今日4月20日は、ジョニー・ティロットソン87歳の誕生日です。
60年間余、楽しい歌を届け続けてくれて、ありがとう。ゆっくり休んでください。
今週末には僕も77歳になります。あと10年は頑張らなくっちゃ。
毎日就寝前には、アメリカン・ポップスを聴いています。Bert Kaempfertを別にすれば、ここ暫くガール・ポップス(お気に入り女性シンガーのオムニバス)とジョニーの「マイ・ベスト」を交互に聴いていて、その組み合わせは、その折々で変化していくのですが、4月1日には、暫く前にセッティングした、My Johnny’s Best14曲を聞いていました。その時々の気分で曲の編成は異なります。大抵の場合は、多少なりとも選曲や配列順に何らかの統一性や思惑があるのですが、今回は、たまたまアットランダムに選曲・編成したセット、でも意外に(殊に配列順に関して)しっくりくるので、今後はこのセッテイングを「(My)Johnny Tillotson’s Best(2025年)」として統一したいと思います。オリジナルのJohnny Tillotson’s Best(1961)とは、5曲が重なります。
https://www.youtube.com/watch?v=PqEM08yRFnk&list=RDPqEM08yRFnk&start_radio=1
7枚目のシングル。9曲目のビルボードHot100チャート・ヒット曲(ビルボードHot100最高位=以下同=7位、1961年8月7日~10月30日:13週間)。ティロットソン自身の作詞・作曲。フランスの国民的歌手ダリダ、「キング・イズ・ゴーン」で知られるC&W歌手ロニー・マクドウェルなどのカバーあり。
夢の枕を Send Me The Pillow That You Dream On
https://www.youtube.com/watch?v=c1-SKk6kvTg&list=RDc1-SKk6kvTg&start_radio=1
10枚目のシングル。12曲目のHot100チャート・ヒット(17位/C&W11位/AC5位、1962年8月11日~11月10日:トータル15週間)。ハンク・ロックリン1949年の作詞・作曲。ほかにビルボードのチャート・ヒットは、1958年にロックリン自身(77位/C&W5位)、1960年ザ・ブラウンズ(56位/C&W23位)、1965年ディーン・マーティン(22位/AC5位)、1981年ザ・ホワイツ(C&W66位)。
ホワイ・ドゥ・アイ・ラブ・ユー・ソウ Why Do I Love You So
https://www.youtube.com/watch?v=nRk6sLhywLo&list=RDnRk6sLhywLo&start_radio=1
3枚目のシングル。4曲目のHot100チャート・ヒット(42位、1960年1月18日~4月18日:14週間)。クリフォード・ローズ作詞・作曲(ティロットソン盤がオリジナル)。タイで1位、現在でも唄われる国民的ヒット曲となっている。
トーク・バック・トレンブリン・リップス Talk Back Trembling Lips
https://www.youtube.com/watch?v=oQj1Zu_PJ3U&list=RDoQj1Zu_PJ3U&start_radio=1
15枚目のシングル(MGM移籍後の初リリース)。18 曲目のHot100チャート・ヒット(7位/AC6位、1963年11月9日~1964年2月1日:13週間)。ジョン・D・ラウダーミルク作詞・作曲。ジョニー盤に先駆け、アーネスト・アシュワーズ盤が101位/C&W1位(1963年)。多数のC&W歌手によるカバーあり。
ポエトリー・イン・モーション Poetry In Motion
https://www.youtube.com/watch?v=QUuwQipUJC4&list=RDQUuwQipUJC4&start_radio=1
5枚目のシングル。7曲目のHot100チャート・ヒット(2位/R&B27位、1960年10月10日~1961年1月16日:15週間)。作詞マイク・アンソニー、作曲ポール・カウフマン(ティロットソン盤がオリジナル)。イギリスで1位。日本では4年後の1964年に発売され大ヒット。ボビー・ヴィー、パット・ブーン、クリフ・リチャード、ファーリン・ハスキー(替え歌)ほかのカバーあり。
https://www.youtube.com/watch?v=iz1o1mYWlss&list=RDiz1o1mYWlss&start_radio=1
ティロットソンの依頼により、浜口庫之介が作詞作曲。1965年にティロットソン盤、坂本九盤、1966年にマヒナスターズ盤、初代ジャニーズ盤がリリースされ、ティロットソン盤(A面は彼自身の訳詞に拠る英語、B面日本語)が大ヒット、翌1966年にはスペイン語版がアルゼンチンで大ヒット。
https://www.youtube.com/watch?v=_FKldxVDcxE&list=RD_FKldxVDcxE&start_radio=1
28枚目のシングル、5年ぶりのC&Wチャート・ヒット(C&W48位、1967年11月11日‐1968年1月13日:10週間)。1960年に作者の一人であるボビー・エドワーズ盤(11位/C&W4位)、ハンク・ロックリン盤(107位/C&W14位)、ジョー・サウス盤(87位/C&W16位)。ほかに、フレディ&ザ・ドリーマーズ117位(1965年)、ジョン・レックス・リーブスC&W90位(1981年)、ネーヴェル・フェルツC&W55位(1982年)、アーサー・アレクサンダー、ハンク・ウイリアムス三世らのカバーあり。
カントリー・ボーイ Country Boy, Country Boy
https://www.youtube.com/watch?v=CJHVpo4U7Bs&list=RDCJHVpo4U7Bs&start_radio=1
ティロットソンと最初の夫人ルシル・コセンザの共作。1967年に日本でトップ10ヒット。本国で最後のメジャー・ヒットとなった「ユアー・ザ・リーゾン」が底抜けに明るいカントリー・ナンバーだったのと対照的に、日本での最後のヒットとなったこの曲はマイナーな曲調のカントリー・ナンバー。日本語バージョンあり。
涙ながらに It Keeps Right On A Hurtin’
https://www.youtube.com/watch?v=RnTVLfRDknk&t=4s
9枚目のシングル。11曲目のHot100チャート・ヒット(3位/C&W4位/R&B6位、1962年5月12日~9月15日:トータル18週間)。ティロットソン自身の作詞・作曲。60年代にHot100/C&W/R&Bの3チャートでベスト10に入った曲は、ほかにジョニー・ホートンの「アラスカ魂」、スキーター・デイビスの「この世の果てまで」の2曲だけ。62年度グラミー賞ノミネート。マーガレット・ホワイティング(115位/AC28位1968年)、ビリー・ジョー・ロイアル(C&W17位1988年)、エルヴィス・プレスリーほかカバー多数。
恋はつらいね Heartaches By The Number
https://www.youtube.com/watch?v=SiJaKQ8DQIE&list=RDSiJaKQ8DQIE&start_radio=1
22枚目のシングル。25曲目のHot100チャート・ヒット(35位/AC4位、1965年8月28日~10月30日:10週間)。「涙くんさよなら」が日本でヒットしていた時に本国でヒットしていた。65年度のグラミー賞にノミネート。ハーレン・ハワード作詞・作曲。1960年、ガイ・ミッチェル(1位)、レイ・プライス(C&W2位)。コニー・フランシスほかカバー多数。クレジットはジョニー・ティロットソン&ジ・アニタ・カー・シンガース。
https://www.youtube.com/watch?v=2Bb6RJzJ7p4&list=RD2Bb6RJzJ7p4&start_radio=1
1961年のヒット「ウイズアウト・ユー」のB面で、同じくティロットソン自身の作詞作曲。1963年秋、日本に於けるティロットソンの初ヒットとなった。同年夏にアルゼンチンでNo.1ヒットとなっている。日本では伊東ゆかり盤もヒット、内田裕也、前川清らのカバーあり。
くらべられない素晴らしさ Match Beyond Compare
https://www.youtube.com/watch?v=X806cAo_pCM&list=RDX806cAo_pCM&start_radio=1
ティロットソン自身の作詞作曲。1961年暮にリリースされた初アルバム「ティロットソンズ・ベスト」の中で唯一のアルバム用書き下ろし曲。1964年日本で「ポエトリー」のB面としてシングル・カットされた。複数のアウト・テイクで異なる歌詞バージョンあり。あるインターネット英語教科書コラムで、文法、発音が最も素晴らしい音楽作品として紹介されている。
https://www.youtube.com/watch?v=ibjZpPNY2z4&list=RDibjZpPNY2z4&start_radio=1
ティロットソンとドク・ポーマス、モート・シューマンの共作。1963年秋、ケイデンスでの最終録音曲「ユー・キャン・ネバー・ストップ・ミー・ラヴィング・ユー(18位/AC4位)」のB面にカップリング。本国ではヒットしなかったが、世界的に見ればティロットソン最大のヒット曲といえるかも知れず、台湾、香港、東南アジア各国、オーストラリア、ニュージーランドなど太平洋西南岸各国で軒並みトップ10ヒット、今ではスタンダード・ナンバーとなっている。木の実ナナ、大地真央の日本語盤も秀逸。
https://www.youtube.com/watch?v=_uLdC7b_odA&list=RD_uLdC7b_odA&start_radio=1
オリジナル・バージョンは12枚目のシングル。15曲目のHot100チャート・ヒット(24位/AC11位、1963年3月2日~5月5日:10週間)。ティロットソン自身の作詞作曲。なぜかリアルタイムでは一度もアルバムに収録されていず、1999年に初めて収録アルバムがリリースされた。ここで紹介するセルフ・カバー・バージョンは、2024年リリースの新バージョン(録音年度は未詳)。リアルタイムでは、ジョニー・シンバルのカバーあり(1963年「ミスター・ベイスマン」収録)。
グッド・ブラウン・グラービー Good Brown Gravy
https://www.youtube.com/watch?v=PmP3B35tMCY&list=RDPmP3B35tMCY&start_radio=1
2023年のリリース(録音年度は未詳)。
https://www.youtube.com/watch?v=_fdVM4ASiBo
Johnny Tillotson Interview Video
2000年代
追悼
The Life and Tragic Ending of Johnny Tillotson
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ジョニーが亡くなったら、インターネット上で(日米それぞれ)どのような反響があるのだろうか、、、もちろん(殊に本国では)全くスルーされてしまうかも知れない、、、片隅にごく簡単な報道は為される可能性はあるとしても。いずれにせよ日本の方が(ごく小さいであろうとはいえ)ニュースとして取り上げられる確率は高いのではないだろうか、、、そんな風に考えていました。
日本に於いては、概ね予想通り、でも「ポエトリー」とか「キューティ・パイ」ではなく、“坂本九の「涙くんさよならを」カバーした外国人歌手」という“金太郎飴”的な位置付けですね。予測していたとはいえ、ちょっと残念です。
それに対して本国(US)では、予想外とも言えるほど、幾つものパターンで思いのほか詳しく報道されています。そのうちの一つ(Country Life)を上に紹介しておきます。20分に亘る追悼報道の中には、僕の知らなかった内容も含まれていたりして、高い充実度を感じます。
聴き進めるうちに、涙が出てきました。もちろん(このようなリスペクトに溢れた報道に対して)嬉しいからでもありますが、悔し涙です。何度も言及しているように、リアルタイムでは、日本に於いて、突出して人気があったはず。それが、現在では、無かったことのようにスルーされてしまっている。本国を含め、欧米や日本以外のアジア各国の報道で見られるリスペクトが全く感じられません。悔しいです。日本という国の(なにもかもその時々の空気に流されて行くという)本質を垣間見たような気がします。