青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(15)

2010-09-30 15:17:14 | チョウ
【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の④シリーズです。
「日本列島および近隣地域の野生アジサイ」及び「中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ」はしばらくお休みします。




生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(15)
ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(13)
中国旅行情報(8)
My Sentimental Journey(36)


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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(15)

No.008梅里雪山のBlues【4】ヒメシジミの仲間

シジミチョウ科Lygaenidae/ヒメシジミ亜科Polyommatinae/ヒメシジミ族Polyommatini/ヒメシジミ類Polyommatus Sect.
雲南省Yunnan/梅里雪山Mt.Mei-Li-Xue明永氷河Ming-Yong/標高alt.2500m/2010年9月10日 【⑥~⑩を除く】

日本の都市近郊で、普遍的に見ることの出来る“Blue”は、ヤマトシジミとツバメシジミとルリシジミ(及び暖地性のウラナミシジミ)です。ヒメシジミの仲間(ヒメシジミ、ミヤマシジミ、アサマシジミなど)は、山地草原のみに棲息し、前回のゴマシジミの仲間(ゴマ、オオゴマ、オオルリ、カバイロなど)ほどではないとしても、急速に減少しつつあります。

































しかし、ヨーロッパや北米では、“Blue”の主役で、多数の種が、広く、かつ普遍的に分布しています。中国大陸でも、何種かが比較的普通に見られます。写真①~⑤のミヤマシジミによく似た種も、雲南北部では、よく見かけます。⑥~⑩も、雲南および四川の山岳地帯でよく出会う種(⑥⑦と⑧~⑩は別種かも)。⑥雲南省翁水貢千山南面、⑦四川省塔公雅拉雪山西面、⑧~⑩四川省小金来金山北面。


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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(13)

2010-09-30 15:10:30 | アメリカン・ポップスearly60’s
“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ⑥ 『ディオンとフレディー・キャノン』

【No.1白人“ドゥー・ワップ”歌手と、“ブーン・ブーン”男】



Dion Di Mucci 71位 
1939.7.18 New York出身
悲しき恋の物語/ルビーベイビー



Freddy Cannon 237位 
1939.12.4 Massachusetts出身
ニューオリンズ遥か/恋のジェットコースター


【No.1白人“ドゥー・ワップ”歌手と、“ブーン・ブーン”男】

中国は、今日から国慶節の週間に入ります。10月4日まで、宿泊費が4倍に高騰、交通手段の確保も難しいことから、急遽、長駆1000㎞余、ベトナムに移動して来ました。

その移動中のバスの中で、この原稿を書いていたのだけれど、半分ほど書き終えたところで、うっかり削除してしまった。大失態です。

ベトナムは、中国と違ってYou-tubeが見れます(でもインターネットの回線が繋がるのは、全国一律で朝6時から夜
11時まで)。フレディーは、Wikipedia(英文)でディスコグラフィーを探し当てたので、それに基づいての記述が可能なのですが、ディオンのWikipedia(英文)は見つかりません。本人のH.P.(充実しています)はあるのだけれど、過去のDiscographerは見当たらない。彼の場合、前進あるのみで、過去は振り返らないのかも知れません(注:アップ直前になって、ディオンの英文Wikipediaが見つかりました、、、でも時間が無いのでチェック出来ません)。

ということで、改めて日本語のWikipediaでディオン(Dion)を検索して見たところ、
●KDDIのインターネット・プロバイダ→au one net(旧:DION) 。
●乗用車。三菱・ディオン 。
●セリーヌ・ディオン、カナダ出身の歌手 。
●シュラクサイのディオン、古代ギリシアのシュラクサイの政治家で、プラトンの弟子。
【このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの言葉や名前が二つ以上の意味や物に用いられている場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。】
え~!それはないよ!我らがディオン(ディ・ムッチ)はどこに行ったのよ!

近年になって(若者達を含めた)リスナーの間での再評価の機運が高まり、24人衆の中では、最も現役感に溢れる
ディオンでさえ、この扱い、ヒドいと思いませんか?

ということで、ディオンについては裏付けのチェックをしないまま、断片的に、支離滅裂に、話を進めて行きます(他の歌手についても似たりよったりですが)。うろ覚えのため、曲名の綴りやチャート順位が間違っている可能性があります。

ディオンは、後年の一時期、本名の“Dion Di Muchiディオン・ディ・ムッチ”を名乗っています。でも(ぎりぎり間に合った?のかもしれない)リッキー→リックの場合と違って、ちょっと遅きに記した。やはり表記は“ディオン”でしょう(適当に本名と使い分けます)。ちなみに初期の日本表記は“ダイオン”。

“ディオン”と言えば、“ディオン&ベルモンツ”でもあります。58年から60年始めまでは、グループのリードボーカリストとしての位置付け。オールデイズ・ファンには、こちらの方が馴染み深いかも知れません。ディオンがソロシンガーなら、ジョニー・マエストロはどうなるのか、レン・バリー(Good!)は?さらには、フランキー・ヴァリだって、後年はソリストでもあるのです。それを言いだしたら(極端に言えば)マイク・ラブやブライアン・ウイルソンだって資格ありなのかも知れませんし、スモーキー・ロビンソンとか、ベン・E・キングとか、R&Bグループの大物達のソリストとしての存在をどう解釈するか、等々、なかなか難しい問題になって来ます。

でも、ディオンは、ソロになってからの活躍時期が遥かに長いわけでから、彼に限っては、文句なしに「“ポップス黄金期の”ソロシンガー」として認め得るわけです。

ディオンは、“狭間の歌手”ナンバーワンではないかと思っています。メンフィスの町のレコードショップで、ディオンとリッキー・ネルソンのコンビネーションCDを見つけて、買おうかどうか迷った記憶があるのですが(買っときゃよかったと後悔している)、なるほど、リックのライバルは、ディオンなのかも知れない。

ビートルズ来襲前、61年~63年の活躍では、エルヴィスの次ぎがディオンでしょう。この3年間に、Best 3ヒット4曲を含むTop 10ヒットを8曲も放っています。その活躍が、64年に入って、ピタリと終結してしまうのです。

64年の年頭のHot100チャートには、ディオンの「ドリップ・ドロップ」をはじめ、ビートルズの登場によって(正確にはそれが直接の原因ではない、ということは以前説明しましたが)退場を余儀なくされた“狭間の歌手”達の、最後の踏ん張りとも言えるヒット曲が、上位にずらりと並んでいました。ボビー・ライデル、ジョニー・ティロットソン、リック・ネルソン、ブレンダ・リー、、、、。でも、彼らの場合は、その後もそこそこのヒット曲は放ち続けてはいました。ディオンの場合は、Top 10ヒットどころか、Hot 100ランキングさえも、すぐに途絶えてしまいます。(結果として)ビートルズに駆逐された歌手の“第一人者”、ということが出来るかも知れません。

その後、68年に、これまでとは全くスタイルを変えた、政治的アピールの強い曲「アブラハム、マーティン&ジョン」を一発ヒットさせます。彼の歌には、常に何らかの形での主張が感じられます。単なるオールデイズの歌手ではなく、今でも新しい曲を発表し続け、現役としての存在感を示している所以でもあります(なにせ、年を取ってからの風貌が良い!10年ほど前のハワイでのコンサート時のジョニーとの2ショットがありますが、年相応に和らかな印象のジョニーと、やる気満々が風貌に表れているディオン、同じ年ながらこうも違うものかと)。

といって、自己主張のない“単細胞”の曲が、現代に通用しない、というわけでもありません。フレディー・キャノン。ジョニーや、ブライアン・ハイランド、トミー・ロー等と共に、“ボビー・ヴィー組”の懐メロ?パッケージショーで最近も頑張っていますが、他の面子とは違って、彼もディオン同様、現役感たっぷりです。そして、相変わらず、実に単調でストレートな“ロック・ン・ロール”を唄いつづけている。

前にも触れた、80年代中期のDVD「元祖ティーン・アイドル達(の今)」の中でのフレディは、凄いですよ!(もう一人、ルー・クリスティーと共に)超カッコいいステージ、「元ティーン・アイドル」で括ってしまうのは、余りに失礼ではないかという気がします。

フレディ・キャノンは、ロックの歴史の中で、もっと評価されてもいいはず。もう1~2年早く登場していれば、ジェリー・リー・ルイスやジーン・ヴィンセント、あるいはバディ・ホリーやエディ・コクランといった面々と共に、ロックの創始者として並び称されたかも知れません(その分、“メジャー”には成り得なかったかも知れないけれど)。逆に、数年遅く登場していたら、ビートルズ達と共に、新世代の旗手と成りえたかも知れない。“ポップス黄金期”のド真ん中で出てきたものだから、いつまでも“ティーン・アイドル”のイメージが付きまとい、後年の評価にワリを食っているような気がします。

彼も、64年ビートルズ登場による“駆逐組”の一人であることには、間違いありません。もっとも、それまでもヒット曲は、Top 10入りの大ヒット(3曲)と、Hot 100すれすれの小ヒット(多数)の繰り返し、それでもチャートから消えてしまうことが無かったのは、彼の実力を持ってのことでしょう。ビートルズ登場後も、64年の「アリゲーター・バルチャー」と65年の「アクション」の2大ヒット(共にTop 20入り)があります。

80年代には、元ディオン&ベルモンツのベルモンツと、フレディー&ベルモンツを組み、「Let's Put The Fun Back In Rock N Roll」で久しぶりにチャートに顔を出しています。

ディオンもフレディも、ジョニーと同じ39年組(ニールも)、70歳を越えて、それぞれに頑張り続けているようです。


Dion Di Muchi
1858.05.19(Billboard Hot100初登場日付け)-64.09.12(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:28曲
同Top40ランク曲数: 20曲
同Best10ランク曲数:10曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:34曲
4チャートのBest10ランク曲総数:11曲

Freddy Cannon
59.03.09(Billboard Hot100初登場日付け)-64.03.21(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:20曲
同Top40ランク曲数:07曲
同Best10ランク曲数:03曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:23曲
4チャートのBest10ランク曲総数:03曲



時間が無いので走り書き。(殊にディオンに関しては最初に断った通り)資料チェック無しです。

【ディオン/マイ・ベスト10】

●Where or When(いつかどこかで)
1959年Pop 3位。ベルモンツ時代の最大のヒット曲。どことなく気だるいところがまた心地よい、絶妙のハーモニーを聴かせるバラードナンバーです。ベルモンツ解散前の最後の曲、同時に50年代最後の週のBest 3ランキング曲のはず。60年代最後の週のNo.1ヒットが、シュプリームス解散前の最後の曲「Some Day We’ll be Together Again(またいつの日にか)」。なにかの因縁を感じます。

●Ronaumd Sue(飛んでヘレヘレ)(悲しき恋の物語)(浮気なスー)
1961年Pop 1位。文句のつけようのない、素晴らしい曲。ディオンのパワーには、圧倒されるばかりです。一つ文句を付けるなら、「悲しき恋の物語」という、ダサイこと極まりない当時の邦題。さすがにマズイと思ったのか、後年は原題直訳の「浮気なスー」に。それよりも、巷では「飛んでヘレヘレ」(僕には「ホンでヘレヘレ」とも聴こえるけれど)通っているみたいですけれど。

●The Wondrer
1961年Pop 2位。テイク1ヴァージョンというのがあります。これが凄い!全体に抑えた感じで進行する、一般に知られている「ザ・ワンダラー」より、テンポを上げて迫力満点です。エンディングがいつまでたっても終了せず、ディレクターがストップをかけます。ディオンの真骨頂。

●Lovers Who Wonder
1961年Pop 3位。3曲連続Best 3チャートインというのは、この時代、Elvisを除けば、他に4シーズンスの「Sherry」「Big Girls Don’t Cry」「Walk Like a Man」(62年、3曲連続No.1)、ボビー・ヴィントンの「Blue on Blue」「Blue Velvet」「There I’ve Said it Again」(63年)ぐらいだったと思います。「飛んでヘレヘレ」を上回る迫力です。

●Ruby Baby
1962年Pop 2位。コロンビア移籍後の最初の曲)ですね。日本での有名度は一番?「飛んでヘレヘレ」ともども、ある程度はヒットしていたように記憶しているのですが。この後、ローリーとコロンビアの両レーベルからチャートヒットが続きます。

●This Little Girl
1963年Pop 21位。キャロル・キング&ゲリー・ゴーフィンの作品。本格的な構成の名曲です。

●Be Careful of Stones That You Throw
1963年Pop 31位、AC 13位。カントリー・バラードもこなします。ハンク・ウイリアムスのナンバーです。語りが素敵!唯一のACチャートインナンバー(他に後年の数曲はチャートインしているかも知れません)。

●Donna the Prima Donna(可愛いドンナ)
1963年Pop 6位。いかにも日本人受けしそうな、覚えやすいメロディーなのですが、、、、。日本ではほとんどヒットしなかったように思います。それはともかく、「ルビー・べイビー」も実質63年のヒットだと思うので、この年のヒット曲量産は、質量とも、凄かったのです。ロイ・オービソンの「Mean Woman Blues」(最高位は5位)とほぼ同じチャート航跡。

●Drip, Drop
1963年Pop 6位。僕が一番好きなディオンの曲。下駄の音の様なバッキングが印象に残ります。63年の快進撃を締めくくる一曲で、ビートルズ襲来直前の64年初頭にかけ、Top 10にランクされていました。ジョニーの「Talk back Trembling Lips」より一週間後にHot 100入り、最高位は一つ上、一週間早くHot 100から姿を消しています。

●Abraham, Martin, &John
1968年 Pop 4位。64年も快進撃が続くと思いきや、次の「I’m Your Hoochie Coochie Man」は、何とTop 100圏外!続く「Johnny Be Goode」がかろうじてチャートインしたものの、そこでお終いです。4年後の復帰作(というより一発ヒット)がこれ。一転して、静かなフォークロック調、アブラハム・リンカーン/マーティー・ルサ-・キング/ジョン・Fとロバートのケネディ兄弟の暗殺をテーマにした“メッセージソング”です。

≪おまけ≫●Rudolph the Red Nosed Reindeer(赤鼻のトナカイ)
1996年発表のクリスマスアルバム収録。これぞ“The R&R”と言った「赤鼻のトナカイ」です。ちなみに、スーリンは、このディオン盤「赤鼻のトナカイ」が大のお気に入り。現代の若者にも受け入れられるのだと思います。


【フレディー・キャノン/マイ・ベスト10】

○Tallahassee Lassie
1959年Pop 6位、R&B 13位。フロリダ州の州都はどこか知っていますか?「マイアミ」ブー!「オークランド」ブー!「ジャクソンビル」ブー!。正解は「タラハシー」付け根の左隅にある、メキシコ湾沿岸都市です。

○Way Down Yonder in New Orleans(ニューオリンズ遥か)
1960年Pop 3位、R&B 14位。地名シリーズで行くようです。2曲目は「Okefenokee」(Pop 43位)、3曲目も、メキシコ湾沿岸の「ニューオリンズ」です。

○Transistor Sister
1961年Pop 35位。60年から62年まで17曲 のチャートヒットがありますが、大多数は50位以下(含100位以下2曲)、トップ40入りは、この曲を含め4曲です。

○Teen Queen of the Week
1962年Pop 92位。僕の中では、アメリカンポップス史上最高のロックナンバー。92位というポジションが信じられません。次の大ヒット曲「Palisades Park」より遥かに良いのだけれど。

○Palisades Park(恋のジェットコースター)
1962年Pop 3位、R&B 15位。フレディの曲で最もよく知られているのは、この曲でしょう。後のBeach Boysのカヴァーが有名。

○Patty Baby
1963年Pop 65位。「Teen Queen of the Week」と並ぶ、R&Rの最高峰。もっと多くの人々に聞いて貰いたいと、つくづく思います。

○Abigail Beecher
1964年Pop 16位。ノンヒット3曲の後、スワンからワーナーブラザースへ、レーベルを移動します。初リリースが大ヒットとなりました。

○Action
1965年Pop 13位。再び沈黙し、ノンヒット4曲のあと、ふたたび大ヒットです。

○The Dedication Song
1966年Pop 41位。「アクション」の後、80年代に至るまで、24枚のシングルをリリースしていますが、この曲と、100位以下の3曲、及び後述するベルモンツとのジョイント曲を除き、全てハズレです。

○Rock Around The Clock
1968年Pop 131位。ロックの超有名曲。この曲を、どのようなスタイルで唄っているのか、興味深々、、、一度聴いて見たいですね(まだ聴いていない)。

≪おまけ①≫○Let's Put The Fun Back In Rock N Roll
Withベルモンツです。ディオンは許可?したのでしょうか?81年Pop 81位。

≪おまけ②≫○Come On a Sleigh Ride with Me(橇滑り)
ディオンに対抗して、こちらも2002年のクリスマスアルバムから。withジョニー・ティロットソン、ブライアン・ハイランド。この曲、You-Tubeにアップされていて、その動画がなんとも素晴らしい(極めつけのシンプルさですが)。ぜひ一度訪れて下さい。



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中国旅行情報(9)

2010-09-30 09:03:58 | 自然、中国、花、蝶、


翁水村&貢千山(四川・雲南省境付近)①

四川省の理塘(成都から西へバスで2日のチべタンの町)と、雲南省の香格里拉(昆明から北へバスで2日のチべタンの町)を、行き来することが多いのです。その間、標高4500m~5000mの山(峠)を、3つほど越えます。真ん中の峠が、両省のボーダーとなる、貢千山(地元の人の呼び名、地図には“大雪山Y口”と記されています、標高は5000m余)。はじめてここを通った時は、それはもうびっくりしました。異様な雰囲気の山なのです。

今年の夏、峠から雲南省側に越えたところにある最初の村、翁水村に泊まって、蝶や植物の撮影・調査を行おうと計画しました。ところが、ついてすぐ、カメラが壊れてしまった。4日がかりで香港までカメラの修理に行く羽目になったことは、以前のブログで、報告しました。その後、すぐに戻って来たかったのですけれど、時間や予算の関係で、チャンスが無かった。今回、チョウや植物の季節には遅すぎるのですけれど、香格里拉に寄ったついでに、(思うところがあって)一泊2日のとんぼ返りで、再訪して見ることにしたのです。以下、あとランダムに紹介して行きます(並行して、「中国の蝶」のコーナーでも取り上げているので、そちらも参照して下さい)。


①香格里拉を朝8時半(秋~春は7時半)に出るバスに乗って2時間余、最初の峠に登ります。切符は四川省の郷城までの70元を払い、中間地点で、バスを乗り捨てることになります。ただし、バスターミナルの近くからは、翁水止まりのバスも出ているので、そちらを見つけることが出来れば、半額以下で済みます。2010.5.22。




②峠の道。2010.5.22。



③最初の峠を越えると、眼前に長大な岩山の連なりが展開します。四川・雲南省境の山なみです。峠との間の谷沿いにあるのが、翁水村です。2010.9.21。



④⑤⑥峠頂からは眼の下に見えていた岩峰が、下るにつれて競り上がって来ます。この辺り、初夏の樹林に咲くシャクナゲ・ツツジが見事です。①2010.5.22。②2010.6.13。③2010.9.21。








⑦村の入り口から東に向かう谷には、“大渓谷”の表示がありますが、僕はまだ訪ねたことがありません。2010.9.22。



⑧村に沿って流れる翁水川。2010.9.22。



⑨⑩翁水村は、村と言っても中心になる集落があるわけではなく、川沿いに民家が点在するだけです。2010.9.21-22。






⑪赤花のソバ畑と、白い雲南(チべタン)民家。2010.9.22。



⑫⑬村の手前から一番奥までの距離は、約15km、交通量も少ないので、随分長閑な雰囲気です。






⑭僕の乗ってきた郷城行きのバス。香格里拉を朝出て郷城へ向かうバスも、郷城を朝出て香格里拉へ向かうバスも、翁水村で昼食タイムとなります。








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My Sentimental Journey(37)

2010-09-30 08:50:06 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑩

やっぱり主役は私!



隣の伯父さんと。



いつも無表情なのが凄い。



3人で仲良く。





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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(14)

2010-09-29 13:22:31 | チョウ


【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の⑤シリーズです。
「日本列島および近隣地域の野生アジサイ」及び「中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ」はしばらくお休みします。更新する記事が多く、一日にこれ以上の更新は無理。あやこ




生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(14)
図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(17)
中国旅行情報(7)
ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(12)
My Sentimental Journey(35)


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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(14)

No.008 秋の梅里雪山のBlues【3=番外編】ゴマシジミの仲間

シジミチョウ科Lygaenidae/ヒメシジミ亜科Polyommatinae/ヒメシジミ族Polyommatini/ゴマシジミ類Zizzeria Sect.
四川省Sichuan/二朗山Mt.Erlang中腹/標高alt.2700m/2010年8月10日 【④~⑥を除く】

明永氷河の下の草原で9月10日に観察した、Blue各種の紹介のついでに、どうせなら日本(本土)に産するBlueの5つのグループを紹介しておこうと思ったのだけれど、表題にそぐわなくなってしまった。今回の写真は、“秋の梅里雪山”とは、全く無関係です。























少し前に、四川省二朗山で撮影した、ウスアオゴマダラシジミです。原則、撮影後にしか採集しないことにしているのですが、うっかり網に入ってしまった(写真②③)。その後、キイチゴ類の花に吸蜜に訪れた個体(①)があったので、生態写真を撮影出来たのだけれど、採集品も一緒に紹介しておきます。なお、昨年の同時期には、西嶺雪山でもキイチゴに産卵に来た♀を観察しています。

なお、以前紹介した、春と夏に出現する、ゴマシジミ(カバイロシジミ)群の2種も、併せて再掲しておきます。キララオオルリシジミ(写真④⑤雲南省維西2010.5.18)。ヒメオオルリシジミ(写真⑥四川省雅江東郊2010/09/25、写真⑦雲南省翁水村2010/09/25)。


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図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(16)

2010-09-29 13:17:29 | その他の植物
図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(16)

No.003シオガマギク属の各種Pedicularis spp.【10】

ゴマノハグサ科Scrophulariaceae(またはハマウツボ科Orobanchaceae)/シオガマギク連(仮称)/シオガマギク属Pedicularis
中国各地(主に四川・雲南)West Chaina/1989~2010


55 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



56 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



57 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



58 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



59 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



60 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



61 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m





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中国旅行情報(7)

2010-09-29 13:05:39 | 自然、中国、花、蝶、
めこん雲南省・香格里拉から梅里雪山へ

4~5カ月前に、「あしたのたび」というのをアップしたのを覚えていますか?

あや子さんは、このタイトルに、何だか“もったい”を付けていましたけれど(笑)、意味するところは、明日出発予定の道筋を、以前撮影したカットを寄せ集めて、先に紹介しておきます、という即物的な意味合いに過ぎませんでした(皆さんがこの画面をご覧の頃は、僕も同じ場所を通行中です、と)。

ところが、実道路が不通で、予定していた地(奔子欄→徳欽→梅里雪山)に向かうことが出来なかったのです。なんと“明日”のはずが、半年近く後になってしまいました。あや子さんの“勿体”も、もしかしたら意味をなしてくるのかも知れません。

つい先日「中国蝶類生態図鑑」で紹介していた“小型ヒョウモン”や、今紹介中(たまたま今日の項だけ別)の“Blue”が、今回訪ねてきた“あしたのたび”の成果なのです。実は、今もまだ道路は不通(改修工事中)で、今回行くことが出来たのは、僅か一週間の“作業休止?”期間に運良く当たったからのようで、また当分は通行止めになってしまうそうです。

通って見て分かったですね。通行止めの理由が。それはもう酷いものです。場所を区切って工事をして行けば良いのに、百数十㎞に亘る(標高にして1800mから4300mの)道路を、一度に大改修しようとしている。今まででも、それなりに快適な道だったのです。何故さらに改修する必要があるのか、と思うのですが、“梅里雪山”を、雲南(&チベット)観光の、よりメジャーな目玉にするつもりなのでしょうね。

中国では、工事中の道路(おおむね高速道路)の上を、走らせるのです。これはもう、苦行としか言いようがありません。今回も、何度もバスの天井に頭をぶつけそうになりながら、通常7時間の行程を12時間かけて、目的地(徳欽)に辿りついたのですが、数日前に同じ道を通ったという日本人は、28時間がかりだった由。

完成の暁には、さぞかし立派な“山岳ハイウエィー”が出現するのでしょうが、この行程のハイライトたるべき、白馬雪山のハイウエィー部分が、一部トンネルになってしまうようなのです。ちょっと残念ですね。

ということで、改めて“150日後のあした”の旅を紹介して行くことにしましょう。


①これは出発の前日。シャングリラ到着直前、雨あがりの小中甸にて(昨日のブログ参照)。



②朝の古城。



③中甸の町外れの納拍海は、水が干上がってただの草原の時も多いのだけれど、今は見事な湖。これは何かの養殖(教えて貰ったのだけれど忘れてしまった、確か美味しいものだった気が)。



④すぐに工事中のデコボコ道になります。尼西の集落の先、不思議な山の麓を過ぎた辺りから、長江岸に向けての標高差1500m近くの下りとなります。虎跳峡~小中甸の道と違って、山の斜面は乾燥した低木林で、大抵は晴れています。下り切った所で、民家がちらほら現れます。



⑤幸福村です。



⑥幸福村の、春蕾小学校。



⑦やがて長江本流に合流。普段はバスの車窓に一瞬よぎるだけなのですが、今回はここで1時間余停滞。撮影には1分もあれば充分なのに、1時間は長すぎます。でも、ここで20時間近く!待たされたという件の日本人氏に比べれば、まだましなのだけれど。



⑧長江岸の奔子欄から、白馬(白芒)雪山の峠に登り、徳欽を経由してメコン河岸に下る、標高差併せて5000mのアップダウンが、この行程のハイライトですが、今回紹介はパス。その間も写真のごとく、いちいち岩をどけつつ進んで行きます。ちなみに、「白馬雪山」「白芒雪山」どちらが正しいか、現地の人に尋ねたところ、「本来はチベット語で両方とも当て字、どっちでも構わない」とのことでした。



⑨メコン河(中国内は“湄公河”)。



⑩氷河の下に、明永の集落があります。



⑪今回は、梅里雪山は雲の中、一瞬頂上が見えました。



⑫ガキども。撮影前に、傑作な(というと本人に失礼か)小ドラマがあったのですが、コメントそのうち。



⑬⑭もう秋です。春~夏に来れば、チョウたちが無数に舞っていることでしょう。来年こそは。












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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(12)

2010-09-29 13:02:31 | アメリカン・ポップスearly60’s

“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ⑤ 『チャビー・チェッカーとボビー・ライデル』


Chubby Checker 62位 
1941.10.3 South Carolina出身
ザ・ツィスト/リンボロック


Bobby Rydel 108位 
1942.4.26 Philadelphia出身
ワイルドワン/青春スィンギンスクール


【Cameo-Parkwayレーベルの、2大看板スター】

たった今、marierenさんの「リッキー・ネルソンに恋して」を訪ねたら、ジョニーの新しい動画が紹介されていました。「ウイズアウト・ユー」。改めて紹介した理由は、ジョニーの曲なのに、なぜか動画画像にボビー・ライデルが使われていて、それが面白い?から、ということらしいのです(中国ではYou-Tubeが見られないので残念!)。

ということで、第3のボビー、ライデル君です。いや、トップが“ダーリン”というのは分かります。でも、なぜ2番目が“ヴィー”で、“ライデル”が3番目なのか? リアルタイムでの実績は両者完全に互角(ヴィー104位、ライデル108位、ヴィーは60年代後半に、ちょこちょこと顔を出して点数を加えたので、“ポップス黄金時代”の実績ではライデルのほうが上かも知れない)ですが、その後の評価(というよりも知名度)では、どうも常にヴィーの後塵を排しているように思えます。“スリー・ボビー”も、いつの間にやら“ヴィントン”と取り換えられていたり、、、、。ライデル君、なんだか、世間の認識が今一つ、ということらしい。

1964年の大ヒット曲に、「ネイビー・ブルー」という、明るく楽しい“ガール・ポップス”があります。ダイアン・リネイの(ほぼ)一発ヒット(正確には、この後「キッス・ミー・セイラー」のチャート・ヒットあり)。でも彼女は、その後も延々と、現在(65才)に至るまで現役で活動していて、立派な自分のH.P.まで持っているのです。社会の中に占める音楽の比重が高いアメリカに於いては、並大抵の才能や努力では、頭角を現すことは難しい、と以前に記しましたが、逆に言えば、一発でもトップ10クラスのヒット曲があれば、一生食っていけるわけです。

彼女のH.P.は楽しいですよ。いかにも良家の“お嬢さん”。どうやら「ネイビー・ブルー」でのブレイクは、“並大抵の才能や努力”とは無関係に、運とコネだけで掴んだのではないかと、そんな気がしてきます。いろんなスターたちとの2ショット写真が貼り付けられてあって、それが「スター同士の2ショット」というのではなくて、明らかに「“スター”と“ミーハーファン”の2ショット」のノリなのです。「with“オリジナル”ローリング・ストーンズ」とか、「with“オリジナル”シュプリームス」とか、「with4シーズンスの“3人”とボビー・ゴールスボローとコニー・フランシス」とか、、、。

むろん、「withチャビ・チェッカー」とか、「withジョニー・ティロットソン」などもあるのですが、圧倒的に多いのが、「withボビー・ライデル」。背広をきちんと着こんだジョニーとかしこまって写っている2ショットとは対照的に、上半身裸に近いボビーと寝転んだままの2ショットだったりして、ほとんど “バカカップル”というノリ。彼ら2人が特別な関係にあったとのかどうかとかは無関係に、ライデル君のキャラクターが、軽い(よく言えば天真爛漫)と、それだけのことだと思う。彼は、同じ頃、アン・マーグレットと「バイバイ・バーディー」で共演していて、僕はリアルタイムでその映画を見ているのだけれど、覚えているのは、アン・マーグレットの色っぽさばかり(純情極まりない少年だった僕には、刺激が強すぎて、ひと月ほど興奮が収まらなかったです)。本来はライデル君を見るのが目的だったはずなのに、彼の印象はこれっぽちも残っていないのです。

今回の紹介は、スリー・ボビーの2人、ということで、ヴィーとライデルの組み合わせでも良かったのでしょうし、“フィラデルフィアの2大ヤングスター”と位置付られていた、フランキー・アヴァロンとの組み合わせでも良かったわけです。でも、ボビー・ライデルとくれば、やはり同じカメオ&パークウエイ・レーベルのトップスター、チャビー・チェッカーとの組み合わせ、ということになるでしょう(彼ら4人に、最後に紹介する予定のジミー・クラントンを加えた5人は、どの組み合わせでもしっくりくるように思うのですが)。

チャビー・チェッカーも、軽い(天真爛漫!)という点では、ライデルに引けを取りません。良くも悪くも、2人とも騒がしく楽しい曲が真骨頂。この“24人衆”の選定基準は “Popチャートへのランク曲がR&Bチャートランク曲の2/3を上回らない”として、実質的に黒人シンガーに対しハードルを上げている(その理由は以前に記しました)のですが、それでも線引きに引っかからなかったのが、チェッカー君です。彼がいかにポピュラーな存在なのかが分かります。

ご存じの通り、チャビー・チェッカーの名は芸名。ポップス系R&Bシンガーの大先輩、ファッツ・ドミノと対にして名付けられたというのは有名な話です。ファッツ(太った)=チャビー(小太り)、ドミノ=チェス(共にゲーム)。

でも、ドミノには、一曲もNo.1ヒット(Pop)が無いのですね(No.1ヒットを持たないNo.1のシンガー?)。ボビー・ライデル、ジョニー・ティロットソン、ジーン・ピットニーという面々が、「No.1ヒットを持たないメジャー歌手」の上位に、名を連ねています。

No.1ヒット、ということで言えば、「史上最大のNo.1ヒット」の保持者が、チャビー・チェッカーです。1960年と1961年に、2度No.1の座に着いた「ザ・ツイスト」。No.1の座についた後、一度Hot100から姿を消して、再びNo.1に登りつめた曲というのは、後にも先にもこの曲だけ。(現在ではチャート方式が変わってしまったので)永久に破られない記録です。他にもう1曲のNo.1ヒット(61年の「ポニー・タイム」)を持っていますが、僕は「リンボロック」(62年Pop 2位)が好き。B面の「ポパイ・ザ・ヒッチハイカー」(Pop 19位)もいいですね。太り気味の体を軽快に揺すって、ウキウキするように唄う姿には、つい微笑んでしまいます。

ボビー・ライデルでは「青春スインギンスクール」(60年Pop 5位)かな? いずれにしろ2人とも、底抜けに明るく、賑やかで楽しいヒット曲が満載です。そうそう、2人一緒に歌った「ジングルベル・ロック」(61年Pop 21位)と言ったヒット曲もありましたね。

2人とも、ビートルズの登場を機に、一気に萎んでしまった口です。ライデルは、64年初頭、しばらくぶりのトップ10ヒット「フォーゲット・ヒム」(Pop 4位AC 3位)で、この後“ライデル時代”が続くか?と思いきや、その後はPop40位以下の4曲だけ(ラストヒットは、65年の「ダイアナ」Pop 98位)でお終い、(ビートルズとティストの重なる)チェッカーも、65年の「レッツ・ドゥ・ザ・フレディー」(Pop 40位)が最後のメジャーヒットで、似たり寄ったりの境遇と言えます。

でも、現役から退いたわけではありません。チェッカーは、80年代に入って、黒人少年3人組の「ファッツ・ボーイ」と共に「ザ・ツイスト(ヤ・ツイスト)」を三度目のチャートに送り込んでいます。ライデルは、76年に「スエイ」のディスコヴァージョンをACチャートに送り込むと共に、クラブシンガーとして、活躍を続けているそうです。最近の動画を見ると、ボビーは渋い小父さんに、チャビーも貫禄たっぷり、でも相変わらず賑やかな歌を歌い続けています。

そうそう、marierenさんは、今日、もうひとつ動画を紹介していましたね。“シャナナ”に出演中の、Johnny Tillotson1。“シャナナ”は、Chubby Checkerヴァージョンも(You-Tubeで)アップされています。こちらも大変楽しいので、皆さん、ぜひ見て下さいね。

Chubby Checker
59.05.18(Billboard Hot100初登場日付け)-65.05.29(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:31曲
同Top40ランク曲数: 21曲
同Best10ランク曲数: 07曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:35曲
4チャートのBest10ランク曲総数:07曲


Bobby Rydell
59.06.29(Billboard Hot100初登場日付け)-65.02.13(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:30曲
同Top40ランク曲数:19曲
同Best10ランク曲数:06曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:31曲
4チャートのBest10ランク曲総数:06曲

今日は、曲の紹介は無し。次の機会に改めて



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My Sentimental Journey(36)

2010-09-29 11:29:26 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑨

僕にもおすそ分け。これがとても美味しい!



隣のお母さんと姉妹。



男の子がいたぞ!写真取らせて!!でも照れ屋なのです。



女の子のほうが強いようです(負けてあげている)。



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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(13)

2010-09-28 11:02:08 | チョウ
【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の④シリーズです。



生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(13)
中国旅行情報(6)
ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(11)
My Sentimental Journey(34)


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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(13)

No.008 秋の梅里雪山のBlues【2】(ルリシジミほか Lycaenopsis spp.)

シジミチョウ科Lygaenidae/ヒメシジミ亜科Polyommatinae/ヒメシジミ族Polyommatini/ルリシジミ類Lycaenopsis Sect.
雲南省Yunnan/梅里雪山Mt.Mei-Li-Xue明永氷河Ming-Yong/標高alt.2500m/2010年9月10日 【⑥~⑨を除く】

















石コロか、はたまた玉か、よく解らないのがこの一群。①~④はルリシジミだと思うけれど(タッパンルリも混じっている?)。⑤はルリシジミに近縁の別種と思います(大型種)。













写真⑥~⑨は、2009年8月4日に、四川省二朗山の渓流で撮影したもの、⑥⑦は、表の白い斑紋から見ても、タッパンルリシジミの可能性が強いですね。でも、中国西南部では、本物のルリシジミにも翅表に白い斑紋が出ることがあるようなので、断言はできません。⑩は、おそらくルリシジミだと思うのですが、、、。、




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中国旅行情報(6)

2010-09-28 09:59:35 | 自然、中国、花、蝶、
雲南省・香格里拉

ここのところ、3週間ほど、ずっと香格里拉に滞在しています。9月9日に到着、10日から3泊4日で、徳欽~梅里雪山(明永氷河)を往復した後、21-22日に、翁水村を1泊2日で往復(いずれも帰国費用を作るため)、後は、香格里拉の常宿「NOAH CAFÉ&INN」の室内に籠ったままです。部屋の外には、ほとんど一歩も出ていません(食事はルームサービス、笑)。週に1回か2回、5分ほど歩いて自分でレストランへ行くのが、精一杯の外出です。引き籠り、というのは、こう言う状態を指すのでしょうか?

それもこれも、ブログの読者のみなさんが、(誰ひとり)自主購読料を支払ってくれないからです。好き好んで引き籠っているわけではないのです。毎日、今日こそは、帰国に向けて次の地点(大理または理塘)に移動しようと、目論んではいるのです。しかし、旅費の見込みもつかないし、身動きが取れない。

近郊に取材(週刊A誌=恐竜村など、週刊B誌=白水台など)に出たくとも、あや子さんに実質上反対されている(「下手に動くと予算がかかってしまう」「仮に取材を完遂したとしてもすぐに資金を得られる保証はない」「日本への帰国を模索することのほうが先決」)こともあって、結局、何もせずに連日じっとしているのです(ここに居れば宿泊費は後払いがききます)。

というわけで、この機会に、久しぶりに「中国旅行情報」の紹介といきましょう(前回の分は、“あや子さんへの私信をブログ原稿としてアップしてもいいです”と伝えておいたら「旅行情報」の中に組み入れられてしまっただけで、別に情報でも何でもなく、ただの愚痴です)。もっとも、おそらく皆さんの求めるような、「旅行」の情報は、僕は一つも持ち合わせていません。この数年間、香格里拉に通っていながら、この町のことは、何にも知らないのです。ちなみに、一昨年は、ここに来ている間に、千明さんに(19歳の部下とくっついて)捨てられてしまった、というトラウマもあります。この話の顛末と今後の展開は、「屋久島の森~大和と琉球と大陸のはざまで」(既刊)、「Johnny Tillotsonの時代~ElvisとBeatlesのはざまで」(現在鋭意執筆中)とともに、「20’s meets 60’s~朝と夜のはざまで」として、“狭間”シリーズ3部作で著す予定でいるのですが、今の状況では、とてもそこまで手が回らない(笑)。

香格里拉(シャングリラ)は、いわば各所(雲南・四川・チベット・ミャンマーそのほか)への中継地点ですね。以前は“中甸(チョンディァン)”と称していたわけで、そちらの名のほうが、ずっとピッタシ来ます。バックパッカー諸氏からは、「この町のどこが“理想郷”というのだ!」という厳しい声が聞こえて来ます。広大な(単にだだっ広いと言って良い)標高3300m余の草原(湿原?)の中に位置する、特にこれといった特徴のない地方小都市です。廸慶(ディーチン)蔵族自治州の州都(香格里拉県)で、一応チべタンの町ではあるのですが、四川省の理塘の様な、濃密さは感じません。また、同じ廸慶蔵族自治州の、他の2つの県、徳欽(デーチン)県や、維西(ウェイシー)リス族自治県の城市(市街地のこと)の様な、地方都市としてのまとまりも持ち合わせていません。“古城”が市街地の片隅にあるということでは、“麗江古城”と同じですが、規模はずっと小さく、インパクトもさほどない。もっとも、言いかえれば、完全にテーマパーク化してしまった感のある、“大理古城”や“麗江古城”に比べれば、幾分かは素朴さが残っている(風前の灯だけれど)分、マシということが出来るかも知れません。

街の周辺の観光地(社寺仏閣、チべタンの祭りや風俗そのほか)については、全く知識が無いので、パス。ただ一つだけ、おそらく中国全土を見渡しても他にないであろう、大美点があります。それは、たった10分!で、ビザの更新が出来ると言うこと(大都市では一週間かかる)。これは覚えておいてもいいと思います。

廸慶蔵族自治州の概形は、佐渡島を縦にした形、面積は佐渡島の10数倍あると思われます。東半の“小佐渡”の部分が香格里拉県、西半の“大佐渡”の部分の北半が徳欽県、南半が維西リス族自治県です。“大佐渡”と“小佐渡”の間に「長江(金沙江)」が、“大佐渡”の真ん中を南北に「メコン河(瀾〇江)」が流れていて、“大佐渡”の西に隣接する、怒江リス族自治州の貢山独龍族自治県内には、「サルウイン河(怒江)」が、やはり南北に流れています。そのすぐ西はミャンマーの北部で、川の流域は「イラワジ河(上流部は雲南省に入り独龍江)」です。香格里拉からミャンマー北部との国境ラインまでは、直線距離で100㎞余。

香格里拉(中甸)から南へ100㎞余下ったところが麗江(古城)です。“廸慶蔵族自治州”に相当する行政単位は“麗江市”。さらに100㎞余南に下ると大理(古城)。“廸慶蔵族自治州”や“麗江市”に相当する行政単位は“大理白族自治州”、“大理市”はその一部で、行政単位としては“香格里拉県”や“維西リス族自治県”に相当します(ああややこしい)。ちなみに大理市の中心は、大理(古城)ではなく、下関。長距離バスなどの表記は、ほぼ全て下関となっているので、注意が必要です。大理(下関)-昆明は、高速道路で4時間半(約350㎞)。大理(古城)~香格里拉間は、通常観光客は中間地点の麗江で一泊はするわけですが、麗江に寄らずに、直接行き来することも出来ます。大理(古城)または香格里拉を、正午までに出発すれば、その日のうちに、それぞれの都市に辿りつけます。ちなみにバス運賃は、おおよそ丸一日の長距離(100㎞~数100㎞)移動で、100元弱(1000円余)と見積もっておけば、おおむね間違いないです。

香格里拉~麗江(標高2500mの高原上)・大理(標高2100mの湖畔)の間は、標高3300mの香格里拉の高原と、標高2000m弱の長江岸(有名な虎跳峡)の上下移動がメインを成します。この間の植生は素晴らしく、中国有数の、冷温帯針葉樹林が展開するので、またの機会に詳しく紹介して行きたいと考えています。一つだけ、印象に残る話しをしておきましょう。長江の川岸から、香格里拉の台地上へ、原生林を突き切って標高差1000数百メートルを一気に(実に強引としか思えない山岳ハイウエィー作りによって)登るわけですが、登りきった地点の集落「小中甸」の周辺は、常に(僕はこれまで何10回と行き来していますが、一度として例外なく)雨が降っています。必ずしも天候が悪い、というわけではありません。青空が覗いていても、雨が降っているのです。そういう環境なのです(屋久島を思い浮かべます)。

香格里拉から南東に向かう「白水台」、南西に向かう「維西」などについては、またの機会に紹介して行きたいと思っています。明日は、北西に向かう「徳欽・梅里雪山」への道を、明後日以降は、北へ四川省境に向かう道を、紹介して行く予定です。















香格里拉郊外にて。2010.9.22。今はちょうど、イワタイゲキによく似たトウダイグサ科の野生植物が、真っ赤に紅葉する時期。町の周囲のいたるところで、赤い大群落を目にすることが出来ます。



中国のユース・ホステル(&そのほかの宿泊施設)の紹介

【3】雲南省香格里拉/NOAH CAFÉ & INN ノア・カフェ&イン

[5点満点。あくまで僕の感覚に過ぎません。コメントを参考にして下さい]

内部環境4
 何もなし。屋上が素朴で良い。

周辺環境4
 古城の一角。何の変哲もないところ。静かでよい。

宿泊費4
 ドミトリー30元。個室120元~150元。

部屋5
 個室は完璧。ドミも感じが良い。

設備3.5
 特に何もないけれど、不便もない。

ネット4
 個室ではランケーブル可。ワイアレスは僕のパソコンには繋がらない(レストランでは可)。

整備5
 中国の宿泊施設としては、珍しくどこも壊れていない。

清潔さ5
 文句なしです。

見栄え3
 他項目は、数字が高い方が評価点ですが、この項目は必ずしもそうではないかも。シンプル・イズ・ベスト、という言葉もあります。

アクセス4.5
 古城ゲートから徒歩5分。

チェックインのし易さ4.5
 普段はゲストの数は少ないので飛び込みでもO.K.。ただし、重要なツアー客が来た時は、部屋が埋まってれば追い出されてしまう。

言葉の疎通4.5
 普通、英語の出来る中国人は、僕ら日本人のブロークンな英語をバカにして、ゆっくりとは喋ってくれないのだけれど、ここのスタッフは、きちんとした会話をする努力をしています。

スタッフの態度4.5
 これはちょっと迷った。オーナーには、非常に腹立たしく思うことが少なからずある。チーフの女の子にも同様。
そのことも含めて、トータルとしては、非常によい。

食事3
 原則、ライス、麺類は無し。スパゲッティー、ピザ、サラダ、サンドイッチなど。高い(400円前後)。スタッフはシンプルで美味しいものを食べているので、それをリクエストすれば、安く作ってくれる。

情報収集3 .5
特に優れているとは思わないが、尋ねればいろいろ調べてくれる。

ゲスト間の交遊4
 ここでは余り部屋から出ないので、よく解らないが、フレンドリーな欧米人が多いから、その気になればいくらでも可。

居心地5
 仕事(原稿書きなど)をするには、ここが一番でしょう。

外国人率4.5
 中国人も泊まれるのだろうけれど、ほとんど欧米人。

日本人宿泊客の多さ1
 今まで、一組の中年夫婦にお会いしただけです。

付記
 数年前から、古城入口のレストラン、ノア・カフェを利用しているのですが、そこで系列のゲストハウスを紹介され、僕のシャングリラでの常宿となっています。宿泊施設は2つあって(徒歩3分ほどの距離)、ノア・カフェ&インが(安めの)個室のみ、ノア・Nズ・キッチンが高めの個室とドミトリーおよびキッチンで、それぞれ3人程のスタッフが仕切っています。Nズ・キッチンのほうでは、僕のパソコンは原則繋がらないので、ドミに宿泊する時(ネットは、レストランで)以外は、ノア・カフェ&インのほうに宿泊します。ノア・カフェ(レストラン)は、以前は同一経営だったのが、現在ではノア・カフェ&インとは別経営になっているようです。メニューなどは共通、ただし、ノア・カフェのほうは、麺類やご飯ものなども用意されています。


【写真】
●5 1 1 部屋の窓も滅多に開けません。ためしに空けて見ました。



●5 1 2窓の外の風景です。



●5 1 3ドアの外にもたまにしかでない。欧米人は賑やかでフレンドリーです。右は、喧嘩ばかりしているチーフの女の子。



●5 1 4右は僕。








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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(11)

2010-09-28 09:56:07 | アメリカン・ポップスearly60’s



狭間のシンガー”24人衆の紹介 ④ 『ボビー・ヴィーとフランキー・アヴァロン』


Bobby Vee 104位 
1943.4.30 North Dakota出身
さよならベイビー/燃ゆる瞳



Frankie Avalon 131位 
1939.9.18 Philadelphia出身
ディディダイナ/ヴィーナス


【アイドル路線の王道を行く】

実質上、今日と明日はパスです。毎日更新して行くのは、大変です。幸い、というか、今日のBobby VeeとFrankie Avalon、明日のChubby CheckerとBobby Rydelについての知識は、ほとんどありません。決して嫌い、というのではなく、僕の音楽的嗜好が、もうひとつ彼らの歌と、フイットしないのです。繰り返し言うけれど、嫌い、というのとは違うのです(“好きか嫌いか”となれば、間違いなく“好き”なのです)。

そのうち、機会があれば、彼らの歌を沢山聴き込むことにより、いつか改めて構成し直したい、と考えています。

ことにボビー・ヴィーについては、書くべきことが沢山あるはずです。彼は、いわば“狭間の歌手”達の“総大将”なのです。年齢はジョニーより4つ下で、24人衆の男性陣では、ブライアン・ハイランドやルー・クリスティーと共に最年少。でも、現在、彼が先頭に立って、オールデイズの連中を仕切っているのではないかと思われるのです。彼を中心に組まれたツアーなども多いようですし。

僕が、改めて60年代のポップスを聴きはじめたのは10数年前頃からですが、それ以前は、街角でオールデイズの曲がかかっていたら、しばし立ち止まって聴き耳を立てていたものです。その代表が、「ミスタードーナッツ」で流されていた音楽で、テーマ曲?が、ボビー・ヴィーの「燃ゆる瞳」。僕にとってのこの曲は、オールデイズの右代表、というわけです。今思えば、これも、彼の商売上の戦略の一環なのかも知れません。

24人衆の中でも、僕が大好きな歌手の一人が、トミー・ローです。彼の(たしか)旧ブログの中の、リンクのコーナーには、一言コメントが付いていました。ボビー・ヴィーへのコメントは、「相棒」「商売熱心」。ちなみに、ジョニーへのコメントは、「古くからの友達」「優しくて親切」「真のプロフェッショナル」(これ、とても気になるのですが)。

H.P.と言えば、ボビー・ヴィーのH.P.は、実に充実しています。以前、ジョン・D・ラウダーミルクのH.P.が素晴らしい、と記したけれど、これは完璧に仕上がった目録としての素晴らしさ、ボビーのは、現在進行形の、いわばブログの様な、サービス精神に満ちた、盛りだくさんな内容なのですね。ニュースなども常に更新していて、新しい情報(たいていは誰それが亡くなった、という辛い知らせですが)は、彼のH.P.から知るのです。

1980年代中期の、ウルフマン・ジャックが司会?する、ミュージックビデが市販されていて、ボビー・ヴィーや、ジョニー・ティロットソンの単独ヴァージョンもあるのですが、「元祖ティーンアイドルたち(の現在)」と銘打った、確か11人分を集めたオムニバス盤があります。ビルボード総合ランキングでのトップは、ちょうど真ん中あたりに登場するボビー・ヴィー。やはり彼が主役なのだ、と考えて良いのでしょう(ポールやニールやディオンやジーン・ピットニーやボビー・ヴィントンらは、こう言うパッケージ的な企画には、登場しないのでしょうね)。ランキング3番目のトミー・ローが、オープニング。ランキング2番のジョニー・ティロットソンが、トリ。ジョニーは、「懐かしの青春アイドル達」パッケージ・ショウの、トリに登場する歌手、という位置付けなのですね(トホホ、、、と言うべきでしょうか)。

ランク4~7位の、デル・シャノンとブライアン・ハイランドが前半に、フレディ・キャノンとルー・クリスティーが後半に、それぞれ登場、その他の4人がボビーの前後に加わります。それぞれ、いかにも個性が出ていて、何度繰り返し見ても飽きない。機会があったら、全員に対する感想を述べたいと思っています。

デルとブライアン(無精髭です)は、実に真剣に唄っている。まるでオーデションを受けている新人歌手のよう。フレディーとルーは今なお現役感たっぷりで、懐メロ・パッケージ・ショーに組み入れるのはもったいない。で、ボビー・ヴィーは、と言うと、余裕たっぷりというか、場慣れしているというか、ほとんど吉本の乗り、アドリブを交えてサービス満載のエンタティーナーぶりを発揮しています。

小柄で華奢な体つきの多い、元祖ティーンアイドルの中では大柄、様々な意味での“パワー”を感じます。“ポップス黄金期”のリアルタイムから現在に至るまで、膨大な量のアルバムをリリースしていて、その点では、ジョニーなど、足下にも及びません。「ポエトリー」もリアルタイムでカバーしています(邦題「君に首ったけ」、後のマーシー・ブレインの「ボビーに首ったけ」の邦題は、それをヒントにした?)。独特の“しゃっくり唱法”を別とすれば、個性は余り感じず、非常に普遍的、そしてカントリー臭のなさ、というところが、広く受け入れられる人気のポイントなのかも知れません。

ビデオと言えば、フランキー・アヴァロンがジョニー・ソマーズらと共に司会をしているシリーズ(Hullabaloo?)も楽しい。 ビートルズ以下の新時代のアイドルが出てきて、“狭間の歌手”達は駆逐されてしまうわけですが、アヴァロンは、すでにそのだいぶ前から、ヒット・チャートの世界から遠ざかっていました。彼の本職は、どちらかと言えば“青春映画スター”。ヒット曲の作出に拘らなくてよい、余裕があってゆえのリタイアなのでしょう。

後輩のフェビアンと共に、「ルックスさえ良ければ歌は少々下手でも良い」という売り出し方をされていた、という有名な話がありますが、といっても、50年代末には、「ヴィーナス」と「ホワイ」を、連続してNo.1に送り込んでいて、これは24人衆の中では、後のボビー・ヴィントン(「ブルー・ヴェルベット」「ゼアー・アイブ・セッド・イット・アゲイン」)と並ぶ、2人だけの偉業です。どうして、歌手としても、一流なのです。

本来は、ジャズ・ヴォーカル的なスタイルを目指していたのだと思います(風貌も、どことなくフランク・シナトラに似ている?)。フランキー・アヴァロンにしろ、ポール・アンカにしろ、ボビー・ライデルにしろ、ボビー・ヴィーにしろ、“生粋のティーン・ポップス”歌手と言うのは、多かれ少なかれ、ジャズ・ヴォーカル的な要素が基盤になっていて、C&W的な風味が余り感じられません。そのことが、僕の嗜好と、余りフィットしない要因ともなっているのでしょうが、、、。

2曲のNo.1ヒットのうちでは、一般には「ヴィーナス」が有名ですが、僕はもうひとつの「ホワイ」が好きです。非常に素直でここち良い歌声、聴いている方も、心地よくなってきます。一度ゆっくりと、彼のヒット曲やアルバムを聴き込んでみたいもの、と思っています。

ちなみに、アヴァロンの息子が、エヴァリー兄弟のどちらか一方の息子と、“2世ディオ”を組んでいる、という話を耳にした事があります。父親たちとまでは行かなくても、少しはメジャーの世界に近付けたのでしょうか?

インターネットを利用し始めて間もない頃、Johnny Tillotsonの画像を探して、ネットサーフしていたことがあります。Johnny Tillotson &Brian HylandとBobby Veeという画像を見つけたので、早速訪れて見ました。確かに、中年のジョニーとブライアンは写っているのですが、ボビーの姿はどこにもない。代わりに、見たこともない若者が、二人とそれぞれデュエットしている写真が、何枚も張り付けられている。改めて見出しやキャプションを確かめると、Bobby Veeではなくて、Robby Veeなのです。これじゃ、勘違いしても仕方がありません。

僕は、こう想像しました。ジョニーとブライアンの下に、旧友のボビーから、ジョイントコンサートのオファーが来た。2人は、よく確かめもせず、二つ返事で引き受けた。ところが、ジョイントの相手は、旧友のボビー・ヴィーにあらず、無名の駆け出し歌手ロビー・ヴィー。まんまと、売り出しの宣伝に利用されてしまったというわけです(O.K.のサインをしたとあっては断れないし)。そう思って写真を見れば、ジョニーはふて腐れて、ブライアンはやけくそ気味で、ロビー君とデュエットしているようにも見えます。

まあ、当たらずといえども遠からず、というところなのでしょうが、真相は少し異なります。ロビーはボビーの息子。父親から頼まれて、彼のデビュー・ステージに、友情出演してあげた、というところでしょう。その後ロビーは、もう一人のボビーの息子トミー(相棒のTommy Roeから頂題した?)とディオを組んで、“Vee’s”の名で活動しています。一時期、父親と一緒に(ジョニーやブライアンとも)パッケージを組んで、ライブやコンサートなどに精を出していたようなのですが、最近はとんと噂を聴きません。親バカの父親からも見放されたのでしょうか?

“Avalon&Everly2世”組も、“Vee’s”も、“Nelson’s(Ricky Nelsonの双子の息子ディオ)”も、皆もういい年のはずです。どの組が、父親たちに一歩でも近づくことが出来るのでしょうか?



Bobby Vee
59.08.31(Billboard Hot100初登場日付け)-65.06.05(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:29曲
同Top40ランク曲数: 11曲
同Best10ランク曲数: 05曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:39曲
4チャートのBest10ランク曲総数:08曲


Frankie Avalon
58.01.20(Billboard Hot100初登場日付け)-62.08.18(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:24曲
同Top40ランク曲数:13曲
同Best10ランク曲数:07曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:25曲
4チャートのBest10ランク曲総数:08曲

今日は、曲の紹介は無し。次の機会に改めて
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My Sentimental Journey(35)

2010-09-28 09:50:49 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑧


戻って来ました。



豚の解体も、ほぼ終了です。



22歳のお姉さんのお出迎え。



美人だよね!




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図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(15)

2010-09-27 14:58:15 | その他の植物
【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★昨日お知らせに書いたように、今日は下記の④シリーズです。


図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(15)
生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(12)
ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)
My Sentimental Journey(33)


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図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(15)

No.003シオガマギク属の各種Pedicularis spp.【9】

ゴマノハグサ科Scrophulariaceae(またはハマウツボ科Orobanchaceae)/シオガマギク連(仮称)/シオガマギク属Pedicularis
中国各地(主に四川・雲南)West Chaina/1989~2010


48 2010.7.30 四川省Sichuan来金山唖口北面Mt.Jia-Jing Alt.3600m



49 2010.7.30 四川省Sichuan来金山唖口北面Mt.Jia-Jing Alt.3600m



50 2010.7.30 四川省Sichuan来金山唖口北面Mt.Jia-Jing Alt.3500m



51 1991.7.31 四川省Sichuan九塞溝 Jiu-Zhai-Gou Alt.2700m



52 2005.7.04 四川省Sichuan雪宝頂唖口Mt.Xue-Bao Alt.4200m



53 2005.7.05 四川省Sichuan雪宝頂[黄龍渓谷]Mt.Xue-Bao[Huan-Long] Alt.3400m



54 2005.7.05 四川省Sichuan雪宝頂[黄龍渓谷]Mt.Xue-Bao[Huan-Long] Alt.3400m






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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(12)

2010-09-27 14:52:30 | チョウ
No.008 秋の梅里雪山のBlues【1】ヤマトシジミ Zizzeria(Pseudozizeeria) maha

シジミチョウ科Lygaenidae/ヒメシジミ亜科Polyommatinae/ヒメシジミ族Polyommatini/ヤマトシジミ類Zizzeria Sect.
雲南省Yunnan/梅里雪山Mt.Mei-Li-Xue明永氷河Ming-Yong/標高alt.2500m/2010年9月10日 【⑥を除く】

今日から暫くの間、毎日「チョウ」の更新をして行きます。玉石(大半は石、ただし玉に劣らぬ石もあります)混合です。

最初は、石コロの中でも最たる種、ヤマトシジミ。日本産と特に変わらないように思えますが、、、(①②は♂③は♀)。




















ヤマトシジミの仲間は、他にシルヴィアシジミとハマヤマトシジミの2種がいて、共に旧大陸の暖地に広く分布しています(それぞれ数種に分割することもあります)。ヤマトシジミによく似て著しく小さな種にホリイコシジミがあり、それに近縁のマエルリシジミ属の種(写真⑥雲南省維西2010.5.18)などと共に、おそらく世界で一番小さな蝶の一つだと思われます。



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