へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ワンセグの問題点

2008年02月18日 03時13分43秒 | Weblog
今ワンセグが話題になっているのだが、其処までしてTVを見たいと思う人の気が知れない。
技術の発達により、「何処にいても音楽が聴けて、電話も出来ればTVも見られる」と言う時代になったのであるが、その事が「人間の幸せ」と、どの様につながるのであろうか?。
私自身、こうしてPCを介してブログを書いてはいるのだが、「四六時中使っている」わけではない。
アクまでも「自分の生活の中のホンノ一部」であって、「四六時中使っている」と言う状態にするつもりはない。
そして、これを書くと言い訳がましくなるのだが、「ボケ防止」と言う意味合いもあり、「能動的な使い方」をしているつもりである。
しかし、今問題にしている「ワンセグ」の場合は、多くの人が「受動的(依存症的)」な使い方をしている「携帯型音楽端末」や「携帯電話」と同じ様なものではないだろうか?。
「このような機器が開発された事による弊害」が問題になることは少ないのだが、これらの機器が、「人間関係に悪い影響を及ぼしている」と考える必要が有ると言うことに気が付いてほしいものである。
「商業主義」に踊らされて、「利便性」だけが強調されているが、ボディーブローのように「後なってダメージが現れる」と言うことも有ることに気が付く人は少ない。
ある人がこんな事を言っていた、「常にヘッドホンで音楽を聴いているのは、他人との関係を遮断する為」だと言うのである。
確かに最近の人は、「老若男女を問わず」他人との係りを嫌う傾向がある。
私は比較的家の外にいることが多いのだが、家の前を通る人で挨拶をする人が減っているのも事実である。
私の存在に気が付くと、「視線を合わさないように横を向いて通る」ので、こちらから挨拶をするキッカケも作り難くなってしまう。
仮に挨拶をしても、「仕方なしに返事をする」か、「無視をする」かのどちらかである。
小さい子供などは結構挨拶をする子がいるのだが、如何せん「その子の親が挨拶をしない」場合が多いのだから、挨拶をしていた子供たちもやがては挨拶をしなくなるのは間違いないのでは?。
TVに夢中になっているようでは、「中流の人間にはなれない」と思うのだが・・・・。
かつて、「日本人の9割が中流意識を持っている」と言う報道があった時に、本当に中流生活をしている人が「TVを見ているようでは中流とは言えない」と言っていた事を思い出したのだが、確かに中流生活をしている人は余りTVを見ないようである。
私が生まれ育った地区は、かなり中流生活をしている人が多かったのだが、確かに、彼らの生活内容は一般の家とはかけ離れていたように記憶している。
私の中学校時代の友人の家は「本当の中流家庭」であったから、TVが珍しかった時代に2台3台(子供部屋にも有った)とTVがありながら、彼が「TVでも見ようか」と言ったのを聞いた記憶が無い。
10畳ほどもある子供部屋の一方の壁面の大きな本棚には、数百冊の本が有り、私もTVを見るより本を読む事の方が楽しく、かなり読んだものである。
「本なら携帯でも読める」と言う人もいると思うが、私に言わせてもらうなら、「実物の本を読むのと、携帯で読むのとは全く違う」と言いたい。
一見、携帯は便利な様ではあるが、画面に表示される文字が少ないことがネックになり、文章全体が掴みにくく、本物の本であれば簡単な、「少しさかのぼって読み返したい」とか、「一部を再確認する」と言うことが難しくなってしまう。
「単に読んだ」と言うレベルで、「真の意味で読んだ」と言う事は出来ないように思えてならない。
ワンセグによって、何処でもTVが見られるようになったとして、一体何が良くなるというのであろうか?。
見るものの殆どは「単なる娯楽番組」になるであろうから、「TVによる日本人の白痴化」がなおいっそう進むのではないだろうか?。
子供たちの学力低下より、「大人の白痴化」の方が重大問題だと思うのだが・・・・。
コメント (4)
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