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青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

Happy Birthday Johnny !!

2025-04-20 16:37:17 | アメリカン・ポップスearly60’s

 

今日420日は、ジョニー・ティロットソン87歳の誕生日です。

60年間余、楽しい歌を届け続けてくれて、ありがとう。ゆっくり休んでください。

今週末には僕も77歳になります。あと10年は頑張らなくっちゃ。

 

毎日就寝前には、アメリカン・ポップスを聴いています。Bert Kaempfertを別にすれば、ここ暫くガール・ポップス(お気に入り女性シンガーのオムニバス)とジョニーの「マイ・ベスト」を交互に聴いていて、その組み合わせは、その折々で変化していくのですが、41日には、暫く前にセッティングした、My Johnny’s Best14曲を聞いていました。その時々の気分で曲の編成は異なります。大抵の場合は、多少なりとも選曲や配列順に何らかの統一性や思惑があるのですが、今回は、たまたまアットランダムに選曲・編成したセット、でも意外に(殊に配列順に関して)しっくりくるので、今後はこのセッテイングを「(MyJohnny Tillotson’s Best2025年)」として統一したいと思います。オリジナルのJohnny Tillotson’s Best1961)とは、5曲が重なります。

 

ウイズアウト・ユー Without You

https://www.youtube.com/watch?v=PqEM08yRFnk&list=RDPqEM08yRFnk&start_radio=1

 

7枚目のシングル。9曲目のビルボードHot100チャート・ヒット曲(ビルボードHot100最高位=以下同=7位、196187日~1030日:13週間)。ティロットソン自身の作詞・作曲。フランスの国民的歌手ダリダ、「キング・イズ・ゴーン」で知られるCW歌手ロニー・マクドウェルなどのカバーあり。

 

夢の枕を Send Me The Pillow That You Dream On

https://www.youtube.com/watch?v=c1-SKk6kvTg&list=RDc1-SKk6kvTg&start_radio=1

 

10枚目のシングル。12曲目のHot100チャート・ヒット(17位/CW11位/AC5位、1962811日~1110日:トータル15週間)。ハンク・ロックリン1949年の作詞・作曲。ほかにビルボードのチャート・ヒットは、1958年にロックリン自身(77位/C&W5位)、1960年ザ・ブラウンズ(56位/CW23位)、1965年ディーン・マーティン(22位/AC5位)、1981年ザ・ホワイツ(C&W66位)。

 

ホワイ・ドゥ・アイ・ラブ・ユー・ソウ Why Do I Love You So

https://www.youtube.com/watch?v=nRk6sLhywLo&list=RDnRk6sLhywLo&start_radio=1

 

3枚目のシングル。4曲目のHot100チャート・ヒット(42位、1960118日~418日:14週間)。クリフォード・ローズ作詞・作曲(ティロットソン盤がオリジナル)。タイで1位、現在でも唄われる国民的ヒット曲となっている。

 

トーク・バック・トレンブリン・リップス Talk Back Trembling Lips

https://www.youtube.com/watch?v=oQj1Zu_PJ3U&list=RDoQj1Zu_PJ3U&start_radio=1

 

15枚目のシングル(MGM移籍後の初リリース)。18 曲目のHot100チャート・ヒット(7位/AC6位、1963119日~19642月1日:13週間)。ジョン・D・ラウダーミルク作詞・作曲。ジョニー盤に先駆け、アーネスト・アシュワーズ盤が101位/C&W1位(1963年)。多数のC&W歌手によるカバーあり。

 

ポエトリー・イン・モーション Poetry In Motion

https://www.youtube.com/watch?v=QUuwQipUJC4&list=RDQUuwQipUJC4&start_radio=1

 

5枚目のシングル。7曲目のHot100チャート・ヒット(2位/R&B27位、19601010日~1961年1月16日:15週間)。作詞マイク・アンソニー、作曲ポール・カウフマン(ティロットソン盤がオリジナル)。イギリスで1位。日本では4年後の1964年に発売され大ヒット。ボビー・ヴィー、パット・ブーン、クリフ・リチャード、ファーリン・ハスキー(替え歌)ほかのカバーあり。

 

涙くんさよなら Good-bye Mr. Tears

https://www.youtube.com/watch?v=iz1o1mYWlss&list=RDiz1o1mYWlss&start_radio=1

 

ティロットソンの依頼により、浜口庫之介が作詞作曲。1965年にティロットソン盤、坂本九盤、1966年にマヒナスターズ盤、初代ジャニーズ盤がリリースされ、ティロットソン盤(A面は彼自身の訳詞に拠る英語、B面日本語)が大ヒット、翌1966年にはスペイン語版がアルゼンチンで大ヒット。

 

ユアー・ザ・リーズン You’re The Reason

https://www.youtube.com/watch?v=_FKldxVDcxE&list=RD_FKldxVDcxE&start_radio=1

 

28枚目のシングル、5年ぶりのCWチャート・ヒット(C&W48位、196711月11日‐1968年1月13日:10週間)。1960年に作者の一人であるボビー・エドワーズ盤(11位/C&W4位)、ハンク・ロックリン盤(107位/C&W14位)、ジョー・サウス盤(87位/C&W16位)。ほかに、フレディ&ザ・ドリーマーズ117位(1965年)、ジョン・レックス・リーブスC&W90位(1981年)、ネーヴェル・フェルツC&W55位(1982年)、アーサー・アレクサンダー、ハンク・ウイリアムス三世らのカバーあり。

 

カントリー・ボーイ Country Boy, Country Boy

https://www.youtube.com/watch?v=CJHVpo4U7Bs&list=RDCJHVpo4U7Bs&start_radio=1

 

ティロットソンと最初の夫人ルシル・コセンザの共作。1967年に日本でトップ10ヒット。本国で最後のメジャー・ヒットとなった「ユアー・ザ・リーゾン」が底抜けに明るいカントリー・ナンバーだったのと対照的に、日本での最後のヒットとなったこの曲はマイナーな曲調のカントリー・ナンバー。日本語バージョンあり。

 

涙ながらに It Keeps Right On A Hurtin’

https://www.youtube.com/watch?v=RnTVLfRDknk&t=4s

 

9枚目のシングル。11曲目のHot100チャート・ヒット(3位/C&W4位/R&B6位、1962512日~915日:トータル18週間)。ティロットソン自身の作詞・作曲。60年代にHot100/C&W/R&B3チャートでベスト10に入った曲は、ほかにジョニー・ホートンの「アラスカ魂」、スキーター・デイビスの「この世の果てまで」の2曲だけ。62年度グラミー賞ノミネート。マーガレット・ホワイティング(115位/AC281968年)、ビリー・ジョー・ロイアル(CW171988年)、エルヴィス・プレスリーほかカバー多数。

 

恋はつらいね Heartaches By The Number

https://www.youtube.com/watch?v=SiJaKQ8DQIE&list=RDSiJaKQ8DQIE&start_radio=1

 

22枚目のシングル。25曲目のHot100チャート・ヒット(35位/AC4位、1965828日~1030日:10週間)。「涙くんさよなら」が日本でヒットしていた時に本国でヒットしていた。65年度のグラミー賞にノミネート。ハーレン・ハワード作詞・作曲。1960年、ガイ・ミッチェル(1位)、レイ・プライス(C&W2位)。コニー・フランシスほかカバー多数。クレジットはジョニー・ティロットソン&ジ・アニタ・カー・シンガース。

 

キューティ・パイ Cutie Pie

https://www.youtube.com/watch?v=2Bb6RJzJ7p4&list=RD2Bb6RJzJ7p4&start_radio=1

 

1961年のヒット「ウイズアウト・ユー」のB面で、同じくティロットソン自身の作詞作曲。1963年秋、日本に於けるティロットソンの初ヒットとなった。同年夏にアルゼンチンでNo.1ヒットとなっている。日本では伊東ゆかり盤もヒット、内田裕也、前川清らのカバーあり。

 

くらべられない素晴らしさ Match Beyond Compare

https://www.youtube.com/watch?v=X806cAo_pCM&list=RDX806cAo_pCM&start_radio=1

 

ティロットソン自身の作詞作曲。1961年暮にリリースされた初アルバム「ティロットソンズ・ベスト」の中で唯一のアルバム用書き下ろし曲。1964年日本で「ポエトリー」のB面としてシングル・カットされた。複数のアウト・テイクで異なる歌詞バージョンあり。あるインターネット英語教科書コラムで、文法、発音が最も素晴らしい音楽作品として紹介されている。

 

ジュディ・ジュディ Judy, Judy, Judy

https://www.youtube.com/watch?v=ibjZpPNY2z4&list=RDibjZpPNY2z4&start_radio=1

 

ティロットソンとドク・ポーマス、モート・シューマンの共作。1963年秋、ケイデンスでの最終録音曲「ユー・キャン・ネバー・ストップ・ミー・ラヴィング・ユー(18位/AC4位)」のB面にカップリング。本国ではヒットしなかったが、世界的に見ればティロットソン最大のヒット曲といえるかも知れず、台湾、香港、東南アジア各国、オーストラリア、ニュージーランドなど太平洋西南岸各国で軒並みトップ10ヒット、今ではスタンダード・ナンバーとなっている。木の実ナナ、大地真央の日本語盤も秀逸。

 

涙でいっぱい Out Of My Mind

https://www.youtube.com/watch?v=_uLdC7b_odA&list=RD_uLdC7b_odA&start_radio=1

 

オリジナル・バージョンは12枚目のシングル。15曲目のHot100チャート・ヒット(24位/AC11位、196332日~55日:10週間)。ティロットソン自身の作詞作曲。なぜかリアルタイムでは一度もアルバムに収録されていず、1999年に初めて収録アルバムがリリースされた。ここで紹介するセルフ・カバー・バージョンは、2024年リリースの新バージョン(録音年度は未詳)。リアルタイムでは、ジョニー・シンバルのカバーあり(1963年「ミスター・ベイスマン」収録)。

 

グッド・ブラウン・グラービー Good Brown Gravy

https://www.youtube.com/watch?v=PmP3B35tMCY&list=RDPmP3B35tMCY&start_radio=1

 

2023年のリリース(録音年度は未詳)。

https://www.youtube.com/watch?v=_fdVM4ASiBo

 

Johnny Tillotson Interview Video

 

2000年代

 

追悼

The Life and Tragic Ending of Johnny Tillotson

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ジョニーが亡くなったら、インターネット上で(日米それぞれ)どのような反響があるのだろうか、、、もちろん(殊に本国では)全くスルーされてしまうかも知れない、、、片隅にごく簡単な報道は為される可能性はあるとしても。いずれにせよ日本の方が(ごく小さいであろうとはいえ)ニュースとして取り上げられる確率は高いのではないだろうか、、、そんな風に考えていました。

 

日本に於いては、概ね予想通り、でも「ポエトリー」とか「キューティ・パイ」ではなく、“坂本九の「涙くんさよならを」カバーした外国人歌手」という“金太郎飴”的な位置付けですね。予測していたとはいえ、ちょっと残念です。

 

それに対して本国(US)では、予想外とも言えるほど、幾つものパターンで思いのほか詳しく報道されています。そのうちの一つ(Country Life)を上に紹介しておきます。20分に亘る追悼報道の中には、僕の知らなかった内容も含まれていたりして、高い充実度を感じます。

 

聴き進めるうちに、涙が出てきました。もちろん(このようなリスペクトに溢れた報道に対して)嬉しいからでもありますが、悔し涙です。何度も言及しているように、リアルタイムでは、日本に於いて、突出して人気があったはず。それが、現在では、無かったことのようにスルーされてしまっている。本国を含め、欧米や日本以外のアジア各国の報道で見られるリスペクトが全く感じられません。悔しいです。日本という国の(なにもかもその時々の空気に流されて行くという)本質を垣間見たような気がします。

 

 

 

 

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覚悟はしていたのですが、続き

2025-04-04 16:17:45 | アメリカン・ポップスearly60’s

 

 

「屋久島の植物」がとりあえず完成、さて、どのようにして今後の展開に結び付けていくか、苦慮してる毎日です。印刷に回すと1巻3000~4000円がかかるので、とてもそんな余裕はないし、といってCD収納のプレゼンだとアピール力が弱いだろうし、、、。とりあえず一巻だけを印刷し、電気代を支払って、15日に入る(家賃とバーターの)年金を、家賃二カ月分踏み倒して、(「屋久島の植物」を基にした)様々な交渉のための費用に回そうか、等々、いろいろ策を考えているところです。

読者のゆみさんにしろ、三世ジョージ一家にしろ、もしかすると僕以上の苦境に立っているのかも知れず、でも前を向いて一生懸命生きているようなので、僕も挫けるわけにはいかんです。

「トランプ劇場」「斎藤さん劇場」「ミャンマーいろいろ(地震、サギ拠点、政局)」、、、言及したいことは多々ありますが、自分の仕事に専念します。ブログは当分はジョニー関係で。

 

Everything I Touch Turns To Blue

Bing 動画

亡くなる2日前にアップされたジョニーの“新曲”です。

もちろん録音はずっと昔で、、、

バックの演奏や全体の雰囲気が「ファッツ・スパイ」の挿入曲「I Wonder Where is a Girl For Me」と感じが似ているので、だとしたら1966年?ですが、多分もっと後(1980~90年代?)だと思う。

いずれにしろ、これまでに情報が全くなかった曲です。

録音はしても、お蔵入りになっていて、リストにも載っていない曲が多数あるのだと思います。

リアルタイム(ことに1962年前後)の動画もほとんど公開されていないので、今後ナンシーさんの手によって、いろいろと表に現れるのかも知れません。

 

TOMMY ROE - Sadly, Johnny Tillotson, born on April 20,... | Facebook

↑トミー・ロウのフェイス・ブックから。

 

仲良し5人組(左からジョニー、トミー、デル・シャノン、ボビー・ヴィー、、、ブライアン・ハイランドが写真にいない)の数十年前の写真がアップされていました(多分40~50才頃、デルが最年長でボビーが最年少)。デルは数年後にピストル自殺、ボビーは、ジョニーとブライアンがタイでライブをやっていた時にアルツハイマーを患って死去、、、とうとうトミーだけになってしまったですね。みんなの分、元気で長生きしてくださいね。

 

 

 

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覚悟はしていたのですが

2025-04-03 14:50:54 | アメリカン・ポップスearly60’s

 

ずっと覚悟はしていたのですが、、、。87歳の誕生日まで、あと少しだったのに、、、。

ナンシーには、

I was prepared for this, but... it's still sad.
Thank you so much Johnnyfor the past 60 years...

とメールしておきましたが、(日本のファンクラブ会長の)村田さんに連絡が取れないのが心配です。

 

日本での報道は、予想していた通りの、勘違い略歴。むろん本国では、正確に紹介されていますね(一例を次に示しておきます)。

 

Grammy nominated singer Johnny Tillotson dead at 86

Dale Maplethorpe

Wed 2 April 2025 19:44, UK

Two-time Grammy-nominated singer Johnny Tillotson has been announced dead at 86 years old. His wife, Nancy Tillotson, has confirmed that he passed away on April 1st due to complications from Parkinson’s disease.

Nancy Tillotson posted an emotional tribute on social media where she confirmed the news about her husband. Under a photo of them both laughing together, she shared some beautiful words that spoke about their life together and the sad news of his passing. 

“It is with a broken heart that I write to let you know that the sweetest, kindest man I ever met Johnny Tillotson, left earth for Heaven yesterday,” she wrote, “He was my best beloved, Champion of my realm, Knight of my heart.”

She described their life together as a “fairy tale.” Nancy shared, “Someone said, that sometimes right in the middle of an ordinary life you get a fairy tale. The day I met him I got mine. He was funny, generous and kind. A gentleman through and through,” she wrote, “He loved and was grateful to his fans, as he once said, they made every dream I ever had come true. Once again on his behalf I say thank you for that.” 

Tillotson achieved a great deal throughout his life. He was a teen idol in the 1960s, as he captured the hearts of listeners worldwide with his song ‘Poetry In Motion’. This was one of many tracks he released that climbed the charts and cemented him as a fine voice in music. 

Tillotson also received two Grammy nominations throughout his career. The first was for ‘Best Country & Western Recording’ for his track ‘It Keeps Right On A-Hurtin’, and his second was for ‘Best Contemporary (R&B) Vocal Performance’, which he received for the song ‘Heartaches By The Number’. 

His wife, Nancy, concluded the announcement on social media by saying, “Johnny will be missed every single day for the rest of my life. He was simply the best. With all the love I have in my heart for a wonderful man gone too soon from this world.” 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ElvisBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代」

改めて取り組みます。僕の使命でもあると、強く自覚しています。

 

 

 

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Cover songs 50‐60's by Samoan‐singer Pinati Williams

2024-10-19 08:41:27 | アメリカン・ポップスearly60’s

 

アメリカン・ポップス関係の記事が大量に溜まっています。ことに、僕のライフワークの一つでもある、「涙ながらに」のカバー・リストの制作(ついでに「夢の枕を」とセットで)。その過程で、これまでよく知らなかった様々なジャンルのアーティストに接する機会ができました。ここ最近は、女性歌手に熱を入れているのだけれど、どこから紹介していこうか、なかなか踏ん切りがつかない。東南アジア(ことにインドネシア)やオセアニア(オーストラリア・ニュージーランド)編も企画していて、その中でも一押しの、サモアの男性歌手ピナテ・ウイリアムスのオールデイズ・カバー曲集をまず紹介していくことにします。どの曲も最高!です。映像も実に素晴らしい。文句なしのお薦めなので、ぜひ聴いてください。

 

Love Letters In The Sand by Pat Boone (Cover) (youtube.com)

Love Letters In The Sand

1957 Pat Boone(1934-) Hot100 No.1/R&B No.12

1986 Tom T. Hall(1936-2021) C&W No.79

Written by J. Fred Coots, Nick Kenny, Charles Kenny(1931)

 

All I Have To Offer You Is Me by Charlie Pride (Cover) (youtube.com)

All I Have To Offer You Is Me

1969 Charly Pride(1934-2020) C&W No.1/Hot100 No.91

Written by Dallas Frazier & A.L. Owens

 

Diana by Paul Anka (Cover) (youtube.com)

Diana

1957 Paul Anka(1941-) Hot100 No.1/R&B No.8

1965 Bobby Rydel(1942-2022) Hot.100 No.98/Adult No.23

Written by Paul Anka

 

 

Green Green Grass Of Home (Cover) (youtube.com)

Green Green Grass Of Home

1965 Porter Wagoner(1927-2007) C&W No.4

1967 Tom Jonse(1940-) Hot100 No.11/Adult No.12

1968 Skitch Henderson(1918-2005) Adult No.30

Written by Claude Putman Jr.

 

 

I Fall To Pieces by Patsy Cline (Cover) (youtube.com)

I Fall To Pieces

1961 Patsy Cline(1932-1963) Hot100 No.12/C&W No.1/Adult No.6

1970 Diana Trask(1940-) C&W No.37

1977 Mary K. Miller(1957-) C&W No.89

1981 Patsy Cline C&W No.61, 1982 C&W No.54(with Jim Reeves)

1994 Aaron Neville(1941-) & Trisha Yearwood(1964-) C&W No.72

Written by Hank Cochran & Harlen Howard

 

 

It Keeps Right On The Hurting (Cover) by Johnny Tillotson (youtube.com)

It Keeps Right On A Hurting

1962 Johnny Tillotson(1938-) Hot100 No.3/C&W No.4/R&B No.6

1965 Margaret Whiting(1924-2011) Adult No.28

1988 Billy Joe Royal(1942‐2015) C&W No.17

Written by Johnny Tillotson

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本・人類・地球の未来に対する危惧についての断片的考察①ー2

2024-10-14 08:11:01 | アメリカン・ポップスearly60’s

日本・人類・地球の未来に対する危惧についての断片的考察①のつづき

 

60年代後半以降のポップ音楽は、誰もが“金太郎飴”のように、「主張」「反抗」「改革」、そして「愛」「平和」「平等」の合唱です。繰り返して言うけれど、それが本当の改革に繋がるとは僕には思えない。1000の叫びよりも、1の実行のほうが尊いと信じています。

全面否定される(というか頭からバカにされる)ことは承知しています。敢えて言います。「ロック」も「フォーク」も「ブルース」や「ソウル」も、“いかにも”感はたっぷりでも、言葉に“重み(深み、真実味)”がない。僕は、(改革に繋がりうる)真の言葉の重みは、それと気付くことの少ない、ごくありきたりの表現の中に見つけることが出来る、と思っているのです。

誰かがそのような前提で、別の視点から「60年代アメリカンポップス」を俯瞰してくれれば、と思うのですが、(ごくマニアックなものは別として)そのような視点からの言及は、上記の内田樹氏の文章以外に出会ったことがありません。残念でなりません(だから今「涙くんさよならの謎」の物語りを書いているのです)。

60年中期以降に成された「新時代への転換」を主導したのは、主張・反抗・反体制の「ロック」「R&B」「フォーク」を主体とした音楽(及びその周辺)カルチャーに関わる人々であることは確かでしょう。

しかし、その転換期には、「C&W」およびそれに基づく当時の「ポップス」も、別の次元から(ポジティブであるかネガティブであるかはともかく、そして非常に複雑な形で)大きく関わったはず、ということは先に書きました。

当時のポップカルチャー(大衆文化)の代表でもあった「アメリカンポップス」と、その一方の生みの親でもある「カントリー音楽」の関係には、極めて複雑な背景があるようです。以下はその一例。

Billboardのヒットチャート上では、1950年代中期に社会現象となるほどの爆発的な人気を博したエルヴィス・プレスリー、更に50年代末にかけてのリッキー・ネルソンやエヴァリー・ブラザースら若いポップシンガー達のメジャーヒット曲は、C&Wのチャートでもグロスオーバーして大ヒットするのが当たり前でした。

しかし、60年代に入ると、50年代後半の蜜月関係から一転して、両ジャンルに跨るクロスオーバーヒットが、ピタリとなくなってしまいます。60年代の中期に至るまで、両陣営は、互いのヒット曲を全く受け入れない(Popチャートのほうには、ごくまれにC&Wの大ヒット曲がランクされはしたが、C&Wチャートには、カントリー調のPopヒットは、ほぼ全く登場しなかった)鎖国状況が続きました。黒人歌手と白人歌手のヒット曲が入り乱れて登場していたR&Bチャートとは対照的に、C&Wチャートは(いくらカントリー要素が強い曲であっても)ポップ歌手の曲を断じて受け入れはしなかったのです。

不思議なことに、その全く同じ時期(ビートルズがアメリカに来襲、ボブ・ディランやモータウン勢が台頭するまでの数年間)、アメリカの一般大衆に最も受け入れられていたのが「ポップ・カントリー」です(「ナッシュビル・サウンド」もほぼ同義語、当時は、主にポップ歌手によるカントリー調の楽曲に対して呼ばれていたように思いますが、現在では「ポップ・カントリー」も「ナッシュビル・サウンド」もC&W界の歌手による楽曲に対してのみ使われているようです)。

カントリー要素がごく強い曲だけでなく、一般のヒット曲も、程度の差はあれカントリー的な要素を持ち合わせていました。

アメリカ文化の象徴ともいえるポップ音楽の世界は、カントリー系のポップヒットが大多数を占めていたのです。

にも拘わらず(だからこそ?)、ポップ界とカントリー界の交流遮断、これを一体どのように解釈すればいいのでしょうか? ことに「ポップカントリー」が興隆の極みにあった62年は、極めて僅かな例外を除き、両陣営の曲がクロスオーバーしてそれぞれのヒットチャート上位に現れることはなかったのです(唯一の例外がジョニー・ティロットソンの「涙ながらにIt Keeps Right On A Hurting」と「夢の枕をSend Me The Pillow That You Dream On」)。

カントリー界からすれば「親(カントリー)離れした手に負えない子供(ポップカントリー)の出現」あるいは「軒を貸して母屋を取られる」というところでしょうか。新時代到来の直前に、別の形での「大人と子供の家族内対立」があったわけです。

1962年は、ジョニー・ティロットソンが「涙ながらに」で(60年の「ポエトリー」に続く)2度目のブレイクを成した年でもあるとともに、“ポップス黄金期”の主役たちが、最も光り輝いていた年でもあります。同時に、イギリスのビートルズやアメリカのビーチ・ボーイズらの、新時代のアイドルたちがブレイクの兆しを見せ、ボブ・ディランを旗手とした、“メッセージ”を込めた新たな歌の担い手たち”も、虎視眈々と台頭の機会を狙っていたのです。

そして、「天地変異」が起こりました。ビートルズのアメリカ来襲。ある意味成熟の極みに達し、膨らみに膨らんだ「the Golden Age of American Pops」は、その頂点で、一気に破壊したのです。

ところで、ジョニー・ティロットソンをはじめとした“旧時代”のティーンアイドルたちは、ビートルズの出現によって、すべからく“駆逐”されてしまった、というのが定説となっています。それは事実なのでしょうか? 答えは「そうである」、と同時に「そうではない」。二つの相反する、別次元の“事実”が存在するのです。すなわち「天地変動により崩壊した」「崩壊とともに天地異変が起こった」(鶏と卵の関係)。

ビートルズの出現を境に、旧時代のティーン・アイドルたちが駆逐されてしまったのは、紛いもなき事実です。「狭間の世代24人衆」の、ビートルズ登場の1964年を挟んだ前後数年の、ビルボード・トップ10ランクイン曲数の推移を見ていきましょう。

年度、トップ10曲数(アダルトのみのトップ10曲を加えた数)、Johnny Tillotsonのトップ10曲数(同)。*原著では表で表示。

1962年 37(49) 1(3)

1963年 21(37) 1(2)
1964年 11(24) 1(3)

1965年 03(14) 0(1)
1966年 03(04) 0(0)
1967年 02(02) 0(0)

一目了然ですね。64年以降のビートルズ達の登場と共に一気に消えてしまった、というのは、間違いのない事実ではあるようです。

でも、それとは違う見方も出来ます。ジョニー・ティロットソンたちティーン・アイドルの衰退と、ビートルズ以下ブリティッシュ勢の台頭は、それぞれ個別に起こった現象であると。時代の要求が、旧勢力を廃し、新勢力を求めていた、、、たまたま、そこにビートルズたちが出現した、そうは考えられないでしょうか。

もし、この時(64年春)にビートルズが登場していなくても、それに代わる“誰か”(おそらく今では無名のアーティスト)が、その役目を担っていたはずです。

次章で紹介する“狭間の時代のシンガー24人衆”についての表を、改めて眺めて下さい。連続ヒット期間が10年近くに亘る2人の女性歌手コニー・フランシスとブレンダ・リーを除けば、大半の歌手の“賞味期限”は、5~6年というところです。

ということは、初ヒットが早ければ早いほど、ヒット・チャートからの退場も早い。少なからぬ歌手が、ビートルズ登場より、かなり前からヒット・チャートから姿を消したり、勢力が衰えたりしているわけです。

逆に、登場が遅い歌手はより遅くまで、すなわちビートルズ登場後も1~2年間は、ヒット曲をチャートに送りこんでいる傾向があります。ついでに言えば、早めに退場した歌手には、もう一回復活の機会が与えられている傾向もあります(復活というよりも一発ヒット、本当に復活したと言えるのは、ポール・アンカとニール・セダカの2人だけ)。 

ビートルズの登場と、自らの退場が、見事に完全に重なるのは、ディオン。50年代の末から60年代前半にかけての5年間余、Top10ヒットを連発、それが64年1月の「ドリップ・ドロップ」をもって、突如途切れます。以降(メッセージソングでの突発的一時復活があるとはいえ)、Hot100からも、ほとんど姿を消してしまうのです。

彼の場合は、ティストがビートルズと重なるので、そのために見事にとって代わられてしまった、ということもあるのでしょうが、実際のところは別の理由があったようです(薬物中毒のためとも言われています、、、ちなみに2000年代に入って最も溌剌と活動を続けているのが、彼ディオンです)。

「フォーゲット・ヒム」で打ち止めのボビー・ライデルや、「ロデイ・ロー b/w ホッカ・トッカ」が最後のビッグヒットとなったチャビー・チェッカー、「フールス・ラッシュ・イン」「フォー・ユー」「ザ・ベリー・ソート・オブ・ユー」の “ロッキン・スタンダード”3部作で最後の踏ん張りを見せたリック・ネルソンも、それに近いといえるかも知れません。もっともリッキーの場合は、7年半も連続ヒットを続けてきたわけですから、この辺りでの退場は、仕方が無いことなのだと思います(さすがに彼は、ヒットパレード界の第一線から退場後も、メジャーヒットの「シー・ビロングス・トゥー・ミー」「ガーデン・パーティー」をはじめ、時折C&Wチャートなどに顔を出しています)。

ビートルズ登場よりも少し前に、勢いが衰えていたのは、ニール・セダカ、ジミー・クラントン、ボビー・ヴィー、ボビー・ダーリンといった面々です。二人の“ボビー”は、早めに退場した分、後(66年)に一次的復活(ヴィーは「すてきなカムバック」など、ダーリンは「イフ・アイ・ウァー・ア・カーペンター」など)、もう一人の“ボビー”、ライデルは、より遅くまでメジャーヒット(「フォーゲット・ヒム」)を放っていたため、復活の機会は無し、という図式です。

ジョニー・ティロットソンは、ビートルズ登場の後も、丸2年間頑張りました。ポップスのトップ10に関しては、ディオンやライデルと同様、64年年頭の一曲(「トーク・バック・トレンブリング・リップス」)が最後となり、ビートルズと見事に入れ替わるのですが、その後もポップスのトップ40ヒットや、アダルトのベスト5に入るヒットを何曲も続けます(コニー・フランシスやブレンダ・リーも似た形跡)。

リッキー以外の57年デビー組、エヴァリー・ブラザース、フランキー・アヴァロン、ポール・アンカ(彼とニール・セダカは、70年代に入って大復活を遂げます)といった面々は、ビートルズの登場よりずっと前、62年後半~63年初頭にはヒットパレード界から姿を消しています。
逆に、56年に初ヒットを放つも、その後丸4年間ヒット曲が無かったロイ・オービソンや、61年初ヒット組の、ジーン・ピットニー、デル・シャノンらは、出足が遅れた分と、ビートルズやストーンズと何らかの縁があったということも関与してか、ビートルズ登場後の64年-65年にもTop10ヒットを持ち、その後も何年か、チャートヒットを続けていました。

さらに62年初ヒット組の、ボビー・ヴィントン、ヴィック・ダナ、トミー・ロー、ルー・クリスティーらになると、チャートヒットはより遅くまで続きます(もっとも後2者は、60年初ヒットのブライアン・ハイランド共々、ヒット曲が連続せず、1年前後おきに、断続します)。ヴィントンは、24人衆のなかで例外中の例外で、断続してもすぐ復活し、60年代のみならず、70年代を通して、第一線で活躍し続けます。

いずれにしろ、彼らの退場は、ビートルズの登場と、直接の関係があるわけではないのです。引き金となった要因~大衆が新しい波を求めていた~は同じだとしても。片方は、それに乗って登場し、片方は、それに流されて退場したというわけです。周囲の状況とは関係なく、自らが息切れしてしまった、ということもあるでしょうし、結婚によって、“アイドル”としての存在意義が薄れてしまった、ということも関係しているかも知れません。 狭間の歌手たちの衰退と、ビートルズらの台頭が、たまたま見事に一致した、それだけです。むろん、時代の要求によって、そうなったのには違いないのですけれど。

次の表(*原著では2種の表で表示)は「狭間の世代24人衆」の、デビー(初ヒット)からの連続ヒット(一年以内の間にHot100チャートインを継続)の期間です。

初ヒット(Billboard Hot100)から最終連続ヒットまでの年数。最も短いのがLesley Goreで4年3カ月19曲、以下Frankie Avaronの4年7カ月24曲、Jimmy Clantonの4年8カ月11曲、Vic Danaの4年9カ月13曲、Freddy Chanonの5年1カ月20曲(7年2カ月22曲)、De Shannonの5年2カ月16曲、The Everly Brothersの5年7カ月34曲(7年8カ月36曲)、Bobby Rydelの5年8カ月30曲、Bobby Veeの5年9カ月29曲(8年8カ月37曲)、Gene Pitneyの6年21曲(8年24曲)、Dionの6年1カ月28曲、Chubby Checkerの6年1カ月31曲(7年3カ月32曲)、Paul Ancaの6年6カ月34曲、Bobby Darinの6年8カ月33曲(10年8カ月40曲)、Roy Orbisonの6年8カ月28曲、Neil Sedakaの7年3カ月20曲、Johnny Tillotsonの7年3カ月26曲、Rick Nelsonの7年6カ月50曲、Bobby Vintonの8年1カ月36曲(15年46曲)、Brenda Leeの9年50曲(11年51曲)、Connie Francisの9年5カ月55曲。

*()内は連続ヒットの基準をやや緩やかにした場合の集計。Brian Hyland、Tommy Roe、Lou Christieはヒット曲が断続するので除外。

その因果関係はともかく、「旧世代」と「新世代」が見事に入れ替わっているのは、事実なわけです。ビートルズがアメリカ上陸を果たした64年初めに巨大な波が押し寄せ、その2年後の66年前後には、ほぼ完璧に入れ替わってしまったことになります。

ジョニー・ティロットソンに関して言えば、ビートルズの初チャート週に最後のTop10から陥落、しかしその後も丸2年間、激動する新世代音楽に混って第一線に踏みとどまったのですが、力尽きて65年最終週を最後にBillboard Hot100チャートに別れを告げます。

面白いいことに、直後の66年初頭から、それまでリリースは繰り返していてもヒットに結びつかないでいた、年齢の上では同世代(あるいはむしろ上の世代)の将来の大物歌手たちや、あるいは、なぜかその期間(60年代前半)だけヒット曲が途切れ低迷していた以前からの大物アーティストたちが、一気に台頭あるいは復活してきたのです。

それは、単に歌手や楽曲が入れ替わったというだけではなく、様々な仕組みや現象も一転してしまいました。例えば、、、66年以降になって、それまでの数年間(ちょうどティロットソンの活躍期間に当たる60~65年)ほとんど記録されることのなかった公認ミリオンセラー曲が、次々と出現したこと。

ヒット曲のHot100へのチャート期間が、大幅に伸びたこと(ジョニー・ティロットソン自身は、どちらかと言えば、チャート期間が長いほうだった)。

カントリー界の鎖国(ポップカントリーの勘当?)が解け、カントリー系ポップシンガーの曲が、C&Wチャートも多く現れるようになったこと(以上3点は、新たな現象ではなく、60年以前の状況に戻った)。

60年代前半までは、一曲につき2分30秒前後(1分半~3分)が常識だった曲の長さが、大幅に増えて4分前後の曲も珍しくなくなってきたこと(その嚆矢は66年暮れのビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレイション」)。

曲にプロモーションビデオがセッティングされたこと(ついでに言えば、日本でジャケットが総カラーになったのは64年前後、ただし欧米では50年代末からカラージャケットになっていた)。

その転期には、必ずしも全く新しく成された事例だけではなく、ちょうどジョニー・ティロットソンたちが活躍していた60年代前半を挟んだ“特別な期間”(すなわち「ポップス黄金期」)だけを例外期間として、以前の状況が改めて復活したものも含まれています。

ジョニー・ティロットソンの第一線での活動期間は、その“特別な期間”に、見事にすっぽりと収まってしまいます。まるで意識的に彼(をはじめとする“狭間の世代”の面々)を仲間外れにしているような(笑)。

ポップ音楽とアメリカ文化(政治・経済・宗教も)は、川崎氏の指摘のように、密接に係っています。そのことを踏まえて、源流としてのロックやジャズやR&Bとポップ音楽との関係については、多くの人々が、様々な問題提起を行い、関係を考察し、歴史を堀り起こす作業を行っています。

しかし「ポップス黄金期」(とその母体を成すと言えるカントリーミュージック)は、現在のポップ音楽の源流に直接つながらない無関係な(あるいは厄介な、目障りな)存在と見做され、存在自体がスルーされてしまっているように思えてしまう。

「American pops of Golden age」は、アメリカ文化の一完成形であるとともに、歴史の波に洗い流されてしまった幻の楼閣です。あるいは、現代ポップスに、源流とは異なる方向から流れ込む「幻の巨大な湖」と言って良いでしょう。当時の主役でありながら、現代に連なるポップ音楽の流れから見れば、それとは無縁の“特別な空間”に咲き誇った仇花なのかも知れません。

だとしても、「新時代のカルチャー」がスタートした時にそこにあった背景は、その時点での完成形としての文化「特別な空間=ポップス黄金時代」です。評価や好き嫌いは別として、それに対する認識をきちんと行わなっておかないことには先に進めないのではないかと思うのです。

でも、(僕の知る限り、唯一当時のポップスとカントリー音楽の関係について多くの的確な評論を著わし続けてきた高山宏之氏を除き)誰一人として、正面から取り組もうとはしない。そして、有無を言わせず「旧時代のポップ音楽」を無視する(または蔑む)ことで、結果として60年代中期以降の(現代に繋がる)「新時代ポップ音楽」(及びそのルーツとされるロックやジャズやR&B)の正統性をより強調しているように思えてなりません。

ある意味、ジョニー・ティロットソンは「特別な時代」の象徴的存在です。なぜ、Johnny Tillotson的なものが排除され、非Johnny Tillotson的なものが評価されるようになったのか?無視・軽蔑・排除の対象となったJohnny Tillotson的なものとは何か?

ジョニー・ティロットソンで、すぐに思い浮かぶフレーズは、

まず、「ビートルズらに駆逐された旧世代の代表」。

ポジティブには、「ポップスとカントリーを結びつけたティーン・アイドル歌手」

日本に於いては、「日本とアメリカでヒット曲が全く異なる」。

オールデイズにある程度詳しい人なら、この三つのどれかを答えるでしょう。

さらに細かく彼特有の現象を示すと(マニアック過ぎて誰も知らないでしょうが、笑)「コンスタントヒットメーカー、デビュー以来7年余23枚のシングル盤が全てBillboard Hot100にチャートインし、3曲続けてランクポジションが下降したことが一度もない」「リリースしたシングル盤の曲調が、毎回ガラリと異なる」「24人衆+1組中、女性2人と後発のボビー・ヴィントンを除いては、他ジャンル(Adult- componteraly,C&W, R&B)とのクロスオーバーヒットが際立って多い」。

それらの現象(後3つはともかくとして)は、「旧世代音楽」と「新世代音楽」の関係、ひいては現代アメリカのカルチャーや人々の思想の形成を考える上に於いて、意外に大きなカギを握っているのではないかと思うのです。ジョニー・ティロットソンの(それが微々たるものだとはしても)功績と航跡を探ることで、何かが見えてくるのではないかと。

ジョニー・ティロットソンは、ビートルズの曲を、一曲も取り上げていません(メンバーの作った曲だけでなく、レコーディングした全ての曲を)。同時代のメジャー歌手としては、異例中の異例でしょう(ちなみにエルヴィスとは数十曲が重なる)。偶然ではないと思います。67年、自作の「Long Hear Commitiiビートルズなんて怖くない=仮邦題」に見て取れるように、彼なりの意地や反発があったのかも知れません。

僕は、思想的にはリベラルな、いわば左寄りの(それも相当過激な)立場にあると自認しています。しかし、いわゆる左寄りの文化人の多くに対しては、かなりの違和感を持っています。素直に信用できない、というか、言っていることと、実際の行動が違うのではないかという想いがあります。あるいは、いかにも高尚なかっこいい言葉や行動の中に、どうしようもない薄っぺらさを感じてしまう。僕は自分で思っているようなリベラルな人間ではないのでしょうか? ほかの人々より感受性が劣っているのでしょうか? それとも、よほど頭が悪いのでしょうか?

馬鹿にされることを承知で言います。僕は「環境破壊」に反対するために、生涯車を運転しませんでした。世界人類の平等な平和を願うために、自らの家庭を築くことを放棄してきました。路傍で物乞いする人々には、仮に自分が100円しか持っていないときでも、応えてきました。「そんなのまるで意味がない、単なる自己満足」と言われても構わない。実践が可能なことを実践しているだけです。

でも、「愛」や「平和」を、まるでファッションのように捉え、自分では少数派で革新的な思考の人間と思い込み、実のところは大衆迎合の多数派にほかならない、リベラルを(無自覚に)装った口先だけの平和・平等主義者よりはマシだと思っています。

もう一度、川崎氏と内田氏のsymmetricな文章を、ピックアップしておきます(◆:川崎、■:内田)。70年代以降の主流ポップス(ロックやソウルなど)に対する礼賛と、それらに対する疑問視(違和感)の対比です。

1970年代以降のロックのみならず、ソウル音楽が、ファンクが花開き、ヒップホップにまでつながっていく道筋が形作られていった。

■1977年を最後に私たちが聴くことになった音楽では、シンガーたちは怒声を挙げ、権利を主張し、罵声を浴びせ、ついには無機的な機械のように痙攣的な発声をするようになった。

 ◆「必要なときにはいつでも立ち上がり自らの意思を表明する」アメリカの大人。

「泣くべきときに正しい仕方で泣ける」ような情緒的成熟を果たした男。

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本・人類・地球の未来に対する危惧についての断片的考察①

2024-10-13 20:43:06 | アメリカン・ポップスearly60’s
三世から何の脈絡もなく唐突にこんなメールが来ました
>ジョニー・ティロットソンの曲はハッピーだから日本から消されたんですか?
タイはハッピーが好きなのでまだ残ってるんですか?
先進国はハッピーを失っていますね。変態だらけです。
 
僕の返信
>>まさにその通りです!
非常に大きな意味を持っています。
現在の世界情勢(様々な地域での紛争・戦争)にも繋がります。
ビートルズが世界(特に日本)を滅茶苦茶にしてしまったのです。
 
このあと、
●日本人の起源に関するプロパガンダに対しての危惧
●屋久島と奄美大島の相関性から探る東アジアの本質
●ドジャースWヘルナンデスと逆差別としての人種問題
●ノーベル平和賞と人類の決断~銃・車・エアコンとの決別
等々について僕の考えを記していく予定でいるのですが、上記の問いかけへの答えとして、以前に自主刊行した次の作品から、その一部を抄出再録しておきます(各●と根本的な部分で繋がっている)。
 
「涙くんさよなら」の謎/ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
~消し去られた1960年代初頭のアメリカン・ポップス史~(2016年刊行)
Beatles出現直前、60年代初頭のPopスター達の華々しい活躍は、なぜロックの歴史から、完全に抹殺されてしまったのか?
『英語が出来ない』『音楽の知識が全くない』『アメリカの歴史も社会もわからない』著者が、無謀にも挑んだ、こだわりの「アメリカン・ポップス史」。
『世界遺産の森 屋久島~大和と琉球と大陸の狭間で』に続く“狭間”シリーズ第2弾!
 
第1章 
“キューティ・パイ” “涙くんさよなら”、、、、ジョニー・テイロットソンを覚えていますか?
第1部【1964年1月4日付けのBillboard誌Hot100ランキングから】
第2部【謎の入口】
第3部【ElvisとBeatlesの狭間で】
第4部【消し去られた1960年代初頭の主役たち】
第5部【2つの対極の概念】
 
以下、第5部の前半を再録
 
この当時の音楽(「Golden age of American pops」)およびそのバックボーンとなった時代的背景と、現代社会との関連性を見事に表現しているのが、ここに紹介する、内田樹氏の「可傷性と鼻声」です。その前に、対極にある意見(おそらく現在のロック音楽に対する定説的な見解)としての、川崎大助氏による「キャンペーンソング無くして大統領選なし」を紹介しておきます。
 
川崎大助『アメリカの大統領戦を10倍楽しむ~キャンペーンソングなくして大統領選なし』(部分抜粋)「現代ビジネス」2016年4月4日。
 
>なぜならば、ロックやフォークなどのポップ音楽家の多くが「自らの政治意識」をしっかり認識し、その立場のもとで果敢に行動を始めた時期が1960年代だったからだ。いわゆる「カウンターカルチャー(対抗文化)」の時代だ。このとき文化の矢面に立った人々のなかに、当時のポップ音楽家たちがいた(カントリー音楽はこのテーゼに完全にあてはまるわけではないので、念のためご留意を)。
 
>たとえば、ヴェトナム戦争への反対。たとえば、公民権運動。アメリカ社会の「メインストリーム(主流派)」が進める政治に、大いなる「NO」を叩きつけたのが、この時代のポップ文化だった。
 
>そこから、70年代以降のロックのみならず、ソウル音楽が、ファンクが花開き、ヒップホップにまでつながっていく道筋が形作られていった。このとき初めて、60年代においてようやく、ポップ音楽は大人になったとも言える。「アメリカの」大人に。
 
>それはつまり「必要なときにはいつでも立ち上がり、自らの意思を表明する」ということだ。自分の考えをきちんと言葉で説明すること。それに加えて、意見が違う他者とも言葉を交わし、討論して解決策を探っていくこと。これらの行動の実践を、幼いうちからアメリカ人は求められる。
>そして長じては、市民権を持つ者の全員が等しくその権利を行使して政治にも関与していく。こんな意識や態度が、ごく日常的なものとして市民生活の一部となっている。
 
内田樹『お題はアメリカ~可傷性と鼻声』(全文)+『フェミニンな時代へ』(末尾抜粋)「内田樹の研究室」2004年5月8日/2006年4月14日 
 
>アメリカにかかわる楽曲5つを選んで、それについて論じるという趣旨の企画である。ほいほいと引き受けたまま、何も考えずに前日を迎え、これではまずいというので、昨夜、あわてて5曲を適当に選ぶ。
 
>選んだのは、Take good care of my baby(Bobby Vee)/Crying in the rain(The Everly Brothers)/Tell me why(Neil Yang)/Handy man(James Taylor)/Simple man simple dream(J.D.Souther)。適当に選んだのだが、後知恵で考えると、ちゃんと共通点がある。それはすべて「男の鼻声」ということである。
 
>若い人は想像しにくいかもしれないけれど、1964年までのアメリカン・ポップスの男性歌手のクルーナー・タイプの発声はメロウでウィーピーであった。
 
>1960年代の前半まで、アメリカの男性アイドル歌手はすぐに「べそべそ泣く」タイプの楽曲によって世界を席巻していたのである。
 
>ジョニー・ティロットソンは『涙くん、さよなら』で「だから、しばらくは君に会わずにいられるだろう」と歌った。ということは、「しばらく」以外の時間、ジョニー君はべそべそ泣いて人生を過ごされていたのである。
 
>クルーカットで、ハイスクールのロゴの入ったカーディガンを着て、女の子にちょっと意地悪されるとすぐにべしょべしょ涙ぐむような男の子たちが1964年まではアメリカの若い男性のロールモデルであった。
 
>第二次世界大戦が終わったあとのアメリカは世界最強の軍事大国であり、世界最大の経済大国であり、そして、その国の若者たちは、べそべそ泣いてばかりいた。
 
>強い人間だけが、平気で泣くことができる。そのことを私たちは忘れがちだ。自分の傷つきやすさを露出できるのは、その傷を癒すだけの地力を備えた人間に限られる。
 
>1955年から1963年まで、つまり朝鮮戦争の終結からケネディ暗殺までの時代がthe Golden Age of American Popsである。
 
>それはアメリカが名実ともに世界最強国・最富国であった時代であり、その時代はアメリカの男たちが自分の弱さを平気で示すことができた幸福な時代であった。
 
>1964年のブリティッシュ・インヴァージョンからあと、アメリカの男性歌手は前ほど気楽には泣かなくなった(例外はビーチボーイズの女性的ファルセットだけだ)。それはアメリカが先の見えないベトナム戦争に踏み込んでいった時期と符合する。
 
>3曲目からあとはアメリカの「鼻声」がハイスクールボーイの気楽なすすり泣きから、もっと深い傷に注ぐ涙に変わった時期のものである。
 
>傷は日常生活のささやかな気づかいによっては癒されないほど深くなり、その傷あとからはじくじくと血がにじみ続けるようになった。
 
>そして1977年頃を最後に、アメリカの男性歌手は「鼻声で」すすり泣くのを止めた。それから後、私たちが聴くことになった音楽では、歌手たちは怒声を挙げ、権利を主張し、罵倒を浴びせ、ついには無機的な機械のように痙攣的な発声をするようになった。
 
>そんなふうにして、「鼻声歌手」たちは音楽シーンから消えていった。それはアメリカの国力が低下し、傷つきやすさを誇示することが、戦略的に許されなくなった時代の始まりを示している。
 
>私は男たちが「すすり泣き」をする曲が好きだ。涙を見せることができるのは、強く、優しい男だけである。
 
>今のアメリカでは男の子がすすり泣くと、女の子たちがきゃーきゃーと喜んでくれる社会ではもうない。それはアメリカの国力がゆっくりと低下している趨勢とシンクロしているように私には思われる。
 
>もう一度アメリカの男性歌手が「鼻声」で歌う時代は戻ってくるのだろうか?
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
>共同体が求めているのは「泣くべきときに正しい仕方で泣ける」ような情緒的成熟を果たした男なのであるが、そのようなやわらかい感受性を持った男性を育てるための制度的基盤を半世紀に亘って破壊してきたことに私たちは今更ながら気がついたのである。
 
>アメリカの黄金時代が、アメリカの若者たちがすぐにべそべそ泣く時代であったように(ジョニー・ティロットソンとかボビー・ヴィーとか、泣いてばかりいたぜ)、日本はこれから「泣く男」をもう一度作りだせるようになるまで劇的な社会的感受性の変化の地層を通り抜けることになるであろう。
 
>うん、酔っぱらってるから、言ってることに責任持ちませんけど。
 
以上に示した川崎氏と内田氏の文章は、見事なシンメトリックを成しているように思えます。川崎氏の主張は「アメリカの選挙とアメリカのポップ音楽は切っても切り離せない関係にある、アメリカの政治や選挙運動を考えるに当たって、ポップミュージシャンの思想や行動を探ってみよう」という趣旨ですね。
 
アメリカの音楽界と政治の関わりの歴史が、懇切丁寧に解説された力作(前半部だけで230行)だと思います。日本と違って、各アーティストが確固たる信念に基づいた政治的な意見や主張を持っているという指摘は、頷けます。それは、とても素晴らしいことだと思います。
 
しかし、僕には、その前提に沿って導きだされた論調が、空虚なものにしか感じられません。なぜなら、論点が完全に一方向のみから成されているから。
 
“自らの政治の意識をしっかり認識し、その立場のもとで果敢に行動を始めた時期が1960年代、このとき文化の矢面に立った人々のなかに、当時のポップ音楽家たちがいた”。という言葉に続いて、“(カントリー音楽はこのテーゼに完全に当てはまるわけではないので、念のためご留意を)”。たった一行でC&W音楽が片付けられてしまっている。
 
そこを無視してしまっては、話自体が成り立たなくなってしまいます。それは、本来ならばこの論者と対極に位置づけられるであろう一部の保守的な人々の論調、例えば「日本人は素晴らしい民族」だからという前提で、隣接する国々の人々を「民度が低い」と貶めていることと、何ら変わりがないのでは、と思います。
 
230行の中に、カントリー音楽も、そこから派生しビートルズ上陸直前(60年代初頭)に主流を占めていた(カントリーを基盤とする)“黄金期のアメリカンポップス”も、一切言及されていないのです(それは川崎氏のこの記事だけでなく、ロックや広い意味でのアメリカンポップスについて書かれたどの本や記事においても同じです)。
 
対象への評価云々以前の問題として、スタート時点の実態を正確に認識することなく、最初から放棄してしまっている。
当時、後年になって評価の対象となった様々なムーブメントは別の、、、対極という言葉だけでは表現し得ない、非常に大きな成熟した文化(the golden age of American pops)が間違いなくあったのです。もちろん直接間接に政治とも何らかの形で係っていたはず。その内容や、関わり方、主張の方法、後年の評価など、個々に対する言及は二の次として、大事なのは“あった”という事実をきちんと認識することだと思います。
 
アメリカンポップスの中に大きな割合を占めていたカントリー音楽と、それを基盤とした当時のポップ音楽。それに因って生み出された文化。大衆との関わり。そして、そこを窓口として、政治や宗教や経済にどのように繋がっていたのか。
それをまず認識しておかねば、その後の流れを正確には捉えられないと思います。しかし、どのポップ音楽論も、判で押したように“完全無視”。
 
反逆、自己主張は、誰でも出来ます。差別を嫌い、平等と自由を標榜することは簡単です。それを言わないよりも、言っておいた方が何かと得でしょう。しかし、主張と実現は、異なる次元の問題です。「愛」「平和」「平等」「自由」といった概念は、諸刃の刃、無意識のうちに、自らが求める結果と反対の現象を引き起こしてしまうかも知れません。権力に対する否定が集団として成されることにより、新たな権力を生み出し、新たな差別を生み出すこともあるでしょう。
 
僕は、ビートルズ以前の「旧・アメリカンポップス」を、甘ったるい、単に保守的な存在、すなわち新時代の音楽とは対極の存在にある、とは必ずしも思っていません。世の中に対するアプローチの仕方が異なる、いわば“別の文化”なのです。
 
つづく(文字数の制限で、次へ続きます)
 
 
 
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Grass Is Green Enough Right Here

2023-01-05 21:09:46 | アメリカン・ポップスearly60’s

1月2日にリリースされたジョニー・ティロットソンの新譜「Grass Is Green Enough Right Here」です。


録音はいつ頃なんでしょうね。声の質から判断して、そんなに古くは無いと思います。

1年余前にリリースされた「Good Brown Gravy」も(たぶん以前にも紹介したと思うけれど)とても気に入っているので、もう一度再紹介しておきます。



ところで、「Grass Is Green Enough Right Here」のジャケット画像の風景、どこかで見たような(まあ、テネシーの郊外なんてみんなこんな感じですけどね)。

暑い夏の日中、丸一日歩き通したのに、ほとんど一匹も蝶に出会わなかった。夕刻へとへとになって山道を下る途中でクマに出会って、、、散々な一日でした(-_-;)。




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追悼ジェリー・リー・ルイス。87才没。

2022-10-29 21:07:23 | アメリカン・ポップスearly60’s

追悼ジェリー・リー・ルイス。87才没。



むろん、エルヴィスと共にロックン・ロールの創始者のひとりではあるのですが、C&W界の重鎮でもあります。日本のメディアに訃報記事に、C&W関連の功績記述がほとんどないのは、ちょっと寂しいですね。



従弟のミッキー・ギレーが、今年5月に86才で亡くなっています。ジェリー・リー・ルイスは50年代後半~60年代前半にポップ(R&R)歌手、それ以降はカントリー歌手として活躍してきたのに対し、一つ年下のミッキーは70年代後半に入ってからのブレイクで、従兄弟でバトンタッチをした形です。カントリーの分野では、ミッキーのほうがジェリーを上回るほどの実績を残していてNo.1ヒットも多数あります(それらの曲が黒人歌手の大ヒット曲のカバーであるということも興味深いです)が、一般的な認知度では、「R&R創始者」としてのジェリーのほうが圧倒的に上でしょうね。面白いことに、ミッキーは ジェリーのスタイルを完璧に引き継いでいます。つい先日、ジェリー・リー・ルイス盤(1961年カントリー22位)と、ずっと後のミッキー・ギリー盤のハンク・ウイリアムス・ソング「コールド・コールド・ハート」を聴いたのだけれど、完璧にジェリー盤をコピーしています(一族のスタイルの伝統継承)。ミッキー・ギレーの訃報を載っけられなかったので、併せて追悼の意味を込めて、共演ユーチュブをアップしておきます。


https://youtu.be/APdAn1t8Rxo

https://youtu.be/2gKd78dhw8s


数年前に逝去した黒人の側のR&Rの創始者の一人であるチャック・ベリーも何度も刑務所に行き来していますが、ジェリー・ルー・ルイスの奇行?もいい勝負ですね。日本だと表舞台から抹殺されてしまうところでしょう、アメリカは懐が深いです。ちなみに、ルイスと同じロリコン繋がり?で、元ストーンズのビル・ワイマンは86才。



ロックの寵児は27才とかで若死にするというのが定説ではありますが、どっこい、みな結構長生きです。5年前に相次いで90歳で逝去したチャック・ベリーとファッツ・ドミノ、一昨年のリトル・リチャードと、カントリーのチャーリー・プライドが87才と86才、先日のロレッタ・リンは90才。



カントリー界の奇人で大スターのウイリー・ネルソンは89才で健在。ポップ界では、ボビー・ヴィントンが87才、ルイスやヴィントンと同じ歳のエルヴィスは、生きてれば年明けに88才です。



84才のジョニー・ティロットソンも、去年何故か新曲を次々と発表していて(録音時期は少し前かも知れない、今度何曲かブログで紹介予定)、カラ元気?をアピールしています。ブライアン・ハイランド(来週の誕生日でやっと79才、まだまだ若造です、笑)とバンコクでジョイント・コンサートを行ってから、もう5年が経つのですね。



日本のヤフコメは、老人ヘイトに明け暮れていますが、世界の趨勢は、そうではないみたいに思えてきます。



昨日は、ネットで、現在(2022年度)のビーチ・ボーイズをチェックしていました。今年6月のブライアン・ウイルソンと、9月のアル・ジャーデンの、それぞれ80歳誕生日のメッセージビデオ。楽しいです。

81歳になったマイク・ラブ共々、(“ギディアップギディアップ409”とか)いまだ「ビーチ・ボーイズ」(中国名“海兵少年隊”、ちなみにローリング・ストーンズは“転石五人組”)をやっています。



ブライアンは手押し車に寄りかかって登場し、見るからに辛そうによろよろとピアノの前までたどり着いて、声を振り絞って歌います。これを「悲惨」と目を背けるか、素直に「感動」するか、、、、いろいろなことを考えてしまいますが、僕としては、両方をトータルで受け入れたいです(年齢を思えば他人事ではないですし)。



そこへ行くと、前回紹介した、ワンダ・ジャクソンの昨秋84歳でのラスト収録、まだまだ現役感たっぷりで、その引き際は立派の一言。それも良し、これも良し、だと思います。










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Happy Birthday Johnny Tillotson

2022-04-20 08:33:16 | アメリカン・ポップスearly60’s


Happy Birthday Johnny Tillotson




今日4月20日は、ジョニー・ティロットソン84歳の誕生日です。



さっき、久しぶりにユーチューブをチェックしたら、初めて聞く曲がアップされていました。

なかなか素敵な曲です。いつ頃の録音なんだろう、、、、。



Johnny Tillotson - Good Brown Gravy - (Official Music Video) feat. Wink Martindale - YouTube






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追悼

2021-08-23 16:32:42 | アメリカン・ポップスearly60’s


追悼
ドン・エヴァリー





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遺書 39

2020-08-24 20:39:46 | アメリカン・ポップスearly60’s




ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代

今日は、主治医F医師の日だったので、福生のスタバに来ています(今月の残り財産が3600円になってしまったので、当分インターネットが出来ないかも知れません)。

今月スタバでかかってる曲から3曲。

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Dasty Springfield 1939~1999
「Wishing And Hoping」 1964年 Billboard Hot100 No.6/AC No.5

バート・バカラックの曲(ハル・デヴィッド詞)。ビートルズ出現以前のバカラックのヒット曲としては、他に、ジーン・ピットニーの「オンリー・ラブ・キャン・ブレイク・ア・ハート」(1962年 Billboard Hot100
No.2/AC No.1)とか、ボビー・ヴィントンの「ブルー・オン・ブルー」(1963年 Billboard Hot100 No.3/AC No.2)とかもそうですね。黒人女性歌手ディアンヌ・ワーウィックのヒット曲は「ウオーク・オン・バイ」(1964年 Billboard Hot100 No.6/ACNo.7/R&B No.1)ほか大多数がバカラック&デヴィッド作品です。

大衆におけるアメリカン・ポップスの「好み」が、(極論すると)ビートルズとバート・バカラックの出現以降、ガラッと変わったように感じます。受け身で能天気な楽曲よりも、攻撃的で難しい内容の楽曲を良しとする傾向に。もともとマイナーな曲調好みの日本では、その傾向がより顕著に表れているような気がしますね。バート・バカラックの曲は、僕の感性とは最も遠いところにあるように思えるのですが、ボビー・ヴィントンの「ブルー・オン・ブルー」は好きだったのですよ。「涙の紅バラ」とか「ブルー・ベルベット」よりも、リアルタイムではずっと好きでした。この、ダスティ・スプリングフィールドの「ウイッシン(←パソコンで片仮名を書くのは意外に難しいようで、この単語も片仮名で書こうとして、どれほど苦労したことか)・アンド・ホッピン」も結構好きだったのですが、同じような曲調(と僕には思える)のバカラックの曲が持て囃されるようになるにつれ、わざとらしさが鼻につくようになって、、、。

ダスティ・スプリングフィールドですが、日本では1966年の「この胸のときめきを」が圧倒的に有名ですね。この曲ほど「日本人好み」の曲は、そうそうないと思います。一応、Billbard Hot100への初チャートが、(同じイギリスのミュージシャンである)ビートルの米初登場とほぼ同時(一週間前)で、「ビートルズ世代」ということになりますが、ソロとして活動を始める前に、ザ・スプリングフィールズというグループのリードボーカルをとっていたので、その時代を含めると、「ゴールデンポップス時代」にも属していることになります。ジョニー・ティロットソンとは(公式)誕生日が三日違いです。

ジョニー・ティロットソンのキャリア・ハイは1962年で、他の「ゴールデン・ポップス時代」(僕の言う「エルヴィスとビートルズの狭間の世代」)の歌手の多くも、この年がキャリア・ハイです。そして、この年のアメリカン・ポップス界の主役は、いわゆる「ナッシュビル・サウンド/ポップ・カントリー」。レイ・チャールズの歌った「愛さずにはいられない」ほか、数多の「ナッシュビル・サウンド」的「アメリカン・ポップス」大ヒットが生まれた年です。しかし、不思議なことに、それらのカントリー調ポップヒットは、ほぼ一曲もカントリー・チャートのほうにはランクされなかった。数少ない例外が、ジョニー・ティロットソンの「涙ながらに」と「夢の枕を」であることは、これまでに何度も触れてきました。

この年、ポップとカントリーにクロスオーバーして上位チャートインした(若手歌手の)曲は、ジョニーの2曲の以外にどんな曲があるのだろうか?と調べてみました。数少ないクロス・オーバー・ヒット曲が、ザ・スプリングフィールズ(ダスティ・スプリングフィールド)の「銀の糸と金の針」。Pop20位、C&W16位を記録しています(ちなみに、ビートルズ以前に、最初にアメリカのポップチャートベスト20にランクされた曲だそうです)。ジョニーとダスティのほかには、若手C&W歌手のボビー・ベアー(1935~)の「シェイム・オン・ミー」(Pop18位、C&W23位)ぐらいしか見つかりませんでした。

「Silver Therads And Golden Needles」 The Springfields


「Wishin' And Hopin'」 Dasty Springfields

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Neil Diamond 1941~
「Song Sang Blue」 1971年 Billboard Hot100 No.1/AC No.1


https://www.youtube.com/watch?v=Ru6oaMLzXYA
https://www.youtube.com/watch?v=7F38csaCYws

この曲の原曲は、言うまでもなく、モーツアルトのピアノ・コンチェルト21「アンダンテ」ですね。
Wolfgang Amadeus Mozart 「Piano Concerto No. 21 – Andante」

https://www.youtube.com/watch?v=sQtcnjO8bBs

でも、「そう言われればそうだ」と思うほど、一応同じ曲なのに、「余りにも別の曲」です。まるで魔法にかかっているような、、、。

(クラッシック音楽のことは全く無知な)僕にとっては、「ソング・サング・ブルー」のほうが“原曲”で、「アンダンテ」のほうは後になってから知って、「こっちもなかなかいいな、、、」って感覚なのですが、ピアノの専門家のあや子さんだったら、どう感じるのでしょうか?なにか意見を聞かせて貰えれば嬉しいですね。

ニール・ダイアモンドの活動期は70年代に入ってからですが、年齢的にはジョニーたち60年代初頭の「ゴールデンポップス」主役の「狭間の世代」に属します。

実際、デビューそのものは、1960年(60年代初頭にブレイク出来なかった歌手だけが、70年代以降になって永く活躍できる、という法則?に沿っています)。

高校の同級生と組んだディオ「Jack&Neil」。当時人気絶頂の、エヴァリー・ブラザース・スタイルです。ここに紹介したのは、60年に録音、62年にリリースされた自作曲で、もちろん全然ヒットしませんでした。

ちなみに、エバリー・ブラザースは、日本でも今では「アメリカン・ポップスの元祖」みたいな位置づけになっていて、「バイバイ・ラブ」「夢を見るだけ」以下の大ヒット曲群は誰もが知るところになっていますが、リアルタイムでは、どの曲もほとんどヒットしなかったようです(それ以前に初期のケイデンス音源ヒット曲群は発売されていなかったはず)。

唯一ともいえるリアルタイムでの日本ヒット曲(64年)が、アメリカではシングル・ノンリリース?(60年のワーナーからの初アルバム収録)の「素敵なデイト」。

この曲が、同じ60年に録音されたニール・ダイアモンド(ジャック&ニール)の「What Will I Do」
(ニール・ダイアモンド作、アービング・バーリン作のクラシックポップスでジョニー・ティロットソンの62年のB面ヒット曲とは同名異曲) とそっくり?なのですね。ほぼ同じ時期の作品(エバリー兄弟のほうは、たぶんブライアト夫妻作)なので、偶然だとは思いますが、、、。

「What Will I Do」 Neil Diamond & Jack Packer


「That's What You Do To Me」 The Everly Brothers



ニール・ダイアモンドも、デビュー当時は、ノー天気な典型的「アメリカン・ポップス・オブ・ゴールデン・エイジ」の一員だったわけです。

といって、70年代になってブレイクしてからも、(バート・バカラックのような「新時代のスタイル」ではなく) ある意味「時代遅れ」と言ってもよさそうな、「アメリカン・ポップス」を貫き通しています。

この「ソング・サング・ブルー」も、文句なしの綺麗なメロディで、きわめてシンプルな歌詞。アダルト・コンテンポラリー界ナンバー・ワン歌手の一人(1位:エルトン・ジョン、2位:バーバラ・ストレイサンド、3位がニール・ダイアモンドです)としては、日本での知名度がもう一つ低いように思えるのも、その辺りに原因を探れるように思います。

意外なことに、カントリーのほうのチャート・ヒットが一曲もありません。「カントリー・フレバー」ということでは、例えば、グレン・キャンベル辺りよりも、ずっと感じるように思うのですが、、、。

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Patsy Cline 1932~1963(飛行機事故)
「Crazy」 1961年 Billboard Hot100 No.9/AC No.2/C&W No.2
https://www.youtube.com/watch?v=na5Y9FxR0lg
パッツイー・クラインは、60年代初頭に圧倒的な人気を誇った女性C&W歌手です。チェロキー・インディアンの血を引いています。一つ前の 「アイ・フィール・トゥ・ピーセス」が典型的なカントリー・バラードなのに対して、この曲は余りカントリーっぽい雰囲気がしません(作者はC&W界の大御所のウイリー・ネルソン、パッツイー・クラインより一つ年下で、今も現役で活躍しているようです)。その辺りも、日本で人気を得ている要因なのかも知れません。






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遺書 14 ElvisとBeatlsのはざまで~Johnny Tillotsonの時代

2020-08-08 20:50:57 | アメリカン・ポップスearly60’s




The Best of Johnny Tillotson (多国籍カバー編 ①)

僕のメイン・ワークは、「野生アジサイ」「蝉」「蝶」なわけですが、それぞれを収納したHDDや録音テープの大部分が現時点では活用出来ず、当分は休止せざるを得ません。

もう一つ、アメリカン・ポップス。こちらは上記3つを上回るほどの「大作」を、いくつも準備しています。どれも8~9割がた完成しているのだけれど、つい力が入りすぎて、なかなか「完了」とはいかない。

で、ブログにアップしてるのと言えば、本来の守備範囲じゃない、それほど興味ない対象ばかりなんですね。思い入れが少ない分、気楽に書いていけます。

ということで、思い入れはあっても、あまり力を入れずに書けそうな、溜まっている分を、少しづつ吐き出して行こうと考えています。

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「Why Do I Love You So こんなに愛して」
ピアノ独奏(東南アジアの見知らぬおじさん)+ジョニー本人のイントロ/エンディング歌唱 (2018.1.1にアップされた映像)


1959年末リリースの通算4曲目のヒット曲。60年1月から4月にかけBillboard Hot100に通算
14週間ランク(最高位42位)。日本ではシングル発売されず、当時のベスト盤に「こんなに愛して」の邦題で収録されています。

タイでのナンバー・1ヒット。当時、東南アジア各地で大ヒットしていたようです。2017年夏、バンコクでのブライアン・ハイランドとのジョイントライブの前に、現地情報を収集したのですが、どうやらタイでは国民的ヒット曲と言って良い超有名曲なようで、この曲と「ジュディ・ジュディ・ジュディ」は、(若者も含めて)皆知っていた。

ということで、数多のアジアン・カバーバージョン(秀逸多数あり)の中から、ジョニー本人の歌声が
イントロとエンディングにかぶさる(たぶん無許可?)、不思議な構成のピアノ独奏版。

ところで、このジョニー・ティロットソンの「タイの国民的歌曲」。作者は、“Clifford Rhodesクリフォード・ローズ”という人なのですが、、、、ジョニーの歌った曲は、本人作詞作曲のヒット曲はもちろん、ほとんどすべての曲の作者の素性は、よく分かっているのですね。なのに、この「クリフォード・ローズ」という人の素性だけは情報が皆無。ネットでもいろいろと調べてみたのですが、この人に関しての記述が全くない。一体、どんな人なのか、非常に興味があります。誰かご存じの方はいないでしょうか?

*ちなみに、改めてチェックしたら、このピアノ弾いているオッサンは、東南アジアの人じゃなく、ローマのAndre Caronという人でした。

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「Cutie Pie キューティ・パイ」

The King Elvis Band (King James Brown 2013.10.19にアップされた映像)

「キューティ・パイ」は、日本でのジョニーの初ヒット(1963年秋)。本国では、やはり自作の「ウイズアウト・ユー」(1961年秋Billboard Hot100:7位)のB面。日本でリリースされる直前に、アルゼンチンのチャートでNo.1に輝いています(1963年6月)。英語歌唱よりも、日本、中南米、南ヨーロッパ(フランス、ベルギー、スペインなど)の歌手(各国語)によるカバーが少なからずあることは、(後の「涙くんさよなら」が日本語とスペイン語でヒットしたことと併せ考えて)興味深いです。

このKing James Brownは、エルヴィス・イミテェィターの第一人者としても知られる、比較的メジャーな歌手のようです。たぶん2007年からスタートした「American Band Show」の一環で、「ポエトリー・イン・モーション」も歌っています。彼は、「From Elvis To Memphis」のアルバム完全コピーも発表していて、無論「涙ながらに」も含まれるので、「キューティ・パイ」「ポエトリー」「涙ながらに」の三曲をカバーしている唯一の歌手ということになります。

バック・バンドが素晴らしいですね。コーラスのおっちゃんとおばちゃんは、アジア系のヒスパニック?

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「Judy,Judy,Judy ジュディ・ジュディ」

(2016.10.2にアップされた映像)

アメリカでは 「You Can Never Stop Me Loving You」 (1963年にBillboard Hot100:
18位/Adult:4位)のB面。ドク・ポーマス、ポート・シューマン、ジョニー・ティロットソン三人の作。ジョニー自身が出演した英映画の挿入曲。アメリカ、日本、イギリスではノンヒット。ニュージーランド・チャートで、1963年暮にNo.1を記録。オーストラリア・チャートでもトップ10入り(シドニーではNo.1)をしているほか、タイ、香港、台湾などでも当時大ヒットしていたようです。(「涙ながらに」や「夢の枕を」も含め)太平洋西南岸域各国をクロスオーバーした一連のヒット曲があるわけで、日本とはヒット曲の傾向が異なります。

この若者は、オーストラリアかニュージーランドの人かな?と思っていたのですが、ロンドンの人みたいですね(詳細は不明ですが、たぶんDwyn Excelという名前?)。Johnny Tillotsonとクレジットされているユーチュブを開くと、「涙ながらに」の場合はアメリカのヘタッピな素人ジジイ、「ジュディ、ジュディ、ジュディ」の場合は、アジア系(除く日本)の、へたくそ素人ジジイが出てきたりするので、
ともに閲覧・視聴注意なわけです(ただし後者は、なぜか日本の秀逸女性歌手盤=木の実なな、太地真央=があり、日本でヒットしなかったのが不思議です)。

このバージョンは、男性歌唱盤としては、例外的に素敵です。

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「Send Me The Pillow That You Dream On 夢の枕を」

Johny Tilitson(H. Mardiyanto)(2007.10.12にアップされた映像)

ハンク・ロックリンの作品。自身の歌で1958年にBillboard Hot100:77位/C&W:5位。ポップスのほうでは、62年にジョニー盤でヒット。Hot100:17位/C&W:11位/Adult:5位。他にも、ザ・ブラウンズ、ディーン・マーチン、ザ・ホワイツ盤がBillboardチャートイン(僕はザ・ホワイツ盤81年
C&W:66位が特に好き)。

ジョニー盤は日本でもリアルタイムでリリースされましたが、(やはり前後にリアルタイムリリースされた本国C&W調ヒット曲「涙ながらに」「どうにも出来ない」「涙でいっぱい」共々)全くヒットしませんでした。本国のほか、オーストラリア、ニュージーランド、インドネシア、北欧各国などでは、大ヒットしています。

どの曲の場合もそうですが、You-tubeに紹介されているアーティストのクレジット(例えばJohnny Tillotson)は、本人歌唱でない場合は、ふつうは「カバー」であることが明記されています。しかし、
全く注記してない場合も少なくありません(ということは本人なりすまし)。新しいバージョンがアップされているのかな?と思って開くと、とんでもない下手くそな「視聴注意」素人歌唱が出てきたりします。これもその一つで、堂々と「唄:ジョニー・ティロットソン」と明記されています。恐る恐る開いたら、やっぱりアジア系の眼鏡のオッサンの成り済ましでした。よくチェックすると本名H.Mardiyantomも見つかるのですが、特に注記はないので、中には「この人がジョニー・ティロットソンだ」と思ってしまう人もいるはずです(アメリカの野球博物館で「王貞治」と間違われてサインをして、後で懺悔の念を抱いたという某漫画家の話を思い出します)。

ところが、、、、これが上手なんですね。いや、ジョニー本人より遥かに上手いかも知れない(現地では人気シンガーらしいです)。それだけでなく、インドネシア民謡を交えた曲の構成も映像も、素晴らしい出来です(以前に紹介したサモア盤「夢の枕を」と双璧!)。ついでに、デヴィ婦人の由来が、何となく理解出来る(笑)。

ちなみに、クレジットをよく見たら、Johnny Tillotsonではなくて、Johny Tillitonでた。複数記されているので、誤記ではなく、どうやら確信犯?

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「It Keeps Right On A Hurting 涙ながらに」

Tantowi Yahya(2015.12.18にアップされた映像)

こちらもインドネシア。インドネシアのナンバー1カントリー歌手で、かつ現職国会議員(次期大統領候補?)だそうです。

ジョニー自作のこの曲(Billboard Hot100:3位/C&W:4位/R&B:6位)は、「夢の枕を」ともども日本では全くヒットしませんでしたが、オーストラリア、ニュージーランド、北欧諸国などでは大ヒットしています。インドネシアでもヒットしていたみたいです。

この、白鵬そっくりさんの、感情たっぷりな歌唱も、“Johny Tiliton”さんに負けず素敵です。歌詞を
三か所変えてます。三つ目の部分では、聴衆の女性を指さして、「今さっきフラれた」とか言ってます。
指さされた女の子2人が、「私じゃないわよ、あなたなの?」とか言い合っています(多分その2人の右の女性だと思う)。で、そのあとに原曲にはない「語り」が入る。森進一「おふくろさん」だったら、歌唱禁止になるところです。

でも、これ見ていて(ことに聴衆の素朴なお爺さんや女の子たちが素敵で)「インドネシア、いいなぁ~~、、、僕もインドネシアに行って永住したい」と思ってしまいました。

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「Talk Back Trembling Lips トレンブリン・キッス」

Kitty Wells(1919~2012)

ジョンD.ラウダーミルク作、63年後半にベテランC&W歌手アーネスト・アシュワースで、カントリーチャートNo.1になっています。Hot100のほうでは選外で、惜しくも最高位101位(なぜかカントリーNo.1の曲は、ポップのほうでは101位が多い)。続いて、63年暮から64年にかけて、ジョニー盤がポップスのほうで大ヒット(Hot100:7位/Adult:6位)しています。

今回は、米国メジャー歌手以外のカバーによるジョニーのヒット曲紹介なのですが、このキティ・ウイルズだけは例外で、米C&W界女性歌手の大ボスとも言える存在。この歌唱(アルバムカット)は60年代半ばだと思うので、40歳代後半です。この頃、同じDeccaレーベルに所属する、2人のビッグネーム女性歌手、ロレッタ・リンとブレンダ・リーの三人で歌ってる映像を見たことがあります。キティは、ロレッタより15歳、ブレンダより25歳上なのですが、三人姉妹みたいに見える。ブレンダが歳より老けて見えて、キティが若い!

で、なんでメジャー歌手のバージョンをわざわざここで紹介したのかというと、こういうことです。
「トレンブリン・キッス」は、「涙ながらに」「夢の枕を」とともに、ジョニー・ティロットソンのC&W系三大ヒット曲であるわけですが、キティ・ウエルズ・バージョンの「トレンブリン~」のイントロは、、、、「涙ながらに」のイントロと同じメロディ、そのあと「夢の枕を」のイントロを挟んで、「トレンブリン~」に移る、という、面白い仕掛けがなされているのです。

関連話題が幾つかあるのですが、それはまたの機会に。

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「Country-Boy, Country-Boy カントリー・ボーイ」

Johnny Tillotson 日本語バージョン(1967)

最後に、ジョニー本人歌唱の、下手くそな日本語の曲。

アメリカでの(ヒット曲歌手としての)人気は、58年~65年。日本はスタートが遅れて63年~66年。

むろん時代が(ビートルズらによって)変わってしまったからジョニーたち「旧勢力」は駆逐されちゃったわけだけれど、生き残ろうと色々もがいたのですね。

髪の毛を伸ばしてみたり、大人っぽい歌を唄ったり、反戦歌にチャレンジしたり、、、。でも何をやっても、一度離れていった「空気」は、戻ってこない。

本国に関しては、65年の秋、「Heartaches By The Number 恋はつらいね」と、アルバム
「That's My Style」で、一応成功したのです。せっかく“これ(底抜けに明るい失恋カントリーロック)が僕のスタイル”と決めたのに、変に色気を出して、「Owr World」とか「Hellow Enemy」とか、
時代に乗ろうとして失敗した。

結局、2年後に“いつもの底抜けに明るい失恋C&Wソング”「ユアー・ザ・リーゾン」で、一応ほぼ最後と言って良いチャートヒット(67-68年:C&W48位)を記録することが出来たわけです。

日本でも、(事情は少し違いますが)「涙くんさよなら」「ユー&ミー」のヒットで味を占めて“和製歌謡ポップ”路線で行こうとして、完全に失敗した(「バラのため息」「恋のヨット」etc.)。日本でのジョニーの人気もこれまで、と思ってたところ、67年になって、突然無印の(宣伝してなかった)曲がヒットしました(ただしC&W評論家高山宏之氏の一押し)。こちらもC&W調。本国でも日本でも、結局最後はC&Wの曲がヒットしたわけで、めでたしめでたしと言っておいても良いでしょう。

ただしこちらは、“ノー天気な失恋歌”の「ユアー・ザ・リーゾン」とは違って、哀愁にあふれたメロディの、真面目過ぎる歌詞内容の曲。こんなのが日本人受けする、と狙って、ジョニーと(当時の)奥さんのルシルが作ったわけでしょう。目論見通り当たったわけです(伊達に「マスコミニュケーション学」博士号)。

ただ、この曲に日本語バージョンがあったとは知らなかった(誰が日本語に訳したのかは不明)。リリースされヒットしたのは英語バージョンです。日本語バージョンは50年経って日の目を見たのです。
いくら何でも、下手くそすぎます。リアルタイムで発売されなかったのは、正解でしたね。





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青山潤三日記 2020.6.22 ElvisとBeatlesのはざまで~Johny Tillotsonの時代

2020-06-22 20:41:04 | アメリカン・ポップスearly60’s


 ElvisとBeatlesのはざまで~Johny Tillotsonの時代

16日から、僕の代わりにモニカが雲南奥地に向かっています。しかし、コロナ騒動の思わぬ余波で、苦戦しています(その具体的な話は後程)。

それ以前に、チョウが全くいない!予定狂いまくりです。

高山病にかかりかけたり、日射病になりかけたり、散々です。半分、観光ギャルみたくなってます(笑、でも一応頑張って、毎日ドサッと写真を送ってきます)。

モニカは、「ウイチャット」とかもやってる(僕は見方を知らない)ので、見ることが出来る人は見ておいてください。

僕は、朝7時から夜11時まで、ドリンクバー299円で、終日ジョナサンに居座って、メールで指示を出しています。

なんせ、毎日16時間ジョナサンに居続ける(ドリンクバー以外にも、大盛り無料のライスとか、ホウレンソウ炒めとかも、たまに注文しているので、ご安心ください)のも、結構しんどいです。

ネットニュースをチラチラと眺めてます。メインは一昨日開幕したプロ野球(明日も阪神は惨敗するのでしょうか?) そのほかのニュースも見ています。

https://www.youtube.com/watch?v=gLS_4iPoZ40

↑たまたま、何の脈絡も知識もなく、全く聞いたこともない、若いタレント(アーティスト)同士の結婚式とかのニュースが目に止まりました。2人とも今の人には結構有名な人らしいです。新郎のほうは、ラッパーだそうです。

ラップというのは、僕は良く(というか全く)知らないんですよね。4年前だったか、バンコクからシラチェに行く途中、メック加藤さんが作ったのを見せて貰ったことがあるだけですね。ここんところメックさんのことが話題になっているので、そのこともあって頭を過ったのかも知れません。

「お嫁においで」を、ラップ調にリメイクして歌ってるのだそうです。曲の感想はやめます。僕には全く知識も興味もないし、言及する資格がない(大体6分超などのシングル曲は聞けないです、昔は2分30秒が標準だったので)。

「お嫁においで」はむろん知ってます。加山雄三全盛時、1966年の大ヒット曲です。ジョニー・ティロットソンの66年来日時、加山のホストTV番組にジョニーがゲスト出演しました(ギターの弾き語りで「泣きたい程の淋しさだ」を唄った)。司会の人が「どっちが年上ですか?」と質問し、加山が「僕の方が上だよ」と答えたのを覚えています。ジョニーは2つ年をサバ読んでいたのだけれど、それでも加山さんが一つ上ですね。今年83歳ですか、、、、。

加山雄三は、当時それはもう凄い人気だったのですよ。橋・舟木・西郷の御三家(九ちゃんはその少し前)絶頂期で、それに真っ向から対抗していたのが加山です。そこらあたり「涙くんさよならの謎」に詳しく書いていますので、興味のある人は読んでください。

僕個人的には、加山雄三は、いろいろと理由があって、あんまり好感持ってないのですが、アーティストとしては凄いですよ。作曲の能力は半端じゃない(この「お嫁においで」も本人作曲)。日本の洋楽は好きじゃないし、全く認めていない僕ですが、加山雄三の能力は認めざるを得ません。ある意味日本人離れした感性を持っていると思います。

「お嫁においで」は、結婚式の定番ソングになっているようですね。アメリカでは、同じ66年のヒット曲、ビーチ・ボーイズの「素敵じゃないか」が、結婚式定番ソングになってるようです。ちなみに「2分30秒」の常識が破られたのは、ビーチ・ボーイズの次のシングル「グッド・バイブレーション」からです。その後、堰を切ったように、3分台後半~4分台のシングル曲が出現します。

この動画を見て、すぐに思い浮かんだのが、ずっと後年(1985年)のビーチ・ボーイズのヒット曲、「ゲッチャ・バック」のプロモ?ビデオ。ウイルソン3兄弟真ん中のデニスが亡くなった(実質的自死)後の初リリース曲で、久しぶりにトップ40入りを果たしています(アダルトチャートでは彼らにとっての最高位2位を記録)。

このビデオは、画質が極めて悪いのだけれど、僕は大好きで、何度も何度も繰り返して見ています。何故かとてもハッピーな気分になるのです。

ビデオの冒頭に、この時代としては珍しく鬚を剃ったマイク(ラブ)が登場。途中で野球帽のアル(ジャーディン)と黒い服に鬚のカール(ウイルソン)、後ろの方で、白い車に乗ったブライアン(ウイルソン)が通りかかり、最後に、海浜監視員のブルース(ジョンストン)が出てきます。何気に、この流れが楽しいのですね。

https://www.youtube.com/watch?v=YAZBbZ27xlM
ビーチ・ボーイズ 「ゲッチャ・バック」

ビートルズは、今では歴史上の存在になっていますが、未だに一応現役のビーチ・ボーイズも、歴史上の存在です。ビーチ・ボーイズは「アメリカの盆踊り」と評した人がいて、言い得て妙と思います(日本での加山雄三は似たポジションにあるのかも)。

英リバプールのビートルズと、米カリフォルニアのビーチ・ボーイズは、正反対であると同時に、共通項も少なからずあります。

例えば、「ゲッチャ・バック」の曲名は、明らかにビートルズ「ゲット・バック」からの連想ですね。「ヒア・カム・ザ・サン」と「ヒア・カム・ザ・ナイト」とか、ほかにも幾つかあったはずですが、いまちょっと思い出せない。

逆に、ビートルズの「バックインザUSSR」は、「サーフィンUSA」のオマージュです。ポール(マッカトニー)の
弟が、バックコーラスをビーチ・ボーイズに受け持ってもらうよう交渉しかけたけれど、ポールがそれを押し止めた、という話もあります。ポール曰く「ビートルズがビーチ・ボーイズの真似をして歌うから面白いのであって、本者のビーチ・ボーイズが出てきたら、その面白みが無くなってしまう」と。

「ホエン・アイ・64」は、「ホエン・アイ・グルー・アップ」からインスピレーションを得ていると思います。曲調は
全然異なるのですが、楽しい雰囲気の中に、ちょっぴりメランコリックなメロディと歌詞が混在している点は 共通します。僕の説は、「ホエン・アイ・グルー・アップ」のバックのカウントが、13歳から始まって、最後に微かに聞こえるのが32歳、64歳はその倍である、、、、というのは穿ちすぎでしょうか。

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写真:今日の早餐/午餐/晚餐















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「You're The Reason あんたのせいで眠れんかったわ」

2020-03-31 20:53:12 | アメリカン・ポップスearly60’s


ElvisとBetlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代
「You're The Reason あんたのせいで眠れんかったわ」

ジョニー・ティロットソンがらみの、様々なアーティストの曲の紹介としては、「涙ながらに」&「夢の枕を」50曲
連発、を準備していたのだけれど、HDDが壊れてしまい(その修理費が捻出できなくて)取り出せなくなってしまいました。他にも「ジュディ・ジュディ・ジュディ」と「キューティ・パイ」、「ホワイ・ドゥ・アイ・ラブ・ユー・ソウ」と「ポエトリー・イン・モーション」、「トレンブリン・キッス」と「涙くんさよなら」、、、、、題材は無数にあるのですが、どれも「大作」になってしまいます。コンパクトに纏められそうなのが、アメリカでのほぼ最後のメジャー・ヒットとなった「ユアー・ザ・リーゾン」(邦題は僕が勝手につけた)。

そのオリジナルとカバー・ヴァージョン12組を、寝る前に毎日のように聞いているので、それを紹介することにしました。

コロナの話が長くなって、なかなか仕上がらない。その話のなかで、「穴埋め用に先に書く」と宣言したのだけれど、その後「やっぱりやめておく」と訂正したのを、再訂正して、やっぱり穴埋めアップすることにしました。あくまで穴埋めなんで、出来る限り簡単に、と自分に言い聞かせて。説明は一切せずに、曲だけを並べるのも有りかなと思ったのですが、やっぱり少しは解説・感想を入れたい、ということで、何度も何度も「長くならないようにここは抑えて」と言い聞かせながら書きました。

Bobby Edwrds 1926~2012

1961年 Pop 11位/C&W 4位
オリジナルです。60年台初期としては数少ない、ポップとカントリーのクロスオーバー大ヒット曲です。いかつい顔に似合わぬ、結構ソフトな声で歌います。ボビー・エドワーズは、ほぼ一発屋ですね。この曲のほかに、62年と63年にポップスとカントリーで各1曲(71位/23位)チャートヒットがあるだけです。でも「あんたのおかげで眠れへんかったわい」は、ポップとカントリーのエヴァーグリーンとして、燦然と輝いています。
ちなみに、やはり自作のB面曲「I'm A Fool For Lovin' You」もユーチュブにアップされていますが、こちらもなかなか楽しい佳曲です。以下、チャートヒット5曲を含むカバーバージョン12曲を紹介していきますが、歌詞の違いを始めとする説明や感想は、このバージョンを元にして行います。「キャント」ではなく「ドント」。「トュルトュル」が入る。最初の2小節は「眠れない理由」を自分で歌い、後半はコーラスで羅列します(「廊下を歩く」「ブルーになる」「タバコを吸う」「コーヒーを飲む」「ギターを爪弾く」「月を眺める」)。「僕と付き合って!」の「ミー」のところで声が裏返ります。「ギターを爪弾く」あとは「愛してる」と言います。特にシャウトはしません。終盤でテンポは変わりません。最後に「あんたのせいで~」の繰り返しと「眠れんかったぜ」が入ります。

Hank Locklin 1918~2009

1961年 Pop 107位/C&W 14位
ベテラン大物歌手が同時に別ヴァージョンをぶつけてきました。ハンク・ロックリンに関してはこれまでに何度も紹介しているので説明はパス。ジョニー・ティロットソンがらみでは、言うまでもなく「夢の枕を」のオリジネーターで、「涙ながらに」も歌ってくれています。「Happy Barthday To Me」(C&W 7位)との両面ヒット。曲調はオリジナルとほぼ一緒(声はよりソフト)で、「トュルトュル」入り(全バージョン中最も明確)のコーラスと交互に歌われます。ただし、「眠れない理由」は自分では歌わず出だしを含めて全部コーラスで(言葉の順序が最後の辺りで少し異なります)。「ハニー」と「ベビー」入り。「ミー」のところで特に声は裏返りません。最後の「あんたのせいで」「眠れんかったわ」はありません。

Joe South 1940~2012

1961年 Pop 87位/C&W 16位
作者の一人のボビー・エドワース、大物ベテラン歌手のハンク・ロックリン、そして無名の新人ジョー・サウスの3者競作となり、その3バージョンが同時にヒットしました。ジョー・サウスは8年後に自作の「ゲームス・ピープル・プレイ」(69年Pop 12位)で大ブレークしますが、それがなければ、この曲だけの一発屋で終わるところでした。最終的には、この2曲を含めて71年までに7曲のポップ・チャート・ヒット(うち3曲がC&Wとクロス・オーバー)があります。ビリー・ジョー・ロイヤルの「ダウン・イン・ザ・ブーンドックス」や、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」の作者としても知られています。3つの初期ヒット・ヴァージョン歌手のうち、年齢では断然若いのですが、歌声はベテラン2人より大人っぽく聞こえます。声のトーンを大胆に何度も変えるなど、60年前の曲とは思えないほどの斬新なイメージです。「トュルトュル」入りの軽快な女性コーラスあり。眠れない理由の羅列は冒頭と中盤&終盤のコーラスのほか自分でも歌います。最後の「あんたのせいで」は何度も繰り返されますが、「眠れんかった」はありません。

Gerry and the Pacemakers(Gerry Marsden 1942~)

1965年 Pop 117位/B-side of “Give All Your Love To Me : U.K. 68位”
一般的には、61年の3競作と、67-8年にカントリーにチャートインしたジョニー・ティロットソン盤の4つ
がヒット・バージョンとされているようですが、正確にはあと3つのヒット・バージョンが存在します。80~90年代にカントリー・チャートで80~90位台を記録した2曲と、初出3曲とジョニー盤に挟まれた65年にポップ・チャート117位を記録した、ジェリー&ペイスメイカー盤です。この曲だけが、他の各曲とは全然印象が異なります。上記ヒット4バージョンをはじめ、紹介した全ての曲が、多かれ少なかれカントリー・ティストに満ち溢れてるのに対し、この曲にはそれが全くない。それも道理、ビートルズらとともに世界を旋圧したブリティッシュ・ロックの一組です。シャウトしています。その場違いともいえる彼らが、なんでこの曲を取り上げたかというと、当時ブリティッシュロックの連中にとって教祖的な一人と位置づけられていた、アーサー・アレクサンダーが先行カバーしていたからですね。グループであるにも関わらず、(合いの手を除いて)コーラスなしで、全パートをジェリー一人で歌います。「あんたのせいで」「眠れんかった」付き。

Narvel Felts 1938~

1982年 C&W 82位
ネーヴェル・フェルツは、カントリー界ではかなりの大物です。70~80年代に多くのカントリー・チャート・ヒットを持ち、80年代にはカントリーとのクロス・オーバー・ポップ・ヒットが3曲(「ユアー・ザ・リーズン」の片面でプラターズのカバー「煙が目に染みる」も84位にチャートイン、81年にはチャック・ベリーのカバー「ロール・オーバー・ベートーベン」64位)あります。ポップヒットはそれだけと思ってたのですが、20年以上遡った1960年に、あのドリフターズ(クライド・マクファクター時代)の、、、というよりも日本ではフォー・シーズンで63年にシングルカットされた「ハニー・ラブ」が、ポップの90位にチャートインしています。元・ロックン・ローラーのカントリー歌手の一人なのです。「ユアー・ザ・リーズン」の全体のコード進行は、ジョニー・ティロットソン盤とほぼ同様ですが、声も伴奏も極めて重厚です。コーラスはほとんどありませんが、ごくごく軽く「トュルトュル」が入ります。「ミー」の部分の声が裏返ります。カントリー音楽に付き物の楽器群も目立ちます。「あんたのせいで」あり。「眠れんかった」は最後にかすかに(はっきりしない発音で)聞こえます。

Johnny Burnett 1934~1964

1962年 from an Album
ポップ・ファンにはお馴染みの歌手。60年代初頭に「ドゥリーミン’(60年Pop 11位)」と「ユー・アー・シックスティーン(61年Pop 8位)」の二大ヒットがあります。共に自作曲で、後者は後にリンゴ・スターがカバーして、No.1ヒットになっています。ヒット曲としては、他に61年にPopのトップ20にチャートインした2曲を
含む3曲と、62年の100位以下の3曲があるだけで、64年にボートの事故で無くなってしまいます。なぜか日本では(本国でも?)50年代後半のロックン・ロール・グループ「ジョニー・バーネット・トリオ」としての評価が絶大で、リアルタイムで実績を残した、ティーン・ポップ&ポップ・カントリー・シンガーとしての評価が見過ごされる傾向があるのは、残念です。「ユアー・ザ・リーズン」は61年末に録音、62年初めにリリースされたアルバム収録曲。ポップとカントリーの両ティストが程よく融合、ジョー・サウス・バージョンをややマイルドにしたような仕上がりで、紹介した全バージョン中、最も平均的な印象です。全フレーズを自分で歌いますが、女性コーラスも上手く重なっています。「トュルトュル」あり。「あんたのせいで」「眠れんかった」付き。

Arthur Alexander 1940~1993

1962年 from an Album
唯一の黒人シンガー歌唱盤。ジェリー&ペイスメイカーズ盤の原型となっていると思われます。本人のヒット曲としては、いずれも自作曲で、61年の「ユー・ベター・ムーブ・オン」(Pop24位)を含む3曲があるだけですが、そのうちの2曲(「ユー・ベター・ムーブ・オン」と、62年Pop68位/R&B11位の「アンナ」)が、それぞれ人気爆発時のローリング・ストーンズとビートルズにカバーされたこともあって、ブリティッシュ・ロックの教祖的存在に祭り上げられています。「ユー・ベター・ムーブ・オン」は、ホリーズ盤も秀逸で、僕はリアルタイムで大好きでした。しかし、アーサー・アレクサンダーは、この「ユアー・ザ・リーズン」でもわかるように、カントリー・ソウル歌手としての一面も持っています。メジャーな歌手でも、ブルック・ベントン、ソロモン・バーク、あるいはレイ・チャールスやサム・クックもそうだと思うのですが、「ソウル」要素が持て囃される反面、カントリー的な要素が忘れられているのが寂しい気がします。女性コーラスが美しく(軽く「トゥルトュル」も入る)、  シャウトはしますが、ペイスメーカーズ盤ほどではありません。「あんたのせいで」「眠れんかった」付き。

John Fogerty 1945~ (& The Blue Ridge Rangers)

1973年 from an Album
「ロック」ということでは、ビートルズやローリング・ストーンズに対抗しうる、アメリカの超メジャー・バンドが、CCR(クリーデンス・クリア・ウオーター・リバイバル)です。No1ヒットがなく、No.2ヒット5曲(No.2はNo.1よりずっと希少)、ゴールド・ディスク10枚。実質、リーダーのジョン・フォガティのバンドで、グループを解散してからもソロで活動しています。ほぼカントリーの分野に属するといってよいでしょう。良くも悪くも単純明快で、ローリング・ストーンズ誌辺りの価値基準では、実績の割には正統な評価が為されていないように思われます。この曲も、思いっきりカントリー調のバック演奏と、訛りのある発音で、今回紹介した中で最もカントリーっぽい雰囲気を醸し出しています。ここまでのバージョンが全て“I don't sleep at night”だったのが、彼のバージョンでは、(最初のフレーズだけdon'tで)“I can't~”に替わっています。全曲ソロで、コーラスは全くなし。「ミー」の部分の声が裏返ります。“ハニー”が何度も繰り返し入ります。「ギターを爪弾く」のあとの語が良く聞き取れません。「あんたのせいで」「眠れんかった」はありません。

Hank Williams Ⅲ 1972~

1999年 from an Album
最初から、全部can'tです。don'tとcan'tじゃ、どう違うのか、誰か英語に詳しい人教えてください。1972年生まれということは、ハンク・ウイリアムスの没年(1953年)から20年近く後ということで、もちろんおじいちゃんの歌声には生で接していないわけですが、この曲を聴く限り、むしろお父さんのJr.より、おじいちゃんに近い雰囲気が感じ取れます。ジョニー・ティロットソンがらみで言えば、おじいちゃんはジョニーが崇拝する人、お父ちゃんはジョニーのMGMレコードの同僚(年齢キャリアでは後輩)ということになります。この曲は、全体にフォーガティ盤に準じ、カントリー楽器の駆使や訛りもよく似ています。(親とじいちゃんの14光を避けたいがためか)カントリー歌手としてではなく、敢えて「ヘビメタ」「パンクロック」の分野を名乗っていますが、意外なことに非常に素直な歌唱で好感が持てます。「キープ・ミー」の「ミー」は少し裏返るだけですが、最後の「ユアーザ・リーズン」の「リーズン」が思いっきり裏返ります。「ギターを爪弾く」の後の語はフォガティ盤と同じ。「ハニー」が何度か入ります。「あんたのせいで」「眠れんかった」はありません。 

Conway Twitty 1933~1990 and Loretta Lynn1932~

1976年 from an Album
実質、ナンバー・ワン・カントリー男性歌手(No.1ヒット曲40曲!)コンウエイ・トゥエッテイと、ナンバー・ワン・カントリー女性歌手(No.1ヒット曲18曲)ロレッタ・リンの、最強のC&Wデユエットです。コンウエイは、ポップス・ファンには、50年代末の「思わせぶり」のポップNo.1ヒットを始め、「ロンリー・ブルー・ボーイ」などロッカ・バラード歌手としての印象のほうが強いかも知れません。ジョニーの「涙ながら」にも歌ってくれています。ちなみにロレッタ・リンは、コンウエイ・トウッテイと組む前に、大ベテラン歌手のアーネスト・タブと組んでいて、2人のラスト・ディオ・ヒットの「フーズ・ゴナ・テイク・ガルべージ・アウト」は、ウィルボーン・ブラザースのテリー・ウイルボーンと、ジョニー・ティロットソンの共作です。僕の知る限り女性メジャー歌手歌唱の「ユアー・ザ・リーゾン」はこれだけ。軽快で太い声のコンウエイのソロのパートのあと、ロレッタのソロパートに移り、やがて2人のエットでハモります。軽快な男性コーラスとカントリー楽器群(特にピアノ)が加わり、素朴で楽し気な雰囲気を醸し出しています。「あんたのせいで」を二人で繰り返し、「眠れんかった」はありません。

Slim Whitman 1923~2013

1964年 from an Album
スリム・ホイットマンは、日本でも「北風」の日本独自ヒットで、名前は知られていると思います。ちなみに「北風」は後に、黒人カントリー歌手(コンウエイ・トウッティやマール・ハガードらと並ぶナンバー・ワン・シンガー)チャーリー・プライドが日本語で歌っています(リンゴ・スターの「リンゴ擦った」やハリソン・フォードの「梁り扇」同様、バブル期の日本の恥知らず文化の置き土産)。カントリー・ヨーデルの第一人者です。ジョニーより一回り以上年上ですが、ジョニーを評価してくれているようで、64年にリリースした「シティ・ヒッツ」というアルバムのA面1曲目に「涙ながらに」を取り上げています。続く2曲目が「ユアー・ザ・リーズン」で、CDのライナー・ノーツには「(61年のオリジン3人に続いて)後にやはりジョニー・ティロットソンでもヒットした」と記されています。しかし、ホイットマン盤は64年のリリースですから、「ユアー・ザ・リーズン」に関しては、こちらの方が先行リリースです。透き通った声のソロ歌唱(軽く男性コーラスが重なる)で、曲の構成は異なりますが、全体の雰囲気はティロットソン盤と共通します。他のバージョンと歌詞が少し異なり、途中でキスしたり(むろん妄想です)します。「あんたのせいで」「眠れんかった」はありません。

Johnny Tillotson 1938~

1967-1968年 C&W 48位/Canadian Country 24位
ポップスのほうでは、65年12月の最後の週がホット100チャートヒットの最後となってしまいましたが、丸2年置いて、カントリーのほうのチャートに久しぶりに(62年の「夢の枕を」以来)登場します。10週間チャートインし、67年の最終週と68年の最初の週に48位にランクされています。This is ジョニー・ティロットソンとでも言うべき、明るく楽しい失恋(片思い?)ソングです。MGMリリースのベスト盤に、ケイデンス時代のリメイク曲を含めたヒット曲群とともに、アルバムの目玉として納められています。なぜか日本では、シングルもアルバムもリリースされていません(こういったひたすら明るいカントリー・ナンバーは、余り日本人好みではないようです)。ブラスバンドとストリングスが入ります。ソロ歌唱ですが、コーラス(アニタ・カー・シンガース?)とピアノ(フロイド・クレーマー?)を伴った、いつものスタイルです。終盤、半オクターブ?ほど調子を上げて、軽快に「眠れん理由」を並べていくところが素敵です。「あんたのせいで」「眠れんかった」はありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ネーベル・フェルツを調べていたら、80年代のカントリーとのクロス・オーバー・ポップ・ヒットが3曲(「ユアー・ザ・リーズン」の片面「煙が目に染みる」も84位にチャートイン、81年には「ロール・オーバー・ベートーベン」64位)あります。それだけと思ってたのですが、20年以上遡って、1960年に、あのドリフターズ(クライド・マクファクター時代)の、、、というよりもフォー・シーズンで63年にシングルカットされた「ハニー・ラブ」が、ポップの90位にチャートインしています(70年代に入るまでは「一発ヒット屋」の一員だったわけです)。とても素敵なので、追加しておきます。
Narvel Felts

「Honey Love」 1960年 Pop 90位

寝る前に聞いてる曲を2曲追加紹介。詳しい説明はあとで。

Ester Phillips 1935~1984

「Releas Me」 1962年 Pop 8位/R&B 1位

Sammi Smith 1943~2005

「Send Me The Pillow That You Dream On」 1973年 from an Album









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2020.1.1日記:ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代

2020-01-01 10:29:15 | アメリカン・ポップスearly60’s


From An Album 「The Best Of Johnny Tillotson(1968)」 1958-1967 *some arrangement

当分の間、もう一つのブログ「社会の窓から」に紹介するのと同じ記事を、「あやこ版」の方にも併行して紹介していきます。

僕の本業は、一応「昆虫(殊に蝶)写真家」となっていると思います。でも私的には「写真家」などと大それた?ことは思っていません。一介の物書きです。蝶については、生殖器の構造比較による系統関係の考察。あと、セミの鳴き声構造や、野生アジサイの系統分類が、自分のライフワークだと思っています。

これまで何度も訴えてきたように、世間に「マニアック」と勘違いされているらしいのが哀しいです。間違ってもそのような姿勢では取り組んでいません。マニアックな所作とは対極にあると信じています。といって「アカディミック」という訳でもなく、あくまで「普遍性」に基づいた、「実態」の探求(結論や答えを出すつもりはなく探求自体が目的)です。だから、自分の仕事を「マニアック」な目で見られることほど、嫌なことは有りません。

一方、もう一つの「ライフワーク」と言ってよい「アメリカン・ポップス」に関しては、こちらは、はっきり言って、マニアックそのものです(笑)。自信を持って「マニア」を名乗り上げます(その道の凄い人のトンデモない膨大な知識には到底及ばないけれど)。

もっとも、(昨年一年、実際的な「ライフワーク」化していた、「香港デモに対する“客観的報道”」も含めて)言おうとしていることは、同じところに収斂する(「“答え”は一つではない」「同調の“空気”によって形成される“力”の所在に対する懸念」)のですが。

「ElvisとBeatlesの狭間で」は、「“涙くんさよなら”の謎・外伝~“外国人が把握する日本人の感性”の妥当性」があと3~4回(「ドイツにおける1963年の大ヒット曲“おみっちゃん”」「元野球選手で黒人のNo.1C&W歌手チャーリー・プライドの日本語歌唱“北風”」など)、昨年の正月前から書き進めている「A Short Story of The Cadence Record~3人の女性ポップス歌手ほか」、「“夢の枕を”&“涙ながらに”50バージョン」、「香港に於ける“路上ジュディ・ジュディ・ジュディ”100バージョン」、、、それから2~3日前突然割り込んで書き始めた「最強の英語教材~Johnny Tillotsonの歌詞“くらべられない素晴らしさ”を使って英語を極めよう!(についてのメモ)」、それぞれ9割方書き終えて、結びに戸惑っている間に、いつの間にやら年が変わろうとしています。

今日は正月元旦(大晦日の晩も元旦の晩もマクドナルドで深夜清掃のバイトです)なので、何かをブログにアップしておきたいと思い、手っ取り早く、ユーチュバー「キャンディ・チャンネル」さんの「ジョニー・ティロットソン・グレーテスト・ヒット」と、別のユーチュブに紹介されている「ザ・ベスト・オブ・ジョニー・ティロットソン」を基にした、私的アレンジ版の見出しの分だけを、リストアップして(各曲の)紹介をしておくことにしました。それぞれの曲の解説や感想を書きだすと、それぞれ一冊の本になってしまいそうな分量なので、それは後回しです。

ユーチュブ上には、ジョニー・ティロットソンのベスト集が多数紹介されています。その中でダントツで出来が良いのが、Candy Channel(多分、オーストラリアやニュージーランドか東南アジア在住の女性)です。「キャンディ・チャンネル」には、膨大なポップス「ベスト盤」が紹介されています。Johnny Tillotson Greatest Hits 【Full Album】(注:現在は全く無関係の同名ユーチュブが複数の別人により紹介されている)は、他のアーティストのベスト盤に比べ曲数はやや少ないのですが、選曲といい、音質といい、曲と曲の繋ぎの部分といい、そのセンスが何とも素敵なのです。

まず、「ジョニー・ティロットソン入門」アイテムとして、これを推薦紹介しておこうと、以前から考えていました。

ところが、昨年になって、突然消えてしまった! キャンデイ・チャンネルさんの紹介による他のアーテイストのベスト集は、大半がユーチュブ上に残っているので、ジョニー版特定の何らかのクレームがついたものと考えられます(実質ジョニーの曲を管理している現在の奥さんのナンシーによって消された可能性もある)。なんとも勿体ない話です。キャンディさんと(もしそうだとしたら)ナンシーに連絡を取って、何とか復活して貰えないだろうか?と交渉してみることも考えています(僕個人用にはクラヴィング・エクスプローラでパソコンに取り込んであるのですけれど、規約上それは公に紹介が出来ません)。

さて、ジョニー・ティロットソンのベスト盤として「まずこれ(キャンディ・チャンネル版グレーティスト・ヒット)を推薦」と上に記しましたが、実は、この「ベスト盤」は、かなり選曲が偏っていて、厳密には「ベスト盤」とは言い難いのです。同じユーチュブが何度か更新されていて、最初の頃には、“ベスト盤なのに何故「トーク・バック・トレンブリング・リップス」が入ってないの?”といったコメントも見られます。よく考えたら、その他にも「夢の枕を」とか、入るべき曲が多数抜けています。

選ばれている曲は、ほぼ全てがケイデンスからのリリース曲。しかも、本来なら「ベスト・ヒット」の中心となるべき、C&W系の曲が、ほとんど抜け落ちている。1曲だけ「涙ながらに」。それとMGMからのリリースが1曲だけ「恋はつらいね」。

キャンディさんの意図は、一般の(特にアジア諸国、なかんづく日本における)リスナーが認識している「ティーン・ポップス歌手」としての、ジョニー・ティロットソンの集大成であるわけです。

カントリー系の2曲は、中間あたりにかかります。R&B原曲のティーン・ポップ・バラード「アース・エンジェル」から、カントリー・フレバー満載の「恋はつらいねHeartaches By The Number」に移り変わる際の、ギャップというか、「違和感」が、何とも魅力的なのです。

いずれにしろ、一方の、すなわち(日本語曲は別として)日本でも馴染みのある、「ティーン・ポップス歌手」ジョニー・ティロットソンを最もよく表現している「ベスト盤」です。ちなみに、トップが「ジュディ・ジュディ・ジュディ」、2曲目が「キューティ・パイ」であることから、アメリカでも日本でもない国の制作であることが知れます。

それで、ジョニー・ティロットソンのことをよく知らない人に紹介する際には、まずこの「キャンディ・チャンネル盤“グレーティスト・ヒット”から始めよう、と考えていたわけです。もちろん、それだけでは代表的ヒット曲の(C&W系の曲が抜け落ちた)半分ですから、そこで、ユーチュブ上で紹介されている何種類ものベスト集の中から、もう一つ選んで共に紹介しておくことにしました。それが「ザ・ベスト・オブ・ジョニー・ティロットソン」(こちらも同名の異なるベスト集がユーチュブ上に幾つか取り上げられていて、今回紹介した中の「ユアー・ザ・リーズン」の画面の曲順に、ほぼ等しい)です。

二つの「ベスト集」は、違いが極端で、大半の曲が重なりません。「ザ・ベスト・オブ~」の方は、一曲目が「涙ながらに」で始まり、ラストが「恋はつらいね」で終わります。そして、2曲目から5曲連続で「グレーティスト・ヒット」に入っていない曲が続きます。早い話、カントリー系のヒット曲も収録されているのですね。バランス上は「ザ・ベスト・オブ」の方が、本来の意味での「ベスト盤」と言えると思います。

欠点の一つは「ウイズアウト・ユー」の選曲バージョン。実は、このベスト盤は、このブログ表題にも示したように、1968年リリースのMGM音源 「SE4532」のベスト・アルバムを基にしています。そのアルバムは、ケイデンス時代のヒット曲を新録しているわけですが、ユーチュブ上に紹介されている「ザ・ベスト・オブ」の一つ(すなわちここで取り上げたもの)は、客観的に考えてクオリティがより高いと思われるケイデンス音源に置き換えた(オリジナルに戻した)ものです。でも、唯一「ウイズアウト・ユー」だけが、MGM新録のままです。クオリティが劣るとは言っても、MGM新録の方も、それはそれで味があるのですが、「ウイズアウト・ユー」に関しては、ちょっと勘弁と思うほど、出来が宜しくない(笑)。

今回、曲順などは原則として68年MGMリリースの「ザ・ベスト・オブ」およびそれに基づくユーチュブ上の「ザ・ベスト・オブ」に従い、「ウイズアウト・ユー」を含めて、全てケイデンス時代の曲は、ケイデンス音源に置き換えました。

そのうえで、「グレイテスト・ヒット」の方の1曲目と2曲目の(米国ではヒットしていない世界的ヒット曲)「ジュディ・ジュディ」と「キューティ・パイ」を加え、また、代表的ヒット曲の一つでありながら、「グレイティスト」「ベストオブ」のどちらにも収録されていない「どうにも出来ない」「涙でいっぱい」を追加、末尾にジョニーのロングインタビュー(21世紀になってDVD発売)、更に、日本独自のヒット3曲(「カントリー・ボーイ」「涙くんさよなら」「ユー・アンド・ミー」)を加えました。

他にも入れるべき曲(「グレーティスト」のほうに収録されている「トゥル-・トゥルー・ハピネス」「アース・エンジェル」「ジミーズ・ガール」を始め、「恋のウルトラC」「プリンセス・プリンセス」「素敵なガールハント」「バラが咲いた」、、、等々)が何曲かあるのですが、コンパクトに纏めるために敢えて割愛しました。
 
それぞれの曲についても、ひとつづつ解説・感想などを記して行きたいのですが、それを行っていると、一つの曲で本一冊分になって仕舞い兼ねません。今回は、ユーチュブから選んだ、曲の紹介だけに留めておきます(解説・感想は、このあとチャレンジする予定)。

全体の音質を揃え、かつ各曲ごとに別の動画表示画面を示すことに苦心したことも、評価して頂きたいです(笑)。

■ 「グレイティスト・ヒッツ」に収録されていない曲
● 「ザ・ベスト・オブ」に収録されていない曲
★ 両方ともに収録されていない曲

It Keeps Right On A Hurtin’ [涙ながらに] 
Cadence 1418≫ written by Johnny Tillotson.
(62.5.12-62.9.15) # 3 Pop/# 4 C&W/# 6 R&B


Send Me The Pillow That You Dream On [夢の枕を] ■
Cadence 1424≫ written by Hank Locklin
(62.8.11-62.11.10) # 17 Pop/# 11 C&W/# 5 Adult


I’m So Lonesome I Could Cry [泣きたいほどの淋しさだ] ■
Cadence 1432(B-side)≫ written by Hank Williams
(62.12.1) # 89 Pop


You’re The Reason [ユアー・ザ・リーゾン] ■
MGM 13829≫ written by Bobby Edwards, Terry Lmesfell, Fred Henley
(67.11.11-68.1.13) # 48 C&W


Worry [ウオーリー] ■
MGM 13255≫ written by Chip Tailor
(64.7.18-64.9.19) # 45 Pop/# 5 Adult


Talk Back Trembling Lips [トレンブリン・キッス]■
MGM 13181≫ written by John D. Loudermilk
(63.11.9-64.2.1) # 7 Pop/# 6 Adult 


Why Do I Love You So [こんなに愛して] 
Cadence 1372≫ written by Clifford Rhodes
(60.1.18-60.4.18) # 42 Pop 【Thailand # 1】


Poetry In Motion [ポエトリー] 
Cadence 1384≫ written by Mike Anthony & Paul Kaufman
(60.10.10-61.1.16) # 2 Pop/# 27 R&B 【England # 1】


Dreamy Eyes [夢見る瞳] 
Cadence 1353/1409≫ written by Johnny Tillotson
(58.11.3-58.12.29) # 63 Pop/(61.12.4-62.3.3) # 35 Pop


Without You [ウイズアウト・ユー] 
Cadence 1404≫ written by Johnny Tillotson
(61.8.7-61.10.30) # 7 Pop


She Understands Me [シー・アンダスタンズ・ミー]■
MGM 13284≫ written by Merle Kilgore & Margie Singleton
(64.10.31-65.1.9) # 31 Pop/# 4 Adult 


I Can’t Help It(If I’m Still In Love With You) [どうにも出来ない]★
Cadence 1432≫ written by Hank Williams
(62.10.27-62.12.22) # 24 Pop/# 8 AC)


Heartaches By The Number [恋はつらいね]
MGM 13376≫ written by Harlan Howard
(65.8.28-65.10.30) # 35 Pop/# 4 Adult 


Out Of My Mind [涙でいっぱい]★
Cadence 1434≫ written by Johnny Tillotson
(63.3.2-63.5.4) # 24 Pop/# 11 Adult


Country boy, Country Boy [カントリー・ボーイ]★
MGM 13499(B-side)≫ written by Johnny Tillotson & Lucill Cosenza
(1967) non-cheated in US 【Japan top 10】


Cutie Pie [キューティ・パイ]●
Cadence 1404(B-side)≫ written by Johnny Tillotson
(1961) non-cheated in US 【Argentina # 1 (63.6.8)/Japan top 10 (63.8)】


You Can Never Stop Me Lovin’ You [恋に弱い子]
Cadence 1437≫ written by Ian Samwell & Jean Slater
(63.8.10-63.10.13) # 18 Pop/# 4 Adult 【German # 1】


Judy, Judy, Judy [ジュディ・ジュディ]●
Cadence 1437(B-side)≫ written by Doc. Pomus, Mort Schuman, Johnny Tillotson
(1963) non-cheated in US 【NewZealand # 1 (63.12.7)】


Johnny Tillotson Interview Video (2000’s)
※こちらで見ることができない場合は「社会の窓から」で同じ記事を載せていますので、ごらんになってください。


Good-Bye Mr. Tears (Adios Al Sufrir) [涙くんさよなら]★
DM(MGM)1042/MGM Chile≫ written by Kurnosuke Hamguchi 
(1965/1966) 【Japan # 1/Argentine and Chile top 10】


You And Me [ユー・アンド・ミー]★
DM(MGM)1056≫ written by Ichiro Takaski & Kunihiko Suzuki
(1966) 【Japan # 1】







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