へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

木を見て森を見ず    3

2008年03月11日 03時05分25秒 | Weblog
番組の中だけではなく、社会全体が「教師に対する過度の要求」をしているようで、今日は教師の立場になった考え方をしてみようと思います。
私はけして教師になった経験も無く、教師の資格も無いのだが、少年野球のコーチをした経験から考えると、「子供たちの指導(教育)がいかに大変なものか」と言うことは理解出来ます。
コーチも教師も似たような物なので、少年野球の指導を例に書きますが、子供が少数(4・5人まで)の場合はそれ程でもないのですが、人数が増えてくると一人で全体をコントロールする事は非常に困難になってしまい、全体をまとめる為にはやむを得ず「大きな声で怒鳴る」と言うことも珍しく無く、時には「ゲンコツ」と言うものも必要になってしまいます。
昔は「極当り前」だったゲンコツが、何時の間にか「体罰だ!」と言う風潮から消えてしまったのですが、私の場合は「注意(警告)する」と言う意味で必要に応じて(軽くですが)使いますが、子供や親たちとの「信頼関係」があれば問題にはされず、子供の方でも「今のはゲンコツですよね!」言って待っている子がいたり、時には「僕にもゲンコツちょうだい!」などと言う子も出てきて、チームとしてのまとまりが良くなる場合もありますが、アクまでも「信頼関係」と言うことが前提になるので、少年野球チームのように十数人程度までが限界で、40人学級と言う教育現場に持ち込むことは困難でしょう。
次に、指導(教育)を「上手の子と下手な子」のどちらに重点を置くかと言う問題が出て来ますが、一人一人個性を持った子供たちを一人で教える事は、とても出来る相談ではなく、少年野球の世界でも「勝利至上主義」が蔓延しているため、殆どが「上手な子を中心にする」と言う事になってしまい、理想的な指導をする為には、「子供と同じ数のコーチが必要」と言うことになり、「実現不可能」な事なのです。
単に「人数だけを集める」と言う事は可能かもしれないのだが、「子供の能力に合わせた人を集める」と言う事は無理な相談でしょう。
教育の現場でも、「一人の教師で生徒全員の面倒を見る」と言う、正に「神業」が要求されるため、「パニック状態」に陥る教師が続出しているのです。
冷静にわが身を振り返ってみれば、「教師の大変さ」が解ると思うのだが、最近は、「少子化」に加えて「権利の乱用」と言う風潮が広がり、「相手を思いやる」と言う心が失われてしまった。
自分の子供を育てる場合でも、子供の数が増えると「面倒を見るのが大変」と言うのと同じ様に、教育の現場でも同じ事だと言う事に気が付くべきである。
「子育てと教育は違う!」と言う人もいるだろうが、所詮は「大同小異」でしかなく、ましてや、最近の風潮として「本来家庭で躾けるべき事」をしないで、教育の現場に求め、ただでさえ忙しい教師を困らせている。
「子供を車に放置してパチンコに夢中になる親」「子供にばかり勉強しろ!と言う親」、そして「自分の責任を棚に上げて、他人に責任を擦り付ける」と言うことを親がしているのだから、子供の学力が低下するのは「当然の結果」と言うしかない。
子供の学力低下を問題にするのなら、「親の学力」も問題にするべきだと思うのだが・・・・。
コメント (2)
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