へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

木を見て森を見ず    6 (教育現場の苦悩) 

2008年03月15日 03時04分09秒 | Weblog
放送の内容に限らず、近頃の親は何でも学校教育に頼りすぎていて、困った時代になった物である。
私も一人の子供の親として学校教育を見てきたのであるが、「教育現場の荒廃」が年々ひどくなっており、教える先生の苦悩はかなりの物だと思う。
「先生の教え方が悪い」「先生の能力が低い」などと、親の側からの批判が続出しているのだが、冷静に考えてみて「文句を言う親の側も『親の責任』を果たしているのか?」と言いたくなる。
学校の側からすれば「親の躾が悪い」「自分勝手なことを言うな」と言いたい所だろうが、「教育現場と父兄の争い」になることを恐れて「じっと我慢する」と言う事になるため、父兄の側はそれを良い事に付け上がっているのだが、ここにも「数の原理」が働いているのである。
「数の原理」とは、「数の多い方が強い」と言うことで、先生の数と、父兄の数を比べて見れば良く解ると思う。
私の子供の頃は、「先生」と言う存在は「一種のステイタス」と言うことで、「文句を言ってはいけない」と思われていたようであり、尚且つ「学校は学問を学ぶ場で、躾は家庭でするもの」と言うことが当り前の時代であったが、最近では親が「自分の責任を放棄して、その責任を先生に押し付ける」と言うことが当り前になり、尚且つ「子供の前で先生の批判をする」と言うことが平然と行われているのだから、子供が先生の言う事を聞かないのは「親の責任」と言わざるを得ない。
「教え方」についても、教員養成の場ではそれ程重点が置かれている訳ではないはずで、「教育現場て少しずつ学んで覚える」と言うのが実情だろうが、全ての先生にその能力があるわけではないと思うし、「飛びぬけた才能を持つ人」なら、もっと他の「お金になる仕事」を選ぶのではないだろうか?。
教え方が上手だからと言って「給料に差がつく」などと言う話は、「塾の先生」以外にはあまり聞いたことが無いが、一般の社会では、「能力の差=報酬の差」と言うのが大方の常識だろうが、教育の場では殆ど耳にしないのだが、その事が「先生のやる気を無くす」と言う原因になってはいないだろうか?。
学校や先生に「過大な要求」をするのであれば、「それに見合った報酬」を保障するべきだと思うのだが・・・・。
「自分の事を棚に上げて、他人を批判する」と言う「自分勝手な親」の子供なのだから、出来が悪いのは仕方ないだろう。
「子供を見れば親がわかる」「この親にしてこの子有り」「子供は親の背中を見て育つ」と言うではないか。
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5 コメント

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そうですね (ゆう)
2008-03-15 22:16:48
応用力とは点数で測れない分野なのかもしれないと思うことがあります。氷が溶けたら春になる。間違った答えではないと思うのですが模範的な解答は「水になる」なのでしょうね。今の学校に応用力を養成する余裕はないのかもしれません。学校批判ではなくて、そもそもカリュキュラムにないのですから。長年若いアイドルを見るのが趣味でファン側にいます。この10年で若年層(小中学生)のファンが随分変わってきたと感じます。昔のアイドルというと見た目がかっこよくて(かわいくて)生活感がなくてということに重きが置かれていたのが、今は親しみやすくクラスに一人はいる並のかっこいい(かわいい)男の子女の子というほうが受けるようです。それゆえに今のアイドルのほうが大変な部分もあります。普通の子と掛け離れた生活をしていたとしても「みんなの近くにいるよ」という親しみやすさは演出しなければなりませんから。ちょっと大人びたことを言えば「調子に乗ってる」などと叩かれてしまう。この親しみやすさを求める傾向は学級崩壊がしきりに叫ばれるようになったころからのように思います。長くなりますが続けます。
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続きです (ゆう)
2008-03-15 23:00:35
つまり、今の子供たちがアイドルに求めているのは「ちょっと手の届かない憧れの存在」ではなくて「親しみやすい友達」になりつつあるのかなと興味深いです。でも親しみやすい友達ではけしてないんですよね。やはりそれなりに業界で目立つアイドルやアイドル予備軍というのは、負けず嫌いですし、多かれ少なかれ普通の子の生活を犠牲にしている部分もあります。普通の子がしなくてもいい努力や結果も求められる。一回の仕事(レッスン)での勝負強さも必要になってきますから。それは今も昔も変わりません。見方だけ変わりました。私もアイドル予備軍を応援するブログを持っているのですが、意識して彼らの努力している部分や大変な部分にも触れるようにしています。若いファンには目指すチャンスも当然あるわけです。でもミーハーな気持ちだけでは続けられないよということをちゃんと伝えたいですし親しみやすさで入るのと、尊敬や憧れの念を持って入るのとではやはり違いますから。長々と失礼しました。
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多様性 (へそ曲がりおじさん)
2008-03-16 03:00:54
発明・発見は皆と同じことを考えていたのでは出来ません。同じことを考えていては「同じ結果」しか出てこ無い様に、「他人と違う考え方」と言うものが要求されるのですが、如何せん「島国根性(井の中の蛙大海を知らず)」と言うものが根底にある以上「世界に後れを取る」と言う事は「宿命」なのかもしれません。科学技術の発達により、私の子供の頃のような「自分で作り上げる達成感」と言うものが奪われてしまい、次々と新しい物を追い求めるようになり、時代の変化が激しくなりました。アイドルに対する考え方も当然変化して来るでしょう。しかしその先に待っている物は「常に要求不満状態」ではないでしょうか?。現代社会は老化現象を起こしている様に思うのだが・・・・。
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常に欲求不満かは (ゆう)
2008-03-16 10:09:23
わからないですね。基本的に私と同じような趣味は娯楽分野なので、欲求不満になるようだったらやりませんし、他の趣味に移るでしょうから。私の趣味でそこまで推し量ることは残念ながら不可能です。生意気ごめんなさい。
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人は皆 (へそ曲がりおじさん)
2008-03-16 18:37:54
自分で意識しているいないに拘わらず、潜在意識の中に欲求不満を抱えていると思います。何かを求めてそれで満足すればそれ以上のものは求めないと思うのだが、現実には次々と新しい物を求めます。その新しい事に「一次的には満足」するでしょうが、やがて物足りなくなり新しい物を求めるようになりますが、その新しい物はそれまでの物とは大なり小なり違う物になるはずです。解り易く言うなら「穴のあいたバケツ」を考えてみてください。穴が小さければ「水は早く溜まり中々減らない」のだが、穴が大きいと「水は中々溜まらずにすぐになくなる」と言うことで、水を欲求に変えて考えれば解るのではないでしょうか?(穴の大きさは人それぞれに違います)。現状で永久に満足できる人には「欲求不満」など関係ないでしょうが、そんな人がいたら会って見たいものです。「新しい物を求める」と言う事は、自分自身が意識していないだけで、十分に「欲求不満」と言えるのではないでしょうか?。別な言い方をすれば「認識の相違」だと思います。
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