青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2021.8.30 日記⓶

2021-08-30 19:58:28 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記




・・・・・・・・・・・・・・

筒香選手、凄いですね、、、。これまでの周囲の対応や反応、もちろん本人の努力、、、、僕も、彼の(たぶん誰も予想していなかったであろう)ここ数日の大活躍に対しては、想うところが多くあります。いろんな意味で、(安易な判断に対する自戒なども含めて)見習わなければなりません。

・・・・・・・・・・

エリック・クラプトンが、「ワクチン否定」の楽曲を発表した、ということです。影響力のある人の発言は大きな意味がありますね。それでも焼け石に水なのかも知れないですが(結局は際者扱いされてしまう?)。善悪の判断は、結局自分にとってどれだけ有利か、ということ。それが皆の共通見解だった場合は、自己中であることが、即スタンダード(全体にとっての正義)となる。いわゆる有名人に「左寄り」の人が多いのは、「ある程度の充実度は確保済み」(自分の事だけを考えなくても済む)ということにも因るのではないでしょうか?

・・・・・・・・・・・・

今日は定期受診日。というか、主治医のF医師やI事務局長との、月に2回のお喋りの日です。話題は、先週、謎のダニに噛まれた話(写真共々機会を改めて紹介する予定でいます)。

・・・・・・・・・・・・・

来たる9月3日は生活保護費の支給日です。毎月のハードディスク修復費などを差し引いて行くと、実質的な生活費は月3万円余。スムーズにいけばそれで楽勝なんですが、相変わらずトラブル頻出で、結局は綱渡りの連続です。一昨日、パソコンのイヤホン機能が壊れてしまいました。イヤホン(複数所有)側の問題でも設定ミスでもありません。パソコン本体の故障でしょう。パソコン修理となると、お金も時間もかかるし、、、ユーチュブ音源のパソコンへの収録作業は、当分お預けとなりそうです(なんとか来年夏までに間に合わせたい)。

・・・・・・・・

その録音用に使うスマホを提供してくださった(宮崎の畜産試験所の)小林氏に、お礼として、中国の家畜の写真を送っています。一か月ぐらいかかりそうです。僕の撮影対象は、蝶、セミなどの昆虫、野生アジサイ、その他の植物、植生環境と風景、、、等々なのですが、ついでに撮影している、人々の暮らし、、、、食事とか露店とか建物(ことに廃墟)とか乗物とかも結構あって、その一環が、牛馬羊豚鶏など家畜の写真です。

・・・・・・・・・・

家畜の写真の、湖北省恩施の部をチェックしていたら、色々と想うところがあって、「そうだ、ここを舞台に小説を書こう!」と考えたのです。前々回のブログに、その事を記しました。僕には小説を著す能力が皆無なので、誰か代わりに書いて欲しい、と。

プロットの一端を、繰り返して記しておきます。

“コロナ”の発祥地として、香港の民主派から、ピンポイントでターゲットとされたのが、湖北省です(中国各地が候補に成り得るのですが、ここに設定しておくといろいろと都合が良いので)。

ウイルス。
蝙蝠。
絶滅巨大サメ。
謎の雪男。
メタセコイア。
(虚実を混じた)等々。

僕にとっては、
レンゲソウ/ヒガンバナ/ジンチョウゲ(「海の向こうの兄妹たち・上巻第3章」)
オタマジャクシのいる水溜まり-お婆ちゃんのくれた水(「現代ビジネス」2018.7.30)
等々。

メタセコイア、ひいては中国のスギの自生問題、およびスギ科(=ヒノキ科)植物の実態についてチェックしていたら、学問とか、体系とか、理論や証明とかの“まやかし”を、つくづく感じました。「教育と洗脳の相関性」とかも。

更に、もっと個人的な深い想いも加えての、、、、、絶滅と拡散の物語です。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021.8.30 日記➀

2021-08-30 19:55:41 | コロナ、差別問題と民主化運動、熱中症




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・

熱中症について。

昔の名前では「日射病」。
「意味が違う」という人がいますが、表現が異なる(「日射病」では指す範囲が狭い)だけで、中身は同じです。

昔から存在していたのです。
「ただの風邪」が非常に恐ろしい「脅威」であると同様に、
「夏が暑い」ことも大変な脅威です。

でも、昔はそれを凌いでいた。
「暑い夏」と共存して生きていた。
うちわ、打ち水、木陰、風通し、大地の吸収、、、。

今と昔のどこが違うか?

エアコンの存在です。

人類(ことに日本人)は、冷房漬けになってしまった。

一方、人類総エアコン利用は、地球温暖化を促進します。

悪循環です。

どこかで「連鎖」を止めなくてはいけない。

「現代の都市構造は照り返しがあるので温暖化は避けられない」
だったら、「都市構造/生活体系」を変えれば良いのです。

「冷房無しでは人々は生きて行けない」
だったら、「冷房が無かった頃」に戻れば良いのです。

しかし、(健全な精神とされる人々の)向かうところは、
「科学」や「文明」の力でもって、強引に解決する、、、、。
獲得した「取得権」は、絶対に手放したくないのですね。

現在の(ことに日本に於ける)社会では、
「エアコン」は「正義の味方」で、
(科学や文明によって齎される)それを否定することは「悪」そのものなんでしょう。

「マスク」「ワクチン」は「正義」。それを否定することは「悪」。
でもね、
ウィルスも地球の一員です。
「リスク」は排除すれば良い、という存在ではありません。
僕は、目前の「正義」(集団的利己主義)より、「悪」や「リスク」の向う側に続く人類の未来に、希望を託します。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人類は地球上で最も原始的なウイルス」 2021.8.28 日記

2021-08-29 07:17:12 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・

相変わらず、ヤフーニュースを見てコメント(概ね誰かのコメントに対してのre-comment)入れてます。

前にも言ったけれど、僕自身の「忘備録」として載せてるんですね(長いのはブログとユーチュブ、短いのはヤフーコメント)。

反応は二の次三の次です。
「そう思う」「そうは思わない」、、、大抵の方のコメントに対しては「大半が同意」か「大半が不同意」か、どちらかですね。僕の狙いは、出来れば「50対50」(20対80ぐらいでも良いかな、、、)。「少数派」の人たちを少しでも励ますことが出来れば、と思っています。

・・・・・・・・・・・

●河村市長、張本氏、年寄り2人の暴言。
危機管理のプロ(という方がいるそうです)が、紋切型の意見を述べておられます。

milk
危機管理。言葉を置き換えれば「責任逃れ」の方法ですね。

・・・・・・・・・・・

●北九州の暴力団トップの裁判。
「正義感の強い人たち」が犠牲になって、、、、と言うsky氏のコメントに対して。

milk
「正義感の強い人たち」、、、この言葉を錦の御旗の様に(ポジティブに)使うのは、どうかと思いますね。世界中の紛争・憎しみあいは、「(それぞれの立場に於ける)正義感の強い人たち」が基になって引き起こされています。

・・・・・・・・・・・

●アフガニスタン関連の記事から➀
↓日本政府の救出の後手に対してのmim氏コメント。
コロナ対策も、救出作戦も、やってる体だけ。先手を採らなきゃ、勝てない。コロナも救出作戦も勝たなきゃ意味ないんだ。

milk
コロナにしてもそうですが、
「勝つ」
「負ける」
の問題ではないと思います。

・・・・・・・・・

●アフガニスタン関連の記事から②
↓宗教絡み、ということに対してのken-robin氏のコメント。
日本人は他人の目、最近で言えば同調圧力が宗教の役割をしていると思います。
社会の動きに追従させようとする力ですね。
良い言い方をすれば社会規範。

milk
なるほど、、、、。
これは的確な意見だと思います。
ちなみに、悪い言い方をすれば、「洗脳」。

・・・・・・・・・・・

僕の嫌いな文春(「オンライン」)と現代(「クーリエ・ジャポン」)の記事からの引用ですが(笑)、ここは素直に推薦しておきましょう。ぜひ記事を探し出して、チェックしておいてください。

●第二次大戦中の感染症ワクチン開発(人体実験)についての話題
*僕のコメントは控えます。いろんなことを考えさせられます。

●「人類は地球上で最も原始的なウイルスだ」
↓Stefano Mancusoさんからの警告です。非常に重い言葉だと思います。
2020年はどんな年として歴史に刻まれると思いますか?
パンデミックの年ではありません。
「人間の生み出した人工物の総重量が、地球上の生命の総重量を上回った年」として記憶されるのです。
(中略)
「私たちは脳を本来使うべき形で使っていないのです」







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「藍天夢翺翔」2021.8.27日記⓶

2021-08-28 07:19:46 | コロナ、差別問題と民主化運動、中国



≪湖北省恩施市≫

僕に、「小説を書く能力」があれば、ここを舞台に、一大スペクタルを著すことが出来るのですが、残念ながら、その能力は全くないです (;´д`)。
(誰か代わりに書いてくれないでしょうか?)

今朝、裏山の入口の(ときどきオオムラサキも来る)「樹液が出ているコナラの木」のところで、ユーチュブ用の「語り」(小林氏に送信中の中国各地の「家畜」の写真紹介の一環として、湖北省恩施の水牛と豚についての説明)を録音収録していました。それで、ブログにもちょっとだけ書いておくことにします。

ここは、僕にとっては、極めて個人的な、おそらく「人生に於ける一番辛い想い」に関わる地なのですが、それは一先ず置きます(その話題は今回のユーチュブにも収録、詳細は「あや子版2013.4.18」で伝えています)。



湖北省恩施は、中国の中心です。
*「海の向こうの兄妹たち(上)第3章:蓮華草と彼岸花の故郷」を参照してください。

以下、僕の独断的見解(謂わば「陰謀論」ですね、笑)。

今回の(2019年末発生の)「コロナ」の“発祥地”です。

香港の民主派が、「ピンポイント」で狙いを定めた場所です。

ここ(正確には隣町)出身の有力政治家と強い関連があります。 

山ひとつ越えたところ(歩いて行ける距離)に“三峡・長江ダム”があります。

「“コロナ”の人₋人感染を確認」のニュースがネットに上ったのと同じ日(去年の一月)に、「(長江三峡に棲む)世界最大の淡水魚の絶滅を認定」のニュースも。

僕が「現代ビジネス:2018年7月30日号」で「日本と中国に於ける衛生概念の比較」の舞台として記述した「オタマジャクシのいる水溜まり(おばあちゃんのくれた“きれいな水”)」は、恩施のすぐ近くの山中。

近くに「野生のメタセコイア」生育地。「メタセコイア」は「杉」の仲間の祖先種のひとつで、かつては化石のみが知られていました。1946年、湖北省利川県(恩施の西)で、その“生きた樹木”が発見された、、、、。

↑この話題を導入部に、「香港デモ」「コロナウイルス」に連なる小説を、、、、誰か僕の代わりに書いてくれないかなあ~。

*“藍天夢翺翔”については「海の向こうの兄妹たち(下)第6章Ⅶ:理塘から巴塘/郷城へ」を参照してください。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021.8.27 日記⓵

2021-08-28 07:15:56 | コロナ 差別問題と民主化運動 身近な自然




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・

↓数回前のブログにも書いたけれど、もう一度書きます。

「バンクシー」というのがあるそうです。落書き屋さんですね。その“作品(落書き)”には、何10億円の値が付いているんだそうな。衆目の一致するところ「素晴らしい芸術」ということなのだそうです。

郵便ポストに落書きして逮捕された青年がいましたね。かわいそうに、連行中の姿がニュース番組に映されていました。ヤフコメには、「どうしようもない悪人」「社会に不要な犯罪者」「何の価値もないので抹殺を」、、、。

僕には、両者がどう違うのか、よく分からんのですが、、、。

“心正しき大衆”から見れば、確かに違うんでしょうけれど。

・・・・・・・・・・・

今日、午前中に裏山(霞丘陵)を5時間ほど歩いてきました。

入口のところ(オオムラサキが来る樹液が出る木の手前)の草刈りを終えた休耕田に、何故か刈り取られないまま残っている黄色い花の群落がありました。

ショウキズイセンLycoris traubii(あるいはLycoris aurea、、、あとで確かめます)。黄色いヒガンバナです。

ショウキズイセンは、日本の南西諸島に野生し(昔、屋久島やトカラ列島や奄美大島で何度も出会いました)、黄花の種としては他にリコリス・アウレアなど数種が中国大陸に分布しています(「海の向こうの兄妹たち・上・第3章:ゲンゲとヒガンバナの故郷」で紹介した“崖に咲く黄色いヒガンバナ”もその一つ)。

いずれにしろ(どのような経過によるのかはともかく)人為的に持ち込まれたものですね。

ユーチュブにも収録した話題ですが、、、最近、気になって(というか不愉快で)仕方ないのが、(東京近郊の)いたる所でテッポウユリを見かけること。庭に植えられていたり、道端に(雑草みたく)生えていたり、、、。
 
こちらも在来野生は南西諸島で、北は三島列島黒島から南は八重山諸島波照間島まで、諸島(=琉球弧)全域を覆っています(本来はたぶん南西諸島固有種、台湾にも在来分布する由ですが僕は詳細については把握していません)。屋久島の春田浜には、隆起サンゴ礁の上に、茎が著しく短く大きな花だけからなるテッポウユリが咲き競っています。

ヨーロッパにおいては、キリスト教絡みで重要な植物なのですが、その出自は日本なのです。

台湾には別にタカサゴユリも在来分布し、僕は合歓山や阿里山の高山帯で多数撮影したことがあるので「高山植物」だと思っていたのですが、低地帯にも分布しているようです。

この2種の姉妹種的な位置づけ(3種で同一グループを形成)にあるのが、中国大陸原産で、やはりヨーロッパに於いて重要な園芸種となっている「リーガル・リリー」。僕は、30数年前に最初に四川省の九賽溝を訪れたとき、川(眠江)に崩れ落ちる急斜面にこの花が咲いているのを見て、感動した覚えがあります。後に一つ西側の宝興渓谷の崖でも出会いました(あるいは両者は別の種かも知れません)。

その、由緒正しきテッポウユリ(どうやら今身近に見られるのはタカサゴユリとの交雑種らしい)が、東京の至る所に生えている、、、、。

「美しい日本」だから、綺麗な植物がどんどん増えていくのは止められないのでしょうが、、、なんだか不気味です。

・・・・・・・・・・

不気味といえば、なんか最近、皆ナップサック(ナップザック)背負って歩いていますね。僕は昔からずっと(50年ほど前から数年前まで)ナップサックを日常的に愛用していたのですが、この数年間は利用していません。

それと入れ替わるように、皆が揃って(日常的時空で)ナップサックを利用しだした。

僕が使っていた頃は、(日常的な時空で)ナップサック担いでいると、なんとなく白い眼で見られたものですが、、、、それが「日常」化した今は、そんなことはないのですね。でも、僕から見ると、なんだか不気味に思えます。

「皆と同じ事をする」という事は、むろん決して悪い事ではありません。

しかし「皆と同じでないことは良くない」とすることは、悪い事だと僕は思います。

「教科書絶対」の世界は、不気味です。
*ちなみに(これまでにも何度か自慢したような気もするけれど、笑)僕の書いた文章も、(複数)教科書に採用されているのですよ。それも「国語」の、、、。世も末です。

「教育」と「洗脳」の違いは、どこにあるのでしょうね。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼 Charlie Watts

2021-08-26 07:27:17 | その他




ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツさん死去 80歳

ご冥福をお祈りします。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019.10.31日記(上):ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代

2021-08-25 10:19:44 | コロナ、差別問題と民主化運動、アメリカンポップス



A Short Story of The Cadence Record /3人の女性ポップス歌手ほか(抄』 【上】

カテゴリー:「コロナ」「差別問題と民主化運動」「アメリカン・ポップス」



Don Everly, Johnny Tillotson, Phil Everly. Hangin' out in Printer's Alley, Nashville, Tennessee.

お宝写真を見つけました! エヴァリー兄弟とジョニー・ティロットソンの3ショットです。ケイデンス時代(1958年秋~1960年春)は同僚だったわけですが、エルヴィスと並ぶナンバー・ワン歌手のエヴァリーと、駆け出しのジョニーでは、格が違い過ぎて、なかなか2(3)ショットが見つからない。やっと見つけたのがこの写真です。しかし、やや大人っぽい雰囲気から、60年にエヴァリーがワーナーに移籍し、ケイデンスに残ったジョニーも大ヒットを連発しはじめて、やっと「横綱」と「関脇」ぐらいの位置関係になった頃ではないかと思われます。3人の髪形から見て、エヴァリーが「クライング・イン・ザ・レイン」、ジョニーが「涙ながらに」の頃(1962年)ではないかと。ドン25歳、フィルとジョニーが23歳前後ですね。後ろのポスターは、C&W界の「ギターの神様」チェット・アトキンスのライブです。

https://www.bsnpubs.com/cadence/cadence45.html ケイデンス・レコード全シングル盤リスト
http://www.bsnpubs.com/cadence/cadence.html ケイデンス・レコード全アルバムリスト
↑こんなのに取り組んでいます。アーチ・ブレイヤー率いる「ケイデンス・レコード」(53年に発足し63年暮にレーベル消滅)のシングル盤とアルバムの全曲紹介です。何故かコピーが出来なくて、手書きで写し取ってます。いや、もう大変な作業です(笑)。全曲リストの作成は8割方終えているのですが、B面曲のチェックなどに手間取っているので、今回は、Billboard チャート・ヒット曲を中心に、とりあえず概要を紹介していきます。

Cadens(ケイデンス)レコードは、大スターの、エヴァリー・ブラザース、アンディ・ウイリアムスを擁した、“超有名”な“マイナー(弱小)”レーベルです。

1953年から10年間の間に、212枚のシングル盤をリリースしています。参加アーティストは70組ほど。53年に準備期間のような形で発足し、64年初頭には残務整理のような形で数枚の旧譜のリリースを行っているだけなので、実質的には54年~63年のちょうど10年間と言えます。

便宜上、3期に分けてみました。

第Ⅰ期:1953-1956年。Cadence 1230-1304の75枚(うち2枚はEP盤)をリリース。

1955年にカントリー界で、1956年にポップス界で、エルヴィス・プレスリー(1935~1977)が大ブレイクし、新しいポップ音楽が誕生した時代です。

(レーベル成立とともに立て続けにリリースした8枚を含め)Julius La Rosa(1930~2016)が16枚と奮闘しています(スタートした1230の番号は、ラローサの誕生日の1930.1.2から来ているとのこと)。ついで The Chordettes(リーダーでArchie Bleyer夫人のJanet Ertel:1913~1988)が 8枚、オーナーのArchie Bleyer(1909~1989)が4枚、Andy Williams(1927~2014)も 4枚。

ビルボード総合チャートNo.1ヒットにコーデッツの「Mr.サンドマン」(54年)と、ビル・ハイエスの「デビー・クロケットの唄(55年、子供向け)」があり、No.2ヒットのアーチ・ブレイアー「Hernand’s Hideaway」(54年)が続きます。他にトップ10ヒットとして、コーデッツの「ボーン・トゥ・ビー・ウイズ・ユー」(56年5位)と、アンディ・ウイリアムスの「カナダの夕陽」(56年7位)、および最初期のジュリアス・ラローサの「Anywhere I Wonder」(53年4位)と「Eh Cumpari」(53年2位)があります。

以下、1953~1956年のBillboardチャートヒット全曲。

1230 Julius La Rosa/Anywhere I Wonder(2-53, #4 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=uW0-Qesx8cc
1230(B-side)Julius La Rosa/This Is Heaven(1-53, #21 pop) 
https://www.youtube.com/watch?v=CouvPC2-4CM
1231 Julius La Rosa/My Lady Love To Dance (5-53, #21 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=3qWTOIAHZuM
1232 Julius La Rosa/Eh Cumpari (9-53, #2 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=Bsg73N0eUZk
1240 Julius La Rosa/Three Coins In The Fountain(5-54, #21 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=tK7l_dgI0Mk
1241 Archie Bleyer/Harnando’s Hideaway(5-54, # 2 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=dxltk9yaBZs
1247 The Chordettes/Mr.Sandman (10-54, # 1 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=CX45pYvxDiA
1251 Julius La Rosa/Mobile(11-54, #21 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=Al-OeAZNSBg
1254 Archie Bleyer/The Naughty Lady Of Shady Lane(12-54, #17 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=Z713x0Ji3_g
1256 Bill Hayes/The Ballad Of Debby Crockett (2-55, # 1 pop)*1926~、俳優。曲は子供の歌。
https://www.youtube.com/watch?v=9vKSMd2SbGI
1266 Marion Marlowe/The Man In The Raincoat(7-55, #14 pop)*1929~、Godfreyショー出演。
https://www.youtube.com/watch?v=QjM9yVakayk
1270 Julius La Rosa/Suddenly There’s Are Valley(10-55, #20 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=jQ1V0IOqEM0
1273 The Chordettes/The Wedding(1-56, #91 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=NNAQwmOWG9k
1284 The Chordettes/Eddie My Love(3-56, #14 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=J7c_6ieoTDM
1286 Kay Thompson/Eloise(3-56, #59 pop)*
https://www.youtube.com/watch?v=MnjxEjbQDLI
1288 Andy Williams/Walk Hand In Hand(4-56, #54 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=JC3LOidNxBg
1291 The Chordettes/Bone To Be With You(6-56, # 5 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=bVEiUmfZ4yw
1293 Archie Bleyer/The Rockin’ Gost(6-56, #61 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=7fE2gEmYm04
1297 Andy Williams/Canadian Sunset(8-56, # 7 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=y1LqH4Aq7Rk
1299 The Chordettes/Lay Down Your Arms(9-56, #16 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=1NLkMsdlkF4
1299(B-side)The Chordettes/Teenage goodnight(10-56, #45 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=pVcoFC0IeIM
1303 Andy Williams/Baby Doll(12-56, #33 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=PtO2fNXl0us

第Ⅱ期:1957-1959年。Cadence 1305-1375の 71枚をリリース(うち57年は37枚で他の年に比べて飛び抜けて多い)。

The Chordettesが 9枚(5曲がチャートイン)、Andy Williamsが 8枚(8曲チャートイン)、The Everly Brothers も8枚(13曲チャートイン、うち一曲はC&Wチャートのみ)。

エヴァリー・ブラザース(Don:1937~/Phil:1939~2014)が大ブレークし、エルヴィスに並ぶ存在になりました。57年と58年の2年間に、3つのNo.1(「起きろよスージー」「夢を見るだけ」「バード・ドック」)と、2つのNo.2(「バイバイ・ラブ」「プロブレムス」)ヒットを放ちました。うち、「起きろよスージー」(57年)と「夢を見るだけ」(58年)は、総合、カントリー、R&Bの3つのチャートでNo.1を記録、「バイバイ・ラブ」(57年)もカントリーで1位。また、激しいロックの「バード・ドッグ」と、美しいバラードの「デボテッド・トゥ・ユー」のカプリングは、記録的な両面大ヒット(総合で1位と10位、R&Bで共に2位、カントリーで1位と7位)と成ります。

*兄弟の区別がつかない人もいるでしょうが、僕は一発で区別できますよ。(野生の獣のような)鋭い目つきのドン、(モニカの御主人に似た雰囲気の)穏やかな表情のフィル、、、まあ、ヤマキマダラヒカゲとサトキマダラの区別みたいなものですね。

この3年は、エヴァリー兄弟のヒット曲を中心に紹介していくことになりますが、アンディ・ウイリアムスも、「バタフライ」1位(57年)、「アイ・ライク・ユー・カインド・オブ・ラブ」8位(57年)、「アー・ユー・シンシア」3位(57年)、「ロンリー・ストリート」5位(59年)、「ザ・ヴィレッジ・オブ・セントバーナード」7位(59年)、コーデッツも、「ジャスト・ベットウイーン・ユー・アンド・ミー」8位(58年)、「ロリポップ」.2位(58年)と、脂が乗りきっていました。

以下、1957~1959年のBillboardチャートヒット全曲。

1306 The Harvey Boys/Nothing Is Too Good For You(3-57, #84 pop)*ポップ・ヴォーカル・グループ
https://www.youtube.com/watch?v=OS2JtXsVvKs
1308 Andy Williams/Butterfly(2-57, # 1 pop, # 14 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=NPh435KiBt4
1315 Everly Brothers/Bye Bye Love(5-57, # 2 pop, # 2 country, # 5 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=LRyrWN-fftE
1315(B-side)Everly Brothers/I Wonder If I Care As Much(5-57, flip)
https://www.youtube.com/watch?v=VrG1Yz1XDSw
1318 Joyce Hahn/Gonna Find Me A Bluebird(6-57, #84 pop)*後述
https://www.youtube.com/watch?v=9DDH5CucnwA
1323 Andy Williams/[with Peggy powers] I Like You Kind Of Love(5-57, # 8 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=kXheuEUgg8U
1330 The Chordettes/Just Between You And Me(9-57, # 8 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=cMetSnOD4A8
1330(B-side)The Chordettes/Soft sands(9-57, #73 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=l49qt4Xsq5Y
1336 Andy Williams/Lips Of Wine(9-57, #17 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=mM9elhDV078
1337 Everly Brothers/Wake Up Little Susie(9-57, # 1 pop, # 1 country, # 1 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=LojqhHnmyvc
1340 Andy Williams/Are You Sincere(2-58, # 3 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=HGI9hTLQkOw
1342 Everly Brothers/This Little Girl Of Mine(2-58, # 26 pop, # 4 country)
https://www.youtube.com/watch?v=b2jVZ8tAU-U
1342(B-side)Everly Brothers/Should We Tell Him(2-58, #10 country)
https://www.youtube.com/watch?v=IeIGAgXnVBI
1345 The Chordettes/Lollipop(3-58, # 2 pop, # 3 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=A0kd-w7Xwd8
1347 Link Wray/Rumble(4-58, #16 pop)*後述
https://www.youtube.com/watch?v=BuAD_sQUgpw
1348 Everly Brothers/All I Have To Do Is Dream(4-58, # 1 pop, # 1 country, # 1 r&b, 7-61:#96 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=tbU3zdAgiX8
1348(B-side)Everly Brothers/Claudette(5-58, #30 pop, #15 country)
https://www.youtube.com/watch?v=B9r3qZORr1Q
1349 The Chordettes/Zorro(5-58, #17 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=Zd7lNxEIFcE
1350 Everly Brothers/Bard Dog(8-58, # 1 pop, # 1 country, # 2 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=I65PxlOlHA4
1350(B-side)Everly Brothers/Devoted To You(8-58, #10 pop, # 7 country, # 2 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=Gv8BaytaOPI
1351 Andy Williams/Promise Me Love(9-58, #17 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=PL8f0DTw1i8
1353 Johnny Tillotson/Dreamy Eyes(11-58, #63 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=eyGumi55aGA
1353(B-side)Johnny Tillotson/Well I’m You Man(10-58, #87 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=dwTWSx2FT4E
1355 Everly Brothers/Problems(11-58, # 2 pop, # 17 country)
https://www.youtube.com/watch?v=ZRGCeM1enhw
1355(B-side)Everly Brothers/Love Of My Life(11-58, #40 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=ll1A18OQOaY
1358 Andy Williams/The Hawaiian Wedding Song(12-58, #11 pop, #27 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=ibkB47OAt6c
1361 The Chordettes/No Other Arms No Other Lips(3-59, #27 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=Zrkpryy-nWQ
1364 Everly Brothers/Take A Massage To Mary(3-59, #16 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=3ORu-sOPMVc
1364(B-side)Everly Brothers/Poor Jimmy(3-59, #22 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=Y3OG1mPPqdo
1365 Johnny Tillotson/True True Happiness(8-59, #54 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=UEd9zzFCJ60
1366 The Chordettes/A Girl’s Work Is Never Done(8-59, #89 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=usEIr99xBa4
1369 Everly Brothers/Til’ I Kissed You(8-59, # 4 pop, # 8 country, # 22 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=m2ma7r23SrA
1370 Andy Williams/Lonely Street(9-59, # 5 pop, #20 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=TvRjA_BMikQ

第Ⅲ期:1960-1964年。Cadence 1376-1447の 72枚(4つが欠番で実質68枚)をリリース。 このうち5枚は1964年に入ってのリリースですが、録音は63年以前に為されています。

ケイデンスは1963年の暮、10年間の歴史を閉じてしまいます。むろん、弱体化した直接の原因は、60年春にエヴァリー・ブラザースが、61年夏にアンディ・ウイリアムスが、それぞれ「ワーナー・ブラザース」「コロンビア」という大手レコード会社に移籍したことに因りますが、根本の原因は別のところにあると思います。詳しくは機会を改めて述べますが、一言で現すと「ポリシーが良質すぎた」ということだと思います。

また、解散直後の64年春にはビートルズがアメリカに上陸し、彼らをはじめとした新しい波によって、ポップスの世界が全く新しいものに塗り替えられてしまった。アーチ・ブレイヤーには、その予感があったのだと思います。「ケイデンス」そのものが、まさに「ポップス黄金期」の象徴であったと言えるでしょう。

60~63年の中心になったのは、58年秋にデビュー・ヒットを放ったジョニー・ティロットソン(1939~)です。チャートヒット14曲のうち9曲(上位10曲中7曲)を占めていて、トップ10ヒットが3曲。「ポエトリー・イン・モーション」2位(60年)、「ウイズアウト・ユー」7位(61年)、「涙ながらに」総合3位、カントリー4位、R&B6位(62年)。自作曲「涙ながらに」は、60年代を通して3曲しかない、総合チャート、カントリー、R&Bの3ジャンルに跨ってベスト10入りした、今はカントリーのクラシックとなった名曲です。しかし彼もまた、63年秋に、大手レーベルのMGMに移籍してしまいます。

意外な健闘をしたのが、年少(1947~/61年時点で14歳)のエディ・ホッジス。61年「恋の売り込み」12位、62年「(ガールガールガール)メイド・オブ・ラブ」14位のヒットを放っています。

61年に異色のヒット曲「ウオーター・ボーイ」総合40位、AC10位を放った黒人ジャズ・ピアニストのドン・シュェリー(1927~2013)は、シングル4枚のほか、アルバム19枚をCadenceからリリースしています。

数少ない所属黒人男性歌手、レニー・ウエルク(1938~)も忘れることの出来ない存在です。60年初頭「ユー・ドント・ノー・ミー」総合45位、R&B28位で、幸先よくスタートを切ったのですが、以降の7枚のリリース曲はどれもノンヒット、しかし、63年秋のレーベル消滅直前にリリースされた「シンス・アイ・フォール・フォー・ユー」が、総合4位、アダルト3位の大ヒットを記録します。

ほぼ同時期にデビーしたジョニー・ティロットソンがヒットを連発するなか、腐ることなく歌い続けてきたレニー・ウエルクは偉いと思うし、ヒットに結びつかなくても我慢してリリースし続けたアーチ・ブレイヤーも立派だと思います。そこに「ケイデンス」の神髄を見る思いです。

1372 Johnny Tillotson/Why Do I Love You So(1-60, #42 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=nRk6sLhywLo
1373 Lenny Welch/You Don’t Know Me(2-60, #45 pop, #28 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=lowHP3gLTUs
1374 Andy Williams/The Village Of St.Bernadette(12-59, # 7 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=vYRL5sJLFfY
1376 Everly Brothers/Let It Be Me(1-60, # 7 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=zRKjTtiGQRY
1377 Johnny Tillotson/Earth Angel(4-60, #57 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=M8bqswE8L-Y
1377(B-side)Johnny Tillotson/Pledging My Love(4-60, #63 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=vkZzEupxvoU
1378 Andy Williams/Wake Me When It’s Over(3-60, #50 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=UKp24nueaoA
1380 Everly Brothers/When Will Be Loved(5-60, # 8 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=lv6L2zIk2ZQ
1380(B-side)Everly Brothers/Be Bop A Lula(7-60, #74 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=3u3jEwkG3_Y
1382 The Chordettes/A Broken Vow(8-60, #102 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=lWGDSeTsKtY
1384 Johnny Tillotson/Poetry In Motion(10-60, # 2 pop, #27r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=CvHC-NWJYWM
1388 Everly Brothers/Like Strangers(10-61, #22 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=1nG-lLo9LXE
1388(B-side)Everly Brothers/Bland New Heartache(11-61, #109 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=BwvfktBq0HI
1389 Andy Williams/(In The Summertime)You Don’t Want My Love(3-60, #50 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=E4L3lcRKSro&list=RDE4L3lcRKSro&start_radio=1#t=5
1390 Charlie McCoy/Cherry Berry Wine(2-61, #99 pop) *1941~、ハーモニカ奏者。
https://www.youtube.com/watch?v=klKAGGuSYn4
1391 Johnny Tillotson/Jimmy’s Girl(1-61, #25 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=YooOx6UBxD0
1392 Don Shirley Trio/Water Boy(7-61, #40 pop, #10 AC)
https://www.youtube.com/watch?v=YR9d1l6oOxI
1397 Eddy Hodges/I’m Gonna Knock On Your Door(6-61, #12 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=uQPnwYu5zyA
1398 Andy Williams/The Bilbao Song(4-61, #37 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=tYPZYn9EDQY
1402 The Chordettes/Never On Sunday(6-61, #13 pop, # 4 AC)
https://www.youtube.com/watch?v=DPNASiM8rNQ
1402(B-side)The Chordettes/Faraway Star(9-61, #90 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=c40PArno9uw
1404 Johnny Tillotson/Without You(9-61, # 7 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=wOgmx88bhgc
1408 Don Shirley Trio/Drown My Own Tears(62.1, #100 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=1AxNMfm8Vsc
1408(B-side)Don Shirley Trio/The Lonesome Road(61.12, #116 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=XNIZAeLLNY8
1409 Johnny Tillotson/Dreamy Eyes[R](2-62, #35 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=aBVejGKfgt4
1410 Eddy Hodges/Bandit Of My Dreams (1-62, #65 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=y_1nIskIv_E
1418 Johnny Tillotson/It Keeps Right On A Hurtin’(5-62, # 3 pop, # 4 c&w, # 6 r&b)
https://www.youtube.com/watch?v=Okk3ARBn2Tk
1421 Eddy Hodges/(Girl Girl Girl)Made To Love(6-62,#14 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=Q0oyuM-jhC8
1422 Lenny Welch/Ebb Tide(3-64, #25 pop, # 6 AC)*62年夏リリース。
https://www.youtube.com/watch?v=2kYhjLQWYi8
1424 Johnny Tillotson/Send Me The Pillow That You Dream On(8-62, # 17 pop, # 11 c&w, # 5 AC)
https://www.youtube.com/watch?v=c1-SKk6kvTg
1424(B-side)Johnny Tillotson/What’ll I Do(9-62, #106 pop,)
https://www.youtube.com/watch?v=sTnG8ZSTwX4
1426 Archie Bleyer/Moonlight Serenade(non-hit)
https://www.youtube.com/watch?v=N4_COjpT-rE
*Archie Bleyer’s Last Single from Cadence
1429 Everly Brothers/I’m Here To Get My Baby Out Of Jail(10-62, #76 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=P35_fH80S80
*The Everly Brothers’s Last Single from Cadence
1432 Johnny Tillotson/I Can’t Help It(If I’m Still In Love With You)(10-62, #24 pop, # 8 AC)
https://www.youtube.com/watch?v=zwthfBBe7wI
1432(B-side)Johnny Tillotson/I’m So Lonesome I Could Cry(12-62, #89 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=zwthfBBe7wI
1434 Johnny Tillotson/Out Of My Mind (3-63, #24 pop, #11AC)
https://www.youtube.com/watch?v=q8rhVL-QPVo
1437 Johnny Tillotson/You Can Never Stop Me Lovin’ You(8-63, #18 pop, # 4 AC)
https://www.youtube.com/watch?v=UGiYJDtwhlI
1439 Lenny Welch/Since I Fall For You(10-63, # 4 pop, # 3 AC)
https://www.youtube.com/watch?v=U7xrQY_FLM4
1441 Johnny Tillotson/Funny How Time Slips Away(10-63, #50 pop, #16 AC)
https://www.youtube.com/watch?v=o9GdfHtFXH8
 *Johnny Tillotson’s Last Single from Cadence
1442 The Chordettes/True Love Goes On And On(non-hit)[R]
https://www.youtube.com/watch?v=ZB_AXYdqwJg
 *The Chordettes’s Last Single from Cadence(1954年録音の旧譜=Cadence1329)。
1444 Julius La Rosa/Gonna Build A Mountain(non-hit)
https://www.youtube.com/watch?v=ZLB6FROXb3w
*Julius La Rosa’s Last Single from Cadence(1964年リリースのアルバム「Mainly Romantic」収録)。
1445 Don Shirley/Ol’ Man River(non-hit)
*Don Shirley’s Last Single from Cadence
1446 Lenny Welch/If You See My Love(7-64, #92 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=J6HJ-dtiUe4
*Lenny Welch’s Last Single from Cadence
1447 Andy Williams/Under Paris Sky(8-64, #121 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=l7p2M-D-P9Q
 *Andy Williams’s Last Single from Cadence(1960年にリリースしたアルバムからの旧譜)。

主なアーティストのヒット曲数を整理しておきます。
◆Julius La Rosa 発売シングル18枚(チャートヒット7曲/ベスト10入り2曲)
◆Archie Bleyer 10枚(3曲/1曲)
◆The Chordettes 23枚(13曲*/4曲)*両面hit含む
◆Bill Hayes 7枚(1曲/1曲)
◆Andy Williams 18枚(17曲/6曲)
◆The Everly Brothers 12枚(20曲*/8曲)
◆Johnny Tillotson 16枚(18曲*/3曲)
◆Lenny Welch 9枚(4曲/1曲)
◆Don Shirley 3枚(3曲/0曲)
◆Eddie Hodges 3枚(3曲/0曲)

他のアーティストは約70組、リリース数は約100枚ということになります。全部合わせて、チャート・ヒットは、6曲、ベスト10入りは、0曲です。ということは、上に挙げた10組のアーティスト以外は、ほとんどがノン・ヒット・シンガーということになるので、ユーチュブで見つけるのは大変です。

でも、それにチャレンジしよう、という思いに、突然なりました。

ノンヒット曲の中に、次々とお宝発見です。特に3人の女性歌手。

まず、ケイデンス最末期の2大ヒット曲Johnny Tillotson「You Can Never Stop Me Lovin’ You」【Cadence 1437】とLenny Welch「Since I Fall For You」【Cadence 1439】に挟まれた【Cadence 1438】に、ノンヒット・女性シンガーJean Thomasのノン・ヒット曲(したがってyou-tubeで曲を見つけるのに大変苦労した)の「He’s So Near(Yet So Away)b/w The Boy That I Want Doesn’t Want Me」。

【Cadence 1438】 Jean Thomas/He’s So Near(Yet So For Away)(non-hit)1963
https://www.youtube.com/watch?v=Oap4qNCcnAI

「He’s So Near」は日本でも63年秋「お熱をあげて」のタイトルで発売されていました。ジェーン・トーマスの自作曲です。彼女の生年は不明ですが、ジョニーやレニーと同年代(1938-40年頃生まれ)だと思います。今も健在らしいです。

【Cadence 1438B-side】 Jean Thomas/The Boy That I Want Doesn’t Want Me(non-hit)1963
https://www.youtube.com/watch?v=NYVUlj2wZNE

Jean Thomasのシングル盤がもう一枚ありました。あの名曲、「Moon Riverムーン・リバー」を、映画公開とほぼ同時期にリアルタイムで取り上げています。【Cadence 1419】ということは、Johnny Tillotson「涙ながらに」【Cadence 1418】の次のリリースですね。この曲がJean Thomas盤でヒットしなかった(ヒットヴァージョンは黒人男性歌手のJerry Butler盤、総合11位/R&B14位/Adult 3位)のは、ひとえにレーベルが弱小だったからでしょう。

【Cadence 1419】 Jean Thomas/Moon River(non-hit)1962
https://www.youtube.com/watch?v=c_hQyYbh3aI

ケイデンスから3枚のシングルを発売していますが、そのうちの一つ「Seven Roses」【Cadence 1435】は、you-tubeで見つけることが出来ませんでした。そのB面に入っている「He’s So Near」は、ケイデンス解散前の最後のシングルのひとつとして【Cadence 1438】で再リリースされるわけですから、アーチ・ブレイヤーも、何とかヒットすることを願っていたのでしょう。レニー・ウエルクが、最後の最後に【Cadence 1439】で大ブレークしたことを思えば、(レニーより後発デビューのジェーンに)あと一回か二回のチャンスがあれば、ヒットに結びついたのに、と残念でなりません。

でも、日本でも発売されたことで、僕のように記憶に留めているリスナーは少なからずいると思います。ちなみに、「He’s So Near(お熱をあげて)」は、最初の「Seven Roses」とのカプリング時に、ジョニーの当時のシングル盤同様、AB面逆さにA面として発売されています。B面に回った「Seven Roses」の邦題は「サンタモニカのバラ」。僕はよく覚えていますよ(「サンタモニカ」という地名は、その時に初めて知ったのです)。

もう一人、意外な女性歌手の名を見つけました。あの「エンジェル・オン・マイ・ショルダー」(自作、1961年にBillboard pop 22位)のシェルビー・フリント(1939~)が、初ヒット(と言っても他に63年に「Little Dancing Doll」pop 103位と、66年に「風のふくまま」pop 61位/Adult 11位のヒットがあるだけですが)を放つ前に、Cadenceから「I Will Love You」でレコードデビューしています。

【Cadence 1352】 Shelby Flint/I Will Love You(non-hit)1958
https://www.youtube.com/watch?v=K7ayw_sGmbs

【Cadence 1352】ということは、ジョニー・ティロットソンのデビュー曲「夢見る瞳」【Cadence 1353】の一つ前で、同じ時のデビューと言ってよいでしょうね。数年後に別レーベルに移籍し、ほぼ一発ヒットと言ってよい、しかし不屈の名曲の「エンジェル・オン・マイ・ショルダー」を著すのですが、この「アイ・ウイル・ラブ・ユー」(やはり自作)もそれに負けない素晴らしい曲です。シェルビー・フリントは、この曲のカバーで知られる、ザ・カスケーズ同様、ほぼ一発屋に近い存在ですが、一部のポップス・ファンには、絶大な人気を誇っています。

ちなみに、エヴァリー兄弟にしろ、ジョニー・ティロットソンにしろ、レニー・ウエルクにしろ、ジェーン・トーマスにしろ、シェルビー・フリントにしろ、皆多くの曲を自作しているのですね。彼らは「ティーン・アイドル」には違いないのですけれど、少なくとも「日本のティーン・アイドル」とは、種類が異なる存在なのだと思います。

Shelby Flint 「Angel Of My Shoulder」 
https://www.youtube.com/watch?v=M_5kjg4Awj4

話がケイデンスから逸れますが、この曲(エンジェル・オブ・マイ・ショルダー)は、リアルタイムではザ・カスケイズ盤で聴いていた人も多いのではないでしょうか?カスケーズの「悲しき雨音」は、アメリカを含む世界中で大ヒットしました。ことに日本では、1963年前半のほぼ半年間、No.1に君臨し続けました。日本で最もヒットしたアメリカン・ポップスと言えるでしょう。僕も「悲しき雨音」のLPを買いました。最も好きだったのが「エンジェル・オブ・マイ・ショルダー」です。ただし、この曲は、古くからのスタンダード・ナンバーだと思い込んでいました。カスケーズがカバーするすぐ前の、若い女性シンガー・ソング・ライターのヒット曲だと知ったのは、ずっと後になってからです。

The Cascades 「Angel Of My Shoulder~Was I Dreaming?」
https://www.youtube.com/watch?v=fxvgQdkLu3s

ジョン・グモー(カスケーズのリーダーで「悲しき雨音」の作者)、このライブ当時77歳。決して美人じゃないけれど、現地(東南アジアのどこか)の可愛らしい少女歌手Ninaとのディエットです。唄い終わって、次の曲、エヴァリーの「夢を見るだけ」に移ります。と思いきや、最初の一小節を歌い終えたところで、おそらくカスケーズのオリジナル・ナンバー(アルバム「悲しき雨音」収録曲)でしょう、「夢を見たのかな?」に切り替わります。いろんな意味(10種類ぐらい)で、もう、涙が溢れて、、、、、、。三世、助けてよ!涙に溺れてしまいます。

さて、上記2人の女性歌手の曲はノンヒットなのですが、1957年にリリースされたこの女性歌手の「私の青い鳥Gonna Find Me A Bluebird」は、上記したように総合チャートの84位にランクされています。これが素晴らしい! 【Cadence 1318】ということは、エヴァリー兄弟の「バイバイ・ラブ」【Cadence 1315】の3つあと。ちなみにケイデンスからは、このヒットの前後に、ノン・ヒット曲「The Grass Was Greener」【Cadence 1298】と「Did You Close Your Eyes」【Cadence 1332】(共にユーチュブでは見つけることが出来なかった)もリリースしています。B面の「I Saw You, I Saw Tow」と併せて「Gonna Find Me A Bluebird」を再紹介しておきます。 

【Cadence 1318】Joyce Hahn/Gonna Find Me A Bluebird(6-57, #84 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=9DDH5CucnwA
【Cadence 1318B-side】Joyce Hahn/I Saw You, I Saw Tow(non-hit)
https://www.youtube.com/watch?v=zPiDPG92l8A

Joyce Hahn(どう発音するのだろう?ジョイス・ハン?)という名前は、聞いたことがあるような、ないような、、、。でも、総合チャートにランクされているということは、ビルボードのチャートブックを見れば、最低限出身地と生年は分かるはずです。しかし、なんと、(名前と唯一のヒット曲であるこの曲が記されているだけで)全く付記がない(そのような例は他にほとんどありません)。そこで、日本で以前発売されていたアメリカン・ポップス本の中の「一発屋列伝」の1957年度のリストをチェックしてみることにしました。ところが、なぜかそこにも紹介が為されていない(意図的なものではなく、この著者の単純な見落としなのでしょう)。

結局インターネットで色々と調べて、やっと1929年生まれのカナダSaskatchewan出身の女性歌手であることが分かりました。上記2人の女性歌手より10歳年長で、この57年には28歳ですね。カナダでは結構有名な歌手らしく、ユーチュブに動画もいくつか紹介されています。

「Moment To Remember」 (1950’ Canadian Hit parade #5)
https://www.youtube.com/watch?v=vK6c9vzwA2k
この曲は1955年以降、何組かのアーティストでヒットしています。僕はブライアン・ハイランド盤(Album収録)が好きです。

Joyce Hahn盤の「Gonna Find Me A Bluebird」は、いわゆる女性歌手アンサー・ソングといっても良いのだろうと思います(ただのカバーとアンサー・ソングの違いがどこにあるのか、今一つよくわかりませんが)。原曲と異なるところが一つ。曲の中間辺りに突然男性コーラスが入って「〽ジョイス・ハーツ・ブローケン」と本人の名前で(笑)状況説明があるところ。

「Gonna Find Me A Bluebird」の原曲はカントリー・ソングで、アメリカでは同年に男性歌手のMarvin Rainwater(1925~2013)盤が、総合18位、C&W 3位の大ヒットを成しています。

Marvin Rainwater 「Gonna Find Me A Bluebird」
https://www.youtube.com/watch?v=HDrCIEte_T8&list=RDHDrCIEte_T8&start_radio=1&t=34

マーヴィン・レインウオーターは、チェロキー・インディアンの血をひき、ジョン・D ラウダーミルク作品で最大のヒット(彼の作品で唯一のNo.1ヒット)「Indian Reservation」の、オリジナル・リリース歌手でもあります。

再びケイデンスとは直接関係のない話になりますが、「Indian Reservation」の4ヴァージョンを、リリース順に並べてみます(この話題を語る理由は、リンク・レイ「ランブル」のところで述べます)。

Marvin Rainwater 「Indian Reservation(Pale Faced Indian)」1959
https://www.youtube.com/watch?v=-fNLCULhNpE
John D. Loudermilk 「Indian Reservation」1966
https://www.youtube.com/watch?v=RNcwdeFKUmA
Don Fardon 「Indian Reservation」1968
https://www.youtube.com/watch?v=wWVEM1idBj0
https://www.youtube.com/watch?v=m2_bW5vV28k
Paul Revere & The Raiders 「Indian Reservation」1971
https://www.youtube.com/watch?v=21ixwIaN7qw

2度大ヒットしています。68年に、イギリスのカントリー歌手?「ドン・ファードン」(1943~)盤で、Billboard pop(countryチャートではない)で20位(イギリスで3位)。

そして、71年に、いわゆる“新時代”のロック・バンド、「ポール・リヴィア&ザ・レイダース」盤でpop No.1ヒットとなっています。

実は、この2枚の前の66年に、ラウダーミルク自身が唄っていて、更にその前の59年に、マーヴィン・レインウオーターがシングル発売しています。しかし、ともにヒットチャートには登場していません(レインウオーター盤のタイトルは「Pale Faced Indian」)。

ラウダーミルク盤には、「ふんにゃふんにゃヘ、ふんにゃふんやホ」の穏やかな掛け声が入り、レインウオーター盤にも「ハイアハイアハイ、フンニャフンニャフン」と謳われています。

しかし、ドン・ファーゴ盤では、その部分が姿を消し「Cherokee people, Cherokee tribe, so proud you lived, so proud you died,,,,」 に替わります。静かに、一度だけ謳われます。

レイダース盤になると、それが一転して叫び声となります。「チェロキー・ピープル!チェロキー・トライブ!ソオ・プライド・リ~ブ!ソオ・プライド・ダ~イ!!!」

まさに、「反抗」「カウンター・カルチャー」の叫びです。

そのことが、更なる大ヒットに結び付いたのは、明らかでしょう。

世の中が、そういった(「分かりやすい」と言って良いのでしょうか)「空気」への同調を、要求しているからです。世の中が、そういった「空気」の上で、成り立っているのです。

香港の「正義」の構造と、似ている気がします。

僕は何も、ポール・リヴィアPaul Revere (1938~2014)やマーク・リンダセイMark Lindsay(1942~:レイダースのボーカル)が「悪い」「嫌い」と言っているのではありません。例えばボビー・ヴィー(1943~2016)は彼らのことを親友と言っていて、ということは、多分ジョニー・ティロットソンとも仲が良いのでしょう。年代的には同じですが、時代的には異なります(「ティーン・ポップ」の時代をスルーして、「反抗のロック」の時代に登場したわけです)。

僕が嫌なのは、それ(後発主張への同調)が正しくて、そうじゃない(同調から外れた古い)ものは間違っている、という「空気」の形成です。

(「香港デモ」への批判の話を差し挟みますが)僕は、香港が嫌いなのではありません。「正しい」とされることに対して、有無を言わせず「同調」を求める「空気」を作り出す、メデイアや(無意識的にその扇動に応じてしまう)大衆に、我慢がならないのです。

ラウダーミルクは、確かに「抵抗」の歌として、この曲を作ったはずです。静かな「抵抗」の歌、秘めた「怒り」の歌です。

もちろん「抵抗」は、叫んで表現しても良いでしょう。でも、叫ばなければならない、という訳でもないと思います。静かなままの、秘めたままの抵抗でもいい、と僕は思います。

なお、「Indian Reservation」の歌詞には「日本」(made in Japan、、、懐かしい言葉ですね) が登場します。No.1ヒットで日本や東京が出てくる曲は、他にあったでしょうか?(リッキー・ネルソンの「トラヴェリン・マン」には、香港は出てくるけれど、日本や東京は出て来なかったと思う)。

ところで、マーヴィン・レインウオーターは、ある意味、ケイデンス(アーチ・ブレイヤー)とも関係はあるみたいですね。アーチ・ブレイヤーが、アーサー・ゴッドフリー(1903~1983)と意見が合わず(半ば喧嘩別れという形で)ジュリアス・ラローサやコーデッツを引き連れてショーを脱離したのが53年、その後、コーデッツの代わりに、マクガイア・シスターズが、ショーの中心スターになりました。レインウオーターも、略歴を見ると、55年にゴッドフリー・ショウに参加しています。ラローサの代役的存在、と言えるのかも知れません。

レインウオーターはまた、別の意味でポップス界に足跡を残しています。ポップ・ヒットとカントリー・ヒットが5曲づつあるのですが、1曲だけ組み合わせが違っていて、そのポップス側の曲「Majesty Of Love」がデュエット曲。

あの、コニー・フランシス(1938~)、50年代末から60年代にかけて56曲のBillboard hot 100チャート・ヒットを放った“ポップス黄金期の女王”の初ヒット曲が、レインウオーターとのデュエットだったのです。

MGMレコードで55年から57年にかけて9枚のシングル盤をリリースしたものの、全てノン・チャートに終わっていました。初めてのチャート・インが、58年2月 「Who’s Sorry Now」(Billboard pop 4 位)の大ヒットを放つ直前の、57年12月にリリースされた、この「Majesty of love」です。Hot 100の93位に、一週間だけ、チャート・インしています。この曲におけるレインウオーターとのディエットの(まずまずの)成功が、すぐ後の大ブレイクのきっかけとなった、と考えて良いと思います。
Marvin Rainwater & Connie Francis「Majesty Of Love」
https://www.youtube.com/watch?v=ACSh_fz9ZEM

【下】に続く。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019.10.31日記(下):ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代

2021-08-25 10:13:15 | コロナ、差別問題と民主化運動、アメリカンポップス



A Short Story of The Cadence Record /3人の女性ポップス歌手ほか(抄) 【下】


ところで、「ケイデンス」「女性」と言えば、もちろんコーデッツですね。話が随分ケイデンスから外れてしまったので、元に戻しましょう。60年の映画「日曜はダメよ」の主題曲は、日本ではコニー・フランシス盤でヒットしましたが、アメリカでのヒット・シングルはコーデッツ盤です。 

コーデッツは、年齢的には「ポップス黄金期」の一時代前の、おばさん歌手達(全盛期は40歳前後)、と捉えられがちですが、最初のリリースでナンバー1ヒットの「ミスター・サンドマン(54年)」を除くチャートヒット13曲は56年~61年なので、「ポップス黄金期」を代表する女性ヴォーカルグループといってよいでしょう。白人女性ヴォーカルグループとしては、マクガイア・シスターズと並び、この時代(ゴールデン・ポップス初期)のNo.1かも知れません。

「ロリポップ」とか「日曜はダメよ!」とかの超有名曲をはじめとしたチャート上位ランクの曲は良く知っているつもりでいたのですが、今回、改めてチャート下位の曲やノンヒット曲を聴き直してみたら、これがもう、素晴らしいのですね。

【Cadence 1319】 The Chordettes/Echo Of Love(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=_KPJhQDvYjI 
*Joyce Hahnの「私の青い鳥」の次のリリース。

【Cadence 1425】 The Chordettes /In The Deep Blue Sea(non-hit)1962
https://www.youtube.com/watch?v=_KPJhQDvYjI 
*Johnny Tillotsonの「夢の枕を」の次のリリース(おそらく旧録音?)。

この機会に、今まで余りきちっと聴いてこなかった、アンディ・ウイリアムスの曲も、改めて聴き直してみることにしました。

これまで僕は、一時代前からのスケベな中年歌手という認識でいたのですが(その認識自体は変わらないけれど、笑)、単に甘いだけではなく、独特の渋みを帯びたの聲の、なかなか癖になる魅力を持っていることが、再確認できました。聴けば聴くほど「女たらしのオッサン」という印象は、今まで以上に強くなるのですけれど、まあ、歌が上手なら、それも良いと思います。57年の大ヒット曲の一つで、ペギー・パワーズ(*注)という女性歌手とのデュエットによる【Cadence 1323】「I Like You Kind Of Love(57年pop 8位)」なんて、もう最高です!

そのアンディのおかげで(?)ジョニー・ティロットソンは「優等生」に位置づけられています(“女たらし”という点では似たようなものなのですが、、、実態を暴いてはいけないことになっています、笑)。

ところで、アンディ・ウイリアムスと言えば「ムーン・リヴァー」、「ムーン・リヴァー」と言えばアンディ・ウイリアムス、と印象付けられているように思います。先にも記したように、ヴォーカルでのヒット・ヴァージョンは、黒人バラード歌手(元、The Impressionsのメンバー)Jerry butler(1939~)の大ヒット曲です。ヒットには至りませんでいたが、同じ頃、ケイデンスから女性歌手Jean Tomas盤もリリースされています(ジョイス・ハンのアルバムにも収録)。「Moon River=Andy Williams」の思い込みは、日本だけの現象と思っていたのですが、アメリカでの認識も同様らしく、ビルボード・チャート・ブックの、アンディ・ウイリアムスの項目にも、“アンディの歌として有名なムーン・リヴァーは、62年に録音されているが、シングル・リリースは為されていない”という訳注が、わざわざ入っています。

Andy Williams/Moon River(from an Album【Moon River and Great Movie Tame】)1962
https://www.youtube.com/watch?v=L_jgIezosVA
移籍したColombiaからのリリースで、これが彼の初トップ10チャート(3位)のアルバムとなります。

*「ケイデンス・レコード・リスト」を見たら、ケイデンスからリリースされた全てのアーティストの曲の紹介の後に、特別訳注の形で、こんな覚書が附されていました。「“アイ・ライク・ユー・カインド・オブ・ラブ”を(アンディ・ウイリアムスとのディエットで)歌っている“ペギー・パワーズ”とは誰のことか?」。かなり長くなるので結論だけ紹介しておくと、(たぶん、たまたま録音時に居合わせた?)レコード会社かスタジオの名もなき(一応本名は判明しているらしい)スタッフの一人らしいです。それがトップ10入り大ヒットとなって、60年以上経った現在でも知られているわけですから、面白いですね。

ケイデンス・レコードの代名詞と言えば、そのアンディ・ウイリアムスよりも、コーデッツよりも、何といってもエヴァリー兄弟でしょう。

最初にも記したように、56年のエルヴィスに次いで、57年から58年にかけてのエヴァリーの快進撃は、それはもう凄いものでした。

しかし、大ブレークした後、普通なら一気に総攻勢をかけて、数多くのシングル盤やアルバムを短期間の間にリリースします。

例えば、リヴァティ・レコードにおけるボビー・ヴィーは、60年から63年の4年間に11枚のアルバムをリリースしています。

アーチ・ブレイヤーの方針は、それとは違ったのだと思います。上に例を挙げたBobby Veeとほぼ同じ時期のケイデンスに於いては、例えばジョニー・ティロットソンは在籍5年間にリリースしたアルバムは3枚だけです。最後の一枚は移籍が決まってからの寄せ集めですから、実質2枚。デビューヒットから丸3年間余、トップ10ヒット2曲を含む8曲のチャートヒットがあるのにも関わらず、正規のアルバムは一枚もリリースしていません(各6曲入りの「リトル・アルバム」が2枚)。

最初のアルバムが、61年暮の「ベスト・ヒット集」、相次いで62年に、意表を突く、全曲カントリー・ナンバーのアルバム「It Keeps Right On A Hurting」(ケイデンス・レコードのレーベル全体を通じて、始めてのトップ10アルバムです)をリリース。

エヴァリー・ブラザースも、在籍中の60年までにリリースされたアルバムは4枚(移籍後の63年に再発を含む2枚追加)に留まっています。そして、58年にリリースされた2枚目のアルバムは、これも意表を突く(人気絶頂のポップ・アイドルらしからぬ)アイルランドの古い歌を集めた、(一般受けという視点からは)ある意味非常に地味な「Songs Our Daddy Taught Us」(兄弟の父親が昔、故郷のアイルランドで馴染んでいた歌、というコンセプト、62年に別タイトルで再発売)。このアルバムからは、(レーヴェル移籍後の62年に)「I’m Here To Get My Baby Out Of Jail」がシングル・カット(pop76位)されています。

もっとも、リアル・タイム(エヴァリー・ブラザースがケイデンスに在籍していた57~60年当時)には、日本においては彼らのレコードはリリースされていないはずです。今ではポップス・ファンなら知らぬ人はいないだろう、「バイ・バイ・ラブ」や「夢を見るだけ」などの超有名曲も、ごく一部の日本人の知るところだけだったと思われます。しかし現在では、後発のビートルズやビーチ・ボーイズが触発されたということで、教祖的な存在に祭り上げられているわけです。もちろんのこと(ビートルズらの出現と関わりなく)それに値するに相応しい存在であることは確かなのですが。

むろん、ジョニー・ティロットソンの初期(58年~61年)ヒット曲も、日本で(リアルタイムでは)発売される事はありませんでした。もっとも、彼の場合、全盛期と言える62年~63年には既に「日本キング・レコード」からリアルタイムで本国ヒット曲のリリースが為されていたのですが、それらは全てカントリー&ウエスタン調のバラード曲、日本でのヒットは望めません。

そのまま、「日本ではヒット曲のない“伝説のティーン・ポップス歌手”」になるところだったのですが、63年の秋になって、旧録のB面曲「キューティ・パイ」を日本独自発売したら、これが大ヒット。

以降、片っ端から、旧録のB面曲をリリースし、数か月後に現れたビートルズら「新時代の音楽」の日本における対抗馬になります。

【Cadence 1384B-side】 プリンセス・プリンセスPrincess, Princess(non-hit)1960
https://www.youtube.com/watch?v=srOVTsVKLKQ
アメリカでは「ポエトリー・イン・モーション」のB面。自作。日本では63年暮から64年初めにかけてヒット。

【Cadence 1404B-side】 キューティ・パイCutie Pie(non-hit)1961
https://www.youtube.com/watch?v=2Bb6RJzJ7p4
アメリカでは「ウイズアウト・ユー」のB面。A面共自作。1963.6.8付けのアルゼンチンのチャートでNo.1に。

【Cadence 1437B-side】Judy, Judy, Judyジュディ・ジュディ・ジュディ(non-hit)1963
https://www.youtube.com/watch?v=ibjZpPNY2z4
アメリカでは「ユー・キャン・ネヴァー・ストップ・ミー・ラヴィング・ユー」のB面。作者の一人。日本では大したヒットにならなかったが、東南アジア各国やオーストラリアなどで大ヒット。

【Cadence 1441B-side】 素敵なガールハントA Very Good Year For Girls(non-hit)1963
https://www.youtube.com/watch?v=WHSUDdvnTDA
アメリカでは「ファニー・ハウタイム・スリップス・アウエイ」のB面曲。日本では64年春にヒット。

というように、62年に「涙ながらに」で変身?する前のジョニー・ティロットソンは、典型的な「ティーン・ポップス歌手」だったのです。

一方、エヴァリー・ブラザースは、デビュー当時(57年)から、一貫してC&Wのスタイルを取っていました(とは言っても、ジョニーの「ティーン・ポップス」は「カントリー・フレヴァー」満載でしたし、エヴァリーの「カントリー」も「ティーン・ポップス」度数は限りなく高かったので、客観的には大して変わらないような気はしますが)。 したがって、仮にエヴァリー兄弟の一連の本国大ヒット曲がリアルタイムで日本で発売されていたとしても、ヒットには結びついていなかった可能性もあります。

ちなみに、エヴァリー兄弟とジョニー・ティロットソンが所属するレーベルということで、ケイデンス・レコードと言えば、「ポップ・カントリー」という印象があると思いますが、実際のところは、この2組以外には、カントリー系のアーテイストは、ごく僅かしか見当たりません。

C&W系歌手のヒット曲は、前出のジョイス・ハンの「二人の青い鳥」(57年、pop 84位)があるくらいです。

ほかに、数少ないC&W系の歌手として、ノンヒットながらケイデンスから5枚のシングル盤をリリースしている、ゴードン・テリーGordon Terry (1931~2008)がいます。
【Cadence 1317】Gordon Terry/Black mountain Rag(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=tbgysEVchnQ
【Cadence 1334】Gordon Terry/Wild Honey(non-hit)1958
https://www.youtube.com/watch?v=Hz1y95xECVs
【Cadence 1343B-side】Gordon Terry/Lost Her Somebody New(non-hit)1958
https://www.youtube.com/watch?v=JOM7EvmuulE
1316、1317は典型的な古い時代の典型的C&W音楽(ブルー・グラス?)。逆に1334、1343は現代的なカントリー・ロックで(1343はB面の自作のバラードを紹介)、エヴァリーやジョニーとも被るのですが、ちょっと時代に乗り遅れてしまったように思われます(後に、唯一のチャート・ヒットとして70年C&W 62位「The Ballad Of Johnny Cash」)があります。

女性C&W歌手が、ジョイス・ハンのほかに2人。

Martha Carson(1921~2004)という「謎?」の歌手。
【Cadence 1356】Martha Carson/Light Of Love(non-hit)1958
https://www.youtube.com/watch?v=IEppD9OYHds
Martha Carson 「Crying Holy Unto The Lord」
https://www.youtube.com/watch?v=U2ajOeFUXG8
Martha Carson 「This Ole House」
https://www.youtube.com/watch?v=Vi2MNJ9eQUo
カントリー・ゴスペル?白人女性で、60年代以降に別レーヴェルから数曲をリリースしています。デイスコグラフィーをチェックしたら、確かに56年にケイデンスからも一枚だけ(この曲を)リリースしています。しかし、全然カントリーとは関係なさそうな曲。下2枚はTV番組から。三つとも、曲を聴いたり、姿を見たりするだけでは、とても同一人物とは思えないのですが、多分同じ人なのでしょう。もっとも、ジミー・ヴェルヴェットの例(そのうち書きます、かなり悍ましい?話です、ちなみに最初に挙げたジョニーとエヴァリー兄弟の3ショットは、ジミー・ヴェルヴェットの情報を探しているときに、偶然見つけたものです)もあるので断定はできませんが。

もう一人は、正真正銘のメジャー(と言うよりも知名度の高い)歌手、C&W界の名門、The Carter Familyの一員で三姉妹の末妹のAnita Carter(ジョニー・キャッシュの奥さんJune Carterの妹:1933~)も、ケイデンスからシングル盤を一枚リリースしています。別レーベルでは、カントリー・チャートで51年に両面トップ5 に入ったHank Snowとのディエット曲があり、60年代後半以降も活躍を続けています(62年のTV番組ではジョニーの「涙ながらに」も歌っている)。
【Cadence 1333】Anita Carter/Blue Doll(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=zhVrt1RWrcM

ということで、ケイデンスにおけるC&Wが系の曲が占める割合は、印象とは違って意外に少ないのですが、ではロック(R&R)はどうでしょうか。62年前後にカントリー調ポップ・バラード、いわゆるナッシュビル・サウンドが押し寄せる前、50年代後半から60年頃にかけて(すなわちケイデンスの絶頂期)、ロックが全盛でした(エルヴィス、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ジーン・ヴィンセントetc.)。しかし結論からいうと、ケイデンスには、(いわゆる不良っぽい)ロック・アーティストもごく少ないのです。

ほぼ唯一の例外と言ってよいのはリンク・レイで、彼については後程改めて述べます。

むろん、エヴァリー兄弟もロックを唄います(見方によっては大半の曲がロックです)。でも、彼らのは「品のあるロック」、、、ロックに品があっちゃいけないのです。ジョニー・ティロットソンも、ライブにはロック系の曲にかなりの時間を割いているのですが、録音となると、典型的なロック・ナンバーはほとんど見当たりません。明らかにロックと言えそうなのは、デビュー曲(1958年)の「ウエル・アイム・ユア・マン」と、現時点でのラスト・リリースである(2010年)「ノット・イナフ」ぐらいのように思います。

「キューティ・パイ」はどうでしょうか?確かにロックと言えば典型的なロックであるようにも思うのですが、ロックに漂うべき不良っぽい雰囲気が微塵も感じれない。明るく、健全?過ぎるのです。この曲を「“ポップン・ロール”の名曲」と言った人がいます。「ポップン・ロール」、、、、言い得て妙ですね。もっと広く一般的に使えわれて良いのではないでしょうか?(リッキー・ネルソンとかフレディ・キャノンとかチャビー・チェッカーとか、C&WにもR&RにもR&Bにも何となく括りにくい対象が、「P&R」に相当するように思います)

例えば、エヴァリー兄弟の「起きろよスージー」(リアルタイムでは、、、といっても日本ではワーナー移籍後の再発でしょうが、、、「スージーちゃん起きなさい」の邦題)。何しろ凄いのは、Pop/R&B/C&Wの3チャート#1。「涙ながら」のところで何度も述べていますが、この(P/R/C)組み合わせでの3チャートのクロスオーバーヒットは、60代に入ってピタリと消え去ります。50年代には結構あったのですが、でも3チャート1位というのは、どれほど凄い事か。

この曲なども、現在は「ロックン・ロール」として扱われているのだと思われますが、やや違和感があります。また、それぞれのジャンルで1位と言っても、典型的C&WでもR&Bでもないことは確かです。「ポップン・ロール」というジャンルがあれば、一番ピッタリ来ます。

もちろん、よりロックンロール的な曲も歌っていました。60年にレーベルを移籍した後しばらくは、旧所属 ケイデンスからも、新所属のワーナー・ブラザースからも、ともにシングル盤のリリースが為されていました。

移籍したワーナー・ブラザースでは、早速2年ぶりの(通算pop4曲目の)#1ヒット「キャシーズ・クラウン」を放ちます。ほぼ同時期にケイデンスからも旧録曲の「When Will Be Loved」【Cadence 1380】が発売され、こちらもpop 8位を記録する大ヒットとなります。なにより凄いのが、その両方ともが両面ヒットとなっていることです。ちなみに、ケイデンスからリリースされたシングル盤212枚中、両面hot 100入りは11枚(エヴァリー・ブラザース6枚、ジョニー・ティロットソン3枚、コーデッツ2枚)。このうち、エヴァリーの「バード・ドック/デボテッド・トゥ・ユー」(58年)は両面とも3大ジャンル(Pop/C&W/R&B)に跨ってtop10入りするという偉業を成し遂げています。

その両シングルのB面。ワーナーが「ルシール」。ケイデンスが「ビー・ヴァップ・ルー・ラ」。前者がリトル・リチャード、後者がジーン・ヴィンセントの(黒人と白人の違いはあっても)R&Rのルーツに位置づけされる名曲(ともに自身の作)です。この2曲に関しては、典型的なR&Rと言っても良いでしょうね。

ということで、エヴァリー兄弟の位置づけは、全体を通してみればポップ・カントリー(より正確には「カントリー・ポップ」)で、「ポップン・ロール」から純粋な?ロック系にも及んでいる、という事でしょう。全盛期は57年~62年ですが、ビートルズ出現後の64年暮れには「ゴーン・ゴーン・ゴーン」(pop 31位)で、一時復活を成し遂げています(この曲はカッコいいロックです!)。

ただし日本では、同じ64年に、本国ではヒットしなかった「素敵なデイトThat's What You Do to Me」が、数少ないリアルタイムでのヒットを記録しています。
https://www.youtube.com/watch?v=dChJATPkaoA

ケイデンス在籍は60年春までですから、ビートルズらが台頭しだしたころには既にワーナーに移籍していたのですが、62年に、ケイデンスの少年歌手、エディ・ホッジスによってリリースされ大ヒット(pop 14位)した「(Girl Girl Girl)Made To Love」は、エヴァリー兄弟の未発表曲(フィル・エヴァリーの作詞作曲)です。

ちなみに、エディ・ホッジスの日本でのヒット曲は2曲あり、最初が62年春の本国ヒット曲(pop 65位)「Bandit Of My Dreams」のB面曲「コーヒーデイトMugmates(Sue Wrightという女性歌手とのデュエット)」。
https://www.youtube.com/watch?v=xazlcRuUoOA
「恋の売り込みI’m Gonna Knock On Your Door」は本国61年春(pop 12位)、日本では62年になってリリースされ、共に大ヒットしています(僕が最初に買ったレコードの一つで、数少ない最後まで歌える曲)。

ケイデンスのアーティストで、日本に於いてリアル・タイムで最初のヒット・シンガーとなったのは、ジ・エヴァリー・ブラザースでも、ジョニー・ティロットソンでも、アンディ・ウイリアムスでも、ザ・コーデッツでもなく、エディ・ホッジスということに成ります。

「コーヒー・デイト」「恋の売り込み」「ガール・ガール・ガール」どれも典型的なティーン・ポップスです。ジョニー・ティロットソンの日本でのヒット曲や、エヴァリー兄弟やコーデッツの一部の曲も「ティーン・ポップス」なので、印象的には「ケイデンス=ティーン・ポップス」との印象もあります。

しかし、カントリー系のアーティストやロック系のアーティストが意外に少ないのと同様、ティーン・ポップス系のアーティストも意外なほど少ないのです。チャートヒットは上記4組の曲だけです(ノンチャートでは、Don Carrollの「Seven Up & Ice Cream Soda」【Cadence 1405】や、エディ・ホッジスに続く2匹目の泥鰌を狙った子役歌手Barry Gordonの「You Can Lie To A Liar」【Cadence 1431】など)。

C&W系も、ロック系も、ティーン・ポップス系も、受ける印象に比べて意外に少ないわけですが、じゃあR&B系は、となると、それもごく少ないのですね。黒人アーティスト自体、チャート・ヒットを持つのは、レニー・ウエルクとドン・シェリーだけ(両者については改めて後述)。もう一人、ノンヒットながら、ケイデンスから3枚をリリースしている後の有名歌手に、Ocie Smith(O.C.Smith 1932~2001)がいます。
【Cadence 1304】 Ocie Smith/Slow Walk(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=XVcbkBA3XZ0
【Cadence 1312】 Ocie Smith/If You Don’t Love Me(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=sSHojx9s52w&spfreload=10
【Cadence 1329】 Ocie Smith/Lighthouse(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=_Aq1K1VzNk4

ケイデンス時代にはチャート・ヒットは有りませんが、O.C. Smithの名で、60年代後期から70年代にかけて10曲以上がpop/r&b/adult各ジャンルでチャート・インしています。中でも良く知られているのが68年の「Little Green Apples」(pop 2位/r&b 2位/adult 4位)。
https://www.youtube.com/watch?v=B6UJOb4oVfU
Bobby Russellの作で、やはり同年にボビー・ゴールスボロで大ヒットした(pop/c&w/adultで1位)Russell作の「ハニー」とそっくりな曲調。スミス自身はR&B歌手なのですが、何故か68年グラミー賞の「Country Song of the Year」に選ばれています。同じ68年に、カントリー歌手のロジャー・ミラー(1936~1992)や、パティ・ペイジ(1927~2013)でもヒットしている(前者はPop39位/C&W 6位/Adult 5位、後者はPop96位/adult 12位)ので、その関係で代表してO.C.Smith盤が受賞したのではないかと思われます。

それにしてもアーチ・ブレイヤーは(57年に3枚リリースのO.C.Smithはともかく)、レニー・ウエルクに関しては、60年初頭に初ヒット(「You Don’t Know Me」Pop45位/R&B28位)を放ってから、レーベル解散後の64年初頭に「Since I Fall For You(Pop 4位/Adult 3位)」の大ヒットを放つまで、丸4年間に亘り7枚のノンヒット・シングルをリリースし続けたわけで、その我慢強さは(アーチ・ブレイヤー/レニー・ウエルク共々)素晴らしいと思います(数少ない所属黒人歌手だからこそ寵愛したのかも知れません)。

レーベル解散後にチャートインした3曲を合わせケイデンスから4曲、その後にも5曲のチャート・ヒットを持っていますが、レニー・ウエルクでネットを検索すると、それらのチャート・ヒット曲よりも、62年のノン・ヒット曲「A Taste Of Honey蜜の味」ばかりが検索に引っかかります。素晴らしい曲なので、それはそれで嬉しいことなのですが、その由来を思うと、なんか納得が出来ません。

この曲は、もともとインストルメンタル用に作られた由(後にハーブ・アルバート楽団で大ヒット)、当時ボーカル歌唱はレニー・ウエルク盤しかなかったようです。それが(まだアメリカに上陸前の)ザ・ビートルズのポール・マッカトニーの耳に留まり、彼らの米初アルバムにチョイスされました(ジョン・レノンは反対した由)。その際ポールは、レニーの歌唱を基に、忠実に歌った故、後にそのことが広く知られるようになったのです。現在、一般的な意味では、レニー・ウエルクの評価は、彼自身の実績よりも「ポール・マッカトニーがお手本にした」という一点に集約されてしまっているきらいがあります。とても残念でもあります。

【Cadence 1416】It’s Just Not That Easy(non-hit)
https://www.youtube.com/watch?v=Xxa4SyynPIc
↑レニー自身の作詞作曲です。

【Cadence 1428】A Taste Of Honey蜜の味(non-hit)
https://www.youtube.com/watch?v=4glzb5lVnzA

後の「空気」による評価、という事では、もう一人のケイデンス所属黒人アーティストDon Shirleyについても言えそうです。彼のバイオグラフィーを調べようと、ネットであちこち探していたのですが、詳しい情報はなかなか得れないでいました。それが一年ほど前のある時点で、一気に(溢れかえるごとく)ネットに上がってきた。彼を主人公にした映画が、アカデミー賞を受賞したのだそうな。今まで一般的な知名度が無かったのが、一気に知られるところになったわけです。

レニー・ウエルクにしろ、ドン・シェリーにしろ、「空気」だけで、大衆の評価や認知度が決まってしまう。なんかムカつきます。

*Lenny Welch、Don Shirleyの日本語表記は、現在はそれぞれ「レニー・ウエルチ」「ドン・シャーリー」とされていますが、僕はリアルタイムでは「レニー・ウエルク」「ドン・シェリー」と発音してきたため、間違いを承知の上で(腹が立つため、笑)従来の通りの表記をしておきます。

それはともかく、僕だけでなく、多分多くの人(アメリカン・ポップス愛好家)が感じているだろう「ケイデンス・レコード」のイメージは、ティーン・ポップだったりポップ・カントリーだったりするのですが、そのジャンルのアーティストは、意外に限られている。といって、ロックやR&Bという訳でもない。

じゃあ、ケイデンスの特徴は何か、と言えば、、、、最も比重が置かれているジャンルを敢えて探すならば、ポップス黄金期とは全く関係な、モダン・ジャズであるような気がします(アーチ・ブレイヤーは「ケイデンス」とは別に「キャンディックス」という、ほぼジャズ専門のレーベルも持っていた)。

ドン・シェリー(エヴァリー兄弟やアンディ・ウイリアムスらの大スターでさえケイデンスからは余り多くのアルバムをリリースしていないのにも関わらず、20枚近いアルバムをリリースしている)は、どちらかと言えばジャズの分野の人ですね。でも、ポップスとの親和性も非常にあるように思います。61年のヒット曲(pop 40位、adurt 10位)「ウオーター・ボーイ」は、囚人(たぶん死刑囚)のワーク・ソングだそうです。そう想ってこの曲を聴くと、心に染み入るものがあります。むろん後付けでしょうが、ユーチュブに紹介されている映像も秀逸です。一枚一枚の画像が、やはり心に染み入ります。

改めて、紹介しておきます。
【Cadence1392】 Don Shirley Trio/Water Boy(7-61, #40 pop, #10 AC)
https://www.youtube.com/watch?v=YR9d1l6oOxI

結局のところ、ケイデンスレコードの特徴は、突出した特徴がないことが特徴、もう少しポジティブに言うならば、いろんなジャンルがごちゃまぜ、という事なのかも知れません。あくまで僕が感じた雰囲気的なものですが、「売るため」にレコードを出しているというより、楽しんで、皆で遊んでいる、といった雰囲気。何気に、Johnny Ray【Cadence 1387】「Let’s Forget It Now」(non-hit)とか、Liza Minnelli【Cadence 1436】「You Are For Living」(non-hit)とか、良く知られた名前があったり、いろんなジャンルがごちゃまぜで、結果としてポップス黄金期を象徴するようなレーベルになっているわけです。

ジョニー・ティロットソンの「ポエトリー・イン・モーション」において、ブーツ・ランドルフのサックスが重要な役割を占めているのと同じく、アルバム「涙ながらに」収録の数曲も、チャーリー・マッコイのハーモニカが彩を添えています(ちなみにチャーリー・マッコイはCadenceから、pop 99位のチャート・ヒットを含む2枚のシングルをリリースしていて、それらはハーモニカでなく自身の歌唱です)。

また、御大アーチ・ブレイヤーの「Harnando’s Hideaway」も、カスタネット(演奏者:Maria Albaの名もクレジットされている)が主役ですし、他にも、様々なアーティストの曲に、ピストル音とか、手拍子とか、口笛とか、指パッチンとか、頬っぺたポンとか、様々な効果音が取り入れられていて、遊び心が感じられます。

アーティストの国籍も多岐に亘ります。例えば、Yiddish(旧ソビエト連邦の西部)の姉妹ディオ、Barry Sisters[Minnie Bagelman 1923~1976)/Clara Bagelman1920~2014]は、54年から57年にかけて、ノンヒットながら、5枚のシングル(Reckless And Romantic【Cadence 1248】-The Door Is Open【Cadence 1326】)をケイデンスからリリースしています。

無国籍といえば、Archie Bleyerの「Mustafa」なども、その典型で、幾つかの国の言語が、ごちゃまぜで歌われているようです(坂本九/パラダイス・キングの初ヒットとなった「悲しき60歳」は、このバージョンを参考にしていると思われます)。
【Cadence 1383】(non-hit、60年Johnny Tillotson「Poetry In Motion」の一つ前のリリース)
https://www.youtube.com/watch?v=qrPmHAv6ci8

というわけで、出来れば様々なアーティストの「何でもあり」ごちゃまぜノンヒット曲を紹介していきたいところですが、それらの音源を遂一探していれば、何時になったら本項を書き終えられるか目途が付きません。で、一曲だけ、僕のお気に入りを紹介しておきます。

【Cadence 1375B-side】Commander Shea School Boy Choir/White Christmas(non-hit)1960
https://www.youtube.com/watch?v=JQ9TGPVK9O0

Archie Bleyer名義の曲は、見方によっては支離滅裂ですね。本人?歌唱曲があると思えば、シレっと、イージー・リスニング楽団、といった風に、ごちゃまぜ感満載です。
【Cadence 1320】Archie Bleyer/Amber(non-hit)1954
https://www.youtube.com/watch?v=YAECqe4MVcU 
【Cadence 1426】Archie Bleyer/Moonlight Serenade(non-hit)1962
https://www.youtube.com/watch?v=N4_COjpT-rE

アーチ・ブレイアーは、自信名義の曲だけでなく、大半の曲を自ら企画・構成し、バックのオーケストラ演奏を受け持っています。ジャズであろうがロックであろうがカントリーであろうがR&Bであろうが子供の唄であろうが、お構いなしです。なおかつ、50歳越えようとする御大自身が、若いアーティストに混じって次々とリリースしているわけです。

スタート時自体が(それまで司会を努めてきたTV局と喧嘩別れして?)20歳以上年下のジュリアスを引き連れての独立ですし、同時にそのTV番組の看板女性ヴォーカル・グループ(コーデッツ)を引き抜いて、リーダーを奥さんにしてしまった。のみならず、彼女が前夫との間に授けた娘さんを、自社の看板アーティストのエヴァリー兄弟(フィル)の奥さんにして、、、と、家族経営でなるアーチ・ブレイヤーの個人商店の面目躍如というところです。

良いものは(古い/新しいに関わらず、ジャンル・人種・性別等々に関わらず)何でも取り入れる柔軟な姿勢、、、でも(良きにつけ悪しきにつけ)リミットはあったのです。いかに柔軟と言えども、ブレイアーは50歳台半ばの大人です。急激な時代の流れには、最後(63-64年)にはついていけなかった。

前に、寄り道してJohn D.Loudermilkの「Indian Reservation」の話題を述べました。それと直結する、「空気」の“流れ”についての話です。

リンク・レイ(1929~2005)のトップ20(pop16位)ヒットにして、唯一ケイデンスからリリースされた「Rumble」を、もう一度紹介しておきましょう。それと共に、ケイデンスからレーベルを移籍して一年も経たぬ間に、同じ曲を全く異なる構成(曲名も変えて)で再び大ヒットさせた「Raw High」も。
【Cadence 1347】Link Wray/Rumble(4-58, #16 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=BuAD_sQUgpw
Link Wray 「Raw High」(1-59, #23 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=Fn5hl2IA7_s [59年「Raw High」の曲名で別レーベルから発売(pop23位)]

「ランブル」の大ヒット放ちながら、ケイデンスからはそれ一枚しかリリースされませんでした。その理由は、アーチ・ブレイヤーの怒りを買ったから、と言われています。ブレイヤーは元々この曲のリリースには乗り気じゃなかったようです(娘さんがファンだったので渋々リリースした、という話もあります)。

(おそらく曲と共に紹介された)この「ランブル」の映像を見ても分かるように、あるいはディック・クラークのアメリカン・バンドスタンドでリニューアル紹介された「ローハイ」のライブを見ても分かるように、「不道徳」的極まりない曲です。アーチ・ブレイヤーにとっての、“健全なロック”とは、エヴァリー・ブラザースが唄うような曲(例えば「バード・ドッグ」とか「起きろよスージー」とか)であって、のち(60年代中期)にポップス界の主流となるブリティッシュ・ビートやフォーク・ロックやソウル・ミュージックなどの「反抗的」音楽は、邪道と考えていたのだと思います。

後に評価は逆転します。不良っぽい音楽こそロックなのだ、と。いわゆる「カウンター・カルチャー」とかいうやつです。リンク・レイは、ジミー・ヘンドリックスとかジミー・ペイジ(僕は彼らについては良く知らないのですが)とかいった、新時代の旗手たちから「教祖」的な存在に祭り上げられます。そして、アーチ・ブレイヤーの目指した「楽しい音楽」は、「つまらない取るに足らない存在」「お子様の文化」として、やがて忘れ去られてしまうのです。

単にケイデンスの問題(リンク・レイに対するアーチ・ブレイヤーの想い)、あるいは音楽全体の問題のみならず、世界の若者の価値観や文化的志向が一変してしまったわけです。

それはそれで、否定も肯定も出来ないでしょう。ただ確かなことは、「新しい文化」を受け入れることで、「古い文化」が否定されるようになってはいけない、という事です。

*書き終えているのはここまで。以下、書きかけの草稿が延々と続きます。その記述を整えていたら、それこそいつに成ったら完結するのか、わかったものじゃありません。(僕は彼らについては良く知らないのですが)おいうことで、書き終えている分を、全く手を加えずにアップしておくことにしました。

最後に、以前、あや子版の「狭間の世代24人衆+1組」の“補遺”として紹介した、レニー・ウエルクのインタビューの中から、彼の語ったアーチ・ブレイヤーの話を再録しておきます。

大好き! 素敵な、素敵な、素敵な男。彼は商売を知っている。私が彼に出会ったとき、彼は50歳代か60歳代だった。彼はオフィスに来る前にジムに通っていた(He used to go to the gym before he would come to the office)。彼はケイデンスレコードの社長で、アレンジャーであり、プロデューサーでもあった。彼は彼自身も含め、全てを取り仕切った。僕の場合、まるで子供のようだった。僕がまだ大きな旅をしたことが無かったときに、彼は僕を旅に連れ出してくれた。彼は(TVの)アーサー・ゴッドフリー・ショー(The Arthur Godfrey Show)のミュージカル・コンダクターだった。そのショーが終わり、彼がそこから去ったあと、自らのレコード会社“ケイデンス”を立ち上げた。彼は、コーデッツのメンバーの一人と結婚した。そして共に作成した“Mr. サンドマン"は、彼のレーベルでの大ヒットとなった。そして、ジュリアス・ラ・ローサとアンディ・ウイリアムスを配下に擁した。数多くのアンディの大ヒット曲は、彼と共に成された。そしてまた、エバリー・ブラザースを発掘した。彼らの大ヒット曲群もまた、彼と共に作成された。彼の元を去ってから後は、彼と共に成されたときのような、真の意味での大ヒット曲は持ち得ていない。彼はまた、ジョニー・ティロットソンを擁した。ジョニーと僕は、今素敵な友達だ。ジョニーもアーチ・ブレイヤーのことを、僕と同じように“世界一の男”と思っているだろう(Johnny thinks the world of Archie Bleyer and so do I)。



Johnny Tillotso , Fill Everly and Don Everly 1960年頃/Johnny Tillotson with Archie Bleyer 1962年/  Johnny Tillotson with Lenny Welch 2000 ‘s(右2枚はJohnny Tillotsonの旧Home pageより引用)



Cadenceレコード1962年度、CLP-3052からCLP-3059のラインアップ。僕にとっては、、、、奇跡の宝物、としか言いようがありません。

ジョニーと、僕の神さまである、ドイツのベルト・ケンプフェルトは、もちろん(音楽の性格やジャンルとかが全く異なるので)何の接点もないのだけれど、実はジョニーの初アルバムの「Johnny Tillotson’s Best」【CLP-3052】の次の【CLP-3053】が、ドイツの複数のアーティストをベルト・ケンプフェルトが紹介したアルバムなんですね(このアルバムに収録されたアーティストの曲は、今のところユーチュブで見つかりませんが、いつか是非聞いてみたいもの、と思っています)。

【CLP-3054】がアンディ・ウイリアムスのケイデンスに於ける最高傑作「Andy Williams’s Best」。【CLP-3056】がコーデッツの最後の大ヒット曲「日曜はダメよ」をフィチャーしたアルバムで、「さらば故郷」「ハイ・リ・リ・ハイ・ロー」「ケ・セラ・セラ」「トゥルー・ラブ」「」「夏の日の恋」と、選曲が、もう、、、。それを挟んだ【CLP-3055】【CLP-3057】に、ケイデンスの「アルバム・スター」ドン・シェリーの作品、前者は彼がプロデュースしたマーサ・フォロワースの唄、後者は彼自身のピアノによるヒット曲集。

【CLP-3058】がジョニー・ティロットソンの最高傑作であるポップ・カントリー・バラード集「涙ながらに」(ジョニーは、まあ言えば、下手くそなティーン・アイドルに過ぎないわけですけれど、このアルバムだけは、ファンとして自信を持って皆に勧められる素晴らしい作品です)。

そして【CLP-3059】が、2年前に別レーベルに移籍したエヴァリー・ブラザースの、(これも最高傑作と言ってよい)ケイデンスから2枚目にリリースされたアイルランド民謡集の(タイトルと曲順を変えた)再発売盤。、、、、これらのアルバムの並びを眺めているだけで、楽しい気分になってくるのです。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代 【2021.8.22 Don Everlyの逝去に際して2019.10.31作成の日記から抄出】

2021-08-25 07:48:10 | コロナ、差別問題と民主化運動、アメリカン・ポップス



(前置き)【2021.8.24記】

一昨日アップした“アサギマダラ”の記事は、その4日ほど前に一応書き上げていたものです。アップが遅れてしまったのは、
➀内容をチェックし直していた。
②いろいろと書き足していた。
③ほぼ連日裏山探索に出かけていた。
④ユーチュブ用の録画録音の収録をしていた。
⑤アベマTVで大谷(エンゼルス)の試合を見ていた。
等々。
まあ、そこいらへんは(それらが良い事かどうかはともかく)織り込み済みの事案なので仕方がないです。

ところが、予想だにしなかった、、、、いやユーチュブを(ほとんど個人のメモ、知人への伝言用として)出鱈目とも言ってよい使い方をしていたので、何か注意は来るかも、と思っていたのですけれど、まさかこういう方向から来るとは。

ユーチュブ管理組織(在アメリカ?)から
「マスクが日本を滅ぼす~人類は“コロナ”に対してどのように向き合うべきか。。。第35回」が、ヘイト規定に触れるので、削除する、との通告が来たのです。
意義があれば申し立てるように、とあったので、申し立てました。
「担当者は日本語をきちんと解読できるのですか?もう一度読み直してみてください」と、
すると、
「我々が間違っていた、規定に反していないので、削除を解除します」と。
拍子抜けですが、、、まあ良かったです。

そんなわけで、なんだかんだでアップが遅れてしまったわけですが、こんなこと(アップのタイミングを逃した結果、永久に日の目を見ない)はこれ迄にも無数に(ほぼ日常的に)あったので、今回無事アップ出来たのは、僥倖だったと思っています。

もちろん偶然なのでしょうけれど、不思議なことが幾つか付随しました。

6年前、中国広西壮族自治区花坪原始森林に於けるアサギマダラ探索は、元・大阪自然史博物館の金沢至氏と共に行った(一昨日アップしたブログ記事の主体データはその更に5年前)のですが、その時、地元桂林在住のスーリンを同行させました。

記事をアップする際、その時ことも、それとなく思い出していたのです。「スーリン、今どうしているかな?」

別にアップしたブログ記事を見てというわけじゃありません(一般中国人が見るのはたぶん不可)。全く偶然でしょう。アップした直後、久しぶり(3か月ほど)にスーリンからメールが来た。

夏のはじめ、僕が「日本は暑くなってきたよ!」と送ったメールに、「こっちも暑い、でも最近は少し過ごし易くなってきた」。「体調はどうですか?」の問いには、「この一年、体のあちこちが痛くて、凄く疲れる、でも大きな問題ではないので、心配するな、、、、あなたは元気なの?」

「心配するな」と言われても、そりゃ心配するよ、、、、(昔から少し体が弱いことも有るし)。あと、以前送った写真を、ものすごく気に入って褒めてくれた(特にカモシカ)。

、、、、考えてみれば、もう4年以上スーリンとは会ってないんだよね。早く中国にもどりたいなぁ~。

・・・・・・・・・・・・・

偶然と言えば、初めに記したように、この「アサギマダラ」の記事だって、付け足したり書き直したいところがあったり、他の用事に時間を採られたりして、いろいろ躊躇しつつ、そのまま“お蔵入り”になってしまう、、、ぎりぎりのタイミングでアップすることが出来たわけです。

タイミングを逃してお蔵入りになった記事は数えきれないほどあるのですが、その筆頭が、大作「ケイデンスレコード物語」。きっかけは、ドン&フィル・エヴァリーとジョニー・ティロットソンの3ショットの“お宝写真”を見つけたことに拠ります。それを題材に、まず、2018年の一月に一気に書き上げ、すぐにブログにアップするつもりでいたのですが、、、その後、あれもこれもと情報を付け加えだして、アップのタイミングを失ってしまった。これじゃマズイ、と、2019年の秋に成って「社会の窓から」のほうに、アップを決意した、、、のだけれど、やっぱり直前で取りやめてしまった(やっぱり書きたいことを全部書いてから表に出したいと思って)。

それで、この機会に(タイミングを逃してお蔵入りになった“大作”の代表例としての)「ケイデンス物語」の概要だけでも、とりあえずアップしておこうかな?と、なんとなく考えていたのです。

そこに、ドン・エヴァリーの訃報。84歳。

・・・・・・・・・

真っ先に村田さん(ジョニー・ティロットソン日本ファン・クラブ4代目?会長)にメールしました・
「ドンが亡くなったよ」
すると、僕が亡くなった(知人が僕の事を“ドン”と表現した?)と勘違いしたらしい。
「違うよ、ドン・エヴァリーだよ」と伝えると、
会長:「青山さんじゃなくて良かった、安心した」と。
僕:「良かった」はないでしょう!

ちなみに、日本ジョニー・ティロットソン・ファン・クラブの初代会長(1963年~1965年)の長谷川さんは、村田さんと同じ年(僕より2つ上)の、すごく美人で聡明な女性で、ずっと後になって村田さんから聞いたのだけれど、警察官の家庭に育ち、親から厳格な教育を受け、ティーン・アイドルの追っかけなど以ての外、と後にファン・クラブの活動も阻止されて、ジョニーが来日した時も本人に会うことが出来なかったそうです。

僕は結構気に入られていて、いろんなところにお供しました。一度だけ凄く怒られたことがあります。

実は彼女の名前は2つあって、本名とペンネーム(もうひとつは今思い出せない、どっちがどっちだったかも)。公の場とプライベートでは使い分けるように、と言い渡されていました。ところが、何かの用事でレコード会社に行った時に、ついうっかり公には使っちゃいけない方の名で呼んでしまった。

2つの名前を使い分けている理由は、日本キング(ケイデンス音源、日本独自にセブンシーズ・レーベル)レコードではジョニー・ティロットソン・ファン・クラブの会長を、東芝レコードでは(当時既にケイデンスからワーナー・ブラザースに移籍していた)エヴァリー・ブラザース・ファン・クラブの会長をしている、、、しかもそのことは誰にも秘密にしているのに、バレてしまうではないか、ということらしいのです。

エヴァリー兄弟は、ジョニーより遥かに格上です。と言うよりも、アメリカン・ポップスの世界ではエルヴィスの次に位置する超大物です。ただし、日本に於いては、今では誰もが知っている「バイバイラブ」も「夢を見るだけ」も、ケイデンス・リリース曲は、リアルタイムでは(今から思えば信じられないことに)ヒットもしていないどころか発売もされていないはずです。

・・・・・・・・・・・・

ということで、“お蔵入り大作”(2018年1月執筆日記の2019年10月再編)の触り(サワリと言っても結構長い、笑)だけでも紹介しておくことにします。

ケイデンスからリリースされた全アーテイストのシングル盤のうち、ビルボードのチャートにランキングされた曲を中心に、全ての曲をユーチュブから見つけ出し、そのURLを付しました。初期段階の記事だけでも、数えたら159曲のURL(最終的にはB面曲やアルバムについても当たっていく予定なので、数倍になります)。

でも、さっきチェックしてから、やっぱりやめておこうかな、と考え直したりしています。あやこさんも大変だろうし、、、アップしようかどうか、迷い続けているのですが、、、エイヤ!と進めるしかないです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼

2021-08-23 16:32:42 | アメリカン・ポップスearly60’s


追悼
ドン・エヴァリー





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の蝶 Ⅳ アサギマダラ(当初予定していたイチモンジセセリ=オオチャバネセセリの項目の「下」=に換えて)

2021-08-23 07:14:03 | コロナ、差別問題と民主化運動、日本と中国の蝶




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・・

昨日(2021.8.19)、午前中にABEMA-TVで大谷8勝目&40本塁打を見届けたあと、この記事を書き終えてアップしようと思っていたのですが、予想外に(いつものことです、笑)天気が良かったため、昼からフィールド観察に出かけました。バス代(計3回)1000円近く使って、5時間余り歩いて、やはりほとんど蝶の姿を見なかった(それでもって記事掲載が一日遅れになってしまいました)。

さらなる追記:今日(2021.8.20)も何故か快晴で、、、朝からフィールド探索8時間(疲れた、、、)。アパートの裏山(霞丘陵)の入口で、オオムラサキ(雌)を撮影していました。今、戻ってきたところです(ブログ記事のアップが更に先送りになっていきます ^^;)。

・・・・・・・・・・・・

さて、唐突に“アサギマダラ”の記事です。一昨日の午後、突然記述を思い立ち、半日かかって書き上げました。さっき一応書き終えてから、やっぱり唐突で場違いかな?と躊躇していたのですが、エイヤ、とアップしてしまうことにします。アサギマダラとかのマダラチョウの仲間は、蝶の中で僕が最も苦手な(興味が薄く知識も少ない)グループ*なので、今アップしておかないことには、次の機会はいつになるか分かりません。

*「中国のチョウ」(1998年刊行)に於ける、例えば、同じタテハチョウ科のコムラサキ亜科と比較してみましょう(中国にはマダラチョウ亜科Danainae・コムラサキ亜科Apaturinae共に40種前後が分布)。僕のこの本では、コムラサキ亜科(オオムラサキ・ゴマダラチョウなどを含むコムラサキ族)については、計46頁に亘り紹介しています。解説文26頁、解説した分類群26セクション(subsectionを含む)、カラー生態写真20頁16種58個体、雄交尾器図70個体。一方、マダラチョウ亜科については、解説文1頁(1/5頁分)、生態写真2枚(2種2個体)。

そんなアサギマダラについての記事を何でまた書き始めたのか、、、というのは、ちゃんと理由があって、ブログ一時中断以前は、次は(オオチャバネセセリの項目の「下」として)イチモンジセセリの記事と決めていたことに関わります。

6月18日に“アパートの近くの蝶”54種目のオオチャバネセセリを撮影してから、丸々2か月間、一種も新規撮影を追加出来ていない(追記注:今日2021.8.20に55種目のオオムラサキを撮影)。2か月余で54種撮影した後、次の2か月で新規撮影ゼロ(写し損ねたのが2種)というのは、異常事態です。新規出現種どころか、この二か月間、チョウ自体の姿をほとんど見ません。7時間‐8時間歩き回って、成果ゼロ、と言う日が何日も続いています(一応セミの鳴き声を録音したりしている)。

季節が例年より3週間ほど早く進行しているようです(フィールドで出会った何人かのベテラン・フィールドワーカーも口を揃えてそう言っていた)。ということは、多くの蝶が姿を消してしまった「6月後半」は、実質的には「7月中旬」頃に当たることになります。8月にかけての一年で最も暑い時期に6月半ばから突入していたわけです。例年を考えれば、東京近郊の低地では、7月下旬~8月の盛夏にチョウがいないのは当然と言えるのかも知れません。

でもそれならば、本来7月前半辺りに出現する年一化性の種(例えばオオムラサキとか、ゼフィルスの一部とか)は、どうなってしまうのでしょうか?“さて出陣”となった時に、暑すぎて出てこれなくなってしまった?秋まで待つことは出来んでしょうし、キャンセルするわけにもいかんでしょう。一応出現するにはする、でも表立ってはどこかに隠れている。暑い夏の間は“休眠” (越夏)している種もいるのですね。ヒオドシチョウやヤマキチョウなどが知られていますが、ほかにも案外結構多くの種が、様々なステージ(卵・幼虫・蛹・成虫)で生理的なコントロールを行っているのかも知れません。

*房総半島産のヤマキマダラセセリは、他の(より寒冷な)地域の個体群より長期に及ぶ夏眠期間を有する事を、同所的分布するサトキマダラヒカゲ、異所分布のヤマキマダラヒカゲ原名亜種との比較で、突き止めました。40年余前の仕事で未発表のままです(後に別の研究者によって正式発表されています)。

まあ、それらの性質の獲得は遺伝的に為されているものと思うのですが、案外「本来ならしない」それを、(場合によっては)「臨機応変」にしている、という“臨時の生理的コントロール”があったりするのかも知れません(そこら辺の実態については僕は余り知識がない)。

ということで、(暑い夏の期間を挟んで)次に多くの蝶を見かけるのは、秋(9月‐10月)ということになるのでしょうが、「3週間前倒し」ということは、今はそろそろ、秋の真っただ中に突入、という時期なのかも知れません。

・・・・・・・・・・・・・

その、たまたま「蝶の姿を見なくなった」時期に、あやこさんが手の怪我をして、ブログが中断されてしまったのですね。治癒が進んで再開すれば、中断していた「オオチャバネセセリ(下)」に取り掛かろう、と思っていたわけです(そういえば「ダイミョウセセリの仲間」とか、その他幾つかの項目も「上」だけで「下」は未完 ^^;)。

属単位(オオチャバネセセリ属Polytremis)よりも少し幅広い分類単位で、GegeniniあるいはBaorini(Polytremisの他にもイチモンジセセリ属Parnaraやチャバネセセリ属Pelopidasなど含む族)の紹介。メインはイチモンジセセリです。

イチモンジセセリParnara guttataは、僕が最も好きな蝶です。蝶(Skipperは“チョウ”には数えられないのかも知れませんが、、、その話題は前回書いたっけ?)のうち、最も地味で、かつ(少なくても一年の後半に於いては)最もポピュラーな種です。「著しく地味」で「超普通種」ということから、その人気の無さが分かります。

けれども、興味深い実態の宝庫でもあるのですよ。昔、「イチモンジセセリ研究会」というのがありました。僕のテーマは「水田耕作の発展に伴うイチモンジセセリの生態的変遷」。

同所的に分布する近縁別属種のチャバネセセリPelopidas mathiasとの比較。異所的分布の姉妹種オガサワラセセリ
Parnara ogasawarensisとの比較。その双方向から、イチモンジセセリのアイデンティティを探ろう、という目論見です。しかし
途中で中断してしまった。それから50年近くが経ちます。

日浦先生が亡くなられた後、「イチモンジセセリ研究会」はどうなってしまったのだろう(今でも存在しているのでしょうか?)。

それはともかく、僕は今年になって、ほとんど40年ぶりぐらいの期間を置いて、日本の「普通種」の蝶たちの探索を再開したのです。イチモンジセセリについても、一から調べ直さなければなりません。

当初、「イチモンジセセリ」の分布域は、日本列島の南部から東南アジアを経てヒマラヤ地方に至る、いわゆる「東亜半月弧」照葉樹林帯に相当する、と認識されていました。

しかし、その実態は、(日本に於いてはともかく)複数の分類群が混在する複雑多様な要素から成っているらしい、ということが、分かり始めてきました。そこら辺りの問題から再検討していかねばなりません。

実は、ということで言えば、当時(「イチモンジセセリ研究会」を始めた数十年前)から、イチモンジセセリの「移動」は、「“南から北”といった単純な図式ではなさそう」である、ということが、指摘されてはいたのです。しかし、おそらく現在に至るまで、その実態は詳しく検証されていないものと思われます。

少なくとも、昔は漠然と認識されていたのであろう「熱帯広域分布種」といった存在なのではなく、意外に狭い範囲の分布域を持つ種であるようなのです。その(ある程度の限られた)分布域の中で(「水田耕作の展開」も加えた)何らかの要因に基づいて、「特殊な動き(集団移動)」を示すようになった、、、。

大陸での実態はどうなのでしょうか? 1989年の初秋、重慶の大学に留学した際には、校庭の花壇に、おびただしい数のイチモンジセセリが訪れている様に遭遇しました。中に数頭、近縁別種(おそらくParnara ganga)が混じっていましたが、大多数の個体は真正のイチモンジセセリ(Parnara guttata guttata)でした。その様子は日本の都市部の初秋と同じで、必ずしも郊外に多く見られるわけではないことや、晩夏~秋以外の季節にはポツポツとしか見られないことなども、日本の場合と同様だったように記憶しています。

そこまでは確認できたのです。しかし、(前述したように)そこから先には進めなかった。

Parnara batta、Parnara ganga、Parnara apostata等々の近縁種(Parnara guttataの亜種とされるものを含む)の、中国に於ける分布状況(それ以前に分類群の認識/特定)を、一から洗い直さねばなりません。それは、とめどもなく困難な作業です。

それに、現状では(怪我の回復がまだ万全ではない)あや子さんを煩わせて写真を数多く載せることは出来ません。

そのように逡巡していた折、ふと思い立って、手っ取り早い手段を見つけたのです。イチモンジセセリの代わりにアサギマダラを紹介する。

本質的には良く似た立場にある両種ですが、一般的な視点から言えば、正反対の立ち位置にあります。外観上限りなく地味で、おそらく大多数のチョウ愛好家には見向きもされないだろうイチモンジセセリとは逆に、アサギマダラは蝶の中でも ナンバー1と言っても良い「見栄え」のする種です。

同じように「不思議な移動」をする興味深い生態を持っていても、見栄えの点で圧倒的に勝るアサギマダラは、いわゆるミーハー自然愛好家に(見向きもされないイチモンジセセリとは対照的に)諸手を上げて大歓迎されています。その、移動状況の実態調査に加わることが、ちょっとしたブーム、自然愛好家必須のムーブメント*みたく成っているわけです。

*(一応皮肉です→)その“健全な自然観察者”を意識共有する「空気」は、例えは悪いのだけれど「マスク」「ワクチン」絶対支持の「平均的正義」の集団や、(実際に信じられないほどの空前絶後の実績を残しているにしろ)“日本の誇り”と殊更持ち上げることで僕にはちょっと気持ち悪くさえ感じられる「大谷翔平信者」のイメージなどと、どこか重なります。

というわけで、「本質的なことは何も分かっていない」という点ではイチモンジセセリと50歩100歩としても、アサギマダラの場合は(ミーハー的かつ直截的な)資料だけは、掃いて捨てるほどあります。(本質探求への)取っかかりは、ずっと容易に得られるはずなのです。

アサギマダラも、イチモンジセセリ同様に、日本の多くの地域では夏の後半以降になって一気に姿を現します。ということは、そろそろ、その季節がやってくるわけですね。
*追記注:今年のイチモンジセセリ撮影は、5月23日に1頭、6月28日に1頭、これまでに出会った個体はその2頭だけでしたが、今日8月20日、一気に大量出現し始めました!←この事実は(アサギマダラの場合も併せ考えて)かなり大きな意味を持っています。

以下、アサギマダラについて、(たぶん大方の読者の方からみれば“斜め上”あたりの視点から、、、いや、“斜め下”かも、笑)僕の想うところを徒然(つれづれ)に語って行くことにします。

アサギマダラは、北は北海道稚内(利尻島も)から南は沖縄県与那国島(小笠原や大東諸島も)まで、それこそ日本中を行ったり来たりして飛び回っています。その様子を“オール蝶マニア”が寄ってたかって調べ倒している(笑)のです。資料はどんどん増えていきます。そのこと自体は、歓迎すべきことです(敬服に値する数多くの方々による調査・研究報告があります)。

しかし、敢えてへそ曲がりな事を言いますが(笑)、「井戸の中の蛙」状態ですね。無数の蛙(おたまじゃくし)が、限られた空間をぐるぐると廻り続けている。細部の細部まで徹底して(それこそ言葉通りにマニアックに)調べ尽くしているのですが、井戸の外側から俯瞰的に見ようとは、なぜか誰もしない。いくら細かいところを調べても、いつまで経っても本質的な部分には辿り着けない、と僕は思うのですが、、、。国内における「蝶愛好家全員参加」といってよい程の“移動情報調査(キャッチ&リリース&リキャッチ)”のムーブメントと対照的に、国外に於ける情報は、何一つといって良いほど入ってこない(たぶん皆が求めていない~興味の対象外~なんでしょうね)。

現時点で分かっていること。どうやら台湾には(日本と同一分類群に属する集団が)分布している。それから、中国大陸(華南)との間にある澎湖諸島にも分布している。澎湖諸島では、単に分布している、と言う事に留まらず、「日常的に」と言っても良い程の多くの個体が、日本と行き来している。

あるテレビ番組からの情報だと思うのですが、「650頭が日本から飛来した」と紹介されています。日本でリリース(マーキング)された個体のうち、650頭が澎湖諸島で再捕獲された、と言う事ですね。でも、幾らなんでも650組確認は多すぎやしないでしょうか?(マーキング個体の再捕獲ではなく、単に捕獲された、またはマーキングされた個体の総数?)

確かに、澎湖諸島への(日本からの)飛来個体の具体的報告例は、少なくはない(ネットでも10例前後をチェックできる)ですね。冬季集結地のひとつであることには違いないでしょう。ただし、いわゆる“故郷”というイメージではありません。

日本⇔香港の飛行機に乗った事のある人は、香港到着の小一時間ほど前に(あるいは香港離陸後小一時間ほど経って)、機上からこれらの島々を見下ろした覚えがあるはずです。島と言っても、ほとんど全く山の無い、平坦な地形です。近い過去まで何度も繰り返し、水没と陸化が繰り返し為されたであろうことが知れます。まあそのような場所だからこそ、現在ターミナルのひとつに成り得ているのかも知れませんね(人間だって平坦地により繁栄しているし)。ただし、そのような空間は、繁栄地点ではあっても、少なくとも“発祥地”ではない。

ちなみに、(、、、というか、このことは最も大事なことだと思うので、最初に言っておくべき事だったのですけれど)澎湖諸島に於いてもそうだし、日本の各地に於いても大多数がそうなのですが、リリース→キャッチの大半は、晩夏~秋に「北(東北)から南(西南)に向かう個体です。当然のことながら、春~初夏には、南(西南)から北(東北)に向かう個体も数多くあるわけですが、何故かそれら(南→北)の組み合わせのリリース→リキャッチの記録は、北→南の組み合わせに比べて、圧倒的に少ない。

いや、「当然のことながら」と記したのだけれど、本当にそうなのでしょうか? 実は、イチモンジセセリに於いても、これまで確認されている「集団移動」の大半は、南(南西)→北(東北)ではなく、逆方向です。「移動」は、我々が考えているほど単純なものではなく、極めて多様で複雑な要素が組み合わさって為されたものであるはずです。「常識」とは異なる視点で捉える必要があるのではないでしょうか? 例えば「南方や熱帯の蝶」の概念であるとか、「南から北へ、北から南へ」の概念とか、、、、今私たちが当たり前のように考えているのとは、別の視点から捉える、、、アサギマダラ(イチモンジセセリも同様)
の“謎”を解くカギは、そこいら辺にあるのではないかと。

このあと説明する、日本亜種としてのアサギマダラParantica sita niphonica(独立種Parantica niphonicaとして大陸産原名亜種と分けることも可能?)は、日本のまさに全域(分布域に於いて、よく「日本全域」という表現が為されるけれど、本当に「全域」を覆っているのは、この蝶のほかはヒメアカタテハぐらい?)と、北は朝鮮半島(およびおそらくロシア沿海地方も)、南は台湾(および、澎湖諸島、緑島、紅頭嶼)。

中国大陸には、僕の知る限り、2か所から記録されています。上海(出発地点:能登半島)と香港(出発地点:紀伊半島)です。そして、そのことには、結構大きな意味があります。

・・・・・・・・・・

上海や香港といった東シナ海-南シナ海沿海部からやや内陸寄りに位置する中国の南部山地帯が、(日本列島への)移動個体の出発点ではないか?と考えたのが、日浦勇先生の直系のお弟子さん筋に当たる、大阪自然史博物館の金沢至氏
です。僕は6年前(2014年)に、その金沢氏と共に、広西壮族自治区の花坪原始森林(標高1200m~1800m)にアサギマダラの調査に赴きました。

その数年前、多数のアサギマダラの生態写真を、そこで撮影していたのです。そして、僕も金沢氏の考え(中国南部の山地帯が移動の出発/到着地点)に賛同していました。

その時は、あいにく天候が悪く、余り多くの成果は得られなかったのですが、調査の結果と実態の推察について、共同論文として発表しました。

その報文では特に触れてはいませんが、僕の考えは、「そこから東北方面に向けて行き来しているのが日本亜種で、西北方面に向けて行き来しているのが原名亜種(中国南部山地には両者が混在する?)」。

先に(その後に知り得た実態に於ける)「答え」を言っておくと、少なくても前者については「違う」という事です。もっとも、ただ「違う」と一言では言い表し得ない、様々な意味を含んでいるのですが、、、。そのことについて、一から話して行きましょう。

・・・・・・・・・

マダラチョウの仲間(タテハチョウ科マダラチョウ亜科)は、主に熱帯地域に繁栄する蝶です。その中で唯一アサギマダラが、温帯域の日本列島まで分布しています(新大陸に於いてはオオカバマダラDanaus plexippusがそれに対応する)。

日本の主に南西諸島などには、東洋熱帯に分布する数多くの種が“迷蝶”となって飛来します。ルリマダラ属Euploeaの種やコモンマダラ(コモンアサギマダラ)属Tirumalaの種です(他にカバマダラAnosia chrysippusやスジグロカバマダラSalatura genutia)。これらの“迷蝶”は、移動とは言っても、いわば突発的なもので、原則としてアサギマダラのように、移動先に定着(次世代が発生)したり、再び南下したりすることは有りません。

コモンマダラ属の各種は、外観がアサギマダラと良く似ています(古くは“コモンアサギマダラ”と呼ばれていた)が、両者の血縁はかなり離れています。

ちなみに、ヒメコモンアサギマダラParantica agleaは、真正のアサギマダラ属の種。(和名から“アサギ”を外した)コモンマダラ属とは反対に、現在では(“コモン”を外して)ヒメアサギマダラと呼ばれています。

もう一種、コモンマダラ属に似た別属種に、リュウキュウアサギマダラIdaopsis similisがあります。「別属なので“アサギマダラ”と付くけれど“アサギマダラの仲間”ではない」と説明されたりしますが、それも間違いです。一応別属(IdaopsisまたはRadena)には置かれているけれど、コモンマダラ属とは違ってアサギマダラ属に極めて近縁です(雄交尾器の形状から判断して両者=アサギマダラとリュウキュウアサギマダラ=を同属として扱っても良いのではないかと僕は思います)。しかしながら、「空気」と「お上の決定」、、、それが判断の全てなんでしょうね。

それ(「空気」「お上の決定」)との関連で言えば、これも一般の説明ではリュウキュウアサギマダラの日本に於ける分布は「トカラ列島以南」となっているようです。その根拠は何処にあるのかな?「なんとなく(空気)」「学術的(お上)に」“そうされているから”と言うことでしょう。南から北に、だんだん棲息密度が少なくなっていく。別にトカラ列島と屋久島の間で、突然少なくなるわけではありません(屋久島でも以前から結構記録されている)。教科書的「渡瀬線」バイアスの典型ですね。

ということで、アサギマダラから見ると、
「似ているけれど別グループに属するコモンマダラの仲間(カバマダラやスジグロカバマダラなども同様です)」
「一応別属とされるが近い関係にあるリュウキュウアサギマダラ」
「同じ属の一員でかつ明らかな別種ヒメアサギマダラ」
という図式で示すことが出来ます。

さらに、
「同属種であるだけでなく、実は別種かどうかわからないほど近縁な関係にあるタイワンアサギマダラ(クロアサギマダラ)Parantica melaneus」
もうひとつさらに、
「同じ種Parantica sitaで、しかし(日本のアサギマダラParantica sita niphonicaとは)明らかに別集団の(原名亜種)タイリクアサギマダラParantica sita sita」
の存在があります。

“アサギマダラの不思議”に肉薄するためには、出来ればタイワンアサギマダラとの、少なくともタイリクアサギマダラとの関係性の探索は不可欠だと思うのですが、これだけ寄ってたかって「調べ尽くされ」ているにも関わらず、ほとんど誰一人(上記金沢氏以外は)その事へのアプローチを試みない。

でもって、そこにアプローチしていこう、と言うわけです(もっとも僕は問題提起を行うぐらいしか出来ないので、実際のアプローチは若い人たちに任せます)。



上左:アサギマダラ日本亜種(屋久島)/上中:同(沖縄本島)/上右:アサギマダラ原名亜種=タイリクアサギマダラ(広西花坪)/下左:同(雲南梅里雪山)/下中:タイワンアサギマダラ(広西花坪)/下右:同(雲南大理)
*あや子さんの手の骨折が完治するまでは写真を多く掲載出来ないのでワードに張り付けたものをパソコン画面を通して撮影。

・・・・・・・・・・・・・・

タイワンアサギマダラはクロアサギマダラとも呼ばれ、台湾だけでなく大陸にも広く分布しています。大雑把に見て分布域はアサギマダラとほぼ同じですが、日本に分布していない事だけが相違点です(沖縄や屋久島などでは屡々見つかっている)。

僕も、広西壮族自治区花坪原始森林、雲南省大理蒼山山麓、ラオス北部、台湾合歓山中腹などで撮影していて、日本を除く大多数の地で、アサギマダラ(日本亜種または原名亜種)とセットになって分布しているようです。

両種の雄交尾器の差も微妙です。もし異所的に分布していたなら同一種として扱う事も可能かも知れない、という程度の差です(プロポーションと細部の形状が僅かに異なる、、、ヤマキマダラヒカゲとサトキマダラヒカゲの差ぐらいの感じ)。

両者が別種であることは間違いないとしても、完全に「別種」と言い切って良いのだろうか、、、、という思いがあります。「種が同じかどうか」とは別の立脚点から両種の関係を見渡したい、と思うのです(他の生物に関しても言えるのですが“メガ・スペーシス”といった概念)。

改めて「アサギマダラの組み合わせ」について見渡すと、片方(タイワンアサギマダラ)がいないところで、もう一方(アサギマダラ日本亜種)が顕著な特殊な動きをしている、、、、、そのことからも、両者の間には、何か根本的な部分での相関関係があるように思えてならないのです。

ほかにも台湾(合歓山山麓の太魯峡)で、アサギマダラと混飛する多数のタイワンアサギマダラの個体を撮影しています(ポジフィルムを探し出すのに時間がかかるため詳細については割愛)。「アサギマダラ」が、酷似した2つの種から成っていることを知ったのは、その時からです。

ところで、この「アサギマダラとほぼ同所的に分布する近縁種タイワンアサギマダラ」のほかに、いや、「ほかに」と言うよりも「別の次元から見て」“アサギマダラ”はもう一つの「近縁集団」とのセットで成り立っています。

それは、日本産の亜種Parantica sita niphonicaと、大陸産の原名亜種Parantica sita sitaの組み合わせです(台湾産はどうやら日本亜種に所属するようです)。

以下、この記事でのアサギマダラの和名使用は、種「Parantica sita」全体の名として使ったり、日本亜種に限定して使ったり、そのシチュエーションごとに、異なってきます。後者に於いては、原名亜種に対する和名は「タイリクアサギマダラ」とします。

(比喩的に言うならば)その関係性を、先に「アサギマダラとタイワンアサギマダラは、見解選択によっては同じ種と見做すことも可能かも知れない」と述べたわけですが、それとは別の次元で、「アサギマダラ(日本亜種)とタイリクアサギマダラ(原名亜種)は同一種ではあるのだが、見解選択によっては別種と見做すことも可能」と考えることも出来ると思います。

アサギマダラ(原名亜種/日本亜種)の分布を地図上に示します。

インターネット情報をチェックしたところ、さすがに“ブーム”だけの事はあります。日本中からの映像写真が挙げられていました。そのうち、確実にアサギマダラ(日本亜種)の特徴を持つ個体をピックアップし(まだ途中までしかチェックしていないけれどほぼ全国からの情報を得ることが出来た)、それらの記録地を『青丸』で示しました。大きなのは、自分の写真を示したもの(屋久島産と沖縄本島産(写真の角度が良くないので当該部位の把握がし難いけれど明らかに日本亜種特徴を示している)で、小さなのはネット上の写真で(特徴が)認められたもの。



アサギマダラ日本亜種Parantica sita niphonica [青丸]と原名亜種Parantica sita sita[赤丸]の記録地点。大きな丸は青山自身の撮影写真、小さな丸はインターネットで特徴を確認できた資料による。

・・・・・・・・・・・・

アサギマダラの特徴を述べておきます。

まず、タイワンアサギマダラと(原名亜種と日本亜種を含めた)アサギマダラとの違い(*共に雌雄差は微小で性斑の有無以外に特に相違点はない)。

➀腹部の色。
aアサギマダラ:後翅の地色と特に変わらない。
bタイワンアサギマダラ:後翅の地色とは全く異なる(鮮やかな黄褐色)。

②前翅と後翅の色調。
aアサギマダラ:顕著に異なる(後翅は明るい茶褐色)。
bタイワンアサギマダラ:地色色調は余り変わらない(ほぼ黒褐色)。

③前翅第9室の半透明水色斑。
aアサギマダラ:縊れない。
bタイワンアサギマダラ:縊れる。

④後翅内縁沿い第12室。
aアサギマダラ:やや不明瞭または出現せず(原名亜種には現れるがタイワンアサギマダラ程くっきりはしていない)。
bタイワンアサギマダラ:ごく明瞭に出現。

それらで判別できるのですが、デリケートな差である事には違いなく、ときに分からなくなってしまったりすることも有ります(改めて客観チェックすればほぼ判別できる、、、細部に拘っていると迷路に落ち込む)。



・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、種としてのアサギマダラのほうですが、日本には(小笠原や大東諸島を含む)隅から隅まで記録されていて、原則(僕がネットに写真が示されている個体をチェックした限り)全て日本亜種の特徴を備えています(*後述する一例を除く)。

日本亜種“アサギマダラ”と、原名亜種“タイリクアサギマダラ”の相違点は、種アサギマダラとタイワンアサギマダラの組み合わせような“全体的な印象”、、、と言うわけではありません。それに関しては「全く同じ」と言っても良いでしょう。

唯一の相違点、それは④として示した、アサギマダラ(日本亜種)とタイワンアサギマダラの区別と同様の部位(後翅内縁)です。日本亜種のアサギマダラでは、その部分に水色の条線が生じません(褐色部が薄明るく広がることはある)。原名亜種タイリクアサギマダラでは、タイワンアサギマダラ同様に明らかな空色条線が生じます。ただし、タイワンアサギマダラの様に、 幅広くクッキリとは示されず、(タイワンアサギマダラに比べれば)やや細めで曖昧ではあります。

両亜種に於けるその部位の形質差は、(種差に相当するかどうかはともかくとして)かなり安定的に示されます。2つの分類群の分布域は、2つの地域に分かれ、原則として重ならないのではないかと推察されます(その辺りの検証が今後の大きな課題です)。言い換えれば、その部分の形質表現のチェックで、かなりの高い確率での亜種の振り分けが出来るわけです。

日本亜種の特徴を持つ個体は、インターネット上で全都道府県に於いてチェックすることが出来ました(原名亜種の特徴をもつ一個体ついては後記)。

南西諸島産も原則として日本亜種の特徴を示します。ただし南琉球(先島諸島)では、リュウキュウアサギマダラやコモンマダラ類の各種が(季節的飛来明蝶として)数多く記録されているのとは対照的に、余り多くは見られないようです。

僕の写真の、沖縄本島の個体は、角度の関係で後翅内縁が良く見えないとしても、明らかに日本亜種の特徴を示しています。ネットでチェックした他の多くの個体も日本亜種の特徴を持ちます。

屋久島では、11月‐12月と4月‐5月に、山麓部で非常に数多くの個体を見ることが出来ます。他に山上部で7月‐8月に多く見られることから、「水平移動」と「垂直移動」が組み合わさっているのではないか、とも考えられます。

台湾産は、日本亜種の特徴を示します。例えば、杉坂美典氏のインターネット図鑑「台湾の蝶」に紹介されている43例の生態写真も、そのほとんどが日本亜種の特徴を持っています(ただし、2~3の例では、原名亜種的な特徴が認められるような気がする)。

僕自身が撮影した合歓山山麓の数多くの個体も、そのうちにチェックしておきたいと考えています(ネット情報では台湾南部からも記録がありますが、特徴の確認できなかったので地図にドットは入れていません)。

ちなみに(アサギマダラのアイデンティティ考える上に於いて、これが最も重要なポイントなので、繰り返し述べておきます)長距離移動の記録(リリース→リキャッチ)の大半は、おそらく一般に想像し得るであろうパターンに反して、南から北ではなく、北から南なのです(そのことは、イチモンジセセリの場合でも共通します)。

一体、何を意味しているのでしょうか?

そして、そう多くは確認されていない、南から北への移動記録の大半が、台湾北部が出発点となっているらしい。これも気になります。

台湾西南方の澎湖諸島からも、数多くのアサギマダラが記録されています。こちらは(たぶん全て)日本起点の到着個体。既述したように、地形から見ても、“ホーム”というわけではなく、ターミナルのひとつでしょう。650例?の長距離飛来個体のほとんどが日本亜種と思われますが、1例だけ原名亜種(タイリクアサギマダラ)の特徴を持つ個体が混じっています(佐世保からの飛来個体)。これまで日本でチェックされた、唯一のタイリクアサギマダラの特徴を持った個体です。大陸南部から九州への飛来個体に基づく?それとも単なる個体変異?謎ではあるのですが、とりあえず余り深く考えることはやめておきます。

朝鮮半島での記録は、チェックした限り1例がありました。南→北。東北岸(江原道)への日本(五島列島)からの飛来です。

さて、問題は中国大陸。

日本亜種の記録が、次の2例。
上海。石川県からの飛来。
香港。和歌山県からの飛来。

一方、やや内陸寄りの沿海に近い地域としては、湖北省の武漢東方と、僕のフィールドの(金沢氏と共に探索を行ったこともある)広西壮族自治区花坪原始森林。こちらは、チェックした限り全て原名亜種(タイリクアサギマダラ)の特徴を示しています(データや写真の紹介は末尾に)。

更に内陸部に向かうと、僕の写した写真では、四川省成都市西郊山地、雲南省昆明(都心のホテル屋上と西南林業大学校庭)、雲南省麗江、雲南省梅里雪山明永氷河下(写真をパソコンから取り込んだので色合いなどがよく示されていませんが、タイワンアサギマダラではなくタイリクアサギマダラです)。ちなみに、梅里雪山明永氷河下では、全く同じ場所・同じ日時に、別亜科(ミスジチョウの仲間)のアサギマダラに酷似した稀産種Aldania imitans(仿斑伞蛱蝶)も見られます。

そのほか、ネットで検索し得た中国大陸産は、(僕のパソコンの状態もあって)ごく僅かです。チェックし得た限り、(日本から飛来した上海と香港の2頭を除き)全て原名亜種タイリクアサギマダラの特徴を示しています。

四川省や雲南省の西の延長の、インドシナ半島北部や、ヒマラヤ地方(西北部のインド・ヒマチャルプラディシュなど)の個体
も、チェックし得た限り、タイリクアサギマダラです。

なお、ここに示した地図の左下方、マレー半島やスマトラには、それぞれ原名亜種や日本亜種とは異なる別亜属が分布しています。また、ジャワ、ボルネオ、パラワン、ルソンなどには、近縁別種とされるルソンアサギマダラが分布します。

*アサギマダラ属全体としては、ウィキペディアによると35種ほどが含まれることに成っていますが、それらが単系統上にある(アサギマダラと同一分類群と認められる)のか否かについては、僕の知識では把握し得ません。アサギマダラ(各亜種)とタイワンアサギマダラ以外は、全て熱帯アジア産だと思います。

・・・・・・・・・・・

日本にやってくる(?)アサギマダラは、何処が“故郷”なのでしょうか?

この「設問」は、それ自体が変ですね。

分かっている事は、アサギマダラに最も近縁な種は、(日本以外では同所的に広く分布している)タイワンアサギマダラ。

そして、種アサギマダラ自体は、東と西に(たぶん異所的に)分布する2つの分類群(一応亜種)から成っている(他に熱帯アジアに数亜種)。

日本各地(日本海周縁地域、南西諸島など)、台湾周辺、および中国大陸の一部(おそらく東シナ海や南シナ海の沿岸都市周辺部など)に、季節移動?をする日本亜種。

そこからさほど離れていない内陸寄りの山地に、原名亜種タイリクアサギマダラ。こちらは日本との行き来はしない。

アサギマダラ日本亜種のほうは、確かに日本周辺の南北を中心に長距離移動(一応“行ったり来たり”だとしても、その実態は、今のところ「北から南」が大半)しているわけですが、その「メインフィールドは何処か(供給源というか本来の発生地みたいなところの特定)」となると、何一つと言って良いほど分かっていない。このように指摘する研究者もいますね→「データが増えれば増えるほど実態が掴めなくなってしまう」。

「答えはない」というのが「答え」のような気がします。敢えて僕の答えを示せば、動いていること自体が「本来の姿」であり、「曖昧である」ということが「明確な実態」なのです。

地球の自然の成り立ちを考える際に於いての僕の基本概念である「動き続ける極相」とも重なります。

原名亜種タイリクアサギマダラは、日本との行き来はしない、と書きました(近接した台湾や南西諸島などには例外的な飛来個体が混じり得るかも知れない~佐世保→澎湖諸島の一例もその一つ?~としても)。

しかし、日本亜種同様に、季節的な長距離移動を行っている可能性は大いにあります。原名亜種は、比較的沿海部に近い広西壮族自治区だけではなく、(日本列島とは逆の西北方向)四川、雲南、インドシナ半島北部、ヒマラヤ地方などにも分布していて、それら大陸の奥地では夏の終わりから秋にかけて数多くの個体が現れる傾向があるからです。ただし、僕がチェックしたうち、雲南省西北部の大理や梅里雪山で撮影したのは春(前者)と初夏(後者)。(年間を通して探索している)広西壮族自治区で多数の個体に出会ったのは6月中旬~7月はじめ。移動と定着の組み合わせも考えられます。

*ちなみに北米大陸のオオカバマダラも、西南(メキシコ、カルフォルニア半島)からと、東南(カリブ海諸島、フロリダ半島)から、それぞれ合衆国西海岸と東海岸の間で移動を行っている、と言われています。

アサギマダラの場合も、2つがセットに成っているのかも知れません。ただしオオカバマダラの場合は、南のターミナル?の距離が相当に離れている。それに対しアサギマダラでは、南の記録地(“ターミナル”と認識してよいのかどうかは分からないけれど)が隣接している。「華南の山地が(日本にやってくる)アサギマダラの供給源」とした金沢氏の推察は、あながち間違いではないのかも知れません。広西や広東の、しかし距離的により香港に近い、華南の背部山地のどこかに隣接して、2つの集団(原名亜種/日本亜種)が棲息している可能性もあります(日本から移動したアサギマダラの記録がある上海西郊と、原名亜種タイリクアサギマダラの複数記録がある武漢東方も、位置関係は「香港/広西」と似ている)。

それぞれ「アサギマダラ+タイワンアサギマダラ」「タイリクアサギマダラ+タイワンアサギマダラ」の組み合わせで、いまのところ判明しているのは、桂林近郊・花坪原始森林の後者の集団と、香港に於ける日本からの前者の一飛来例だけなのですが、もしかすると「アサギマダラ+タイリクアサギマダラ+タイワンアサギマダラ」が混在している地域があるのかも知れない。 

でも、現時点では、(原名亜種/日本亜種に関わらず)アサギマダラとタイワンアサギマダラの組み合わせの実態さえも良く分かっていないわけで、、、、。圧倒的な見栄えの、プロの研究者やアマチュア愛好家が寄って集って(隅から隅まで)調べ尽くして?いるアサギマダラでさえ、本質的な部分へのアプローチは、この程度しか為されていないわけです。それを考えると、圧倒的に関心度の低いイチモンジセセリの実態なんて、、、、いつまで経っても分からないんだろうなぁ~。

・・・・・・・・・

話は全然変わりますが、「移動」という言葉に対する認識。時空の物差しは全く異なるのですけれど、ふとセミの例を思い浮かべてみました。「山をぐるりと回って、ずいぶん時間が経った後、同じ個体が同じ木の同じ位置に戻って、また鳴き始める」

もっと一般的な例では、「アゲハの蝶道」「ゼフィルスの追飛(同じ位置に戻る)」等々、、、。

命、生物界、自然界、、、、私たち人間が知り様もない“不思議”で満ちている。ウイルスだって、、、という話は、とりあえず止めておきましょう(笑)。

・・・・・・・・・・

僕の写真に於けるデータ(今手許にあるデジタル撮影写真)。

Parantica sita sita タイリクアサギマダラ
広西壮族自治区永福県花坪原始森林 標高1200m~1800m付近 2010.6.26ほか
四川省宝興県東拉渓谷 標高1400m付近 2010.8.8
四川省天全県二朗山中腹 標高1600m付近 2010.8.10
雲南省昆明市(都心) 標高1800m付近 2014.11.30ほか
雲南省徳欽県梅里雪山山麓 標高2300m付近2012.6.29

Parantica sita niphonica アサギマダラ
屋久島(南部) 標高0m~200m付近 2005.11.8ほか
沖縄本島(北部) 標高100m付近 2005.10.31

Parantica melaneus タイワンアサギマダラ
広西壮族自治区永福県花坪原始森林 標高1200m~1800m付近 2010.6.26ほか
雲南省大理市蒼山山麓 標高2200m付近 2013.5.4
ラオス(北部)ルアンパバン近郊2008.2.11

・・・・・・・・・・・・

広西壮族自治区永福県花坪原始森林に於ける(現時点でチェック可能な)撮影個体の詳細を記しておきます。

2010.6.25-7.1
アサギマダラ原名亜種 20♂♂ 7♀♀
タイワンアサギマダラ 7♂♂ 8♀♀
(うち、汚損個体は、アサギマダラ、タイワンアサギマダラ各♂2頭)
初見時刻:午前6時25分/終見時刻:午後5時43分
全てキク科シオン連の一種(黄花)での吸蜜個体。

2015.8.7-8.8
アサギマダラ原名亜種 5♂♂ 汚損個体2頭
タイワンアサギマダラ 2♂♂ 汚損個体1頭
(うち、やや汚損した個体が、アサギマダラで2頭、タイワンアサギマダラで1頭)
全てキク科ヒヨドリバナ属の一種(白~薄ピンク)での吸蜜個体。

いずれも花坪原始森林の標高1200m~(1400m~1600m)~1800m地点。



広西花坪で撮影した一個体。前翅第9室の斑はタイワンアサギマダラ同様に縊れ、後翅第12室の斑の出現程度が弱いが、総合的にはタイリクアサギマダラと判断できる。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ソ連」と「巨人」 

2021-08-22 07:12:02 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・・・・・

僕のおふくろ(明治45年生まれ)は、典型的な「日本人(なかんづく関西人)の大衆」でした。
大嫌いなもの。
ソ連。
巨人。
で、よく「ソ連」と「巨人」を言い間違えていました。
僕も(ソ連はともかく)巨人は大嫌いです。
でも、今回(今日のニュース)、ソ連(プーチン)も巨人(原)も、ちょっと見直しましたね。
アメリカ(バイデン)や阪神(矢野)よりはマシなのではないかと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【ブリュッセル時事】ロシアのプーチン大統領は20日、モスクワでのメルケル独首相との会談後に共同記者会見を行い、アフガニスタン情勢について「外国の価値観を押し付ける無責任な政策は終わらせなければならない」と語った。20年にわたって駐留を続けてきた米欧を批判。イスラム主義組織タリバンによる統治の行方を国際社会は見守るべきだとの考えを示した。
アフガンの首都カブール陥落後、プーチン氏が公の場でアフガン情勢に言及するのは初めて。
プーチン氏は、タリバンがほぼアフガン全土を掌握したと指摘し「国家崩壊の回避にはこの現実から進めなければならない」と主張。周辺国へのテロリスト流出には警戒姿勢を見せつつ、タリバンがアピールする秩序の維持や地元住民らの安全確保に期待を表明した。 

・・・・・・・・・・・・・・・・

無償トレードでの巨人遺跡から一夜明けて、中田翔内野手(32)が初打席に立った。好機に代打、コールにどよめき。初打席はストレートの四球。

ネットコラムは、誹謗中傷の嵐ですね(笑)。

僕は中田も(清原も)嫌いですが、それとこれとは別。10数年前、中田が日本ハムに入団したとき、キャラが清原に通じるので「悪い方を見習はないで!」という声が多かった。結局、その通りになったわけですが、、、。

ただただ「空気」に乗るだけの、ステレオタイプ的思考しか出来ない、バカな有識者や大衆には、ほとほと愛想が尽きます(お母ちゃん、ごめん!)










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続「エーゲ海からの突風(笑)」 2021.8.20

2021-08-21 07:04:53 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記


★8月18日の記事に、いいね!をありがとうございました。


読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・

【三世→僕】
昨日と同じ時間に蝉が鳴き始めました。青山さんの言う通りですね。音声と写真送ります。この写真撮ったあと、猫が食べてしまいました。

【僕→三世】
可哀そうなことするね ^^;
ゲゲゲゼミ(Cicada orniまたはその近縁種)です。非情に良い写真です。なんとなく(僕の記憶違いかも知れませんが)一昨年僕が聴いた声と、ほんの少し異なるような気がするのですが(姿は全く同じだと思います)。今住んでいる島と、前に僕が行った場所と、どれぐらい離れているのですか?

【三世→僕】
船で4時間離れてます。

【三世→僕】
コロナで死ぬのはだめで、ワクチンで死ぬのは大丈夫な意味がわかりません。

【僕→三世】
結局、近代戦争というのは、バカな大衆の「洗脳(イメージの良い言葉に置き換えれば「教育」)合戦」というわけです。

【僕→三世】
昨日も今日も、丸一日「裏山」歩いていました。ただ歩いているのではなく(健康マニアの“ウオーキング”とは違います)、全神経(目や耳)を集中してチェックしながら、、、、。いやもう疲れたです。今日は早めに寝ます(明日はフィールドに出ない、と決意)。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エーゲ海からの突風(笑)」ほか 2021.8.18

2021-08-18 20:37:49 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・

ネットニュースのコメントから。

■「もう褒める言葉が尽きた」大谷翔平の“好調の一週間”を米メディアが評価!

【nor*****さん】
>これだけ素晴らしく全てを持っている選手に対しての俺のコメントに、BADマークをつける人がいることが信じられない。大谷のどこが嫌いなのか?日本人で大谷を応援出来ない人の気持ちが分からない。
≪そう思う175/そうは思わない19≫

【あぽーん*****さんのre-comment】
>自分の考えにまわりが全て賛同すると思い込むことは良くないと思いますよ(あなたが確信を持って思うことなら他人がどう思っても良いんじゃないですか?)。
≪そう思う5/そうは思わない6≫

【僕(milk)も、あぽーんさんに助け舟を出しておきました】
小生、デビュー当時から大谷選手を応援し続けている日本人の一人です。大谷選手の活躍は、それはもう凄く嬉しいですよ。でも、青ポッチ押す人の気持ちも、よく分かります。ひたすら“大谷アゲ”のコメントは、なんとも気持ち悪いので、、、。
≪そう思う8/そうは思わない4≫

■二年前に郵便ポストに落書きをした26才の男性が逮捕された、という記事(逮捕連行時の動画映像も紹介されている)。

コメント欄は、この男性に対しての罵倒で溢れています。それこそ、僕には意味がよく分からない。バンクシーが良くて(それどころか持て囃されてとんでもない高額な値が付けられて)、こっちは「犯罪者」なんですね。
>有名になった人達以外のものは当然消される。日本に於いて落書きは「軽犯罪」に分類されるので。
>芸術的価値も才能のカケラも無い、タダの落書きは単純に迷惑。
平気でこのようなコメントが為され、それが「当然」と受け入れられていることが怖いです。

ちなみに、このようなコメントがありました。
>これも芸術かも知れないじゃない。バンクシーは許されて、これは許されないの?
こちらに対しては、避難轟轟です。

・・・・・・・・・・・

無意識的な「優性思想」「取得権保守/排他志向」、、、、、。日本の“民主主義”とは、結局は、そういう事なんですかね。

・・・・・・・・・・・・

以下、一昨日・昨日の三世とのやり取りです。

【僕→三世】
↓こんなニュースありましたよ。
(ワクチン2度打つなど、万全のリスク管理をしていたのに)亡くなった70代のギリシャの老人の話題。

【三世→僕】
ちょうどこのニュースみました。嘘まみれですね。
野々村真もワクチン済みだと話題になってますね。
ニュースゼロからギリシャの山火事についてインタビューしたいと連絡がありました。温暖化が原因だとニュースにしたいらしいですので、真実を伝える気もないかと思うのと、謝礼をくれるわけでもなさそうなので無視しました。

【僕→三世】
謝礼貰えば良かったのに(次の機会には、インタヴュー受けて向こうの喜ぶことを適当に喋ってたっぷり謝礼を貰うか、でなければ嫌味たっぷりの“陰謀論”をかますか、、、)。

【三世→僕】
ニュースで陰謀論をかまそうかと思いましたが、うまくカットして違う話にすり替えられそうなので関わらないことにしました。関わることで自分も汚れていくようで嫌です。オンライン旅行でギリシャのコロナ状況について話したり、あほな話するのに疲れました。

【僕→三世】
アホな話には関わってられないっすね!
野々村真と言う人は、今回初めて知りました。結構有名な芸能人なのかな? 彼に関するニュースは多いみたいですね。
一方、(僕のような野球ファンにとってはずっと有名な)中日・木下選手が、ワクチン接種数日後に突然亡くなった記事は、第一報以降、一切報道されていません(死因不明、ワクチン接種とは結び付けないように、という警告付きで)。
逆に、ワクチン接種を拒否して感染重症化した(たしか女性の)芸能人の反省記事が出ていたりします。
僕は、今日、通院日(月2回)でした。診察を受けるというよりも、主治医の先生や、事務局長氏と話をするのが楽しみで行っているのです。
地域の大病院の一つですが、テレビやネットで報道されている「医療破壊」というのは一体どこの世界なんだろう、、、と思ってしまいます。確かに「医療機関」に圧迫が来ていますよ。でもそれは「コロナ」自体によって為されたものではなく、「“コロナ”によって為された人的パニック」が齎したものであることは明白です。「医療」を錦の御旗に上げて、大衆の「洗脳」を行っているわけです。
結局、近代戦争というのは、バカな大衆の「洗脳(イメージの良い言葉に置き換えれば「教育」)合戦」というわけです。
繰り返し言います。香港デモの続きです。

【三世→僕】
アフガニスタンの話はどう思いますか?
殺された中村さんはタリバンは悪いグループではないと言っていたみたいですね。
アメリカで飛行機がビルに突っ込んだことになってるテロも、ビンラディンを悪者にしてアメリカを正義とするためのものな気がします。
アフガニスタンもアメリカがコントロールするためにタリバンを悪者にしてるのではないかと。
アルカイダとタリバンの違いがあんまりわからないですが。
陰謀論の話は本当で(一部かわかりませんが)アメリカユダヤが力を失って、そこを狙ってタリバンが制圧したんかもしれないです。

【僕→三世】
「コロナ」の持つ意味がそろそろ分かって来たでしょう?
「マスク」を介在した香港デモの続きであることが、、、。
僕は、最初から「パンデミック」などよりも怖いのは「パニック」、と言い続けて来ました。だって、奴ら(無意識的に日本の大衆も含まれる)はそれが狙いなんですから。
国内外の報道陣の前で、「香港警察、頼むから私を殺さないでくれ!」とパフォーマンス。世界各国の血なまぐさい写真を集めてきて「これが現場」。正義のアピールのため鉄棒を振り回してあらゆるところを破壊(それを撮影すると拘束される)。そのほか、諸々の用意周到なパフォーマンス。(やってることは昔の中国の“紅衛兵”と同じです)
それら、“命を懸けた”「正義のアピール」を批判すると、「お前には人間の血が通っているのか、、、」と、日本の健全市民達からも総バッシングを受ける。
やがて、街中の至る所で中国国旗を燃やすことに専念、デモのアピールは「アメリカは素晴らしい!」「アメリカ、私たちを助けてくれ!」一辺倒に。
でも、世界は甘くないです。9月10月には、それらの何でもありのパフォーマンスも行き詰まりになって、関心が薄れてきた。
そこで、「中国絶対悪!!」を世界に示すための、とっておきの手段に出たわけです。
桁外れの衛生の悪さ、国民の民度の低さ、党による良からぬ目論見、、、、そんなことは、同じ“中国人”である頭の良い香港の扇動者は知り尽くしています。
そこを狙えば、世界は中国に集中バッシングを行う。ある意味、「思想絡みの生物兵器戦争」です。確かに、中国も悪いんで(笑)、言い逃れが出来ない。
場所は、湖北省‐武漢。中国の中心(北京/上海/香港/成都の十字路)、中国政府の“良からぬ施設”や、世界主要諸国の“良からぬ研究所”も集まっている。衛生の悪さは、中国大都市中でも飛び抜けている(南京/重慶とともに中国三大竈)。
思惑通りに事は進んだのですが、、、、思惑以上の大事になってしまった。そして中国は、思いの外痛手を負っていない。
とにかく、「マスク」と「ワクチン」でもって、民主主義(科学的“エビデンス”に基づく社会)は正義、共産主義(およびイスラム教)は悪、のアピールに、突き進むしかないのです。

【三世→僕】
コロナによって青山さんが前から言ってたことがクリアにみえましたね。
全ては相撲問題(注:「貴乃花騒動から引き継いでいる」)です。
中国は最近、大洪水に地震に凄いことになってるようですが、モニカさんとか何か言ってますか?
中国にしても隠されてますね。最近のおかしな災害の動画が沢山YouTubeでアップされてます。
家の庭が蝉だらけです。

【僕→三世】
中国(China)で最近地震があったのですか?
5月じゃなかったっけ?(もしかしたら日本の中国?)
蝉だらけのユーチュブ教えて下さい

【三世→僕】
蝉だらけはジョージの家です。
YouTubeは中国の洪水と地震です。
他の動画もあるらしいんで、ジョージがまた青山さんにみてほしいと言ってます。

【僕→三世】
洪水はあったけれど、地震は見つけられなかったすよ(5月にはあった、僕も幾つかコメントした)。
蝉だらけの庭の写真送ってください。

【三世→僕】
これ見てください、中国。
最近やたら中国のこういう動画がアップされています。
何かコントロールしたいんでしょうか。

【僕→三世】
おそらく、
2008年5月の『四川(文「←要サンズイ」川県)大地震』
2013年4月の『続・四川(雅安県)大地震』
などの再編だと思います。
両地とも、僕のメインフィールドです。1989年から、ずっと通い続けていました(ただし、この10年近く行っていない)。友人も被災しました。救済のために、資材を運ぼうと、クラウドファンディングを行ったのですが、一銭も集まりませんでした。前者では一人亡くなりました。後者では安否不在のままです。僕にとって他人事ではないのです。
今日は帰って寝ます。明日また。

【三世→僕】
今日は6時16分に蝉が鳴き始めました。
(音声添付)

【僕→三世】
そっちは早朝ですね(僕は今日は朝からジョナサンで今お昼過ぎ)。
ゲゲゲゼミ(Cicada orni)とはちょっと違うような、、、どんな姿してるの?





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“アフガニスタンおよびミャンマーの紛争について想う” 「マスク」と「ワクチン」が人類を滅ぼす2021.8.16

2021-08-16 13:14:18 | 新型コロナウイルス、香港民主化運動、ヘイト・差別問題



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・・・・・

アフガンで、また何やら不穏な動きがあるようです。ミャンマーのほうは、どうなっているのでしょう(最近余り話題に上らないようなのですが)。

添付した地図を見て下さい。



「地球の屋根」地域を挟んで、東の縁(青丸)がミャンマー北部(チベット東南部や僕のメインフィールドの雲南省西北部と隣接)、西の縁(緑丸)がアフガン北部(こちらはチベット西北部やウイグル西南部に隣接)。共に、其の気になれば隣接地域(“中国”奥地)を歩いて行き来出来る(ただしそれぞれ標高5000mの峠を越えねばならぬ)距離に位置します。

だからどうした、と言うわけではないんですが、、、。

両地域とも、(それぞれ「東アジア」「ヨーロッパ」の“マザー・ランド”ともいうべき)野生生物の分布において、地球上で最も興味深い地域である、ということは確かなのです。言い換えれば、当然のことながら(なぜ当然なのか、その“エビデンス手順”については敢えて省略しますが)「民族紛争の地」なのでもあります。

赤丸は日本(兵庫県)。紫丸はギリシャ(エーゲ海)。

ついでに、ピンク丸は中国(湖北省)。黒丸はイラク(西北部)。

もひとつついでに、黄丸は沖縄、白丸はイスラエル(さらについでに、韓国=トルコですね)。

“それがどうした”と言われると困るけれど、地図を眺めて、地史学的・生物地理学的な意味合いを、ポケッと(出来れば「学」抜きで)考えて貰えれば良いかな?と思っています(地政学的な側面は二の次)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今年は、春にモニカの2人目の赤ちゃんが、夏に三世に3人目(ギリシャでは初めて)の赤ちゃん生まれました(みな女の子です)。

モニカの赤ちゃんの名(通称)は「枝枝(ジージー)」。三世の赤ちゃんの名は「Nina(日本名は僕が名付けた“爾夏”)」です。

枝枝は(生まれた直後から最近まで)幾つも写真や動画を送ってくれているのだけれど、ニナの写真は未だ一つも来ていません。まさか「想像出産」(笑)とかじゃないよね?

まあ、アウエイで立場の弱い三世ですから、ギリシャで子供が生まれたことで、少しは強気になれると思います。

日本とギリシャは、どうやら似たところがあるようで、少なくても一般印象の上では由緒ある憧れの文化国家なのですが、その実態は、マスク警察とリスク回避趣味(健康マニア)の大衆からなる、「同意圧力に基づく既得権保守(ご理解とお願い)」一択の、正しき民主主義国家であるわけです。

中国は、「コロナ騒動」に対して(“発祥地”の問題云々は別の議論に置く)、国家権力の許、最初から徹底した態度(規制)を有無を言わさず国民に課しました。その後は、現在に至るまでマスクなしの(一般)生活です(ただし必要な場所では「大衆のご理解」とかは無視した「絶対着用“命令”」)。

アメリカも、(方向性は正反対としても結果的に)その辺りは同様でしょう。大リーグの観客だって、ほぼ全員マスクしてないもんね(たまにマスクしている人がいたら日本人)。正確に言うと、マスクしない集団も、マスクする集団も、両方混在している、ということかな。ある意味、本物の自由の国ですから(別に誉め言葉というわけではないけれど)。

・・・・・・・・・・・・

追記:
モニカ(中国名の「芳」の英語意訳「Monica」)という名前は、日本でも有名人が出てきましたね。オコエ桃仁花。そう、4月にこのブログで、彼女の表明した問題提起について書こうと思っていたのです(非常に難しく保留停滞中です)。その時点では「オコエ(プロ野球選手)の妹」という位置づけだったのが、わずか数か月の間に「オコエの兄がプロ野球選手」と、、、立場が逆転してしまっています(笑)。僕の想う(傍観者としてではない)「差別問題」については、そのうちに書きます。

・・・・・・・・・・・・


地図についての追記。
あくまで「比喩的に」ということなのですが、例えば、、、、。
ミャンマー北部とアフガン北部の中間に、“聖なる山”カイラス。
南の方角が、インドの半島部。
(単に位置的に見れば)共にきな臭い、南沙諸島辺りがイエメン辺り。
中国秦嶺はコーカサスかな?
大雑把に、東南アジア+オーストラリアが、アフリカ大陸+マダカスカル。

札幌の辺りにローマがあって、
ヨーロッパ主要部は、カムチャッカとかシベリア東縁に相当、本来なら地球上でもかなり辺鄙な位置に発展しているということが分かります。スカンジナヴィア諸国なんてベーリング海峡に面した最果ての地と似たようなものだし。
そして北極海の対面がアメリカ大陸。

東西ということで言えば、極東アジアの続きが北米西海岸(ロッキー山脈を含む)、ヨーロッパの続きが北米東海岸、ということになるのですが、ただしそれは、あくまで平面上(すなわち“現在”という時制上)で捉えた結果で、時間軸を遡れば、東と西が逆転します。

より新しい時代に展開したユーラシア大陸広域分布種は、北米西海岸+ロッキー山脈に連続し、より古い時代に成立した東アジア(ユーラシア東部の一角)を象徴する種は、しばしば北米大陸東海岸(アパラチア山脈周辺)に遺存分布する、という図式になります。

ちなみに、更に新しい時制上の(すなわち人類史としての)視点から見れば、ヨーロッパの北側(ドイツとかイギリス)を起点として北米大陸に渡った人々は、コーカソイドとニグロイド(主人と使用人/白人と黒人)で基本的には明確に分離し、南寄り(スペイン、ポルトガル)地域から新大陸(中南米)に渡った人たち(ヒスパニック)は、特に分離していないように思えます。考えてみれば、不思議な構図です。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする