青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

日本国内絶滅第1号種オガサワラシジミと、ルリシジミ、スギタニルリシジミミについて(その1)

2024-02-24 21:13:04 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他




オガサワラシジミ Lycaenopsis (Celastrina) ogasawaraensis

オオバシマムラサキ(シソ科)の蕾に産卵:小笠原父島中央山 Aug.2,1979



スギタニルリシジミ本州亜種 Lycaenopsis (Celastrina) hersilia sugitani

トチノキ(トチノキ科)の蕾に産卵:山形県肘折温泉 May 10,1982



ルリシジミ Lycaenopsis (Celastrina) argiolus

イタドリ(タデ科)の新芽に産卵:千葉県天津小湊町 JUL.19,1975



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今日、テイラー・スイフトをはじめて聴いた(我ながら笑ってしまう、なんて時代遅れな人間なのだろうか、、、)。なぜこれまで聴いていなかったのかと言うと、特に理由は無くて、、、、敢えて言えば、単にわざわざチェックするのが面倒だったから。たまたまバイデンvsトランプの記事をチェック中の流れで、曲を聴くことに相成ったわけだ。どの曲も、なかなか良い。



カントリーからスタートして、ポップ音楽の歌姫になり、今では音楽と言うジャンルを超えた時代のアイコンになっている、と言うことぐらいは知っていた。「デビューはカントリー、後にポップに移行して大ブレイク」と言うことなんだけれど、僕の感覚では、今だってスピリットは充分カントリーだね。



以前にも、テイラー・スイフトの実績をチェックしようと思って、手許にある「Billboard Top Pop Singles 1958-1999」「Top Country Singles 1944-1997」とをチェックしたら、どちらにも載っていなかった。そりゃそうだ、20世紀末は彼女はまだ10歳前後だもの。



考えてみれば、ポップからカントリーに移行した歌手は星の数ほどいるけれど、意外なことに、その逆は見当たらない。そうか、エルヴィス(1955年→1956年)が数少ないそのパターンだった(後のドリー・パートンとかも)。時代と男女の(+自分で曲を作る)差はあれど、イメージ的には、エルヴィスと重なる。



アメリカでのウケ方がなんとなくわかるような(かつ多くの日本人には分からないであろうろうことが分かるような)気がする。付け加えれば(漠然と、、、だけれど)大谷翔平の「存在次元」とも、被るような、、、。



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逸ノ城の断髪式、北青鵬の強制引退と宮城野親方(白鵬)の平年寄り降格、、、、ひいては、モンゴルと日本の文化や人々の価値観の相違、等々について考察していくつもりだったのだけれど、余りに大きな問題へと広がっていきそうなので割愛し、テイラー・スイフトでお茶を濁して、蝶の話題に移ることにする。



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ここのところ、連日霧雨のような天気。晴れていれば、今年一番の新世代の蝶(ベニシジミとかモンキチョウとか)が飛び出してきても良い時期である。撮影に出かけたいところだが、雨天を幸いにグッと我慢をして、デスクワークに専念。



「近所の森と道端の蝶(福岡編)」は、4章で構成することにした。

第一章:生態図鑑⓵:2023年春~秋に著者の自宅付近で撮影した蝶50(+7)種

68頁。これは完成済み。

第二章:生態図鑑⓶:日本産の蝶全種/主に1975年~2004年撮影のポジフィルムから

62頁。これも昨日ほぼ完成。

第三章:蝶のアラカルト

第四章:海の向こうの兄妹たち

3(約80頁予定)と4(約50頁予定)は“さわり”だけ抄出紹介するに留め、とりあえず商品(ローカル発信)にしてしまおうという目論見。



第二章の「日本産全種」というのは、かつてはザっと240種というのが定説だったけれど、現在はそれに加えて、南方系の蝶の南西諸島への進出、および「隠蔽種」とやらを種分割することなどで、かなりの増加となっている。でも遂一それを追っていれば(人によって見解も異なるだろうし)キリがない。なるたけ下方に標準を定め、大雑把なカウントで260~270種(分類群)ぐらいが妥当なところではなかろうか?



未撮影種が5種ほどある。撮影はしたはずなのだけれど写真を見つけ出せないという種が10種ほど。(南方系の日本に定着しているのかしていないのか曖昧な種に関しては、中国南部などでの撮影品で代用する)。誰かに借りるという手もあるが、「以前自分で写した種」というコンセプトに沿うためには、それはしたくない。



もちろん新たに撮影する、という手もあるわけだが、時間的、経済的なハードルを考えれば、現実的ではない。正直に「写真欠落」と表示することにしよう(一応市販本にする予定なので「なんだかなあ」とは思うが、致し方ない)。「図鑑」というよりも「作品」、というポリシーを重視したい。



で、原則今年は部屋でデスクワークに専念し、フィールドには出向かない。でも「福岡編」「日本産全種(+主要下位分類群)」と銘打ったからには、入れないわけにはいかない対象がひとつだけある。日本産蝶類のなかで唯一の「九州における明確な固有分類群」であるところの、スギタニルリシジミ九州亜種。



45年前(1979年4月17日)、まだ出来て間もない大村空港から、経ヶ岳に登ったことがある。延々と歩き通してヘトヘトになった挙句、お目当てのスギタニルリシジミには出会えなかった*。惨敗である。そこに再挑戦する(あや子さんは写真うつしていないかな?)。あるいは福岡県に的を絞って、英彦山や犬が岳。飯塚市内なら、(市内最高峰の)三郡山にいるかも知れない。



カメラは3万5000円の修理費を支払って引き取らねばならぬのだが、3万5000円捻出は厳しいし、

ちゃんと治っていない可能性もあるので、今すぐの奪回は躊躇、といってスマホでの撮影は自信がない。前回は3500円の中古カメラを購入して最低限の撮影は出来た(ひと月でぶっ壊れた)ので、今回もネットで安いカメラを購入、というのが現実的なのかも知れない。いずれにしても気が重いのだが、それ(九州産スギタニルリシジミ)だけは写しておきたい。



3月下旬に本が完成次第、即追加する。とにかく今年のフィールドワークは九州産スギタニルリシジミ一本に絞って(ほかに去年夏から続けているシルビアシジミのチェックも継続)、あとは部屋に籠城してデスクワーク専念に徹する。



冒頭にも晴れたように、次に晴れたら(明日かも知れない)、今年最初に姿を現すベニシジミとかモンキチョウとかを撮影に行きたいところだけれど、ぐっと我慢してスルー、デスクワークに専念と決めている。



けれど、もうひとつ思い出した。去年の春、ルリシジミは数多く撮影出来たけれど、翅を開いた♂のまともな写真は取れていない。そうだ、それにも再チャレンジしなくちゃ。こちらはアパートから徒歩1分の地点での撮影なので、それほど負担にはならないと思う。



ということで、来週からは徒歩一分地点でのルリシジミ撮影、月末には丸一日バス(下手すりゃタクシー)と徒歩でスギタニルリシジミにチャレンジ、あとはひたすらディスクワークに専念する。



その前に、先日東京から郵送したダンボール16箱分に収納してある、数10万枚のポジフィルムを整理して、スキャンしなくてはならない(既に開始している)。丸一年がかりの作業になりそうである。



「近所の森と道端の蝶(福岡編)」を終えれば、次は「東アジア(中国・日本と周辺地域)の蝶:原資料としての青山潤三撮影写真集+幾つかの問題提起」に取り組む。一巻平均200頁ぐらいで、計50巻を予定。印刷はせずに、写真を主体としたPDF原稿をCDに収納、定価1800円で販売する。200頁だと印刷本の売値は5000円くらいになる。なおかつ低いクオリティの印刷なので、購入者に対して心苦しいことこの上もない。



しかし、原版PDFをCDに収納販売すれば、圧倒的に廉価で、圧倒的にクオリティの高い作品を提供できることになる。原価はほとんどかからないので、僕の純益分(1000円を予定)と、六本脚へのマージン(30%)を上乗せしても、頁数の多少にかかわらず、全50巻一律1800円の定価で提供できる。

購読者にとっても僕にとっても取次ぎ機関にとっても、三方得策だと思う。僕の収入は、各巻購読者一人ならば5万円、10人なら50万円、100人なら500万円、という皮算用、である。



「取らぬ狸の皮算用」とならぬためには、作品を作り続けるしかない。最初は大向こう受けする対象からと考え、「モンシロチョウ」の号からスタートしようと、400頁分の試作品の凡その構成と写真の準備を、つい先日終えたばかりである。で、ポジフィルムの整理をしている過程で、いろんな写真が出てくる出てくる、絶滅危機各種も、結構揃っている。大向こう受けする、ということでは、こちらの方かも知れない。



絶滅危惧種となれば、何と言ってもオガサワラシジミ。危惧どころか、絶滅してしまった(ということになっている)蝶である。インパクトということでは、これほどの適材はないであろう。そのオガサワラシジミの「生きた野生の姿」の写真(とデータ)を世界で一番保持しているのは、間違いなく僕だと思う(探し出さなきゃなんないが)。



どうせなら、本当に絶滅してしまったのかどうかも確かめたい。そのうえで1998年刊行の「小笠原緑の島の進化論」の復刻版に、現在の状況(願わくば「絶滅種の生存確認」)を追加発表することが出来れば、大向こう受けすること必至である。



ということで、5‐6月頃(ゴールデンウイーク明け)に渡島調査、PDF作品をその前に発売し、調査結果を(上記復刻版に追加して)改めて報告する。それに先立って、来週のルリシジミ、月末の九州産スギタニルリシジミ(ともにオガサワラシジミの母種の末裔に相当)の紹介も兼ねて、ブログに概要を綴っていく。



*追記:



↓この写真を紹介すべきかどうか迷ったのだが、、、、45年前の撮影行の記念を兼ねて、一応挙げておく。経ヶ岳への登り口、黒木の村の路傍のレンゲソウに止まっていた“ルリシジミ”。この1枚しか写せなかったのだけれど、撮影時にはスギタニルリシジミと確信していた。この後、山に分け入ればいくらでも出現するだろうとたかを括っていたのだけれど、結局ルリシジミさえも一頭も出会えずに終わった。あとでチェックしたら、スギタニルリシジミかルリシジミか、この写真じゃとても判別不能。でもリアルタイムでの直観はかなりの確率で当たっていると思うので、一応ここに紹介しておくことにした。



 長崎県大村市黒木 Apr.17,1979








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奄美などの世界自然遺産登録見送りの件について

2018-05-04 12:41:21 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他

これは驚きです。世界遺産登録の認定委員会が、奄美大島(含む徳之島)、沖縄本島(北部のみ)、西表島をセットにした、新たな自然遺産登録を、明確に否定したというニュース。

「独自の生物進化がみられる」については「合致しない」ということらしいのですが、いったいどんな基準で、そのような「信じがたい」結論が導かれたのか?

大袈裟でもなんでもなく、これらの島々は、「独自の生物進化」という点では、地球上で最大の(突出したとさえ言って良い)意味を有した地域です。

奄美や沖縄は、ガラパゴスなどに比べれば「独自の生物進化」に関して100倍の大きな意味を持っています。しかし大衆はそのことに対する知識・認識を持ち合わせていません。それは仕方がないとしても、専門家?の集まりたる認定会のメンバーも、まさか、生物地理学的知識を全く持ち合わせていない、ということはないでしょうね。

「独自=派手=一般受け」ということなんでしょうか?

好意的に考えれば、(僕が常々主張しているように)これらの島々は、それぞれ全く違った要素での「独自性」を有しているわけで、その意味で(3地域を合わせてトータルに見渡した時は)「独自」とは言えない、と結論付けたのかも知れません。

だったら、3地域を個別に登録すれば良いのです。各単独でも、他の自然遺産登録地に勝るとも劣らない(例えば屋久島と同等レベルの)自然の豊富さと独自性を有していますから。

でも「世界に類を見ない」ということで言えば、それぞれ性格の全く異なった3つの地域が(本来なら既に登録済みの屋久島も加えて)、九州と台湾の間に連なる同じ「南西諸島」というエリアに踵を接して共存する、、、。

これは凄いことですよ! 地球上にそのような地域はほかに存在しないと言って良い(敢えて言えば広義の「モルッカ諸島」)。それ(南西諸島)を一括して評価することこそ、大きな意味があるのではないかと思うのですが、、、。

もっとも僕の都合としては、「6月24日から7月4日にかけての世界遺産委員会で正式決定されるが、今年の登録は厳しい見通し、来年以降に再挑戦、、、」となったならば、個人的には有難いです。6月27日の小笠原復帰50周年取材も、予算的に難しいですし、さらにこちらが加わると、完璧にお手上げ状態になります。来年回しになって貰った方が助かります。
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沖縄はどこにある?

2011-04-06 21:35:37 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他





大和と琉球の狭間で~屋久島はどこにある(第5回)《番外編》

ホンコンや台湾からの帰路(往路も)、機内でくつろぎたいのですが、いつもせわしなくイライラした想いでいます。これまでにも何度か書いたことがあるように、台北中正国際空港と東京成田国際空港のちょうど中間地点で、屋久島の隣の三島列島黒島の上空を通るからです。

台湾(やホンコン)方面からの帰路の時は、中正空港を離陸して(あるいは台湾北部を縦断して)すぐに尖閣列島の上空に差し掛かります。尖閣列島は、通常、機の真下に俯瞰することが出来ますが、南西諸島本体の与那国島や西表島は、遥か南に位置するため、よほどの条件に恵まれない限り確認することが出来ません。

尖閣列島を過ぎると、どの島影も見えなくなってしまいます。島影が全く見えない飛行は、ほぼ一時間に亘って続きます。南西諸島は、九州と台湾の間を一直線で結んでいるのではなくて、東側に張り出した緩やかなカーブを描いているため、沖縄や奄美の島々は、(通常150㎞ほど)東に遠ざかって、八重山諸島同様に望み見ることが出来ないのです。従って、その間はゆっくりと寛いでいれば良いのですが、いつ次の島影が現れるかと思うと、どうにも落ち着きません。

しばらくすると食事の時間。その頃になると、落ち着きのなさは頂点に達します。南西諸島の北部で空路と列島が接近し、やがてトカラ北部の島々(諏訪瀬島、中之島、臥蛇島、口之島etc.)が、突然右手に姿を現すからです。俯瞰での展望は、地図で見るのと変わらないわけですから、いまさらどうってことはない、と言ってしまえばそれまで、でも、やはり実際に自分の目で“島を確認する”という行為は、(洋上の船のデッキからにしろ、上空の航空機の窓越しにしろ)理屈抜きでワクワクするものがあるのです。

ともかく、島影が全く見えないで飛び続けた1時間の後に、何の前触れもなく小さな島々が突然現れます。タイミング良くチェックするのは、並大抵ではありません。トカラ列島口之島~三島列島黒島間の距離は90㎞。時速700㎞近くで飛行しているので、僅か10分そこそこの“観察”チャンスです。その間、口永良部島の向こうに、巨大な陸塊が墨絵のように見える屋久島も見逃すわけには行きません。ということで、あっという間の出来事。(たいてい真上を通ることになる黒島本体は充分には観察出来ませんが)特徴のある形の硫黄島・竹島を見下ろし、佐多岬の先端をかすめ通って、そこでやっと一息、成田までの残り1時間余は、リラックスタイムとなります。

さて、「中間地点」ということで言えば、九州と台湾の中間に位置するのが沖縄本島。距離的には幾分九州に近いのですが、緯度の上ではむしろ台湾寄り、というのは、先にもふれたように、南西諸島は南北に連なっていると言っても、実際は緩やかに湾曲していて(極端に表現すれば逆L字)、沖縄本島から先は西に強く傾いているからです(緯度上の九州-台湾の中間は、奄美大島付近)。

ということで、那覇市は鹿児島市と台北市のちょうど中間地点にあたります。そのことを、本土の人々(ソトナンチュー)はもとより、沖縄の人々(ウチナンチュウ)は、どれほど自覚しているでしょうか? 思うに、意識の外に置かれているのではないかと。
南(南西)へ宮古・八重山諸島が全て載った“まともな”地図というのは、(ことに最近は)滅多に見当たりません。私たち日本国民にも、沖縄県の人々にも、南西諸島全体を等しく俯瞰的に見る機会は、ほとんど与えられていない、と言っても過言ではないかも知れないのです。

全体が載っていないのには訳があります。沖縄本島と先島諸島(最も手前は宮古島)間が、それ以北の島々の間隔と比べて、遥かに遠く離れているからです。全てをそのまま載せるとなれば、そのために全体の縮尺を小さくしなくてはなりません。地図中を、陸地のない空白部分が大きく占めるのは、意味がないし勿体ない、ということなのでしょう。多くの地図では、沖縄本島~先島諸島間の空白地帯(海の部分)を枠や線で区切って、本島のすぐ左に宮古島以西の島々が示されているわけです。

何も無い“無駄”な空間や時間や物質を示すのは、意味もないし勿体ない、、、本当にそうなのでしょうか? それらの“無駄”を排除することのほうが、ずっと勿体ないのではないでしょうか? 何も無いように感じる、空間や時間や物質の中にこそ、様々な(ただし自分で掘り起こさねばならない)情報が埋まっているのではないでしょうか?

僕のライフワークは蝉の鳴き声の録音分析ですが、テープレコーダーやMDの扱いには、ほとほと困り果てて来ました。昔は良かったのです。機能はシンプルで、自分の意思で、自由に操作が出来た。然るに、リニューアルを重ねるに従って、(自分で操作しなくとも済む)“便利な”機能が、これでもか、と付随してくる。その反面、従来のシンプルな操作はどんどんやり辛くなります。

セミの鳴き声様式を構造的に理解するには、一フレーズを鳴き終えて、次のフレーズが始まるまでの間の、無声の“空白”部分
の全体の中での位置付けが、非常に重要な意味を担ってきます。しかし、機能が便利になるに連れて、親切にもその部分の録音が(いちいち解除設定を施さない限り)自動的に停止されるようになってしまった。それに気が付かずに録音し続けて、せっかくの録音が台なしになってしまったという痛い目に、何度も会って来たのです。

様々な現象は、何の意味も無さそうな時間や空間や事柄が、セットになって始めて意味を持ってくると、僕は信じています。でも、多くの人々にとっては、それは“無駄”な存在でしかないのでしょう。本当に勿体ないのは、自分で判断することの出来る、基本的な情報を与えられない、という事だと思うのですが。

地図の話に戻りましょう。沖縄県の地図には、それぞれの島嶼が一枚の地図中に、そのままの位置で示されていることは、まずもってありません。実際の位置に従い、右端に本島周辺、左端に先島諸島を配したならば、地図の中間部分の大半が、海だけになって、この上もなく無駄。ということで、本島周辺の島々と先島諸島の島々が、隣り合って示されることになるのです。

人々の島嶼間の移動は、(至近距離を除けば)おおむね船でなく飛行機を利用しているように思われます。飛行機移動では、県内各島間の距離感覚は把握し得ません。県外、となると、東京などの大都市以外に向かうことは、それほど多くないでしょう。ましてや鹿児島県の島嶼部に行く機会など、皆無と言って良いかも知れない。県内の遠くの島々が、あたかも“すぐ近くに”位置するごとく地図上に示されているのに対し、北に隣接して続く奄美やトカラの島々は、載っていないことのほうが多く、その北に続く屋久・種子・三島に至っては、まずもって同じ地図中には示されていません。沖縄が、どのような位置関係で本土に対しているか、その繋がりが感覚的に認識出来ないのです。宮古や八重山は県内、奄美や屋久種子は県外、仕方がないと言ってしまえばそれまでですが、でも、自分たち(ウチナンチュー)と他者(ソトナンチュー)の正確な位置的相関性を知る権利を、むざむざ捨て去っているかのような状況は、限りなく勿体ないことのように思えるのです。

穿った見方をすれば、“沖縄県(琉球)”として(強引に)沖縄本島と先島諸島を収斂し、同時に以北の“大和(奄美を除く)”と(無理やり)切り離すことによって、“ウチナンチュー”としてのアイデンティティー意識を形成することに、深層的な形で一役を買っているのではないかと。

話をもう一つ先に進めましょう。九州から与那国島までの南西諸島全体が正確な位置関係で載っている地図も、たまには有ります。しかし、それらの地図の場合も、与那国島の目と鼻の先に位置する台湾は、示されていないことがほとんど。台湾全体を載せなくとも、位置関係が分かるように島の一角を示すだけでも意味があると思うのですが、、、、。

僅かに数㎝のスペースを確保すれば良いだけですから、(本島~先島間の空間省略の要因と異なり)スペースの問題ではないはずです。おそらく意識的に記していない。台湾は日本(沖縄県)ではないわけですから、載せる必要はない、日本地図の中に他国が載っていたら紛らわしいだけ、ということなのでしょう。近隣諸国に対しての日本の(沖縄の)位置関係を自ら確認することは、沖縄の人々をはじめとした日本人にとって、大きな意味があると思うのです。その機会も、みすみす逃してしまっている。繰り返し言いますが、勿体ないこと、このうえも有りません。

いずれにしろ、本土の人々も、沖縄の人々も、「沖縄県」という共通認識に基づいて、宮古島も石垣島も西表島も、久米島や慶良間諸島や伊平屋島と同じ沖縄の離島の一つとして捉えているのだろうと思われます。僕に言わせればとんでもないことで、八重山は沖縄とは全く別の存在です(生物地理学的に見て、八重山は沖縄ではありません、また、沖縄は必ずしも南方に繋がるわけではなく、北方との関連を根深く有しています、僕の生涯のテーマであり、これからも取り組んでいく予定ですが、とりあえずは平凡社新書「自然遺産の森・屋久島~大和と琉球と大陸の狭間で」を読んで頂ければと思っています)。

その宮古や八重山が紛いもなく沖縄の一部と認識されている事実がある一方、生物地理学的には明らかに沖縄の一部であるべき奄美は、少なくとも沖縄の人々にとっては、意識の外に置かれているのだと思われます(奄美の人々の思いはその限りではない)。“宮古は隣の島”“奄美は全く別の地方”と。でも実際は、両島とも沖縄本島からほぼ等距離に位置している(那覇市~宮古市、那覇市~奄美市とも、約300㎞)のです。

しかも、那覇市から沖縄本島北端まで優に100㎞、更に沖永良部、徳之島、奄美大島と大きな島が連続し、奄美市名瀬は、奄美大島の北端近くに位置しています。ということは、那覇~名瀬間の約3分の2は、陸地伝いに続いているのです。一方、那覇市は沖縄本島の南端近く、同じ県内とは言え、“隣り”の宮古島との間には、一つの島も存在しません。那覇~宮古間300㎞の99%が海なのです(しかも途中には海深1000mを超す「慶良間ギャップ」が存在する)。

奄美大島~屋久島間は、沖縄本島~宮古島間より距離が短く、なおかつ途中にトカラの13の島々(一般に12とされ、口之島と屋久島の間の平瀬は数えないらしいのですが、ここは灯台もある、重要な陸地です)が、飛び石のように連なります。

世界は、ほとんどの地域が、隣り合って連なっています。九州北端からは壱岐、壱岐からは対馬、対馬からは朝鮮半島が望めますし、九州南端からは、三島列島、種子島、屋久島、トカラの島々、奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島、沖縄本島と、島から島へ、島影を辿ることが出来ます。宮古島からは、多良間島、石垣島、西表島、与那国島と順繰りに辿り、与那国島からは台湾北部が望めます。さらに台湾の南部から、緑島、蘭興、パブヤン・バタン諸島を経て、フィリッピンやスンダランドやワラセアやニューギニア、さらにはオーストラリアやインドシナ半島まで、順繰りに次の島影を遠望しつつ進んでいくことが出来るのです。いわば地球全体が可視距離に連なっているわけですが、陸島としては、ほとんど唯一カ所、沖縄本島~宮古島間が可視出来ない。このことは、相当に大きな意味を持つと思うのです。

ちなみに、沖縄本島那覇~奄美大島名瀬と、ほぼ等しい距離を北に延ばせば、種子島西之表。反対方向に、那覇~宮古と、ほぼ等距離を西に延ばせば、与那国島・台湾間の国境線。また那覇の北、約100㎞の地点がヤンバルの森(僕にとっての沖縄本島とはこの一帯です)。北の屋久島と南の西表島、豊かな自然の森を代表する2つの島の、ちょうど中間地点に、もう一つの自然の森“やんばる”が位置しているわけです(それぞれ450㎞ほどの間隔)。那覇起点で計算すれば、屋久島の位置の反対側に、日本西端の与那国島。ちなみに、屋久島~鹿児島市間、与那国島~台北市間は、ほぼ等距離です。

そんな恵まれたロケーションに、沖縄本島や那覇市は位置しているのです。でも、(東京へのアクセスが意外に便利なのとは対照的に)本土の大都市以外へのアクセスは、意外と不便なのです。

特に、沖縄~台湾間の唯一の航路であった豪華客船“飛龍Ⅱ”が、一昨年廃航路となったのは、残念としか言いようがありません。夜8時に那覇を出港、朝宮古に寄港し、昼前に石垣に寄港、そして夕方には台湾の基隆に入港、快適で、実に便利な船便だったのです。西表島や与那国島には寄ってくれないこと、帰路は石垣・宮古もパスしてしまうことなど、就航中は不満もあったのですが、
廃航後の今となっては、それも贅沢な望み、当時の有難さが身にしみて感じられるのです。

一方、那覇から奄美の島々を経て鹿児島へ向かう便は、今も健在で、途中の港で乗り降り自由、という便利さです。名瀬から乗り換えて、十島村村営の「フェリーとしま」で、トカラの島々を経て鹿児島港に至ることも可能です。願うべくは、屋久島や種子島や三島の島々に寄港してくれれば有難いのですが、現状では望み薄(トカラ~屋久には不定期航路の「ななしまⅡ」、三島~鹿児島には定期航路の「フェリーみしま」があります)。那覇~鹿児島の航路は、やはり数年前に一社が撤退していて、不満を言う以前に、まずは存続してくれることのほうを心配しなくてはならないでしょう。

いつか、状況が整えば、(鹿児島港や那覇港に戻ることなく)九州~台湾間の南西諸島を順繰りに辿っての完全制覇を目論んでいるのですけれど、逆にどんどん状況は悪くなるばかり、というのが現状なのです。

それはともかく、那覇は、近い将来、アジアの拠点と成るべき都市だと思っています。約600㎞の地点に鹿児島と台北。ほかに、空路1時間台で到達可能な1000㎞未満の地には、上海、台湾高雄、九州福岡、福建アモイ、、、。約1500㎞地点(空路2時間少々)には、南西にホンコン、北にソウル、南にマニラ、東に小笠原、、、そして東北に東京。2000㎞では、北西から北東にかけて、北京、ウラジオストック、札幌。西に四川成都&雲南昆明。さらに足を延ばして、南東にグアム、南西にバンコク、シンガポール、、、。いわばアジアの東のドン詰まりとも言える東京と違って、那覇は絶好のロケーションに恵まれているのです。今のところ、その有利さを生かし切れていない。

沖縄のひとびとには、日本の南の端であるという現状に見切りをつけて、アジア全体を視野に入れた、アグレッシブな方向性を選択することを、切に望みたいですね。



[付記]
以前にも述べたことがあるのですが、地図出版の大手、昭文社の各国世界地図が、数年前に全て廃刊と成ってしまいました。そのうちに項を改めて記述して行くつもりですが、加速度的に、日本からまともな地図が消えてしまっている。これは、大変な問題なのです(アメリカや台湾では、正確で基本的でシンプルな地図が一般にも普及していて、地図を読むことで、自己の判断での行動や旅行が可能なのですが、余計な情報だけに飾られて、基本的でシンプルで正確な情報が、どんどん失われていく、日本の地図作りの現状は、自分の考えで行動することが出来なくなってしまった日本の社会を如実に表しているようで、恐ろしくなってきます)。
翼くん(千明さんの元カレではなく、地図製作会社に勤務するあや子さんの御子息)には、頑張って貰わねばなりませんね。






↑飛龍Ⅱは、夜8時沖縄那覇出港、朝8時頃宮古島、お昼前に石垣島に寄港、夕方には、台湾基隆港に入港します。月に数便、台湾南部の高雄に向かう便もあり、帰路は、石垣、宮古港には寄らず、直接那覇港に向かいます。お昼前、石垣島を出港した頃から、沢山のカツオドリが看板をかすめて行きつ戻りつ、、、、、。どうやら、船と一緒に台湾まで飛んで行くのでしょう。





↑午後1時39分 与那国島沖を追加。






↑午後3時55分。台湾の島影が近づいて来ました。






↑【二宮書店「高等地図帳」(改訂版)1967年1月刊行】より
中学校の参考書としての地図です。現在では考えられない、基本に則った、シンプルで正確な、素晴らしい地図です。
この地図に示されている地域が、僕の主要フィールドでもあります。





↑上図の拡大。ちなみに、現在ではこの地図の発行は不可能(なぜなら、「台湾(中華民国)」が国名となっているから)。






↑同じ地図帳から。南西諸島の全体図の端っこに、台湾も示されています。









↑3枚とも、岩波書店【日本の自然8南の島々】1996より
上の図では、大陸棚の張り出しが、中の図では、中琉球(奄美・沖縄)の北への連なりが、下の図では、左縁に、朝鮮半島から中国大陸、台湾、フィリッピン(ルソン~ミンダナオ)を経て、左下端に、セレベスの一部とハルマヘラの一部が示されていて、西北太平洋の全体像が良く解ります。





↑青山原図(部分)
「フェリーみしま」は三島村が、「フェリーとしま」は十島村が、それぞれ鹿児島港起点で運航する定期便。
「ななしまⅡ」は、十島村が運航する不定期便。屋久島には向かいますが、三島村へは、例外的なチャーターと成ります。












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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 19

2011-04-02 08:59:28 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第19回)モッチョム岳絶頂



標高944m。汗びっしょり。涼しい風。ジャケット2枚を脱いでTシャツ1枚に。カメラ2台と交換レンズなどは、普段はジャケットのポッケに納めています。










海と反対側の割石岳1410m。






原(ハロオ)の集落を真下に、高平・麦生(ムギオ)から尾の間(オノアイダ)・小島にかけての、屋久島南岸一帯が俯瞰出来ます。






















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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 18

2011-04-01 13:50:23 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他




(第18回)山頂の植物 ②



アデク(フトモモ科)の実。フトモモ科には果物のグアバなども所属します。九州南端付近が分布北限の熱帯性植物です。









ウバメガシ(ブナ科)。屋久島では、海岸と山頂に見られます。




オニカンアオイ(ウマノスズクサ科)。巨大な葉と巨大な花を付ける屋久島固有種。以前春に登った時には花が咲いていましたが、この季節にはまだ見ることが出来ませんでした。








リンドウ科のツルリンドウ(ヤクシマツルリンドウ)。山上部のハゴロモツルリンドウ(ハナヤマツルリンドウ)との関係についての考察は、またの機会に。












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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 17

2011-03-31 09:01:51 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第17回)山頂の植物1・ササ







最高点と山頂の間は、深い崖で切れ込んでいて、その辺りにはササが群生しています。屋久島に(明らかに在来自生する)ササ類(イネ科)は2種。主に標高1700mを超す山上草原(いわゆるヤクザサ帯)を覆う、ヤダケ属のヤクザサと、主に海岸近くに生えるメダケ属のリュウキュウチクです。さて、モッチョム岳はどちら? 答えは保留、次の機会に詳しく検討していくことにします。





















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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 11

2011-03-30 09:28:55 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他




(第11回)

普通、山の一番高いところが、その山の山頂です。でもモッチョム岳の場合は、山頂と最高点は別々の場所にあります。海に向かってピークが迫り出しているため、山頂の手前の、稜線とのジャンクション地点のほうが標高が高いというわけです。



最高点から山頂を望む。






山頂から振り返って見た最高点。







その“手前の山頂”で、カンツワブキ(キク科)に出会いました。屋久島・種子島(南部に稀産)固有植物。ホソバハグマなどと共に、屋久島で特化した渓流性植物の代表とされていますが、違った要因で成り立った「遺存的植物」であることが、このことからも分かります。











この3枚は登山路の途中で撮影。










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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 15

2011-03-29 13:14:03 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第15回)ヤクザル、マムシ


万代杉を後にして、さらに登って行きます。何となく、林の雰囲気が変わって来たような気もします。







幹にビッシリ付着したキノコ?や、樹冠に戯れるお猿さんなどを撮影しつつ、上を見ながら歩いていたものですから、












足許への注意が怠っていました。登山道の真ん中にとぐろを巻いたマムシ。11月の標高1000mの山頂でマムシが活動しているとは、思っても見なかったのです。間一髪、踏みつけるのを回避。危いところでした。マムシとハブの関係については、そのうちに詳しく述べて行くことにします(僕の重要なテーマなのです)。














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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 14

2011-03-28 11:01:55 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第14回)キッコウハグマ

今回の目的の一つは、キッコウハグマAinsliaea apiculataの葉のチェック。分布南限の屋久島産は、葉形の変異が顕著で、「モミジバキッコウハグマ」「タマゴバキッコウハグマ」「マルバキッコウハグマ」等々、様々な品種名が付けられています。それらの変異を示す屋久島産(切れ込みの深い葉を持つ個体)を総称して、リュウキュウハグマA.a.var. acerifoliaと呼ぶこともあります。リュウキュウハグマは“琉球”と名は付いてはいても屋久島固有変種で、紛らわしいことに、オキナワハグマA.macroclinidioides var. okinawensisという別の種があります。オキナワハグマにはオキナワテイショウソウの別名があり、紛らわしいので僕はこちらの名を使っていますが、沖縄の人はマルバハグマと呼んでいることが多く、しかし南九州にはマルバテイショウソウA.fragrans var. interifoliaという別の種を産していることから、さらにややこしさに拍車をかけています。

オキナワテイショウソウの分布北限は、屋久島の北西に位置する三島列島黒島と宇治群島で、そこから口永良部島、トカラ列島の口之島、中之島、悪石島を経て、奄美~沖縄の各島に分布しますが、なぜか屋久島には見られません(逆に黒島、口永良部島、口之島などには、屋久島に産するキッコウハグマやホソバハグマは分布しない)。

それとは別に、屋久島には固有種のホソバハグマA.faurieanaが分布し、一般には、キッコウハグマを基とする、“渓流性狭葉型”の典型例として知られています。(しかし、渓流との結びつきを持つことは事実だとしても)直接の祖先的集団をキッコウハグマに見出すとするような、そんな単純な関係にはない、ということは、『屋久島の植物・第1巻・ホソバハグマとキッコウハグマ』(自費刊行、2006年)に、中国大陸南部産のアツバハグマA.walkeri、ミスジハグマA.trinervisや、沖縄本島産のナガバハグマA.oblongaなどとの関係考察を併せ、詳しく紹介していますので、第3巻の「リュウキュウイチゴ&ヤクシマキイチゴ」(ちなみに第2巻は「ヤクシマコンテリギ&コガクウツギ」)共々、興味のある方は、そちらを参照して下さい。


屋久島産キッコウハグマ(下数枚は、いわゆる“リュウキュウハグマ”)の変異。


















Ainsliaea属は最も原始的なキク科植物のひとつ。1頭花に3個の小花が付き、それぞれが5全裂するため、外観上は15枚の花弁(先端が卍状に巻く)があるように見えます。





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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 13

2011-03-27 13:19:00 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第13回)樹木の葉、透視光



冬の森の照葉樹の葉の透視光というのも魅力的ですね。種名省略。読者の皆さんで調べて下さい。



























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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 12

2011-03-26 11:27:03 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第12回)万代杉



山頂までのほぼ中間地点(標高600m付近)に鎮座する「万代杉」。屋久島産の自生スギの生育地としては、かなり低い標高です。





縄文杉や大王杉に引けを取らない貫禄。























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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 11

2011-03-25 09:10:01 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第11回)フユイチゴ、ミヤマシキミ


屋久島に産するキイチゴ属8種のうちの一つ。名前の良く似た山地性のコバノフユイチゴ(マルバフユイチゴ)ではなく、ホウロクイチゴと同じグループに属します。葉の概形はホウロクイチゴに似ていますが、ふた回りほど小ぶりで、花序に複数の花(や実)が集まって咲き(実り)ます。他のキイチゴと異なり、夏~秋に花が咲き、冬に実が熟し、「親孝行苺」の別名があります。







ミヤマシキミ(ミカン科)の実。











手前のミヤマシキミの樹冠越しに、巨大な樹木の幹が見えて来ました、、、、。








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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 10

2011-03-24 11:23:23 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第10回)リュウキュウイチゴ補遺

参考までに、奄美大島の最高峰・湯湾岳(698m)と、沖縄本島の最高峰・与那覇岳(503m)の、いずれも山頂付近で撮影した“リュウキュウイチゴ”の葉の写真を紹介しておきます。

台湾や中国大陸の近縁種群を含めた詳しい考察は、『屋久島の植物・第3巻・リュウキュウイチゴとヤクシマキイチゴ』(自費刊行2007年)で行っていますので、興味のある方は、そちらを参照して下さい。



奄美大島湯湾岳山頂(約700m)にて。葉は大形で葉質が薄い。形や色は異なるが、雰囲気はヤクシマキイチゴにどこか似ている。









沖縄本島与那覇岳山頂付近(約450m)にて。ナガバノモミジイチゴに似た葉形。葉裏は粉白色で脈周辺が紫色を帯びる。











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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 9

2011-03-23 15:35:37 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第9回)リュウキュウイチゴ&ヤクシマキイチゴ(移行型)について



葉形はヤクシマキイチゴに近いように思われますが、より厚く光沢があり、裏面葉脈などは赤色を帯びません。








全体としてはリュウキュウイチゴに近いようですが、、、、。






極めて大型で形も幅広く、一見ビロウドカジイチゴを思わせます。しかし、葉質は革質で光沢があり、その点ではリュウキュウイチゴ的です。








この辺りがちょうど中間程度の印象。
(リュウキュウイチゴの若い個体の葉は、通常深く瓢箪型に切れ込みますが、成木の葉の切れ込みとは無関係)








左2枚:典型リュウキュウイチゴの葉
右2枚:典型ヤクシマキイチゴの葉
(いずれも左が葉表、右が葉裏、以前に写したモッチョム岳登山口と山頂付近の写真が出て来ないので、とりあえず別の場所=安房2006.6.21と安房林道終点付近2006.4.28の撮影品を代用しておきます)






登山口(展望台)付近には、典型的リュウキュウイチゴを含む、様々なパターンの葉が見られます。急傾斜の登山道を登り始めると、典型的リュウキュウイチゴは姿を消し、全ての葉が様々な形をした中間個体ばかりとなります。そして山頂付近では、葉が薄く小さく、鋭くモミジ型に切れ込み、葉裏が真っ赤になる、典型的ヤクシマキイチゴが出現します。今回紹介するのは、11月の無花・無果実期ゆえ、積極的な撮影は行っておらず、実際には、更に著しい変異パターンを見ることが出来ます。なお、両典型個体も今回は撮影していないため、安房林道の入り口・終点付近での撮影写真を代用しました。


屋久島産のキイチゴ属は5グループ8種(コバノフユイチゴ群のコバノフユイチゴ、フユイチゴ群のホウロクイチゴとフユイチゴ、クサイチゴ群のリュウキュウバライチゴとヤクシマヒメバライチゴ、ナワシロイチゴ群のナワシロイチゴ、モミジイチゴ群のリュウキュウイチゴとヤクシマキイチゴ)。そのうち、果実が黄色で(注:キイチゴは「木苺」で、「黄苺」ではなく、大半の種の実は赤い)、花柄や葉枝の付き方が独特の様式を持つ(一枝集散形花序)モミジイチゴ群の2種は、非常に興味深い種間関係にあります。

モミジイチゴ群の種は、おおむね日本本土の東半部にモミジイチゴRubus palmatus var. coptophyllus、西半部にナガバノモミジイチゴR.p.var. palmatus(両種は変種関係に置かれていますが、安定的な特徴を示すこと、および同群他種とのバランスを考えれば、種を分けたほうが妥当ではないかと思われます)、南西諸島にリュウキュウイチゴR.grayanus、伊豆諸島と四国・九州などの太平洋沿岸(九州西岸を含む)にビロウドカジイチゴ(ハチジョウイチゴ)R.ribisoideus、屋久島に固有種のヤクシマキイチゴR.yakumontanusが分布します。ほかに、キソイチゴ、マルバモミジイチゴ、トゲリュウキュウイチゴなどの種・亜種・変種も記載されていますが、上記各分類群の生育環境に応じた変異形、あるいは種間交雑起源による特化形質の表現と想定されます(それらを含め、モミジイチゴ種群全体としての種分化の方向性を探らねばなりません)。

モミジイチゴ群には、ほかに、やや特異な形質を持つ、ビロウドイチゴR.corchorifoliusとゴショイチゴR.chingiiがあります。ともに日本では限られた地域に分布するマイナーな種ですが、中国大陸や台湾などでは、むしろビロウドイチゴが、モミジイチゴ種群の代表種となっているように思われます。

モミジイチゴにやや似通った別群の種に、カジイチゴがあります。多くの文献によると、ヤクシマキイチゴは、カジイチゴとリュウキュウイチゴの自然交雑種と記されていますが、これは明らかな間違いです。まず、屋久島にカジイチゴは分布していないこと、そして、ヤクシマキイチゴはカジイチゴ群的な形質を全く示さず、典型的なモミジイチゴ群の性質を持っていることがその理由です。ナガバノモミジイチゴとリュウキュウイチゴの種間雑種、という説もありますが、これも間違い。ナガバノモミジイチゴも屋久島には分布していません(以下に述べるヤクシマキイチゴとリュウキュウイチゴの移行型の中には稀にナガバノモミジイチゴに似た個体が出現する)。ただし、カジイチゴ由来の話と違って、全くが接点ないわけではありません。ヤクシマキイチゴ自体が、モミジイチゴやナガバノモミジイチゴの共通祖先から分化した可能性が強いからです。そして、あえていえば、より遠距離に分布域をもつモミジイチゴのほうに類似点が多く見出されるように思われるのです(似た傾向は他の屋久島産植物にも見られ、例えば、ヤクシマシャクナゲは、西日本のツクシシャクナゲより東日本のアズマシャクナなどにより近い類縁性を有していると思われます)。

さて、問題はリュウキュウイチゴ。同群の他種と異なり、葉はモミジ型に切れ込まず、革質で濃緑色を帯び、一見した限りでは、全く別のグループの種のように見えます。しかし、花序の様式や、花や実は、典型的なモミジイチゴ群の特徴を示し、モミジイチゴやヤクシマキイチゴにごく近縁な種であることは、疑いを持ち得ません。南西諸島に広く分布するということで、単純に熱帯性・南方型の種、と捉えてしまいがちですが、西南諸島から、さらに南に続いているわけではありません。良く考えるとかなり不思議な分布パターンです。南西諸島の固有種なのです(台湾や中国大陸南部などにも分布している可能性はあり、一部の文献にも記録がなされていますが、真否の程は不明)。あえて言えば、南に繋がるというよりも、ナガバノモミジイチゴやモミジイチゴ、あるいは後述するビロウドイチゴを通して、北(日本本土)や中国大陸との関連が深いように思われます。

同様に、(ほぼ)南西諸島固有といえる種は、ほかにも幾つもあり、例えば、この項の主役であるヘツカリンドウ(広義)がまさにそうですし、テッポウユリもその一つです(ともに台湾に僅かな産地あり)。クマゼミやジャコウアゲハ(本州南部~与那国=クマゼミ/西表=ジャコウアゲハ)も、西南諸島に広く分布し、台湾や中国では明確に種が入れ換わることで、同じカテゴリーに含めて考えて良いでしょう。

リュウキュウイチゴは、(ほぼ)西南諸島の固有種と言っても、どの島にも生えているというわけではなさそうです。屋久島、種子島、奄美大島、徳之島、沖永良部島(たぶん)、沖縄本島、久米島(たぶん)、宮古島(たぶん)、石垣島、西表島、といったメジャーな島々には、ごく普通に見られますが(「たぶん」とした島については未確認)、この後述べる、三島列島、口永良部島、トカラ列島には非分布で、代わりに、上記の島々には分布しないハチジョウイチゴ(ビロウドカジイチゴ)が生えています。また、ヘツカリンドウやトカラアジサイの生える伊平屋島には極めて数が少なく(分布の確認はしている)、対岸の沖縄本島ヤンバル地域で至る所に繁栄しているのとは対照的です。

種としての形質は(屋久島のヤクシマキイチゴ交雑集団を除いては)ごく安定しているようで、屋久・種子から石垣・西表に至る各島嶼間の集団に、これと言った変異は見られないように思われます(丸い葉や、深く“瓢箪型”に切れ込んだ葉など、一見著しく変異が多いようにも見えますが、それは発育段階や環境条件の差によって生じる個体内の非安定的な変化で、個体としての安定的な変異ではありません)。

しかるに、台湾や中国大陸に行くと、リュウキュウイチゴ(少なくとも典型群)は消えてしまう(そのことは、九州や本州などでも同様ですが)。

大雑把に俯瞰すると、次のような筋書きになるのかも知れません。

日本本土や台湾・中国大陸には、別の近縁種のモミジイチゴ・ナガバノモミジイチゴやビロウドイチゴなどが普遍的に分布しています。(歴史的相関性やシステムは不明ですが)仮にかつてリュウキュウイチゴが日本本土や台湾・中国大陸にも分布していたとしても、それら繁栄する近縁各種の中に収斂されていき、典型群は残っていない、と考えることが出来るかも知れません。

屋久島にも、リュウキュウイチゴと共に(異なる時空由来で)古い時代から在来分布する、ヤクシマキイチゴの存在があります。しかし、そこでのリュウキュウイチゴもヤクシマキイチゴも、日本本土や中国大陸のモミジイチゴやビロウドイチゴなどのように、空間的にも量的にも圧倒しているわけではなく、勢力は拮抗しています。したがって、互いに(どちらかに)収斂・吸収されてしまうわけでも、押し出されてしまうわけでもなく、両者の影響が及ばない空間では、典型的な「リュウキュウイチゴ」「ヤクシマキイチゴ」として成立し続けることが出来るのです。しかし、大多数の空間では、両者は混じりあって、典型的な個体は、それぞれ端と端にのみ見出される、というわけです。完全に混棲しているのでも、完全に交雑しているのでもない、という図式です。

ちなみに、トカラ列島などの島々に於けるリュウキュウイチゴの欠如は、小さな島々ゆえ、ハチジョウイチゴ(ビロウドカジイチゴ)と共存しうるだけのキャパシティが無かった、と考えることが出来るかも知れません。と言って、それならば、ハチジョウイチゴ(ビロウドカジイチゴ)の形質の中に、リュウキュウイチゴの形質の浸透が見られても良さそうに思うのですが、そのようなことはなさそうです。これらの島々には、リュウキュウイチゴはもともと分布していなかった、と考えるべきかも知れません(現在の分布に至る主要因は、果実の鳥散布による、とするのが常識なのでしょうが、それだけで考えうる単純な問題ではないと思う、鳥散布だとすれば、鳥自体の飛行航路が分布決定の重要な、かつ唯一の要素になってくるわけですが)。

以上の筋書きは、何の根拠もない、絵空事です。ついでに、もう一つ空想めいた話を追加しておきます。

屋久島に於ける、リュウキュウイチゴ・ヤクシマキイチゴ“コンプレックス”(複数の異分類群の集合体という意味では無く、もっと広く一般的な意味での複雑な集合体として)は、モミジイチゴ群内の各分類群の形質を(もともと)併せ持った表現体ではないかと。いわば「ヤクシマリュウキュウモミジイチゴ」とでもいうべき、モミジイチゴ群の祖先的形質をトータルに内包した(通常は、様々な形質表現の可能性が内包されていても、実際に表現される形質は限られているはずなのですが、それが全て表現されてしまった)、基本型。その山上タイプ(ヤクシマキイチゴ)から本土のモミジイチゴが派生し、海岸タイプから沖縄のリュウキュウイチゴが派生した、という逆の発想も考えられます(多くの地域集団と共通した様々な段階の白帯出現頻度を示す、屋久島産クマゼミの存在の意味、あるいは多型であることが本来の性質と考えた、沖縄本島産ヘツカリンドウの存在の意味においても、同様のことが言えそうです)。

この“空想”は、実際には様々な無理があり証明は困難です。僕自身、自ら否定したいと思っています。しかし、それぞれの種の由来を探るに当たって(由来はともかく、結果としての祖先的形質の内包を考えるに際して)、“発想の根源”のような部分が鍵を担っている、ということも、言い得るのではないかと思うのです。

一般的な考え方に話を戻しましょう。屋久島産のリュウキュウイチゴは、山上部でヤクシマキイチゴに接し、その影響によってのみ中間的形質を持った個体が出現すると考えるべきか、それとも、山上の環境に移行することによって、次第に中間的形質を表現、さらには典型的ヤクシマキイチゴに至る、という遺伝的な性質が内包されているのか。

後者だとすれば、他の南西諸島の島々でも、標高さえ高ければ(種子島約280m、奄美大島約700m、沖縄本島約500m、西表島約450m)、ヤクシマキイチゴ的集団が出現しても良いことになります。

ちなみに、台湾の山地では(中国大陸の一部でも)、種としてはおそらくビロウドイチゴに帰属すると思われるとしても、リュウキュウイチゴ的、もしくはヤクシマキイチゴ的な葉を持った個体が、しばしば見受けられます(拙書「屋久島の植物:リュウキュウイチゴとヤクシマキイチゴ」参照)。九州南部産のナガバノモミジイチゴにも、しばしばリュウキュウ的な、あるいはヤクシマキイチゴ的な葉の個体を散見します。それらの実態の把握と解釈は、今後の課題です。

僕自身の観察では、これまでのところ、典型リュウキュウイチゴのみが産する島は、種子島、奄美大島、沖縄本島、西表島。このうち奄美大島では、湯湾岳山頂(標高約700m)付近で、リュウキュウイチゴらしからぬ、柔らかで大型の葉の個体を観察しています(葉の質以外はヤクシマキイチゴとは全く別方向の形質表現)。また、沖縄本島の与那覇岳山頂(標高約500m)付近(標高約450m地点)に於いては、葉の形が極めて細長く伸長した(その点では、ナガバノモミジイチゴやヤクシマキイチゴに幾らか類似した個体を観察しています。それらがどのような意味を持つのかも、今後の検証課題です。

三島列島(黒島)、口永良部島、トカラ列島(口之島)は、完全にハチジョウイチゴ(ビロウドカジイチゴ、どの島にも極めて豊富)
の単独分布となり、リュウキュウイチゴもヤクシマキイチゴもナガバノモミジもビロウドイチゴも、全く分布していません。一方、屋久島や奄美大島にはハチジョウイチゴ(屋久島のリュウキュウイチゴ~ヤクシマキイチゴ移行的個体の中には、ややハチジョウイチゴに概形の似た個体が見出されますが、葉の概形以外の諸形質はハチジョウイチゴと全く異なります)は、全く分布を欠きます。鳥散布が分布の主要因であるなら、複数種の(非交雑)混在なり交雑なりが生じても良いはずですから、不思議としか言いようがありません。





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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 8

2011-03-22 11:15:13 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他




(第8回)登山路、ヤクシマツチトリモチ






ヘツカリンドウの撮影を切り上げて、山頂に登ってみることにしました。4年前の春以来久しぶり。途中、キイチゴ(リュウキュウイチゴ×ヤクシマキイチゴ)の調査をしたいのですが、今は花も実も時期外れ、時間もないことですし、今回はパスということに。下の写真には、カンツワブキとリュウキュウイチゴの葉が、一つ上の写真の下方には、一見ハチジョウイチゴ(ビロウドカジイチゴ)に似た形のリュウキュウイチゴの葉が見えます。















ツチトリモチ(ツチトリモチ科)も、ヤッコソウに負けず劣らずヘンテコな植物です。写真は(たぶん)ヤクシマツチトリモチ。ツチトリモチ、キイレツチトリモチなど数種があり、同定には小さな粒粒に見える花の構造を調べねばならず、厄介です。上の写真の緑の葉は、キッコウハグマ(キク科)。低標高地に見られるホソバハグマに対し、通常は高標高地に多く見られますが、環境によっては低い場所でも見ることが出来ます。今回チェックしたい植物の一つです。









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