一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

終戦記念日

2005-08-15 | よしなしごと
ここ2,3日の「きちんと敗戦することの難しさ」ということから、終戦記念日にあたって考えたのは、日本は「きちんと負けた経験」を自らの強みとして評価してもいいんじゃないだろうか、ということです。

つまり、日本が(ドイツと並び)「きちんと敗戦を認め、戦争を終結させ、しかも復興を果たした」という事をそれなりに評価してよいのではないか、ということです

もちろん、第一次世界大戦の反省から戦勝国側も過大な賠償金を課さなかったことや、朝鮮戦争等その後の東西冷戦が追い風になったという幸運もあると思います。
また、戦前の統治システムが結果的に維持されたり、戦後の混乱期に占領軍に取り入って不当な利益を得た人々がいる、等決して手放しで自慢できるものでもないとは思います。


しかし、その後の戦争は

ベトナム戦争における米国やアフガニスタン紛争におけるソ連のようにそもそも負けることのない戦争ではあるものの勝つこと、戦争遂行にこだわったあげく「勝てなかった」ことで大きなダメージを負ったり

フォークランド紛争におけるイギリスのように、勝ったものの戦争の意義自体で国内の論議を呼んだり

ボスニア紛争における欧米中心の国連平和維持軍やソマリアにおける米軍ののように、誰もが正当性を主張し、しかも自らが滅びるまで戦争を止めない、という政府に対する武力介入の困難さを経験したことで


結果、小国同士の紛争を除けば、米国のような強者ですら「勝てない」リスクにおびえ、米軍のイラク侵攻のように「大義名分を過剰なまでに主張し、しかも圧倒的な軍事力で蹂躙する」、いわば「必ず勝てる戦争」しか行われなくなったように思われます。

結局それで大国がリスクを取ってまで介入する価値(意味)がないとされた地域紛争(スーダンの内戦)や大国の圧倒的な軍事力に対抗するテロはかえってひどくなってるわけです。


日本は「ごめん、やっぱり間違ってた」と敗戦を認めたから偉い、とは言いません。

ただ日本とドイツの、(遅きに失したと言う非難はあるものの)無条件降伏を決断し、戦後も(多少の異論はあるものの)周辺諸国との関係回復を図りながら、国家として立ち直ったという事実は、国としても過ちを認めることの重要さの教訓になりうるのではないか、と思います。


各国が、自国の無謬性に頑なにこだわる先には、あまりいい結果が待っているとは思えません。


「軍備がないから土下座外交になるんだ」というような短絡的な発想ではなく、極端な話「わが国は世界一のヘタレでござい」と堂々と胸を張る、ということは出来ないのでしょうか・・・


外交の実態に無知な人間のとりとめのない発想ですが、せっかくの終戦記念日を通り一遍で終わらせないとしたら、こんな考えもあるのかな、とふと考えました。
コメント
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