青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

勇気を持ってマスクを外そう

2021-02-08 20:42:35 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


勇気を持ってマスクを外そう

誰もいないところで、マスクをするのは、やめよう。

(本当はそれも必要ないと思うけれど、段階的に)少なくても、人と対面するとき、混雑な状況にあるとき以外は、マスクを外そう。

「白い目で見られる」

「怖い」

「いちいち面倒」

それは分かる。でも、目の前(の自己保身)だけでなく、将来の「人類」のために、「無意識同調強要空気」を作り出すことは、やめよう。

「コロナ」は怖い。でも、人は「コロナ」で死ぬのではない。ウイルス感染は、複合的な要因のひとつに過ぎない。それは今に始まったことではない。「怖い」(死に繋がる)脅威は、これまでも幾つもあったし、これからも幾つもある。

「マスク」に頼り、「ワクチン」を待望している人々は、全てのリスクを排除し、やがて人造人間になり、永遠の命を望んでいる、ということなのかな?

やがて来る夏。

冷房なんてやめよう(段階的でもいい)。

過度の「冷房」漬けが、人々の体を蝕み、地球の環境を蝕んでいる。

窓を開けて、風を入れれば良いだけだ。

夏が暑いのは、当たり前。

なぜ我慢できないのだろうか(僕は平気だよ、それはおかしいことなの?)。

科学と文明だけに頼るのは、もう止めよう。



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僕とモニカとミャンマーとウイグル

2021-02-08 20:26:45 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




ミャンマーが何やら騒(ざわ)ついています。政治のことは僕には分からないのですが。

でも僕は、(香港の場合もそうだけれど)ネット上で勝手なこと(たぶん正論なのでしょうが)言ってるヤフコメ民の、おそらく9割以上の人たちよりも、ミャンマーとの縁が(ほんの少しだけでしょうが)ある、と思います。で、ちょっとだけ触れておきます。

ミャンマー民主化デモの記事に関するコメント、相変わらず「中国攻撃」ですね。お決まりの「悪の原因は全て中国から齎される」に結びつけていく。まあ、攻撃されても仕方がないことはやっていますが、僕は中国擁護です(笑)。森さんの場合と似たようなものです。

大半は、こんなコメントです。

>中国をどうにかしなければ、世界は民主化には絶対に進まない。

>もし、ミャンマーが中国と対立するならば、ウイグル自治区から東南アジアに流れる「川」のダムを締めたら、一巻の終わり、、、。中国は無言の圧力です。

それ(2つ目のコメント)に対して、

>さすがにウイグルから東南アジアに流れ込む河川は無いのでは?メコン川の源流はチベットですが。

というコメントもありました。冷静に見ている人もいるのですね。

驚いたのは、「ウイグル自治区から東南アジアに流れる、云々、、、」に「そう思う」、「ウイグルから東南アジアに流れ込む河川はない、、、、」の方に「そうは思わない」が、それぞれ幾つもついていたこと。一体、、、、確信犯かな?(笑)。

ウイグルからは、一本も外洋に川が流れだしていません(非常に細かくチェックすると西シベリア経て北極海に注ぐオビ川の最源流がウイグル北端部に源を発している)。

ウイグルには、広大なタクラマカン砂漠を挟んで、北に天山山脈、南に崑崙山脈の7000m級の雪嶺が連なり、その麓には世界でも有数の標高の低い(マイナス154m)のトルファン盆地があります。西のパキスタンとの境には、世界第2位の高峰K2が聳え、省内の標高高低差は9000m近くに及び、世界一です。

一方、チベットには、メコン川だけでなく、黄河、長江、サルウイン、イラワジ、ブラマプトラなどの、アジアの大河の最源流が集結しています。ほぼ全域が標高6000mを超すチベット高原に覆われ(低いところでも4000m前後)、南縁は8000m峰を連ねるヒマラヤ山脈です。

アジア6大河の源流が全部集まり、世界最高峰を擁するチベット。
川はほぼ全部内陸に収斂し、世界第四位の低所と世界第二位の高所のあるウイグル。
どちらも、すごいところです。
そりゃあ、中国としては手放したくありません。

面積40万分の1にしか過ぎない尖閣とは、訳が違います。もっとも尖閣の場合は、その先に(そこから宮古海峡を越えた東方に)更に広大な太平洋が広がっているわけですから、地政学的には、そうとも言えないのですが。

ところで僕は、日本(西側社会)と中国のどっちの味方なのか? 「現代ビジネス」に記事を書いていた時、しばしばこんなコメントを貰いました。
>この作者は(日中)どっちの味方しているの? 
>立ち位置が明確でないというのは、ジャーナリストとして失格。

、、、だそうです。
(だって、ジャーナリストじゃないもん、笑)

僕は、どっちもの味方です。

さて、ミャンマーですが。

数か月間現地で仕事をしたことがあります。

人生で、唯一度、VIP待遇(ほぼ国賓待遇)を受けました。仕事を終えた後、あやこさんから「このままミャンマーで暮らしたら?」と言われたのですが、いや、そういうわけにもいかなくて(そのためには新しい顕微鏡を購入持参せねばならない)、その後再訪もしていません。その進言を受け入れときゃ良かったと、ちょっと後悔しています。

とにかく、文句なく素晴らしい国です(むろん「裏側」もそれなりに、というか、かなりどっさりあるようですが)。人間 そういった環境(特別待遇)に身を置かれると、道を見失ってしまう、というのが、よく分かります(権力者側の気持ちもちょっぴり分かるような)。でも、そのことを差し引いても、素晴らしい国です。ことに若者が、素直で、努力家で、朗らかで、素晴らしい。

ただ、どうしても一つ引っかかることがあるんですね。学生たちとは別に、助手として働いて貰っていた、奥地の少数民族原住民の若者。アル中で、彼自身に問題は山積みだったとはしても、余りに露骨な差別を学生たちから受け続けていた。学生たちは、とてもそんなことを行うような人間じゃないんですよ。でも、そういう現実があった。

モニカのミャンマーとの縁は、僕よりももっと深いです。

僕と喧嘩していた8年前、その喧嘩が原因で勤めていた昆明の会社をクビになった。どうせなら、もっと給料の良い職場を見つけようと、当時のモニカの身分からすれば破格の月10万円の報酬の、中国/ミャンマー共同国家事業であるメコン川の巨大ダム工事計画の、ミャンマー側スタッフの通訳兼監督として、現地(雲南省中部のメコン川沿いの現場)に赴いた。

その時に、ミャンマー人の彼氏が出来た(後に中国人のご主人と結婚した際「本当はミャンマー人の彼氏の方が好きなんだけれど、でも、しょうがない」とか言ってた)のですが、数か月間に及ぶ仕事が終わってからは(クビになったのかどうかはともかく)「もうミャンマーとは関りが無くなってしまった」そうで、その後どうなったかは聞いていません。

その中国人ご主人も、ちょっと?な点があって、最初に報告を受けた時は、ウイグル(ウルムチ)在住と言っていたのです。実際、ウルムチに行って暮らすのだと(お母さんは賛成で、お父さんは反対している由)。たまたま出発の当日に日本から電話で話したときには「飛行機が遅れていて心細い」とか言っていた。いずれにしろウイグルは遠いし、僕もまあ当分は会えないなあ、と思っていました。

数か月後、次に中国に行ったとき電話したら、なんと深圳に戻っている、と。新婚の旦那さんを紹介してくれました。でも聞いていたウイグルの人(漢民族だそうですが)のプロフィールとは、いろいろと違う(笑)。深く詮索するのもなんだかと思い、詳細は知らないままなのですが、どうやら数か月の間に、何かがあったと言う事でしょう。

そんなわけで、最終的にはウイグルともミャンマーとも縁は無くなったモニカですが、この両地域に対する好感は今も持ち続けているようです。常々「日本には(観光でも仕事でも)絶対に行きたくない」と言っているのに対し、ミャンマーやウイグルには、機会があればぜひ行きたい、と漏らしています。

僕も、ウイグルには、少しだけ縁があります。

上海の、いつもお世話になっている(ただで泊めて貰っている)「芸術家村」(仮称)の実質トップの人が、ウイグル出身の有名画家。なぜか知らないけれど、僕を凄く評価してくれているのです。「是非ウイグルに訪ねて来てください」と言われていて、僕もその気は充分あるのですが、でもその方は一昨年な大きな手術をして、重篤状態にあると。その後コロナで訪中が叶わず、以降の経過は分からないままになっています。

その芸術家村で、ある夕食時、制服にキンキラ★をいっぱいつけた数人の高級お役人と同席しました。いやもう緊張したも何も。別に具体的に何かあったわけじゃないのですが、威圧感というか、半端じゃない。はっきり言って、ひたすら怖かった(夜中に連行とかされそうで)。あとでU氏にその事を話したら、「そりゃ決まっているでしょうが、関わると怖いですよ」と。

この話は、以前ブログで取り上げた事があると思いますが、、、。桂林の街中での出来事です。怪しい(ちょっとインチキな)お菓子売りのウイグル人がいました。いつも通り過ぎる際に「買ってよ!」と声をかけられるのですが、「また今度ね」で毎回やり過ごしてきました。でも一度は買ってあげないと、と思い、(半分インチキで)ちょっと高めなのは、まあいいかと織り込み済みで、購入する事にしました。お金を渡そうとした瞬間、2人の周りを、突然何人もの制服の公安が取り囲んだ。

どうやら、外国人の僕と、そのウイグル人男性が喧嘩になるのを期待しているようなのです。そうなれば彼を連行しようと。僕はその雰囲気を感じ取ったので、大袈裟に彼と握手したりして、公安の人たちに「この人は僕の友達なんですよ」と言って、彼にお菓子代を渡しました。結局、公安の人たちは何もせずに引き上げて行きました。

その時の、彼(ウイグル人のお菓子売り)の情けなさそうな表情は、今もありありと覚えています。覚えている、、、、というのとは、ちょっと状況が違いますね。公安の人たちが2人を取り囲んだ瞬間、とっさにウイグル人と公安の写真を写したのです(それで思い出すことが出来る)。今考えたら、良く写真など撮れたと思います。公安の人が、「この外国人は喧嘩になった時の証拠として写真を撮っている」と都合よく解釈してくれたのだと思います。

そう、中国の各地に住むどのウイグル人も、ずっと公安の尾行を受けているのです。

そのような事実も(事実のひとつも)、確かに存在する、と言う事です。

ただ僕には、だから、、、と結論付けることは出来ません。

例えば、チベット省境の雲南省側の村に住んでる、あるチベット人の友人。彼は、誇り高きチベット人です。であると共に、若い頃、中国共産党で活動していたことを、何よりも誇りに思っています。

中国が、チベットやウイグルに対して、いかに弾圧的な態度をとっているか、また、チベットやウイグルの民が、そのことに対して、どれだけ辛い思いをしているか、分かるんですよ。

分かるんだけれど、でも、そう単純な問題ではない。

立場もスケールも異なるけれど、「沖縄」について、本気で考えてみてください(多くの日本人は、まあ、最初から、分かろうとはしないのだろうけれど)。




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「クラスター」について一言

2021-02-08 20:23:51 | 香港デモ、新型ウイルス、日記

「クラスター」について一言

世界で唯一屋久島の山頂岩壁にのみ生え*、他のどの地域にも姉妹種さえ知られていない究極の屋久島固有種・ヤクシマリンドウは、現時点で成されている系統分類上は、中国大陸西南部高地や熱帯アジア島嶼高山に計40種近くが分布する「Monopoidae-section」というリンドウ科リンドウ属の一グループの、そのまた一小群である「Verticillatae-series」に所属しています。「七葉竜胆」「六葉竜胆」「五葉竜胆」「四葉竜胆」などとともにその「series」に記載されている6つの種の一つが、「ヤクシマリンドウ」(中国名は「台湾竜胆」*)とされています。

*台湾最高峰玉山の頂上岩壁にヤクシマリンドウそのものが生えている(よって中国名は「台湾竜胆」)ことになっていますが、標本も存在せず、100年近い間真偽は確かめようともされていません。比較的最近に「台湾のカレンダー」で紹介された生態写真が1枚あって、それを見るにヤクシマリンドウと寸分変わらず、単に(分布することになってるのだからいいだろうということで)他の写真を転用したのか、それとも実際に「全く同じもの」が両地に生えているのか、、、前者の可能性が高いと考えていますが、台湾と屋久島の山の深い繋がりを考えると、後者の可能性も否定しきれません。

「台湾産」に於ける問題はともかく、この(ヤクシマリンドウを七葉竜胆と同じseriesに置く)処置が正しいかどうかについては、ここでは触れません。もとより、今すぐにこの(リンドウ関係の)記事を書こうとしているわけではなく、記事本体は、もう少し内容を煮詰めて、出来れば来週あたりからブログにアップしていこうと思っているのです。なので、今回の記事は、「余禄」です。

中国西南部(雲南北部-四川西部-チベット東部など)の標高4000mを超す高山岩礫地に生えるのが「Gentiana arethusae七葉竜胆(変種以下の処遇については省略、日本名仮称:ナナツバリンドウ)です。

この種(あるいは地域個体群?)は、ヤクシマリンドウはもとより、他の同seriesの各種(地域個体群?)にも見当たらない、著しい特徴を持っています。

それは、(四方に花茎が展開する)株の中央に、ちょっと見では別の植物と思ってしまうような(僕もずっとそう思っていた)、それ以前に余りに小さくて余程注意していなくては目にも留まらない、初期ロゼットのクラスターを生じるのです。

この後の「リンドウ」の話題の本記事では、写真を交えながら、そのロゼット・クラスターの意味について考えていくつもりで、今せっせと書き進めているところなのですが、なんか気になって仕方がないことがある。

「クラスター」という言葉。僕ら、生物の分類や、生態観察などに関わっている人間には、ごく身近な、使用する頻度がごく高い言葉です。でも、一般用語として使われることは余りない(のだと思う)。それが、今回の「コロナ騒動」で、「新型日本語」として突然現れ、一気にメジャー・ブレイクしたわけです。

それはそれで良いのです。新しい「日本語」が増えるのは、悪い事ではない。けれど、そのことによって、本来の(というか、それも含む広い範囲の言葉の持つ)意味が薄れ、忘れ去られていく、という懸念があります。

今、日本で「クラスター」というと、即コロナに結び付けられると思います。ということで、肩身の狭い思いをしつつ、「申し訳ない、コロナとは無関係です(-_-;)」と、言い訳を添えながら使わねばならない状況になっています(「コロナ」という言葉自体もそうである、と言う事を以前記しましたね)。

ずっと以前にも、似たような想いを懐いたことがありました。新日本語としての「アダルト」。むろん、生体とか大人の意味で、僕の場合だったら前者は生物との関りでごく日常的に使っていたし、後者はアメリカン・ポップスの“Adult Contemporary”でおなじみです。それがある時点を境に、突然限定された意味の日本語として固定された(最近はやや元に戻りつつあるような気がしますが)。

戸惑ってしまいますね。

日本語として新しく出現した言葉が、一つの意味だけに特化限定され、それがスタンダードになる、という流れは好きじゃありません。

あと、インターネットの世界に於ける「アプリ」(アプリケーション)の概念。これがさっぱり分からない。実態として僕の頭の中に入ってこない。たぶん永久に分からないと思います(他のインターネット用語共々)。でもまあ、これは(言葉の問題ではなく)僕の頭が悪い、と言う事なのでしょうけれど。

もとより、外国語がカタカナ導入された時点で「全く新しい日本語」であるわけですから、意味が限定されていても仕方がないのかも知れません(それでも本来の意味や広い捉え方を排除しては欲しくない)。

あと、わざわざ「ロゼット・クラスター」と言わなくても、「根生葉集団」と言えば良いのですね。でも「集団」はイメージがちょっと違う、「集まり」の方が微妙に近いような気がする。

いずれにしても、英語の出来ない僕としては、深いところでは判断しようがありません。(同じく全然ダメな)中国語になると、もっと判断しようがないのですけれど、その僕でも違和感を覚えるのがこれ↓です。

10数年前ごろから若者が頻発使用し始めた「オーマイゴット!」(たぶん英語圏の人達より遥かに多く口をついて出ている)。あなたたちに神なんていないでしょ、という突っ込みを入れたくなるのですが、僕の懸念する問題はそこではない。

中国には「アイヤー!」という素晴らしい表現があります。それを喋る人が「オーマイゴット」に置き換わって、いなくなっちゃいましたね。残念です。

以上は外国語起源なので、それほど気には障らないのですが、日本語の場合は、微妙な部分で違和感を感じまくる「新型言語」が、少なからずあります。

先日のブログでも「決して正しい使い方ではない」と指摘した「大丈夫です」。余りの頻発に、イライラしてきます。穿った見方をすれば、「責任逃れ文化」の象徴、と言えなくもないです。それは確かに穿った見方であることには違いないでしょうし、それはそれで「一つの意味」として使われているわけで、否定はしません。

でも、それだけが正しい使い方、みたいに解釈されていく(例えば「世代」の概念が限定使用されているような)流れには、危惧を感じています。

今の(日本)社会は、「新たな」という事例が、「多様性」ではなく「限定性」をもってよしとする、という方向に進んでいるように思えてなりません。






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