blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

パジェロ廃車

2006年11月20日 | 想い
会社は8月に青山に移ったものの、ここ数か月上野の旧事務所の残務処理のため、土日のどっちかを出て、力仕事をしていた。要は古い書籍や書類の処分だ。フラフラになった帰りの首都高で大事故を起こしてしまった。

雨が結構降り出して来た時、浜崎橋手前のカーブで車線変更したら、スリップ! 3車線の真ん中を走っていたが、前のクルマが遅いので、左の車線に移った途端、後輪が操縦不能になり、横に回転しだした。そのまま真ん中を走っていたクラウンに激突! 我がパジャロは横転。360度回転した。1回転し止まった。気がつくと、フロントガラスがなくなっている状態。右を見ると激突したクラウンが走行方向と逆向きになり、中央分離帯にぶっかった状態で止まっていた。慌てて運転手のところに行こうとしたが、ドアが開かない。何度やっても開かなかったが、右の窓も割れてあいていたので、抜け出し、クラウンの運転手に駆け寄った。その方は気丈にも自分の携帯電話で警察に連絡した。ぼくもと思い、ポケットにあるはずの携帯電話を探したが見つからない。会社に置いてきてしまったのかとも思ったが、パジェロのあたりを見ると後輪付近に落ちていた。

しばらくすると、首都高の職員が駆け寄って来た。そこで事情を説明。免許証の提示を求められて右手を見ると、甲が血で染まっていた。フロントガラスの破片で切ったようだ。辛うじて免許を出し、雨の中、電話番号や職業等を説明。2車線を占領したままで渋滞が起きていたので、移動しようと思いエンジンをかけたが、まったく動かない。そうこうしているうちに警察が到着。同じく免許の提出を求められ、不自由な右手だが、免許証を出し、先ほどと全く同じの状況説明をした。

「さいとう!」と呼ばれ振り返ると、さっきまで一緒に力仕事をしていた社長が現れた。社長にも同じ状況説明をした。ホント申し訳ない。警察との間に入って、いろいろ面倒を見てもらった。救急車を呼ぶかどうか訊かれたのでお願いした。雨が冷たく、早くこの場から逃れたいというのもあった。渋滞でなかなか来なかったが、救急車に入り右手を処理してもらい、やっと一息ついた。でも同じく状況説明をさせられたことには閉口した。この日事故が多かったようで、病院がなかなか決まらなかったが、北品川の「第三北品川病院」に行くことになった。初めて救急車に入った。サイレンを鳴らすとみんな避けていってくれる。病院に行く間にも2件事故が起きていた。

警察にも病院でも、ありえないくらいの事故を起こしておきながら、右手の甲の擦過傷ですんだのは奇跡としかいえないと言われた。確かそうだ。巻き込んでしまったクラウンの運転手さんも何事もなかったらしい。病院でレントゲンをとり、包帯を巻いてもらい、社長のクルマで社長の家の側の焼き肉屋にいった。社長のもう一つの会社の社員2人と社長の家族を入れた7人で、祝杯をあげてくれた。確かに生きているのが不思議なくらいの事故なのに右手の傷程度だったのだ。

翌日、レッカー移動されたパジェロを新木場まで見に行った。廃車しかないとのことだ。平成9年に300万円ぐらいで買ったパジェロ。平成8年モデルで三菱の試乗車だったが、平成9年に新型モデルが出たために3000kmしか走ってないのに中古として売りに出された。試乗車だったためサンルーフや革シートだったり、当時は珍しかったカーナビを搭載したクルマだったので、普通に買えば500万円近くはするはずだ。まさに出会いだと思った。ぼくが買うべくして、生まれたクルマのようだと思えた。それを無鉄砲な運転で鉄くずにしてしまった。ほとんど無傷ていられたのはパジェロの頑丈さのおかげだ。

我がパジェロに────合掌!