へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

埋蔵金

2008年04月20日 03時39分47秒 | Weblog
原油高騰の影響で、2年後に閉山する予定だった北海道の炭鉱が閉山を先延ばしするらしい。
原油が高騰したために「電力会社からの要請」があった事と、原油高騰で採算が取れるようになったことによる物らしいのだが、産出量は国内消費量の「1%程度」らしいのだが、なんとも短絡的な考えだと思うのだが・・・・。
資源ナショナリズムが台頭してきている事を考えれば、少しでも国内資源(埋蔵金)を温存する事が重要ではないだろうか?。
霞ヶ関でも埋蔵金探しをしているようであるが、埋蔵金とは一種の「へそくり」と同じ事で、使ってしまえばそれで「オワリ」、と言う事になる。
ガソリンの暫定税率を引き下げた事により、カソリンノ価格が下がり、車を持つ多くの人が喜んでいるのだが、その一方で、「ガソリンの無駄使い」、と言うことも起きている。
原油の枯渇が心配されていると言うのに、「ガソリンが安くなったので、連休に車で遠出ができる」、と喜んでいる人が結構いるようである。
地球の温暖化を防ぐために「温室効果ガス」を減らさなくてはいけないと言うのに、それに逆行するような事が行われようとしている。
地球上の生命の中で唯一、人間だけが「高度な知能」を持っているのだが、その高度な知能を持ったゆえに、「新たな難問」を抱える事になってしまった。
所詮、高度な知能も諸刃の刃でしかないのである。
地球上の人間以外の生命は、全て「自然の摂理」に従って栄枯盛衰を繰り返してきたのだが、人類だけが自然の摂理に反した生き方をしてきた。
しかし、自然の摂理に反した生き方にも限界があることに気が付いていないのだが、実際には、「限界」、では無く、これもまた自然の摂理なのかもしれない。
それでは、「自然の摂理」、とは如何なるものかと言うと、単純に言えば、「自然淘汰」、と言う事になるのだが、要するに、「エサが豊富に有ると個体数が増えるが、やがてエサ不足の状態に陥り個体数が減少し、個体数が減少する事によりエサが増え、エサが増えれば個体数も増え、個体数が増えると・・・・・・」、と言う事の繰り返しになるのであるが、人類だけが「人工的に食料を増産」し、「天然資源を浪費」して「繁栄を謳歌」してきたのだが、地球と言う限られた空間ではそれにも限界があるのである。
人類は様々な動植物を「絶滅」させてきたが、長い地球生命の歴史の中では、「絶滅」、と言う事は極めて稀な事で、「地殻変動や巨大隕石の衝突」などの、不可抗力(自然現象)な事以外では殆ど有り得ないのではないだろうか?。
「埋蔵金を掘り出す」、と言う事は、「自らの首を絞める」と言う事になるのだが、その首は、今現在生きている我々の首ではなく、将来「生まれてくるであろう人たち」の首なのである。
コメント (4)
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