青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第64回)

2011-07-28 15:18:48 | サパ ベトナム 


7番目のモンシロチョウ/サパ 21.Jul.2011(上)


01 昨年9~10月以来のサパ。渓流の谷底に落っこちて、岩にぶつけた尾骶骨が未だに痛み、水没したカメラも未だ修理中(写した画像は全部アウトです)。



02 到着翌日午前10時すぎ、雨が降りそうな天候なのだけれど、一応山に出かけるころに。市場を通りすぎると、標高差350mの下降が始まります。



03 中間地点に検問所。ここから急な石段の下りです。



04 最初に来た頃は、観光客の来ない民家でしか見なかったはずだけれど、、、石段脇にズラリと並んでいました。



05 足で漕ぐ機を織っています。カメラを向けたら“1ドル!”と。近づいて写すのはやめました。



06 何の遊びでしょう? 縄跳び+陣取りゲーム?



07 滝に降りて来ました。写真右横のパラソルの下でカラスアゲハが吸水集団を形成しているとは、この時点では知る由もなかった。



08 売店の前にガキ達が屯しています。



09 いつものオバちゃん。ご主人は蝶を採って日本に売っているとのことで、シンカイとかミヤハラとか、知った名前が次々と、、、。バーベキュー80円、竹筒飯、焼き芋、ゆで卵などが各40円、かなり割高ですが、非常に美味しい!ちなみに、売店の収益は月120ドル(約1万円)だそうです。左隣は、見覚えのある厚かましい娘。警戒はしていたのだけれど、今回もまんまと言いくるめられて、200円の財布を買わされてしまった。



10 隣の店の店主?は初めて見た娘、22歳だそうです。



11 蝶がいるよ!と教えてくれました。ランタナにクロアゲハ、、、、、一応シャッターは切っておきます。フィルム時代なら勿体なくて写せないところだけれど、デジタルの良いところです。



12 路傍になんだかんだ干しています。これは何でしょう?



13 串焼きが焼き上がる間に、右側の広い谷の河原を覗いてみます。



14 カルミモンシロチョウ。生きた姿を初めて見ました。一見タイワンモンシロチョウと何ら変わらないように思えますが、前翅裏面中央に小さな黒点が見えるでしょう? これが特徴の一つです。



15 スソビキアゲハ。この季節のサパの渓谷で最も多い蝶。世界最小のアゲハチョウで、集団でちらちらと敏速に飛ぶため、蠅のようにしか見えません。あちこちで吸水集団(時には100頭近く)を形成していますが、なかなか存在に気付かず、近づくと敏感に飛び散ってしまいます。



16 一応アオスジアゲハの仲間です。常に水を吸っていて、同時にお尻から勢いよくションベンを放出します。数秒に一回。シャッターを切るタイミングがなかなか難しく、この写真も、数えてみたら同じカットを87枚!(デジタルだから可能)も撮っています(12時4分~12時9分)。でも一枚もションベンは写っていなかった(正確に言えば写ってはいます、見えないだけ、この写真も凝視して貰えれば分かるかも知れません)。



17
18こちらはずっと大きなタイワンタイマイ。アオスジアゲハの近縁種で、ヒマラヤ~中国西部~インドシナ半島、および台湾とスマトラに分布します。




19
20 ガキがやって来ました。オッチャンは蝶を写しているので、邪魔しないでね! 相手にされないと見て不貞腐れています。




21 おいおい!やめてくれよ~! ガキに対しては本気で怒れないのが辛いところ。


22
23 アオスジアゲハとタイワンタイマイ。砂地に踏み後が目立つのが難点です。



24 ミカドアゲハの仲間(たぶんチロンタイマイ)。ゴミも目立つのが難点。


25 ジャコウアゲハの仲間のオオベニモンアゲハ。迫力はあるけれど、アジアの多くの地域での細普通種のひとつです。



26 枯れ竹が邪魔なので、そっと近寄って引っこ抜いてみました。夢中で吸水していて、微動だにしません。



27 ハンミョウ。日本のものと同じ種ですね。


28 こちらは日本産とは別種。同じところにいます。



29
30 田んぼの稲穂に、一頭だけポツリと止まっていました。シロスソビキアゲハとアオスソビキアゲハがあり、今の季節にこの辺りで見られるのは全て前者のようです。



31 雨が降ってきたので、滝の売店でひと休み。








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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第63回)

2011-07-27 14:44:45 | サパ ベトナム 


拷問の道/哲学の道 サパ 20~28.Jul.2011


サパには、来たくて来ているわけではありません。中国でのビザ無し滞在期間15日を過ぎると、否応なしに国外に一度退去せねばならず、ホンコンかラオスかベトナム、ということになります。雲南省の昆明から一番近いのは、ベトナム国境のラオカイ(中国側は河口)ですから、そこからすぐのベトナム最高峰ファンシーファン山3143mに抱かれたリゾートの町・サパに滞在するのは、必然的選択肢となるのです。

滞在に要する費用は中国より更に安く、貧乏な僕には有難い限り。そしてここが中国との国境に踵を接しているのがとても信じられないような、清潔さ、空気の綺麗さ、食べ物の美味しさ、、、、。健康面からも(肉体的にも精神的にも)言うことはありません。しばらく滞在して、写真を整理したり、原稿を執筆したりするには、うってつけなのです。

南国とは言っても、ベトナム最高峰の中腹(標高1600m)ですし、中国とは違って自然植生もたっぷりと残っているので、部屋に籠っていようと思っても、ついつい植物や昆虫の撮影に出かけてしまいます。

町から標高差350m程を下って、欧米人観光客のたむろす滝壷“カットカット”へ、そこから渓流沿いに、観光客の行かない奥へと進みます。川を横切ったり、急坂を上り下りしつつ、同じぐらいの標高を登り返して、ファンシーファン山の中程まで行ったところで引き返し、日が暮れる頃には町に戻って来るのです。

というわけで、“カットカット”に至る途中の石段の坂道を、これまでに一体何度上り下りしたことか。そのたびに、楽しくほのぼのとした想いと、辛く苦々しい想いを、同時に味わうことになります。

お金とは何なのか?
働くとはどういうことなのか?
何が正しくて何が間違っているのか?



本心なのでしょうか? ダブルスタンダードのようにも感じるのですが、、、、。




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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第62回)

2011-07-24 20:48:14 | 雑記 報告

謎の巨大都市“鳩街”(上)

日本と中国の違いを一言で表せば、次のようになります。

日本:コンセントはきちんとソケットに嵌まるが、ほとんどの場所で使用を断られる。

中国:コンセントは気持ちよく使わせてくれるが、ほぼ必ずソケットを指し込めない(強引にこじ入れる)。

喫茶店やレストランなどで、コンセントを使わせてくれるかどうか、そのコンセントにソケットがスムーズに収まるかどうかという話です。日本における「使用拒否率」とその理由については、帰国時にコツコツとデータを取り溜めているので、そのうちに発表します。なお、僕の知る限りでは、コンセントを気持ちよく使わせてくれるのは、アメリカをはじめとした多くの国で共通していて、絶対拒否を迫られるのは、どうやら日本だけのようです。

僕が日本も中国も嫌いな理由は、それぞれ上記文章の後半部分に集約される、と考えて貰って良いです。

さて、中国四川省まで辿りついたは良いものの、資金は全くありません。7月中旬という、蝶も蝉も植物もベストのシーズン。ベストシーズンにベストフィールドの真っただ中にやって来て、なのに指を加えて、(日本にいる時同様)マックやKFCで終日過ごすしかないとは、情けないことこの上もないのです。

あと数日(7月20日)でノービザ滞在猶予15日の期限切れです。一度国外(ホンコンまたはベトナム)に出るか、どこかの町(手続きに一週間ほどかかる大都市ではなく即日または翌日更新可能な地方中心都市)で更新の手続きを行わねばなりません。当初は、成都から「東チベット」地域を横断して、康定(翌日更新)か香格里拉(即日更新)で更新し、テックアウト時支払いが可能などちらかの街のゲストハウスで長期滞在して付近のフィールドに出かけるつもりでいたのです。ところが、困ったことに、二朗山から先の、チベット人居住地域への道は、(外国人に対して)封鎖中とのこと。となればお手上げです(入口の雅安でも翌日更新が可能ですが、前回は難癖を付けられて短期間しか許可を与えてくれなかったし、もともと外国人がチベット方面に向かうことを快く思っていないわけなので、避けたほうが賢明です)。

仕方なく、(資金も余りかからず最も手っとり早い)昆明経由でベトナムへ抜けることを決心しましいた。でも、せっかく四川まで来ているのですから、何にもしないで南国ベトナムへ去ってしまうのは、余りに勿体ない。ということで、成都に最も近い3000m峰(5364mの主峰は「成都市最高峰」だそうです、、、、「静岡市最高峰」が間ノ岳3189mというのと同様、まるっきり説得力はありませんが)に行って来ることにしました。

麓の町・大邑で一泊、山中で2泊、再び大邑で一泊、そのまま南下して2日がかりで西昌から昆明に向かう、という案を採ったのですが、インターネットの不備で最初の大邑泊が2泊(その間成都のゲストハウスを往復)、山中1泊の強行軍となってしまいました(『西嶺雪山2011.7.17』として、別項目で紹介します)。

山から下りてきた時点で、やっとネットを開くことが出来ました。ドイツ人青年のBela(29才)からどっさりメールが来ています。重慶発の動車(新幹線)から一緒で、成都では同じゲストハウスに泊まっていて、何かと言っては僕を誘い出して、食事に行ったりしていました。北京で英語教師をしていて、サマーホリデイだそうです。先週初めて日本に行ったそうなのだけれど、お金がなくて4日間しか滞在出来なかったとのこと。実は、一昨日一度成都に戻った際、再会して一緒に銀行に行ったのですが、彼の口座からお金が引き出せず困り果てていた。翌日は土曜日だし、もし引き出せねば大変だから、100元ほど貸しておいてやろうと言ったのだけれど、たぶんマシーントラブルだろうから大丈夫とのこと。それで彼と別れて、再び大邑→西嶺雪山に向かい、大邑に戻ってきたところです。

メールの内容は、相当に緊迫しているようで、かいつまんで言うと、口座にお金が入っていなかった、出来れば僕も一緒に西嶺雪山に行きたい、今すぐ大邑に向けて出発するので、メールをチェック出来次第電話連絡してほしい。そこですぐに返信しました。今僕も大邑にいる。夜11時までdicos(マクド、KFCと並ぶ中国ファーストフッドレストランの最大手、ここだけ僕のパソコンでもワイアレスネットが可能です)にいるので来てほしい、と。でも見れば、メールは2日前なので、おそらくもうこの町にはいないことでしょう。念の為電話をしたら、結局(行き方が分からなくて)大邑には来なかったこと。お金は(たぶん誰かほかの外国人に借りて)なんとかなった、心配しなくてよい、とのことでした。一応、明朝成都に戻る可能性もあるので改めて連絡を取り合うことにし、まあホッとしました。

スーリンからも久しぶりにメールが来ていたぞ。
『今どこにいるのか?元気でいるか?病気はしていないか?お金はあるか?私はお金が無くて生活が大変苦しい。もしお金があれば少し分けてくれないか?』
僕の返事。
『四川成都の近くの山の麓の町。体調はとても悪い(ドイツ人と一緒にビールを一晩4本飲んだので酷い下痢だ)。お金は全く無く、生活がとても苦しい。8月になったら桂林に行っても良い。また電話する。』

電話をしたところ、いつものごとくこっぴどく詰られました。そして、
『“お金がない”ということは、いかに辛いことか、生活そのものだけでなく、精神的に辛いものだ。おまえ(僕に対して敬語を使わない)もお金に余裕がないからしょっちゅうドジをし、それでまたお金を失くして悪循環を繰り返すのだ、云々』
そんなことはおまえ(僕はこう呼ぶ権利あり!)に言われなくとも解っている。なおもこう言います。
『私も、あと半年で35歳になる。前から言っているように、35歳までに子供を産まないと(羊水とかの関係で)大変なのだ。なのに彼氏もいない。それもこれもお金に余裕がないからである(経済的余裕がないと彼氏も出来ず結婚も出来ない、というのが以前からの彼女の理論)。おまえももっと稼いで、私に結婚費用を援助してくれなくては。』

スーリンと一緒にいると(最近では2年半前の香港に行く前)、朝から晩まで、夢中でインターネットのゲーム(ネット上の匿名の相手との賭けごとみたいなものとか、かつてのインベーダーゲームみたいなものとか)をしているのです。もっともこのことはスーリンに限らず、中国の若者、いや世界中の(若からぬ人を含む)人々に共通するのかも知れません。一生懸命働いているとは思えない。お兄さんと一緒にやっているという事業は一体どうなっているのでしょうか?

35万円の予算で世界一周旅行を慣行し、早々とネパールで一文無しになって彼女を呼び寄せて借金し、それがもとで別れてしまった(笑)というジン君とか、、、、どうして、どいつもこいつも、僕の回りにいる奴らは貧乏人ばかりなのでしょう。

Bela

重慶で動車(新幹線)の切符を買う時から3日間ほど一緒に行動。北京で英語教師をしているよし。中国人に対してはかなりの嫌悪感?を示しているようで、いつもイライラしている。僕が中国人と話していると、露骨に嫌な顔をする。まあ、彼に限らず、日本人や他の外国人(欧米人、中国以外のアジア人)も、中国人の態度に対しては、常にあからさまに拒否反応を示し、良く大声で罵倒しているのであって、同じ行動を僕がしなくて済むので、有難いと言えば有難い。もっとも、そうか、僕もいつもこんな風に逆上しているのだな、見っとも無いから今後は少しは慎もう、という自らへの戒めにもなるのです。29歳。写真は今年の7月、成都のゲストハウス「Lazybones」にて。普段はむっつりしていて、笑顔は珍しい。

スーリン

足掛け10年の付き合いになります。シンセンにて三脚がぶっ壊れ、銀行のATMにカードが吸い込まれてしまったことが出会いのきっかけ。7年前に婚約解消。でも、全く家族のいない僕にとっては、“最も家族に近かった存在”という思いが今でもあります。あと半年で、本人のいう“結婚適齢期リミット”の35歳、かなり焦っているようです。今は大阪のおばちゃん然としていますが、以前は結構可愛かったのです。今だって彼氏ぐらいは作れそうなのですが、何故かもてないんだそうな。それもそうでしょう。こんな性格では。辺り構わず怒鳴り散らし、人をボロクソに言う。食事に行くと、不味いから作りなおせ、とか、お皿が汚ないとか言って、いちゃもんをつける、、、、(笑)。写真は去年の7月、桂林の「火鍋店」にて。

ジン君

2年前、成都の「シムズコージー」での出会い。天才的な写真感性を持ち、それを言ったら「僕は天才ではありません、努力家です」、その言葉や良し。今は音楽(ハードロック)にのめり込んでいます。口に出した言葉を守らないことを咎めたら、「基本的に僕の言葉は無責任なので信用しないように」だと。それゆえか、彼の文章には、きらりと光る芸術性があります。新宿2丁目の生まれ育ち。お父さんのほうが、おじいちゃんより年上。新橋で飲み屋をやっているお母さんは中国の方です。良い意味での、中国人と日本人の長所を備えていると思う(褒めすぎか?)武蔵野美術大学留年在籍中。24歳。写真は2年前の7月、成都の「電脳城」にて。


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さて、一応の予定は、次の通りです。大邑は成都と雅安の高速道の中間地点ですから、成都には戻らず雅安に出て、そこから西昌行きの長距離(中距離?)バスに乗り換え(直通バスが無ければ途中の石棉で乗り換えて)、18日は西昌泊。翌19日は、昆明までの長距離(中距離?)バス。ビザ期限切れ当日の20日にベトナムへ。

ところがスタートの時点で、躓いてしまいました。すぐ近く(高速道で1時間弱)なのにも関わらず、雅安行きのバスはない。途中の邪峡までタクシーか包車で行き、そこで乗り換えろとのことですが、タクシー代はべらぼうに高い(成都までの運賃の10倍近く)し、包車はいつ出るのかも分からない。異なる省はむろん、市や県など行政地域を跨ぐバス路線は極端に少なくなるのです(大都市間の長距離バスは沢山ある)。結局200円1時間で行ける成都に一度戻って、そこから直通バス(西昌までが無ければ途中の石棉まで)を利用するのが、最も安価で迅速であろうとの結論に至りました。

問題は、到着バスターミナルから出発バスターミナルまでの距離が遠く離れていて、市内バスを利用するととんでもなく時間がかかるし、タクシーを利用すると相当の出費です。でも仕方がないのでタクシーを使わざるを得ない。大邑からのバスは“金沙バスターミナル”に着きますが、雅安あるいは石綿・西昌方面へ向かう(すなわち大邑から先の方角に戻る)ターミナルは、同じ成都市内でも正反対の位置にある、“新南門バスターミナル”か“石羊バスターミナル”です。

もしかすると列車利用のほうが、より確実なのではないか、と思い着きました。バスの夜行寝台は嫌だけれど、寝台列車ならO.K.です。どうせタクシーに乗らねばならぬのなら、一応、駅に行って訪ねて見ることにします。しかし、昆明行きの夜行寝台列車の席は、今日も明日もソールドアウト、明日の晩なら立ち席のみが残っている、との答えです。

やはり、バスを利用するしかありません。出来たばかりの地下鉄で最寄りの駅まで行き、そこからタクシーで“新南門バスターミナル”へ。ところが、西昌や石綿行きは、ここからは出ていない、“茶店子バスターミナル”に行きなさいとの通達。“茶店子バスターミナル”は反対側(最初に着いた“金沙バスターミナル”の比較的近く)です。違うのではないかと思ったのですが、タクシーの運転手に見せるためのメモも詳しく書いてくれたことだし、一応信用することにしました。

再び600円程(日本の物価に換算すれば3000~4000円程のイメージ)のタクシー代を支払い、“茶店子バスターミナル”へ。そしてここでも、石綿・西昌行きのバスはここからは出ていない、“北駅バスターミナル”へ行け、と。ここまでは我慢していたのですが、もはや怒り心頭です。
「さっきから盥回しにされている、あなたの言うことも信じられない、本当に“北駅バスターミナル”から出ているのか?」「そうだ、そっちに行け」
でもやはり納得行かなかったので、紙に大きく「貴方を信用しても良いのか?信用出来ないのか?もし間違っていれば責任をとってくれるか?」の意を中国語で書いて示したところ、「責任をとる」というのが大嫌いな中国人のことです、奥の事務所に引っ込んでしましました。20分近く経ってから姿を現すと、紙に表示されていたのは“石羊バスターミナル”。

“石羊バスターミナル”までは相当に遠く、タクシー代も嵩むことだし、なにしろ盥回しにされていたものですから、随分と時間を食っています、今日の昼行バスにはもう間に合わないかも知れません。こんなことをしていると、期限までに国外脱出が出来なくなってしまいます。ここは飛行機を使うしかないのでは、と思い立ちました。成都-昆明間は、ほかの地域より比較的安いはずだし、列車やバス代の2倍程(7000円前後)で済むならば、場合によってはトータルでは安上がりなのかも知れない。

ということで、まず“茶店子”の町中の中国銀行に、次いで飛行機のチケット売り場に向かうことにしました。ところが、口座に入っていると思った5000円が、一銭も入っていない。手持ちの残金は8000円程なので、飛行機利用となれば、かなり心配です。とりあえず航空チケット売り場を聞こうと、窓口の女子職員に尋ねます。すると、どこにチケット売り場があるか知らない、私が直接調べてあげます、と。

「いや、結構です、信用出来ないもの」
「大丈夫、信用して下さい」
「いや、信用出来ない」
英語を喋るその窓口の女の子に、今日ここまでの経緯を滔々と述べることになりました。

「お前たち中国人は全く信用が出来ない」
と捨て台詞を遺して銀行を出ようとすると、泣きべそをかいた窓口の女の子が外まで追いかけて来ました。
「とにかく調べてあげるので、どうか少しだけ待って下さい」

結果は、3割ディスカウントの8000円程の席が数席残っていると。手持ちの金額とほとんど同じなので、ちょっと難しい。そこで、あやこさんに助けを求めることにしました。女子職員の携帯電話を借りてあやこさんに電話、今日は日本の祝日だそうで明日幾許かを振り込んで貰うことにしました。ところが、明日の便は満席、ビジネスクラスしか残っていず、日本円で約2万5000円、万事休すです。

やはり“石羊バスターミナル”に向かい、バスを乗り継いで昆明に向かうしかなさそうです。ところが、タクシーがつかまらない。件の女子職員は、いつもは簡単に捕まえられるのだけれど、と、あちこち奔走してくれて、数十分後にやっとゲット。再び800円近く支払い“石羊バスターミナル”に着いたところ、西昌行きはむろん、石棉行きもたった今、10分ほど前に最終バスが出てしまった、のだと。明日まで待つとなると、20日までの国外脱出は難しくなってしまいます。

最後の一案を思いつきました。先ほど、列車の窓口で、昆明行きの切符が今日も明日も満席と言われた際、念の為西昌行きの有無も訪ねてみたのです。こちらは立ち席なら、今日の午後発、明日早朝4時西昌着と言うのがあると。12時間立ちっぱなしはしんどいので購入はやめたのだけれど、それしかなさそうです。明朝4時に西昌に着けば、別の列車かバスに乗り換えて、明日中、遅くとも明後日の午前中には昆明に着けるでしょう。ギリギリ20日の夜にはベトナムに抜けることが出来そうです。

列車の駅の切符売り場は、いつものごとく長蛇の列、普通に並んでいてはとんでもなく時間がかかってしまうので、隅っこにある(軍人や共産党員が優先される?)特別窓口で訊ねてみました。
「無席でも良いので、今夜の昆明行きはありますか?」
「全てソールドアウトです」
「(香港に出ることも考え)シンセン行きはありますか?」
「2泊3日の無席券ならあります」
3日間立ち続けは流石に辛いのですが、上手くすれば寝台車に代われるだろうし、それしか選択肢はないのかも知れません。でも念の為、もう一つ聞いて見ることにしました。
「では、数時間前に来た時に、今夕発、明朝4時に西昌着の、無席切符があると教えて貰ったけれど、残っていますか?」
「それはないけれど、間もなく出発する、深夜1時着の西昌行き無席券ならあります」
「それ下さい!」
深夜1時到着ならば、近くの安ホテルで朝まで仮眠して、翌朝の列車かバスで昆明に迎えます。無事チケットを購入、ホッとして、切符売り場を立ち去ろうとしたら、後ろから窓口の女の子が大声をかけてきました。
「おーい!今調べたら、同じ列車の昆明行きも残っていましたよ!どうしますか?」
「もちろんそっちが良いです!」
最後の最後で逆転勝利と言ったところ(でもそれならそれで、最初に切符売り場を訊ねた時に、もっときちんと調べておいて貰えたならば、その後バスターミナルの盥回しの目に会わずに済んだのに、と思うのは、贅沢な望みなのでしょうね、ちなみに、成都-昆明間の無席列車チケット代は約1800円、成都市内バスターミナル間移動タクシー代が計約2300円)。

でも、ここからが戦い本番。まず、全速力で駅近くのdicosを往復。あやこさんにメールで結果を報告し、午後3時41分発の昆明行きに飛び乗ります。チケットに記された無席の車両には向かいません。食堂車を目指します。むろん「お前の車両はここではない、あっちだ!」と阻止されるのですが、ここで従っていては、この後20時間、永遠に無席の車両に立ったまま閉じ込められてしまう恐れがあります。遮る手を振り切って、強引に食堂車に乗り込みます。むろん中国語は一切使わず、英語なり日本語なりでわめきます。中国人ならばぶんなぐられてしまうところですが、外国人には手を出せない。列車が出発するまでの数分間、「ここを出ろ!」というプラットホームの係員の執拗な罵声に耳をかさず、食堂車の入口にへばり付いています。やがて列車が出発し、食堂車のドアが開くと、安全圏へ。まるで、脱国成功の難民そのもの。

食堂車には列車長がいるのです。「寝台車に変更して下さい」と伝えると、快く聞きいれて貰えます。打って変わってV.I.P.待遇です。正規の追加料金で約1200円。

実は、一号車と運転席の間に、無表示の(しかも一号車とはカーテンで仕切られている)“本来なら存在しない”のだろう寝台車両が一台挟まっているのです。そこに導かれます。僕のほかにも、重慶から来たという女子高生の二人連れや、いかにも軍人風の中年男性氏等が、同じコンパーメント。女子高生は流暢な英語を喋るので、彼女たちとずっと話していると、恰幅の良い軍人男性氏は、自分だけ除者にされたようなむっつりした顔をしている。そこでわざわざ彼に中国語で時間を訊ねてみました。破顔一笑、実に嬉しそうに返事をしてくれたのでした。

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予定より1日短縮で、19日午前11時、昆明に到着。すぐにタクシーで、昆明新東バスターミナルへ。ベトナム国境の河口行きは、次は午後1時30分発のはずですから、ターミナル内でゆっくりと食事をし、dicosでメールも打てます。

ところが、思っても見なかった問題が勃発、なんと、今日の1時半のチケットはソールドアウト、明日の便を買って下さいと。そんなバカなことはないはずです。河口までの高速道路が全線開通し、5時間もあればベトナムに抜けられる。仮に1時半の便が満席でも、前後にもあるはず、それに河口行き便が満席で乗れないなんて、これまで聞いたことがない、途中での乗り降りも頻繁にあることだし。

どうしても今日行かねばならない(実は一日余裕はあったのだけれど腹立たしいではないですか)と食い下がりました。でも埒が明かない。すると、向こうは、「中間地点の蒙自行きの12時45分発のバスがある、それで行けば蒙自で乗り換えて、今日中に河口に行ける」と案を出して来ました。それは分かっているのですが、やはり腹が立つし、蒙自での乗り換えが複雑で今日中に河口に辿りつけない、という事も考えられます。そこで、
「本当に蒙自乗り換えで今日中に河口に行ける?」
「大丈夫」
「信用しても良いの?」
「・・・・・・・・・」
「じゃあ、乗り換えが上手く行くように、次のバスの運転手に見せるメモを書いて下さい」
「それは嫌だ、責任は持てないから」
結局、強引にゲートにもぐりこみ、1時30分発の河口行きバス運転手と直接交渉することにしました。
むろん、入り口のチェックポイントで阻止されます。
「どうしても乗らねばならぬので、運転手と直接交渉したい」
「それは出来ない、1時30分のチケットはない」
「それは分かっている、だから交渉をする」
「今日は1時30分のバスなどない」
何だか変なことになって来ました。チェックポイントの女の子は結構親切に対応してくれているのですが、どうも話が噛み合いません。どうやら、今日のバスは運休、と言っているみたいなのです。でも信用は出来ない。
「1時30分のバスの運行がないのか、運行するけれどチケットが満席でないのか、どちらなの?」
「モゴモゴモゴ、、、、」きちんと答えてれくれません。
「じゃあ、12時45分発の蒙自行きバスで乗り換えるしかないの?」
「それじゃ間に合わないかも知れない、責任は持てない、それよりも12時30分発のバスというのがあるから、私がそのバスの運ちゃんに、乗り継ぎが出来るよう掛け合ってあげるから、それに乗りなさい」
どうも、その案には食指が動きません(運ちゃんに法外なリベートを要求されそうだし)。
結局諦めて、12時45分発蒙自行きに乗ることにしました。

(イミグレーション通過リミットの)夜10時まではたっぷり時間があるし、高速を使えばあっという間でしょうから、幾らなんでも、今日中に辿りつけない、ということはないでしょう。でも気になることが。先ほどの押し問答でも、1時30分発直通の河口行きで、所要時間8時間、河口到着9時半、と言っていたことです。12時45分発の蒙自行きが、蒙自までの所要時間6時間、そこから河口まで2時間半。

そんなことはないはずです。蒙自は昆明-河口のほぼ中間地点で、以前は昆明~蒙自6時間、蒙自~河口6時間だったのが、去年からは、(標高2000m近い台地上から山間部をぶち抜いて一気に標高100m未満の紅河に下降する)蒙自~河口間のスーパーハイウエイが完成し、一気に2時間半に短縮。ということは、平らな台地、しかも大都市昆明に近い前半部も、同様に2~3時間で行ける高速道が完成しているはず、という思い込みがあったのです。単に思い込み、というわけでなく、どの地図にも、昆明~蒙自間は(かなり以前から)高速道が示されています。中国の地図に示されている高速道の実態だけは、相当に正確なのです。

しかし、昆明~蒙自間に高速道路はありませんでした。16年前に初めて通った時と同じ、8時間を擁して進む旧道だけ。もしかすると(何らかの理由があって)この旧道を名目上「高速道」と称しているのかも知れません。昆明の周辺には縦横に高速道路が走っていますし、今回の項目の主要テーマ『謎の巨大都市“鳩街”』で述べようとしているように、昆明から遥か離れた蒙自の周辺都市間(開遠・固旧・建水や、河口ほかの紅河流域の町)にも、分不相応とも言えそうな高速道網が張り巡らされている。なのに、肝心の昆明~蒙自間だけが、旧態依然なのです。何か特別な訳があるのでは?と勘繰りたくもなって来ます(その話は『謎の巨大都市“鳩街”(下)』で述べる予定です)。

僕の座席の隣は、グラマーな美人の若い女性、一目でほかの中国人乗客とは異質であることが知れます。もしかすると外国人かも。やがて携帯で英語での会話を始めました。やはり外国人と思ったのですが、オランダから蒙自に里帰り中だとのこと。オランダの大学でガーデニングを習い、近い将来移り住む予定、昆明では僕もお世話になった「昆明植物研究所」が併設されている農業大学に通っていた由で、随分話が弾みました。彼女が運転手に掛け合ってくれたらしく、通常5時間半~6時間のところを(たぶん休憩停車などをすっ飛ばして)、5時間弱で蒙自に到着、運転手氏の指示で、河口行き最終6時半のバスに、悠々間に会ったのです。

しかし、またまた予期せぬ出来事が。6時半発河口行きバスは満席でソールドアウトだとのこと。窓口は6時で終了なので切符は売れない。そんなバカな。蒙自の町は結構気に入っているので、ここに泊まって明日朝河口に向かっても良いのですが、せっかく運転手氏が急いで間に合わせてくれたことだし、意地でも今日中に河口に向かいたいのです。

ということで、強引にバスに乗り込みます。実は、オランダの美女氏がとても心配してくれて、交渉を掛け合ってくれようとしたのだけれど、ここは下手に中国語でやり取りをしないほうが確実だと思い、「大丈夫、たぶんなんとかなるはずです」「じゃあ、もし上手く行かなかった時は私に連絡を下さい」ということで、自分で交渉することにしたのです。

「切符がないと乗せられない、チケット売り場は終了したので、明日のバスにしろ」
「どうしても今日行かねばならない」(むろん、中国語は一切使いません)
押し問答?(にもなっていない)を繰り返していると、近くの席に座っていた小学生の女の子が心配そうにこちらを見ています。話しかけたら、英語が喋れる。彼女を通訳に交渉です。運転手も子供が相手だと強くは出れないのでしょう。結局、しぶしぶ切符を売ってくれました。

バスが出発すると、切符を持たない乗客が次々と乗って来ました。何のことはない、6時になると切符売り場が閉まるから、切符は買えない、よって建前上、今日の便には乗れないのだけれど、実際は、切符を買っていなくとも、乗ることは可能なのです。しかし、それぞれの持ち場の人間に、それを広言する“権利”(“義務”と言ったほうが良い?)はない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コンセントとソケットは別々の人が作るわけで、互いにピッタリと収まるかどうかまでの責任は持たなくて良い。でも使うとなれば、なんとでも応用が利くのです。日本はピッタリと収まります。でも応用は利かない。

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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第61回)

2011-07-21 11:34:15 | 野生アジサイ

Dコアジサイ上群

コアジサイ群一群より成る。

DⅠコアジサイ群(=アジサイ属コアジサイ節コアジサイ亜節Sect.Petlanthe+ジョウザン属Dichroa)

園芸品種の“アジサイ”や、アジサイ愛好家に人気の高い多くの品種を持つヤマアジサイなどが含まれる。以下の各亜群の設置を行った。有装飾花種の、ガクアジサイ亜群(ガクアジサイ、エゾアジサイ、ヤマアジサイ、および中国産のヤナギバハナアジサイなど)、ガクウツギ亜群(コガクウツギ、ガクウツギ、ヤクシマコンテリギ、トカラアジサイ、ヤエヤマコンテリギ、および中国ほかに分布するカラコンテリギ、ユンナンアジサイなど)、無装飾花花序の、コアジサイ亜群(コアジサイ)、リュウキュウコンテリギ亜群(リュウキュウコンテリギ)。一般には独立属とされる、ジョウザン属(およびハワイアジサイ属)も、基本的形態は本群の特徴を示し、DNA分析結果からも同様の結果が示されていることから、本群の一亜群として扱う。中国大陸には、ジョウザン属の種以外にも、無装飾花花序を持つ複数の種が知られているが、それらについては充分な情報を得ることが出来ず、処遇を保留しておく(便宜上、「無装飾花亜群」として表示)。


正常花は開出、または反り返って下垂し、開花後も宿存する。子房は上位または半下位、花柱は基部から明瞭に2~数分岐し、左右に広がる。花序の内部(花序腋および小花序腋)には、苞葉や托葉を生じない。種子には顕著な翼や突起を生じない。



上図の文字変更:ヤマアジサイ群→コアジサイ群

すでに紹介した各群に対しては、以下に示す特徴のうち、それぞれ三つ以上の形質が相違する。
●正常花の花弁は開出、または反り返って下垂し、開花後も宿存する。●子房は半上位または半下位、柱頭は基部が接近し、明瞭に2~数分岐する。●花序の基部、またはその下方にある苞葉は、一般の葉と同形で、花期にも脱落しない。●花序の中には、葉や苞葉は生じない。●種子は、顕著な翼や突起をもたない。●雄蕊は10本。●葉は対生。●本木。



ここで、ガクアジサイ群の、各亜群の分布域を見渡しておこう。まず、これまでに述べてきた「ガクアジサイ亜群」に含まれる種は、ほぼ日本固有の広義のヤマアジサイ(ガクアジサイを含む)と、中国大陸南部産のH.kwangsiensis(ヤナギバハナアジサイ=ニセヤナギバアジサイから改称)、およびその東西に分布するとされる、実態が不確かな数種が、その全てである。日本列島では主役だが、中国大陸では、限られた地域にしか見られない、ごくマイナーな一群のように思える。台湾にも分布を欠く。

逆に、日本本土では、西半部のみに限られる(ガクウツギ・コガクウツギ)ガクウツギ亜群は、南西諸島で多様に分化(ヤクシマコンテリギ、トカラアジサイ、ヤエヤマコンテリギ)、台湾・ルソン・中国大陸に、カラコンテリギが、やや普遍的に分布する。台湾や中国では複数の種に(人によっては非常に多くの種に)分割されているが、著者は、西部のユンナンアジサイH.davidiiのみを独立種とし、ほかは全てカラコンテリギH.chinensisに含める処置を採った。以上が有装飾花種。

日本に自生しないため、マイナーなイメージがあるが、ガクアジサイ群中、分布域の広さも種類数の多さも群を抜いているのが、無装飾花のジョウザン亜群(=ジョウザン属Dichroa)である。中国の南半部と熱帯アジアに広く分布し、10種前後からなるとされている。

ジョウザン属以外の中国産無装飾花種が、カラコンテリギ分布域中に5種知られているが、著者はそれらについての知識を持ち合わせていない。その他の無装飾花種としては、沖縄本島に(後述する理由で、暫定的に独立の亜群を設置した)リュウキュウコンテリギ亜群(1種)、ハワイ諸島固有属とされるハワイアジサイ属(1または2種=本書ではジョウザン亜群に含めた)、そして日本の本州にコアジサイ亜群(1種)が分布する。

なお、中国では、ガクアジサイ群のみでなく、アジサイ属の全ての種が、ほぼ北緯35度以南の中~南部に分布が限られ、朝鮮半島本体ともども、日本の関東地方辺りから北に相当する地域には、一種も分布していない(新大陸においても同様)。その点日本に於いては、関東地方だけでも10(~12)種を数えるわけだから、アジサイの分布域としては、例外的に北方に偏っている、ということになる。

ガクアジサイ群の、日本に自生する4亜群に、ジョウザン属を加えた計5亜群の、形態の比較を行っておく。

まず、有装飾花の2亜群、日本での主役を成す、ガクアジサイ亜群とガクウツギ亜群については、葉、装飾花、花序、樹勢などの概形にも違いが見られる。しかし、いかにも分かり易く感じるそれらの差異は、おおむね個体変異に基づく差で、余り安定的なものではない。分類指標となりうる安定した構造差は、より基本的な形質に表現される。

それぞれの項目に示した亜群の特徴と重複するが、改めて整理しておくと、次のようになる。

①子房(果実)は、ヤマアジサイ亜群では背方の盛り上がりに欠け、ガクウツギ亜群では球状に丸く盛り上がる。
②正常花の花弁は、前者では基部の幅が広く屈曲して下垂、後者では基部が細い柄状となり平開。
③前者は原則として花序柄を有し、後者は常に花序柄を欠く(稀に例外的な個体あり)。





注:ヤマアジサイ亜群→ガクアジサイ亜群



ガクアジサイ亜群(写真左から2枚目はヤマアジサイ、他はヤナギバハナアジサイ)
正常花弁は基部が幅広く、子房を取り囲むため、活着時には子房本体が外部から見え難い(写真左)。子房は半下位で前後に長く、ガク筒部が大半を占め、花筒だけが明確に露出する(写真右3枚)。果実は朔果、熟すと丸味を帯び、花柱は活着したままの状態で花後も残る(写真右=若い果実)。


ジョウザン亜群(ジョウザン)
正常花弁は基部が幅広く、子房を取り囲むため、活着時には子房本体が外部から見え難く、細長い花柱が左右に開いて雄蕊の外側に露出する(写真左)。子房は大きく、半下位で球型、ガク筒部が大半を占める(写真右3枚)。果実は熟すと紫色の液果となり、花柱が脱落する(写真右)。


ガクウツギ亜群(写真左から、ユンナンアジサイ、カラコンテリギ、ヤクシマコンテリギ、ユンナンアジサイ)
正常花弁の基部は細く、子房から明確に離れ、活着時にも子房本体が外部からよく見える(写真左)。子房は上位で球型、本体が大きく盛り上がってガク筒部の縁から著しく露出する(写真右3枚)。果実は最終的には朔花となり、花柱は活着したままの状態で花後も残る(写真右)。


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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第60回)

2011-07-20 20:44:15 | 雑記 報告

国境の南


それにしても、、、、、毎回同じことを飽きもせず繰り返し言うけれど、僅か100m弱を移動しただけで、どうしてこうもガラリと変わるのか。空気が全く違う。何と言ってもトイレが綺麗。何回国境を越えようが、毎回新鮮なカルチャーショック。

僕は日本も嫌いだし、中国も嫌い。嫌いの“次元”や“質”が全く異なるけれど、どちらの国も大嫌いです。ベトナムも、ラオスも、タイも、ミャンマーも、マレーシアも、インドネシアも、ネパールも、フィリッピンも、台湾も(嫌なところは多々あるけれど)トータルに見れば大好き。(嫌なところがもっとある)アメリカも、カナダも、メキシコも、やっぱり大好きです。ヨーロッパには行ったことが無いけれど、もちろんドイツは大好きです。

上記の、(日本と中国以外の、、、韓国とインドは行ったことが無いから分からない)アジアの国々は、僕が感じた限りでは、その空気というか、日差しというか、佇まいのようなものが、アメリカ(やヨーロッパの国々)と凄くよく似ていると思うのです。どうやら、日本と中国だけが、全く別の次元で、世界標準から大きく離れているのではないかと。

あくまで僕の印象です。もちろん本当のところは気分や印象で言い表せるものではないことは、百も承知ですが、でも気分や印象は、何か本質的な部分(の片隅)を直視している、ということも、ままあります。

話題を変えましょう。今日はなっちゃん25才の誕生日ですね!おめでとう(とストレートに言うには微妙な年齢か?)。
ジン君6月17日24才、アナム君9月17日23才、、、、と若者の誕生日はよく覚えているのに、あやこさんの誕生日、何度か聞いているのにまだ覚えられない(汗)、今のうちに再度教えておいて下さい。元A新聞社のK氏62才も、元H出版社のD氏65才も、何度か教えて貰っているはずなのに、全く思い出せません。どうやら熟年諸氏の誕生日には関心がないようで、、、、自分ではそんなつもりではないのですが。

今日からサパに籠ります。この(北半球温帯域での)ベストシーズンに、わざわざ南国ベトナムに滞在せねばならないとは、余りに悲惨なチョイスですが、資金がないからには仕方がありません。食べ物がおいしく、トイレが綺麗、それで良しとしなくては。野生アジサイの残りの調査も、ヒグラシの鳴き声録音も、蝶の撮影採集も、ベストシーズン半ばにして断念、(毎年のことながら)早々と“来年こそは”という境地に至っているわけであります。

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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第59回)

2011-07-20 20:30:41 | 野生アジサイ



幻の“ヤナギバハナアジサイHydrangea kwangsiensis”探索記/広西壮族自治区融水苗族自治県九万大山③


2011.7.8
融水発、AM6:30。汪洞着AM10:00。バスの車窓から、目を皿のようにして、野生アジサイのチェックを続けていたのだけれど、目に入るのはアカネ科コンロンカ(近縁種)の白い花ばかり。いずれにしろ、目的のヤナギバハナアジサイは、昆明植物研究所所蔵でチェックした1958年の標本のデータにある最奥の集落“平時”の辺り、あるいはさらに隣町の河池側に越える峠の付近まで行かねば現れないことでしょう。

でも、ヤナギバハナアジサイはともかく、そろそろカラコンテリギが現れても良いと思うのですが、どこまで行ってもコンロンカばかりです。やや標高の低いところが主体ですが、(峠近くの高標高地まで)至る所に生えていて、ついついカラコンテリギと見間違えてしまいます。

バス終点の汪洞から平時の集落に向かい、徒歩で1時間ほど歩いたところで車に便乗、平時の集落を通り過ぎてAM11:50峠頂に到着。

峠のすぐ手前で、道脇の林内に咲くヤナギバハナアジサイを見つけました。おそらくカラコンテリギと左程変わらない外観をしているのでは?という予想に反して、鮮やかな青紫色(装飾花弁が淡く青味がかった白、装飾花の“目”の部分と正常花が濃青紫色)の、まるでガクアジサイそのもののような花序です。葉は、標本や「中国植物志」の図で見る通り、細長い革質、縁はほぼ全縁でほとんど鋸歯は生じません。“柳”と言うよりも“夾竹桃”のイメージです。

コアジサイ群のうち、ガクアジサイ亜群をガクウツギ亜群から分ける指標形質、花序柄がある、子房が半下位、正常花弁の基部が幅広い、といった特徴は、見事に合致します。加えて、濃い青紫色の正常花と薄っすら青味がかった装飾花。どこから見ても、間違いなく「ガクアジサイ亜群」の一員です。












(左写真の左はジョウザン)


ヤナギバハナアジサイの正常花(花弁、蕾、子房、雄蕊)。



写真左下に見えるのがヤナギバハナアジサイ


九万大山の峠を越えます。貴州省や湖南省との省境も目と鼻の先です。



ジョウザンの雌蕊花柱と柱頭は、一見雄蕊の花糸と葯に紛らわしい。


ジョウザン。左下写真の束になって上伸するのが雄蕊の花糸、その外側の左右に広がるのが雌蕊の花柱。花糸はすぐに脱落しますが、花柱はしばらくの間残ります。


ヤナギバハナアジサイ。ジョウザンの雄蕊の花糸に似ていますが、こちらは雌蕊の花柱です。花の終わった子房(果実)はガク筒部が球状味を帯び、全体の外観もジョウザンに似てきます。




左ジョウザン、右ヤナギバハナアジサイ。


左ジョウザン、右ヤナギバハナアジサイ。




左半分がヤナギバハナアジサイ、右半分がジョウザン。大きさが明らかに違います。


(左上の葉と蕾&子房のみジョウザン)

昨夜の豪雨は、今朝になって止んでいたのですが、再び雨が強くなってきました。この数日雨の気配は全く無かったものですから、雨具は用意してきていません。ずぶぬれになって撮影を行い、チェックしつつ歩いて山を下ることにしました(幸いしばらくして雨は止みました)。

九万大山一帯の最高峰は2000m前後(0000、0000)ですから、この辺りの稜線は、おそらく1500m前後ではないかと思われます。峠頂は1200mぐらいではないでしょうか? 最奥の集落で1958年の標本データにある「平時」までの、標高差500m程の下り道です。その間、林内の茂みに、ぽつぽつとヤナギバハナアジサイが姿を現します。標高にして700m~1200mくらいでしょうから、ちょうどカラコンテリギの主要生息域と一致します。

興味深いことに、山一つ隣りの、花坪・南山・芙蓉村・龍背にあれだけ多かった(ほぼ同一標高、花坪では1700m付近まで)カラコンテリギは、全く一株も見られません。カラコンテリギは、比較的低所では5月、標高1200m付近なら6月中旬が開花盛期でしょうから、この時期にはまだ咲き残っている株もあるはず、開花後も装飾花が目立ちますから、生えていれば間違いなく見付けることが出来るはずです。ということは、この一帯にカラコンテリギは分布していないと考えて良いでしょう。

逆に、カラコンテリギの産地には、ヤナギバハナアジサイは見つかりません。カラコンテリギの開花盛期の5月~6月はヤナギバハナアジサイの開花初期に当たるわけですから、生えていれば分からない筈はありません。ヤナギバハナアジサイは分布していないと考えるのが妥当なところでしょう。すなわち、融江(珠江上流)を挟み、一山を隔てて、カラコンテリギとヤナギバハナアジサイの分布が見事に入れ替っているのです。

異なる点は、カラコンテリギは生育地範囲内では非常に個体数多いのに対し、ヤナギバハナアジサイは生育地にも極めて疎らにしか出現しないこと。かなりの稀産種ということが出来ると思われます。

九万大山では、ジョウザンをヤナギバハナアジサイと同所的に(より普遍的で広範囲に)見ることが出来ます。ヤナギバハナアジサイより開花期はやや遅く初期~盛期です。峠頂から少し下った辺りから、ノリウツギも現れます。こちらは開花初期(ちなみに最普通種のアスペラは確認出来ませんでした)。以上の組み合わせは、花坪や龍背などのカラコンテリギ生育地とほぼ同じ(龍背ではアスペラも確認)です。

この一体の特徴は、アカネ科のコンロンカ(近縁種)が、著しく多いこと。やや標高の低いところが主体ですが、峠近くの高標高地まで至る所に生えていて、ついついカラコンテリギと見間違えてしまいます。

なお、カラコンテリギ生育地の山塊(花坪ほか)の、九万大山とは反対側に位置する猫児山にも、カラコンテリギが分布していない可能性があります。この、貴州省東南部や湖南省西南部に接する広西壮族自治区北縁一帯を、便宜上「広西南嶺」と呼ぶことにし、九万大山を「西部」、花坪ほかを「中部」、猫児山を「東部」としておきましょう(いずれも最高点は2000m前後、「南嶺」は、さらに東に広東省北縁山地に続きます)。

猫児山には4月下旬と9月下旬に訪れていますが、カラコンテリギを見た記憶は全く有りません。2005年の4月下旬(22日~25日)には山頂まで徒歩で足を運んでいて、開花最初期のカラコンテリギは、あれば当然チェックし得ているはずです。葉も充分展開しているはずですし、蕾も膨らんでいるでしょうから、見落とすはずはないと思う。この山には、カラコンテリギは生育していないか、ごく少ない(生育地が限られる)と考えて良いと思う。

ヤナギバハナアジサイも見ていないのですけれど、こちらは、前もって知識が無いと葉だけを見てアジサイの仲間と判断するのは困難でしょうし、この時期ぼつぼつ咲きはじめているカラコンテリギと違って、開花期にはまだかなり間があるため、もしあっても見落としている可能性があります。しかし、過去の記録や標本も未チェックのことですし、分布していない可能性も大いにあると思います。

地質が関係している可能性もあります。東部の猫児山周辺は石灰岩地帯、中部の花坪などは蛇紋岩を含む非石灰岩地帯、西部の九万大山は今手元に地質図が無いため未検証です。

「広西南嶺」のアジサイ属コアジサイ群(Series Petalanthaeに相当)の分布は、現時点では次のように想定することが出来ます。
東部:カラコンテリギ=(×)非分布可能性大/ヤナギバハナアジサイ=(?)不明/ジョウザン=(○)分布可能性大
中部:カラコンテリギ=◎豊産/ヤナギバハナアジサイ=×非分布/ジョウザン=○分布
西部:カラコンテリギ=×非分布/ヤナギバハナアジサイ=○稀産/ジョウザン=◎豊産

PM7:00汪洞帰着。町はずれのホテルに投宿。今日、開店したばかり(本来はたぶんまだ宿泊客は泊めない?)、最初の宿泊客で、しかも日本人と言うことで大歓迎を受けてしまいました。未使用のまっさらな部屋に泊まるのはなかなか気持ちが良いものです。お祝い用の食事を無料で御馳走になり、オーナーから、明日一緒に九万大山にハイキングに行こう、と強く誘われ、雨の中の中途半端な撮影のリベンジをしたい気持ちもあったのですが、人と一緒では自由な行動が難しくなってしまう(一か所で時間をかけて撮影が出来ない)し、本来なら宿泊せずに融水へ戻る予定だったこともあり、後ろ髪を引かれる思いで翌朝AM6:30のバスで融水に戻ることにしました。今になって考えれば、もう一日探索を行っておけばよかったと後悔しています。


ちょっと下った辺りではノリウツギがメインとなります。まだ開花初期です。


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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第58回)

2011-07-18 08:58:23 | 野生アジサイ



幻の“ヤナギバハナアジサイHydrangea kwangsiensis”探索記/広西壮族自治区融水苗族自治県九万大山②




朝の香港国際空港

2011.7.6
結局、Hさんに1万円を用立てて貰うことになりました。日本では出来なかったインターネットが、香港や中国では可能になります。このまま空港に滞在し、日本の各所とメール交渉を重ねて資金を得る予定だったのですが、すぐに交渉が成立する見通しは暗いと考えたほうが良さそうです。

目的の野生アジサイにしろヒグラシにしろ、6月後半、せいぜい7月前半が勝負、時間を浪費している余裕は一刻もありません。ということで、この1万円で、出来る限りのチャレンジをするべく、中国本土に向かうことにしました。とりあえず、最大の目標の「幻のヤナギバハナアジサイ」の探索に向かいましょう。

AM08:30香港空港からエアポートエクスプレスで九龍、無料シャトルバスに乗り継ぎ、東〇線ホンホン駅からシンセン羅湖にAM10:30着(計1400円)。イミグレーション通過後、食事をし(困ったことに、一度日本に帰国したためか、いつも出来ていた場所からインターネットが出来なくなったしまった、この後もそのことで悩まされます)、電話をかけ、地図を購入して、シンセン13:20発の動車(新幹線)で広州へ。車内でコンセントが使えるファーストクラス1350円(エコノミークラスは1200円)に乗ろうとしたところが、、、発車直前になって、食堂にバッテリーコードを忘れてきたことに気が付きました!慌てて走って取りに戻り、次の13:28発に振り替え乗車、しかし、広州行きではなく、一つ手前の広州東(なぜかこちらの便が大半)行きだったため、広州バスターミナルに向かうのに、バスや地鉄だと時間がかかるし、タクシーに乗ると料金がバカになりません。不便(便数が少ない)を承知で、近くの広州東バスターミナルへ。

案の定、広西方面に向かうバスは一つもありません。広州で停滞しても意味が無いし、少しでも先に進もうと、広州の衛星観光都市・筆慶へ。広州東15:20発、筆慶18:00着。そこから広西壮族自治区東南端の町・州へ向かおうと思ったのですけれど、やはり直通バスが無い!中国では隣り合った州や市を跨いで結ぶ(比較的近距離の)公共バスは著しく少ないのです(たぶん日本やアメリカでも同じ)。

切符売り場で頭を抱えていたら、窓口の女の子が、ブロークンな英語で、どこそこの町まで行け、と1枚の切符を発行してくれました。後でわかったのですが、州に隣接した、広東省側の小さな町です。そこで再び乗り換えれば州に行けると。
総じて、この筆慶のバスターミナルの人々は親切で、僕の中の中国人に対する認識が少しは変わってきたように思うのです(今回の地震以来、日本人に対する対応が微妙に変わってきた様な気がします、というよりも、もともと日本人に対して持っていたポジティブな心象が、微妙な形で良い方向に表れているのではないかと、そのことについては改めて)。

筆慶18:30発、開封(広東広西省境)21:30着、すぐに別のバスに乗り換えて、梧州22:00着。日本を出てから丸2日間寝ていないので、街中の大きなホテル(1500円)泊。



筆慶の町は、華東で言えば上海に対する杭州のような位置付けかも。町全体が、いわゆる“風光明媚”なイメージに包まれています。


(写真左)売店の女の子たちもなぜかとても親切、食べるものがほしいと言ったら、用意してくれたのがこれ。屋久島の餅菓子に似ているけれど、中に豚肉などが入っていてとても美味しい!
(写真右)バスの発車直前、切符売り場の女の子が、この先の行き方を記したメモを走って持って来てくれました。たどたどしい英語だけれど意味は充分に分かります。

2011.7.7
梧州08:30発、柳州15:30着(1800円)。柳州15:50発、融水18:30着(450円)。融水は、街全体が、林立する巨大な岩山の中にあり、一種異様な雰囲気を醸し出しています。バスターミナル近くの高級ホテルに投宿(1000円)。夜、雷を伴った豪雨。


梧州~柳州間は、このような風景がずっと続きます。




途中の町で昼食タイム。桂林米粉(50円)、瓜(30円)。






柳州~融水間は2時間半、しかしバスガイド?が添乗しています。自分用のクマさんの枕を出して、僕の前の座席で終点までずっと眠りこけていたけれど(笑)。


車内での晩飯(120円)。

 
融水のバスターミナル(右2枚)。広角のレンズが無いと、街全体を包み込む林立する岩山群が写せないのは残念です


町を鉄道が通っています。成都・重慶から、桂林や広州・シンセンへ2泊3日。町はずれの鉄道の駅に行ってみました。
輪車のオバちゃん「10元(135円)」。僕「3元じゃないと乗らない」。おばちゃん「じゃあ3元でいい」。往復で、かつ駅で20分ほど待たせたものだから、かなりの追加料金を要求されるかと戦々恐々、とりあえず10元を差しだしたら、(「これじゃ足りない」と言われるだろうという予想に反して)随分喜んでくれて、何度もお礼を言われたのでした。






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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第57回)

2011-07-18 08:56:46 | 野生アジサイ



幻の“ヤナギバハナアジサイ(新称)Hydrangea kwangsiensis”探索記/広西壮族自治区広西壮族自治区融水苗族自治県九万大山注洞郷①

2011.7.5
予定していたJRの成田空港行き特急が、“節電”のためとかで運休、京成のスカイライナーに振り替えて、成田空港PM5:58着。PM6:50発のDELTA便に危く乗り損ねるところだったのだけれど、滑り込みで間に会いました。カメラを質から出し、先月分の家賃を振り込んで、残り財産は8000円です。幾らなんでも、次の年金支給日の8月15日まで、事足りるわけがありません。でも1カ月有効の往復チケットの期限が今日までなので、ともかく中国に戻るチャンスは今日しかないのです。この8000円を使って香港空港で寝泊まりし(インターネットがスムーズに使えます)、日本のあちこちと交渉して、資金を調達するほかない。ところが何と!その虎の子の8000円を京成日暮里駅構内の公衆電話に置き忘れてしまった!1時間前には到着が難しい旨をDELTAのチェックインカウンターとやり取りするのに必死で、電車賃のお釣りで手に持ったままの8枚のお札を電話機の上に置いたままにしてしまったのです。

香港空港着PM10:00。むろん空港内で宿泊。でも日本のあちこちとメールでの交渉をしなくてはならないので、一睡も出来ない。出発前に、Aさん、Mさん、Kさんに幾許かの借金を申し入れ、それで質からカメラを出して(1万5000円)先月の家賃(3万5000円)を支払うことが出来たわけだけれど、あやこさんを含め、皆僕とは仕事上の繋がりは全く無い、いわば唯の知人に過ぎません。その(僕に対して何の義理もない)方たちが、僕の厚かましいお願いを聞きいれて下さり(金額の多少はともかく)助けてくれているのに、仕事関係の繋がりのある、要望に応じて写真や文章や情報を数多く提供している幾つかの企業やメディアや研究施設は、(未だ手にしていない)見返り報酬の打診をしてもウンともスンとも返事が無い。

なかには、こんな酷い例もあります。以前(その企業の一職員に対して)個人的に使用を許可してあった写真原版のうち、10数枚が営業用にネットで販売(顧客への贈呈?)されているのを見付けたので、いまさら使用料を請求するのもどうかと思い、(無断使用には目をつぶって)新たなルートが構築出来ればと、連絡を取って見ることにしました。一応大歓迎されたので、窮状を訴えるとともに、今後の写真提供に関わる交渉をメール送信したところ、次のような返事が。「大震災の被災者への援助金に回さねばならないので、資金的な余裕が無い」。それで「僕も被災者同様に日本の一市民です、かつ写真販売を生業としています、使用された写真の報酬を頂く当然の権利があると思っています、写真単価の金額には拘りませんのでそちらの判断で相当する使用料を納めて頂きたい」。と再メールを送ったところ、返事はなしのつぶて(苦笑)。

こんなことは、いつものことなのです。(それまで全く関わりのなかった)企業や大学などから、様々な情報や写真の提供を求められたり、講義講演のお願いをされたりするのですが、それに応じて相応の条件や報酬を要求すると、謝絶されてしまう。情報や写真はすでに提供しているわけですから、詐欺だとしか言いようがありません。

そしてしばしば(前にも一度記しましたが)こんなことを言われます。「もっとお金に恬淡としていると思った」「あなたが報酬を要求してはいけない」等々。どうしてこう甘く見られるのでしょうか? 出発前にジン君と食事をした際、彼に言われたのですが、今の日本では“所属”が明確でなければ、仕事としての交渉が成立しないのではないだろうか。言い換えれば、自分の“立場”を明確に相手に伝えること。僕の場合、正規の研究者でも無ければ、いわゆるマニア・愛好家でもない。
何らかの母体に所属しているわけでもない。今の日本の社会の中では甘く見られて当然なのかも知れません。ジン君が僕のことを友達に紹介するとき、「現代の南方熊楠です」と言ってくれるのは(身に余る光栄で)凄く嬉しいのです。でも実際問題、それに甘んじているわけには行きません。

そのうちに、大学とか、研究施設とかからの、理不尽な要求などを集めた、「コラム集」を披露しようかと思っています。





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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第56回)

2011-07-10 13:32:23 | 野生アジサイ


◆BⅠ③1 ホソバオオアジサイHydrangea aspera(狭義) 中国大陸中~南部

中国の各地(四川省を中心に、雲南省、広西壮族自治区、湖北省などで確認)で普遍的に見られる種。暫定的に狭義のH. asperaとしておく。



ほか、写真数頁


◆BⅠ③5 マルバオオアジサイHydrangea robusta 中国大陸中~南部・北部インドシナ半島、東部ヒマラヤ

四川省山岳地帯の、標高2000m以上に生育する大型種。暫定的にH. robustaを充てておく。



ほか、写真数頁



◆BⅠ③6 タイワンオオアジサイ(新称) Hydrangea kawakamii  台湾

台湾には、タマアジサイ亜群の「ナガバノタマアジサイ」と、オオアジサイ亜群の「タイワンオオアジサイ」が同じ山に見られ、開花期も同じだが、生育する標高が明らかに異なる(合歓山の中腹では、前者が標高800~1500m付近、後者が標高1700~2600m付近、ただし下に写真を紹介した南部山地では、標高1000m余の地点に後者が見られ、必ずしも標高が生育地を決定する要因とはなっていないようにも思われる)。



ほか、写真数頁
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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第55回)

2011-07-08 13:51:44 | 野生アジサイ


BⅠ③オオアジサイ亜群 (→アジサイ属アジサイ節タマアジサイ亜節Subsect.Asperaeの一部)

鮮やかな色彩といい、密に装飾花を纏った大きな花序といい、まさに中国の「ガクアジサイ」「ヤマアジサイ」を思わせるが、血縁的にはかなり遠縁の一群で、広義にはタマアジサイのグループに所属する。通常、種名から「アスぺラ」と呼び習わされていて、他に「ヒマラヤアマチャノキ」の名もある(筆者は「オオアジサイ」の名を提唱している)。

小花序の基部ごとに、先の尖った三角型の苞葉が多数取り巻く(●1/2)などの固有の特徴をもち、開花前の花序全体を大きな苞で丸ごと球状に包むタマアジサイとは明瞭に異なることから、別亜群として扱うことにした。子房は下位で上面がやや平坦な杯状、花柱は基部から大きく2(-3)分岐(●3)。花序基部には、通常葉柄を欠く(ごく短い)一対の葉を備える(苞葉の宿存?●4)。葉は表裏とも密に毛に覆われ、葉縁の細鋸歯は種によっては2重鋸歯となる(●5)。多数の種に細分されるが、1~数種に統合する見解もある。

中国大陸の東部から西南部~西北部にかけての広範囲に分布し、ヒマラヤ地方・インドシナ半島北部・台湾に至る。真のアジサイに近縁なガクウツギの一群(「カラコンテリギ」「ユンナンアジサイ」)が産しない長江の北側を含む地域にも分布、同じ地域でも標高や環境ごとに多くの種に分化しているようである。開花期は7~8月。







中国では最も普遍的な野生アジサイだが、なぜか日本には分布していない(四国や九州の山地に稀産するヤハズアジサイが、このグループの一員かも知れない)。開花盛期は、カラコンテリギやユンナンアジサイが、日本のガクウツギやトカラアジサイ同様、初夏(4月下旬から5月)なのに対し、夏のさ中から後半(7月下旬から8月)となる。その季節に咲く中国の野生アジサイ(ジョウザンの開花盛期はもう少し早い6~7月)の主役は、標高2500m付近を境に、それより上部ではノリウツギ群のミヤマアジサイH.heteromalla、下部ではオオアジサイ(アスぺラ)のグループと言うことになると思う。



中国の野生アジサイを代表する「アスぺラ」

◆BⅠ③ オオアジサイ(広義) Hydrangea aspera COMPLEX
中国大陸中~南部・台湾・北部インドシナ半島、東部ヒマラヤ
◆BⅠ③1 ホソバオオアジサイ(新称)Hydrangea aspera 中国大陸中~南部
◆BⅠ③2 Hydrangea coacta 中国大陸西北部(秦嶺:陝西)
◆BⅠ③3 Hydrangea strigosa 中国大陸中部(長江中流域:湖南、湖北、陝西、貴州、四川)
◆BⅠ③4 Hydrangea longipes(3変種) 中国大陸中~南部
◆BⅠ③5 マルバオオアジサイ(新称)Hydrangea robusta  中国大陸中~南部・北部インドシナ半島、東部ヒマラヤ
◆BⅠ③6 タイワンオオアジサイ(新称) Hydrangea kawakamii  台湾

アスペラの一群は、中国の多くの地域で、複数の種が標高や環境ごとに混在しているようである。著者は各種の区別点について正確な知識を持ち合わせていず、本書では、とりあえず全てを一括し、アスペラ(オオアジサイ)Hydrangea aspera COMPLEXとして扱い、その上で明らかに区別が可能な2つの集団「ホソバオオアジサイ」と「マルバオオアジサイ」を、暫定的にHydrangea aspera(狭義)とHydrangea robustaに振り分け、台湾産のHydrangea kawakamii(タイワンオオアジサイ)を加えた3種として記述して行く。

ホソバオオアジサイとマルバオオアジサイの差異は以下の通り(●ホソバオオアジサイ、○マルバオオアジサイ)。
【葉形】●小型で長楕円形。○大型で円形。【葉縁】●単鋸歯。○2重鋸歯。
【花序】●より小型。○より大型。【花色】●鮮明な紫。○白~淡い赤紫。
【生育標高】●500m~2300m。○2000m~2500m。【開花盛期(同一標高)】●7月上~中旬。○7月下旬~8月上旬。


左:マルバオオアジサイ、右:ホソバオオアジサイ (葉縁鋸歯)左:マルバオオアジサイ、右:ホソバオオアジサイ



開花盛期のホソバオオアジサイと開花末期のマルバオオアジサイ(右)
四川省西嶺雪山大巴原始森林 標高2100m地点 2009.8.5












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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第54回)

2011-07-07 08:50:27 | 野生アジサイ



花序の蕾全体が大きな球状の苞で覆われた薄紫色の美麗種
■BⅠ①1 タマアジサイ Hydrangea inbolucarta
●BⅠ①1aタマアジサイ(基変種)var.inbolucarta 本州中部
●BⅠ①1bラセイタタマアジサイvar.idzuensis 伊豆七島
●BⅠ①1cトカラタマアジサイvar.tokarensis トカラ火山列島(三島列島黒島・トカラ列島口之島・同諏訪瀬島)

首都圏近郊の丘陵や低山地で夏の終わりごろ最も普通に見ることができる野生アジサイのひとつ。装飾花や正常花が紫色を帯び、(関東地方などでは)白花の多いヤマアジサイより、むしろ栽培アジサイの野生種の様な趣を持つ。本州中部のほか、伊豆諸島とトカラ火山列島(三島列島・トカラ列島)に隔離分布する。同亜群のもうひとつの種、台湾産のナガバノタマアジサイを含めて考えると、変種トカラタマアジサイは、分布圏のちょうど中心に位置すると考えることも出来る。



群馬県榛名山85.7.24


山梨県甲武信岳山麓02.7.30




◆BⅠ①2 ナガバノタマアジサイ Hydrangea longifolia 台湾

合歓山東面の断崖絶壁とも言えそうな急斜面の山腹に、樹高5m以上ある大きな株が散在する。合歓山東面では“アスペラ”の仲間のタイワンオオアジサイH.kawakamiiと同時期に咲くが、生育地は明らかに異なり、本種は標高1000m前後、タイワンオオアジサイは標高2000m前後かそれ以上の地に見られる。著者の観察した限りでは、雄蕊花糸の数は、タマアジサイより明らかに多い15~20本。



合歓山東面中腹 2005.8.20



合歓山東面中腹 2002.9.6




合歓山東面中腹 2005.8.20  この集団に関しては、雄蕊数約20本。








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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第53回)

2011-07-06 13:04:15 | 野生アジサイ



BⅠ①タマアジサイ亜群(→アジサイ属アジサイ節タマアジサイ亜節Subsect.Asperaeの一部)

真のアジサイ類(コアジサイ群)と類縁的にごく遠い間柄にあることは、開花前の花序が大型の苞で球状にすっぽりと覆われてしまう(●1)ことからも、察しがつく。ヤハズアジサイやオオアジサイ(アスペラ)類と共にタマアジサイ節を形成。子房は下位、基半部は丸みを帯び、背縁はやや盛り上がる程度、花柱は基部から2分岐し(変種トカラタマアジサイは3~4分岐)、強く外側に湾曲、花柱の基部が膨張してその間に深い溝を生じ、子房本体が2分しているような印象をうける(●2)。蕾の花序を包み込んでいた基部の苞葉は開花後に脱落、花序柄(枝の最上部に相当?)は太く淡色で柔らか、花序の基部には葉を生じない(●3/4)。葉は極めて大型で、ざらざらとした質感を持ち、葉縁に細鋸歯が整然と並ぶ(●5)。

タマアジサイ、ナガバノタマアジサイとも開花盛期は8月中~下旬。






本州中部にタマアジサイ、伊豆七島にラセイタタマアジサイ、トカラ火山列島(三島列島黒島・トカラ列島口之島)にトカラタマアジサイ(後で述べる真のアジサイ類に近縁のトカラアジサイとは別種)の、3変種が隔離分布するほか、台湾の山地帯(合歓山東面では標高700~1200m付近で確認撮影)に、葉が細長くてより分厚いナガバノタマアジサイが分布する。中国大陸長江中流域(湖北省西部)産のH.sargentianaも同亜群に含められる可能性があるが、詳細は不明(後述)。






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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第52回)

2011-07-06 12:58:59 | 野生アジサイ


★『手違いついでに、どうせなら「コンパクト版」で続けていくことにしました』



Bタマアジサイ上群

種子の周囲や両端に翼がある(●1/2)。子房下位、花柱は基部から2分し外側へ強く湾曲する(●3)。タマアジサイ群・ツルアジサイ群・テリハタマアジサイ群・バイカアマチャ群の4群を「上群」に纏めた。この4グループの単系統性の証明については保留しておく。ノリウツギ上群~コアジサイ上群と対応するが、ノリウツギのグループをこの一群に含める見解もある。日本では少数派だが、熱帯アジアおよび新大陸産のアジサイ族の大多数の種は、この上群か次のノリウツギ上群に含まれる。





BⅠタマアジサイ群 (→アジサイ属アジサイ節タマアジサイ亜節Subsect.Asperae)
花序または小花序の基部に早落性の苞を持つ(●1/2)。子房は半下位~下位、雌蕊の柱頭は基部から明瞭に分離して左右に大きく開く(●3)。正常花の花弁は早落性(●4)、稀に先端が接着したまま帽子状に脱げ落ちることもある(●5)。種子は両端が翼状に広がり、本体との付け根が括れる(●6)。雄蕊は10~20本(●7)。装飾花や正常花が鮮かな色彩を持つ種が多い。







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お詫び

2011-07-04 09:28:23 | 雑記 報告


★今日、朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第52回)を更新しましたが、私の手違いにより、間違った原稿を載せてしまいました。
削除して、お詫び申し上げます。
朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第52回)は改めて、後日更新させていただきます。

あやこ

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