ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

優しい懐かしさと共に。

2020-09-10 06:05:33 | 日記
市の図書館は、とうに再館しているのですが、コロナ関連での様々な制約もありますので、ここ暫くは利用しておりません。
本が無いとさびしいので手持ちの古典の類を読み返してみたり、新聞等で紹介されている本などを取り寄せて読んでいます。
【 医師と僧侶が語る 死と闘わない生き方 】
       玄侑宗久・土橋重隆 著
を取り寄せて読んでみました。
玄侑宗久さんは、私の居住地の隣町にある福聚寺のご住職さんで、芥川賞受賞の作家です。
土橋重隆氏は、外科医、医学博士で、三多摩医療生協・国分寺診療所で、外来診療を行っており全国各地で公演活動を展開なさっていらっしゃる方。
いろいろと、得ることができた本でした。

現在、右肺にガン細胞を持っている私ですが、ガンの為の治療は行っていません。
家族、知人には医師の奨める治療を受けた方が・・・との助言等も受けてはいますが、現在、自覚症状は何もなく、治療による副作用などを考えますと、施療を受けることは自分にとって、決してベストな選択とは思えないので、現在は〈経過観察〉ということになっています。
「医学」を無視するわけではなく、どちらが自分にとって良なのかという、選択をしただけなのです。
選択が結果的に誤っていたとしても、それは私の責任です。
でも、この手の本が紹介されますと、ついつい手が伸びるのは、身の内に「ガン細胞」なるものを保持しているからなのかもしれません。
対談形式で語られていますが、一部紹介させて頂きます。

  玄侑 もともと仏教は、東の空に薬師如来がいて、「薬師」というのはお医者さんという意
     味ですから、病んだ人を治そうとする。
     朝日が持っている力は、物事をノーマライズする、つまり、健常な状態に戻す力があ
     るわけなんですね。
  土橋 朝日の力で治すわけですか。
  玄侑 ただ、それだけではいけないんですよ。
     西の空には阿弥陀如来がいますが、こちらは夕日ですから、あらゆる色を含んでい
     て、どんな人生でも受け容れてくれる。

  土橋 夕日は癒しの力なんですね。
  玄侑 ええ。病気を治す「cure」が薬師如来であり、心身を癒す「care」が阿弥陀如来なん
     です。
     仏教では、この両方の価値観を初めから持っているんです。
                 (第2章 死と闘わない生き方とは より)

幼い頃、母が朝、私によく言ったのです、諭すように。
「ノンノ様(太陽)に掌を合わせようね、今日も元気でいられるように」と。
そして夕方、西山に沈む太陽にも、
「ありがとうって、掌を合わせようね」と。
母の素朴な自然崇拝のかたちだったのでしょう。
でも、少し長じた私は母に言いました。
「太陽は、ノンノ様じゃぁない。あれは天体。だから掌は合わせない」と。

私はキリスト教徒ですが、夕暮れの景色の中にいますと、
〈西の空には阿弥陀如来がいますが、こちらは夕日ですから、あらゆる色を含んでいて、どんな人生でも受け容れてくれる。〉
との説を、優しい懐かしさと共に受け入れることができました。
                         〈ゴマメのばーば〉


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