ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

〈見下ろす〉ことから身に受ける感性とは 、

2016-11-23 06:35:06 | 日記
あの高―い 高―いトランプタワーを見上げますと、私は恐怖感を覚えます。
私は高所恐怖症のせいか、「先端」にも恐怖を覚えてしまうのです。
あり得ないことですが、あのような建物に住んだら、
きっと気が変になってしまうことでしょう。
バベルの塔の物語なども、思い起こされて。

作家も、その作品名も覚えていないのですが、
〈貧民窟を 高いところから睥睨することは、最高の満足感を与えてくれる〉
そんなことが記されていました。
おぞましさを覚えはしますが、真実だと思います。
人間の持つ征服への願望を、確かに満足させてくれるのでしょう。

あの高さから、日常的に世界を見、人々を見、
地上を見下ろすことから身に受ける感性とは どんなものなのでしょう。
たかだか、二階のベランダから洗濯物を干しながら、見上げる空や、
見下ろす地面とは、想像もできないくらいの違いがあるはずです。
目線が高いと傲慢に陥ることは確かです。

世界中が注視する中で、トランプ氏は、世界にどんなアタックをしていくのでしょうか。
マスコミ・ニュースで知らされることがらは、単なるアピールにすぎませんから、
私などが、そこから推測するのはムリと言うもの。
まずは、「注視」する以外にありません。

尊敬するA先生が、この夏、エーリッヒフロムの「自由からの逃走」を読み直したと、
記していました。
そして、
  〈ヘイトスピーチ・人種差別〉等の、排外主義レイシズム。
   私たちは先の世界大戦をくぐり抜け、ようやく身につけてきたはずのものを、
   まさに「自由からの逃走」のように、安易に手放してしまっていいのだろうか〉
と、案じ、警告なされていました。
また、
  〈全体主義の狂気は、一人の煽動家や独裁者の存在によってではなく、
   同時代のすべての人間が、この「自由からの逃走」を試みたからに他ならない〉と。

去る5月、フィリピンでは過激な発言を続けてきたドゥテルテ氏が大統領に当選しました。
『就任したら腐敗した官僚や警察は皆殺しにする』
などと、過激な発言を繰り返していた方です。
しかし、
ドゥテルテ氏の支持者からは、
「社会問題が解決するなら独裁でもかまわない」
との声も聞かれたのです。

世情が、逼迫感に覆われ始めますと、過激であっても、
常軌を外れていたとしても、〈強いもの〉に頼ってしまいがちになるのは、
私たちの国も同じような気がします。

「自由からの逃走」を、
し始めては いけないのです。
してはいけないのです。
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