青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

「You're The Reason あんたのせいで眠れんかったわ」

2020-03-31 20:53:12 | アメリカン・ポップスearly60’s


ElvisとBetlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代
「You're The Reason あんたのせいで眠れんかったわ」

ジョニー・ティロットソンがらみの、様々なアーティストの曲の紹介としては、「涙ながらに」&「夢の枕を」50曲
連発、を準備していたのだけれど、HDDが壊れてしまい(その修理費が捻出できなくて)取り出せなくなってしまいました。他にも「ジュディ・ジュディ・ジュディ」と「キューティ・パイ」、「ホワイ・ドゥ・アイ・ラブ・ユー・ソウ」と「ポエトリー・イン・モーション」、「トレンブリン・キッス」と「涙くんさよなら」、、、、、題材は無数にあるのですが、どれも「大作」になってしまいます。コンパクトに纏められそうなのが、アメリカでのほぼ最後のメジャー・ヒットとなった「ユアー・ザ・リーゾン」(邦題は僕が勝手につけた)。

そのオリジナルとカバー・ヴァージョン12組を、寝る前に毎日のように聞いているので、それを紹介することにしました。

コロナの話が長くなって、なかなか仕上がらない。その話のなかで、「穴埋め用に先に書く」と宣言したのだけれど、その後「やっぱりやめておく」と訂正したのを、再訂正して、やっぱり穴埋めアップすることにしました。あくまで穴埋めなんで、出来る限り簡単に、と自分に言い聞かせて。説明は一切せずに、曲だけを並べるのも有りかなと思ったのですが、やっぱり少しは解説・感想を入れたい、ということで、何度も何度も「長くならないようにここは抑えて」と言い聞かせながら書きました。

Bobby Edwrds 1926~2012

1961年 Pop 11位/C&W 4位
オリジナルです。60年台初期としては数少ない、ポップとカントリーのクロスオーバー大ヒット曲です。いかつい顔に似合わぬ、結構ソフトな声で歌います。ボビー・エドワーズは、ほぼ一発屋ですね。この曲のほかに、62年と63年にポップスとカントリーで各1曲(71位/23位)チャートヒットがあるだけです。でも「あんたのおかげで眠れへんかったわい」は、ポップとカントリーのエヴァーグリーンとして、燦然と輝いています。
ちなみに、やはり自作のB面曲「I'm A Fool For Lovin' You」もユーチュブにアップされていますが、こちらもなかなか楽しい佳曲です。以下、チャートヒット5曲を含むカバーバージョン12曲を紹介していきますが、歌詞の違いを始めとする説明や感想は、このバージョンを元にして行います。「キャント」ではなく「ドント」。「トュルトュル」が入る。最初の2小節は「眠れない理由」を自分で歌い、後半はコーラスで羅列します(「廊下を歩く」「ブルーになる」「タバコを吸う」「コーヒーを飲む」「ギターを爪弾く」「月を眺める」)。「僕と付き合って!」の「ミー」のところで声が裏返ります。「ギターを爪弾く」あとは「愛してる」と言います。特にシャウトはしません。終盤でテンポは変わりません。最後に「あんたのせいで~」の繰り返しと「眠れんかったぜ」が入ります。

Hank Locklin 1918~2009

1961年 Pop 107位/C&W 14位
ベテラン大物歌手が同時に別ヴァージョンをぶつけてきました。ハンク・ロックリンに関してはこれまでに何度も紹介しているので説明はパス。ジョニー・ティロットソンがらみでは、言うまでもなく「夢の枕を」のオリジネーターで、「涙ながらに」も歌ってくれています。「Happy Barthday To Me」(C&W 7位)との両面ヒット。曲調はオリジナルとほぼ一緒(声はよりソフト)で、「トュルトュル」入り(全バージョン中最も明確)のコーラスと交互に歌われます。ただし、「眠れない理由」は自分では歌わず出だしを含めて全部コーラスで(言葉の順序が最後の辺りで少し異なります)。「ハニー」と「ベビー」入り。「ミー」のところで特に声は裏返りません。最後の「あんたのせいで」「眠れんかったわ」はありません。

Joe South 1940~2012

1961年 Pop 87位/C&W 16位
作者の一人のボビー・エドワース、大物ベテラン歌手のハンク・ロックリン、そして無名の新人ジョー・サウスの3者競作となり、その3バージョンが同時にヒットしました。ジョー・サウスは8年後に自作の「ゲームス・ピープル・プレイ」(69年Pop 12位)で大ブレークしますが、それがなければ、この曲だけの一発屋で終わるところでした。最終的には、この2曲を含めて71年までに7曲のポップ・チャート・ヒット(うち3曲がC&Wとクロス・オーバー)があります。ビリー・ジョー・ロイヤルの「ダウン・イン・ザ・ブーンドックス」や、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」の作者としても知られています。3つの初期ヒット・ヴァージョン歌手のうち、年齢では断然若いのですが、歌声はベテラン2人より大人っぽく聞こえます。声のトーンを大胆に何度も変えるなど、60年前の曲とは思えないほどの斬新なイメージです。「トュルトュル」入りの軽快な女性コーラスあり。眠れない理由の羅列は冒頭と中盤&終盤のコーラスのほか自分でも歌います。最後の「あんたのせいで」は何度も繰り返されますが、「眠れんかった」はありません。

Gerry and the Pacemakers(Gerry Marsden 1942~)

1965年 Pop 117位/B-side of “Give All Your Love To Me : U.K. 68位”
一般的には、61年の3競作と、67-8年にカントリーにチャートインしたジョニー・ティロットソン盤の4つ
がヒット・バージョンとされているようですが、正確にはあと3つのヒット・バージョンが存在します。80~90年代にカントリー・チャートで80~90位台を記録した2曲と、初出3曲とジョニー盤に挟まれた65年にポップ・チャート117位を記録した、ジェリー&ペイスメイカー盤です。この曲だけが、他の各曲とは全然印象が異なります。上記ヒット4バージョンをはじめ、紹介した全ての曲が、多かれ少なかれカントリー・ティストに満ち溢れてるのに対し、この曲にはそれが全くない。それも道理、ビートルズらとともに世界を旋圧したブリティッシュ・ロックの一組です。シャウトしています。その場違いともいえる彼らが、なんでこの曲を取り上げたかというと、当時ブリティッシュロックの連中にとって教祖的な一人と位置づけられていた、アーサー・アレクサンダーが先行カバーしていたからですね。グループであるにも関わらず、(合いの手を除いて)コーラスなしで、全パートをジェリー一人で歌います。「あんたのせいで」「眠れんかった」付き。

Narvel Felts 1938~

1982年 C&W 82位
ネーヴェル・フェルツは、カントリー界ではかなりの大物です。70~80年代に多くのカントリー・チャート・ヒットを持ち、80年代にはカントリーとのクロス・オーバー・ポップ・ヒットが3曲(「ユアー・ザ・リーズン」の片面でプラターズのカバー「煙が目に染みる」も84位にチャートイン、81年にはチャック・ベリーのカバー「ロール・オーバー・ベートーベン」64位)あります。ポップヒットはそれだけと思ってたのですが、20年以上遡った1960年に、あのドリフターズ(クライド・マクファクター時代)の、、、というよりも日本ではフォー・シーズンで63年にシングルカットされた「ハニー・ラブ」が、ポップの90位にチャートインしています。元・ロックン・ローラーのカントリー歌手の一人なのです。「ユアー・ザ・リーズン」の全体のコード進行は、ジョニー・ティロットソン盤とほぼ同様ですが、声も伴奏も極めて重厚です。コーラスはほとんどありませんが、ごくごく軽く「トュルトュル」が入ります。「ミー」の部分の声が裏返ります。カントリー音楽に付き物の楽器群も目立ちます。「あんたのせいで」あり。「眠れんかった」は最後にかすかに(はっきりしない発音で)聞こえます。

Johnny Burnett 1934~1964

1962年 from an Album
ポップ・ファンにはお馴染みの歌手。60年代初頭に「ドゥリーミン’(60年Pop 11位)」と「ユー・アー・シックスティーン(61年Pop 8位)」の二大ヒットがあります。共に自作曲で、後者は後にリンゴ・スターがカバーして、No.1ヒットになっています。ヒット曲としては、他に61年にPopのトップ20にチャートインした2曲を
含む3曲と、62年の100位以下の3曲があるだけで、64年にボートの事故で無くなってしまいます。なぜか日本では(本国でも?)50年代後半のロックン・ロール・グループ「ジョニー・バーネット・トリオ」としての評価が絶大で、リアルタイムで実績を残した、ティーン・ポップ&ポップ・カントリー・シンガーとしての評価が見過ごされる傾向があるのは、残念です。「ユアー・ザ・リーズン」は61年末に録音、62年初めにリリースされたアルバム収録曲。ポップとカントリーの両ティストが程よく融合、ジョー・サウス・バージョンをややマイルドにしたような仕上がりで、紹介した全バージョン中、最も平均的な印象です。全フレーズを自分で歌いますが、女性コーラスも上手く重なっています。「トュルトュル」あり。「あんたのせいで」「眠れんかった」付き。

Arthur Alexander 1940~1993

1962年 from an Album
唯一の黒人シンガー歌唱盤。ジェリー&ペイスメイカーズ盤の原型となっていると思われます。本人のヒット曲としては、いずれも自作曲で、61年の「ユー・ベター・ムーブ・オン」(Pop24位)を含む3曲があるだけですが、そのうちの2曲(「ユー・ベター・ムーブ・オン」と、62年Pop68位/R&B11位の「アンナ」)が、それぞれ人気爆発時のローリング・ストーンズとビートルズにカバーされたこともあって、ブリティッシュ・ロックの教祖的存在に祭り上げられています。「ユー・ベター・ムーブ・オン」は、ホリーズ盤も秀逸で、僕はリアルタイムで大好きでした。しかし、アーサー・アレクサンダーは、この「ユアー・ザ・リーズン」でもわかるように、カントリー・ソウル歌手としての一面も持っています。メジャーな歌手でも、ブルック・ベントン、ソロモン・バーク、あるいはレイ・チャールスやサム・クックもそうだと思うのですが、「ソウル」要素が持て囃される反面、カントリー的な要素が忘れられているのが寂しい気がします。女性コーラスが美しく(軽く「トゥルトュル」も入る)、  シャウトはしますが、ペイスメーカーズ盤ほどではありません。「あんたのせいで」「眠れんかった」付き。

John Fogerty 1945~ (& The Blue Ridge Rangers)

1973年 from an Album
「ロック」ということでは、ビートルズやローリング・ストーンズに対抗しうる、アメリカの超メジャー・バンドが、CCR(クリーデンス・クリア・ウオーター・リバイバル)です。No1ヒットがなく、No.2ヒット5曲(No.2はNo.1よりずっと希少)、ゴールド・ディスク10枚。実質、リーダーのジョン・フォガティのバンドで、グループを解散してからもソロで活動しています。ほぼカントリーの分野に属するといってよいでしょう。良くも悪くも単純明快で、ローリング・ストーンズ誌辺りの価値基準では、実績の割には正統な評価が為されていないように思われます。この曲も、思いっきりカントリー調のバック演奏と、訛りのある発音で、今回紹介した中で最もカントリーっぽい雰囲気を醸し出しています。ここまでのバージョンが全て“I don't sleep at night”だったのが、彼のバージョンでは、(最初のフレーズだけdon'tで)“I can't~”に替わっています。全曲ソロで、コーラスは全くなし。「ミー」の部分の声が裏返ります。“ハニー”が何度も繰り返し入ります。「ギターを爪弾く」のあとの語が良く聞き取れません。「あんたのせいで」「眠れんかった」はありません。

Hank Williams Ⅲ 1972~

1999年 from an Album
最初から、全部can'tです。don'tとcan'tじゃ、どう違うのか、誰か英語に詳しい人教えてください。1972年生まれということは、ハンク・ウイリアムスの没年(1953年)から20年近く後ということで、もちろんおじいちゃんの歌声には生で接していないわけですが、この曲を聴く限り、むしろお父さんのJr.より、おじいちゃんに近い雰囲気が感じ取れます。ジョニー・ティロットソンがらみで言えば、おじいちゃんはジョニーが崇拝する人、お父ちゃんはジョニーのMGMレコードの同僚(年齢キャリアでは後輩)ということになります。この曲は、全体にフォーガティ盤に準じ、カントリー楽器の駆使や訛りもよく似ています。(親とじいちゃんの14光を避けたいがためか)カントリー歌手としてではなく、敢えて「ヘビメタ」「パンクロック」の分野を名乗っていますが、意外なことに非常に素直な歌唱で好感が持てます。「キープ・ミー」の「ミー」は少し裏返るだけですが、最後の「ユアーザ・リーズン」の「リーズン」が思いっきり裏返ります。「ギターを爪弾く」の後の語はフォガティ盤と同じ。「ハニー」が何度か入ります。「あんたのせいで」「眠れんかった」はありません。 

Conway Twitty 1933~1990 and Loretta Lynn1932~

1976年 from an Album
実質、ナンバー・ワン・カントリー男性歌手(No.1ヒット曲40曲!)コンウエイ・トゥエッテイと、ナンバー・ワン・カントリー女性歌手(No.1ヒット曲18曲)ロレッタ・リンの、最強のC&Wデユエットです。コンウエイは、ポップス・ファンには、50年代末の「思わせぶり」のポップNo.1ヒットを始め、「ロンリー・ブルー・ボーイ」などロッカ・バラード歌手としての印象のほうが強いかも知れません。ジョニーの「涙ながら」にも歌ってくれています。ちなみにロレッタ・リンは、コンウエイ・トウッテイと組む前に、大ベテラン歌手のアーネスト・タブと組んでいて、2人のラスト・ディオ・ヒットの「フーズ・ゴナ・テイク・ガルべージ・アウト」は、ウィルボーン・ブラザースのテリー・ウイルボーンと、ジョニー・ティロットソンの共作です。僕の知る限り女性メジャー歌手歌唱の「ユアー・ザ・リーゾン」はこれだけ。軽快で太い声のコンウエイのソロのパートのあと、ロレッタのソロパートに移り、やがて2人のエットでハモります。軽快な男性コーラスとカントリー楽器群(特にピアノ)が加わり、素朴で楽し気な雰囲気を醸し出しています。「あんたのせいで」を二人で繰り返し、「眠れんかった」はありません。

Slim Whitman 1923~2013

1964年 from an Album
スリム・ホイットマンは、日本でも「北風」の日本独自ヒットで、名前は知られていると思います。ちなみに「北風」は後に、黒人カントリー歌手(コンウエイ・トウッティやマール・ハガードらと並ぶナンバー・ワン・シンガー)チャーリー・プライドが日本語で歌っています(リンゴ・スターの「リンゴ擦った」やハリソン・フォードの「梁り扇」同様、バブル期の日本の恥知らず文化の置き土産)。カントリー・ヨーデルの第一人者です。ジョニーより一回り以上年上ですが、ジョニーを評価してくれているようで、64年にリリースした「シティ・ヒッツ」というアルバムのA面1曲目に「涙ながらに」を取り上げています。続く2曲目が「ユアー・ザ・リーズン」で、CDのライナー・ノーツには「(61年のオリジン3人に続いて)後にやはりジョニー・ティロットソンでもヒットした」と記されています。しかし、ホイットマン盤は64年のリリースですから、「ユアー・ザ・リーズン」に関しては、こちらの方が先行リリースです。透き通った声のソロ歌唱(軽く男性コーラスが重なる)で、曲の構成は異なりますが、全体の雰囲気はティロットソン盤と共通します。他のバージョンと歌詞が少し異なり、途中でキスしたり(むろん妄想です)します。「あんたのせいで」「眠れんかった」はありません。

Johnny Tillotson 1938~

1967-1968年 C&W 48位/Canadian Country 24位
ポップスのほうでは、65年12月の最後の週がホット100チャートヒットの最後となってしまいましたが、丸2年置いて、カントリーのほうのチャートに久しぶりに(62年の「夢の枕を」以来)登場します。10週間チャートインし、67年の最終週と68年の最初の週に48位にランクされています。This is ジョニー・ティロットソンとでも言うべき、明るく楽しい失恋(片思い?)ソングです。MGMリリースのベスト盤に、ケイデンス時代のリメイク曲を含めたヒット曲群とともに、アルバムの目玉として納められています。なぜか日本では、シングルもアルバムもリリースされていません(こういったひたすら明るいカントリー・ナンバーは、余り日本人好みではないようです)。ブラスバンドとストリングスが入ります。ソロ歌唱ですが、コーラス(アニタ・カー・シンガース?)とピアノ(フロイド・クレーマー?)を伴った、いつものスタイルです。終盤、半オクターブ?ほど調子を上げて、軽快に「眠れん理由」を並べていくところが素敵です。「あんたのせいで」「眠れんかった」はありません。

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ネーベル・フェルツを調べていたら、80年代のカントリーとのクロス・オーバー・ポップ・ヒットが3曲(「ユアー・ザ・リーズン」の片面「煙が目に染みる」も84位にチャートイン、81年には「ロール・オーバー・ベートーベン」64位)あります。それだけと思ってたのですが、20年以上遡って、1960年に、あのドリフターズ(クライド・マクファクター時代)の、、、というよりもフォー・シーズンで63年にシングルカットされた「ハニー・ラブ」が、ポップの90位にチャートインしています(70年代に入るまでは「一発ヒット屋」の一員だったわけです)。とても素敵なので、追加しておきます。
Narvel Felts

「Honey Love」 1960年 Pop 90位

寝る前に聞いてる曲を2曲追加紹介。詳しい説明はあとで。

Ester Phillips 1935~1984

「Releas Me」 1962年 Pop 8位/R&B 1位

Sammi Smith 1943~2005

「Send Me The Pillow That You Dream On」 1973年 from an Album









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続・「新型コロナウイルス」問題は、実は“存在しない”

2020-03-25 22:08:50 | 新型ウイルス


青山潤三日記 2020.3.25 今日のコロナ



数字的な裏付け(整合性)が取れれば、地球規模の「壮大な(敢えて言います)カラクリ」を見破ることが出来るのではないか、と思っています。

ちなみに、例えば「癌」という病気は、見つけて“強引に”退治(排除)しようとするから大事に至るのであって、、、、知らないで放っておいても治るときは治るかと(むろんダメなときはダメ)、、、。

そのような指摘は、何人かのお医者さんもしてると思うのですが、それは公には広まらない、、、、一種の「自主規制タブー」なんですね。

さて、「現代ビジネス」は、最近は結構「反社会的」(注:大衆に迎合しない、という意味)記事が多く、頼もしく思ってるのですが、さきほど究極の「迎合記事」が出ました。

失踪した中国人研究者の「消されたコロナ論文」衝撃の全訳を公開する

これは、さぞかし受けるでしょうね。

いろいろな(互いに異なった)見解を載せる「現代ビジネス」の姿勢は、非常に良いことだと思います。

その前提で、、、、、?????がいっぱいで、一体どう考えれば良いのでしょうか?

>自治体の報告と31人の住民および28人の訪問者の証言によると、コウモリは食料源だったことはなく、市場で取引されてもいなかった。

この記述には、ビックリしました。野生コウモリは、湖北省でも広東省でも、普通に売られていて、普通に食用になっています。この論文を書かれた方も、当然そのことは知っているでしょうから、なぜ敢えてこのような記述を行ったのか、その辺りに興味があります。

>コウモリは通常、洞窟や森に生息しているものだ。だが、海鮮市場は人口1500万人の大都市である武漢の住宅密集地区にある。コウモリが市場まで飛んでくる可能性も非常に低い。

これも変ですね。武漢などの大都市の中心部でも、何種類ものコウモリが飛び交っています。書かれた方が、そのことを知らないわけがないし、、、、。

穿った見方をすれば、このような「報道」が、あえて為されている状況にあることが、今回の「新型コロナ問題」の中心にあるように思うのですが。

僕は、この記事の執筆者に対しても、掲載した編集部に対しても、まったく非難をする気持ちはありません。何度も言うように、報道には「いろいろとある」ことが大事だと思うので。

でも、中国人の大半の人たちは、この記事を読んで「なんか変?」と思うことでしょうね。

日本人の執筆者は単に仲介者ですから、原稿料が貰えればいいわけで、特に意図することはないのだと思います。

ただし、オリジナルの出どころに於いては、「確信犯」的な意図が背景にあるようにも感じます(「記事」や「記者」が消えたのは、用事が済んだので姿を隠しただけでしょう)。

香港デモの際に、海外の記者たちの前で、「警察よ、どうか私を殺さないでくれ!」とパフォーマンスを行ってた人と、同じなんだと思います。

むろん、醒めた目で見る人も中にはいるでしょうが、大多数の「大衆」に対しては、絶大なアピールをし得たはずです。

メディアが(結果として)世界を動かしているのだということを、関係者の方々には、肝に銘じておいてほしいです。





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「新型コロナウイルス問題」は、実は"存在しない”」

2020-03-24 22:08:14 | 新型ウイルス


2020.3.24 青山潤三日記

コロナ。これを言っちゃお終いだけれど、「なんか変だ」、、、みんな、そう思っているでしょう?

パンドラの箱、開けちゃったんじゃないかと。

例えば「クラスター」という、僕には意味が良く理解できない胡散臭い単語が蔓延ってますが、なんか、壮大な(意図的か否かはともかく)「誤魔化し劇場」が仕掛けられているみたいに感じます。

といった発言をすると、世の中には信じられないほどの単純思考の人間が余りに多いようですから、彼らのステレオタイプ的な解釈でポジションを決めつけられてしまうのが、ちょっと怖いです。

例えば、「現代ビジネス」の記事に関しては、「この人は中国の手先、膨大な報酬を貰ってるはず」とかの意見もあります(どうすればそこまで短絡的な思考が出来るのでしょうか、、、もっとも、そんなことが可能なら、やってみたいですけれどね、笑)。一方、今回のような発言をすれば、「日本政府への忖度」とか言われかねません。

もちろん、個別の様々な懸念すべき問題はあるわけですから、それらを否定はしません(医療従事者の感染問題とか、米中の陰謀説とか)。でも、それらのことは、一度切り離して考えるべき別問題でしょう。

それはともかくとして、新型ウイルス感染による死亡者数/死亡者の中の新型ウイルス感染者。
これは、「イコール」の図式では測れない(次元が異なる)のではないか、ということ。

僕は、日本帰国以降、猛烈な吐き気と頭痛が収まらず、連日医者通いです。といって、医師との間に、コロナの話題は微塵も出ません。それが「正常」な状況なのだと思います。

中国でも、イタリアでも、昨年中から感染者がいた、という話題がちらほら出始めていますね。そりゃそうでしょう。僕なんて、33年間中国にいて、数えきれないほどの「未知のウイルス」に感染している、と思ってますので。

ざっくり計算して、数か月に一度くらいの割合でしょうか、1~2週間ほど、原因不明の腹痛とか眩暈とかが続きます。そんなとき、中国の知人や医者は、「それはウイルスに感染してるね、しばらく静養して、体力を付けて、切り抜けなさい」と、笑って言います。

今なら、“それは危機感がなさすぎる、「非科学的」な対処の仕方だ”、と言われてしまうでしょうね。

「科学的」な解決がすべてだとしたら、じゃあ、実際にどう対応するべきなのか? 人々は、人類に於ける「科学」の在り方を、過信しすぎているように思えます。

結局のところ、「感染防御」に関しては、「無視する」(あえて感染を見つけない)か、「徹底する」(完璧に排除する)か、どちらかじゃないでしょうかね。

たぶん既に皆感染している(あるいは早晩感染する)んじゃないかと。

この流れは、「老人問題」「優勢思想」そして(根源的な部分での)「報道の在り方」に繋がっていくと思います。

そこにあるのは、「空気」への「同調」と、「排除」の問題。

そして「表現の自由」のまやかし。




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現代ビジネス最新記事

2020-03-22 20:30:07 | 「現代ビジネス」オリジナル記事


そもそもなぜ中国・武漢は「新型コロナの発生地」になったのか?




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