長い間お世話になりましたが、gooブログが11月に終了するということで、はてなブログに移行しました。
これからはこちらのブログで、引き続き、ご覧ください。
aojyunkun’s diary
https://aojyunkun.hatenablog.com/
どうぞよろしくお願いします。
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今日は何の日か知っていますか?
30年前、野茂英雄がドジャースで初登板した日。
今日、メモリアル・デーとして試合が行われたそうです。
山本由伸が6回1安打7奪三振の快投(30年前の野茂とほぼ同じ数字)。
由伸は、野茂とは、外見も投球スタイルも置かれた状況も全く異なる(というか正反対と言って良い)のですが、圧倒的な実績・実力ということでは、見事に重なります。見かけの派手さとは対極にある、本物の矜持、「野茂の再来」という評価も、感覚的によく頷けます。
それにしても30年ですか、、、ありきたりの感想ですが、あっという間ですね。
しかし、野茂に纏わるドラマチックな展開が後世に齎した意味合いは、(野球だけに関わらず全ての社会現象を通してみても)ほかに類を見ないほど大きなものだったと思います。
野球に少しでも興味がある人なら誰しもが知っていることではありますが、その1年前の日本のプロ野球開幕戦で起こった前代未聞の「事件」(という表現で良いのかな?)。9回裏、誰しもが目を疑った野茂の交代。あらゆることがそこから始まったのですね。
あれがなければ、野茂は大リーグに行かなかっただろうし、大リーガーとしてのイチローも大谷も存在していなかった可能性が高いでしょう。必然的にいつかは改革が行われたことでしょうが、だとしても、今とは全く違った経緯による、異なる現状が齎されていたと思います。
単にそれだけにはとどまらず、近鉄バッファローズの消滅もなかった可能性も含め、日本のプロ野球も今とは違った方向に進んでいたかも知れません。
逆に大リーグは、あの年、存続の危機に直面していました。野茂フィーバーが無ければ、どのような結果になっていたのか。その後の日米の国家関係にも、何らかの影響を与えたのではないかと思ったりもします。
それもこれも、31年前の日本の開幕戦、誰しもが目を疑った鈴木監督の采配が起点。
このゲーム、様々な「史上初」の出来事が(偶然には違いないとしても)嘘のように噴出して、複雑に絡み合っているのですね。
ナンバーの連載記事↓は、今日で4回目、やっと前半が終了です。記事自体は少々まだるっこい気がするし、ほとんど知っていることばかりですが、こうやって改めて検証されて行くと、思うところ満載です。
冒頭インタビューの阿波野氏曰く。
「すごくナーバスな話だからね。ある意味、検証記事なんだから、これで喜ぶ人っていないと思うよ。野茂だって喜ぶはずもないし、俺だって話していて嬉しいわけじゃない。鈴木監督だって、イヤな思いしかしないだろうしね。だから、最後の落としどころだけ間違えないでくれよな」
正義と悪の関係性だけで、世界が動いているわけではない、もっともっと複雑で、答えなどないのだ、ということを、30年前の(ひいてはその一年前の)歴史のメモリアル・ポイントから、改めて思い知らされるのです。
山本由伸、野茂英雄さんドジャースデビュー記念日に快投 「30年前のこの日、トルネードが米国を襲来」地元メディア報道(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
「この話で喜ぶ人はいない」が…野茂英雄メジャー挑戦30周年の今だから“真相”を関係者に訊く!「1994年の近鉄」野茂ラストイヤーに何が起きていたか - プロ野球 - Number Web - ナンバー
吉田さんに次いで小山さんも、、、。
村山さん(神戸/尼崎)、小山さん(明石/高砂)、、、兵庫県の(関西の)星でした。バッキーも含め、みんないなくなってしまった。僕と同じ年の江夏、(体調が悪いそうだけれど)まだ若いんだから頑張ってくださいね。
歴代3位の勝ち星320勝。先日は、同時代の350勝投手、米田さんの、カンチューハイ2個300円コンビニで窃盗逮捕、の衝撃ニュースがあったけれど、、、、村田も門田も晩年は寂しかったし、、、、いろいろと思うところだらけです。
どう考えても運が悪いとしか言いようがないのですが、、、(周囲から見れば「自己責任」なんでしょうけれどね)。
「屋久島研究調査活動奨励事業支援金交付」申請締め切り日ギリギリで、昨日、書類(東アジア、殊に琉球弧に於ける屋久島のフロラの位置づけに基づく「屋久島植物図鑑」の作成に関わる資金援助の要請)を提出し終えました。いやもう、アクシデント連発、綱渡りで間一髪間に合ったのです。
15日に振り込まれた年金(8万5000円)は、そのままバーターで東京の家賃(7万5000円)に振り込まねばなりません。しかし、当面の資金調達を念頭に置けば、「屋久島の植物~大和と琉球と大陸の狭間でpart2」1200頁が完成した今が、今後に繋がる様々な交渉を行うチャンス。
ということで、年金収入(≒家賃支払い)分をネコババして、じゃない、、、え~と、トンズラでもなくて、、、、思い出した、踏み倒して、(当面)その資金に充てることを決意しました。
*最近、ありきたりの言葉も出てこないので(“ネコババ”や“踏み倒し”がありきたりの言葉というのも困りものですが(-_-;))、もしや痴ほう症になったのでは、と懸念しています。
その作品をベースにして、
●「奨励事業支援金」申請、年20万円(3年間)の補助金を得る。
●東京の既存出版社からの刊行を交渉。
●鹿児島の「南日本新聞」と交渉し、販売に結び付く援助を要請。
●屋久島現地の権力者の方数人と面会し援助・協力を請う。
そのためには作品の印刷が必須です。商品としてはDVD収納に統一するので予算はほとんどかからないのですが、プレゼンの中身を見てくれる確率は、CDやDVDよりも印刷本のほうが、圧倒的に高いのです。
しかし、DVD収納なら一セット100円未満の経費で済むところが、印刷本にすれば一セット数万円の経費が掛かってしまう。
いろいろと考えて、出来る限り経費を抑えて、なおかつより有効なプレゼンテーションを行うべく、満を持して、15日に年(家賃踏み倒し)金を入手後、この週末3日間の間に、全ての準備に命がけで取り組む決意でいたのです。
その矢先、予想だにしなかった出来事が、、、。
8万5000円が、口座から下せない。
年金口座に振り込まれた金額は(つい先日カードを紛失したため)インターネットバンキングを使って使用可能な口座に移動しなくてはなりません。
ネットバンキングは、以前、再度の本人確認が必要となり、然るに(電話を持っていないこともあって)それが出来ず、大変な苦労をして(数カ月かかった)やっと使えるようになったばかりなのです。
ということで、万が一の場合を考え、念には念を入れて、14日の晩に(翌日スムーズにネットバンキングでの移動が出来るよう)確認し、大丈夫だったのでホッとしていたのです。
その矢先の15日、突然再び本人確認登録が必要という指令。形態電話がないので操作できず、万事休すです。PCデポを訪ねて、担当者に(彼の電話を使って)設定し直してもらいました。
しかし設定変更まで5営業日かかる可能性があるとの通達。5営業日となれば来週火曜日で、全ての準備が間に合わなくなってしまいます。
一日でも早くと、祈る思いで待っていたところ、更なる予測不能のアクシデントが。
PCが突如、完全に動かなく(電源が入らない)なってしまった。その間(一刻も争う)全ての作業を中断しなくてはなりません。
水曜はPCデポ休日のため、一昨日(ここ数日間毎日4時間歩いて往復)朝いちばんで駆けつけ、PC (4万円で購入、まだ1万円しか支払っていない、元が安物だそうで、予測外のトラブルが起こったとのこと)を分解なんとか動くようになった。
そして、三井住友営業日5日間のうち3日目の昨日、ぎりぎり滑り込みで引き落としが叶いました。書類を申請し、そのほか支援要請に向けての様々な準備(最低限部数の本の印刷発注など)を行っている次第です。
一刻も早く諸機関と交渉し、CD販売や資金援助で纏まった資金を作らねばなりません。踏み倒し家賃の滞納が長引くと、立ち退き勧告に伴う裁判が始まる。そうなると東京にも出向かねばならず、面倒な状況に陥ります。時間的猶予はないのです。
ここでまた困った問題が。
「踏み倒し資金」を、本の印刷費用、鹿児島・屋久島への交通費等々に回すわけですが、宿泊費。一泊5000円~1万円はするわけで、例えば一週間滞在すればバカにならない金額になります。しかし宿泊に関しては、屋久島の某一流旅館が無料で(通常は何日でも)滞在させてくれるので、一切考えなくて良いのです。問題は、ゴールデンウイーク期間だけは例外ということ。他の宿泊施設で泊まるとなると、予算を大幅にオーバーしてしまう。
今回の大事な案件の一つが鹿児島の新聞社での交渉ですから、土日を外せば、速くても21日の月曜スタートということになります。下手すると、屋久島滞在期間とゴールデンウイークがモロ重なってしまうのです。
むろんゴールデン明けにスタートも考えられるけれど、その間に不動産屋から裁判発令が出るのではないかと、気が気ではなくなります。
で旅館に電話してみました。今回も無料滞在は気持ちよく受け入れてくださるのですが、ゴールデンウイーク期間だけは流石に難しい、部屋が完全に埋まっているのは24日から、ということなので、(鹿児島での滞在期間を考えれば)実質22日と23日の2日しかありません。
旅館のオーナー氏曰く、せっかく屋久島に来るのに、あわただしくて勿体ない、5月6日以降ならば問題ないので、ゴールデンウイークをやり過ごしてから来た方がベターなのではないか、と。
どちらにせよ、今すぐ出発となると、様々な交渉の準備もままならず、見切り発車の綱渡りとなることは明白です。意見に従って、ゴールデンウイーク明けにスタートと決めた次第です。
向こう2週間(裁判発令に慄きつつ)「踏み倒し資金」を基に、万全の準備に取り組むことにします。
ドツボに嵌っています。やらなきゃならんことが無数にあって、お金が全くない(毎日食事の心配(-_-;))。一体どうすりゃいいのか。ともかくやるべきことを遮二無二進めていくしかないでしょう。
何度も何度も繰り返して愚痴りますが、去年の6月、速攻3日間で終えるつもりだった「屋久島の植物」制作が、10カ月経ってもまだ終わんない。なんか、どっか(方針を)間違っているような、、、。
そんなこと言いながら、部屋の中にいるときは、半額弁当を2個買って食べながら(1個は翌日の分として買うのだけれど、ついその日のうちに食ってしまう)、TVを見たりして、結構だらだらと作業を進めている。お金はどんどん無くなるし、時間もどんどん過ぎていく。PCデポに赴いたとき(今もそう)は、終日集中して作業できる(無料提供のドリンクと100円パン2個)のですが、なにしろ徒歩往復4時間近く、あるいはバス代760円、どっちもしんどいので、たまにしか出向けません。
いずれにせよ、ブログなど書いている余裕はありません。一応、書きたいことはメモってあって、「屋久島の植物」完成後(“たぶん明日か明後日には完成するだろう”と毎日のように思っている)に取り組む予定でいるのです。でも客観的に判断すれば、まだ数日はかかりそうです。それで、とりあえず雑感をアップしておきます。
後期高齢者になって、人生初めて自室でテレビを見ているわけですが、(NHK「映像の世界」は別として)つくづく下劣(ネットはもっと下劣ですね)で、吐き気がしてきます。人類、ことに日本人、一億総変態としか言いようがない。
見なきゃ良いのですが、ニュースが気になります。世界情勢ですね。トランプの言動は興味津々です(それについては改めて)。
下らない番組は見たくないのでニュース番組のハシゴをしているのだけれど、その合間に(パソコン作業をしながら見ているのでチャンネル切り替えが面倒)、ついついつまらない番組を見て(聞き流して)しまったりする。そのたびに落ち込みます。
「見ないようにしよう」と決意していても、ついつい見入ってしまうのがマラソン番組。女子の場合はまだ客観的に見れるのですが、男子になると、もう自分も参加しているような気分になって、非常に複雑な思いに駆られてしまいます。まあ、マラソン番組に対しては言いたいこと(概ね露骨な国外選手差別への憤慨)があるのですが、それはまたの機会に。
あと、大相撲。そして大リーグ。試合そのものに対しても、大谷各選手らの活躍に対しても、野球好きな僕としては大いに興味があります。けれど、メデイアや大衆の金太郎飴的熱中には、吐き気をも擁すばかりです(それらについてもまたの機会に)。
天気予報も然り。寒暖差がどうの、花粉症がどうの、ひたすらリスク管理。いちいち食生活や服装に対するお節介。ひたすら安いものしか食わず、基本年2回の衣替え(春~秋は100円Tシャツを毎日洗って、冬は昔スーリンが買ってくれたボロジャンパーを被るだけ)で過ごすことの出来る(それで77歳まで生き永らえ、たぶん標高5000mの山中でも熱帯のジャングルでも不自由なく歩き回ることが可能な)僕が異常なのか?、、、そんなことはないはずです、いちいち数度の寒暖差で衣類を着かえ、健康食品がどうのこうのと言っている大衆のほうが、ずっと変なのだと思うのですけれど。
今の世の中、全てにおいてリスク回避に終始。責任逃れ。
人権、個人情報、、、。なんだか凄くチンケな矮小な世界観の許で生きているように思えます。
人類総エゴ、強いもの勝ち、取得権保持、それらが正義であり、民主主義の基盤を為しているのですね。
そのことを象徴するような事件が起こりました。
若い女性のユーチューバ-刺殺。非常に辛く悲しい事件です。
TVのニュース番組では、専門家(僕が一番嫌いな、軽蔑に値する存在=いわば教科書の代読業)とやらが、ひたすら「(ライブ配信に於ける)個人情報漏洩の危険性」とやらを、宣っています。
違うだろ(そんなことは何かを決行しようとする犯人にとっては左程重大な障害にはならないだろうし)。
問題の本質は、そこじゃない。
今回の事件に関して言えば、2年余前の裁判で、254万円の返済判決が被害者に対して出されている。それが実行されずに、1年余前、加害者が改めて警察に訴えている。それらが結果として無視されてしまったという背景の上での犯行です。裁判所は判決さえ出しておけば後は知ったことじゃない、警察署は面倒な民間トラブルには関わりたくない、それらの姿勢こそが(そして“逃げるためのリスク管理=ブロック”が最重要課題とする「有識者」「専門家」の安易な見解自体が)、このような悲惨な事件が起こる基盤となっているのです。
ネットニュースの論調も同様ですね
>容疑者は、自宅がある栃木県からナイフを持ち上京し犯行に及んだとみられ、警視庁は、一方的に恨みを募らせた可能性もあるとみて調べています。
幾つかの真っ当なコメント。
>このニュースをテレビで見ていると、専門家が「ライブ配信は場所を特定されないように」というコメントをしているが、事件の本質はそこじゃない。頂き女子もそうだが、他人から高額のお金を借り、裁判所の判決が出ても行方をくらまし連絡を断つ。その行為自体が問題であり、ライブ配信は危険だとは思うが人から恨まれるような行為をしていなければ、こんな凄惨な事件は起きなかったはず。
>裁判に勝訴したのにも関わらず、支払命令を無視しブロックされ、ストーカー扱いされ、更に配信者として荒稼ぎされ、踏んだり蹴ったりの状態を「一方的に恨みを募らせた」という報道の仕方の方が、よっぽど一方的だと思う。
>加害者は最終的に暴力にでたわけだが、もともとは安易に自己救済せずに裁判まで起こしてちゃんと遵法してたところに注目してる。要は裁判制度がなんの役にもたたず、被害者はもちろん加害者にも不幸な結果をもたらしたということ。裁判の結果の実効性を見直さないとだめかも知れない。配信で稼いでいたなら、そこから強制的に取り立てるくらいの制度はあってもいい。それが出来てれば、こんな最悪な結果にはならなかったと思う。
>確かに「一方的な恨み」報道には違和感を感じた。そもそも恨みというのは一方的なことが大半で、わざわざ強調しているようにしか聞こえなかった。ホストに貢がされた女性は救済されるのに、女に食い物にされた弱者男性は救済されない。これからは同様な事件が増えるだろう、このままでは。
>同じことを思いました。裁判で返済するよう判決まで出ていることに対して、「一方的に恨みを募らせた」は酷い表現だわ。殺害まではしなくとも、配信場所がわかったら直接会って、文句言いたくなる気持ちはわかる。
>そもそも一番の問題点は、裁判に勝っても意味がないということ。裁判員裁判や司法制度改革とか、きれいごと言っても、こんな現状では裁判に意味がないだけでなく、私的な制裁を助長してるだけ。裁判までする人は、判決を考えると不安で、弁護士費用も高くてすごいストレスで、やっと終わってもなにも変わらなかったら、正気でいれない人もでてくるよね。日本って何かにつけて正義が行なわれないな。もちろん暴力を肯定するわけではないし、罰は受けるべきだけど、防げた事件だと思う。
僕は、被害者の気持ちもわかるのですよ。もしかしたら彼女なりに(外からはそう見えるかどうかはともかく)一生懸命頑張って、いつかは返済を念頭に置いたうえでの、(とりあえずの)ブロックだったのかも知れない。むろん被害者によるブロックは、加害者(この事件に至らなければ被害者)側の立場としては やり場がなく、究極の選択に出るしかなかったのでしょう。
複雑多様な要素が無限に絡み合っているだろうにも関わらず、専門家とやらは、教育で培われたバカの一つ覚えの教科書的な答えを導き出す。
ネット環境における個人情報の漏洩を防ぐための強固な体制の必要性。リスクを避ける、ひたすら逃げることが正義、それが正解なんでしょうか?
逆なんじゃないか。いかにして、リスクに正面から(根本的な部分で)向き合うか、そのことが完璧に無視されてしまっているのが、今の日本の社会構造なのだと思います。
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プーチンが(あるいはトランプが)正しいのかどうかは知りません(たぶん彼らは悪人なのでしょう)。
しかし、「一方的」という表現を当然のように駆使し、ひたすら取得権(人権、個人情報保護、リスク回避)の保持に終始し、そこから先の議論をスルーしてしまうという姿勢に基づく「民主主義社会」のありかたこそが、数多の悲劇を導きだす根本的な要因となっているのではないかと思ったりします。
今日はとりあえずここまで。
「屋久島の植物」作成に向けての格闘を続けます。
昨日、「海の向こうの兄妹たち~中国野生生物探索記~」第1巻(368頁)が完成し、印刷に回しました。2~3日で仕上げるつもりが、5カ月近くかかってしまったです。このあと全20巻同じペース、、、それを想うと、暗澹たる気持ちになってしまいます。
ということで、中断していた「屋久島の植物~大和と琉球と大陸の狭間で~」に再び取り組んでいます。こちらは(とりあえず)全4巻(各巻約250頁)。やはり2~3日で完成予定だったのですが、、、。1~3巻はほぼ完成しているので、第4巻を来月中に完成させて勝負に出ます。
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以下、先週途中まで書きかけて、そのままになっているブログ記事です。
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昨日(注:1週間ほど前)の夜は(昼間にペンキ塗りバイトを8時間やったあと)所用で外出していたのですが、午後10時からNHKの「映像の世紀・プーチンとゼレンスキー」があることを知っていたので、必至で走って部屋に帰ってテレビを見ました。
やっぱり見て良かった。思うところ満載です。そのうち再放送があると思うので、皆さんもぜひ見てくださいね。
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ウクライナや中東もだけれど(あと斎藤劇場も)、相変わらず大谷君/一平さんの問題にも注目をし続けています。
大谷翔平の野球選手としての素晴らしさは、どれだけ賞賛しても賞賛しきれないほどです。(遠い昔はいざ知らず現代にあっては)絶対に不可能と思われていたことを、完璧と言って良いクオリティで次々と成し遂げている。
山本由伸は、3年連続投手4冠という事績でもわかるように、長い日本のプロ野球史にあって、文句なく最高のピッチャーなのですね。しかもスーパー・スターらしからぬ、小柄で地味な印象の彼が、大リーグでも期待に違わぬ活躍をしている。
佐々木朗希は、20歳そこそこで、あわや2試合連続パーフェクト。底知れぬ可能性を秘めた、ポテンシャルの塊です。その彼が、世界に出て行って、今後どんな結果を構築していくか、想像するだけでもワクワクします。
その3人が(賛否両論があるにしろ)同じチームに集結。なんと開幕戦が日本開催で、相手のチームには(昨年素晴らしい成績を残した)今永投手と鈴木誠也選手。小学校低学年の頃から70年間野球を見続けてきた僕(や僕同様の野球好き)が、高揚するのは当然です。
しかし、しかしです。たぶん、これまでこれっぽっちも野球になんて興味も知識もなかったであろう女子供(差別用語だったらごめんなさい)大衆の、集団的フィーバー。開幕戦チケット購入40万人待ちとか、これは、どう考えても異常です。英雄たちに妄信的熱狂的に群がる大衆、、、。歴史を振り返っても、ロクな結果には繋がりません(まあ、国を挙げての“お祭り”と考えておけば良いのでしょうが)。
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一平氏のお父さんの発言、(全日本人からバッシングを受けていることでしょうが)僕はよく理解できます。(人々の思考とは全く別の次元で)いつか大谷君にも、問題の本質に正面から対峙してもらいたいと、心から望んでいます。
大谷の性格、「俺は知ってるけど言えない…」水原元通訳の父親が投げかけた重大な問題・素朴な疑問(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)
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トランプの前代未聞、言いたい放題のゼリンスキー批判。(反トランプの三世には悪いけれど)、ある意味爽快です。今後しばらくの間、トランプとプーチンが世界を滅茶苦茶にかき回すのでしょう。これぐらいの(地球をぶっ壊しかねない)荒治療があっても良いのではないか、と思います。
ゼリンスキー、絶体絶命ですね。選挙すれば、100%負けそうですし。意図は全く別として、「即刻戦争を終結したい」トランプとプーチン、「戦争終結」よりも「正義を貫くこと」を大義に掲げる“そこそこ成功したコメディアン”のゼリちゃん。
もしかすると中国も絡んで(まさかの「米露中」連合)、大国強者VS弱小国家(ヨーロッパもその中に収斂)という世界に向かって行ったりして、、、。さて、日本は、、、。
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特殊サギ事件、つらつらと思うのですが、極悪詐欺集団と、健全な資本主義社会(の恩恵を蒙る成功者たち)、、、本質的にどこが違うのだろうと(それについては、今後追々述べて行きたいです)。
ミャンマーに飛び火(というか、こちらが火元なのでしょうが)。思うところがいろいろとあります。タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、そして中国雲南省南部、いわゆる“メコンの国々”ですね(今後の世界情勢は、この辺りが主役になっていくのかも知れません)。
僕もミャンマーとは浅からぬ縁があるのですが、モニカ(僕以上に深く関係)からは、“ミャンマーのことはブログに書くな”と釘を刺されています。僕もそう思います、迂闊に近寄ることは危険でしょう。
一つだけ記しておくと、(17年前の話ですけれど)僕がミャンマーにいた時に出会ったある日本人(元読売新聞の記者だそう)、僕の人生でこれほど胡散臭い人には会ったことがない、と呆れるほど、異様な人間(立花某といい勝負)。少し頭がおかしいのでは?とも思うのですが、そいつが当時の政権(軍事政権ですね)にどっぷりと食い込んでいる。ミャンマーという国が(ひいては日本国家も)、いかに魑魅魍魎から成り立っているのか、その一例からも窺い知れるように思います。
三世から、「サントリーニ島」近海の群発地震についての感想をブログに書いてくれ、と要望されました。
日本ではさほど話題には上っていない(先日のニュースでは、ジョージと三世がそれぞれ顔出しで~“現地からの報告”として~インタビューを受けていた、今朝のニュースでも三世のコメントが放送されていた)のですが、現地では相当に大きな騒ぎになっているようです。
僕は、エーゲ海やギリシャについては、ほぼ全く知識がありません。何度か2人を訪ねて行ったことはあっても、部屋に閉じこもって原稿書きか、赤ちゃんの御守りが主要目的で、(サモス島に於ける10日間ほどの“萌葱蝶”の探索と、約ひと月間のアテネ近郊の自然観察以外には)ほとんど何にもしていないのです。
三世の反応は、おおよそ次のようではないかと推察します。
>コロナの時と同じ、(何らかのバイアスによって)大袈裟に騒ぎすぎなのではないか。
>「火山」(サントリーニ島)と「今回の群発地震」(震源はパロス島とサントリーニ島の間の海底)は、特に関連はないのではないか。
繰り返し言うけれど、僕はエーゲ海について述べるべく何らの知識もありません。それで、話を少し斜めから、幾らかは知識のある日本での(トカラ火山列島を中心に置いての)状況と照らし合わせながら、適当に話を(単なる思い付きの感想ですが)進めて行きます。
「群発地震」ですぐに思い浮かべるのが、長野県北東部に於ける「松代群発地震」。僕の意識の中では、さほど昔のことではないように思っていたのですが、実際は60年近く前のことなんですね(「光陰矢のごとし」を痛感)。1960年代後半、5年間余に亘り、震度5の9回を含む有感地震6万回以上を観察、現地周辺のみならず国民を不安に陥れて、随分話題になったものです。
結局大地震は起こりませんでした(現在に至るまで微小地震は続いているようですが)。
ただし、群発地震が頻発し始める1年前(1964年6月)には、M7.5の新潟大地震が起こっていますし、また、すぐ近く(同じ長野県西北部の栄村)では、東日本大震災の翌日(2011年3月12日)にM6.7の長野県北部地震(栄村地震)が発生しています。後者も、かなり大きな地震ではあったのですが、前日の東日本大震災に隠れて、さほど大きな話題にはなりませんでした(東西に500km近く離れているけれど、現在では三陸沖が震源の東日本大地震を起因とした「遠方誘発地震」と見做されているようです)。
2011年の栄村地震と1960年代の松代群発地震との関連については、(ネットを検索した限りでは)全く言及がありません。といって、全く無関係と言うわけではないでしょう。この一帯は本州の中央を縦断するフォッサマグナの北端近くに当たることや、近くに妙高山や浅間山など日本有数の高山性火山が点在していること等々を併せ考えれば、この地域一帯に於ける何らかの共通した要因が存在する可能性も、一概に否定は出来ないと思われます。
エーゲ海との関連で話を進めます。真面目に考察するとなると非常に長くなるのですが、ざっくり言えば、日本列島、台湾、中国大陸など東アジアと、地中海、バルカン半島、トルコなどの南ヨーロッパは、共に地球レベルで見るとプレートが複雑に入り組んだ地域で、地震の巣窟です。
ひいては生物相も複雑で、(時代的には全然最近になるけれど)人類の近代文明の発祥地であることにも繋がってきます(それらの相関性ついての説明はパス)。
震源はパロス島とサントリーニ島の間ですね。地震と火山は直接の関係はないでしょが、根っこは密接に繋がっています。
そもそも研究者とか専門家とかの頭の良い人々は、物事を体系的に捉えて行きます。それが間違っているとは言わないけれど、そのことに拘泥するあまり、俯瞰的に捉えることが出来ないでいるのです。
地震と火山の存在は、ある前提・次元(体系的な考察)から見れば、全く関係がない、と言い切ってしまうことが出来るかも知れません。しかし別の前提・次元(俯瞰的な把握)によれば、大いに関係がある、とも言えます。後者は、往々にして(多くの知識層の人々が好きな言葉である)“エビデンス”に欠けるわけで、下手に押し通そうとすれば「陰謀論」として葬られてしまうのです。
さっきヤフーニュースをチェックしたら、今年はエーゲ海諸島とトカラ火山列島で、(地域を壊滅させるほどの)大規模な火山噴火が予想される、という記事がありました。ヨタ記事には違いないとしても、まんざら「陰謀論」と言い切ってしまうことも出来ないと思います(「南海大地震」と同じぐらいの確率で起こる可能性があると思う)。
このトカラ火山列島(北琉球内帯)海域では、ここ数10年来、小規模な群発地震がずっと続いています。火山活動も「霧島山」「桜島(鹿児島市対岸)」「開聞岳(薩摩半島南端)」「硫黄島(三島村)」「口永良部島(屋久島町)」「口之島(十島村)」「中之島(同)」「諏訪之瀬島(同)」「奄美鳥島(沖縄県久米島町)」と、代わる代わる噴火している。ことに硫黄島の鬼界カルデラが本格噴火すれば、日本(特に西日本)は滅亡するのではないか、という見解もあります。
プレートの食い込み(ずれ)によって引き起こされる地震と、プレートの境に沿って連続する火山の活動は、直接の関係性はないのでしょうが、成り立ちは同根です。
群発地震がサントリーニ島本体ではなく、古い時代はともかくとして、現時点では直接火山とは関係なさそうなパロス島などとの間の海中が震源、というのも、何かを暗示しているように思われます。
ちなみに、トカラ群発地震の震源地も、活火山の島々が並ぶ、諏訪之瀬島、中之島、口之島寄りではなく、悪石島(いわゆる休火山)と、非火山性の小宝島・宝島寄りです。
トカラ火山列島(行政上の地名ではなく、地史学・生物地理学的な側面からの名称)北部に位置する硫黄島(喜界カルデラ)と(行政上の)トカラ列島北端の火山島・口之島の間に位置する口永良部島も活火山で、その噴火・溶岩流出に伴う島民の避難活動(2015年)は、記憶に新しいことでしょう。
その口永良部島と口之島の間(直線距離約50km)にも、実は2つの海中火山が存在します。一つは山頂部が海上に出た口之島寄りの岩礁群「平瀬」(灯台があります)、もう一つは山頂が海面に達しない口永良部島・屋久島寄りの海底火山。これらの“隠れた火山島”がいつ噴火しないとも限らない。さらに、宝島を挟んだ南側(奄美大島の対岸)の無人島「横当島」も火山島(僕は昔ツクツクボウシの調査のために上陸したことがある)、最近火山活動の兆しが見られるという報道も目にしました。
エーゲ海とトカラ列島の群発地震に起因する巨大地震の勃発も、サントリーニ島や鬼界カルデラなど周辺の活火山の大噴火も、(これまでの流れを見れば)今すぐ起こるという確率は低いものと思われます。同時に、遠からぬうち(我々が生きている時代であるかどうかはともかく)に確実になされるであろうことも間違いありません。
速い話、それらのことを承知の上でそれらの地に人々が住んでいるわけですから、今更ジタバタしても仕方がないのでは、と思うのです。今やるべきことは、右往左往して徒に状況をかき乱すことではなく、腹を括って冷静に状況を見つめ、万が一事が起こったときに、どのような対応をしていくかを考えておくことだと思っています。
三島列島・硫黄島。この島と東隣の竹島(全島リュウキュウチクに覆われた平坦な島)は、「鬼界大カルデラ」の北側外輪山に相当。西隣に原生林に覆われた黒島。
屋久島・尾之間海岸から望む夕映えのトカラ列島中之島御岳(標高979m)。左に諏訪之瀬島、右に口之島が続きます。
エーゲ海・サントリーニ島の海域で群発地震が起こり続けていて、現地では大きな騒ぎになっているようです。日本のトカラ群発地震の話題などと併せ、一両日中にブログ記事を書く予定でいますが、先日、日本のTVニュース番組で、サントリーニ島群発地震を取り挙げた際、三世とジョージが“現地”報告を行っています。今後も度々登場する(とりあえず明日の目覚ましテレビ)予定なので、ぜひチェックしてみてください。
もう2年ほど前からだけれど、ワードの文章の中に♂♀の文字が書けなくなってしまいました。何の前触れもなく突然絵文字に代わってしまったのです。仕方なく漢字で雄雌と書くか、古い文章の文字をコピペしていたのですが、昨日思い立ってPCデポの担当者(I氏)に相談しました。
パソコンのプロの彼が、一生懸命トライしてくれました。しかしどう操作しても絵文字しか出てきません。
I氏の意見は、ストレートな記号の雄雌の表示は、人権侵害に当たる(加えて性の多様性の問題)とグーグル側が判断し、敢えて絵文字で表示しているのではないか、ということでした。
僕は、トランプとは思想的に正反対の立場にありますが、(思想的にほぼ同じバイデンやハリスよりも)人間としては遥かに評価しています。僕自身は受け入れ難い(そういう意味ではトランプを全面拒否している三世の気持ちはよくわかる)のだけれど、彼の提出する様々な“トンでも”政策は、見る角度に拠れば、一理あるのです。単なる思い付きや、単純な自己顕示欲ではなく、芯は通っている(その点で立花某とは根本的に異なる)。
「弱者」に対する優遇政策(多様性の推進)の廃止、性的マイノリティ(男女以外の性)の平等を認めない、、、“トンでも発言”には違いないですが、う~ん、なるほど、と思う部分もあります。
僕は、人生の大半を、自分の全能力を注いで、“多様性”の追及を行ってきたつもりです。
所謂リベラルな人々に、まるで流行りのファッションのように、安易に「多様性」を語ってほしくはありません。
人間の性は、男と女の2つだけ。「性的マイノリティ」なんてカテゴリーは設ける必要はない。
こういうことです。
「例外」をカテゴライズする、ということは、「例外」が例外ではなくなってしまう、ということです。
カテゴライズされた「例外」から「はみ出した例外」は、居所がなくなってしまう。
ひいては(「例外」を「例外」ではなくしてしまうことで)無数に存在するそれぞれ次元を異にする「例外」を認めないことに繋がってしまう。
性別は「男」と「女」だけ。しかし「例外」は臨機応変に受け入れる。
全ての事象に於いても同様です。
全ての「例外」は「例外」として成り立っている。それが“多様性”です。
「例外」を「例外」で無くしてしまう(例の内側に組み込む)のではなく、「例外」に対した時、その都度それを受け入れる。
価値観を基準としたカテゴライズは、結局のところ、力による支配にしか繋がりません。
職業の自由、教育の自由、したがって「弱い立場の人々を(職場や学校に)優遇する」ことで「平等」を目指す、そんなのは、絵に書いた餅です、その器から零れ落ちる人々だって、無数に存在するのです。
トランプの提言のように、「能力」を満たした人間が(それぞれを司る場に)優先的に着く。
そのうえで、(場合によっては)必ずしもその限りではない、という柔軟性(別の言葉で言えば曖昧さ)こそ、多様性の本質なのだと思います。
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週のうち半分は(往復4時間かけて)PCデポで作業(天候によってはバスに乗る)。半分は自室で作業、午後にココスレストランに行って、Wi-Fi拾い(お金のない時は入口に座って、ある時は中に入ってジャーマンポテト242円注文、たまに贅沢にピザ539円、、、今日、もっと安いのを見つけました、バニラとチョコレートの2色パフェ税込み209円)。
部屋での作業中は、TVをつけていることが多いのです。見るのは基本ニュース番組とNHKの「映像の世紀」、それと一部のスポーツ関係。コマーシャルってのが大嫌いで、それが入るといちいち消しています。グルメ番組とかはもちろん、バラエティもドラマも、うんざりです。たまに消すのが面倒で、そのままつけっぱなしにしているときがある。なんでこんなに下らんのをやっているのか、と腹が立ってきます。というよりも、日本人の余りの劣化に、情けなくなってくる。特にAI礼賛番組など、冗談ではなくこいつらバカなんじゃないか、と心底呆れてしまっています。
結構長い間ブログを中断していました。一部の読者の方々には、ご心配をおかけしていたかも知れません。単純に余りに時間がなく(ことにWi-Fi利用に於いて)、ブログ執筆に費やす時間がもったいなかったことによるものです。一段落がついたので、再開する次第です。
僕のブログを、要請している購読料も払わずに、苦境に陥った身寄りのない老人からの発信を、他人事のように眺めているだけの、そのような読者はどうでも良いのです。僕同様に、あるいは僕以上に困窮している(ゆみさんは大丈夫かな?)読者の方々には、ご心配をかけたくない。
なんとか生き延びています。今回も、元植物園館長氏から、助けの手が差し伸べられました。今のところ、一日500円程の食費でやっていける目途がついたので、ご心配は無用です。
ほとんどの方は、(表面的な次元でもって)親切を装って(本人たちは純粋に親切だと信じているのでしょうけれど)正論を上から目線で押し付けてくる。そして、僕のような枠組みから外れた人間を追い詰め、結果として排除して行く仕組みになっているのですね。まあ、嫌味ですが(笑)。
いずれにしても、ごく少数であるにせよ、分かってくださる方はいらっしゃるわけです。それで僕も必死で、やるべき作業に取り組んでいます。「屋久島の植物」を一時中断し、先に収入に結び付く可能性のある「海の向こうの兄妹たち」に取り組んでいるわけですが、当初想定していた既刊(2013年に自費出版)の500頁を章ごとに分割(20~50頁)、幾つかの訳注や追加記述を加えて、全20巻を刊行する目論見でいたところ、追加記述がどんどんと増えて行き、第1巻だけで368頁(全20巻だと7000頁越え)になってしまった。
僕の利益を1000円として、一冊7000円程の定価になってしまいます。こんな価格では購入してくださる方は僅かしかいないと思う。仮に5人だとすれば5000円の収益。20巻だと10万円にはなりますが、このペースだと月に2冊どころか、一年ほどかかってしまいそうな気がします。労力と報酬のバランス上、割が悪すぎるのですが、仕方がありません。僕の中国関係の作品の集大成と割り切って、ひたすら先に進めて行きます(中国の蝶や蝉や植物関係の集大成は、また別に企画する)。
ともかく第1巻はほぼ完成したので(六本脚に納入して)「屋久島の植物」に再度取り組みます。というわけで、とりあえず一息、ブログを再開していくことにしたのです。
実は、数日前から非常な憤りを覚えている事案があるのです。それについて触れて行きたい。
一平さん問題(今日判決が為されました)。
多大な憤りを覚えています。
この問題に、現在の人間社会に現れた歪のすべての根源が集約されているように思えます。例えば世界のあちこちで勃発している戦争・紛争とか。
僕に能力があれば、「一平事件」を一大スペルタクとして(ドストエフスキーの「罪と罰」とか、トルストイの「戦争と平和」に匹敵する壮大な次元で)小説化したいのですが、残念ながらその能力はありません。誰か取り組んでくれないですかね(一平氏自身にも期待しています)。
いずれにせよ、この問題に関しては、今後とも少しずつ触れていくつもりでいます。
今回は断片的に箇条書きで。
一平氏が裁判長に充てた手紙の評価が焦点となっていたようです。そしてその内容が「虚偽」であると見做されたようであります。権力、大衆による、力と数の理論に基づいた、エビデンスと結論づけ。
何度でも繰り返し言います。事実(真実と事実は異なるという見方もあるようだけれど、なに、同じです)は一つではない。
検察(彼らの権力が、いかに醜い基盤の上に成り立っているか、身に染みて感じている)は、一平氏の裁判長への申告文章が虚偽である、と結論づけた(裁判長もその判断にしたがって判決を下した)わけですが、それは強者の(裕福者、多数派)の理論でしかありません。
それは一つの事実ではあっても、事実の全てとは成り得ない。一平の訴えも、虚偽ではなく、紛いなき事実なのです。むろん、力や数(かのようにの基盤)の側から見れば、虚偽と見做されてしまうのでしょうけれど。
具体的にどういうことなのか、膨大な問題提起が含まれています。今後それを一つ一つ検証していきたいと考えています。
一平氏は、犯罪を犯した悪人であり、罪を認め、罰を受けねばなりません。しかし、それだけで済ませてはならない。
現在の世の中の背景を鑑みれば、罪や罰を背負わねばならぬのは、我々も同じです。一平氏には、この問題の本質を炙り出すべく、問題提起する(そのことで裁判長を含めた力のや数の側の心象を悪く導いていくとしても)責務があると思っています。
そもそも「一平氏事件」の一方の主役(いわゆる被害者)は大谷君なのですね。被疑者と被害者の関係は、単純な構図ではないのです。
大谷君は、野球選手として文句なく素晴らしい存在です。僕も彼の大ファンであり、その活躍を一喜一憂しながら見守っています。
しかし、人間としては (世間が幾ら褒め称えようとも、そして僕も彼の絶大な魅力を認めてはいるけれど)失格だと思う。
前にも書いたように、(大谷君の持つ)誰よりもボールを速く投げ、バットでより遠くまでかっ飛ばす能力、(一平氏の持つ)英語と日本語の二か国語を自由に操ることの出来る能力、そこに至る様々な努力、共に素晴らしいのです。決して後者が前者に劣るものではありません。
しかるに現実的には、例えば報酬の面だけを見ても、後者は前者の1000分の1にも及ばない。その中で一平氏(むろん彼の行った行為が多大な非難を受けなくてはならないことは確かだとしても)の置かれた立場は、「事実」だけでは表し得ない、多彩で複雑な側面を有しています。彼の弁明(金銭含む苦境)は、決して嘘ではありません(ある角度の光の当て方からは「虚偽」と見做されるにしろ、別の角度からの光の当て方に於いては「真実」でもあります)。
「問題」そのものが、特別なシチュエーションの上に成り立っている。きっかけは、大谷選手という、特別の存在にあるのです。
一平氏は、本来なら正面から大谷君に助けを求めるべきであったと思います。しかし、それは出来ない。
大衆に君臨する絶大な力を守るためには、異物は切り捨てられるしかありません(少々大袈裟な例ではありますが、如何なる戦争責任があるにせよ、天皇は守られるわけです)。
大谷君が、今後も未曽有の成績を上げ続け、人々を楽しませ続けるためには、弱い立場の存在は、犠牲になるしかないのです。
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今日、銀行に行って、HDD修復費分割支払いの5000円を振り込みました。
飯塚市には三井住友銀行がないため、他銀行から500円の手数料を支払って振り込まねばなりません。それで他銀行の口座を新しく作ろうと思ったのだけれど、そのためには携帯電話番号が必須とのこと、諦めざるを得ません。
それとは逆の、販売した本の売り上げの受け取りも、困難な状況に陥っています。これまでは三世の口座を通じて振り込んで貰っていたのが、昨今の「振り込み詐欺」防止とかの名目で、本人名義以外の口座は利用できなくなってしまいました。しかし、自分の口座は本人証明が出来ないでいる(携帯電話不所持のため)ことから、使えないのです(書留郵送か手渡ししか手段がないそうな)。
携帯電話を所有していない人間は、現実として市民生活を行うことが出来ない。
それもこれも、「個人情報」とか「人権」とかを絶対視する風潮の、余波を被っている、と言えそうです。
「個人情報」とか「人権」とかは、結局のところ、「力(強者)」や「数(大衆)」を守るものでしかありません。
そこから外れた人間は、その対象とさえ成り得ない。
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先日、大雨が降った日、徒歩でPCデポを往復していた路上で、大変な災難に遭遇しました。大きな水たまりをダンプカーが通過し、頭から大量の冷水を浴びせかけられてしまった。2時間歩いて部屋まで帰ったのですが、危ゆく凍え死んでしまうところだったです。
仮に凍え死んでしまっていたとしても、単なる(身寄りのない)老人の行き倒れと処理されてしまってお終いです。車社会の常識の許では、歩いている方が悪いのです。人権も何も、あったものではありません。
「人権」によって救済されるのは、一定の枠組みの中に納まっている人々のみ。弱者の、さらに外側に位置している人々は、切り捨てられるしかないのでしょう。
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これは一体、何なんでしょうか?
さっき、あや子さんから、「(読者の)ゆみさんからコメントが来ています」という連絡を受けたので、その返信コメントを入れて貰うように頼みました。
ゆみさんからのコメントの概略。
>生活大変そうで心配です。お手伝いできる方法は何があるのでしょうか?
>このブログの購読料(わずかな謝礼ですが)を、お渡しできる方法をお知らせ下さい。
>私のような資格も技術も経験もない何の取り柄もない者にとっては、賃金の値上げどころか今の仕事があるだけでもありがたく、次はないと思うと低賃金でもしがみつくしかありません。
>先生の娘さん?のような、キャンピングカーでの周遊、私もしてみたいです。まだ行ったことのない土地を見てみたいです。
僕の返信コメント。
>あや子さんから連絡があって、コメントを拝見しました。今ちょうど新しいブログをアップしようとしていたところです(ゆみさんのことにも少し触れました)。
>生活に困窮している読者の方には、購読料は要求しません(気になさらずに今後も気軽に訪れてください)。購読費云々は、充分に余裕があるのに、僕の要望を人ごとのようにスルーしている、一部の読者に向けての発信です。
>三世とジョージが、先日TVニュースに登場しました(エーゲ海サントリーニ島の地震のニュースの「現地」レポート)。実情は、ここでは伏せておきますが、彼らの逞しさは、我々も見習わねばなりません。
すると、あや子さんから
>ブログコメントに、ゆみさんへの返信を書き込みましたが、
「不適切なURLまたは禁止ワードが含まれているため、投稿できません」
という表示が出て、送信できませんでした。
何が不適切なのか、わかりません(URLは入れていません)。
という連絡が。
なんか、怖いですね。不可解な言論統制。
立花某、この人、本物のキ○○○ですね。
本人以上に怖いのは、追従する大衆。
ふと思った。
AIの将来は、こいつみたいなのが量産されていくんじゃないかと。
興味深いことがあります。
ネット上のコメントには、今も一定数の誹謗中傷(本人たちは自分たちが正義と信じ自覚がない)が投稿されているのですけれど、それらのコメント末尾には、必ずと言っていいほど「御冥福をお祈りしています」が付されています(それらの言葉が付されているのは概ね誹謗中傷のコメント)。
このあたりに、問題の本質が垣間見えるような気がしています。
ついでに言っておくと、(これまでも度々指摘してきたけれど)自死のニュースを流すたびに「命のダイアル」とかが付されています。これって、責任逃れの典型じゃないですかね。
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正論、原則論、ルール、正義、、、否定するものではありません。理念として貫くことは、立派だと思います。しかし、押し付けるべきではない。
全ての現象は、常に例外を伴っている。換言すれば、光と影から成り立っている。光も影も、等しく尊いのです。
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今日はトランプ大統領就任式ですね。トンでも語録が展開されています。地球の将来を鑑みれば、由々しき発言のオンパレードです。三世やジョージの抱く危惧感にも激しく同意しています。でも僕は結構楽しんでいるのですね。立花某とは根本的な次元(それについては改めて)で異なるので。隣に並んでいるバイデンハリスブッシュオバマクリントンヒラリーの苦笑いが面白いです。
TVは、ほぼニュース番組だけ見ています。お笑い、ドラマ、グルメ、コマーシャル、、、、(TVだけでなく、所謂SNSも同様)余りに下劣で、精神衛生上よろしくないです。
NHK「映像の世紀」を楽しみに見ています(昨夜の放送も見応えがあった)。
全ての人たちに(ちゃんと受信料を払って、笑)見て頂きたいです。
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火曜水曜はPCデポが休日(毎日4時間徒歩往復は堪える)。今日から作業の内容を逆にして、スキャンは自宅で行い、PCデポではWi-Fi利用に集中することにしました(さっき荷物が届いた、これからココス前の路傍にWi-Fiを拾いに行く)。
朝から、仕事(いわゆる一般のバイト)を求めて何か所か(時給1000円の張り紙がしてあった近所のファミレスと焼き肉屋)を回ったけれど、玉砕。理不尽な8時間重労働日当500円の仕事でも、(腹立たしいのはもちろんだけれど)今の僕には貰えるだけありがたいには違いないので、頭を下げてなんとか有りつかねばなりません(たぶん来月までない)。
一回バスに乗ると、すぐに無一文になってしまいます(それでここ数日は仕事場にしているWi-Fiデポまで往復4時間徒歩通勤)。現時点で残り財産84円、これであと10日、どのように遣り繰りすれば良いのでしょうか? スーパーで半額(21円)のチャンポン/ウドン玉を見つければ、ちょうど4日間食い繋げるので、その間に何とか日雇いバイトにありつくか、ソーシャルオフィスに食料支給の助けを求めるか(電話がないので連絡が取れない)。まあ、いつものことなので、(10日後の2万円支給を待って)何とか生き延びることは出来るでしょうが。
と、強がり言っていますが、チャンポン/うどん玉がなかなか半額にならない。さっき1個42円(税込み)で買ったので、残り42円です。ここ数日、一日一食、ジャガイモ、うどん玉、100円パンの繰り返し(かつ4時間徒歩通勤)なので、さすがにふらふら、意識朦朧状態です(幸い体調自体は元に戻ってきたので何とか持ちこたえていますが)。
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以前から公言しているように、このブログは原則有料です。読者の方々は肝に銘じておいてください。ブログの読者の方々の中には、僕同様に赤貧に苦しんでいられる方がいます。そのような方々には、無料で見て頂きます。しかし、ある程度の経済的な余裕がある(敢えて基準を作れば僕よりも裕福な)読者の方には、何らかの形(金額の多少は不問)で購読料を支払って頂きたいと考えています。
でも多分、誰も鼻にもかけてくれないでしょうね。孤独老人が餓死していく様を、チープなTVドラマでも見ているように傍観しているわけです。恥ずかしくないんですかね。まあ、固定読者なんて(僕同様に貧乏な方以外は)一人もいないのかも知れませんが。
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昨夜は、うっかりTVを消し忘れて、絶滅危惧種についての番組をチラリと見ていました。膨大な数の絶滅危惧種が存在する由(とりあげたメンツは、トキ、コウノトリ、イリオモテヤマネコ、カラスバト、、、)。そのことを含め、言ってること自体(生態系、多様性云々) は間違ってはいません。しかし「教科書」です。あくまで一つの側面に過ぎないのです。間違ってはいなくても、別の側面から見れば違った答えが導き出される。“種とは何か?”“絶滅とはどういうことか”などの命題に関わる根本的な部分での検証。なのに教科書は(“かのように”的エビデンスに基ずく)答えを確定し、それに沿って“教育”が安易に勧められていく。暗澹たる気分です。
元百条委員会メンバーで元兵庫県姫路市議の竹内議員が自死しました。事件の発端となった渡瀬元西播磨県民局長ともども姫路市民、父親が姫路出身の僕(昨年相次いで亡くなった三世のご両親も姫路市民)としては、心穏やかではありません。
度重なる(立花某らによる)家族への中傷に耐えられなかった由。
僕は立花某という人間(人間とは認めていませんが)、こいつだけは許せません。
そして、自殺者たちを、せせら笑うヤフコメ民(大衆)も。
繰り返し言います。橋下氏の言うように「斎藤知事の見解は間違ってはいない、しかし人の痛みを推し量れないでいる人間は、指導者として失格」だと思います。
正論(エビデンスとかに基づく)が全てではない。科学や文明に対する絶対的信仰(思い上がり)に対する危惧にも繋がります。
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僕が嫌いな人々。
“ローリング・ストーンズ誌的現象”を、闇雲に追従する人々(三世のいう“スペッシャル思考”とも被る)。
“趣味の人助け”マニア。
“人助け”は、本来、受け身であるべきです。助けを求める人を(自己のポリシーとかには関係なく)無条件で受け入れる。
能動的に“助けてやる”“助けたい”は邪道、本当の人助けではありません(それを“人助け”と勘違いしているのでしょうが)。
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タレントの中井氏に関するニュースを見ました。メデイア(ことにフジテレビ)の体質、さもありなん。フジテレビの内情についてはチラリとですが実体験しています。エリート連中が、いかに好き勝手に(ふんぞり返って我々下々を虫けら扱いしつつ)振舞っているか、それはもう想像を絶します。
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TV(SNSなども含めたマスメデイア全体)の劣化は、目を覆うばかりです。
AIについての番組。某AI業界社長が、自分で思考出来るAIロボットを開発、分身として仕事を分担する。吐き気がします。科学への過信、自己陶酔。余りにも幼稚です。
その番組の末尾で、AIによる、こんな自主コメントが放映されていました。
“老人や貧乏人は、健全な社会の構築に無益な、邪悪な存在でしかない、素晴らしい社会の構築には、このような社会悪は抹殺して行かねばならない。”
ジョーク?なんでしょうか、コメンテーターの人達は当惑しながら、番組終了。一種の放送事故かも知れませんが、別に不思議なことではありませんね。
実は(当事者以外、すなわち社会の中軸を担う健全な人々の思考としては)「正論」なわけですから。
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繰り返し言うけれど、
「平和」と「戦争」は、同義語。
「自由」と「平等」は、反対語。
自分たちの平和を望み続ける限り、戦争は無くなりません。
自分たちの自由を主張し続ける限り、平等な世界は実現しません。
民主主義は、強者(自分たち)が権利を守る制度に、ほかなりません
本気で「平和」「自由」な世界を構築したいならば(世界の人々が皆平等な社会を目指すためには)、自らの「平和」「自由」を捨てなくてはならない。
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以下、僕の近況。
ここしばらく、近くの町工場でバイトしていました。毎日8時間、かなりの重労働(木材切断と運搬、ペンキ塗り、看板組み立て)。日当のほとんどは、スマホ利用代金(一昨年、生活保護=手取り2万円前後=受領にはスマホ所持が必須ということで、伝手を頼ってこの工場社長氏から入手、、、現在は手許にありません)に差し引かれて、手取りは一回500円ほどです。それでも1銭もないよりはマシなので、仕方なく続けています。
収入は、PCデポへのバス代(往復760円)で消えてしまいます(往復4時間歩いて通うか究極の選択)。この一週間、ほとんど何も食べていません(ファミレスでWi-Fi利用日は242円のジャーマンポテト1個、PCデポでの作業日は100円パン1個)。餓死してしまう可能性もあります(まあ、ダイエットだと思えばいいですが(;´д`))。
77歳にもなって、なんでこんな重労働(しかも限りなく割の悪い)を課せられなきゃならんのか、と腹立たしくなってきますが、社会に背を向けてきたので、その酬いと捉えて、観念するしかないのでしょうね。
屋久島や中国の自然関連の古いデータを再チェックしていたら、9年前、2016年に書いた記事に出くわしました。おそらく、「1966年」「口永良部島」に関する何らかの話題があって、それに絡めて記述したのではないかと思われます(「現代ビジネス」掲載を念頭に置いていた?)。もしかすると、ブログ用に書いたのかも知れない(だとすれば再掲ですね)のですけれど、穴埋めにアップしておきます。
「1966年」および「口永良部島」
ジョニー・ティロットソンより5才下のブライアン・ハイランド、5才上のデル・シャノンは、ともに1960年代初頭に大ブレイク(ジョニー「ポエトリー・イン・モーション」、ブライアン「ビキニスタイルのお嬢さん」、デル「悲しき街角」)して以来、非常に仲の良い、親友トリオでした。「歌は明るいけれど雰囲気の暗いブライアン」「歌も雰囲気も暗いデル」「歌も雰囲気も明るいジョニー」。デルは、1990年に自殺してしまった。生きていれば、今年82才になります。ブライアンは今年73才。3人の中では‟若手”であります(笑)。
そのブライアンと、77才(78才?)のジョニーが、今年8月、タイのバンコクで、ジョイントコンサートを行います。2人のジョイントコンサートは、これまでにも度々あったのですが、そのうちの何回かは、ブライアンの体調(精神状態?)不良のため、ドタキャンされてしまったようです。
今回は、満を持しての(もしかして彼らにとって最後になるかも知れない)ビッグイベントです。彼らにとってだけでなく、僕や村田さんも、このライブの取材に全てをかける意気込みでいます。
その矢先、6月18日に、とんでもないニュースが飛び込んできた。「ブライアン・ハイランド死去」。しかし、このニュースは、即座に打ち消されました。完全なデマであると。
なぜ、ブライアンがデマの標的になったのかは、現時点では不明です。全く本人の身に関わりがないことなのか、(彼の精神状態を含む)引き金となる何らかの動機があったのか、、、、。
ひとつ分かったことは、ブライアン・ハイランドが今でも世界的な大スターであるということ。「死去」の報が流れて、インターネット上には、世界中から数多くの追悼(?)のコメントが寄せられた。
一方、日本。試しに「ビキニスタイルのお嬢さん」、これをネットで検索していたら、こんな要旨の記述に出くわしました。曰く「非常に有名な曲である」「しかし唄った歌手のことは誰も覚えていない」、、、、、何たる無知・侮辱。日本に於いては、63年になってブレイクしたジョニーよりも先輩で、60~62年頃にはアメリカのティーンアイドル歌手の第一人者と目されていました。ジョニー同様に、日本だけのヒット曲も数多くあります(その代表が「タモリ倶楽部」のエンディングテーマ曲として知られる「ベビーフェイス」)。当時、何度か来日公演も果たしています。エルヴィスに続くポール・アンカやニール・セダカとともに、日本の洋楽界の幕開けを飾った主役の一人なのです。なのに「誰も知らない歌手」という扱い、、、これが、日本と言う国の、国民性なのです。
ジョニーに対しても同じです。彼のヒット曲は、世界の各地で異なっています。代表曲は、アメリカやイギリスでは「ポエトリー」と「涙ながらに」、東南アジアやオーストラリアでは「こんなに愛して」と「ジュディ、ジュディ、ジュディ」、そして日本では「キューティ・パイ」と「涙くんさよなら」*。各国より数年遅れ(従ってビートルズ登場の時期に重なって)64~66年に日本での絶頂期を迎えた彼の人気は、当時、世界で突出していたのです。
*後記:「キューティ・パイ」と「涙くんさよなら」は南米・アルゼンチンでも大ヒットしています。
それが50年経った今、日本では(いつの間にか‟歴史”が書き変えられてしまって)完全に忘れ去られ、タイをはじめとした東南アジア各国(やオーストラリアや欧米諸国)では、年月を経るごとにリスペクトの機運が増大している。
村田さんは、それが悔しくてたまらず、「タイやマレーシアでコンサートがあっても、絶対に行きたくない」と言い続けてきました。今回も、僕の誘いを最初は断ったのです。しかし、考えを180°変えたようです。今こそ、実情を日本(のファンやメディア)に伝えよう。全力を挙げてレポートを行い、ジョニーやブライアン本人たち共々、タイでの熱気、日本の冷淡、、、、その実態を知って貰おう、と。そして、2人を、もう一度日本に呼ぼう。
1966年は、「涙くんさよなら」映画化50周年。ジョニー初来日「50周年」。「涙くんさよなら」に続くジョニーの和製ポップス「ユー・アンド・ミー」が、絶頂期のビートルズの諸曲を押さえて、日本のヒットチャートの一位を独走した年です。
ちなみに、ジョニー関連の曲では、この66年に、前年大ヒットしたジョニー盤「涙くんさよなら」から一年遅れ、坂本九盤「涙くんさよなら」がマヒナスターズ盤や初代ジャニーズ盤とセットになって、ほんの一瞬だけヒットパレードの下位に登場しています。
もう一曲、マイク真木盤「バラが咲いた」。ジョニーは、この曲を2年前の64年に録音(日本語と自身の英訳で)、しかしお蔵になったまま、この年、マイク真木盤と同時に発売、ともにベスト10にランクインされています(ジョニー盤もかなりのヒットを記録しましたが、明らかにマイク真木盤のほうが大きなヒットとなった)。
ジョニーの「バラが咲いた」録音・発売の経緯(最初に浜口庫之助から提供されたこの楽曲を一度は拒否し、「涙くんさよなら」が再提示されたことになっていますが、真相は詳らかではありません)についての再確認を行いたい。
ちなみに、マイク真木盤が(学生アルバイトでテストのための音入れを行った音源を発売して)大ヒットに至った経緯については、ごく最近、当時の担当者がインターネット上に寄稿しています。
「定説としての歴史」と「本当の歴史」は、しばしば異なります。今の世の人々が編纂し、疑いもなく信じている「歴史」を、完全否定しなければならないとは思っていません。しかし、リアルタイムを知る人々の証言を、頭から無視してしまう傾向も、どうかと思うのです。
現在の日本には、「事実」よりも何よりも「空気」が全てを支配してしまう傾向があります。新たな事実を作り上げ、寄ってたかって他を排除する。
イチローの日米通算安打記録に対しての、多くの日本人の反応。これほど嫌な気分になることは余りない。イチローは大好きです。(ほとんどの人がまだ存在を知らなかった)オリックスでデビューした当時の‟鈴木一郎”時代から、密かに応援していたのです。
「世界記録」を認めないと言っているピート・ローズへの誹謗中傷の合唱、自分が日本人であることが、つくづく恥ずかしくなってきます(イチロー本人も困惑している)。
「世界記録」たりえないのは、当たり前です。どこからどう見ても「参考記録」に過ぎません。そして、それはそれで素晴らしい文句のつけようのない記録です。
それを「世界記録」と認めよと、認めないのはおかしい、というのが、多くの日本人の意見です。ならば、海外から日本にやって来た選手の「日米通算記録」も、日本記録なり世界記録なりとして認めねばならない。でもそんなことはしません。
あるいは、韓国や台湾に於ける記録も同列に扱うべきなのですが、王貞治の「868本」を世界記録として認めよ、と主張する同じ人々が、韓国リーグの選手の(王を上回る)記録を、鼻でせせら笑って、アジア記録として認めようとは絶対にしない。何をアホなことを宣っているのかと、完全無視です。
ネトウヨ、いや、大多数の日本の市民の、歪な「愛国心」には、ほとほと嫌気がさしています。
「沖縄」の問題。沖縄の主権を求め、日本政府に反発する地元の人々や、地元メディアの「琉球新報」「沖縄タイムス」を、「プロ市民」「売国奴」と誹謗する、沖縄は当然日本の一部、と信じて疑わない多くの‟健全な”日本人たちの存在を、本当に悲しく情けなく感じます。
同じ人たちが、中国のチベット・ウイグル支配や台湾統合に対しては、全く逆の意見を叫んでいる。その人たちに、中国のウイグル・チベット・台湾支配と、日本の沖縄支配に、どこに違いがあるのか? 明確に答えて欲しいのです。
日本人の志向パターンは、中国や北朝鮮の人々の志向パターンに、(本人たちが気が付かない間に)限りなく似てきてしまっているように思います。
先日、口永良部島沖を中国艦が‟領海侵犯”するという出来事がありました。この地域は、何十回も通い続けた僕のフィールドです。「北琉球」の自然/生物地理学的な位置づけ(とそれに基づく人文分野の基盤)については、トータルで見れば、僕が世界中で最も詳しい、と自負しています。なんで僕に聞かないのかと(笑)(そのためにも早く「現代ビジネス」をスタートして欲しい)。
ネットでこの問題について、チェックしてみました。青山繁晴さんという政治学者?が、詳しい論評を行っていました。同姓のよしみもあって(笑)、じっくりと耳を傾けてみました。非常に分かりやすい論評で、同意する部分も大いにあるのですが、根本的な部分で、決定的に考えが異なります。
一例。尖閣列島周辺の国境線について。中国の国家機関の発行したある時代の地図に、はっきりと尖閣の中国寄りに国境線が引かれていた、その時点で中国の国家が認めていたのだから、今更異議を訴えても後の祭り、というのが彼の意見のようです。
でもなぜ、それだけを取り上げなければならないのでしょうか? 確かに一つの事実です。しかし、別の‟事実”が他にも多数あります。それ以前にも、以降にも、同じような、そしてそれぞれ異なった見解が存在するはずです。
人類成立以前に遡って検証してこそ、本質に迫ることが可能になる、と言うのが僕の持論なのですが、今はそれは置いて考えましょう。人間の有史以降に限っても、今に至るまで、互いに様々な主張を繰り返し続けてきた。なぜ、自らに都合の良い部分だけを取り上げて、日本の言い分の正統性を主張しようとするのか、僕にはさっぱり分からない。「俺のものだから俺のもの」と言っているようにしか思えません。日本の姿勢も、冷静に見れば、中国とちっとも変わらない。
ちなみに、国境線について僕がこれまでも言い続けていることなのですが、、、、中国の地図には台湾と与那国島の間に明確に国境線が引かれていて、そして、あれだけ躍起になって、あらゆる地図に南沙諸島と周辺各国との間のライン引きを徹底しているにも関わらず、ほとんどの中国の地図には、八重山と尖閣の間の国境線は引かれていない。敢えて曖昧な処置を取っているとしか思えません。深謀遠慮な、大きな意味が隠されているようにも思えるのです。
追記。台湾-与那国島間のラインに関しては、中間からだんだん与那国に近寄っている、、、そして、今やラインの右側の網の部分が与那国に被さってしまっている(笑)。果たして「笑」で済ませてしまって良いことなのでしょうか?
そして、東シナ海の中で、尖閣とは対極に位置づけされる「北琉球内縁諸島」(口永良部島もその一角)の、中国にとっての意味。
中国は、明らかに「沖縄」を狙っています。自国の領土にするということではなく、まずは「日本」から切り離す、という形で。
今こそ全ての日本人が、「琉球とは何か」という問いに、根源的な部分から向き合う必要があると思うのです。
元日早々、嬉しいことがありました。
朝から「ゆめタウン」のスタバに出向いてドリップ・コーヒー380円を注文、一日そこで籠城します。昼食は餃子の王将のハーフ餃子定食510円、大変な贅沢なんですが、お正月ということで許して頂きたい。
餃子屋さんの前で、突然「青山さん!」と呼び止められた。若い女性の2人連れです。誰だかわからない。失礼を承知で、どなたでしたっけ?と問い正しました。
近くのファミレス「ジョイフル」で働いていた高校生(隣の近畿大学の付属校)のIさんと、もう一人のスタッフの方。Iさんは(これも失礼ながら)まだ子供っぽかったのが、すっかり大人になっていて、誰だか分らなかったのです。
2022年の秋、福岡(飯塚市)に越してきてから丸一年間余、ほとんど毎日のように、ジョイフル(アパートから5分)に籠城して、Wi-Fiを拾いつつ原稿を執筆していました。スタッフの方々も、応援してくださっていた。殊にIさんは(どこで調べたのかわからないのだけれど)僕の素性を知っていて、僕の本を買って読みます、と言ってくれていた。それには及ばないですよ、今作っている作品(「中国胡蝶野外観察図鑑」と「近所の森と道端の蝶」)が完成したらいの一番に差し上げるので、と応えていたのです。
とにかく、スタッフの方々みんなが応援してくれていた。ところが、唯一店長(それも途中でやってきた若者)がとんでもなくムカつくやつで(飯塚の人達のほとんどの方々は親切で感謝しているのだけれど、この店長を含む3人~某交番のオマワリ、某水道局職員~だけとんでもないクソがいる)、余りに嫌がらせをするものだから警察に訴えたところ、逆恨みされて(カスタムハラスメントだというのだそう)、入店禁止になってしまったのです。
その後スタッフの人たちが随分心配してくれている、というのも伝え聞いていたし、正式な形で店長を訴えるべく、本店社長に対して訴えの内容証明文を送ろうと試みたのだけれど、その経費が予想外に嵩むこともあって、諦めていたのです。2024年春にはIさんは大学に進学するとのことで、連絡がつかないままになってしまっていました。今は大阪の本校に進学して勉学に励んでいる由、今度こそ出来上がった作品を送って喜んで貰えそうなので、ずいぶんホッとした気持ちになっています。
去年の夏に18年ぶりに屋久島を訪れた頃から、「世の中、数多くの敵がいる分、実は味方も沢山いるのだ」ということが、朧気ながらわかるようになってきました。
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結局、ブロンズ像は、銀座の有名古物商に即金10万円で売り払い、あかね書房から生涯印税前払いとして4万円を前倒し振り込みいただき、その日のうちに格安航空チケットで(ノービザ滞在規制が解除されたばかりの)中国に向かうことにしました。中国産の未記載ヘツカリンドウ近縁種の開花期にギリギリ間に合います、まずその探索を最優先しなくてはなりません。香港経由で現場の広東省恵州市象頭山国家自然保護区へ向かい、一応2泊3日のスケジュールで日本に戻ってくる予定でした。
しかし、山中を50km歩き回って探索したのにも関わらず発見できず、その後、転進して向かおうとした場所は外国人入境禁止(後で知ったのですが同じ日に中国人のカメラマンがそこで多数のヘツカリンドウ近縁種を撮影した由)、探索を諦めるしかなくなってしまいました。
それどころか、信じられないほどの様々なアクシデントに遭遇(多くはパソコン・スマホ関係、余りに多すぎて書ききれない)、極めつけは、原則として大半を残しておく予定だった全財産(出発直前に、去年夏頃までは海外でも使えた今使用中のキャシュ・カードが使えなくなったことが判明し、全額を現金に換金)が、(極めてイレギュラーな形で)盗まれてしまった。
ギブアップして、とりあえず帰国しようとしたのだけれど、帰路のチケットを買ってもらう手はずになっていたモニカとは(スマホなどでの)連絡が取れず、結局香港空港で寝ずに3日間待った後、大阪の植物園元館長氏の計らいで、辛うじて年末帰国が叶ったのです。
14万円という虎の子の全財産が、何一つ目的を達成することなく、泡のごとく消え去ってしまったことも無念極まりないのですが、それ以上に(3日間寝なかったことで)体調を完全に崩してしまい、またぞろ急性肺炎まがいの状況に陥ってしまっていることが、悔しくてなりません(もう一日帰還が遅ければ万事休すだったと思う)。
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香港~福岡便は、ちょうど、韓国の航空機大惨事の直後のフライトだったのですね。福岡空港でも以前同様の事故が何度か発生していた由、心配でした。
飛行機は空中を飛ぶのがメインの仕事で、地上を走るのは付随的な仕事に思われがちですが、むしろその苦手部分にこそセフティ・ケアを注がねばならないのですね(着陸後すぐに立ち上がってうろうろしだす乗客をスチアーデスが必至で制御する様は毎度のこと)。
なのに、滑走路の先の、まさかの「壁」の存在。韓国交通省は「基準(ルール)を守っているから問題なし」というのだけれど、そういう問題じゃないですよね。
「“なぜ事故が起きたか”と“なぜ被害が大きくなったか”は別の議論」 と指摘するコメントがありました。
まさにその通りだと思います。すべての事象は、「例外」の積み重ねから成り立っています。
ルールは、例外(ルールの外)を基準に設定しなくてはならない。必要だけれど、絶対的なものではない。いわば、常に動いている“生き物”だと思うのですね。