へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ついにガソリン値下げ

2008年04月01日 03時55分34秒 | Weblog
ガソリン税の期限切れで、ガソリンの値段が下がるのだが、その一方で様々な商品の価格が上がっている為に、「買いだめ」と言う現象が起きている。
「安いうちに買いだめる」と言うと、一見「得」のように見えるのだが、果たして本当に得なのだろうか?。
発泡酒などの価格が4月1日から上がるというので、何箱も買いだめをした人がいるようだが、沢山有るとつい飲みすぎたりして、結局高い物に付く可能性がある。
私なども良くやる事で、「安い!」などと思うとつい買いすぎて「捨てるのは勿体無い」と「おなかの中に捨てる」と言う事になり、何時までたっても「メタボリックシンドローム」から抜け出せないのである。
話が横道にそれてしまったが、ガソリンの価格が下がる事を単純に喜んでいる人も多いようなのだが、地球の温暖化が問題になっていることを考えれば、単純に喜んでもいられないと思うのだが、「目先の欲得」しか目に入らない人には「どうでもいい」と言ったところだろう。
余りにも急激な科学技術の発達に、「人間の脳細胞がついて行けない」のではないだろうか?。
「脳細胞がついて行けない」と言う状態が、「正常な判断能力」を奪い、「仮想の世界と現実の世界」の見分けも付かなくなっているようで、将来の事などなお更考える事など出来ないのだろう。
民主党にとっても、ガソリンの値段が下がる事を単純に喜んでいる人たちにとっても、「世界(地球)の未来など関係ない事」としか見えないのだろう。
「経済大国」などと威張ったいた日本も、今や「張子の虎」と化してしまい、近い将来「武士は食わねど高楊枝」などと言う事にならねばよいのだが・・・・。
さて、20世紀初頭から21世紀にかけて人類が発展してきた理由を考えた事があるだろうか?。
今まで、一時的には停滞した時期もあったのだが、全体的に見れば「右肩上がりで発展」してきたのだが、どうやら限界に来てしまったようである。
何故なら、ここ100年の経済発展は、「ねずみ講」と同じだと考えるべきだと思うのだが・・・・。
「ねずみ講?」と思われるだろうが、100年前と現在の人口を比べてみれば、「ねずみ講」だとわかるはずである。
100年前16億だった人口が、100年後の現在は66億と、実に「4倍」にも膨れ上がっているのである。
人口が100年で4倍と言う事は「ねずみ算」的な増え方であろう。
人口が変わらなければ、「新しい需要」と言うものは「一定の量」しか発生しないが、人口が増加すれば「増加した分だけ需要が余分に増える」、つまり「右肩上がりで増える」と言う事になるので、経済が発展してきたのである。
「ねずみ講」は「新しい子」を増やす事で成り立つのと同じ様に、「経済(景気)発展」も「新しい需要」が増えなくては発展できない。
日本の人口が「減少」に転じ、輸出も多くが見込めない状態では、「経済(景気)発展」など「絵に描いた餅」にしか過ぎず、「欲をかいて後で痛い目に合う」と言う事にならないようにする必要が有ると思うのだが・・・・。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする