「ルルルルルル・・・」
ケイタイの目覚ましベルが鳴ります。
5時40分にセットしてあります。
日昇時刻は5時21分。
6月のそれと比べますと1時間も遅くなっています。
いつものようにカーテンを開け、窓も開けました。
曇り空。靄もかかっています。
窓を開けると同時に挨拶をしてくれたのは金木犀でした。
外出した際に、どこからか ふわーと匂って来たりしていましたから、我が家もそろそろと
思っていた矢先でした。
「おはよう」
「今年は 少し早めね」
と、私も挨拶のお返しを。
今日の日程を頭の中で確かめます。
日曜日ですから、教会へ行くことになります。
まずは、本日のブログをアップ、続いて朝食。
新聞を読む時間はありません。
顔を洗い、ちょこちょこと髪と顔の手入れをして教会へ。バスを乗り継いで出かけます。
これが いつもの日曜日のパターンです。
今日の説教は教会の専任牧師ではなく、G教会の若い牧師先生でした。
牧師の相互交流ということで、専任牧師はG教会で礼拝説教を務めているはずです。
若い牧師の説教は、新鮮でした。書で言えば「楷書」。
しっかりした運びで聖書のことばを教えて下さいました。
若いからいい、というものではありません。
毎週話して下さる専任牧師の話し方は、安心し落ち着いて聴けることは確かです。
つまり、信仰生活の上では、たとえて言えば、日々、栄養を考えて食卓に載せられる
家庭料理に譬えられるかもしれません。
健康のためには大切な「食物」です。
そして、たまにして下さる新しい牧師先生の説教は、「外食」に譬えられるかもしれません。
必要な栄養素は十分に備わっていますが、珍しい食感や、家ごはんとは異なった味つけや、
添え物が付いていています。
教会の帰りに、ちょっと回り道をしましたら、土手に曼殊沙華が沢山咲いていました。
花火の様に咲いていました。
「秋ですねぇ こんにちは」
と、ここにも挨拶を。
望むことはたくさんあっても、「真の恵み」とは、神さまに委ねて生きる「心の安らぎ」かも、
そんな風に思えた穏やかな一日でした。
若い牧師先生に 「ありがとうございます」を。
☆ 『安らかに信頼していることにこそ力がある』
(イザヤ書 30章15節から)
ケイタイの目覚ましベルが鳴ります。
5時40分にセットしてあります。
日昇時刻は5時21分。
6月のそれと比べますと1時間も遅くなっています。
いつものようにカーテンを開け、窓も開けました。
曇り空。靄もかかっています。
窓を開けると同時に挨拶をしてくれたのは金木犀でした。
外出した際に、どこからか ふわーと匂って来たりしていましたから、我が家もそろそろと
思っていた矢先でした。
「おはよう」
「今年は 少し早めね」
と、私も挨拶のお返しを。
今日の日程を頭の中で確かめます。
日曜日ですから、教会へ行くことになります。
まずは、本日のブログをアップ、続いて朝食。
新聞を読む時間はありません。
顔を洗い、ちょこちょこと髪と顔の手入れをして教会へ。バスを乗り継いで出かけます。
これが いつもの日曜日のパターンです。
今日の説教は教会の専任牧師ではなく、G教会の若い牧師先生でした。
牧師の相互交流ということで、専任牧師はG教会で礼拝説教を務めているはずです。
若い牧師の説教は、新鮮でした。書で言えば「楷書」。
しっかりした運びで聖書のことばを教えて下さいました。
若いからいい、というものではありません。
毎週話して下さる専任牧師の話し方は、安心し落ち着いて聴けることは確かです。
つまり、信仰生活の上では、たとえて言えば、日々、栄養を考えて食卓に載せられる
家庭料理に譬えられるかもしれません。
健康のためには大切な「食物」です。
そして、たまにして下さる新しい牧師先生の説教は、「外食」に譬えられるかもしれません。
必要な栄養素は十分に備わっていますが、珍しい食感や、家ごはんとは異なった味つけや、
添え物が付いていています。
教会の帰りに、ちょっと回り道をしましたら、土手に曼殊沙華が沢山咲いていました。
花火の様に咲いていました。
「秋ですねぇ こんにちは」
と、ここにも挨拶を。
望むことはたくさんあっても、「真の恵み」とは、神さまに委ねて生きる「心の安らぎ」かも、
そんな風に思えた穏やかな一日でした。
若い牧師先生に 「ありがとうございます」を。
☆ 『安らかに信頼していることにこそ力がある』
(イザヤ書 30章15節から)