青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代  2012.12.16

2012-12-16 09:03:55 | アメリカン・ポップスearly60’s


雲南昆明在住の40歳下の彼女(37歳下の千明さんで懲りたので、もう一人の彼女44歳下の“テンテン”ともども手は出していませんよ!)モニカのほか、やはり昆明の大学に通う28歳のニュージーランド人青年(日本とレバノンの血が入っている)ルイスに手伝ってもらって、今後、中国がらみの題材については、中国(あるいは台湾)のメディアを拠点に活動を行おうと考えています。

そのルイスと話していた時に、驚愕の事実が明かされました。彼はビートルズのファンで、ことにジョージ・ハリソンの大ファンとか。もちろん、ローリング・ストーンズやビーチ・ボーイズにも理解があって、話が弾みます。今の日本の若い世代には「ビーチ・ボーイズを知らない」という人も多く、その都度ガッカリしているのですが、リアルタイム(60年代当時)ではビートルズの人気が突出し、かつビーチ・ボーイズの人気が徹底的になかった日本のことですから、それも仕方がない、と自分を慰めています。

でも、、、、なんと、旧大英帝国の一員ニュージーランド人のルイスが、“クリフ・リチャードを知らない!!!(名前も聞いたことがない!)”。そんなことってあるのでしょうか? 信じられない!! もっとも、今の日本の若者が、日本の国民的歌手「美空ひばり」を知らなくても不思議ではないような気もするので、、、、イギリスの国民的歌手「クリフ・リチャード」を知らないことも有り得るのかも知れませんが。

クリフ・リチャードCliff Richard のリアルタイム(60年代)のライバルに、ビリー・ヒューリーBilly Furyがいます。もちろん、クリフを知らない人が居る時代ですから、今の日本人の99.9パーセントは彼の名は知らないでしょう(もっともリアルタイムでも日本では全く無名だったので、ブリティッシュロック興隆の嚆矢の一人として再評価されている今のほうが日本では知名度があるかも)。僕は、当時日本キングレコードから出ていた彼のシングル盤を、ジョニーのそれと共に買い集めていたものです。

アメリカに於けるジョニー・ティロットソンと、イギリスに於けるビリー・ヒューリーの実績は、見事に重なります。ジョニー(1939年4月20日生まれ)のビルボード・チャートが1958年から1965年までに26曲、ビリー(1940年4月17日生まれ)のメロディーメーカー・チャートが1959年から1966年までに26曲、最高位2位、次いで3位、、、、と、ピタリ一致します(ジョニーはその後84年までにカントリーの小ヒット4曲、ビリーは没年の83年とその前年に58~59位の小ヒット3曲)。

リアルタイムでのクリフのライバルとしては、もう一人、アダム・フェイスAdam Faithがいます。彼もビリーと同じ(クリフも)1940年生まれ。実績も全く拮抗していて、イギリスのチャートはやはり1959年から1966年まで、2曲少ない24曲も、1曲目と2曲目がナンバーワンに。

前にも同じ事を書きましたが、たまにYou-tubeに素晴らしい画像が紹介されることがあります。Johnnyのリアルタイムの動画像は他の同時代歌手に比べて極端に少なく、もともと残っている画像が少ないのかも知れないけれど、本人が出し惜しみしている、という疑惑も少なからずあります。この間も、びっくりするようなインタビュー画像が突然現れたのですが、すぐに消されてしまいました。

それはともかく、今回you-tubeの検索をかけたら、季節柄興味あるオムニバスメドレーが見つかりました。
「Merry Christmas – Feliz Navidad Christmas Oldies」 Montse Antares    

メンバーのラインアップが素晴らしい!

まず、4シーズンスFour Seasonsから始まることになっていますが、なぜかこれは入っていない。最初に、ジョニー・バーネットJohnnyBurnette(1934年生まれ、64年ボート事故で死去、60年に「You are 16」「Dreaming」の2大ヒットあり)による「挨拶」が短く入ります。次いで、ダーレン・ラブDarlene Love(1938年生まれの黒人女性歌手、言わずと知れたフィル・スペクター組の中心人物で、自身名義のヒット曲は僅かですが、幾多の有名曲の実質ヴォーカルを担当していたり、バックコーラスのリードを取っていたりと、コニーやブレンダと並び、ポップス黄金期を代表する女性歌手)の「Christmas, Baby Please Come Home」。

続いて、同じ「ラブ」でもマイク・ラブMike Loveのリードボーカルによる、ビーチ・ボーイズBeach Boysの超有名クリスマスソング「リトル・セイント・ニックLittle Saint Nick」。マイクとブライアン・ウイルソンBrian Wilsonの作品で、1963年と64年のクリスマスシーズンにベスト3にチャートされていました。最初にリアルタイムで聞いたときの興奮は今もって忘れられません。でも、これほどの有名曲になるとは思わなかった。クリスマスソングのエッセンス満載、かつ録音の素晴らしさが抜群で、これがほぼ50年前のレコーディングであるとは、とても信じ難いほどの斬新さです。

“録音状態の良さ”ということでは定評のあるジョニー・ティロットソンJohnny Tillotson で、「Christmas Is The Best Of All」(自作曲)が続きます(ビーチ・ボーイズの後とは光栄極まりない)。しかし、このオムニバス収録トラックは、音の盛り上がりが他の曲と比べて平坦、もう少し声を強めにミキシングしてほしかった。

この後、アダム・フェイスの「Lonely Pub, In A Christmas Shop」、ボビー・ヴィントンBobby Vinton(1935年生まれ、経歴実績は省略、実質上1960年代のナンバーワン男性歌手)の「The Bell That Couldn’t Jingle」と、ジョニーの曲を含め、(たぶんオリジナルの)余り知られていない曲が続きます。

ディオンDion De Mucii(1939年生まれ、経歴実績は省略)の「ママがサンタにキッスした」。全盛期(58年~64年)よりずっと後年の録音ですが、いやもう圧倒的にパワフルですね。このオムニバス中の一押しの曲です。

最後が、ビリー・ヒューリーの「My Christmas Prayer」。最近、何かのブログで、「ビリーはエルヴィスのイミテーターの最高峰、完璧!」と褒め称えるコメントを見かけましたが、確かにその通り。でも当時は「メイビー・トゥモロー」「アイ・ウィル」「ハーフウエイ・トゥ・パラダイス」など、典型的な“ティーンポップスシンガー”として、アメリカのジョニーと並ぶ僕のフェブリットシンガーだったのです。ちなみに、同時期にアメリカでは、「アイ・ウィルI Will」はヴィック・ダナVic Dana盤で(後にディーン・マーチンDean Martin盤でも)、「ハーフウエイ・トゥ・パラダイスHalfway To Paradise 」はトニー・オーランドTony Orland盤で(後にボビー・ヴィントン盤でも)、それぞれヒットしています。

そのヴィック・ダナ(1942年生まれ、「ブルーレディに紅バラを」など)について。以前に、ヴィック・ダナのことを、「ボビー・ヴィントンのミニチュア版、ヴィントンから“個性を抜き取った”のがダナ」と記しました。7歳年上のヴィントン62年夏の初ヒットの半年前、61年の暮れに、クリスマスソングの「リトル・アルター・ボーイLittle Alter Boy」(Hot100第45位)でデビューを飾ります。前にも触れたように、新人の、クリスマスソングの、それも実に地味な曲が、よくぞまあポップチャート45位というポジションを確保し得たものです。この後「I Will」47位(アダルト12位)、「Danger」96位、「モアーMore」42位(アダルト10位)、「シャングリラShangli-La」27位(アダルト8位)と、爆発的ではなくとも、コンスタントにヒット曲が続きます。

「リトル・アルター・ボーイ」のリアルタイム映像があります。若々しく瑞々しく、そして謙虚なステージ。このストレートさが、彼の“個性”ですね。この曲の意外なヒットの理由が、分かるような気がします。


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朝と夜の狭間で~My Sentimental Journey   2012.12.15

2012-12-15 10:55:42 | 雑記 報告

  

次回からは僕自身の手で更新していく、と宣言していたのですが、なかなかその(やり方を勉強する)チャンスがありません。そこで、今年最後のアップを、あや子さんの手を煩わせて行うことにしました。それとともに、幾人かの方から指摘のあった、個人的な遣り取りに関する部分を、あや子さんの判断で整理削除してもらいました。来年こそは、自分自身の手でブログの更新が出来るよう、努力をいたします。ということで、もう一度(今日と明日)だけ、あや子さんの手をお借りして、2012年最後のブログを更新することにします。

選挙ですね。僕は早々と投票を済ませて来ました。駅前に不在者投票所があり、当日に指定の投票所に行くよりも便利なため、どうやら皆そこで投票しちゃってるのですね(笑)。それでも僕が真面目に投票に行くのは、前回の都知事戦に次いで2回目です。都知事は、前回同様ドクター(前回は泡沫候補扱いだったのが今回は主要立候補者の一員として処遇されているようです)。衆議院のほうは小沢さんのところに。

さっき、街を歩いていたら、維新と未来の街頭演説カーが相次いで通っていきました。「市民のための政を」。どうも、全ての政党が、バカの一つ覚えのように同じ事を言っている。労力の無駄遣いではないかと思うのですが、、、。もっとはっきりと意見を訴えなくては。維新と未来は、“立ち位置”は、ほぼ同じなのだと思う。背中合わせに立っていて、向いている方向が違っている、そんな気がします。方向というのは、内と外。内は維新のほか、自民公民、それから民主も本来は“外向き”なんでしょうが、野田さんは“内”ですね。このあいだの新聞で、野田さんが「日本は島国、失敗出来ない」とか言っているのを読みましたが、まさに日本人の典型的志向、僕の志向の対極に位置しています。

石原橋下も、僕とは考えの基盤が正反対なんですけれど、“暴走”というところが好ましいですね。その“普通ではない”所が、嫌いではありません。そこへ行くと、安倍野田は、普通さ(庶民にとっての集団保身に繋がる“安全さ”?)を売りに市民の共感を得るという、一番嫌なタイプ。

未来大地は、外向きだと思います。もちろん究極の外向きは、共産社民であって、未来の立ち位置は全く異なりますが、何か漠然とだけれど、似た方向を見つめているように感じます。宗男に鳩山さん(邦夫ではなく由起夫)。「友愛」いいじゃあないですか!

どこの政党にしろ「原発必要」と言い切ってしまえば、“空気”から外れてしまう。自民にしろ維新にしろ、(「不要」という建前と「必要」という本音をミックスして)曖昧に表現しているわけで、共産社民未来の「絶対不要」とは根本的に異なるにも関わらず、市民の意識には同じように映ってしまうのです。

「原発不要」の理由は、もちろんその危険性にあります。でも、それ以前に大きな問題があります。なぜそのことを強くアピールしないのか、と歯がゆく思うのですが、それ(以下に記す意見)を言ってしまうと、一般市民の共感を得られなくなってしまう。

自民は「不要」とは言い切らない。そして「不要かも知れないが無くなると困る」と。無くなって困る筆頭は「恩恵を受けている企業や政治家」でしょうが、それを言わずに「一般市民の生活」が困る、と強調します。僕に言わせれば、一般市民も大企業や政治家も、等しく恩恵を受けているのです。

先日、電気代を支払いに行ったら、溜まっていた3ヶ月分の計3500円を一度に支払わされました。3500円は僕にとって大痛手、14日の年金受領日までのほぼ全財産です(それまで100円バーガー一個でやり過ごさねばならない)。でも、多くの人にとって、月1000円余の電気使用量というのは、トンでもなく安い料金なのだそうですね。月の電気代が万単位かかる、それが普通だと言うのですが、僕には信じられない。まあ、暖房や暖房を入れたり、テレビを見たりしているとそれぐらいかかるのでしょうが、なんと贅沢な、と思ってしまいます。一般家庭でも、暖房だの冷房だの、その他なんだかんだと電力を使いすぎ。本来、原子力発電なんてなくとも、充分に生活できるはずです(安倍さんたちや、彼らに投票する国民の多くの人たちには出来ないのでしょうが)。

「内」「外」と言いましたが、表現を変えると、「自分たち(家族、仲間、国民など)の幸せを願う」のか、「皆(枠外に置かれた人々を含む不特定多数の人々)の幸せを願う」のか、と言うことでしょう。どちらが正しいのかは分からない。冷静に考えれば、後者の実現は不可能なような気がします。でも僕は、「枠内」に拘泥(それが無意識的であっても、いや、無意識的だからこそ)している人たちに、限りない嫌悪感を覚えるのです。

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