青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第98回)

2011-09-28 08:58:44 | 広西 桂林 南嶺ほか

★最近、青山さんとブログの記事に関して、全然意見が合わなくて、この記事も、一度削除して、また新たに載せることになりました。

青山さんの帰国は10月3日に延期になりました。(あやこ)



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



「梧州と融水」


帰国の見通し(=家賃支払いの見込み)がついてからの約2週間、一旦センツェンを離れて、桂林に戻り、その後、桂林~センツェン(広州&ホンコン)の中間地点の都市・梧州と、桂林の西100㎞程に位置する地方都市・融水(およびそこを拠点とした九万大山山麓の集落・汪洞)に滞在して、「幻の“ヤナギバハナアジサイ”」の挿枝の採取と、「東洋のレタス“麦菜”」の謎の解明に、取り組んでいました。

明後日、帰国予定です。帰国後は、来春以降の仕事確保のため、全力を尽くさねばなりません。したがって「あやこ版」も当分の間は、休載の日が多くなると思います。


梧州も融水(ともに今回の中国行のスタート時=7月上旬=に訪れた町)も、そこに滞在している理由は、ただ位置的に便利だから、と言うだけに過ぎません(梧州の場合は、ホテルの自室で使う僕のノートパソコンによるインターネット通信が、中国一スムーズに繋がる)。両都市とも、感じの良い町で、結構気に行ってしまったのですが、一体、どのような由緒のある町なのか、などについては、完璧に知らないのです(当然、どんな観光スポットがあるのかなども全く分からない)。


そこで、あやこさんにお願いです。あやこさんのほうで調べて頂き、その結果をこのブログで紹介しておいて貰えないかと。「質問」を2週間ほどブログトップに出しっぱなしにしているわけですけれど、答えはほとんど来ません。そろそろトップから引っ込めたほうが良さそうですし、中間報告を兼ねての穴埋め紹介として、ちょうど良いのではないかと考えています。

広西壮族自治区梧州市(梧州市中区=万秀区)
広西壮族自治区(柳州市)融水苗族自治県

●「広西」は、何故か「省」と付かず、「自治区」となっていますが、「省」と全く同義です(中国の「省」は、おおむね日本全体に匹敵する面積)。

●「市」が日本の「県」に相当します(「市」の中にも「市」があり、こちらは中国の「県」すなわち日本の「市」に相当します)。日本の「県」に相当する大きいほうの「市」は、それぞれの省に「省都(広西は南寧)」を含め10~20箇所ほど存在し、広西には15市(小さいほうの「市」は除く)があります。[注:北京・天津・上海・重慶の4市は、省に相当]

●「市」の中心都市(「市中区」=日本で言えば「県都」)は、日本の県都よりもさらに大きく、「政令指定都市」に相当。

●「県」は、だいたい日本の「市」に相当(あるいはもう少し大きく、日本の「市」と「県」の中間ぐらいのスケールと考えたほうが良いかも知れません)。日本の「県」に相当する大きいほうの「市」の中に、5~10箇所前後の「県(小さいほうの「市」も同じ)」があります。

●「県」の中心都市(「城区」)は、日本の「県庁都市」くらいのイメージ(例えば「融水」)。

●「県」の中には、多くの「郷」があり、日本の「町」(でも日本の町より遥かに賑わっています)に相当(例えば「汪洞」)。さらに多数の「村」があります。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


★それぞれが、違う目的で旅?をするのですから、観光に行かれる方もいれば、青山さんのように、観光は一切パスで、野生生物の探求に没頭する方も、居られます。私は観光とは別の世界を紹介できるということで、意義のあることだと思いますが。
観光地もいくつか観光案内を載せていますので、そちらをごらんになってください。
前回の質問は、白いイチゴのお答えだけ、いただきました。ありがとうございました。他の項目については、コメントがありませんでしたが、引き続き、募集しておりますので、よろしくお願いします。(あやこ)


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


梧州市(ごしゅうし)は中華人民共和国広西チワン族自治区に位置する地級市。
広西チワン族自治区の東部に位置し、賀州市、来賓市、貴港市、玉林市、広東省肇慶市、広東省雲浮市と接する観光としては 「太平獅山国家森林公園」 「蛇園」 「中山記念堂」 などがあります。

融水ミャオ族自治県(ゆうすい-ミャオぞく-じちけん)は中華人民共和国広西チワン族自治区柳州市に位置するミャオ族自治県。 「融水ミャオ寨」


① 梧州の町。



② 梧州。僕の泊まったホテルの窓から。



③ 朝の融水のバスターミナルにて。




④ 融水の繁華街。




⑤ ニセのマクドナルド(麦当○←字が書けない)。梧州。




⑥ ニセのケンタッキーフライドチキン(K.F.C.)。融水。



⑦ ヤナギバハナアジサイ(中央右の細長い葉)。九万大山。



⑧/⑨ “苦麦菜”の花。梧州/汪洞。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第97回)

2011-09-11 20:46:46 | 雑記 報告



読者のみなさんの中で、以下の事柄について、何か知っていられる方がいらっしゃいましたら、御教示頂けないでしょうか?



質問1 稲の若い茎の中に納められた“開花前の稲穂”を食用として利用している例。=「朝と夜のはざまで:第91回」参照。
 




質問2 麦菜(マイツァイ/「油麦菜」)。近年、中国各地で大人気になりつつある、中国野菜。いわゆる“青菜”の一種ですが、ほかの青菜類がナノハナの仲間(アブラナ科)なのに対して、近縁のレタス(中国名:生菜)と共に、タンポポの仲間(キク科)で、日本各地の路傍などに普通に見られる雑草のアキノノゲシLactuca indicaを品種改良したもの。日本に於ける「麦菜」の普及実態、あるいは「アキノノゲシ」を食用とする例。=「朝と夜のはざまで:第23回」参照。
 

左写真(雲南省河口):左「生菜=レタス」、右「麦菜=マイツァイ」。右写真(湖北省恩施):左3「麦菜」、右「生菜」。




質問3 「白い実の野生苺(ワイルド・ストロベリーの一種/Fragaria nilgerrensis)」)は、日本に於いて、食用あるいは観賞用として、市場に出ているのでしょうか? 別属で食用には適さないヘビイチゴ類の白実品種でも、栽培ストロベリー(いわゆる「オランダ苺」)の白い変異品ではなく、もともと白い実のなる、本物の野生ストロベリーです。=白い野生イチゴ(ジオログの過去記事 14~30  





質問4 雲南省北部産の“黒いミンミンゼミ” Hyalessa(=Oncotympana)sp.「スミイロミンミンゼミ」.の学名(種小名)。=朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第95回) 
朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第96回)


質問5 ヤクシマリンドウGentiana yakusimensisが台湾玉山に産するということについての真偽。



質問6 野生司千明さんの近況。



質問7 「涙くんさよなら/Good-by Mr,Tears」(浜口庫之介作詞作曲)は、1965年夏に、日本グラムフォンレコードからJohnny Tillotosonの英語盤(B面日本語)がリリースされ、同年秋に大ヒット、1969になって坂本九盤がリリースされています。しかし、この楽譜の販売権を持つ“新興ミュージック”から発売されていた月間音楽雑誌「ミュージックライフ」の同年春の号に、坂本九盤が東芝から、Johnny Tillotoson盤がグラムフォンから発売される、という広告(正式なものではない?)が出ています。この時、坂本九盤は実際にリリースされたのでしょうか(Johnny Tillotoson盤は、その案内から数ヶ月遅れで発売)。また、坂本九盤は、リアルタイム(1965年?1969年?)で、実際にヒットしたのでしょうか? =「ElvisとBeatlesのはざまで:第00回」参照。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第96回)

2011-09-10 13:55:18 | セミ

★は2008年8月に、ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」で紹介した記事です。一部はこのブログでも、過去に紹介しておりますので、重複する記事もありますが、ご了承ください。



中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑥

7月の末日、梅里雪山を望むメコン川沿いの町を朝早く出発、白馬雪山の標高4300mの峠に登って、ヒッチハイクを繰り返しながら、山を下ります。途中、標高3500m付近の原生林中で、赤い可憐なユリの花を訪れる、ミヤマシロチョウの一種を、たっぷり一時間余かけて撮影。ちょうど“ミンミンゼミ”の鳴く時間帯ではあるのですが、この辺りでは全く声は聞こえません。

改めてヒッチをし、山を下る途中、車の窓を開けたら、広漠とした斜面の彼方から、ミンミン、、、と声が聞こえてきました。標高3000m付近、太陽が真上に差し掛かった、午後2時前頃でしょうか?
やがて、奔子欄の町に着いた(午後2時半頃)のですが、天気はよいのにもかかわらず、セミの声は全く聞こえてきません。地元の人に聞けば、鳴くのは朝の8時から11時にかけて、とのこと。大体、日本のクマゼミと同じ時間帯です。やはり一日この町に泊まって、朝を待つしかない。幸い、明日の午前の、香格里拉行きの路線バスの時刻は11時です。

翌朝、天気は良好。朝飯も摂らず、7時前に外に出ます。まだセミの声はぜんぜん聞こえない。もうしばらくすると、町の中でもいくらでも鳴き出すのでしょうが、時間はたっぷりありそうなので、数日前の工事現場の辺りを目指して、町外れまでゆっくり歩いていくことにしました。8時近くになると、東向きの斜面の上方に、朝の光が当たってきます。耳を澄ますと、その辺りからは、ミンミン、、、と声が聞こえてきます。

下の方で鳴き始めるまで待っていても良かったのでしょうけれども、なにしろせっかちなものですから、鳴き声が聞こえる急斜面の上方に向かって、しゃにむに攀じ登って行きました。途中、潅木の繁みに♀がとまっていたり、抜け殻があったり、、、。個体密度は、相当に高いようです。“ジィッ、、、、、、、、”と言う鳴き声もあちこちで聴こえます。どうやら前奏らしい。日本や四川省のミンミンゼミでは、余り聴くことのない音です。やがて、ゆっくりとした“ウィンウィン、、、、”という音に移行していき、おなじみの、尻上がりの“ミンミンミン、、、、、”が始まります。

おなじみ、とは書きましたが、日本や中国のミンミンゼミの前奏の、尻上がりの“ミンミンミンミン、、、、、、”に比べれば、音数が少ない。そして、最後に尻下がりの“ミーン”で締めくくったあと、
次の、リズミカルな“ミーン、ミンミンミンミン、ミー”の繰り返しに移ることなしに、“ミンミンミン、ミー”のまま、同じ繰り返しを、10数回続けます。鳴き終えるまで、繰り返しはスムーズに続くので、その点では日本産と良く似ています。すぐに押し潰された不安定な鳴き声になる四川省産とは、大きく異なる点です。

一鳴きの、鳴き始めから鳴き終わりまでを録音した個体では、“ジィッ、、、、、、”と“ウィンウィン、、、、”の前奏部分が約30秒、本奏は“ミンミンミン(上る)、ミー(下る)”を2分間に13回繰り返し、“ミンミンミン、、、”の中の、“ミン”の回数は7回(たまたま多めの個体だったようで、他の録音個体は4~6回)でした。

姿も、じっくりと観察・撮影しました。色彩・斑紋は全く異なる(一見クマゼミ)のですが、プロポーションはまがいようもないミンミンゼミ。胴体の白い帯の部分も、どことなくミンミンゼミっぽさが感じ取れます。



画像は、急斜面の潅木にとまるスミイロミンミンゼミの♂ 白馬雪山南麓奔子欄08.7.31



中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑦

スミイロミンミンゼミ♂の腹部。3日後、東京(御茶ノ水)産ミンミンゼミと比較を行ったのですがが、形態上は、寸分たりとも異なる点が見出せませんでした。



白馬雪山南麓、奔子欄にて。08.7.31



中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑧

♀は、鳴いている♂の近くの、潅木の繁みの中に見だされます。概観上、背面からは♂とほとんど区別がつかないことは、日本のミンミンゼミと同じ。



白馬雪山南麓、奔子欄にて。08.7.31




中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑨


♀の腹部も、日本のミンミンゼミと酷似します。




白馬雪山南麓、奔子欄にて。08.7.31



中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑩


ミンミンゼミの鳴き声様式の基本構造を、まとめてみました。

ミンミンゼミ
日本(北海道~九州)  AA+B×10~15      分化・安定
ABに分化、Bは安定し、繰り返しは長く続く。体色黒に緑斑~一様の緑。白色部曖昧。翅斑は2列。

チョウセンミンミンゼミ(仮称)
朝鮮半島*1       A’×(10~)       (非分化・不安定)
Aのみの繰り返し。やや不安定で、長く続く。体色黒に緑斑。脇に広い白色部。翅外縁の斑を欠く。

シロモンミンミンゼミ(仮称)
中国(四川・陝西)*2  AA+B+b×2~3      分化・不安定
ABに分化、Bは不安定で、繰り返しは短く終る。体色黒に緑斑。顕著な太い白帯。翅の斑は2列。

スミイロミンミンゼミ(仮称)
中国(雲南)      C+A×10~15       非分化・安定
A のみの繰り返し。安定し、長く続く。前奏にC。体色一様に墨っぽい黒。顕著な白帯。翅は無斑。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

AA=尻上がりに20回前後「ミンミンミンミンミンミン」、最後は「ミー」で下がる。
A =尻上がりに5回前後「ミンミンミンミンミン」、最後は盛り上がりつつ「ミー」で下がる。
A′=尻上がりに5回前後「ミンミンミンミンミン」、最後は盛り上がらず「ミー」で下がる。
B=「ミーン、ミンミンミンミン、ミー」
b=「ミーン、・・・・・・・・(無声音を含む、搾り出すような崩壊音)」
C=前奏として「ジ~、、、、」から、ゆっくりと「ウィンウィンウィン」に移り、やがてAの尻上がりの「ミンミン」に移行する。

*1 税所氏のH.P.の録音源による。別の市販テープでは、AA+B+b×(10~)に近い分析も。
*2 北京産も似るという報告あり。

傾向としては、日本―中国四川-?-朝鮮半島―中国雲南の流れがあり、日本産と中国雲南産は、鳴き方のスムーズさにおいて共通する。ただし日本産は鳴き声の分化が最も進み、雲南産は最も未分化。四川産は分化の兆しが見えるが、著しく不安定。朝鮮半島産は、不安定な要素を示す(可能性がある)点で、四川産と共通?

♂♀外部生殖器の構造比較、脱皮殻、支脈相そのほかの、体各部の詳細な形状比較については、項を改めて紹介する予定です。



中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑪


急斜面の潅木にとまって鳴き続けるスミイロミンミンゼミの♂。背景の建物は、奔子欄の町の末端に位置する寺院。長江に面した標高約2000mのこの町から、標高4300mの峠頂へと、一本の道路が、九十九折に上っていきます。



白馬雪山南麓、奔子欄にて。08.7.31


中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑫



スミイロミンミンゼミ♂ 白馬雪山南麓、奔子欄にて。08.7.31

現物を検した限り、ミンミンゼミ属の種、と言い切って良いのですが、正直、僕には、文献上の知識が全くありません。学名をどう特定すれば良いのか。Fuscataという種(または)亜種名の原記載は、中国四川省産に与えられたものなのでしょうか?朝鮮半島産に与えられたものなのでしょうか?両者は、姿も鳴き声様式も明らかに異なるので、少なくともどちらか一方は、別の分類群名を与えねばなりません。

この“スミイロミンミンゼミ”にしても、学名がどこかに記載はされているのでしょうが、今の僕には知る術がありません。

どなたか、ご教示いただければ、有難いです。


中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑬




スミイロミンミンゼミ♂ 白馬雪山南麓、奔子欄にて。08.7.31




中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑭



スミイロミンミンゼミ♂ 白馬雪山南麓、奔子欄にて。08.7.31




中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑮



スミイロミンミンゼミ♂ 白馬雪山南麓、奔子欄にて。08.7.31








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第95回)

2011-09-09 14:11:58 | セミ

8月4日にサパに別れを告げ、再び中国に入って雲南省の南端(ベトナム国境:標高60m)から北端の梅里雪山(チベット省境:標高6740m)の麓に移動します(前半の大理までは、第00回「謎の巨大都市“鳩街(下)”」で紹介済み)。今日は、その後に続く「大理~香格里拉~白馬雪山~梅里雪山」の紀行を書く予定でいたのですが、なんだかんだとやらねばならぬことがあって、ブログへのアップが間に合いません。

このコースを行くのは、今年で7年連続となります。

2011年/8月上~中旬。当初は6~7月に行く予定でいた、、、。最終到達地=明永氷河。
2010年/5月に行く予定が、結局9月末になって。最終到達地=明永氷河(「あしたのたび」参照)。
2009年/6月上旬に「世界貧乏旅行」中の中村君たちと一緒に。最終到達地=雨崩村&明永氷河。
2008年/7月末~8月はじめに。最終到達地=雨崩村。
2007年/7月上~中旬。最終到達地=飛来寺。
2006年/9月末~10月はじめ。最終到達地=明永氷河。
2005年/6月中旬。最終到達地=飛来寺。

今回とほぼ同じ季節(ほぼ1週間前)に訪れた3年前は、僕の“全人生”の中で“最も辛い旅”になってしまった(日本を留守にしていた間に千明さんが心変わり!トホホ)のだけれど、僕の“生物探索人生”に限っていうならば、屈指の大収穫もあったのです。“スミイロミンミンゼミ”の発見です。今回、3年ぶりに、鳴き声を聞いて来ました。まず、その事を書いて、その後に、以前に「青山潤三ネイチャークラブ」で紹介した“スミイロミンミンゼミ”の観察記録を再掲するつもりでいたのですが、執筆が間に合わない。ということで、順序を入れ替えて、先に2008年の「スミイロミンミンゼミ観察記」を再掲しておくことにします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★下記は2008年8月に、ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」で紹介した記事です。一部はこのブログでも、過去に紹介しておりますので、重複する記事もありますが、ご了承ください。


中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ①

☆中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミの特集、①~⑮まであります。


青城山の山門周辺では、ミンミンゼミ(中国名:鳴鳴蝉・蛁蟟蝉)も、よくアブラゼミ(フチミドリアブラゼミ)と同じ木に止まって鳴いています。種が日本産と異なるアブラゼミと違って、こちらは一応、日本のミンミンゼミOncotympana maculaticollis と同一種とされています( 別亜種O.m.fuscata 。独立種O.fuscata あるいはO.virescens とする見解も) が、鳴き声は、やはりだいぶ“変”なのです。

実のところ、始めのうちは、それが“変”であることに気づきませんでした。青城山ではバスやトラックが頻繁に通る山の車道に多いものですから、鳴き始めて間もなく鳴くのを止めてしまうのを、ごく単純に“邪魔が入っての中断”と解釈していたのです。 

私達の知っているミンミンゼミの鳴き声は、はじめに小刻みに“ミンミンミン.......”と尻上がりに鳴く前奏があって、途中から大きくゆったりとした“ミーン、ミンミンミン、ミー”と尻下がりに鳴く本奏を10数回繰り返します。このとき人が近づいたりして邪魔が入ると鳴き声が崩れ、そのまま鳴き終えてしまいます。中国のミンミンゼミはやたら神経質なのか、どの個体も少し近づくだけで鳴き止んでしまうのだ、と思っていました(実際には、数多くの個体が重なって鳴いていると、“途中で中断している事実”がかき消され、日本のミンミンゼミ同様に、スムーズに鳴いているように聞こえてしまいますが)。

ところが、邪魔の入らないところで慎重に聴いてみても、出会う個体はどれもみな同じ。実は、前奏部に関しては普通に鳴き、本奏も第1節目は無事にきちんと鳴き終えるのですが、2~3節目で邪魔された時と同じように鳴き声が崩れ、以降は不安定に断続、4~5節目で鳴き終えてしまう、というのが、中国のミンミンゼミの“正常な”姿なのです。

整理をすると、次のようになります。

本奏の総節(=単位音)数
・日本(東京付近)産 / 常に10回前後かそれ以上。
・中国(四川省)産 /(2~)3~5(~7)回 。

一単位音(“ミーン、ミンミンミン、ミー”)内の“ミン”の音数
・日本産 / ふつう3~4秒間に3~6音(例:ミーン、ミンミンミンミン、ミー=4音)。
・中国産 / 最初の節が4~7秒間に6~10音、2番目の節が4~6秒間に6~8音(例:ミーン、
ミンミンミンミンミンミン、ミー=6音、ただし無声音などを含む)。
2~3節目以後
・日本産 / 1節目と同じ調子で、最後までスムーズに繰り返す。
・中国産 / “ミーン”の次にくる“ミン”の音の部分が欠如し(=無声音)、その他の“ミン”の音も大半が不安定で、絞り出すような、押しつぶれた音となる(ミーン→空白→試行錯誤→ミンミンミン、ミー)。

ちなみに、朝鮮半島産のミンミンゼミは、中国産と同様の“絞り出す”ような不安定な声のまま、東日本産と同じように単位音を10数回繰り返し鳴き続けます(幾つかのタイプがある可能性も)。対馬産も、それに似た傾向を持つと予測されますが、詳しいことは分っていず、将来の研究課題となるでしょう。西日本産は単位音数が東日本産に比して少なめの傾向があり、九州などでは山地性の種となります。屋久島以南の南西諸島、および台湾には分布していません。

中国では、筆者は四川省のほか、陜西省西安市近郊の秦嶺山系で確認しています(鳴き声様式は、四川省産と同じ)が、発生期の7~8月に訪れたことのある、雲南省、広西壮族自治区、福建省などでは、まだ一度も出会っていません。

なお、中国産のミンミンゼミは、色彩・斑紋などにも日本産と顕著な差が見られ、翅の付け根の両脇の下(腹部第3・4背板)の白色部が極めて良く発達、逆に日本産に見られる中胸背基部などの白色班を欠きます。また、腹部腹面の白色班の広がりも異なっています。


画像は、ミンミンゼミの1亜種 四川省都江堰市青城山 91.8.4



中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ②-1

①で行った記述は、数年前に書いた未発表記事を基にしていますが、いくつかの間違い、というよりも、追加訂正すべき部分があります。

(1)『朝鮮半島産のミンミンゼミの鳴き声について』
現地での野生個体については、未確認です(韓国には未だ行ったことがない)。以前、韓国で市販されていたセミの鳴き声のカセットテープの音源を分析し、「中国産と同様の“絞り出す”ような不安定な声のまま、東日本産と同じように単位音を10数回繰り返し鳴き続ける」と記述したのですが、誤認の可能性もあり、(実際に幾つかのパターンをもつ可能性が残されているとしても)再チェックする必要があります(現在テープは手元に無い)。

税所康正氏のH.P.『セミの家』の鳴き声紹介音源を聴いたところによると、韓国産ミンミンゼミの鳴き声様式は、日本産の本奏に当たる、尻下がりの「ミーン、ミンミンミン、ミー」の部分を欠き、日本産や四川産で前奏と定義した、最初の尻上がりの「ミンミンミンミン、、、」 (ただし20音前後の日本産などに比べて短く7~8音)のみを繰り返します。一音節ごとに、末尾を尻下がりの「ミー」
で終えます。

実は、この後に紹介して行く、今回の報告の主題であるところの、雲南省北部山地産のミンミンゼミ属の鳴き声様式が、韓国産と極めて共通し、短い前奏の部分(ただし、その前に別の“前奏”が存在する)を、そのまま本奏として繰り返し続けて行くのです(1音節ごとの末尾の「ミー」は、韓国産のように、弱々しくは終えず、一度強く盛り上がった後、下げて終える)。

日本産の本奏に当たる部分を欠き、短い前奏をそのまま繰り返し続ける様相は、どこか不安定さを感じさせます。その点では、はじめの記述どおりと言えるかも知れません。なお、税所氏の録音源は、一鳴きの末尾までは紹介されていず、よく聴き取れば、最後のほうの数音節は、押しつぶされて搾り出すような声に聞こえます。そのように不安定に続くとすれば、四川産と共通することになります。なお、韓国産が、雲南産同様に、鳴きはじめに別の前奏を有するか否かは、不明です。

いずれにしろ、日本産と韓国産は、鳴き声の構造をはじめ、外観上も多くの点で、明確で安定した相違点があります。ネットで検索したところによると、韓国内のどの報文(非常に多数ある)においても、韓国産ミンミンゼミを、日本産と同一種の別亜種扱いのOncotympana maculaticollis fuscataとはせず、独立種O.fuscataとしています。はじめは、お決まりの半日思想を基にした処遇、と苦笑いせざるを得ませんでしたが、(偶然の帰趨であったとはしても)実質的には決してそういうことではなく、(種を分けるか否か、その分類群名が妥当かどうか、はともかく)明確に独立した分類群であることは、間違いなさそうです。

(2)『対馬産も、それに似た傾向を持つと予測される』 
朝鮮半島産と日本産が、明確かつ安定的な別分類群であるとなれば、対馬産の存在は、思いのほか重要な意義を持ってきます。曖昧に終わらすべきではないではない、興味深い課題として検証していかねばなりません。

(3)『西日本産は単位音数が東日本産に比べ少なめの傾向があり、九州などでは山地性の種となる』
はじめは、「西日本産、ことに九州産は、東日本産より、一鳴きの音節数が少ないのではないか」という、九州大学の末永氏の指摘から、調査を始めたものです。東京などの10回余(青山のカウント方式は、税所のそれより一音分少ない)に対し、奈良や姫路では(末永や青山がチェックした限りにおいて)7~8回で、確かに少なめ。青山が永く在住した鎌倉産は9-10回の個体が平均的、10回を超えることの多い東京とは、微妙なれど安定した差をもつように思えます。しかし、西に目を向けても、岐阜城、神戸布引、松山城などでのカウント結果は、いずれも10回を越しています。

僕の改めての結論は、個体ごとの、あるいは集団間の安定差は、いくらかはあるとしても、基本的には大した問題では無いように思えます。細部にこだわっていては、本質を見失なってしまう恐れがあります。自分から問題提起を行ったのに、事実上の終結宣言は、少々無責任なようにも思うのですが、ミンミンゼミの、本奏の単位音数は、他の重要形質ともども、日本国内においては、原則として安定している(前奏部分と、本奏の繰り返し部分とが明確に分かれ、本奏の単位音は極端に少なくも多くもなく、かつ最後までスムーズになき続ける)、と見たほうが妥当なように思えます。無論、税所氏が指摘するように、極めて複雑な問題を内包している可能性は、大いにあるのですが、そのことは、改めて別次元で考えたほうが、賢明でしょう。いずれにしても、税所氏が提唱している、音節数カウントの、共同調査の集積結果を、もうしばらく待つことにしましょう。


中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ②-2


 ただ、上記のように言い切ってしまうには、気になることが2つ。分布南限に近い、九州白髪山の渓谷でのカウントは、間違いなく5~6回で安定していました。末永氏や税所氏によっても、他の九州の山岳でも、その傾向は指摘されています。税所氏の仮説にあるように、東西ではなく、高低で音数差が生じるのか、九州という分布の周辺域(遺存的集団の存在?)に問題点があるのか、定かではないのですが、何か重要な意味が隠されているような気もします。
 

もう一つ気にこと。逆に一鳴きの単位音数が多い、極端な例です。これまでにカウントした中では、どの産地の個体も10数回(多くても20回ほど)で安定しているのですが、唯一の例外、40回を超す単位音をチェックしたことがあります。全身グリーンの“ミカドミンミン”の出現頻度が顕著なことで知られる、甲府武田神社での観察。その個体も典型的ミカドミンミン。おそらくは、まったく偶然(夕刻、鳴き止む直前の、最後のチェック)だとは思いますが、場所が場所だけに、なにやら気にはなります(ちなみに甲府駅前の普通のタイプは、鳴き声も普通に10数回)。

(4)『発生期の7~8月に訪れたことのある、雲南省などでは、まだ一度も出会っていない』
これについては、新たに雲南省北部山地で観察を行い得ました。以下、追加報告していきます。


画像はミンミンゼミの一亜種 四川省都江堰市青城山 91.8.1



中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ③


雲南省北部の、麗江から香格里拉を経て徳欽に至る一帯は、つい10数年前までは、世界有数の秘境中の秘境でした。現在は、世界自然遺産・三江併流として脚光を浴びる、中国屈指の観光地となりつつあります。僕も、1995年以来、毎年のように、この一角を訪れているのです。

“三江”とは、長江、メコン川、サルウイン川のこと。麗江の北、標高5596mの玉龍雪山と、標高5397mの合哈巴雪山の間を南下し、次いでU字型に折れ曲がって北上する長江と、そのすぐ西に並流するメコン川とサルウイン川。長江とメコン川の間には、標高5640mの白馬雪山(これまで“白芒雪山”と表記してきましたが、“白馬雪山”とするのが正しいようです)の連峰が、メコン川とサルウイン川の間には、標高6740mの梅里雪山の連峰が、対峙するように聳えています。

川向こうは四川。次の町はチベット。山を越えるとミャンマーやアッサム(インド)。並流するのは
“三江”の源流だけでなく、イラワジ川やブラマプトラ川(支流)の源流も、すぐ西に接近しています。さらに、この地方の拠点都市・大理の町の近くからは、ハノイに至る紅河の源流が、雲南の省都・昆明の近くからは、ホンコンに至る珠江の源流が、それぞれ源を発しています。アジアの大河の源流が、この一角に踵を接して集まっているのです。

ヨーロッパの人々が追い求めたシャングリラ(理想郷)は、この一帯のことを想定したのではないか、と思われる節があるのですが、実際、数年前に、旧名・中旬(正確には旬の中の“日”は“田”)の町が、ちゃっかり市名として「香格里拉」を名乗ってしまいました。

生物相は、四川省西部と共通する部分もありますが、さらに遺存的と思われる植物や昆虫が数多く見られます。日本産に限りなく近いのに、色や模様などがまるっきり異なっていたりして、とても
面白いのです。ミンミンゼミに関しては、①②で紹介したように、四川省成都西郊や陝西省西安南郊の、それぞれ、あまり高くはない中程度の山地帯に、日本産とは、鳴き声パターンや斑紋がいくらか異なる集団を確認しています。そのほかの地域、中国の南部や、さらに西部のチベット高原内部の地域には、近縁の種はいないだろうと決め込んでいました。

ところが、偶然、この雲南省の北部山地で、クマゼミのような黒い体色の、不思議なミンミンゼミに出会ったのです。


画像は、白馬雪山北面からメコン川の谷越しに望む、梅里雪山連峰の太子雪山6054m。


中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ④


雲南や四川の山岳地帯の植生は、構成する植物の種自体はよく似ているのですが、組み合わせ方が日本の山とは、ずいぶん異なります。白馬雪山の長江側斜面を例にとって見て行くことにしましょう。

メコン川を挟んで梅里雪山の連峰と対峙する山頂は、標高5670m、氷河が発達する巨大な岩山です。
長江の岸からメコン川の岸に向かって、ほぼ南北に伸びる国道は、標高4300mの峠を斜めに横切りつつ越えていきます。峠上は、広い高山草原となっていて、初夏には矮性のシャクナゲ類のカーペットで埋め尽くされ、盛夏には、“ヒマラヤの青いケシ”こと、メコノプシス(ブルーポピー)、秋には、ヤクシマリンドウに近縁の大型のリンドウなどが咲き競います。

標高3500m前後には、モミやツガやトウヒの仲間を主体とした、針葉・広葉混交の、見事な冷温帯樹林が発達、日本の信州や北海道の山々を思わせる深い緑は、ここが中国であるとは信じられないほどの見事さです。日本の亜高山同様、ナナカマドが目につきます。しかし、熟した実は、鮮紅ではなく純白、というところが、いかにも雲南です。

その下部、標高3000m付近から2000m前後の長江流域に至る地域は、日本ならば中間温帯林(クリ・ナラ帯)が広がるところですが、広漠とした褐色の砂山。申し訳程度に、棘の生えた潅木が急峻な砂礫の山を覆います。背の高い樹木は、最下部の、長江に沿った町一帯だけに見られるのです。また、この地域の中ほどから、上部の冷温帯林に接する辺りにかけては、あまり背の高くない、2種の針葉樹が、岩にへばりつくようにして生えています。

庭木としておなじみの園芸植物コノテガシワの野生種と、屋久島・種子島に隔離分布するヤクタネゴヨウの近縁種(同一種とする見解も)カザンマツ(あるいはヒマラヤゴヨウ)です。謎のミンミンゼミが鳴いていたのは、この長江沿いの町から、カザンマツ・コノテガシワ生育地にかけての一帯なのです。


画像は、ミンミンゼミの一種を観察した、白馬雪山南麓の、長江流域・奔子欄付近の山の斜面。



中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ⑤

当初、雲南のこの地域での、ミンミンゼミとの遭遇は、まったく予測していませんでした。

香格里拉から、早朝7時半(標準時間の北京から遥か西に離れているので、2時間近い時差があり、実質午前6時前)発の徳欽行きの路線バスに乗り、台地上の町から1000m余の標高を下って、午前10時過ぎ、行程の中間地点の、長江流域の小さな町、奔子欄に着きます。もう少し時間が遅ければ、ここで昼食となりますが、今回はトイレタイムと簡単なおやつ(ソフトボールのような大きさのスイカなど)を買うだけ。
ミンミン、、、と鳴くセミが気にはなっても、観察などするチャンスはないのです。

ミンミン、、、と鳴くからには、もちろんミンミンゼミ、、、と、そうたやすく結びつけるわけにも行きません。これまでにも日本のセミによく似た声を聴くことがあって、気になって姿を確認したら、大抵、小っぽけで異様な姿をした、見たこともないセミだったりするのです。でも、メロディーはともかく、音質は
ミンミンゼミとそっくりだし、建物の壁に止まって鳴く姿をちらりと見たら、意外に大きく、黒っぽいクマゼミ?のようにも見えます。帰路に立ち寄って、きちんと観察してみる価値はあるかも知れません。

町を出たところで、道路の工事現場で、2~3分ほど停車することになりました。くだんのセミは道脇の崖上で盛んに鳴いています。思い切ってバスから飛び出し、崖を駆け上ってセミを撮影することにしました。他の中国人乗客たちは、みなあきれているようなのですが、それでも、あっちに止まっているぞ!とかバスの窓越しに声をかけてくれます。首尾よく数枚を写すことが出来ました。そのときチェックした姿の印象は、色や全形はクマゼミ、頭の形がミンミンゼミ、鳴き声の印象も、午前中の雰囲気からして、ミンミン、、、と鳴くクマゼミ。クマゼミの仲間とミンミンゼミの仲間の、共通祖先かも知れない。帰りに再チェックしてみる思いは、ますます強くなってきました。

次の宿泊地について、写真をPCに取り込んで、じっくりと確認したところ、クマゼミというよりも、プロポーションはどうやらミンミンゼミそのもののように思えます。未知の(少なくとも僕は知らない)ミンミンゼミ属の種かも知れません。面白いことになってきました。梅里雪山山中での撮影予定を、一日
短縮して、帰路の奔子欄で、きちんと観察(撮影・録音・採集)してみよう。午前中の晴れたときしか鳴かない可能性があるので、丸一日の日程捻出が必要なのです。


画像は、スミイロミンミンゼミの脱皮殻。ミンミンゼミのそれとそっくりです。急斜面の潅木の枝や、木に絡まる蔓植物などに、数多く見だされます。白馬雪山南麓、奔子欄にて。08.7.31





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第94回)

2011-09-08 22:08:15 | サパ ベトナム 

サパ 04.Aug.2011(最終回)


1 川遊びの若者の数もどんどん増えてきたことだし、3時半、撮影終了。



2 建物と衣装の色がよくマッチしています。



3 昨日のカラスアゲハ集団吸水地点に行っていたけれど、やはり今日は一頭もいません。木を器用に刳り貫いて何でも作ってしまいます。



4 4時半のラオカイ行き乗り合いバスに間に合わすために急がねばなりません。でも最後まで石段の道に拘ります。外国人達のツアー客が続々下りて来ます。



5 極小サイズのヒメトンボ。屋久島や沖縄には、同じヒメトンボ(青色)が、小笠原諸島には、近縁別種のベニヒメトンボ(赤色)が分布しています。国外では、前者が主に熱帯アジア大陸部に、後者はオセアニアに至る島嶼部に分布しているようです。



6~7 昨日から下の道も観察しだしたので、今まで余り写すことの無かった向かいの棚田を撮影。





8~9 下の道は、この丘の裏側を通っています。





10~11 広角レンズがないため、望んだ写真が撮れません。横位置と縦位置を組み合わせて説明するしか。次回は、なんとか資金を作って、広角レンズを購入してから訪れたいものです。





12 サパよさらば。哲学の道、拷問の石段よさらば(なんて言いながら、今月末には再訪する予定も組んでいるのですが)。



13 4時30分のバスにギリギリ間に合いました。日本語が聞こえます。今回、中国~ベトナムに来てから一ヶ月、初めて出会った日本人2組(千葉と横浜の2人連れと、ベトナム人の通訳嬢、それとサイゴンの日本人学校で教鞭をとる2人組)、一瞬の間で名残惜しかったのですけれど、バスの窓から記念撮影です(日本人学校の2人組は同じバスだったので、じっくりと話~おおむね中国人の悪口~をすることが出来ました)。



14 常宿「クイーンホテル」のマネージャー氏(中央)と、オーナーのDe氏(右)。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(24)

2011-09-07 13:07:28 | アメリカン・ポップスearly60’s


Johnny Tillotson「Out Take」についての(収録58曲を短縮メドレーで聴いた)感想を。CD本体を購入し、曲全体を聴き、ブックレットの解説を読んでからでないと、詳しい話は出来ないでしょうが、いつになるか解りません。そこでとりあえずということで、思いついたことを述べて行きましょう。

インターネット上の解説文に記された“第一の収穫”として、「ポエトリー/Poetry In Motion」の初期テイクに関するコメントが成されています。「ジュディ、ジュディ/Judy、Judy、Judy」「ユー・キャン・ネバー・ストップ・ミー・ラヴィング・ユー/You Can Never Stop Me Loving You」「くべられない素晴らしさ/You’re Much Beyond Compare」「ポエトリー」の4曲については、(1)(2)として、録音日や録音スタジオの異なるバージョンが収録されているのです。

「ポエトリー」に関しては、ブーツ・ランドルフBoots Randolph(サックス)やフロイド・クレーマーFloyd Cramer(ピアノ)が参加してナッシュビルで行われたヒットシングル&アルバム収録バージョンに先駆け、ニューヨークのスタジオで録音された別バージョンが存在します。サックスは、ランドルフではなく、King Curtis、フロイド・クレーマーのピアノ伴奏は入っていません。ジョニーの唄声共々、全体としての溌剌さに欠けます。

一方、ナッシュビル録音テイクも、ヒット盤以外は、ランドルフのサックスが噛み合っていなかったりして、もう一つ物足りないのですが、最終的に発売された「ヒット・シングル盤」は、これまで何度も記したように、ほとんど奇跡とも言える完璧の出来。もし、ニューヨーク録音盤が、そのまま発売されていたなら、ここまでの大ヒットには結びつかなかったことでしょう。

大ヒットに結びつかなかったかも知れない、という事では、初期2大ヒットのもう1つの曲「ウイズアウト・ユー/Without You」についても(これは、DVDで発売された、最近のジョニー自身の“昔の想い出話の一人語り”の中でも触れられていますが)最初は、語り(Recitation)の部分が入っていなかったのです。録音の途中で(たぶん即興で)“メイビー・トゥモロー、、、、”以下の部分を追加したようです(ニール・セダカNeil Sedaka「悲しき慕情/Breaking Up Is Hard To Do」のハミング“ダンドゥヴィ・ドゥダン~”挿入に纏わる逸話と同じ)。こちらも、もし“レシテーション”なしのテイクのまま発売されていれば、大ヒットとは成らなかったと思う。もしかしたら、“2大ヒット曲”が、2つとも生まれていなかった可能性があるのです。

さらに、もう一つの大ヒット曲「涙ながらに/It Keeps Right On A-Hurting」も、ある意味、偶然の産物だったようなのです。

以前に発売されたCDのクレジットを見ると、(まるっきり異なる曲調の)「涙ながらに」と「素敵なガールハント/A Very Good Year For Girls」が、同一日の録音だった可能性があります(ベストセラーアルバムに収録された「涙ながらに」以外のC&Wナンバーは、後日の録音です)。以下は僕の推測ですが、、、、。

この日(1962年の1月某日)は、本来「素敵なガールハント」の録音が目的だったのではないでしょうか? 兵役の合間を縫ってのスタジオ録音の際、病床にある父親の事を思って作ったと言われる歌詞の原曲を、失恋歌に置き換えたC&Wナンバー「涙ながらに」を、“ついでに”披露、アーチ・ブレイアーArchie Bleyerがそれを絶賛した。そして急遽(「ティーン・ポップス」から「本格C&W」へと)路線変更の決定がなされた、という事なのかも知れません。(最初の路線に沿って)そのまま「素敵なガールハント」がリリースされていても、当時の勢いからすれば、それなりのヒットはしたと思います(その結果も知りたかったです)。でも、だとしたら、ただの「ティーン・ポップ・シンガー」のまま終わっていたことでしょう。

そうして、もう一つの偶然。

こと日本においては、ジョニーについて語られるとき、「本国と日本とで、最もヒット曲の組み合わせが違う歌手」というのが定説となっています。このように語られる大きなポイントは、“日本でのヒット曲も多数ある”という事実です。

もし、日本におけるヒット曲が無ければ、「本国と日本とで、最もヒット曲の組み合わせが違う歌手」とされる以前に、「日本では全くヒット曲が出なかった、伝説のポップシンガー」となってしまっていたはずです。

周知の通り、「ポエトリー」や「ウイズアウト・ユー」が本国でヒットしていた61年頃までは、ケイデンスの曲は契約の関係で日本では発売されなかったのです。そのため、“伝説の歌手”となりかけていたところだったのですが、62年になって、「日本キングレコード」が発売権を得ました。本国では、ちょうど最もブレイクしていた最中でもあります。本来なら“目出度し目出度し”と言うところなのでしょうが、間が悪いというか、その後1年間に放たれたリアルタイムでの“大ヒットナンバー” (「涙ながらに」「夢の枕を/Send Me The Pillow You Dream On」「どうにも出来ない/I Can’t Help It」「涙でいっぱい/Out Of My Mind」)が、全て日本では受入られることの難しい、地味なカントリーバラード。

それまでのジョニーのヒット曲は、発売さえすれば日本でもヒット確実、と言われていたのに、発売が叶わなかった。やっと待望の発売権利獲得、となった瞬間に、路線変更です。間が悪いとしか言いようがありません。といって、(路線変更後の曲も)せっかく本国でヒットしているのですから、日本でもリリースしないわけには行きません。そしてその結果は、予測されるごとく“惨敗”です。

地味なC&Wバラードが4曲続いたあと、63年夏にリリースされた5曲目も、似たような曲調の(幾らかはポップス風味が感じられますが、日本では受けいれられそうもない)「ユー・キャン・ネバー・ストップ・ミー・ラヴィング・ユー」(だいたい「イット・キープス・ライト・オン・ア・ハーテイング」とか、「センド・ミー・ザ・ピロウ・ザット・ユー・ドリーム・オン」とか、「アイ・キャント・ヘルプ・イット・イフ・アイム・スティル・イン・ラブ・ウィズ・ユー」とか言った、長ったらしいタイトルの曲が、こと日本に於いては「キューティー・パイ/Cutie Pie」「プリンセス・プリンセス/Princess、 Princess」の分りやすいタイトルの曲に適うわけがありません)。

しかし本国では、これも大ヒットします。そのまま発売したいところですが、どうせ日本ではヒットしないことは目に見えています。せっかく次の新譜も本国でヒットしているのだから、もう一曲様子を見てこれもリリースしておこうと、(半ば日本でのヒットは諦めて)そのままだらだらと本国でのヒット曲をリアルタイムでリリースし続けるか、出すと日本でのヒットも確実な、「ポエトリー」以下の旧譜の発売に切り替えるか、2者択一、さぞかし迷ったことでしょうが、ここで後者の選択を決断したのです。

打って出た旧譜は、「ポエトリー」でも「ウイズアウト・ユー」でも「こんなに愛して/Why Do I Love You So」でもなく、日本人好みの曲調の“B面曲”「キューティー・パイ」。この上もない的確な決断だったと思われます。もし、あと一曲様子を見てから、と言う事で、そのまま「ユー・キャン~」を先にリリースしていれば、永久に日本でのブレイクのチャンスは巡って来なかったことでしょう。と言うのは、本国での「ユー・キャン~」リリース直後、「MGM」へ移籍が決定したからです。「移籍」が決まった後となれば、あえて“勝負を賭ける”ことも思いつかなかったでしょう。ただ一度きりの“最後のチャンス”を、ものにしたわけです。

半年後の「ビートルズ旋風」。その後に仕掛けたならば、いくら「日本人好みのケイデンスCadence旧譜」といったところで、リスナー自体の“好み”が変わってしまっていたことでしょうから、時代遅れになってしまっているはずです。移籍先のMGMからも本国ではしばらくの間はヒット曲が続いていたのですが、どれも日本では受けいれられることが難しい曲ばかり(「恋のウルトラC」のヒットも、「涙くんさよなら」の企画も、「キューティ・パイ」ヒット以降の日本でのブレイクがあってこそ成されたもので、“日本ではヒット曲の無い伝説のポップ歌手”のままでいたなら、それらも日の目を見なかったことと思われます)。

ということで、本国でのブレイクも、日本でのブレイクも、紙一重の差で掴んだチャンス、と言う事が出来そうなのです。

でも、こうも考えるのですね。もし、62年に「涙ながらに」の路線変更&ブレイクがなく、その後もずーっとティーンアイドルのままでいたなら、今以上に「ティーンアイドル・ナンバーワン歌手」として評価の対象になっていたかも知れませんし、あるいは、何らかの理由で、初期のヒット曲群のみで(「涙ながらに」以下のC&Wスタイルのヒット曲群無くして)キャリアを終えていたなら、それこそ“伝説の初期ロックシンガー”の一人として、後年、バディ・ホリーBuddy Hollyやエディ・コクランEdward Cochranらと並び称される存在になっていた可能性もあります。

逆に、初期ヒット曲群が無く、いきなり「涙ながらに」からスタートしていたなら、「若手ナンバーワンC&Wシンガー」としての地位を(それまでの“ティーンアイドル”というレッテルに邪魔されることなく)確立し、その後の方向性や評価も大きく異なっていたかも知れません。

そして、「キューテイ・パイ」発売の決断時期を逃し、日本での評価が「伝説のポップ歌手」となっていたなら、、、、。

まあ、それぞれに興味があるので、そうなっていてもそれはそれなりに面白そう、という思いもあるのですが。

断片的感想を続けます。「ユー・キャン~」も、別種テイク(ポップチェーンとしては、こちらのほうが上出来と僕は思うのですが)が収録されています。このテイクは、以前からユーチュブ上にも(「ジュディ、ジュディ」の別種テイクと共に)紹介されてきて、今日に至るまで削除されずにいるのですが、なんらかの理由があるものと思われます。

逆に「プリーズ・ヘルプ・ミー・アイム・フォーリング/Please Help Me I’m Fooling」は、公式?には初CD化。しかし日本発売盤の「涙ながらに」復刻盤などには、以前からボーナストラックとして収録されていて、やはり契約上の何らかの理由があるものと思われます。

「こんなに愛して」も、ユーチュブ上には別種テイクが紹介されていますが、なぜか今回の「アウトテイク集」には含まれていません。どうなっているのでしょうか?

僕個人的に、最も大きな収穫は、「涙でいっぱい」の別テイク2つの収録です。「涙でいっぱい」は、ある意味、謎の曲です。この曲がリリースされた63年春というのは、人気の絶頂に会った頃、それにしては、リリース数が著しく少ない。もちろんこの時期に前後しての兵役があったことも関わっているのでしょうが、63年春と言えば、すでに除隊後のはず。「涙でいっぱい」に関しては、親友ブライアン・ハイランドBrian Hylandのために書き下ろしたという記述もあり(真否のほどは不明、彼が録音している形跡はありません)、また、ジョニー・シンバルJohnny Cymbalのリアルタイムでのカヴァーもあります。

自身での作詞作曲、編曲もシンプルで、伴奏もシンプル(この当時の一連のC&Wバラードで生かされている、アニタ・カー・シンガースThe Anita Kerr SingersやジョーダネアースThe Jordanairesによるハーモニーもなし)、そしてモノラル録音、、、、いわば、予算をかけずに製作した1枚、と言う事が出来ます。

それにしては、かなりのヒットを記録している。ビートルズ襲来直前の、新しい波が押し寄せつつある時代に、こんな単調な曲が、ポップ24位/アダルト11位の位置に付けているのは、大健闘といって良いでしょう(言いかえれば人気の絶頂にあったからこそなのでしょうが)。

一連のヒット曲のうち、この曲だけが、後年に至るまで、どのアルバムにも収録されていなかった、と言うのも謎です。

その別テイクが2つ、納められています。ストリングス付きの「テイク3」と、軽快なベースの音がフィチャーされた「テイク2」。おそらく「テイク1」がヒットシングルバージョンで、こちらはピアノ伴奏付きです。低予算製作ゆえ、どれか一つを、ということで、ピアノ伴奏を選択となったのかも知れません。シンプルなピアノ伴奏は、この曲(ジョニーのヒット曲の中では、僕の最も好きな曲のひとつなのです)の素朴な魅力に、よくマッチしている、と思うのですが、軽快で澄んだベース音が強調された「テイク2」も最高! こちらをヒットシングルバージョンに選んでもよかったのに、という思いもあります。僕にとっては、このバージョンを聴くことが出来たのが、最大の収穫です。

ブレイクの最中のシングル盤(A面)録音が、他の人気ティーンアイドルに比べて際立って少ない(ケイデンス時代の6年間にA面新曲は10曲=58年1曲、59年2曲、60年2曲、61年2曲、62年1曲、63年2曲)のは、兵役、ケイデンスのポリシー、といった理由も考えられますが、もうひとつ関連が考えられるのは、この時期に大学を卒業し、のみならず博士号Bachelor's Degree(Journalism and Communications)を取得していることです。“ティーンアイドル”でいる、そのさ中(1959年?)にですから、これは相当に大変なことだったのではないかと思うのです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第93回)

2011-09-07 12:59:15 | サパ ベトナム 

サパ 04.Aug.2011(下)


1 午後2時、渡渉地点から滝壷へ引き返します。手前の岩上には外国人の親子がいたのでパス。



2 しめしめ、さっきのバーベキュー地点には誰もいません。黒いアゲハの姿も幾つか見えます。雨が降ってきたけれど、たぶんすぐに止むでしょう。



3~9 カラスアゲハ(クジャクアゲハ)とオオベニモンアゲハと、もう一種、オオベニモンアゲハではないジャコウアゲハの仲間がいます。尾状突起がなく、ジャコウアゲハ類に特有の腹部の赤色が、肌色っぽい明るいピンクです。台湾のアケボノアゲハなどと同様、Atropaneura属に分類されていますが、(尾状突起がないというだけで)基本的には(狭義の)ジャコウアゲハ属Byasaとなんら変わりはありません。たしか「ハゲタカアゲハ」という和名が付いていた様な、、、。















10 一応“ハゲタカアゲハ”と呼んでおきましょう(そういえばそんな雰囲気がしないでも有りませんが、ちょっと可愛そう)。翅の黒色と、腹部の肌色に近い淡ピンクは、写真での再現が難しい。



11 対照的に、オオベニモンアゲハの赤と白は、分かりやすい色と言えます。



12 真ん中にカラスアゲハ(クジャクアゲハ)を挟んで、手前にオオベニモンアゲハ、奥にハゲタカアゲハ。ハゲタカアゲハは、腹部が見えなければ、クロアゲハと見紛えてしまいそうです。



13~14 そのクロアゲハとの2ショット。無尾型クロアゲハの後翅後角の淡赤色と、ハゲタカアゲハ腹部のピンクは、微妙に良く似ていると思いませんか? 日本のクロアゲハ(クロアゲハはシロオビアゲハの一群です)が、オナガアゲハ(ナガサキアゲハの一群)とともに、ジャコウアゲハに擬態(正確には擬態ではなく相互並行進化だと僕は考えています)しているように、大陸のクロアゲハは、無尾性ジャコウアゲハ類と相互関連を持っているようです。





15 ここで、フラッシュメモリが満杯に。傘をさして、自参したノートパソコン(この自体への対応のため、どんな山の中でも持ち歩いている)に繋いで、画像を移動します。所要時間20分、その間、様々なメンバーが現れては去っていく。焦る気持ちを抑え、辛抱強く待つしかありません。それよりも焦ったのは、この前後になって、地元の少年少女たちが、次々と岩の上に押しかけ、泳ぎ始めたこと。彼らが近寄るのを静止するのに、必死です。ついには禁じ手のお金での交渉。とっさに10万ドン(日本円40円ほど)札を一人に渡します。その効用はてきめんで、少し離れた場所で泳いでくれたのです。撮影再開後はこのメンバー。



16~17 オオベニモンアゲハ(ジャコウアゲハ族)、アオスジアゲハ、チロンタイマイ、シロスソビキアゲハ(以上アオスジアゲハ族)、それにマダラチョウ科の一種。





18~19 すぐ隣にはアゲハチョウ族の一団。クロアゲハやカラスアゲハ(クジャクアゲハ)にルリモンアゲハが加わります。残念ながらボロボロの翅の個体です。





20~21 ルリモンアゲハもカラスアゲハ(クジャクアゲハ)も、鮮やかな青色の後翅表面の班紋は、静止すると前翅を下に下ろしてしまうためにすぐに見えなくなってしまします。見えるのは、飛翔時か、静止の瞬間の一瞬だけ。かなり辛い写真ですが、一応2ショットとして紹介しました。





22~23 黒いアゲハの集団に、アオスジアゲハ族2種が加わりました。中央にクロアゲハを挟んで、左にチロンタイマイ(日本にもいるミカドアゲハの仲間)、右にアオスジアゲハ。





24 こんな所で、うつ伏せになって撮影しています。背後の子供たちの動きが、気が気で成りません。



25~26 カラスアゲハ(クジャクアゲハ)とチロンタイマイ。似た写真を数日前に似も撮ったような気がするのですが、、、、。





27 左端のルリオビアゲハがボロい個体でなければ、良い写真になるのですが。



28~30 アオスジアゲハも落ち着かない蝶です。







31~32 個人的には、こんな写真が好きなのだけれど。





33 アゲハチョウの仲間は、吸水と共に、水の放出(すなわちオシッコ)もします。体温の調節という意味合いもあるようです。数枚写した中に、2枚にションベンがはっきりと写っていました。チロンタイマイは特にオシッコが好きなようです(たまたまこの個体に置いて特に頻繁だっただけでしょうが)。



34~36 ボロのルリモンアゲハですが、見る角度によっては、結構ましな姿に写ります。







37 今回のサパの蝶の、最終撮影カット。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第92回)

2011-09-06 10:39:20 | サパ ベトナム 

サパ 04.Aug.2011(中)


1 時刻はちょうど正午。時間はたっぷりあるし、天気も良いし、左側の谷も訪ねてみましょう。



2 入口は、“演劇場”の少年少女たちの宿舎です。その前に置いてあったボトル(中身は、竹の子と唐辛子を酒?に浸けたもの、とても美味しいのだそうです)の上に、リュウキュウムラサキが止まっていました。先に紹介したメスアカムラサキと、裏面の模様の違いを確かめてみて下さい。



3 最初のポイントの岩上では、ハノイから来た若者たちが、野外バーベキューパーティー。これじゃ蝶の撮影は無理。



4 次のポイントには、年長組の少女たち。ここもパス。



5 先に渡渉地点に向かいましょう。山の上から、竹の束を担いだ少年少女が下りて来ました。大人(15才ぐらい?)になれば、遊んでいずに何らかの仕事に就くのでしょう。



6 渡渉地点には珍しく誰もいなかったけれど、蝶も少なかった。タテハチョウ科のムラサキイチモンジとシジミチョウ科の一種(Tajuria属?)。



7~9 これまでにも何度も登場している、タイワンイチモンジ♂とリュウキュウイチモンジ♂。タイワンイチモンジ♂は、翅先と中室の縁の赤班が特徴的ですが、リュウキュウイチモンジ♂にもそれらの部分がうっすらと赤味を帯びることがあって、意外と紛らわしいのです。







10~12 翅裏面での区別が最も確実です。中室の白紋が、タイワンイチモンジでは数珠つなぎになり、ヤエヤマイチモンジでは切れ切れです。









13~17 翅表も、こうやって2ショットで見ると違いは一目瞭然。赤班のほか、白帯の形状の差にも注目して下さい。











18 タイワンイチモンジ♂。



19 リュウキュウイチモンジ♂。



20 ムラサキイチモンジ♂。前2者よりずっと大型です。




21 アオスジタテハ。たぶん♂(雌雄は似ているのかな?)。



22 リュウキュウイチモンジの♀。



23 イチモンジチョウ属の一種。



24~30 今日の面子です。大半がイチモンジチョウ属(広義)。他に、ミスジチョウ属の一種、チャイロタテハの仲間(ヒョウモンチョウ族)、シロヘリスミナガシ(スミナガシ族)、イシガケチョウ(イシガケチョウ族)および、翅を開いたボロボロのシジミチョウ(Tajuria sp.?)など。















31 ウラフチベニシジミ(右)。



32~35 前にも紹介した、タヌキモ科と思われる渓流植物。渡渉地点の、水飛沫を帯びる岩の上に咲いています。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第91回)

2011-09-05 13:43:47 | サパ ベトナム 

サパ 04.Aug.2011(上)


1 坂道1/3地点のトンガリ帽子と2/3地点の丸い家。トンガリ帽子の家は、僕の生家にそっくり!一時は、よく夢の中に出てきたのです。そして今見ている光景は、本物よりも、夢に出てきたそれと、全く同じ!



2~3 石段の真ん中辺り。左から2番目の男の子は足が不自由なのです。






4 石段の下部。



5~7 メスアカムラサキはいつもこの場所にいます。♂同士の追飛翔。(注:たった今、気が付きました、前にこの場所で見かけたのは、メスアカムラサキ♂ではなく、それにそっくりなリュウキュウムラサキの♂です)







8 滝壷(カットカット)とその前の出店の光景。



9~10 例の河原にはまたガキどもが屯しているので、今回はパス。昨日カラスアゲハ類が吸水していた路傍の木陰を目指します。



11 オットト!その路傍の木陰の入り口にガキ達が。



12~13 昨日見かけた、坂道の下の家の連中。生意気な石段のガキ達と違って、何やらフレンドリーです。





14 川から岩をよじ登って来て、昨日の4人が揃いました。



15 オッチャンはここで蝶々の撮影をしたいのだから、と手振り身振りで伝えると(彼らは石段の連中と違って、英語~といっても“金をよこせ”またはそれに関わる言葉~が出来ない)、素直に出て行った、と思いきや、すぐにまた戻ってきました。年長の少女も一緒です。そして、昨日カラスアゲハが集団でいた湿地に集まって、何やら木の葉っぱなどを探しています



16 今日はもともとこの場所には蝶が集まらないようだったので、まあいいか、としばし彼らを観察していました。年長の少女は彼らのお姉さん?お母さんにしては若すぎるような気もしますが、この辺りでは10代のうちに子供を産む女性が多いようですから、その可能性もあります。あとで気付いたのですが、そうか、小学校の先生かも知れない。もしかしたら野外授業?



17~19 路傍の草や木の葉を探し、子供たちに見せています。







20 これを丸く包んで、食べる(噛むだけ?)のだそうです。僕も試してみたけれど、とても堅い。台湾の“ビンロウ”の様なものかも知れません。



21~22 茂みにもぐって男の子が採ってきたのは、唯のシダの葉っぱ(写真は“先生”が採ってきた、たぶんまともな食用の葉です)。





23 外国人が通りかかっても(石段の連中のように“マニ、マニ”と声を揃えてまとわりつくようなことは無く)完全無視。その代わり、ベトナム人観光客と出会うと、そのままくっついて行き、何やら“商談”をはじめます。たいていの場合、商談は成立せず、すぐに戻ってくるのですが。昨日の外国人男性とそのベトナム人通訳は、まんまと騙されて(笑)、案内料を取られたうえ、道の無い断崖を歩かされたのでしょう。え? お前もついて来いってか。



24~25 田んぼの縁で座り込んでしまいました。一生懸命にイネの青い茎を集めています。





26~28 若い茎を食べるのでしょうか? そう思って身振りで訊ねたら、違う!と。やおら、茎から何かを取り出しはじめました。花が外部に展開する前の、茎(鞘)の中に納まった状態のごく若い花序です。これを食べるのだと。いやもう、美味しいのなんの。大袈裟に聞こえるかも知れないけれど、これまでの人生で食べたうちの№1(「白と赤の野生ストロベリー」と東西の横綱!)かも知れないと思うほどの美味しさです。







29 照れ臭いのと自慢顔の中間。



30 男の子。さっき取ってきたシダの葉に乗っけて、俺のほうが大きいぞ!



31 私のも撮ってね!



32~33 河原には、まだ裸のガキ達が屯しています。ふと思いました。彼らは決して唯遊んでいるだけではないのかも知れない。むろん銭湯の役割も兼ねているでしょうし、そのほか諸々の意義や効用が含まれているような気がします。決して“原始的な生活スタイル”なのではなく、理にかなった、結構高度のポリシーの上に成り立っているようなのです。見ていると、一定の法則があるように感じられます。2才以下ぐらいは服を着たまま、まだ泳いではいけないという事なのでしょう。この河原に集まる裸の連中は、5~6才前後? 裸で泳いでも良いけれど、奥の谷には行ってはいけません、と。岩上で蝶を撮影する左の谷で(一応服は着て)泳いでいるのは、年長の少年少女だけ。秩序や人間関係の育成の場になっているとも言えそうです。天然の幼稚園・小学校。



34~35 虫干し。健康面、精神面、衛生面、、、、様々な効用があることでしょう。



36~37 マンゴ食べて行かない? 熟したのではなく、まだ固い実、これがまた美味しいのです。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(23)

2011-09-04 13:24:06 | アメリカン・ポップスearly60’s



■「朝と夜のはざまで~My Sentimental Journey(90)は、この項のひとつ前にアップしています。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






●「Florida Artist Hall Of Fame」の授賞式(本人のH.P.より)。今年の3月23日、フロリダ州の州都、タラハシーにて(左右は大臣とフロリダ州の知事だそうです)。



●ジョニーの年齢は、最初1940年生まれだったのが1才ごまかしで、1939年生まれに訂正されていましたが、最近のウイドペキアでは1938年生まれとなっています。もう1才誤魔化していたのかも知れませんが、他の紹介媒体は全て1939年のまま(本人のH.P.には誕生日が示されていない)なので、単純ミスの可能性もあります。本ブログでは、実態が明確になるまで1939年で統一しておきます(この年になれば1才の差などどうでも良いのですが)。



●世界中にJohnny Tillotsonのファンがどれだけいるのか、気になります(オールデイズ全体のファンというのは相当いるでしょうし、その多くはJohnnyのCDも購入するものと思われますが)。解説コメントを読むと、この2枚組アウトテイク集は「ファンとコレクターに向けて」となっています。レコードやCDの購入層は、ファンよりもコレクターが重きを成しているのではないかと思われます。



●アマゾン(日本)では、今入手出来るJohnnyのCD/DVDが65種紹介されています(オムニバスを多数含む)。僕の知っている物だけでも半分程が欠けているので、実際は100種以上のCD/DVDが出回っているものと思います。ただし、収録曲は限られているはずですから、目新しいものは一つもないのでは、と思います(Pat Boon & Johnny Tillotsonなどは、ぜひ収録曲を知りたいものですが)。結局、それらのCDを購入するのは、ファンというよりもコレクターの部類に入る人たちなのでしょうね。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第90回)

2011-09-04 09:03:23 | サパ ベトナム 

サパ 03.Aug.2011(下2)


1 (昨日の続き)ルリモンアゲハだけが、カラスアゲハ(クジャクアゲハ)の集団から、ポツンと離れています。奥に見えるのはタイワンタイマイ。



2 モンキアゲハやタイワンモンキアゲハの白紋と、クジャクアゲハやルリモンアゲハの青紋は、根本的に構造が異なります。前者は翅裏にも同じ紋が表れますが、後者は翅裏には一切表れません。



3~6 ルリモンアゲハだけが集団と離れて吸水しています。たまたま僕が出会った個体がそうだっただけなのかも知れませんが、アゲハチョウ属ではルリモンアゲハ、アオスジアゲハ属ではアオスジアゲハ、イチモンジチョウ属ではアオスジタテハ(学名も和名も知らないゆえ勝手に付けておいた仮の名)が、“強調性”に欠けるようで、同じ仲間の集団中になかなか入って行こうとしない傾向が見受けられます。3種とも青い鮮やかな紋を持つ事が共通しています。もちろん、偶然でしょうけれど、、、。









7~8 見事な破損個体。それも別の個体が2頭。ここまでボロボロだと感動ものです。





9~11 ルリモンアゲハ。







12 アジサイ(日本の園芸のアジサイ!)を栽培しているようです。考え方によれば、なかなか興味深いことだと思う。川島さん(アジサイ研究家)に報告しなくては。



13~14 巨大なタテハチョウ、トラフタテハ。





15 初めて見る子供たち(と思っていたのですが、写真で確かめたら、さっき縄跳びの練習をしていた子供たちです)。彼女たちはこれから、川の向こう(前の写真のトラフタテハの背後に写っているところ)の崖っぷちを、青息吐息で歩いている外国人男性とベトナム人女性ガイドを迎えに(救助しに?)行くところらしいのです(一応、彼らにももう二人の子供が同行している)。対岸から眺めていてもひやひやもの、“なんでこんな所に来ちゃったのだ!”と必死に崖をよじ登っている外国人男性の困惑ぶりが、手に取るように伝わってきます。4人組の子供たちに、「案内料を少し貰えれば、誰も知らない素敵なコースを案内してやる」とか言われて、とんでもない所に連れて来られたのでしょう。



16 ダムの堰堤を速足で渡ります。危ないったらありゃしない。お前も付いてこい?とんでもない!



17~18 家は坂の終点にあるのですね。男の子は聡明そうな顔立ちをしています。





19~20 前の写真から6分後ですが、、、、もう衣服を干してあります、電光石火の早業、それとも同じのが2枚づつ有るのでしょうか?





21 坂道を登ってサパの町に戻ろうとも考えたのですが、やはり一度滝壺に戻って、意地になって石段を登ることにします。下から見上げると、“丸い家”も“尖んがり帽子の家”も、遥かに上方です。



22 売店のお婆ちゃんとお孫さんが、今日の仕事を終えて戻ってきました。坂の下に家があるのでしょうか?それとも車でサパの町まで戻るのでしょうか?



23 “困ったネエちゃん”も帰宅です。23才。5才と3才の子供あり。それを聞いて以来、「そうか、家族のために一生懸命セールスをしているという事なんだ、、、今後は(幾らしつこく付き纏われても)余り怒らないようにしよう」と、僕の対応も大分変ってきたのです。



24~25 これもアヒルだっけ?犬と豚が同類であるように、アヒルとニワトリも同類、仲良く一緒にいます。





26 石段の道の子供たちのファッションについて書こうと思ったのですが、、、、驚愕の?事実発見。後ろに覗いて見えるのは、写真17の小屋の中にいた坂下の4人組の1人だ!もしかしたら僕に付いて石段の道までやってきたのでしょうか?



27 縄跳びと陣取りゲームのハイブリッド?



28 友達。



29 日本の子供ファッションよりもセンスが良いと思うのですが。



30 こんなのがあちこちにいるんだ。怖い怖い。ところで何に利用するのでしょうか?



31 丸い家と夕暮れの山なみ。



32 夕食タイムに遅れたので、一人で食事。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(22)

2011-09-03 09:00:08 | アメリカン・ポップスearly60’s

■「朝と夜のはざまで~My Sentimental Journey(89)は、この項のひとつ前にアップしています。

....................................................................................................................................

突然の大ニュースです。5日前、なんと2枚組58曲入りのJohnny TillotsonニューCDが、イギリスのBear Family Recordsより発売になりました(世界同時発売、日本のMHVでも輸入盤を扱っているようです)。タイトル通り(Cadence時代の全ての曲の)“別テイク”を集めたもの。“テイク14”なんてのもあるので、今後その気になれば、何種類でも「未発表音源」をリリース出来るわけです(ずるいなぁ~!)。とりあえず曲目を紹介しておきます(Cadenceより2枚目のシングル盤として、“Genevieve”というグループ名でリリースされた幻の曲「I’m Never Gonna Kiss You」も収録されています)。全ての曲を、インターネットで試聴可(そのうちに感想を述べる予定)。60ページ分のブックレットも付いています!



The Outtakes
Johnny Tillotson
Bear Family Records(英国)
R 2233410(2枚組:価格6700円)
発売日:Aug 29, 2011

DeskⅠ
1  Judy, Judy, Judy (2) (take 1)
2  Poetry In Motion (2) (take 4)
3  Princess, Princess (take 3)
4  Why Do I Love You So (take 2)
5  Never Let Me Go (take 1)
6  Jimmy’s Girl (take 1)
7  You Can Never Stop Me Loving. (1) (take 1).
8  Without You (without Overdubbed Recitation) (take 3)
9  Cutie Pie (take 3)
10 She Gave Sweet Love To Me (false Start + Take 4)
11 A Very Good Year For Girls (Take 4).
12 Empty Feeling (2nd overdub) (take 10/4) Mono
13 You’re Much Beyond Compare (2)(take 1)
14 Well, I’m Your Man (take 3) Mono..
15 Dreamy Eyes (false Start + Take 1) Mono
16 Judy, Judy, Judy (2) (take 5)
17 True True Happiness (no Harmony) (take 11 - False Start + Take 12)
18 Out Of My Mind (no strings)(take12)
19 Tragedy (take 1)
20 I Got A Feeling (take 1) Mono
21 Lonesome Town (take 1) Mono
22 Venus (take 14)
23 Come Softly To Me (take 9)
24 Donna (take 1)
25 Empty Feeling (undubbed) (take1)..
26 Pledging My Love (take 4)
27 Judy, Judy, Judy (1) (take 3)
28 Well, I’m Your Man (take 1) ..
29 Why Do I Love You So (take 5)
30 Out Of My Mind (with strings)(take3).
31 Poetry In Motion (2) (take 2 - 2 False Starts + Take 3)

DeskⅡ
1  Poetry In Motion (1) (take 1)
2  You Can Never Stop Me Loving.You (pb 912) (take 6).
3  Earth Angel (take 4)
4  Without You (overdub With Recitation) (take 10/1)
5  It Keeps Right On A-Hurtin’ (false Start + Take 1)..
6  Take Good Care Of Her (take 4)
7  Please Help Me I’m Falling (take 18)..
8  I Can’t Help It (take 1)
9  Hello Walls (take 3)
10 Funny How Time Slips Away (take 5)
11 Send Me The Pillow You Dream.On(take 4).
12 It Keeps Right On A-Hurtin’(take 2)..
13 I’m So Lonesome I Could Cry(take 5)
14 Poetry In Motion (2) (take 10 - False Start + Take 11)
15 I Fall To Pieces (take 4)
16 Fool # 1 (take 4)
17 Four Walls (take 3)
18 Lonely Street (take 3 - False Start + Take 4)
19 Poetry In Motion (1) (take 4)
20 His True Love Said Goodbye(take 2)
21 What’ll I Do (take 2)
22 Where Is She (take 2)
23 Empty Feeling (1st Overdub) (take 3).
24 Dreamy Eyes (take 4) Mono
25 Earth Angel (take 5)
26 You’re Much Beyond Compare (1)(take 8).
27 I’m Never Gonna Kiss You (Mono)=Genevieve & Johnny Tillotson (2nd Vocal).


●アマゾンでの価格は約4500円、9月6日発売だそうです。

全58曲をメドレー(ショートカット)で聴くことが出来ます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最新のニュースを付け加えておきます。
●今年5月、フロリダ州のアーティストの殿堂に選ばれる。
●昨年発売の新曲「ノット・イナフ」は、『インディーズ・カントリー・チャート』(そんなのがあるのかいな?)でNo.1に、「ニュー・ウイークリー・ミュージック・チャート」で25位に、ナッシュビルのローカル・チャートで下位ポジションに、それぞれランクイン。
●10月下旬に全米各地(と言っても6都市ですが)で、フレディー・キャノンと共に、ツアーコンサート。



Bear Family Records


Both Sides Now Stereo Chat Board



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2-CD Cap-Box with 60-page booklet, 58 tracks. Playing time approx. 2 hrs 47 mns. - Two CDs provide a superb collection of alternative takes recorded by Johnny Tillotson at Cadence Records. The set offers Johnny Tillotson fans and collectors an opportunity to hear the differences between early and later takes. The material focuses on the first six years of Johnny Tillotson's recording career. -- Bear Family Records is proud to present this most welcome entry in its series of Studio Outtakes releases that now includes the Everly Brothers, Johnny Cash, Billy Riley, Gene Vincent and Janis Martin. -- Johnny Tillotson is an international star who secured 26 entries on the 'Billboard' charts between 1958 and 1965. His biggest hit was 'Poetry In Motion' which peaked at #2 in the States but managed to secure the number one position in the UK where it spent the first three weeks of 1961 at the top of the charts. -- These recordings, the great majority of which are released for the first time, give the listener the opportunity to hear songs develop in the studio. Some appear without later overdubs and orchestral backings that were included on the recordings first time round. A major highlight is the discovery of previously unheard versions of 'Poetry In Motion' recorded in New York with King Curtis on sax. This version was recorded a short time before the 'hit' version, cut in Nashville with Boots Randolph. Alternative takes of the Randolph version are also included. -- Another major find is an unissued song in 'Please Help Me I'm Falling', recorded four months after the Hank Locklin hit recording. -- Johnny's final single for Cadence was 'Judy, Judy, Judy c/w You Can Never Stop Me Loving You', and this package boasts not only an alternative take of the released master of the latter but also a take from a second session on the song with a different arrangement. -- Favorites like 'Judy, Judy, Judy', 'Out Of My Mind', 'Send Me The Pillow You Dream On', 'Dreamy Eyes', 'Princess, Princess', 'Why Do I Love You So' and 'Earth Angel' are all present, many more than once. -- Several of these outtakes have survived in stereo when the released masters did not! -- A special addition is the very rare recording Johnny made with Genevieve in 1958. 'I'm Never Gonna Kiss You' is reissued for the first time on this collection. -- Yes, Bear Family is extremely proud to present this collection of wonderful recordings by Johnny Tillotson who, together with his wife Nancy, has supported the project throughout its development.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第89回)

2011-09-03 08:52:40 | サパ ベトナム 

サパ 03.Aug.2011(下1)


1~2 滝壷に戻ります。途中何か所か河原に下りてみたけれど、蝶の姿は無し。代わりに綺麗なハムシを撮影。





3~4 ベニトトンボ?それにしては鮮やかすぎるような気がするのですが。





5 巨大なカワトンボの1種です。地味な色の割には非常によく目立ちます。



6 山羊一団。いつものオジサンではなく少年が率いていました。



7~8 サパの町からカットカットの滝には2つのルートがあります。僕がいつも通っているのは、車の通る坂道の途中から左に折れて、急な石段を下って直接滝壷に達するコース。もう一つは坂道の車道を最後まで下り、川に沿って滝壷に向かうコース。車道から滝壷までの距離は僅かでほぼ平坦ですから、大抵の観光客は、往路は石段を下り、帰路は(バイクで)坂道を登って行くのです。僕は意地になって、毎回帰路も石段の道を登っているのですが、最後に一度ぐらい川沿いの道も訪ねてみようと、ガキの屯す河原には下りずに、先に進んでみることにしました。滝壷から車道終点までは10分とかかりません。写真は車道終点の橋の袂の小屋です。





9 この子供たちに会うのは初めてだと思う。縄跳びの練習を真剣にやっていました。







12 滝壺に戻る途中の脇道の入り口で、吸水中のカラスアゲハ(クジャクアゲハ)に遭遇。



13~15 辺りを見渡すと、多数の個体が葉上に翅を開いて静止しています。







16~25 路上に吸水集団も。モンキアゲハが一頭混じっています。注:最近、蝶の事にあんまり関わっていないので、同定に自信が
無くなりつつあります。ほんとにモンキアゲハで良かったのだっけ?後翅裏面外縁のオレンジ紋列などはタイワンモンキアゲハのような気がするのだけれど、、、、(でも他のタイワンモンキアゲハの特徴は表れていないので、一応モンキアゲハとしておきます)。ちなみにモンキアゲハとタイワンモンキアゲハは外観は良く似ていますが、(外部生殖器の構造など)基本的構造は大きく異なり、全く別の仲間、どちらか分らないなどと言うのは、恥ずかしい限りです。





















26 奥の木陰の下に、何頭かが固まって吸水しています。



27 。ルリモンアゲハ(手前左)も。



28~29 上:カラスアゲハ(クジャクアゲハ)、下:ルリモンアゲハ。





30 やっぱりモンキアゲハでしょうね(上)。



31~32 ルリモンアゲハ(右)は、昨日紹介したオオクジャクアゲハに似ていますが、緑(青)の紋様の形が異なります。また、前翅の形が、丸味を帯びて広いのも特徴です。両者は外観は似ていても、特に近い類縁関係にあるというわけではなく、オオクジャクアゲハはミヤマカラスアゲハに、ルリモンアゲハはカラスアゲハ(クジャクアゲハ)に、より近縁です。





33~37 何頭もが集まる場所は、一度飛び立つごとに、少しづつ変わって行くようです。水や土の中にアゲハが好む特別な成分が含まれているのでしょうが、見た目には他との違いは判別出来ません。















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第88回)

2011-09-02 10:48:58 | サパ ベトナム 

サパ 03.Aug.2011(中2)


1 そろそろ対岸に戻りましょう。またカメラをビニール袋に納めて、泳いで川を渡ります。



2 毎回ここにナップサックを置いて撮影しているのです。一枚しか持っていない少容量のコンパクトフラッシュメモリが満杯になれば、その都度パソコンに移し替えます。パソコンが満杯になれば外付けハードデスクに、ハードデスクが満杯になれば不要な画像の削除(その過程でたびたび誤って重要なカットまで削除してしまう)。カメラマンにあるまじき貧乏ゆえ、随分と苦労しているのです。



3~4 ナップサックやジャケットに蝶が集まってきます。小さなのはウラフチベニシジミ。





5~8 スミナガシは僕のジャケットが大好きなようです。指に止まらせようとして上手く行かず、その都度飛び去ってしまっても、性懲りもなくまたジャケットに戻ってきます。赤いストローは、この仲間(スミナガシとシロヘリスミナガシ)の特徴です。









9~20 大多数の蝶は、指をさし出すと簡単に乗り移ってくるのですが、スミナガシだけは簡単に行きません。指を嫌がって逃げ回り、結局飛び去ってしまいます。でもすぐにジャケットに戻ってくる。10数回それを繰り返し、やっと指に乗り移ってきたのが、この一連の写真です。努力の結果成功したので、ほかより沢山の写真を載せておきます(笑)。

























21 イチモンジチョウ属(ナカグロミスジ)。



22 シジミタテハ科。



23 シジミチョウ科カラスシジミ亜科。



24~25 ウラフチベニシジミ。





26 シジミチョウ科ヒメシジミ亜科(たぶんタッパンルリシジミ)。



27 ウラギンシジミ属。



28~29 24に同じ。翅表が綺麗です。





30 セセリチョウ科ホシチャバネセセリ属。



31 イチモンジチョウ属。今回は余り出会う事のなかった種です。




32 フタオチョウ属。対岸にいたのと同じ個体?別の個体?



33 シロヘリスミナガシ。スミナガシとは微妙にいる場所や時間帯が異なる。偶然なのか必然の意味があるのか。ツーショットを撮りたいのですが、なかなかチャンスが巡って来ません。



34~36 最初(前回のブログ)に紹介したスミナガシをもう一度。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第87回)

2011-09-01 20:52:09 | サパ ベトナム 

サパ 03.Aug.2011(中1)


あやこさんの許に以前に送ってあった8月4日の原稿が、間違って先にアップされてしまいました。8月3日の分が3~4回残っていたのですが、僕がまだ送信していなかったからです。実は、その前に文章だけの原稿を送ってあって、それがアップされるものとばかり思っていたのだけれど、「こういうのを読むと、またかとうんざり、誰がどう思おうと我が道を行くわけですから、人がどう思うか気にする必要はないでしょう?」と、却下されてしまったのです(笑)。

「好き好んでサパで写真の撮影をしているわけでは有りません。“お金もないのに毎日呑気に山をぶらついていていい気なもの”と思われている方は、今後このブログを読まないで下さい(笑)」としたのが、特にお気に召さなかったみたい。それはそうかも知れませんね。毎回のように、しつこく記述しているわけですから“またか”と思われても仕方ありません。ほかの読者の方からも「青山潤三の“ブランド”を大事にしなさい、くどくどと愚痴を言ったり内情を曝したりしてはいけません」というアドバイスを頂いています。でも、僕自身が考える“僕のブランド(もしそのようなものがあったならばの話ですが)”というのは、全く別のところに有るのです。

以前、僕のコメントとして「今後も好き勝手に書き続けていきます」旨の発言があったのだけれど、これは僕自身のコメントではありません。あやこさんや読者の(おそらく大多数の)方々がそう思われているのかも知れませんが、本人はこれっぽっちもそんなことは思っていない。「誰がどう思おうと我が道を行く」なんて、断じて思っていないのです。

本当に仕方が無くサパに行っているのですよ!(サパは大好きな町ですが、それとこれとは別問題です)。本来なら何もしないで宿舎内に蟄居しておくべきなのでしょうけれど、余りに消極的なのもどうかと思い、この際、手探りで少しでも将来の仕事に結び付く“何か”を模索しなければと、ジタバタしている結果が、このブログ“サパ編”の内情です。

「気楽でいいなあ、俺もそんな生活がしたいなあ」と言う人いたならば、本気で代わってほしいです(ただし月収40万円以上の仕事に限る)。

とまあ、この間も似たような事を書き連ねてきたので、あやこさんが釘をさす気持ちも分かるのですが、自分でブログを読み返してみても、いかにも楽しげに、呑気に毎日を過ごしているように思えてしまいます。これでは本当の姿が伝わらない。しつこい事は承知の上で、何度でも繰り返し、「本人は全然楽しんでなんかいない、苦渋の中での“サパ紀行”を続けているのです」と、声を大にして表明しておきたいのです。

なお、このあいだも記しましたが、紹介写真の枚数が異常に多い(しかもしばしば似たような写真ばかり)のは、単に選択消去作業が面倒な事と、将来作品を纏めるに際しての自分の整理用にこのブログを利用している(そりゃそうです、幾ら“有料です”と告知しても、誰ひとりとして反応がないのだから、自分用に利用したくもなります)側面があるからです。“勿体ない”と言って下さる読者のかたもいらっしゃるのですが、そのような訳なので、御心配なきよう。ことそれに関しては、好き勝手にやっているのかも知れませんね。

ちなみに、現在(2011.9.1)センツェン(≒香港)にて帰国のための待機中。家賃と資料確保の問題は、なんとかクリア出来そうなのだけれど、帰国費用の捻出がまだ出来ていません。もし手間取るようならば、滞在費が安上がりのサパに、再び移動するかも知れません(笑)。

1 渡渉地点へ向かいます。山から竹を運んできた男の子たち。



2~5 いつもと似たようなメンバー。でもスミナガシが主役なのが目を惹きます。引きで撮った後2枚の写真に注目して下さい。シジミタテハ3種がそろい踏み。なかなかこのようなチャンスには出会えないと思います。









6~8 川の対岸の岩陰にチョウが集まっているのが見えます。カラスアゲハの仲間も吸水に来ているようです。川を渡ろうかどうか、しばし迷いました。現地民たちは、飛び石伝いにひょいひょいと渡って行くのですが、足を滑らせてしまう恐れがあります。川に落っこちたって別にどうってことは無いのだけれど、カメラが水を被るとヤバいです。そのため、安全を期して、飛び石伝いではなく、水中に入って足場を確保しつつ渡ります。水深は深く、普段でも腰より上まで水に浸かります。その上流れが速いので、足を取られれば水没してしまう。となれば、やっぱりカメラがヤバい。という事で、ここしばらく渡るのを控えていたのです。







でも、今日は沢山のチョウがいるようではあるし、久しぶりに対岸にも行って見ようと。けれども、水量はいつもに増して多いのです。飛び石の頭も水流に洗われてしまっている。山菜を入れた籠を背負って山から下りてきたオジサンも、浅いポイントを何度も探った挙句、
渡るのを諦めて対岸の山中をトラバースして行きました。

僕は、結局泳いで渡ることに。ビニール袋を何重にも重ねてカメラを収納、それを肩に縛り付けて水泳です。

9~15 まあ似たようなメンバーです。同じ所に居続けている者もあれば、せわしく飛び回っている者もあります。(いつもそうなのだけれど)アオスジタテハは特にせわしなく、あちこちを行ったり来たりしています。
















16~17 このカットに写っている蝶は、タテハチョウ科が主体で、イチモンジチョウ属が4種、チャイロタテハ属、イシガケチョウ属、フタオチョウ属、ヒオドシチョウ属、カバタテハ属が各1種、シジミチョウ科の、フタオシジミ属、アマミウラナミシジミ属が各1種、シジミタテハ科が1種の、計12種です。





18~19 一頭が翅を開いたら、別の一頭が閉じたりして、なかなか足並みが揃いません。





20 リュウキュウイチモンジとナカグロミスジ(共にイチモンジチョウ属)。



21 タイワンイチモンジとリュウキュウイチモンジ。



22 左から、カバタテハ属、チャイロタテハ属、フタオチョウ属、イシガケチョウ属(2頭)、ヒオドシチョウ属(ルリタテハ)。



23~24 フタオチョウ属ほか。





25 カラスアゲハの仲間のオオクジャクアゲハ。タテハチョウ達の集まっている場所から離れて、一頭だけで吸水中。



26~27 飛び立っても、しばらく付近を旋回したのち、再び同じ場所に戻ってきます。後翅表の特徴的な形の青紋は、飛翔時にだけはっきりと現れます。





28 それでも止まった直後には、前翅で隠された後翅の両隅に、ちょこっと青紋が覗いています。



29~30 すぐに外側の青紋は隠されてしまい、内側の青紋だけがかろうじて見えます。





31 やがて青紋は完全に隠されてしまう。でも、前翅の緑の色彩だけでも、結構美麗です。



32 しばらくすると、水平に開いていた翅を、閉じにかかります。



33 そして、完全に閉じてしまいます。この一連の動作は、アゲハチョウ科の多くの種に共通していて、他の科の蝶とは異なるような気がします。あえて言えば、いわゆる“蛾”の中の一部グループと共通するように思えるのですが。



34~35 オオクジャクアゲハの吸水場所の近くの岩上には、ほかのタテハの吸水集団には加わっていなかった、キミスジ属(ヒオドシチョウ族)の種が、何頭も吸水していました。





36 その近くにいたシジミタテハ属の一種。今回は余り目にしなかったのですけれど、大抵の季節、この辺りで最も普通に見ることのできる蝶のひとつです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする