、上記したように一度「お知らせ」を出していたことから、それを読んで頂ければと思っていたため、後回しになってしまいました。ここに改めて連絡方法をお伝えしておきます。むろんブログのコメント欄に記入して頂いても良いのですが、こちらからご連絡出来るような方法を望んでいますので、よろしくお願いします。

僕のパソコンでは、自分でブログの内容やコメントを見ることが出来ません。あや子さんから連絡があり、僕が以前不義理をしていたという方から怒りのコメントが届いているとのこと。申し訳ない思いでいっぱいです。出来る限り早急に対処させて頂きます。同じような方(そのほかどんな用件でも良いので小生との連絡を望んでいる方)がもし他にいらっしゃったなら、どうか遠慮なさらずに、ご一報をください。

そんなわけで、来春の、とりあえずのゴールに向けて、頑張るしかありません。

現在、全財産は200円です。このレベルはいつもの事なので、どうってことはないのですが、もちろんのこと、そこに甘んじているわけには行きません。

明朝、モニカが来てくれると思うのですが、来ないかも知れない(笑)。現時点で彼女への借金が3万円ほどになっていて、最近かなりへそを曲げているのです(あと、最近になってご主人のご母堂と同居しているので、余り僕のことに構っていると、立場が微妙になりかねない)。むろん、資金が入り次第、一刻も早く返すつもりですが、、、、順番が(汗)。

今日で、今回中国に着いてから、深圳軟禁10日目です。窓が無い狭い部屋に10日間閉じ込められているのは、本当に辛いです。それでも、日本に帰れば、部屋には布団も暖房器具もトイレもシャワーもないわけですから、それに比べれば天国ですけれど。

でも、そろそろ、今回の目的の仕事をせねばなりません。次の次の次の回の取材(沖縄久米島の新種の蝶探索)は、現時点で取材費が出ていないため、諦めるしかない。次の次の回用の「麦菜」のアンケートだけはなんとかとっておきたい。あとは、大阪の植物園に収める目的で、野生アジサイ他の樹木の枝を持ち帰らねばなりません。

ということで、先ほど、仕事先への緊急ヘルプのメールを送信したところです。


無事、出発出来るでしょうか?

お金がないことはむろん、体調は相変わらず著しく悪く、毎日「明日死んでも仕方がない」と言う状況で、かろうじて生きながらえています。しかし、このようなノー天気な文章を書いていると、そのことが、ちっとも伝わらないようです。それに人と会っている時は、結構元気そうで、かつ楽しそうに見えているみたいなので、実際の窮状が伝わりません。編集のU氏も、モニカも、全然信じていない。

次回からは、再び「日馬富士問題」についての考察を続けます。もういろいろと、腹が立って仕方がないのです。





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«この10年間の間に、何らかのアクシデントでインターネットのアカウントが2度に渡って停止され、そのため、こちらから連絡が取れなくなっている方が少なくありません。連絡を要する方は、コメント欄、または【infoあayakosan.com あを@に変えて】に、簡単なご要件の要旨と、こちらからの連絡先を伝えて頂ければ有り難いです。お手数ですが、よろしくお願いします。≫





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リアルタイム報告3

2017-11-25 13:40:43 | 雑記 報告


2010.11.21(11.25アップ) 

そうか、そういうことなのか。

真実は一つ。それで戦争が起こる。

僕が、これまでずっと(正確に言えば“ある時”以降)、日本人の“何”に対して疑問を感じてきたのか、分かったような気がします。

このブログは、11月21に記述しました。もちろんメインの作業は本来の原稿書きや写真の整理ですから、ブログに専念しているわけにもいかずに、全体を整えるのに時間がかかり、アップが今日(25日)になってしまいました。ということで、24日時点での追記。

様々なインターネットニュースのコメントを見て判断するに、“悪役”は、横綱日馬富士⇒貴乃花親方⇒日馬富士に移り変わってきているようです。現時点では「日馬富士」にほぼ集約されています。理由は「暴力を振るい逮捕されたから」。

暴行傷害事件・逮捕・罪人・横綱失格・引退追放、それ以外は付属的問題、差別などは関係ない。大多数のコメントが、その流れで一致しているようです。国際問題などにして、安部さんに迷惑をかけるな、と。

僕は、モンゴル人は好きではないし(そのことについては後述します)、日馬富士も好きではない。
でも、一貫して日馬富士の庇護に当たります。
心から日本を愛する日本人の一人として、日本の行く末が心配だから、、、。

以下、21日記述分に戻ります。

資金は調達出来ず、痛風がまた復活の兆し、パソコンはどうしようも無い状態で、おまけにメガネを無くしてしまった。終日、窓のないベッドと机だけの部屋に閉じこもり、ひたすら、パソコン画面(予備のメガネが劣悪で疲れる)を見つめて日本からの連絡待ちです。

もっとも、昨日18回来たメールは、全てモニカから。17日からの計45回も、モニカ以外は3人8通(うち5回はあや子さんとのブログ作成打ち合わせ)だけ。肝心の仕事がらみの編集U氏からは一通も来ない。実質、モニカからの指示待ち(食事の準備など)のためだけに、画面を見続けている現状です。

Mr. Lonely(Bobby Vinton)の心境です。

今の僕のパソコンが壊滅状態にあるからか、あるいは中国独自の問題に因るのか、パソコン画面に表示されているヤフーニュースは開くことが出来るのですが、自分で検索したものを開くことは、一切出来ません。

そんなわけで、ひたすらヤフーニュースの日馬富士問題をチェックしている次第です。そして時折コメントを書き込んで、反応を見ています。ネトウヨ及びネットを見る一般市民の考えの傾向を知るために。

赤が賛同、青が否定ですね。僕としては初めから青狙いで、でも気持ちとしては、青ばかりだと淋しいし、ひとつでも赤があれば、やっぱり嬉しい、というところでしょう。

「日馬富士問題」は、スタートの時点で違和感があったのです。それで、当日の11月14日以来、ずっとコメントを投稿し続けています。

初めに言っておくと、僕はモンゴルは好きではありません。日馬富士も好きでも嫌いでもない。

問題を公平に見なくてはならない。非常に複雑で、推移を見守る必要があります。

それが分かっている前提で、あえて日馬富士を全面擁護するのです。

僕にとっての敵は、貴ノ岩でも貴乃花親方でも相撲協会でもマスコミでもなく、ネットユーザーの一般市民です。

「日馬富士問題」がネットニュースにアップされるごとに、コメントを入れていきました。おおむね同じ内容を、様々に書き分けながら。

僕の言いたいことを一言で表すなら、「真実(正義)は一つではない」ということ。それはひとまず置いて、、、、。

●貴乃花親方は、相撲界から「イジメに繋がるシゴキ(可愛がり)」と「八百長の温床」を完全排除しようと考えているのかも知れない。それは素晴らしいことだと思う。

●日馬富士は、貴ノ岩を酒席で殴った、と自ら証言している。

●その行為は、単純に「悪」なのだろうか?

●大多数のコメントは、日馬富士が「暴力を振るったのは確か」だから「追放されて当然」と言っている。それらは本当に「確か」で「当然」なのだろうか?

●大相撲の世界では、良かれ悪しかれ、上位番付の力士、あるいは兄弟子が、若い力士を「可愛がる」という風習(ほとんど仕来たりと言っても良い)がある。

●良く言えば「愛の鞭」、悪く言えば「シゴキ」、さらに見方によれば「イジメ」ともとれる。

●おそらく、99%の力士が、それを行っているであろう。

●稽古の中だけでなく、私生活にも及ぶ。「無理偏にゲンコツと書いて兄弟子と読む」。この社会は、(良いか悪いかは別にして)そのような前提の上に成り立っている。

●酒席などで、後輩に対して、何らかの形(ビール瓶はともかくゲンコツなど)で手をあげている関取は、枚挙にいとまないはずだ。

●日馬富士を角界から追放するならば、それらの力士に対しても、全て同様の処置を採らねばならない。

●そうなれば、角界から、現在の上位陣や相撲協会上層部は、全員消えてしまうことにも成りかねない。

●土俵上の「シゴキ」(おそらくは酒席でのゲンコツなどより遙かに大きなダメージを与える行為だと思う)も考慮すれば、ある意味、稽古自体が成り立たなくなる可能性があると思う。

●本番の土俵上なら、もっと深刻である。ある意味「殺し合い」だ。実際、本番の取り組みで怪我をする力士も多数いる(おそらく、そのような点に関しては、日馬富士は、最も“優しさ”に溢れた関取の一人だと思う)。

●見方によっては、大相撲という「格闘技」自体が「合法的暴力」の延長であり、あってはならない、弾圧されるべき存在なのかも知れない。

●事実、キリスト教の(一教派の)信者だという、かつての名関脇・明歩谷は、格闘技は人としての教義に反する、と言って、相撲界と決別してしまった。

●「八百長」についても同じようなことが言える。

●一年6場所90取り組みを全て全力で対すれば、体が持たない、と言うことは自明の理である。

●何らかの形で「調節」を行わねばならない。

●それを「無気力相撲」さらには「八百長」と取るかは、その場その場に於いて判断されるべきものと思われる。

●もし「無気力相撲」完全排除となったならば、早晩、全力士が早期引退に追い込まれてしまうだろう。

●「愛の鞭・可愛がり・シゴキ・暴力」の問題にしろ、「健康の維持・調節・手抜き・八百長」の問題にしろ、多面的に考えねば、答えは出ないのではないかと思う。

●「暴力」を振るった日馬富士を一方的に責めるのは、違和感を覚える。

●貴乃花親方の理念(シゴキと八百長の完全排除)は、否定すべきではないと思う。共感すべきところも、少なからずある。

●しかし「シゴキ・暴力」「無気力相撲・八百長」とは何なのか? その本質は、複雑多様だ。該当の言葉の上では、負の意味あいを強く著わしているが、それが全てなのではない。

●貴乃花親方は、物事を一方(見栄えの良い“正義”の立場)だけから見ていて、本質に深く考えを及ぼさないまま、敢えて言えば思いつきの信念だけで、行動しているように思える。

●僕は、そのことを良しとはしない。

以上が、僕が考えている、「問題」に対する「答え」です。

実際に投稿したコメントを並べてみました。これまでは月に1~2度、たまに気になるニュースが会った際、コメントを投稿してきたのですが、今回の事件では意識的に投稿を続けているのです。

太文字数字の左が赤(コメントに賛同)、右が青(反対)です。

貴乃花親方、、、、何か腑に落ちない。
[11.14(事件直後)] 6 1

貴乃花親方、、、、何か変。
[11.18(以降は中国に着いてから)] 85 47

ネトウヨの皆さんは、貴乃花親方の言のみを信じて、白鵬や当事者2人の証言を無視しようとしているのですね。貴乃花親方が、どれだけ腹黒い人間なのか、あなたたちは知っているのですか?
[11.18] 3 3

貴乃花親方と相撲協会の、モンゴル勢に対するいじめ。
[11.18] 0 1

これは、ほとんど(日馬富士に対する)イジメに近い。貴乃花親方と相撲協会のほうに、より大きな問題があると思う。
[11.18] 1 1

日馬富士が逮捕なら「可愛がり」は全て暴行容疑で逮捕ね(それも一つの見解だと思うけれど)。相撲界から関取は一人もいなくなっちゃうよ(それはそれで良い)。
[11.18] 198 52

「要は暴力で犯罪だ」というコメントが多いようです。ならば、いわゆる「可愛がり」も暴力です。日馬富士だけでなく、全力士に当てはまるはず。貴乃花親方が(力士全員犯罪者になって大相撲は滅亡しかねないことを承知の上で)相撲界からそれを根絶しようとしているのなら、一定の評価は出来るでしょう。でも、日馬富士だけを狙い撃ちにしている現状は、なんだかなあ、と思います。
[11.19] 79 27

仮に、貴乃花親方が、相撲界から「可愛がり」の仕来たりを完全排除しようとしているならば、それはそれで立派なことだと思う、しかし日馬富士一人に罪を被せるのは、どうにもおかしい。大なり小なり(善意の行動も含めて)ほかの力士も(見方によれば暴力とも取れる「可愛がり」を)行っている。ほぼすべての力士が逮捕されなくてはならない。その覚悟(大相撲は一度消滅する)での決意ならばいいのだが、、、、僕には、そうは思えない。
[11.19] 1 0

日馬富士を擁護する気持ちはサラサラないのだけれど、、、。「この騒動で何の罪もない他の力士が可哀想」と言う意見には違和感をかんじるなあ。だって、同じこと「例えば拳骨での気合い入れ」は、みんな日常的にやっているんだよ!(それは良くないことと思うけれど)告発されて捕まった日馬富士だけが極悪人で、逃げおおせている他の力士たちは可哀想、、、、なんだかなぁ~。
[11.19] 22 18

【元コメント】<こう言う記事が話をぐちゃぐちゃにしてしまう。黒幕は、日本人の島国根性ではないですか?私は日本人として、余りにも差別的な話ばかりが飛び交う事に悲しく思います。暴力を振るった日馬富士が絶対に悪くて、後はその度合いに似合う罰を受ける事が大事で、モンゴル人、日本人で度合いが変わる事はあってはいけないと思う。31 37>
⇒ 僕もそう思う。「愛国心」とか「日本人なら」とか言うけれど、本当に日本人としての誇りを持っているならば、謙虚になって、事態を客観的に見るべきだと思います。
[11.19] 6 2

【元コメント】<日馬富士が殴ったのは事実!とか言ってる人が何人かいますけど…貴ノ岩⇔日馬富士で何か手をあげるようなことがあったにせよ翌日にはお互いに謝ってて…日常生活で稀にあるいざこざっていうか喧嘩にすぎず、その後でどちらも「ごめんなさい」してるんだったらそれで終わってた話なのに。親方だからといってその場にいなかった当事者でもない貴乃花が勝手に被害届出してここまで事を大きくしたんじゃないんですか? アウトレイジは,貴乃花だけ、だと思います! 日馬富士の処分は引退か解雇っていう声も…それを貴ノ岩が心から望んでいると思いますか? 137 51>
⇒ その通りだと思います。昔、貴乃花が、兄弟子の安芸乃島に対し、聞くに堪えかねるような罵倒を繰り返して週刊誌にリークしました。安芸乃島は一切反論せず、二所ノ関一門から破門同然の扱いで立田川部屋に移った、といったような経緯もあります。人として、、、、、。あと、「可愛がり」と「暴力」の線引きをどこでするのか、という問題。相撲界の根底に関わることです。 
[11.19] 17 1

貴乃花親方は
八百長を無くそうとしている
イジメを無くそうとしている
しかし
「八百長」ととるか「力の配分」ととるか
「イジメ」ととるか「愛の鞭」ととるか
年6場所ガチンコ勝負だと体が持たない
激しい稽古や叱咤が無ければ相撲が成り立たない
それらを総合して考える必要がある
彼には、それが出来ない
[11.20] 82 17

日馬富士の行動がとった行動が「暴力」なのか「スパルタ教育」の一環なのか、、、後者が犯罪で逮捕なら、力士ほぼ全員逮捕されなければならないでしょう。それと「警察や司法の裁きの結果を待て」という意見が多いけれど、、、警察や司法もどこまで信用できるか、、、。
[11.21] 22 3

意図的な暴行と、叱咤・愛の鞭は違うと思う。後者が良いとは言わないよ!でも、現段階では、ほとんど全ての力士がやっているはず。訴えられて逮捕されれば悪人、そうでなければセーフ、というのもおかしい。たしかに、たとえ愛の鞭であろうとも暴力は無くすべき。でも、貴乃花親方のやり方には疑問だらけ。
[11.21] 14 18

息子と貴ノ岩は洗脳されちまった。
お兄ちゃんとおかあちゃんは上手く逃げれたね!
[11.21] 64 3

【元コメント】<貴ノ岩は非常識...日馬富士は乱暴が過ぎた...世の中 暴力を振るった方が負け、法治国家の日本では正義感を振りかざしても 暴力を振るった方が負けです。30 15>
⇒ それを合法的にやろうとしているのが安部さんね? 
[11.21] 1 4

どれくらい僕の意見が受け入れられるか。おそらく青ばかりになるだろう、と予想していたのが、ほとんどが赤(賛成)優勢で、青(反対)の倍以上の数です。正直、かなり意外な結果でした。
(*24日注:この時点では「貴乃花悪人節」に流れが傾きかけていた、という背景もありますが)

ところが、明らかに青が一方的に勝るコメントが、ひとつだけありました。

「真実は一つ」じゃないよ。立場や状況によって、様々な解釈が出来る。「日馬富士が暴行を働いたのは事実、だから犯罪」と言うのだって、短絡的。力士たちの通常の「可愛がり」(それを「イジメ」とみるのか「愛の鞭」とみるのかで違ってくるけれど)の延長と考えれば、そうも言えないと思う。光の当て方で「真実」は違ってくる。「真実はひとつ」「正義はひとつ」と思い込んでいるもの同士がぶつかるから、戦争が起こるのではないでしょうか?
[11.20] 1 13

そうか そういうことなのか。はっきり分かったような気がします。僕が何を言おうとしている のか。何を言い続けてきたのか(生物学的な分野に於いても)。

僕が言おうとしていることは、真実は一つではない、正義は一つではない。それに尽きます。

ちなみに、最後の一つは、ネトウヨのコメントへの返信。このような、余りにストレートな(でも、これが事実です、笑)意見は無視されてしまう傾向があって、思ったよりも反論が少ない(赤が一つあったのは、ご愛敬です)。

*21日以降のコメントを追記しておきます。白鵬の「待った」問題に対して。
私は日本人ですが、白鵬や日馬富士がどれだけ悔しい思いをしているか、身に染みて分かります。「正義」や「真実」は一つではない。立場や見る角度によって違ってくるものです。(すでに朝青龍の時からだけれど)余りにも日本人から見た「正義」を押し付けすぎる。スケールの大きな村八分だと思います。
[11.23] 2 9

二つ前の、赤14/青18と、青が勝っているコメントにも、「訴えられて逮捕されれば悪人、そうでなければセーフ、というのもおかしい」という意見に反応しているのでしょう。

ついでに、この事件の前、11月に入って投稿したのは次の2つ。

≪ゴルフの石川遼の現状にたいして、受け狙いで、笑≫
漫才コンビ「W王子」
[11.3]  18 0

≪「シラサギ」と言う和名の鳥は存在しない、というニュースに対して≫
和名に「正式名称」はありません。権力者の力関係と、それを受ける一般市民の空気の状態で決まり(?)ます。
[11.3]  1 8

多くの市民は、僕が思っていたよりも、意外に健全な思考を持っているのだと思います。いわゆる「ネトウヨ」とは一線を画していて、僕の意見に賛同してくれているのです。

しかし、「真実は一つではなく多様」「権威(司法や学会)による決定事項が必ずしも全てであるとは限らない」といった意見を述べると、非常な反発を受ける。

貴乃花親方のやり方はおかしい、でも日馬富士の暴行は事実、その(基礎・逮捕された)時点でアウト。それが衆目の一致するようなところだと思います。

一方、僕の意見。貴乃花の考え自体は決して間違ってはいない。問題は彼が、それだけを「正義」と思っていること。日馬富士の「暴行」は必ずしも「事実」ではない。「暴行」とは何なのか?「事実」とは何なのか?「起訴・逮捕」されれば本当にアウトなのか?

人々は、(殊に日本人は)「真実」や「正義」を、表層的な視点からのみ捉え、安易に「司法」とか「学会」という権威に委ねてしまう。社会に対しての疑問や不満があるにも関わらず、お上の言うことには、なぜか素直に従っているのです。

今の日本にあって「大衆の空気によって形成された権力」、あるいは「権力によって形成された大衆の空気」は、絶対的なものなのでしょう。

「逮捕されれば悪人」。やっていることは50歩100歩であっても、濠の中に落ちればアウト、逃げおおせればセーフ、それが今の日本に於ける「真実」なわけです。

日本人の持つ問題は、「本質」に対する自覚の追及が欠けていること。「真実」や「正義」が、余りにも表層的で軽すぎます。

ダルヴィシュは、あの清原(僕は大嫌い、笑)に対して、真っ先に救いの手を述べました。「清原さん、僕に出来ることがあれば何でもします、遠慮なく言ってください」(要旨)。

バリバリ現役の大リーガーです。発言に対するリスクの大きさを考えれば、そうそう思い切りよく言えることではない。しかし彼はきっぱりと言い切ります。一度裁きを受けた人間を、再び受け入れようとしない日本の社会の構造は、間違っている、と。

その姿勢は、貴乃花の表層的な正義とは、対極に位置づけられるように思います。(歳は僕よりずっと若いけれど)彼こそが、尊敬に値する、本当の日本人です。

最初に記した“ある時”について。

いつだったか、、、日本に帰国中、たまたまホテルの部屋でテレビを見ていた時です(僕は69年の人生で、自分のテレビを持ったことがない、笑)。

ごく簡単に記します。秋田で、女性が、隣家の子供と、自分の子供を殺害した事件。

レポーターと称する、テレビ関係者たちの、悪人を断罪する正義の叫び。その余りの醜さに、目を疑いました。これが、本当に日本人なのだろうか? 残念ながら、彼らこそ、多くの日本人の想いを代弁する、メディアの使者なのです。

僕には、彼女の哀しみが、痛いほど分かります。彼女が、心の闇のただ中で、間違って(あえてそう表現します)殺めてしまった、最愛の我が子に対する懺悔。それに耐えられずに、隣家の子供を殺害してしまうという、絶対にやってはならない行動に至ってしまった。

我々に出来ることは、彼女を弾圧し罪を科すことではなく、心に寄り添うことです。

僕は、「真実は一つ」と信じている、多くの(善良な)日本の国民に対して、真っ向から挑戦を続けます。

「善良な市民」こそが、戦争を引き起こすのです。

「日馬富士問題」については、ここまで。

ところで僕も、現実的には人畜無害な「善良な市民」の一人であることには違いありません(笑)。言い換えれば、僕の姿勢は、優柔不断で、一貫性がない、ということです。何が正しくて、何が間違っているか、さっぱり分からない(もしかするとIQが低いのでしょうか?)。

例えば「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問にも応えられません。言い切れることは、僕は間違っても人を殺さない、そして(法の許での)死刑制度には絶対反対。それだけは言い切れます。

付け加えれば、あらゆる差別はしてはいけない、と信じています。といって、じゃあ差別とはなに?
と問われれば、上手く答えることは出来ない。敢えて言えば「真実・正義は一つではない」ということに繋がるのだと思います。

僕は、韓国人は基本的に嫌いです(モンゴル人も余り好きになれない)。黒人は好きなのだけれど、黒人音楽の多くは、(感性が会わず)好きになれない。ホモは、非常に気持ち悪く感じる、、、これは生理的なものだから、仕方がありません。

はっきりと言えることは、自分がそのような感情を持っていることを、非常に残念に思っていること。幾ら、思想、感性、生理的側面で相いれることが出来なくとも、彼らを非難することは、絶対にしてはいけない。なんとか、受け入れたいと、努力を続けているつもりです。

ただ、性同一障害に対しては、思うところがあります。自分が理解出来なくても、彼らが苦しんでいるという事実があるのですから、それ自体を理解する、あるいはそれに向けて努力をする、という姿勢は、絶対的に必要です。

でも、どこかに釈然としない所があります。本人の自覚が他人に認識して貰えない「同一障害的少数者」は、彼らだけなのだろうか?と。

これは半分冗談で、とんでもなく場違いな意見かも知れないけれど、例えば、僕が日本の文化や社会にどうしても溶け込むことが出来ず、自分の本当の感性はアメリカ人なのであって、アメリカ人として生まれたかった、と常に思っていたとしましょう。それに対して(もちろん冗談ですが)「祖国同一障害」は、認めて貰えないのでしょうか?

理解出来ないことは、無視される。それは仕方がないことです。

でも、人間は多様です。余りにも多様です。人間が他の生物と最も異なる点は、知能とか言ったことではなく、その多様性にあるのではないか、と思ったりもします。

残念なことに、多様性の自覚の可否に関わらず、多くの人が(殊におそらくは知能が高くなればなるほど)、自己や社会の価値観が鮮明になり、その枠の外が分からなくなって、ひいては否定に繋がっていくように思えてなりません。

唯一の「真実」「正義」の構築です。

この話は、他の(未発表)記事に書いたことと重複しますが、ここでも記しておきます。

今後「現代ビジネス」で、僕をプッシュしてくれることになっています。それに際して、懸念材料があれば、今のうちに払拭しておかねばならないと。まず第一に行わねばならないのは、以前のブログに掲載した、ベトナム・サパの渓流で裸で水遊びをしている子供たちの写真を、削除しておかねばならない。

世間の趨勢はよく分かっているので、むろん従います。あや子さんに頼んで、早速削除して貰ったのです。

でも、正直、非常に理不尽な思いがあります。

既に掲載時に「ガキとの闘い」として掲載した一連のコラムに対し、ある異変が起こっていたのです。編集プログラムとかいう機能を通して、毎日、何人の訪問者があり、閲覧数がどれくらいあるかを、チェックできるようになっています。さらに、閲覧者が、どのようなキーワードで訪れたかなども分かります。

「ガキとの闘い」をアップしたとたん、「訪問者」「閲覧数」が、極端に跳ね上がったのです。そして検索キーワードには「男の子裸」「女児裸」といった、おぞましい文字が、、、。恐ろしくなって、その話題は以降凍結することにしました。

田舎の子供たちの、健康の象徴、として取り上げたのです。僕の自信作の一つでした。健全さということで言えば、これほど「健全」な話題は、そうは無いだろう、と自負していました。

それが、全く正反対の方向から眺められていたわけです。変質者が基本。それに沿って規則を構築する。こんな理不尽なことがあって良いのでしょうか?

「後ろめたい」目で見るのが当然。なぜなら、みんなが内心、同じような気持ちでいるから。

それは違うでしょう!

あなたたち(多くの一般市民や権力者)はそうかも知れない。そうでない人々も数多く居るのです。福田康夫元首相の退陣時の記者に対するコメント「貴方とは違うんです」は名言だと思っています。

知らない子供に親切にしてはいけない。倒れている女性を介抱してはいけない、、、、。見て見ぬふり、面倒なことには関わらない、それを良しとする社会は、早晩、破綻をきたしてしまうのではないかと。このままでは、人類はどんどんあらぬ方向に進んで行くのではないでしょうか?

今話題の「セクハラ」とか「ストーカー」とか「不倫」とか言った問題も、表層的な「正義はひとつ」というような綺麗ごとで考えるのではなく、もっと本質を掘り下げて熟考すべき問題だと思っています。

人々は、どうして、自分や周りの社会の中での物差しだけでしか、物事を捉えることが出来ないのでしょうか? 悲しくなってきます。

ご存じのように、僕はこの30年間、日本と中国や東南アジアの国々を行き来しています。それを知ったある日本のご老人曰く、「君が頻繁に国外に行くのは“女”が目的に違いない、いや、そうとしか考えられない」。

残念ながら、みんなが貴方のような助平ジジイではないのです。一緒にしないでほしいです。

もっとも、元婚約者のスーリン(年に一度ほどしか会わないけれど、今でも仲が良い)や、唯一の弟子(実質マネージャー、笑)のモニカは、天涯孤独と言って良い僕にとって、家族に等しい、かけがえのない存在です。最愛の(笑)小七も女の子だし、彼女たちに会いに行くのが、どこがいけないのでしょうか?

先日ネットニュースを見ていたら、元大阪市長の橋下さん(この人の思想は僕とは正反対ですが、そのストレートで斬新な姿勢には好感を持っています)のコメントに出会いました。

行政が中学生の茶髪を禁止する指導についての、反論(自主性の排除、イジメに繋がる懸念)への反論です。

現実的に(荒廃している学校では)茶髪の子供ほど、入れ墨を入れたりして、ワルになって行く確率が高い。人生、そんな無駄な時間を過ごすのはもったいない。自分も損するし、他人にも迷惑をかける。見てみぬふりをするのではなく、そうならないように指導することこそ、大人の愛情であり、行政の使命ではないだろうか、という要旨だったと思います。ある程度分かるし、ある程度は賛同します。

でも、ほんとうに、入れ墨、ヤンキー、そうなっちゃいけないのでしょうか?

入れ墨やヤンキーが無駄で排除されるべき存在ならば、僕からすれば、今一般に普及しているファッションとか様々なカルチャーとかも、まるっきり無駄で目障りでしかない。

入れ墨はダメで、ファッションに時間やお金を割くのは良い。なんで? 社会の中のポジションがそのようになっているからでしょうか。

入れ墨のある人は入浴を断る、今の日本の銭湯の主流です。合法的(一般市民合意の)差別。これほど悲しく、残念なことはありません。

皆(一般市民)が嫌がるから、というのがその理由です。

大企業でも大金持ちでも、政治家でも宗教者でも科学者でも芸術家でもなく、一般市民が最大の権力者なのです。

政治家は小間使い、いかに多くの一般市民の要望に応えるか。そのような意味では、安部さんは最高の首相なのかも知れません。主人公は一般市民に集約され、そこに「正義」が司る。

ちなみに、僕は風呂が大好きで、帰国するといの一番に銭湯に行きます。で、その理不尽な差別に思いを馳せます。

外国での評価は、必ずしも良くないですよ。むろん日本の銭湯は大人気で、特に富裕層の中国人にとって、郊外(例えば東北地方)の観光旅館の露天風呂は人気の的です。

その一方、よく真っ裸で、不特定多数が入る不衛生なところに浸れるもの、と思っている外国人も、結構います。実際、街中にある銭湯では、どう考えても不潔だとしか言えない湯船に、少なからず出会っています。

早い話、人前で裸になることを強制されるわけで、セクハラと受け取られても仕方がないでしょう。

不衛生、セクハラ、差別。そんなところに行く人間は最低と、風呂文化自体を野蛮な存在と否定されても、文句は言えません。

こっちだって、海外の多くの国では、日常的カルチャーとして成り立っている、入れ墨の文化を否定しているわけですから。

僕は、日本では、福生のスタバを事務所代わりに使っています。302円のドリップコーヒー一杯で、開店の朝9時から、閉店の夜11時まで、そこでパソコンを打ち続けているので、お店にとってはさぞ迷惑な存在と思われますが(笑、、、一応了解は得ています)。

そのような現実的な問題とは別に、福生のスタバを拠点としているのには、副次的な理由があります。米軍基地があることから、外国人の利用者が多いのです。欧米人、アフリカ系やヒスパニック、
ロシア、インド、中国、東南アジア、、、(一階のスーパー共々)様々な国の言葉が入り乱れて飛び交っています。そのごちゃごちゃ感が、僕にはとても心地よく、なにかホッとするのです。

中国人は、そりゃあマナーが悪いですよ(笑)。スタバの中でも電車の中でも、当たり構わず大きな声で携帯電話をかけていたりします。スタバと電車内で、それぞれ一度、見かねて注意したことがあります。自分や他の乗客が迷惑する、と言うことではありません。中国人が、悪く思われるのが忍びないから。

凄くびっくりし、かつ嬉しかったのは、どちらも物凄く素直に聞き入れてくれたこと。少しは嫌な顔をされると思ったのだけれど、全くそういうことはなく、非常にストレートに、「悪かった、今後改めます、注意してくれて感謝する」と。

最後に、これまでの話の流れとは全く無関係なのですが、中国絡みの話題の報告。

驚いたのと同時に、正直怖くなっています。

中国から、お金が消えつつあるのです。実質消えてしまったといっても良いのかも知れない。すでに指摘していた人もいるし、僕自身も感じていたのですが、まさかこんなにも急激に、という思いです。

近い将来の可能性を指摘、とかいう段階ではなく、すでに使っていない!

深圳の下町です。中流の下、あるいはそれ以下のレベルの庶民が暮らしています。典型的な下町の商店、飲食店、市場などで、ほとんど全ての人が、スマホというのでしたっけ(ごめん、その方面の知識が全然ない)、携帯電話のようなものの画面を翳して支払いをしている。

現金を使って買い物をしているのは僕ぐらい。もちろんお札やコインも使えるわけだけれど、僕以外にお札やコイン利用している人は見たことが無い。なんだか、SF小説の世界に迷い込んだような、不思議な気がしてくる。

以前から感じていたことではあります。モニカにお金を借りようとすると、貸せない、何となれば 持っていないから。そんな薄情な、そっちが困っている時には助けてあげているじゃないか。飛行機のチケットなら気前よく購入してくれるのに、500円や1000円を貸してくれないとは、なんと薄情で恩知らずでケチなのか、と。でも、(今分かったのですが)本当に持っていないのです。

日本でも同一傾向にあると思います、でも、そこまで急速に徹底して進まない。ステップ・バイ・ステップ。

中国は、何事も一気ですね。「日進月歩」というのは大袈裟な例えであって、実際は早くても年単位でないと、進歩は見えてはこない。しかし中国では、比喩ではなく実際に「日進月歩」なのです。比喩ならば「秒進分歩」と言わざるを得ない。今年は、ほぼ毎月ごとに中国を訪れているのだけれど、本当にその月毎に、様々な状況が急速に移り変わっているのです。

それで思い出すのは、しばらく前に香港で出会った光景。

今は、ほとんど全ての日本人が携帯電話を持っています(僕は持っていないので様々な局面で困ることがある)。でも、最初の普及は、そんな大昔のことではないのですね。

僕が最初に携帯電話(の原型)に出会ったのは香港の街。多くの市民が、見たこともない(今より遥かに大きなサイズの)携帯電話を持ち歩いていました。香港は日本に比べて進んでいる、でも物好きの新しがり屋だろうから、そのうち消えてしまうだろう、と思っていたら、あっという間に広がり、日本でも普及するようになったのです(ただしずっとコンパクトな形で)。

僕が中国に行き出したのが80年代の後半、最初の頃は上海インで、香港インに変わったのが90年代中頃、考えてみれば、20年ほどしか経っていないのです。

屋久島には、70年代半ばから本格的に行き始めました。80年前後、地元の高校の先生と焼酎を飲みながらバカ話をしていた時、新しい儲け口を探そう、という話題になりました。

自動販売機のペットボトルには、当時からコーヒーやコーラはあったのですが、お茶はなかった。ペットボトルのお茶を作れば儲かるのではなかろうか。でも、わざわざお茶を自販機で発売しても、コストの面でも需要の面でも、成り立ちはしないだろう、、、と言っていたら、それが実際に行われて、あっという間に普及してしまった。

今、空飛ぶタクシーとか、AIロボットとか、ちらほら噂を聞きます。もしかしたら、普及に至るのは、あっという間なのかも知れません。

中国で現金使わなくなっている、と言う話の余録。今回、2度支払い間違いがありました。大抵は多く取られるのですが、今回は逆。弁当屋で弁当を買ったら、実際より遥かに多いお釣りが来た。帰りながら数えたら、明らかに間違っていた(面倒なので結局そのままにしました、笑)。

商店でリプトンティーバックを買いました。中国では高級品で、間違いなく500円以上します。それが120円、まずあり得ないのですが、、、そんなものかな?と思って、そのまま支払いました。しかし、どう考えても安すぎる。

中国人にとって最大の得意種目である「お金の勘定」が出来なくなってしまう日が、すぐ目の前にやってくるのでしょうか?

もう一度「日馬富士“暴行”問題」に戻ります。今度は「前代未聞の白鵬の“待った”不服騒動」が加わりました。

当然のことながら「だからモンゴル人は、、、」という声が噴出してきます。

日本の文化に基づく正義・真実、モンゴルの文化に基づく正義・真実。互いに異なる双方がぶつかり合ってしまっている、というのが現状です。最初から敵対するつもりならば、それはそれで仕方がない。でも、互いに友好関係を望んでいるのです。ならば、いくら理不尽な部分があろうとも、互いに譲歩しつつ受け入れる必要があると思います。

ここのところ、モニカはご機嫌斜めです。何とならば、ジュンゾウはトラブルを起こしてばかりいるから、けしからぬ、と。でも、べつに僕がトラブルを起こしているわけではない。ある意味、中国に滞在していること自体が、トラブルに繋がってしまうのです。

前に書いた、上海のY.H.のフロントからニセ札を渡され、交換を要求したら、一度受け取ったのだからと拒否をされてしまった話。理不尽極まりないので、電話でモニカに伝えたら、それが中国のカルチャーなのだから仕方がない、と一喝されました。訴える方が悪者になるわけです。ここは中国なので。

今回のトラブル?も、悪いのはホテルのスタッフとモニカなのであって、僕には全く落ち度はないはず。僕のほうから主体的にトラブルになるような行動は、一切行っていません。

夜にホテルに着き、モニカからは2泊分支払い済みなのでそのまま泊まるようにと指示されていました。しかしフロントは、支払ってない、と言います。手持ちのお金はない。押し問答が続きます。

実は、翌日になって、やはり支払っていることが判明。フロント間での伝達が成されていなかったのです。伝達が成されないのは、中国では当たり前。それがカルチャーなのだから、彼らにとっては落ち度でも何でもなく、責任の所在は全く感じていません(だから、翌日自分たちの不手際が分かっても、絶対に謝らない)。

友達のところに行って、確かめて、お金を持ってこい、と言うので、しかたなく、近くのモニカのアパートを訪ねました。

ゲートを開ける暗証番号を忘れてしまった。僕の唯一の失敗です。これを責められたなら(事実モニカはそれを責める)反論のしようがないのだけれど、誰にでもあることだと思う(これまで閉まっている時に一人で行ったことなかったし、僕が何回聞いても電話番号などの数字を忘れるというのはモニカも充分承知済みのはず)。

で、入り口の隣のお店の人に、電話をかけてもらった。モニカの「ワァー!」「ギャー~!」「なんてこった!」「もうお終いだ(注:やっと寝た小七が起きてしまった)」「この馬鹿野郎めが!」。それを聞いてお店の人が警察を呼んだ。僕は何もトラブルは起こしていない。電話口で叫び声をあげたモニカが悪いのです。

後日、そのお店前を通りかかった時、モニカに「顔を出して一言謝っておけ」と言ったら、「嫌だ」と言う。モニカ曰く、中国の一般市民の大半は、(本心では)外国人strangerに対して快く思っていない。自分もそうである。よほどの注意が成されていないことには、トラブルに繋がってしまう。余計なことはするな、と。

幾ら理不尽でも、「正義」の在りどころが違うわけで、、、。

今回の「白鵬審判不服事件」に際しての、「だからモンゴルは、、、、、、」というコラム。象徴的なコメントをひとつ。

[コメント] 相撲って日本の国技であり、日本独自の風習や仕来りみたいなのを尊重している世界なんだから、外人力士をきちんと教育できなくて揉めるなら日本人だけでやればいいのに。外国人力士を入れない事は人種差別って言う人いるけど、別に世界チャンピオン決めたい訳じゃないんだし、国技としてやってるんだから身内の日本人だけでやっても人種差別でも何でもないでしょ。

[それに対する別の人の返信] ならば最初から外国人を入れなければいい。日本人だけの、日本人だけによる、日本人だけのための相撲だと宣言すればいい。

僕は、この問題について、当分コメントはしないことにしました。



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リアルタイム報告2

2017-11-19 15:11:10 | 雑記 報告

2017.11.18

インターネットニュースをチェックしていて、「黄昏泣き」という言葉があることを知りました。

先日、飛行機の中で、斜め隣の席の赤ちゃんが、突然泣き出した。文字通り火の付いたような叫び声。怒るわけにもいかないし、我慢するしかありません。まだ離陸前です。これで飛行が始まったら一体どうなるのだろうか? 延々と泣き続けられることを思うと、気が重くなります。

離陸直前に、僕のほうを見たので、微笑み返しました。すると、なんと泣き止んだのです。そしてその後の飛行中は、ほとんど泣かないでいてくれた。

赤ちゃんが突然泣き出す理由は、よく分かっていないのだそうです。はっきりしているのは、赤ちゃんは泣く、という事実。そして、そのうちに泣き止む、ということも。特に夕刻に突然泣き出すことが多いので「黄昏泣き」というのだそうです。

上記のニュースのコメントに、こんな解釈がありました。ある投稿者がおばあちゃんから聞いた話。
『昔々、人類は夜が怖かった、その太古の記憶を受け継いだ遺伝子が、赤ちゃんの時に現れる、、、夕方になると、夜が来るのを察知して、怖くなって泣き出す』

実に素敵な話ですね。

中国に来ると、小七に会うのが、最大の楽しみです。今9カ月。もちろん、泣いてばかりいます。でも、僕と会っている時は、おおむねニコニコしている。一番大変な時は、寝る前だそうです。

昨日、夜になってホテルにチェックインしようとしたら、予約も支払いもされていないと(その顛末は前回書きました)。「そんなバカな、友達がちゃんと払ってくれている。」しかし、相手にしてくれない。モニカに電話をしても出てくれません(この時間帯は一番大変な時らしい)。「その友達のところに行って、お金を持って来い」というので、仕方なく(モニカに激怒されることを承知で)歩いて10分足らずのアパートを訪ねました。

古アパートの9階(もりろんエレベーターなどは無い)。入り口の鉄格子を開ける暗証番号を忘れてしまった(いろんな番号を覚えられないのは、ほとんど病的段階)。それで、入り口近くのお店の人に頼んで、携帯電話でもう一度連絡してみることにしました。何回目かに繋がった。

まるで世界の終わりかとも思えるような取り乱した声で、「ウワァー!」「ギヤァ~!」「なんてこった!」「もうお終いだ!」「この馬鹿野郎めが!」とか怒鳴っていたようです。電話をかけてくれた人は、さぞびっくりしたことでしょう。「この男性は、友達と偽った悪い人物に違いない」と。たまたま近くにお巡りさんがいたので、警察署にしょっ引かれる羽目になってしまいました。

その間に、小七を背負って、ご主人共々ホテルに支払いに来てくれたのですが、やっと寝ついたばかりの小七にとっては、いい迷惑だったことでしょう。

毎晩が戦いなのだそうです。でも、もう少しの辛抱? 年を越せば、よちよち歩きが出来るようになり、喋れるようになるはずです。待ち遠しい。最初に何を話そうか? 「我是潤三Junzo、ルーベンレン(日本人)」かな?(もう何度も言っているけれど)。それとも日本語で?

僕は結婚歴がないし、もちろん子供も孫もいません。これまで「赤ちゃん」という存在を、身近に感じたことはなかったのです。

僕は来春70才になります。体調は非常に良くない(今も猛烈な頭痛と意識が無くなりそうな状態の許、文章を欠いている、何もかも4年前のドングリ噛み砕きが原因、笑)。毎日、「明日まで持つだろうか」と思いながら過ごしています。

小七とは、あと何年、何回会えるでしょうか? 小七が大きくなった時、彼女の意識の中で、僕はどのように位置づけられているのだろうか? むろん、記憶の片隅にも残っていないことでしょう。きっとモニカが「昔、ジュンゾウという日本人のおじいちゃんがいて、小七をとても可愛がっていたんだよ!」と、事あるごとに言ってくれることでしょう。その時小七は、何を感じるのでしょう?

人は、生まれてから(もしかすると生まれる前からも?)、毎日、毎時、いろんなことを感じ、考えながら、時を過ごしていきます。

でも、物心ついた頃には、(赤ちゃん時代に接していた)身近な人達、その頃の両親のことさえも、もちろん僕のことも、具体的には何一つ覚えていないはず。

三島由紀夫は、大人になっても生まれたばかりの時の光景を覚えていたそうです。産湯の盥の縁が金色に輝いていたと。水上勉は、真っ暗な泥沼のようなところで、おどろおどろしい叫び声を聞き続けていたと。女流作家の「(名前思いださない)」さんが、そう書いています。

僕の最も古い記憶は、母がお風呂で臨月のお腹をさすって、「もうすぐ弟が生まれるんだよ」と嬉しそうに言っていた記憶。3才の頃ですね。今は絶縁状態の弟(よって僕の身分は公式的には「天涯孤独」ということにしている、笑)ですが、そのときはきっと僕も嬉しかったのだと思います。

もう一つ、母の背中に負ぶさっての記憶、猛烈な声で泣き叫び続けている自分です。デパートの地下売り場に行った帰りだと思う。売り場に積んであったお菓子をひょいとつまんで持って帰って、母がそれを見つけた。それはもう怒るまいことか!文字通りの激怒。その怒り様が、本当に怖かったのだと思う。なぜか、お菓子をピックアップした(平たく言うと盗んだ、笑)時の様子まで覚えているのです。

あと、母の故郷の徳島に向かう船の中。台風に遭遇して、淡路の沼島に臨時寄港しました。その時の船室の窓から見た波のうねりの恐怖を、今でもはっきり覚えている。

実は、僕は子供の頃の記憶がほとんど有りません。中学に入ってから以降も(ごく断片的に)僅かな記憶しか思いだせない。僕の頭の構造がよほど貧弱なのか、、、、他の人はどうなのでしょうか?

その僅かな、極めて鮮明な思い出。やはり台風と母絡みです。 

第二室戸台風が神戸の近くを通過した翌日。実家の裏山のゼームス山山頂で、台風に乗って運ばれてきた南国からの迷蝶・メスアカムラサキの雄を採集しました(キアゲハを追飛、網に入れた瞬間も鮮明に覚えている)。走って山をかけ下り、自宅の門から庭に入って、洗濯ものを物干し棹に干していた(反抗期に入って普段は余り話しかけなくなっていた)母に報告した時の、晴れがましい気分、それはもう嬉しくて嬉しくて、その時の空気、光、周りの風景、母の表情、、、なんでこんなにも鮮明に覚えているのだろうと思うぐらい、記憶にしっかりと焼き付いているのです。

記憶というものは、怖かった時、嬉しかった時の瞬間が、最優先的に残されていくのでしょう。

ちなみに、昨年50年ぶりに、ジョニー・ティロットソンと会ったわけですが、50年前に2度来日した時の記憶は、ほとんど覚えていない。ファンクラブの人達と共に、追っかけ回したり、コンサートに足を運んだりしたはずなのだけれど、歌っている場面は全くと言って良いほど思いだせない。

実は、当時、ファンクラブの会員の中に片思いの女の子が7~8人!いて(今でも全員思いだせる)、なんとか仲良くなりたいと、必死だったのです。そのことばっかしに気を取られていたので、肝心のジョニーのことは、スルーしていたのです。結局、一人もモノに出来なかったわけで(笑)、だったらもっと真面目にジョニーの歌声を聴いていればよかったと、今になって後悔しています。

話が逸れてしまいました。

赤ちゃんの時の記憶。編集U氏(20代末)は、鮮明な記憶があるのは、3才の頃からだそうです。
僕の記憶力が特別に悪いわけではなさそう。三島由紀夫は例外(またはフェイク)でしょう。

もっとも、僕に関して言えば、赤ちゃんの頃どころか、前日の出来事や、感じていたこと、考えていたことも忘れてしまっている。やっぱり相当にバカなのかも知れません。

いずれにしろ、記憶というものは、すごくアンバランスなのですね。幼少の頃の記憶に関しては、怖い、嬉しい、というのが基準になっているようですが、成人してからの記憶(断片的で、かつ鮮明)は、時間とか事柄に関係なく再現されるように思います。

夢は、覚めた瞬間、全部忘れてしまいますね。(ダリの有名な絵のように)稀に消滅寸前の尻尾のような部分をチャッチ出来ることもありますが。

それよりも不思議なのは、忘れたはずの夢の内容を、随分と時が経ってから、突然、恐ろしいほど鮮明に思いだすこと。なんだか、これまでに過ごして来た現実の人生とは別に、夢の中の「もう一つの人生」も存在するのではないかと、思うことがあります。

赤ちゃんの頃を含めた全ての記憶は、脳のどこかにプールされているのでしょう。しかし、それを表に引き出すことは出来ない。確認できなければ記憶とは言えないわけですが、記憶していない膨大な量の記憶が潜んでいる、ということも出来ます。

そして、それは、夢の中に現れるのかも知れません。案外、夢の中に、自分の人生の本流が引き継がれている。

最近、時間の繋がりを考えることが多いのです。

うとうとしながら音楽を聴いている。CDに収められた2曲目の次に8曲目が流れる。全くスムーズに、何の違和感もなく、2曲目の次が8曲目。その間は眠っていて、全く記憶にない(現れない)のです。でも、きちんと2曲目が終わった後に、8曲目が続く。不思議としか言いようがない。

それと、うとうとしている時の、曲と曲の間の無音の時間を、とてつもなく長く感じることがある。まるで、自分の一生分の時間が、その中に収められているような気になったりします。

福生駅から東京駅まで、青梅特快で1時間。急いでいる時や、いらいらしている時は、滅茶苦茶長く感じる。でも座ってパソコンを打っていると、あっという間です。時間とは一体何なのでしょう?

僕は、あと何年生きられるのでしょうか? たぶん、年月に換算すれば、ほんの僅かだと思います。でも全く気にはしていません。

今現在よりも前、10年20年は、ついこの間のことだったような気がします。その間、何ら大した成果も挙げられずに過ごして来た、というのが実感です。

逆に後ろを見ると、10分の1の時間もない可能性があるわけです。(これまでを基準に)客観的に考えれば、ほとんど何にも出来ない。

もし1年後に僕が逝去したとします。第三者から見れば、僕の人生の70分の1なわけで、あいつもあっという間に逝ってしまったな、と言うだけです。

しかし、今現在の僕からすれば、いなくなってしまう(「死ぬ」という言葉を使うと、モニカが異常に嫌がるので、なるたけ使わないようにしている、笑)までの、例えば1年という時間は、無限なわけです。

数学上は、50年前から今までの僕の時間の50分の1ではあるのですが、僕自身にとっては、今後 の時間が1年であるにせよ5年であるにせよ10年であるにせよ、これまでの69年よりも短いわけではない。外から見た数字上の時間はそうでないけれど、僕の内部においては、瞬間瞬間が、これまでの69年分と等しいのだと思います。

振り返ればあっという間、でも先を見れば(たとえ僅かな時間でも)永遠。頑張りましょう!

全く脈絡は無いのですが、、、、、藤子F不二雄氏の漫画に、(内容は全く知らないのだけれど)とても好きなタイトルの作品があります。「未来の思い出」、、、。全てはその中に詰まっているような気がします。


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リアルタイム報告1

2017-11-17 20:27:59 | 雑記 報告


リアルタイムでの報告を行って行きます。

2017.11.16

かなり大変なことになっています。香港に着いて、持ち合わせの資金を使って幾つかの仕事を済ませ、夜遅くになり(ギリギリ最終電車に間に合った)やっとのことで、深圳のホテルに辿り着きました。

しかし、お金が支払われていない、とのことで門前払い。これは今回初めてではなく、毎回同じことの繰り返しです(よく理由が分からないのですが、モニカは確かにカードで支払っていて、でもそれが記録に残っていない? 毎回、翌日になって判明する)。なんだかんだで、警察につき出されてしまいました(日本でも中国でも、一文無しの人間は、それ自体が犯罪者のようなものです)。

警察では、誤解が解けて何事もなかったですし、その間にモニカが再度現金で支払いに来てくれたらしく、宿泊は叶いました。

問題は、モニカが気を取り乱しているらしいこと。精神状態がおかしくなった時には、以前「川に飛び込んで自殺する」と連絡してきたこともあったので、変な気を起こさないかと心配しています。

というように、僕自身が大変な状況で、人のことを心配していられるような立場じゃないのですが、、、、さっき、暫くぶりにインターネットを開いたら、日馬富士の暴行事件の記事が、数多くアップされていました。

大相撲など、全くの門外漢です。でも非常に心を痛めています。

栃若時代から大相撲を見てきましたが、この10何年間かは、疎遠になったままです。最後に応援していた力士は、安芸乃島(今の立田川親方)でしょうか。

弟弟子の貴乃花親方に徹底的に嫌われて、人間性を全否定されるような罵声をメディアで浴びせ続けられ、それでも何一つ反論せずに、破門同様に花籠一門から立田川部屋に移籍した、という経歴を持っています。

だから、というわけではありません。それと、僕は「個人的」には、モンゴル勢の力士は(白鵬や日馬富士も)好きではありません。

でも、今回の問題は、貴乃花親方(および相撲協会、その背後の健全な日本市民たち)による、モンゴル勢に対しての、壮絶なイジメに他ならないと思っています。

問題は、世論が貴乃花親方の味方であること。この人が、どれほど腹黒い人だということを、知っているのでしょうか?

整理しましょう。

日馬富士が貴の岩に暴行を加えた。

これが事実かどうか、ということです。

不可解なのは、(白鵬ほか)周囲にいた人間が「実際は報道と違う」と言っていること。しかし、相撲協会やファンは、彼らモンゴル勢の言を信ぜず、貴乃花親方の言が正しい、と信じ込んでいるわけです。

「可愛がり」(それが良いことなのか悪いことなのかはひとまず置くとして)は相撲界では当たり前のことです。もし、日馬富士が逮捕されねばならないとすれば、大半の力士も逮捕されなければならなくなるでしょう。

繰り返し言うけれど、「可愛がり」が是か否か、それ自体の正統性については別問題です。その範疇だったのだと思う。もちろん、土俵の上ではなく、酒の席というプライベートの場で起こったことは問題ですが、同じような状況は、今回に限らず、日常的にあったはずです。

馬乗りになって、ビール瓶で殴り続けた(誰がそういっているのかは不明)。
馬乗りにはなっていない、ビール瓶でも殴っていない(白鵬の証言)。

貴の岩に対しては、上位の力士から、言動を正すように諭さねばならない、という動きがあったようです(もとはといえば貴乃花親方自身が日馬富士に教育を依頼した、という話もある)。それがこのような形で出てしまった。

事件のあった翌日に、日馬富士と貴の岩は、和解していると言います。貴の岩が謝ったのでしょうね。日馬富士も、分かってくれたのだったら良い、自分も少々手荒くやり過ぎた、といったやり取りがあったのでしょう。

診断書の通りなら、大変な重症です。普通にしていられるわけがない。なのに、その後も普通に相撲を取り続け、そして突然の(本人ではなく貴乃花親方からの)告発。

さらに、貴乃花親方の、余りに不自然な動き(省略、、、各ニュースを参照)。

「犯罪者になれば人生終わり」という、世界レベルで見ても日本に於いて突出した「常識」「道徳」(それがゆえに日本人は「余計なこと」「他と違ったこと」をしたがらない)を、最大限に利用して、日馬富士を葬ろうと(ひいてはモンゴル勢を消滅させようと)しているわけです。

正義のヒーロー「貴乃花」。悪の象徴「朝青龍」(、、、これに「日馬富士」も加わりつつある)。

そうそう、一番最後にひいきしていた力士は、相撲界から永久追放になった、ロシア出身の「露鵬」。彼はその処置に反発し、随分長い間、法廷闘争を続けていたはずです。その後、どうなったのでしょうか? ちなみに、角界唯一の中国出身力士「(名前忘れた)」も、長い期間「追放」の憂き目に会っていました。粘り強く法廷闘争を続け、今も現役で頑張っています。

日本を支配している権力と空気。それに導かれた「事なかれ主義」。いやだいやだ。

追記。前回の3日目(10月20日)以降、ヤフーの検索そのほかが、全く出来なくなっています(表示されているニュースのみ開ける)。たまたま、僕のパソコンの調子なのかも知れませんが、、、、この状況が続けば、今後中国でネットでの調べものが出来なくなってしまうので、困っています。

2017.11.17

今朝、モニカが来て、フロントに問いただしました。やはりダブルブッキングです(日曜夜まで泊まれる)。

中国で何度同じことを経験したことか?

間違いなく支払っているので、その旨押し通そうとすると、警察を呼ばれる。今回は真夜中にモニカ夫妻が赤ちゃんを連れて渋々支払いに来たことで、警察から解放されたわけですが、今朝モニカが改めて尋ねたら、やっぱり既に支払っていたわけです。ホテル側は全く謝りません。このホテルは(警察を呼ばれたのは初めてだけれど)毎回同じことの繰り返しです。

これまで、一番腹が立ったのは、昆明のユースホステル。やはり警察が来て、大事になり ました。領事館まで連絡が行き、最終的には監視カメラでチェック。もちろん僕が支払っている場面がバッチリと移っていた。単に担当窓口の帳簿への付け忘れだったので、その担当者自身は号泣きです。しかし、ホテルとしての謝罪は全く無し。というよりも、その後は、こちらが加害者のような目で見られることになります。

今夏の上海のユース。お金を支払ってお釣りを貰い、そのお釣り(50元)で向かいのスーパーで買い物をしようとしたら、ニセ札だと。すぐにフロントに戻って、取り換えてもらおうとしたら、「確かに我々が渡したお金で、それがニセ札だったようだ、しかし、あなたは既に受け取った、したがって我々が関与するところではない」。 これが中国スタイルだから仕方がないです。しかし異を唱えたことで、その後の待遇が、急激に悪くなってしまったのには、理不尽極まりない思いでいます。

その後、モニカと一緒に昼飯。店を出た直後(正確には1分ほど後)、メガネが無いのに気が付いた。すぐに戻ったのだけれど、見つからない。店員は、ゴミ箱の中まで探してくれて、なおかつ、その直後に移動した外部の大きなごみ収集ケージの中まで探してくれた。しかし見つからない。

可能性としては、店を出た数10秒の間に、路上に落とした。一般の日本人が思っているように、中国人が物をくすねることは、余りありません。案外親切に落とし物を指摘してくれる。しかし、道に落とし物をするとなかなか出てこ ないということに繋がる、別の大きな問題があります。

中国の町では、四六時中清掃員(オレンジのジャケットを着ている)が掃除をしているのです。どんどん捨てて、どんどん掃除していく。それはものすごい数の清掃員です。落とすと、すぐに捨てられる。

これだけ掃除を続けているからには、街は綺麗になってしかるべきなのですが、汚いまま(トイレの場合も同じ)。不思議でなりません。「常に掃除をしていること」に根本原因があるような気がします。それが何かはよく分からないのだけれど。例えば「捨てても良いという意識」「掃除のしかた」、、、、。

パソコン「現代ビジネス」も開くことが出来なくなりました。僕のパソコ ンに問題がある(たぶんそうでしょう)か、そのほかの問題か、、、。

踏んだり蹴ったりです(モニカに何事もなかっただけでも良かったです)。



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近況報告。。。

2017-11-08 12:58:56 | 雑記 報告


ご無沙汰しています。

今日は、あやこさんの誕生日ということで、この機会に、ブログ中断中の報告をさせて頂きます。

この数年、体調(4年前の秋に堅いドングリを噛み砕こうとして奥歯を破壊してしまい、それが引き金となって深刻な疾患が続いているのと、それとやはり4年前から発症した痛風)およびパソコンの調子が、共に極めて悪く、相変わらず四苦八苦しています。

でも、何とか生きています。中国の弟子のモニカは、昨年春中国人の男性と見合い結婚し、今年の春、女の子の赤ちゃんが誕生しました(旧正月7日に産まれたので「小七」と呼んでいます)。

僕は、中国に行くと、ひたすら小七のお守り役です(笑)。天涯孤独の身の僕にとっては、彼女の成長が最大の楽しみです。物心がついてご両親ともども一緒にフィールドに行けるようになるまで、頑張らねばなりません。

もう一人の弟子のルイスは、故郷のニュージーランドに帰って、勉学と仕事に励んでいます。

僕の仕事は、中国雲南の「ヒューマン&ネイチャー」という雑誌と、日本の講談社の「現代ビジネス」というインターネットマガジンで、不定期連載を行っています。微々たる原稿料ですが、連載が纏まれば単行本にして貰えます。来春が目標。やっと纏まった資金を確保出来そうなので、その頃には、ブログを再開したいと考えています。

昨年8月に、ジョニー・ティロットソンとブライアン・ハイランドのジョイントコンサートが、タイのバンコクであって、僕も行ってきました。昔あれほど人気があったのに、今では完璧に忘れ去られてしまっている日本と異なり、タイでは今でも大人気で、数千人収納のコンサートホールが超満員でした。

僕は、来春70才になるのですが、ジョニーは79才(80才?)になります。ブライアンは、この13日で74才。アメリカン・ポップス黄金期のメンバーの中では、若手中の若手です(今年は、91才のチャック・ベリーと、89才のファッツ・ドミノが亡くなりました)。


さて、丸4年ぶりにブログの掲載を、突然思いついたのは、(あや子さんの誕生日以外にも)訳があります。

ジョニ-・ティロットソンの最大のヒット曲(1962年)で、自身の作詞・作曲による「涙ながらにIt Keeps Right On-A-Hurting」。ジョニーにとっては、この曲が、エルヴィス・プレスリーをはじめとする数多くの歌手にカバーされていることが、最大の自慢なのです。1973年の時点で89人の歌手にカバーされていることを、自分で数えていたりします(笑)。

それから、更に45年が経っているので、どのくらいの歌手にカバーされているのだろうか、と、昨日、突然思いついて、一日かかりでユーテュブにアップされているのをチェックしてみました。70人ぐらいまでは数えたのだけれど、まだ無数とも言えそうな素人の画像があるので、以降はギブアップ。

しかし、根気よくチェックしたので、掘り出しものの画像も、幾つか見つけました。とくに、数日前にアップされたばかりの「Max Phillips」さん(プロなのかアマチュアなのかは不明)の歌は、涙が出るほど素晴らしい!

どうしても読者の方にも聞いていただきたくて、あや子さんに手伝ってもらって、臨時ブログを掲載する次第です。

以下、ユーチュブにアップされている「涙ながらに」ベスト5(1位だけ、形式的にメジャー歌手のオーソドックスな歌唱を選びました)。他はアマチュアまたは国外の歌手。各バージョンの解説は、そのうち機会があった時に。

5位:Hans盤。強烈な哀歌。亡くなった奥さんは、幸せですね。たぶんスエーデン語。
https://www.youtube.com/watch?v=tnqsIgGTR7Q

4位:Kjell Helde盤。大胆な編曲の、スティール演奏。
https://www.youtube.com/watch?v=p0yGxyN_sZA

3位:Tantwi Yahya盤。インドネシアのC&W歌手。観客の人々が素敵です。
https://www.youtube.com/watch?v=AsxTzEmuPaE

2位:Max Phillips盤。エルヴィスやディオンなどのロック調の曲も素晴らしい。
https://www.youtube.com/watch?v=fsjiQT4zA-0

1位:ジェーン・シェパード盤。昨年82才でなくなるまで、現役で歌っていました。
https://www.youtube.com/watch?v=YKqgvv4oKwg

ジョニーを主人公にした1960年代前半のアメリカン・ポップス本「エルヴィスとビートルズの狭間で~ジョニー・ティロットソンの時代」を(日本JTファンクラブ会長の村田美佐子氏との共著で)来年中を目標に刊行予定です。

本職のほうでは、「生物地理が面白い!」というコンセプトで、これまで「銀座のミンミンゼミと道頓堀のクマゼミ」「ヒアリの逆バージョン、日本からアメリカに渡った帰化生物たち」「対馬のカワウソは“ニホンカワウソ”なのか?」「四川省の地震頻発と野生パンダの生育地」「雲南奥地に落下した隕石の謎」を掲載済み。

このあと、月に2度のペースで、「お寿司の緑の葉、薩南黒島のバラン」「東洋のレタス“麦菜”、野菜になったアキノノゲシ」「シャングリラの卵チャーハンと奄美大島のワニ」「沖縄のハブの誤解と久米島産チョウの新種」「正月の沖縄の風物詩、ヘツカリンドウの不思議」と続きます。

 
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