へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

社会に出てから役に立つ勉強

2008年04月04日 23時07分53秒 | Weblog
良く、父兄や児童から「社会に出てから役に立つ勉強を教えて欲しい」と言う意見が出るのだが、一体何を要求しているのかサッパリ理解ができない。
「社会に出てから役に立つ勉強」と簡単に言うが、大学を出てから社会に巣立つと仮定して、高校生では4年から7年、中学生では7年から10年、小学生に至っては10年から16年も後の社会がどうなっているか想像できるのであろうか?。
明日がどうなるかもわからないというのに、そんな先のことなど誰にもわからないはずで、「昨日役に立った事が今日は役に立たない」と言う事だってけして珍しい事ではない現代社会、なんとも「単細胞的」な考え方ではないだろうか?。
突然こんな事を書き始めたのは、今日の午後に近所の中学生が二人いる母親の話を聞いていて、10日ほど前の話を思い出したのである。
10日ほど前の話とは、ドコモショップで携帯の解約をしたときの話で、担当の店員が35歳の男の人だったことがキッカケで、35年前のことを思い出したのである。
現在では、携帯電話でも固定電話でも「何時でもすぐに手に入る」と言う時代になっているのだが、35年前には、携帯電話など当然の話無いのだが、「固定電話でさえすぐには手に入らない」と言う時代だったのである。
私が35年前に、東京から現在の所に家を建てたときに、勤務先の社長から「電話がないと仕事に不便だからすぐに申し込め!」と言われて、NTT(当時は確か電電公社と言っていたと思うが)に申し込んだのであるが、受付の人は「回線に空きが無いのでしばらくお待ち頂きます」と言い、「どの位かかりますか?」と言う質問には「さあ?・・・、今年度の回線工事の予定は今のところ無いので、来年度以降になると思います」と言うのである。
結局、電話がつながったのは1年半以上後のことで、3年近く待った人もいたようである。
僅か35年がこんな状態だったのに、現在の「小学生まで携帯電話を持っている」と言う時代を、一体誰が想像したであろうか?。
原油高騰をはじめ、鉱物資源の枯渇と高騰、小麦、トウモロコシ・・・・・と、一体ダレが予想したと言うのであろうか。
予想できなかったからこそ、日本どころか、世界中が混乱しているのである。
仮の話し、学校教育で「社会に出てから役に立つ勉強」を教えられたとした所で、子供が社会に巣立つ頃には「時代遅れ」になってしまうだろう。
「社会に出てから役に立つ勉強」とは、「学校で学ぶこと」+「日常生活から学ぶこと」+「自助努力」で、「自助努力」が最も重要ではないだろうか?。
いくら学校教育に求めたとしても、「将来の事は予測不可能」なのだから、「求めるだけ無駄」と言う事になるだろう。
それよりも、学校での勉強は「将来社会に出たときに備えた基礎を築く」と考えるべきで、平屋の家を建てるのであれば「ブロックを並べた程度の基礎」でも建てることは出来るだろうが、「超高層ビルを建てることは出来ない」と言うことと同じで、「学校でどれだけ基礎を学んだか?」が、「その人の将来を決める」と言う事になりはしないだろうか?。
ついでだが、「失敗」と言うものも重要なことだと思うのだが・・・・。
誰だったか忘れたが、「勝った試合からは得る物は無いが、負けた試合(失敗)からは得るものが沢山ある」と言っているではないか。
正に、「失敗は成功の元(母)」である。
科学技術の発達により「便利な世の中」にはなったのだが、その一方で「他力本願」と言う傾向が強くなり、「自助努力」と言うことが疎かになっている。
科学や技術の専門家は「少しでも良い物を、便利な物を」と考えているのだが、悪い言い方をするならば「親切の押し売り」と言う事にはならないだろうか?。
一部のリハビリの現場ではこの事に気が付いて、「自分自身の努力(自助努力)で機能を回復させる」と言う取り組みを始めているが、「自助努力」はリハビリの為だけにあるものではなく、全ての人に求められるものではないだろうか?。
他力本願を当てにしていれば、最終的には「泣くのは自分自身」と言う事になるだろう。
「基礎の重要性」と言うものを認識しなければ、その先に待つものは?・・・・。
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巨人初勝利、しかし・・・同率最下位

2008年04月04日 03時34分07秒 | Weblog
巨人ファンには申し訳ないのだが、先日のブログで書きたいと思いながら書かずにいたことが現実の事になったのです。
巨人が勝って広島が負ければどうと言う事も無かったのだろうが、広島も勝ってしまったので、勝率でどうしようもなくなってしまったのである。
通常であれば、両者が勝った場合は「順位は変わらない」はずなのに、順位が入れ替わってしまうのだが、今度は横浜が負けてしまったので、どちらも1勝5敗で巨人と同率になってしまうのだが、どちらを上に書くか、明日の朝刊が楽しみである。(ヤフーサイトの順位では、予想どうり横浜が一番下になっている)
さて、巨人ファンにとって面白くない事を繰り返し書いて申し訳ないのだが、私のブログは「ウラに潜んでいる物」を読み取って欲しい為に、敢えて「巨人ファンに失礼な内容」を選んだもので、何かにつけて「情報過時代」とか「情報禍時代」と書いている事と関連があるのです。
何かにつけて、情報化、情報化、と言われているのだが、この「情報」と言うものが曲者なのである。
「情報の9割以上は出鱈目である」と言う専門家もいるほど、社会に流されている情報は「信憑性が疑われる」と言うものが多いのです。
一部の企業(人間)が意図的に自分に有利な情報を「継続的」に流し続けると、あたかもそれが「真実」であるような「錯覚」に捉われてしまうのである。
そしてその錯覚が、何時の間にか「真実」だと信じられてしまい、誰も疑問に感じなくなってしまうのである。
これが「情報操作」と言うもので、別な表現をするならば「意図的な情報によってマインドコントロール(洗脳あるいは刷り込み)する」と言うことと同じで、知らず知らずのうちに飼い馴らされているのである。
漠然とした感覚ではあるが「日本人は特にその傾向が強い」と思えてならない。
「日本人はブランドに弱い」と言われている事が、それを示す良い例ではないだろうか?。
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