へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

1+1の答えは?

2008年03月13日 04時10分02秒 | Weblog
近所の小学3年生2人が喧嘩をしていたのだが、喧嘩の原因は、一人の子が「1+1は2じゃないって知ってる?」と言うと、別な子が「お前バカじゃない?2に決まってるジャン、そんな事も知らないんだ!」と、バカにしたように言った所「兄ちゃんが言ったんだから間違ってない!」と言って喧嘩になったのである。
常識的に考えれば、2、と言う事になるのだろうが、「常識的」って一体ナンなのであろうか?。
1+1=2、などと言う事は、幼稚園の子供でも知っていることで、「2じゃない」と言う部分は、「2になる事もあるが、2になるとは限らない」と言うのが正解でしょう。
「何故そんな事を言うのか?」と思われるかもしれないのだが、現実の話、そもそも「1」とはナンであろうか?。
「1」とは「単なる数字以外の何物でもない」と言うことで、実社会においては「1」と言う数字が単独で使われることは殆ど無く、必ず、「個・本・枚・円・匹」などと言う「単位」が付いて初めて意味を持ってくるばかりではなく、「足す事が出来ない数字もある」と言うことに考えが及ばない人が多い。
「足す事が出来ない?」と思う人もいると思うが、1塁・2塁・・・、1位・2位・・・、点呼をとる時などの、1・2・3・・・、などは足す事はできない。
1位と1位を足すと、2位ではなく「2勝」となるが、2位と2位を足した場合は、4位にならないばかりか「2勝」にもならない事からも解るように、文字としては数字でも「その後ろに付随する言葉(単位)」によって様々な意味や答えを持つ事になり、同じ単位の物同士なら「1+1=2」と言う計算式も成り立つだろうが、それ以外の場合は「a+b=X」 と言う方程式で表さなくてはいけないわけで、「お兄ちゃんが言った」と言うのはこの事だろう。
この話は2人の子供にも話したのだが、何分にも、小学3年生には少し難しかったと見えて「半信半疑」のようであったが、とりあえず喧嘩は収まった。
「こんな事を書いて、何の意味があるんだ!」と、お叱りを受けそうだが、話はこれでオワリではなく、最後まで読んでいただきたい。
大分前の話ではあるが、ある小学校の理科の試験で「氷がとけたら何になりますか?」と言う問題に「春になる」と書いて×担ったと言う話があるが、とかく日本人は「画一化した答え」を求めがちで、「1+1=2」と言う事に「何の疑問も持たない」と言うことも含め、「独創(創造)力・応用力・想像力を育む環境」に乏しく、益々世界に遅れを取る事になるだろう。
「氷が解けたら春になる」と言う答えも「一つの答え(正解)」として受け入れられるような社会にならなければ「応用力も想像力も育たない」のではないだろうか?。
現状のままでは益々日本の学力は低下してしまうだろう。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 木を見て森を見ず    5 | トップ | 木を見て森を見ず    6... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
1+1=? (太郎)
2008-03-15 09:11:48
子供達は空想の世界で生きているところがあり、想像力が豊かで大人からみるとゴミにしか見えない物でも子供から見ると宝物だったり自分も幼い頃はそうだったのにな。
「1+1=」おじさんは難しい答えを出したと思いますが、答えは田んぼの田!じゃないですかね。
返信する
どりドリ (どりてぃんドリーム)
2008-03-15 14:16:55
先っちょのドリル具合がいいって言われたw
イイ仕事になりそうだし、手術はしばらくヤメとくよヽ(´ー`)ノ
http://8e8ae.net/chinpre/dFcN4CbH.html
返信する
感じ方はそれぞれ… (河原 真)
2008-03-15 15:29:38
感じ方はそれぞれあると思います。でも社会に出て働くと1+1=3になる事もあれば、1+1=1.5の時もあります。別に答えを決めつける必要もないと思いますが…。それに、おじさんの話を聞いて後々(小学3年生の子には少し難しい話だったにせよ)きっと思い出す事があって、「あの時あのおじさんはこの事を言いたかったんだ。」と思ってもらえるだけでおじさんはいいと思うけどなぁ。
返信する
太郎さん (へそ曲がりおじさん)
2008-03-16 03:31:38
それも一つの答えです。お笑いの世界では必用な考え方ですが、子供たちが将来「お笑いの世界」へ進むかどうかわからないように、人それぞれ進む道が違います。将来何になるかは、本人でさえわからないのに先生にわかるはずはありません。「社会に出て役に立つ知識」と言う話がよく出てくるのだが、人それぞれ進む道が違う以上、全てに対応することは不可能な話で「最大公約数」的な教育になるのは止むを得ないのです。成績の良い子にあわせれば悪い子が置き去りにされ、逆の場合は良い子に不満が出る。ちなみに、私が通った有名中学(高校も)では、授業に付いてゆけない物には「情け容赦は無い」と言ってよく、中学でも「留年(落第)」と言うことが起きます。私は高一で落ちこぼれましたが、卒業生は全て超一流大学に進み、多くが「エリート」として活躍しています。中学一年から難しい漢字だらけの「漢文」を勉強させられましたが、実社会では殆ど役に立つ事は無いでしょうが、「脳の神経回路を発達させる」と言う意味で役に立っていると思うのだが・・・・。子供たちが社会に出るまでには、「大きなタイムラグ」が生じる為、その時の社会情勢を予測する事は出来ません。その為には、「こんな事が何の役に立つのだ!」と言う考えは捨てた方が良いと思うのだが・・・・。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事