青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

中国の野生植物 Wild Plants of China リンドウ科Gentianoceae-18

2021-02-28 16:28:11 | コロナ 差別問題と民主化運動 中国の花


★2月27日の記事に、いいね!その他ありがとうございました。


Gentiana arethusae 輪葉竜胆 (地域集団:雲南省香格里拉) 〔sect. Kudoa 多枝組〕



モニカが香格里拉の町の近くで撮影してきた写真(2013.10.1)。花色が空色ではなく紺色。花筒部が細い。花冠裂片の先に針状の突起はない。という点で、典型ナナツバリンドウと異なる。全体の印象としては、この2つ後に紹介予定の「華麗系」の“フタツバリンドウ”に似ている。標高がやや低いことも共通する。しかし、葉は輪葉である。

大雑把に見れば、前回(第16回)紹介した、省境山地の“典型ナナツバリンドウでないほう”の個体に似ている。あるいは、次に紹介予定(第20回)の四川省四姑娘山(巴朗山)の幾つかの個体とも共通する。それらを「典型ナナツバリンドウ」から分けるとすれば、「ムツバリンドウ」ほか、どの分類群に含めればよいのか? 一括りにして扱うのか、個々の分類群に分けるのか? その辺りがよく分からないでいる。

ということで、とりあえずは全部ひっくるめて、「輪葉竜胆ナナツバリンドウGentiana arethusae」ということにしておく。

手元に、以前日本国内で発売された「雲南花紀行」(2003年、国際花と緑の博覧会記念協会、著者は中国人の研究者)というのがあった。この本の記述と写真を参照すると、今回紹介した個体や、前回紹介の中の「典型ナナツバリンドウではない個体」、および次回紹介予定の四川省四姑娘山巴朗山の個体群は、(輪葉系の種ではなく)華麗系(「中国植物志」では11種が記されている)Gentiana helophila喜湿竜胆, Gentiana caerestis天藍竜胆, Gentiana veitchiorum蓝玉簪龙胆, Gentiana sino-ornata華麗竜胆などに振り分けられるようである。

「中国植物志」では、「華麗系」と「輪葉系」の最も重要な区別点を、茎葉が「対生」か「輪生」かという点に置いている。しかし、この「雲南花紀行」では、華麗系各種の解説に置いて、輪葉が輪生するのか対生するのかについては、一言も書かれていない。また写真を見ても、「華麗系」として紹介されている種は、全て輪生であるようにも見える。

次々回(第22回)に紹介する予定(四姑娘山長坪溝)の「華麗系」のGentiana veitchiorum蓝玉簪龙胆(フタツバリンドウ)と暫定的にした個体群は、明らかに対生であるのだが、この本でGentiana veitchiorum蓝玉簪龙胆として紹介されている写真は、輪生である。

「華麗系種の茎葉は対生」と明記する「中国植物志」と、そのことに全く触れず、かつ写真を見る限り輪生葉個体が数多く含まれている(一応全個体)「雲南花紀行」と、どちらが正しい処置なのか?(もっとも、「輪生」と見えるのは、実は接近して密生しているだけで、正確に輪状派出しているとは限らない、という見方も出来るのかも知れず、それはそれで別問題となり得る)。

もし、後者の見解を採るならば、今回の個体や、前回の一部個体や、次々回の個体群(すなわち「典型ナナツバリンドウ」以外のヤクシマリンドウ組の多くの集団)は、「対生葉」であるか「輪生葉」であるかに拘らず、華麗系の各種に振り分けることが可能となる。

しかし僕は、多数の分類群を作る(それも「とりあえずの手段」としては意味があると思うけれど)のではなく、夫々の地域群ごとに(あるいはそれらもひっくるめて)、「典型を含めた多様な形質幅を持ったひとつの種」と捉えて置くほうが、より妥当ではないかと思っている。

広義のナナツバリンドウ/輪葉竜胆/Gentiana arethusae(と同定することが妥当かどうかはともかく)を含む「輪葉系」の各種と、フタツバリンドウ/蓝玉簪龙胆 /Gentiana veitchiorumなどの「華麗系」の各種を、改めて整理し直す必要があると思う(近い将来に遺伝子解析で「ある程度の」“答え”が出るのだろうけれど、それが最終的な「答え」であるとは限らない)。

何度も指摘しているように、各部位の「大きさ」「形」「色」「位置」「数」など、重箱の隅をつつくような細部への拘わりを続けていると(それを「学術的な作業」と見做していると)、本質を見失ってしまう。

体系に基ずく「決定」だけに終始するのではなく、俯瞰による全体の把握が為されないと、本質は見えて来ない。



香格里拉の町。2010.5.14



秋の香格里拉近郊。イワタイゲキ属(トウダイグサ科)の一種の紅葉。2010.9.22






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の野生植物 Wild Plants of China リンドウ科Gentianoceae-17

2021-02-28 08:59:34 | コロナ 差別問題と民主化運動 中国の花



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*毎回(リンドウの項目奇数回)のブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けることにします。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
自称、似非科学者の青山潤三です(“エセ科学”、、、なんか響きの良い言葉のように思いませんか?)。
 
(あや子さんが設置してくれている)「ブログ村」の“科学”の項目をチェックしてみたら、僕のブログが「科学」「自然科学」「生物学」の上位に来ていますね(なぜか真面目に「リンドウ」の話をし出してからやや少なくなったけれど、それでも常にベスト10圏内を維持しています)。結構不思議で、なんだか“申し訳ない”という想いもあります。
 
といって“エセ”というのは、必ずしも卑下しているわけじゃなくて、それなりの自負を持っての上での表現です(それと、僕のは決して“スピリチュアル”とかではないので混同しないように)。
 
確かに、科学の急速な発展で、今まで考えもしなかった様々な事柄が、次々に実現し続けています。科学者は偉いと思うし、その努力にたいしても、敬意は払っています。
 
でも、「全体」からすれば、成し得ていることは、ほんのちっぽけな断片に過ぎないかも知れない。体系を追従することによって齎された「結果(成果)」だけを過信するべきではない、と思うのです。
 
“エセ科学”といえば、第一人者は「ドクター中松氏」でしょうか。エセ(一応誉め言葉なんですけれど)は失礼かな? なんといっても「イグ・ノーベル賞」受賞者です。僕はこの賞は、ノーベル賞なんかよりも、もっと大きな意味を持っていると思っています。
 
「映像文化」に対しての「ラズベリー賞」(最悪の映画に与える賞)も、ちょっと(ちょっとだけですが)似たところがあります。
 
ジョニー・ティロットソンは、この賞の授賞者の一人です。1966年「The Fat Spy」。主演ジェーン・マンスフィールド(僕、大好きです、マリリン・モンローよりもずっと可愛くてセクシーだし、、、この年33歳、翌年交通事故で亡くなります)。ジョニーは端役?なので、受賞者対象外かも知れませんが。でも、結構重要な役柄で出ていますね。
 
リアルタイムでは皆分からなかっただろうけれど、今の時代から振り返れば、ジョニーのこの役柄の位置づけは、非常に深い意味を伴っていると思います(60年代中期の文化の転換時を、肯定的に見るか、否定的に捉えるか、、、いわば彼の役柄を「時代に取り残された低知能者」として認識するかどうか、ということ)。
 
「イグ・ノーベル賞」が、ある程度には(というよりかなり大きな程度で)尊敬の念が込められた賞であるのに対し、「ラズベリー*賞」のほうは、バカにする対象としてしか扱われていない訳でしょうが、今になって思うと、単純にそう言う事でもないような気がしています。
 
*もとより、メジャー・フルーツであるストロベリー(バラ科バラ亜科オランダイチゴ属)に対し、ラズベリー(バラ科バラ亜科キイチゴ属)のほうはマイナーな存在です。でも結構美味しいのですよ(商品化されたブラックベリー類も、そのほかの野生キイチゴも)。
 
冒頭から「新世代」の「カウンター・カルチャー」のヒッピー・ミュージシャンたち(The Wild Ones注:日本のじゃなくてオリジナルのほう)が、叫び続けます。もし、これを(この映画の主題の一つとして)ポジティブに捉えているとしたら、面白いですね。愛、平和、自由、反権力、、、、。何度も繰り返して言うけれど(笑)、ローリング・ストーンズ誌(ザ・ローリング・ストーンズではない)あたりの解釈に沿って、、、。
 
この前後を含めて、ジョニーは4本の映画に出演しています。うち2つは本人役、1つは固有名称なし。「ファット・スパイ」だけは、役名(ドド)が付いています。
 
ちょっと頭の弱そうな、、、白痴がかった、と書こうとしたのだけれど、パソコンでこの文字が出てこない!僕は白痴の一人として、これこそ大変な差別だと憤慨しています(健全な人達にとっては「空気の中」から抹殺したいのでしょうけれどね)、、、まあ言ってみれば、時代に取り残された若者です。人魚に恋して、最後は海の中に消えていきます。
 
(そのことを知っている人はごく一部の人だけでしょうが)ジョニーの生い立ちには、絶対に触れることの出来ない、あることが存在します。映画の制作者は、そのアンタッチャブルな「あること」を知らなかったのでしょう。知っていたら、絶対にこのような役を、ジョニーにオファーしなかったはずです。
 
それを想えば、ジョニーは、よくこの役を引き受けたものだと。もしかすると、ずっと深いところで、何か想うところがあったのかも知れません。ノー天気に見えて、そうでもないのです。何しろ、ティーン・アイドル真っ最中に、大学を卒業して修士号(マス・コミニュケーション学)を取得しているぐらいですし。
 
コメディ-映画(ドタバタミュージカル)です。「東西冷戦」「若者の新文化(フリー・セックス等々)」そういった時代現象を背景に置いています。
 
その中にあって、ジョニーの出演場面(18分15秒-18分45秒/21分25秒-24分30秒*/27分45秒-24分55秒/32分50秒-33分00秒/47分15秒-50分25秒/54分00秒-57分20秒)だけは、ちょっと異なる雰囲気を醸し出しています。

The Fat Spy | 1966 | Full Movie


2曲を歌っています。特に「I Wonder Where Is The Girl For Me」。これが素晴らしい曲です。なんで、リリースされなかったのが不思議なくらいです。
 
*「I Wonder Where Is The Girl For Me」のところだけなら、こちらを。


 
不思議と言えば、、、。今改めてチェックしたのですが、ジョニーの「Todo」は、脇役(或いはスペッシャルゲスト)とはいえ、相当に重要な役柄です。しかし、後の公式?ポスターにしろ、ウイキペディアにしろ、ジョニーの名は、何処にも見当たりません。
 
その当時の知名度からすれば、ジョニーは出演メンバーの中で、かなり上だと思うのですが(映画自体のオープニング&エンド・タイトルのクレジットでも最初にジェーン・マンスフィールドと並んで出てきている)、、、やはり、何らかの事情があるのでしょうか? 後になって、単に「時代遅れ」の人物と見做され無視されてしまった結果なのでしょうか?(ジョニー本人は、最近のセルフ・インタビューで、ジェーン・マンスフィールドのことを懐かしく語っています)。
 
1966年は、ジョニーは方向転換を目指して(ビートルズらに駆逐された旧世代の生き残りをかけて)奮闘(四苦八苦)していた時期です。8年間続いたBillboard Hot 100入りも途切れ、しかしメディアには露出しまくっていました。この年に2度来日(中南米、東南アジア、ヨーロッパ他の各国を飛び回っていた)、日活映画「涙くんさよなら」にも準主役で出演しています(ヒロインはジュディ・オング)。
 
ユーチュブでは、「Fat Spy」や「涙くんさよなら」(一部)のほか、同年に収録された一時間に及ぶ「ザ・シュプリームス」がホストのTV番組の最後にスペッシャル・ゲストとして登場する、時代に取り残されかけて焦っている(本人はまだ気が付いていない)ジョニーの姿も垣間見ることが出来ます(この映像についてはそのうち独立項目で紹介予定)。
 
なにしろ、シュプリームスは、連続5曲のBillboard No.1ヒットを連発中(男性/白人/英国No.1のビートルズに対する、女性/黒人/米国No.1)。昔は(、、、と言っても1~2年しか経っていませんが)ともかく、その時点に於いては格が違います。
 
にもかかわらず、つまらないジョニーの歌を一応一生懸命聴いてあげている、ダイアナ・ロス(後にソロで大スターに)、メアリー・ウイルソン(今に至るまで地道に活動し続けている)、フローレンス・バラード(翌年メンバーを脱退し後に不慮の死を遂げた)の三人が、いじらしく思えます(僕の人生は、後者2人と大きく、、、というほどではないけれど、関わっている)。
 
ちなみに、この不思議な「シュプリームス」ホストの映像のスペッシャル・ゲストとしては、ジョニーのほかに、彼女たちのライバルである「マーサ&ヴァンデラス」が中盤で登場します。マーサたちが歌うのは、、、、、いかんいかん、また話が大きく逸れてしまいます。この話題はとりあえず終了。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
ということ(といっても何ら因果関係はないのですけれど)で、話は全く変わりますが、、、。
 
U氏曰く、「科学を否定する青山さんの思想は犯罪的行為に等しい」と、「現代ビジネス」への掲載を半永久的に拒否されてしまっています。
 
或いは、(僕のブログの)一部読者からは、「自由のために命がけで戦っている香港の若者たちを批判するなんて、あなたには人間としての心がないのですか?」と言われたりしています。
 
だったら、僕は犯罪者でも、人間として失格でも、一向に構わないのですが、、、、それで仕事が無くなって飢え死に到るのも困ります。このブログだって、営業に繋がらねば(たぶん全く繋がらないだろうけれど)、僕にとっては何の意味もありません。読者の方々に(何らかの営業に結びつく)橋渡しを、切に願っている次第です。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする